IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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書いていたらやたらと長文になったので二話に分けることに。
中々上手くいかないものだなぁ……

追記:投稿したのが何故か消えてしまったので再度更新しました。


第四話 手合わせ

 さて、六人で食堂に来たはいいが昼時のためかなり混み合っている。奥の方に席は残っているようだが、この距離では確保する前に他の者に取られるだろう。

 ……そう思っていたのだが、一夏坊の行く先の人混みがざあっと割れた事で無事座ることが出来た。お主は新田 義貞か。

 

 ちなみに六人分の席は無かったので、私と三人のクラスメイト、一夏坊と箒に分かれて少し離れた席に座る事になった。

 私と一緒になった者たち――名前はそれぞれ布仏、谷本、夜竹というらしい――は一夏坊と一緒ではないことを残念がっていたが、私は少し安堵していたりする。私が側に居ては箒が落ち着いて飯を食う事も出来ないだろうからな。

 

「ふむ、クラス代表の座をかけて一夏坊とオルコットが模擬戦か……」

「そうなんだよー。みんな来週の試合を楽しみにしてるんだー」

 

 昼食――今日の日替わり定食は鯖の塩焼きだった――を食べながら布仏に先ほどオルコットの口から出た「決闘」について聞いてみると、一夏坊が入学早々に問題を起こしていたことが明らかになった。

 決闘に勝てば拒否していたクラス代表に就任、負ければオルコットに馬鹿にされたまま……勝敗の如何にかかわらず損をする羽目になっているではないか。安い挑発に乗るからこうなるのだ。

 

 私から言わせてもらえば勝った方が一夏坊自身にとっては良いだろう。オルコットは仮にもイギリスの代表候補生、勝負の結果はほぼ間違いなく本国、しいては世界中に伝わる筈。そこで「織斑 一夏自身は大したことはない」とレッテルを貼られてしまえば御終いだ。少なくとも学園内では常に下に見られる羽目になるだろう。

 そのような事態を避けるためにも、一夏坊はオルコットに勝利、またはある程度の実力がある事を示さねばならない。さりとて、今の素人に毛が生えた程度の状態ではそれを為すのは到底不可能。ならば決闘までに相手と戦える能力を一点だけでも身に着けるべきなのだが……

 

「…………面倒な真似をしてくれる。あの馬鹿者め」

 

 ええい、色々と考えていたら頭が痛くなってきた。

 だいたいオルコットは何故そんな幼稚な挑発をしてきたのだ。乗せられた一夏坊も一夏坊だが、仕掛けた方もどうかと思うぞ。

 

「ちなみにトトカルチョは六対四で現在オルコットさんが勝ちという見方が強いですよ」

「うーん、織斑君も千冬様の弟だから結構できると思うんだけどな」

 

 ……今の話は聞かなかったことにしておこう。

 だから頼むから私を巻き込まないでくれよ。千冬殿にばれて絞られるのは勘弁してほしいのだ。

 

「それよりもみっちー、おりむーと幼馴染っていう話は本当なのー?」

「む? ああ、その通りだ」

 

 面倒くさい事を考えるのは後にしよう。せっかくの学園生活なのだ。今は目の前の彼女らとの話を楽しむのも良いだろう。

 それにしても布仏は独特な渾名の付け方をする。渾名など初めて付けられたが……もみっち、か。悪くない響きだ。

 

「小学一年の頃からの付き合いでな、実家の剣術道場でよく竹刀を打ちつけ合ったものよ。姉者と千冬殿はそれ以前から親交があったようだが」

「なるほどー、同門ってやつだねー。おりむーの小さい頃ってどうだったのー?」

「昔からあまり変わらんと思うが……ああ、一つだけどうしようもないくらい変化が無い点ならあるな」

「え、何ですかそれ?」

 

 ふと思いついて出た言葉に三人が喰い付いてきた。

 いい機会だ。一夏坊と交友するうえでこれは知っておくべきだろう。言葉だけでは信じられないだろうから、実例も交えて話させてもらおうか。一夏坊たちとは多少距離が離れているが、声を張れば話す分には問題あるまい。

 

「実際に見た方が早いだろう。少し静かにしておれ……おい、一夏坊!」

「ん? 何だよ椛」

「お主、箒と付き合ったりはしないのか?」

「ぶふぅぅぅっ!!?」

 

