IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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ようやく春の暖かさが感じられるようになってきた今日この頃、皆さんは如何お過ごしでしょうか?
私はついこの間まで風邪と花粉症を併発して死に目を見ていました。
体の調子が悪いと思ったらなるべく早く病院に行く事をお勧めします。
咳も鼻水も止まらないって本当に辛いですからね。


第七話 休暇は有意義に

 椛とセシリアの試合から二日が経った。

 

 あれ以来、一年生による訓練機の貸し出し申請が凄い事になっているらしい。普段でも一、二日かかるものが今では一週間先まで予約でいっぱいになっているそうだ。そして申請した一年生たちは例外なくデータベースから椛の試合の映像資料をコピーしているというのだから驚きだ。

 仕掛け人の椛としては万々歳の結果なんだろうな。目論見通り、一年生たちが訓練機でも専用機相手に勝てることを知ってやる気を出すようになったんだから。

 

 そんな訳で新学期初めての休みである土曜日にも関わらず、アリーナには熱心に訓練をする一年生の姿が数多くあった。その中に混じって俺も打鉄に乗って訓練中だ。週明けにセシリアとの試合を控えている身として当然の事である。

 

 そう。当然ではあるんだけど、何というか、この居た堪れない雰囲気がなぁ……

 

 学校の男子が俺一人という状況にはこの数日間で何とか適応できた。けど、だからといって好奇の目に慣れた訳じゃない。さっきからビシビシと感じる視線――主に訓練を見学している観客席の方から――につい身を固くしてしまう。おかげで今やっている回避機動の練習にいまいち集中しきれないでいた。

 

 まあ、見られるだけならまだよかった。俺の練習が遅れるだけで誰かに怒られる訳でもないし、ましてや周りに迷惑をかける訳でもないんだから。

 もっとも、それは俺が一人で訓練をしていた場合の話。実際は少しばかり問題が生じていた。

 

『一夏ぁ! また動きが鈍っているぞ! ちゃんと私が教えた通りにやれ!』

「わ、わかったよ……はぁ、インカム使ってんのにあんな大声出さなくてもいいだろ……」

『何か言ったか!?』

「な、何でもありません!」

 

 練習している俺の下で、教本片手に指示を出す箒の機嫌が目下急降下中なのが悩みの種だ。

 機体制御に集中しきれない俺に業を煮やした箒が怒鳴る。何事かと思った周りで訓練している子の視線がこちらに向く。俺、さらに集中できなくなる。酷い悪循環だ。他の子の訓練の手を止めることになってしまっているのも申し訳ない。

 俺が視線を気にしないでいられたら万事解決なんだけど、残念な事に俺の神経はそこまで図太くない。椛みたいに鋼の精神力があればなぁ……

 

『ええい、じれったい……一夏、こっちに来い! もう一回教えてやる!』

「りょーかい……」

 

 大人しく従って空から箒のいるアリーナの端に降りていく。ハイパーセンサーによって強化された視覚には、皺を何本も寄せる顔がはっきりと見えていた。

 あんなに皺を寄せていたら痕が残らないか? 普段からもうちょっと柔らかい表情をしていればいいのに……いや、機嫌を悪くさせている俺の言う事じゃないか。

 

「まったく……何で言う通りにできないんだ。これくらい簡単にこなせなければ、オルコットに勝つなんて夢のまた夢だぞ」

「それは分かっているけどさ、こっちだってISを起動するのが二回目の身だぜ? やっと普通に動かすのに慣れたくらいなんだから、少しは大目に見てくれよ」

「言い訳は聞かん」

「デスヨネー」

 

 箒の断固とした言葉に思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。

 まあ、俺だってそんな言い訳が通るなんて思っていない。経緯はどうであれ、俺はセシリアと決闘することになってしまったのだ。ボロ負けしたくないなら必死に訓練するのは当然だし、それに休日を潰してまで付き合ってくれている箒に言い訳をするなんて失礼だ。

 むしろ感謝をするべきなんだろう。幼馴染というだけで、イラつきながらも俺に教え込もうとしてくれているんだから。

 

「いいか? もう一回教えるぞ」

「お、おう」

 

 箒が教本の回避機動についてのページを開きながらこちらを見据える。

 今の俺に必要な技能は攻撃を回避する手段。そして勘を取り戻しつつある剣道を活かすための接近方法だ。それを身に付けるだけでも段違いの戦いができるようになる筈……というのは箒の談である。現在はその言葉に従って、IS操縦についての基本的な入門書を参考にしながら技術の習得を図っている最中だ。

 けど、俺が教本を読んでも小難しく書いてあって理解できなかったので箒に噛み砕いて教えてもらうことになってしまった。情けないとは思う。とはいえ、分からないものは仕方がない。だから先ほどから恥を忍んで箒の言葉に耳を傾けているんだけど……

 

「ヒュッといって、ブワァーとする感じだ」

「…………」

 

 コレは、いくらなんでも噛み砕きすぎだろう。

 

「どうだ。これで理解出来ただろう?」

「いや、さっぱり」

「何ぃ!?」

 

 俺の正直な言葉に、ドヤ顔でふんぞり返っていた箒が驚きの声を上げる。

 むしろ何で理解できると思った。そんな抽象的な表現でわかる奴がいたとしたら、そいつは超能力者だ。

 

「なんで分からないんだ!? これ以上ないくらい簡潔に教えているだろう!」

「簡潔すぎるんだよ! 何だよ『ヒュッ』って! あの小難しい文字の羅列をどう解釈したら、そんな擬音が出てくるんだ!?」

「……直感?」

「……ああ、うん。何かもういいや」

 

 結論、箒に論理的な説明を求めることは無駄らしい。これはもう遺伝子レベルで決まっているに違いない。そうでなけりゃ直感であんな説明なんて出来る訳がない。

 そんな無理矢理な理屈で自分を納得させなければ諦めもつく。不毛な争いの代わりとして、無駄に気疲れして大きな溜息が出たのはどうしようもない事だ。

 だから箒はそれを見て嫌そうな顔をしないでくれ。終わりのない言葉の応酬に比べたら溜息一つなんて安いものだろ。

 

「何に溜息をついているのかは知らないが、そんな事をしても何も解決しないぞ。訓練機を借りられたのは今日一日だけなんだ。今のうちに動かし慣れておかないと、月曜に痛い目を見るぞ」

「……分かっている」

 

 試合の前にISを実際に動かせる機会はこれっきりなのだ。だから箒の説明が理解不能の擬音まみれであったとしても、少しでもまともに動かせるようになっておかなければいけない。さもなければ、セシリアにボコボコにされるのがオチだろう。

 そんな格好悪い姿を晒すのは御免だ。分からなくても出来るようにするくらいの気概を持ってやらなければいけない。理解できないとか文句を言っている時間は無いんだ。

 

 そう思い直して気持ちを締め直す。

 こうなりゃ出来るようになるまで繰り返すだけだ。何回もやれば形くらいは掴める様になるだろう。たとえ不格好なものであろうとも構わない。今の俺に必要なのは見た目の良さなんかじゃないのだから、拙い技術であっても使えればいい。

 

「この際、理屈を詰めるのは後にしようぜ。今は取り敢えず出来るようになればいいんだし」

「むむ……私の説明を理解できないというのは納得しがたいが、時間が無い現状ではそれも仕方がないか」

「だろ?」

 

 提案してみれば箒も納得してくれた。

 普段は頑固でも、優先するべきことはちゃんと心得ている奴だ。筋が通った事を言えば、大抵の事は認めてくれる。たまに妙なくらい意固地になる事はあるけどな。

 

「それに、せっかく箒が借りてきてくれた打鉄だ。使えるもんは使えるうちに有効利用しないとな。これ、申請するのに苦労したんだろ?」

「あ……い、いや……」

「ん?」

 

 お礼を言うつもりで話を振ってみたら、箒が何故か言い淀んだ。

 どうかしたのか? 俺は話に聞いたところによると訓練機の貸し出し申請はかなり大変らしいから、箒に面倒な真似をさせちまったかと思っていたんだけど……もしかして意外と楽だったりしたのか?

 いや、それはないか。申請が混雑しているという話は噂ではなく紛れもない事実だ。実際にこの目でごった返している教務課を見ているのだから間違いない。

 

 それにしても箒の様子は挙動不審だ。いつものはっきりとした物言いは見られないし、さっきから目も泳いでいる。まるで何か後ろ暗い事でもあるかのようだ。

 ……はっ! ま、まさか……!

 

「箒! お前、もしかして他の奴から横取りしたんじゃないだろうな!?」

「そんな事をする訳があるか! 私の事を馬鹿にしているのか!? それに、その打鉄は椛から譲ってもらった物だ!」

「そ、そうだよな。箒がそんなことする訳……って、椛が譲った?」

「あ…………」

 

 幼馴染が犯罪行為をしていないことに胸をなでおろすと同時に、ポロリと零した言葉を聞き逃すことは出来なかった。口にした本人は「しまった」とでも言うかのような表情をしている。

 どうやら、この訓練を行う事になった経緯にはもう一人の幼馴染が一枚噛んでいるらしい。練習を再開する前に、そこら辺について聞いておくか。

 

「これ、椛が借りたものだったのか。だったら何で今ここに居ないんだよ?」

「……私が知るか。いつもみたいに剣道場に行こうとしたら突然現れて、『私は用事ができて不要になった。一夏坊の訓練にでも使ってみたらどうだ』と言われたんだ」

「ああ、だからいきなりISを使って訓練をするなんて言い出したのか」

 

 実は今日もいつものように剣道場で稽古をつけてもらう予定だったんだけど、箒の急な提案でアリーナでの練習をすることになったのだ。剣道場で待っていたら殴り込むようにやって来て、間髪入れずにそんな事を言われたものだからびっくりした。

 けど、今の話を聞いて納得した。当日になってから機体が使えるようになったのだから、急遽予定変更になって当然だ。きっと箒も大いに慌てたのだろう。

 

「一度くらいは実際に動かしておかないといけないと思ったからな。渡りに船と思ってそうすることにしたんだ」

「まあ、確かに助かったよ。流石にぶっつけ本番は不安だったし。それはともかく椛の用事か……箒は何か知らないのか?」

「だから知らないといっているだろう。私に処理済みの訓練機の貸し出し申請の書類を押し付けたと思ったら、そのままふらっと消えてしまったんだ」

「そうか……」

 

 椛が姿をくらます事なんて珍しくもなんともないけど、気になるものは気になる。いったい何をしているんだろうな。

 