 ちょうど味噌汁を飲んでいた箒は、驚きのあまり口に含んでいたものを吹きだしてしまった。辛うじて顔を逸らしたので正面の一夏坊に被害が及ばなかったのは不幸中の幸いだろう。

 割と辛そうに咳き込んでいるのを見てタイミングが悪かったかと考えていると、若干涙目かつ羞恥に染まった顔でこちらをキッと睨んできた。

 

「ななな何を言っているんだお前はぁ!? わ、私が一夏とつつつつ付き合っているなど……!」

「付き合うって買い物のことか? そうだなぁ、誘われたら普通についていくぞ。幼馴染だしな」

「…………っ!!」

 

 しかし、箒の必死の抗議は一夏坊の超人的な鈍感発言に遮られる。

 そのあまりの鈍感ぶりに静観していた他三人は開いた口がふさがらない。

 

「一夏、お前という奴は……!」

「何だよ箒、そんな不機嫌そうな顔して。あ、やっぱり勝手にお前のメニュー選んだの嫌だったのか? だったらお詫びとして俺の鯖の塩焼きを分けて……」

「この……朴念仁がぁぁ!!」

 

 ガツン!

 

「痛っ! 何すんだよ箒!?」

「五月蠅い! お前など剣道の打ち込み台くらいの価値しかないんだ!」

「竹刀でずっと叩かれていろっていうのか!?」

 

 もはや私たちのことなど眼中になく痴話喧嘩をし始めた二人。

 まあ、例としてはこの上なく適切であったな。喧嘩についてもいつものことだし、そのうち収まるだろう。

 

「さて、これで十分わかっただろう?」

「ええ、まあ……」

「おりむー、凄いねー」

「というか篠ノ之さんがちょっと不憫に思えてきたかも……」

 

 若干呆けたままの三人からそれぞれの返答が返ってくる。あのような鈍感は滅多に居ないだろうから(というか、そうそう居られては困る)呆けるのも無理はあるまい。

 だが、残念な事に一夏坊の真価はただ鈍感なだけではない。まるでそうすることが自然であるかのように女を惹きつけるのだ。その被害者数は両の手では到底おさまらない数に及ぶ。

 私の知る中学一年までの時点でそれなのだ。私が居なくなってからどれほどの者がその魔の手にかかったのやら……今度中学の時の友人に聞いてみるか。

 

「昔から今まで変わらずにあの調子でな。何時までも『坊や』で困ったものよ」

「へー、だからもみっちはおりむーのこと『一夏坊』って呼んでいるんだねー」

「然り。なかなか察しが良いではないか布仏」

 

 最初は年少の男子への呼び名として『坊』と付けていたのだが、いつの間にかそのちっとも成長しない恋愛関係の情緒を揶揄するような形になってしまった。彼奴に恋人の一人でもできたらこの呼び方もやめようと思っているのだが、今のところその兆しはない。

 やれやれ、私は何時になれば彼奴を坊や呼ばわりしなくてもよくなるのやら。

 

「うんうん、これで大分織斑君について知れたわね。博士、お話してくださってありがとうございます」

「なに、これくらいは構わぬよ……しかし谷本に夜竹、その敬語はどうにかならぬのか? お主らも布仏も同じように普通の口調で話せばよかろうに」

 

 谷本の礼に返答しながら、先ほどから少々気になっていたことを口にする。

 博士という呼び名はともかく、敬語で話されてはどうにもこそばゆく感じる。少なくとも外面は同じ学年のクラスメイトなのだから、私としては気楽な態度で接してほしいのだが。

 

「いや、それはさすがにちょっと……」

「『ブリュンヒルデの右腕』にため口は恐れ多いといいますか……」

 

 しかし、件の二人から返ってきたのは困ったような顔と遠慮がちな断りの言葉。箸で鯖をほぐしながら思わず「むう」と唸ってしまう。これで強要したら私が悪者のようではないか。仕方ない、言葉遣いについては諦めよう。布仏だけでも良しとするか。

 