「ま、別にいいか。そろそろ練習に戻ろうぜ」

「そうだな」

 

 椛のことは置いておくとしよう。これ以上話していたら時間がもったいない。それにいくら話したとしても、あいつがどこで何をしているのかなんて俺たちにはわからないだろうし。

 

 意識を空に向けて、再び飛翔しようとする。この数十分で何とか慣れたそれを行おうとし――

 

「おーい、織斑くーん!」

「へ?」

「む……」

 

 その矢先に、思わぬ方から掛けられた声に呼び止められる。何だろうかと顔を向けてみれば、一人の少女がこちらに近寄ってきていた。

 顔には見覚えがある。俺と同じ一組の生徒だった筈だ。名前は確か……

 

「えーと、相川さん……でよかったっけ?」

「おお、正解だよ! 織斑君に名前を覚えてもらえたなんて嬉しいなぁ~。あ、ちなみにフルネームは相川 清香ね」

「まだ一週間しか経っていないからうろ覚えだけど、さすがにクラスメイトの名前くらいはな。それより何か用でもあったのか?」

 

 俺が用件を聞くと、相川さんは「そうだった」とでも言うかのような顔でポンと手を叩いた。

 何でもいいけど早くしてくれ。別に相川さんが悪い訳じゃないんだけど、さっきから箒の刺々しい視線が背中に刺さりまくっているんだ。このままじゃまた怒鳴られるはめになるかもしれない。

 っていうか、箒は何で苛立っているんだ? クラスメイトと話すくらい別にいいじゃねえか。

 

「ちょっと提案があってね。今、私たちも訓練しているんだけど……」

「私たち?」

「ああ、うん。一つの訓練機を皆で回して使っているの。ほら、あっちの方で」

 

 指差された方を見てみれば、そこには数人の女子と一機のラファール・リヴァイブを囲んでいた。

 なるほど、そうすれば数の少ない訓練機でも大勢で利用することが出来るっていう訳か。効率的だな。

 

「それでここからが提案なんだけど、よかったら織斑君も一緒に訓練しない?」

 

 何だ、そんなことか。

 こっちとしても他の人の意見がもらえるのは願ったり叶ったりだ。ぜひ引き受けさせてもらおう。

 

「ああ、俺たちで良ければ喜んで……」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 と、返事をしようとした所で慌てたような様子の箒に遮られた。

 どうしたんだ? 別に引き受けても俺たちにデメリットなんて無いのに。

 

「一夏は私とふ、二人きりで訓練しているんだ! 手出しは無用だ!」

「お、おい箒。誘ってくれているんだから、そんなこと言わなくても……」

「ふーん……まあ、そう言うとは思っていたよ」

 

 箒が「二人きり」という部分をやけに強調した、やや乱暴な言葉を吐く。対して相川さんは特に不満そうな顔をする訳でもなく、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。ちなみに俺の制止しようとする声は届いていないらしい。

 や、やばい……何か不穏な空気になってきたぞ……!

 

「ところで織斑君。さっきから回避機動の練習をしていたんだよね?」

「え? あ、ああ……」

「それだったら、これが役に立つと思うんだけど」

 

 そう言って取り出したのは空間投影ディスプレイ。表示された映像は、一昨日の椛の試合を編集した物みたいだった。レーザーを回避する動作がわかりやすくなるよう所々に手が加えられていて、スロー再生や特定の部分のループも出来るようになっているらしい。

 何だこりゃ。教本より断然便利じゃねえか。これ一つあるだけで訓練の効率が上がる事は確実だ。少なくとも、闇雲にやるよりはずっといい。

 

「凄いな、これ。学園のデータベースっていうのはこんなサービスもしてくれるのか?」

「違う違う。確かに映像はデータベースから持ってきたけど、編集してくれたのは椛博士だよ。『存分に励むがよい。多少ならば手を貸してくれようぞ』って言ってね」

 

 椛、またお前か。本当に神出鬼没だな。

 

「編集した映像は皆で共有して欲しいそうだから、今日会った同じクラスの人には渡して回ったんだけど……箒さんにだけは断られたのよね。あーあ、一緒に訓練してくれるなら見せてあげてもいいんだけどなぁ」

「ぐっ……!」

「何で断ったんだよ、箒。せっかく良い見本になりそうなのに」

「う、うるさいっ! こんなもの、私たちには必要ないだろう!」

 

 いやいや、凄く必要だって。有ると無いでは、掛かる手間の数が随分と違うと思うぞ。

 

「それに人数が多くなってしまえば、一人当たりの時間が増えて一夏の訓練量が減ってしまうぞ! それでは本末転倒だ!」

「そこら辺はこっちでも配慮するわよ。基本的に織斑君がずっと使えるようにするし、何だったらラファールの方を使っても構わない。織斑君の専用機がどんなのかわからない以上、打鉄以外の機種にも乗ってみるのも悪くないでしょ?」

「ぬぐぐぐ……」

 

 反論すればするほど不利になっていく箒。相川さんの提示するメリットを否定できなくて、どんどん泥沼にはまっていっている。

 箒もいい加減折れればいいのに。ここで意地を張る意味が俺には全く分からない。

 

「そ、そうだ! 対戦相手のオルコットに一夏の情報が漏れる可能性が……」

「それこそ有り得ないわよ」

「え、何でだ?」

 

 箒が苦し紛れに絞り出した懸念を相川さんはバッサリと切り捨てた。その断言ぶりに思わず疑問を口にしてしまう。

 

「だって、私も含めてあそこにいる全員がトトカルチョで織斑君に賭けているんだもん。負けたら困るじゃない」

「「…………」」

 

 さも当然のことのように喋る相川さん。内容の割に後ろ暗さを一切感じさせない開けっ広げ加減に、俺と箒は開いた口を閉じられない。

 ……まあ、うん。納得は出来る理由だな。ちょっと不純だとは思うけど。

 

「という訳で織斑君に改めて提案。一緒に訓練しない?」

「俺はいいけど……箒は?」

「むむむ……ええい、好きにしろ!」

「よっしゃ!」

 

 箒の投げやりな承諾の言葉にガッツポーズをとる相川さん。それが合図になったのか、ラファールを囲んでいる子たちの方で歓声が上がっていた。相川さんは交渉役か何かだったのか?

 まあ、俺にとっては得する事しかないんだし別にいいか。トトカルチョっていうのが少し気になるけど、そこは目を瞑ればいい話だ。

 

「うう……せっかく二人きりで教えられると思ったのにぃ……」

 

 ただ、箒が異様に落ち込んでいるのが気掛かりだ。そんなに気落ちされたら悪い事をした気がしてくる。

 仕方ない。後で機嫌を直すために何かしてやらないとな……デザートでも奢れば大丈夫か?

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 教師という職業は非常に忙しいもので、世間一般では休日であろうと容赦なく仕事が詰まっている。まだ教職に就いて日の浅い私だが、既に週休二日などという言葉は性質の悪い冗談か何かのようにしか思えなくなってしまった。

 もっとも、それ以前に務めていた国家代表に比べたら肩の荷は軽くなった方か。国の期待を背負うのは思いの外重かった。嫌だったわけではないが、そう感じていたのは事実だ。

 

 閑話休題。

 

 先述した通り教師がいくら忙しいといっても、息を抜くための休憩時間くらいはある。その時間を利用して私はアリーナの観客席を訪れていた。目的は愚弟、入学早々に馬鹿をやらかした奴の様子見だ。

 

「……ふん」

 

 視線の先で四苦八苦しながらもISを動かす姿を見て何と無しに鼻息をつく。

 初心者にしては上等な操り方だ。どうやら一夏には多少なりとも才能は有るらしい。この調子ならば、週明けの試合で一方的に嬲られて終わるという事はないだろう。

 本来なら姉として喜ぶべきことだ。だが、あまりISと深く関わりを持って欲しくなかった身としては微妙な気分にならざるを得ない。その屈折した感情が原因となって出た鼻息だった。

 

 ……とはいえ、あいつはもうISと関わらないで生きるという選択肢を失ってしまった。私の個人的な願望が叶う事はもはや有り得ない。その事実は受け入れなければいけないだろう。

 その上で私がしてやれる事を考えなくてはいけない。最善が叶わないのならば、せめて次善を目指す……それがあいつを守る者として、姉として為すべきことだ。

 ただ、この事態を引き起こしてくれた馬鹿には鉄槌を下してやらなければ気が済まない。今度会ったら唯ではおかないと既に電話でも通達済みだ。それでも普段通りのふざけた調子で喋るのだから、私の幼馴染は随分と神経が太いと思う。

 

「はぁ……」

 

 やれやれ、あの兎のことを考えていたら頭が痛くなってきた。溜息の一つも出ようというものだ。まったく、私は何であんな奴と幼馴染をやっているのやら……

 そんな今更な事を思いながらもさりげなく周囲に目を配る。観客が集中している席は避けたので人気は無く、音はシールドバリアーの向こうから響く訓練音だけだ。入って来た時とはある一点を除いて何も変わっていない。

 

 ――さて、そろそろ気付かないフリをするのも止めにするか。

 

「おい、そこの影に隠れている奴。コソコソしていないで出てこい」

「はうっ!?」

 

 振り返らないまま背後に話しかけると、案の定驚いた声が返って来た。

 ただ恐る恐るといった態で出てきた声の主が、愚弟と同じくらいの馬鹿をやっていた金髪娘だったのは少々意外だったな。

 

「ば、ばれていましたの?」

「気配が隠せていない、視線があからさま、そもそも距離が近すぎる。主な失点はこれくらいだが、細かいものを含めればまだまだある。聞きたいか?」

「け、結構です……」

 

 気付いた要因を挙げてやれば、オルコットはげんなりとした顔をして項垂れた。自分のお粗末なスカウト技術に嫌気がさしたか、あるいは私の事を化物じみた人間だとでも思っているのか。どちらかは知らないが、そんな様子だ。

 

「で? いったい何を考えて私の後ろに隠れていたんだ?」

「人探しをしているうちにここまで来てしまいまして……織斑先生を見つけたのは偶然ですわ」

「ほう、隠れて見ていた理由は?」

「その……話しかけようかと思ったのですが、少し躊躇いを覚えたと言いますか……」

「まあ、あれだけのことを言っておいて躊躇いを覚えなかったら逆に大したものだな。それに私としても人の家族を馬鹿にしてくれた奴に気軽に話しかけてもらいたくはない」

「う……」

 