 それにしても『ブリュンヒルデの右腕』とかいう御大層な肩書はどうにかならぬのか。クラスの連中の私に対する態度が硬いのも、大半はこれが原因だぞ。

 マスコミ共め、余計な事をしてくれおって……私は現役時代の千冬殿の整備士を担当していただけで、右腕だとか何とか言われるほど大したことはしておらぬぞ。誇張表現も甚だしい。

 

「ねえ、そこの君」

「え、俺ですか?」

 

 と、頭の中で愚痴っていたら一夏坊たちの方から聞き覚えのない声が聞こえてきた。

 何だろうかと顔を向けてみると、上級生らしき生徒が一夏坊に話しかけて来ていた。

 

「あなた、イギリスの代表候補生と試合をすることになったんですって?」

「ええ、まあ成り行きで……」

「でも素人のままじゃ相手には勝てないわ。そこで、よければ私がISについて色々と教えてあげようと思うのだけど、どうかしら?」

 

 話の内容を聞いたところによると、どうやらあの娘は代表候補生と試合することになった一夏坊のコーチ役を買って出てきたらしい。

 大方、一躍時の人となった一夏坊に唾をつけておこうという下心からの申し出だろう。他国の諜報員という線はあるまい。その手の奴らはこうも直接的な手段を用いては来ない筈だ。

 

 ならば特に危険はないだろう。ここは一夏坊に任せておいても問題はあるまい。そう思って静観していると、その一夏坊が途端にこちらの方を指差してきた。

 

「えーと、すみません。申し出はありがたいんですけど、俺は椛の奴に教えてもらおうと思っているので結構です」

「え、椛って……もしかして篠ノ之 椛博士!? そ、それじゃあ仕方ないわね……」

 

 何やらこちらに話が飛び火してきたな。出来ればそちらの方で片づけてほしかったのだが。

 まあ、一夏坊が私に教えを請おうと考えるのも無理からぬことか。残念ながらその期待には応えられないが。

 

「一夏坊、悪いが私は一から十まで付きっ切りでお主に教え込むつもりなどないぞ」

「え!? な、なんでだよ?」

 

 当てが外れたせいか、少々焦った様子の一夏坊。

 この程度で慌てるな。というかどれほど私に頼るつもりだったのだ。

 

「忙しいという程ではないが、私にもお主の相手以外にやる事はある。四六時中は付き合っておれぬ。それに少しは己で何とか出来るように励め。少なくとも、授業の内容が『ほとんど全部わからない』とか腑抜けた事を言っている奴に私は教える気はないぞ」

「ぐっ……わかったよ」

「じゃ、じゃあ私が教えても……」

 

 私の言を聞いて、上級生殿が期待に満ちた声を上げる。

 しかし悪いな。その期待にも応えることは出来ぬよ。

 

「……まあ、確かに私に教える気はないよ。妹の方は知らぬがな」

「っ!」

「え……い、妹さん?」

 

 上級生殿が話しかけてきたあたりから不機嫌そうに黙り込んでいた箒が、驚いたように肩を揺らす。突然話を振ったせいか、少々狼狽しているように見えた。

 

「わ、私は……」

「箒が教えてくれるのか? 昨日から不機嫌だし、さっきは何かよくわかんねえけど怒っていたから頼まないでおいたんだけど」

「そ、そうだ! ISについては私が教えてやる!」

「お、おう……サンキュな」

 

 開き直ったのか、勢いづいて一夏坊にコーチ役を申し出る箒。それに一夏坊は押され気味だが、これで大丈夫だろう。

 これで多少は先の叱責の詫びにもなったか。恩着せがましい気もするが、私にはこれくらいしか思いつかなかったので仕方あるまい。箒も嫌な顔はしてないし別に構わないだろう。

 ……それにもし私が引き受けていたら、もの凄く恨まれそうだったからな。一夏坊が私を指差した時に、箒が怨嗟に満ちた目で睨んできたのだ。恋する乙女というのは恐ろしいものだ。

 

 ちなみに上級生殿は「そう……じゃあ私はこれで……」と言ってすごすごと去ってしまった。変に期待させた上で断ったせいか、どうも背中がくすんで見えた。

 

「今日の放課後は剣道場だ。まずはお前の腕が鈍ってないか見てやる」

「え、なんで剣道場なんだよ? それよりISについて……」

「剣道場だ。わかったな?」

「……ハイ」

 