 態度はいつも通り、しかし言葉には棘を持たせる。我ながら安っぽい悪口だとは思うが、それでもオルコットには十分だったらしい。言葉を詰まらせ俯いた。

 一夏とオルコットが決闘という名の喧嘩をすることになった騒ぎの時、私は担任という責任ある立場であるため平常心を装っていた。だが、目の前で貶められているのは無二の弟と自分がかつて背負っていた母国。世間知らずな小娘の戯言とはいえど、少なからず頭に来ていた。

 教師として仮にも教え子である相手にこのような事を言うのは好ましくないとは分かっている。プライベートならともかく勤務時間であるなら尚更だ。

 しかし、それでも感情を発露したくなることくらい私にもある。それにこいつはよりにもよって私の大切な家族をコケにしてくれたんだ。少しくらい毒づいても罰は当たらないだろう。

 加えてプライドだけは一人前のこいつのことだ。例え相手が私でも下らない意地を張って非を認めようとはしない筈である。そう思っていた。

 

「……やはり先生も怒っていらしたのですね。当然と言えば当然の事ですか」

「ん?」

 

 だからオルコットが反駁をせず、自嘲するような声を発したことに少し驚いた。

 そして、続けざまに深々と頭を下げてきた事にも。

 

「先日の件については初対面の方に失礼な事をしたと今では思っています。織斑先生にも不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」

「…………」

「わたくしの至らなかった点を反省すると共に、今後はこのような事が無いように努めていきます。重ね重ね申し訳ありませんでした」

 

 ……意外だな。まさかこうも素直に謝ってくるとは。外国人は日本人と違ってそう簡単に謝ってこないものだと思っていたのだが。いや、そもそもイギリスに頭を下げる習慣があっただろうか?

 意表を突かれたこともあって、何と返したらいいのか分からなくなり硬直してしまう。その無言の間を不安に思ったのか、顔を上げたオルコットは狼狽えた様子になった。

 

「や、やはりこの程度では許してはもらえないのでしょうか? それとも謝り方に問題が……? 調べた限りではこれが日本での謝意の示し方だという事だったのですが……」

「……はぁ、謝罪は受け取るから落ち着け。あと謝り方には別に問題はない」

「え、あ、はい」

 

 オルコットの挙動不審ぶりに思わず毒気を抜かれてしまう。

 これでは拍子抜けもいい所だ。おかげで苛立ちもほとんど失せてしまうか呆れに変わってしまった。というか、これで嫌味を言い続けたら私が完璧に悪役ではないか。

 

「まさか急に頭を下げられるとはな。どういう風の吹き回しだ?」

「椛さんとの試合の後、冷静になって立ち返るとわたくしなりに思う所がありまして……まずは誠意を示すためにもこうして謝罪することにしました。まあ、そう思い至るまで椛さんに相談に乗って頂いたのですけれど――って、どうかしたのですか先生? 急に難しい顔で眉間を押さえて」

「……いや、どこかの馬鹿のお節介加減に呆れているだけだ」

 

 オルコットの証言で事態がこうなった原因はだいたい把握できた。要するにあの爺臭さのあるラストサムライな少女のせいという訳だ。

 大方、椛がオルコットの事を気に入って何かしら入れ知恵をしたのだろう。試合後に妙に機嫌が良いと思ったものだがこういう事だったのか。まったく、好き勝手にやってくれる。

 

「それにしても、謝る気になったのなら私より先に頭を下げる相手がいるんじゃないのか? 元はと言えばお前とあいつの個人的な諍いだろう」

「それは、その……決闘を申し付けたのに先に謝るのはわたくしの体裁を損ねると言いますか……」

 

 暗に一夏の事を言ってみればオルコットは渋面を浮かべる。

 結局はそこで意地を張るのか。喧嘩にはこれくらいが丁度いいのかもしれんが。

 

「――それに、あの人は男ですし」

「……ふむ」

 

 だが、どうやらこの問題は意地とかプライドだけで済むものではないらしい。

 ポツリと呟いたオルコットの様子を見る限り、単に現在の女尊男卑の風潮に流されているだけとは思えない。恐らくこいつは個人的に男性に対して何かしら悪いイメージでも抱いているのだろう。

 それを解消しない限り仲違いは終わらない、か。担任としては悩ましいところだ。どうにかしようにも解決に直接つながるような手は打てず、最終的には生徒たち本人に任せる事しか出来ない。

 

「何にせよ、とりあえずは週明けの試合に全力で臨むことだ。それで何か変わって見えてくるものもあるかもしれんぞ?」

 

 出来るのはこうやって背中を押してやる程度のことだ。

 若造達の喧嘩に大人があまり立ち入るのもどうかと思う。口をはさむのはこれくらいにしておいて、後は好きにやらせるのもいいかもしれない。私の弟なら何だかんだ上手く事を収めるだろうし。

 

「よろしいのですか? 椛さんは予想に反して熟練の腕前でしたが、あの人は正真正銘の素人でしょう。流石にそのような人が相手でしたら瞬殺できる自信くらいはありますわよ」

「どうだろうな。あいつの持ち味は呑み込みの速さと意外性だ。試合がどう転ぶかは分からないぞ。身内の贔屓目が入っている事は否定しないがな」

「……ふふ、でしたら楽しみにさせていただきますわ」

 

 ニヤリと笑みを浮かべてやれば、オルコットも不敵な笑みを返す。

 一夏の初実戦がこんな形になってどうしたものかとも考えていたが、逆にこれで良かったかもしれん。初めからこれくらい骨がある奴と戦えば、少なくとも急に手に入れた力に慢心することはないだろう。

 

「それでは織斑先生、わたくしはここで失礼させていただきます」

「見ていかなくていいのか? 勝つつもりなら動きの癖くらい調べたりするものだろう」

 

 踵を返したオルコットに、愚弟たちの方を指差しながら問い掛ける。それに対する返答は艶めかしい笑み。振り返る動作の一つさえ優雅さを感じる。

 

「それも良いのでしょうが、わたくしは自分を高めることに専念いたしますわ。先日の試合で気付いた課題、週明けまでにはきっと改善してみせましょう」

「はっ、向上心豊かで結構な事だ」

「お褒めに預かり光栄ですわ。

 ……ところで織斑先生、椛さんがどこにいらっしゃるかご存じではありませんか? 練習相手をしてくれると非常に助かるのでさっきから探しているのですが」

 

 ああ、そういえば人探しをしているといっていたな。

 椛の居場所なら確かに知ってはいるが……残念だったな、オルコット。今のあいつにはお前に構っている時間など無いだろう。

 

「椛なら倉持技研に出張中だ。学園に帰ってくるのは月曜になってからになる」

「え」

 

 急に外泊許可など申請してきたから何事かと思ったが、理由を聞いてみれば妙に納得したというか、もはや諦めがついたような気分になったな。不本意だが、私も椛もあの破天荒な兎耳娘に振り回されるのに慣れてしまったという事か。

 傍迷惑だと思いながらも許容してしまう自分に対して苦笑が浮かぶ。甘やかし過ぎているのではないかとも思う。だが、それ以前に人を頼るようになってくれて嬉しいと感じてしまっている時点でどうしようもない。

 

 ――まったく、面倒をかけるからには結果を出せよ?

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「倉持技研へようこそ、椛博士。歓迎いたしますよ」

「こちらこそよろしく頼むよ、所長殿。短い間だが世話を掛ける」

 

 初の休日からここまで遠場に足を運んでいるのは私くらいではなかろうか。そのような無益な事を考えながらも、目の前で手を差し伸べる白髪交じりの男性と握手する。

 学園を朝一に出て電車を乗り継ぎ、昼前になってようやく辿り着いた目的地。日本有数のIS研究所、倉持技研の所長室で私はここの責任者と挨拶を交わしていた。

 初老の優男といった印象の彼とは何度か面識があるため、態度はいたって気楽なものだ。相手は丁寧語だが、彼にとってはそれが常の事であるだけで特に気を張っているわけではない。例えて言うなら、ある程度交友のある知り合いが語り合うような雰囲気である。

 

「彼奴はどうしておる?」

「あの方でしたら例の機体相手に存分に腕を振るっていますよ。部下にあなたの到着を知らせに行かせたので、そのうち飛んでこられるのではないでしょうか」

「左様か……念のため聞いておきたいのだが、そちらに迷惑はかけなかっただろうか?」

「ここに来てから二週間、必要最低限の事しか喋らないような様子でしたが、それだけで特に問題はありませんでしたよ。あれくらいなら可愛いものです」

 

 「思春期の娘はもっと酷いものでしたから」と笑う所長殿。彼奴は他者との対話能力に難がある故に軋轢を起こしていないか心配であったが、どうやら杞憂であったらしい。

 それにしても所長殿も苦労しているのだな……私もかつては娘を持っていた身、お主の言葉には非常に共感できるぞ。燐もこちらの事を無視するような時期があって、どうしたものかと途方に暮れたものだ。

 

 父親の苦悩に感じるシンパシー。心の内で何度も頷いてしまう程だ。

 だが、途端にその感慨を遮るかのように大音響が響く。発生源は扉の方。乱暴に蹴り開けたかのような音だった。

 

「もーみじちゃ~ん!」

 

 振り返ってみれば、こちらに飛び込んでくる兎耳が目に入る。呼び方が某怪盗のようだったのは態とであろうか。

 どうでもいい感想を抱いている間にも相手は目前に迫る。この勢いでは受け止めるには苦労する。出来ないわけではないが、このような事で一々構ってやる必要も無かろう。

 

「ほっ」

「ありゃ?」

 

 故に避ける。こちらに抱き着こうとした腕は空を切り、宙にあった体は物理法則に従って床に落着した。顔面から。

 

「ふべべべ!?」

 

 余程勢いよく飛び込んだのか、床への落着だけでは止まらずそのまま顔面スライディングに移行。三メートルほど顔を擦り付けた後にようやく静止した。摩擦熱のせいか煙が上がっている。

 私は溜息をつき、所長は苦笑いを浮かべる。どちらも内心では呆れていると、無駄に派手な登場をしようとした上で盛大に失敗した人物がガバリと起き上った。

 

「酷いよ、椛ちゃん! お姉ちゃんの熱い抱擁を袖にするなんて……そんな冷たい子に育てた覚えはないわっ!」

「騒がしい。姉者には冷たい床との接吻で十分であろう」

「ガーン! な、なんか本当に冷たい……」

 

 起き上がるや否や、おどけた調子で文句を言う姉者に淡々と返す。道化にはこれくらいの態度で接するのが丁度いい。よよ、と泣き崩れている様子からして懲りてはいないようだが。

 しかし受け身を全くとっていなかったにも関わらず、どこにも怪我を負ったようには見えないのは不可解である。巷ではこういうのをギャグ体質と言うのだったか。都合の良い事だ。

 

「まあまあ、お二人とも。姉妹喧嘩もよろしいですが、そろそろ場所を移しませんか。例の機体は明日中に仕上げなければいけないのでしょう?」

「確かに。それでは案内をお願いする」

「椛ちゃんがこんなに冷たくなっちゃうなんて~。しくしく…………あれ? 何で二人は部屋を出て行っちゃてるのかな? はっ、まさかこれが放置プレイ!? もう、いい趣味しているんだから~……あ、ちょ、待って待って! 本当に無視しないでよ! 直ぐについていきますからごめんなさい~」

 

 所長殿の言葉に従い移動を開始する。泣き崩れた姿のままふざけ続けていた姉者も、無視を決め込んでやればさすがに不味いと察したのか小走りに追いかけてきた。

 

「無愛想な方なのかと思っていましたが、なかなかユニークなお姉さんですな」

「人によって態度が明らかに違う人でな。気分を害したのなら申し訳ない」

「いえいえ、そんな事はありませんよ。むしろ姉妹仲がよろしいようで何よりです」

「……忝い」

 

 姉者のせいで不快な思いをしてはいないかと気に掛かったが、所長殿は逆に朗らかな笑みを返してくれた。その寛大な心に感謝の念を抱かざるを得ない。

 姉者はその性格ゆえに友人が非常に少ない。こうして受け入れてくれる人がいるだけでもありがたい事である。私としてはもう少し交友関係を広めて欲しいとも思うのだが、やはり難しいのであろうな……

 

 ――それにしても何故私はこんな事を考えているのか。本来なら妹が考える事でもなさそうなものだが……そこは割り切るしかないか。何しろ私と姉者のことだ。細かいことを気にしていたら切りがない。

 長き人生のうち、どうしようもない事など儘あるものだ。時には諦めも手の一つである。

 

 

 

 

 

「それで、一夏坊の機体はどれくらい仕上がっておるのだ?」

「八割方といった所かな。外はほとんど出来上がっていて、後はシステムと武装だけっていう感じ」

 

 地下へと降りていくエレベーターの中、ようやく肝心のここへ来た理由についての話になった。

 ここに姉者が居り、加えて私が訪れた理由、それはここで一夏坊の専用機を開発しているためだ。正確に言えば「姉者がここに持ち込んで開発している」のだが、表向きには倉持技研が開発を主導している事になっている。

 

「別にここの設備に文句はないんだけどさ、周りをうろうろしてこっちを見ているだけの奴らはなんとかなんないのかな。手伝いをさせてみても、このオジサン以外は荷物運びくらいしか任せられないし」

「うちの者は決して無能という訳ではない筈なのですが……あなたのお眼鏡には適いませんか。いやはや、手厳しい事ですな」

「所長殿、それは姉者が高望みしているだけだからあまり気にしてくれるな。ここの者たちは優秀と言って差し支えないよ」

 

 姉者のつけるケチを真に受ける所長殿にフォローを入れる。姉者の言う事はだいたいが我儘か冗談半分のものだ。まともに取り合うのではなく、適当に流すのが正しい対処法である。

 というか所長殿、オジサン呼ばわりされている事については別にいいのか? 好きにさせておくと調子に乗るので、あまり甘やかさないで欲しいのだが……他人にそこまで求めるのは酷か。家族たる私が目を光らせるしかあるまい。

 

「でもさ、私の個人ラボだったらもっと早く仕上がっていたよ? くーちゃんも居るし、椛ちゃんがそこに加わればモーマンタイなのに」

「作業効率だけの話では済まないのだ。ここで開発している理由、まさか忘れたとは言うまい」

「ちゃんとした出所が必要って話でしょ? それくらい束さんだってわかっているけどさ~」

 

 わかっているならブチブチと文句を言うな。

 仕方のない奴め……もう一度念を押しておくか。

 

「第一、姉者が一夏坊の機体の開発権を秘密裏に掠め取ったからこうなったのだぞ。その点では自業自得としか言えぬ」

「だって、どこかの馬の骨にいっくんが乗る機体を任せたくなかったし……」

「気持ちは分からなくもないが、だからといって好き勝手にして良いという道理はない。少しは一夏坊を取り巻く状況を考えよ」

 

 エレベーターが目的の階層に到着し扉が開いた。再び歩みを進めながらも、姉者へのお小言はまだまだ続く。

 木星から帰る道中にもこの件を内密に済ますために八方手を尽くしたのだ。その苦労を知れとは言わないが、理由だけはしっかりと認識しておいて欲しい。私の働きが水泡に帰してしまうのだけは勘弁願いたいからな。

 

「一夏坊は現在の世界で最も注目されている人物と言っても過言ではない。その専用機ともなれば詳細を探られるのは必至……もし、それが出所不明の超高性能機だとしたらどうなる?」

「騒ぎになるのは確実でしょうな。それに開発元が不明では国家に帰属しているかどうかさえ怪しい。所属先を巡っての争いが起きることも考えられます」

「そういうことだ」

「むぅ……」

 

 姉者は聞きたくないとばかりに、むすっとした表情でそっぽを向く。

 そんな事をしても何の解決にもならぬぞ。少しは真面目に聞くがよい。

 

「ここで開発することになったのは斯様な事態を避けるためだ。倉持技研は日本のIS研究施設でも有名所の一つ、隠れ蓑としては申し分ない。利害も一致したから交渉にも手間取らなかった」

「私たちとしても初の男性操縦者の専用機を作ったという実績を挙げられますからね。良い箔づけになるし、何よりもIS開発者の手腕を間近で見られる。断る理由などありませんよ」

「ふーん……手配中の束さんが居ても通報しないのは、そっちの方が得だからと判断したから?」

「ええ、そういうことです」

 

 姉者の胡散臭げな視線をものともせず微笑む所長殿。それがまた姉者の猜疑心を助長させたようで心なしか距離を取っていた。意外と計算高いこの男は好みではないらしい。

 

「そう警戒するでない。所長殿は一応、信頼できる相手であるぞ」

「一応、ですか。全幅でないのが残念ですな」

「何を言うか。そちらも似たようなものであろう?」

「これは参った。確かにそうでしたな」

「「はっはっは!」」

「……束さん、こういうのは苦手だよ」

 

 茶番を繰り広げる私たちを見て、姉者は珍しく気疲れした顔をする。

 まあ不安を煽るような発言はしたが、所長殿が私たちに危害を加える気が無いのは確かだ。姉者を捕まえようとすれば、どれだけのリスクが伴うか見誤る男でもない。

 

「おっと、着きましたな。ロックを外しますので少々お待ちを」

 

 どうやら話し込んでいるうちに目的地に到達していたようだ。所長殿が一言断ってから重厚な鉄扉に備え付けられたコンソールを操作する。パスワード、指紋照合、網膜スキャンなどなど……過剰なまでのセキュリティを解除され、鉄扉は重々しい音を響かせながら道を開けた。

 

「……ほう」

 

 その先に有るもの、ここへ来た理由を目にして思わず声を漏らしてしまう。姉者は耳聡くそれを聞きつけて、やっと本領を発揮できるとばかりに満面の笑みを浮かべた。

 

「どうどう? いい出来だと思わない?」

「うむ、これは良きものだ。反論の余地も無い」

「全くもってその通りですな。シンプルな機能美とでも言いましょうか」

 

 十数人の研究員がいる部屋の中央に鎮座する純白のIS。今は様々なコードなどが接続されているが、それでもなお美しく感じる。その姿はさながら忠誠を誓う騎士のようである。

 

「大型スラスター……高機動型か? 一夏坊が制御できるようになるまで苦労しそうだな」

「まあね。使いこなせるかどうかはいっくん次第だけど……ま、大丈夫でしょ」

 

 歩み寄ってまず目を引くのは背部のウィングスラスター。莫大な出力を誇るのであろうそれは機体の大きな特徴となっている。同時に燃費の悪さが懸念されるが、そこは姉者の言う通り一夏坊次第である。是非とも上手く扱ってほしいものだ。

 

「うふふふ~」

「……何だ、その意味ありげな笑い方は?」

「確かに高機動型なのは間違いないけどね、その子の本質はもっと別のところにあるんだよ。椛ちゃんなら触れれば分かるんじゃない?」

 

 姉者のことだから唯の高機動型で済ます訳が無いとは思っていたが、こうも上機嫌な様子を見せられては何かとんでもない事をやらかしたのではないかと勘繰らせられる。

 明らかに怪しいが、ここで躊躇っても仕方がない。漠然と嫌な予感がしながらもその白い装甲に手を伸ばした。

 

 ―――――!

 

「っ!?」

「椛博士、どうかしましたか?」

 

 瞬間、頭に流れ込む情報の数々。その中に見逃し得ぬものを知覚し、驚愕に目を見開いてしまう。

 ……なるほど、このISは真の意味で一夏坊の専用機らしい。彼奴以上にこれに相応しい操り手はいまい。

 

「なかなか粋な真似をするではないか。しかし完成には至っていないようだな……出来るのか?」

「もう、誰に何を言っているのかな? この大天才、束さんにど~んと任しておきなさいって。私は不可能を可能にする女だからね」

 

 面白くはあるが実現は難しい。それを成すことが出来るのかと問えば、自己主張の激しい胸を張ってふんぞり返られた。頼もしい事だ。

 

「それに椛ちゃんが居れば百人力だよ! この子自身も乗り気みたいだし、出来ない訳がないね!」

「くく、違いない。その信頼に応えるためにも全力を尽くさせてもらおう」

「何かご要望があれば私たちにも手を貸しましょう。さすがに場所を貸しただけで功績を頂いては、有名無実もいい所ですからな」

 

 それぞれの言葉を合図にするように、姉者はどこからともなく取り出した数多の工具を構え、私は計六枚に及ぶ空間投影ディスプレイを展開し、所長殿は研究員たちの統率に掛かる。

 制限時刻は明後日の朝まで……歯応えのある作業になりそうだ。だからこそ遣り甲斐があるというものだが。

 

「ところで姉者よ、ドライバーを指に挟んで持っても使えないと思うぞ」

「……カッコつけるくらいいいじゃん」

 

 何とも締まらない空気だが、これくらいの方が私たちには丁度いい。

 ――さあ、始めるとしようか。

 

 


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