 有無を言わせずに本日の予定を決定する箒。

 短い期間では変に知識をつけるよりはいざという時に動ける体を作るべきというのは分かるが、理由くらいは教えてやっても良いのではなかろうか。

 

「なんだか、面白くなってきたねー」

「もしもし。今日の放課後に織斑君が剣道場に行くわ。うん、だから他の人にも情報を……」

 

 何はともあれ、放課後の予定は皆決まったようだ。私も覗かせてもらおうか。箒がどれ程腕を上げたか気になるしな。

 

 ……そういえば、確か一夏坊は箒が転校してから鍛錬を怠りがちになっていた筈だが、大丈夫なのだろうか?

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「篠ノ之姉、ちょっとこっちに来い」

 

 放課後になり剣道場に向かおうとしたところで千冬殿に呼び止められた。一夏坊と箒の稽古を早く見に行きたい気持ちを抑えて彼女の方を見ると、何故かオルコットもそこにいた。

 ふむ、いったい何事だろうか?

 

「お前の実技試験の日程が明後日の木曜に決まった。その相手なのだが、手の空いている教員がいないため――」

「代わりにこのわたくしがお相手を務めることになりましたのよ。たかが名目上の試験で入試主席のエリートであるわたくしと戦えることを光栄に――」

 

 スパン!

 

「人の話を遮るな、馬鹿者」

「……すみません」

 

 長ったらしい口上を述べようとした矢先に、オルコットは出席簿の刑に処せられて撃沈した。自信あふれる代表候補生殿も我らが担任には敵わないらしい。

 それはともかく、オルコットが私の試験官を務めるというのは些か予想外だ。

 

「織斑教諭。あくまで形式上のものとはいえ、試験官に学生を起用するのは問題ではないか?」

「形式上だからこそ、だ。さっきも言った通り、教員に手が空いている者はいない。ならば入学試験で試験官を倒した程度の実力はあるオルコットに任せてもいいだろうと判断した。本人も希望している事だしな」

 

 なるほど。確かに私一個人のために教員の職務を増やす必要はあるまい。ならば私には何の文句も無い。そもそも、文句を言える立場でもないが。

 しかし、オルコット自身が希望したとは、いったいどういうつもりなのだろうか?

 

「試験でもわたくしは手加減しませんわよ、椛博士。コケにしてくれた借り、しっかりとお返しさせてもらいますわ」

「……ああ、そういうことか」

 

 不機嫌さをあらわにして話すオルコットを見て納得がいった。

 つまるところ、此奴は先の一件を根に持っているらしい。あの程度の事くらい水に流してもいいだろうに。尊大な態度の割には器の小さい奴だ。

 

「ふふ、図らずもあの類人猿との試合の前哨戦ともなりましたわね。申し訳ありませんけど、博士にはわたくしの練習台になってもらいますわ」

「……まあ、そういうわけでお前の相手はオルコットになった。こちらとしてはどっちが勝とうが気にはしないが、やるからには手を抜いたりするなよ」

「……承知した」

 

 千冬殿に軽く睨まれながらも了承の意を示す。

 弟が貶められて若干腹が立つのはわかるが、私に当たらないでほしい。というか、これはオルコットを叩きのめせという意味なのだろうか? 一夏坊のために相手の手札を引き出すくらいはしようと思っていたが、そこまでするのは少々気が引ける。

 

「使用する機体は訓練機の『打鉄』で構わないな?」

「うむ、それで問題ない」

 

 既にわかりきっているかのように聞いてきた千冬殿に、私も当然のように頷きを返す。

 別に『ラファール・リヴァイブ』でも問題はないのだが、やはり私には『打鉄』の方が肌に馴染む。やはり西欧のものよりも日本のものが私の好みというのが大きな理由だろう。

 

 さて、話すことはこれくらいか。ならば、さっさと切り上げて一夏坊と箒の稽古を見に行こう――

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 ――としたいのだが、どうもそう上手くはいかないらしい。

 

「なんだ? どうでもいい事で時間を潰されたくはないのだが」

「どうしたもこうしたも、訓練機を使うなんて本気でおっしゃっているのですか!? あなたほどの方でしたら専用機を持っているでしょう!」

「そんなことか。確かに用意できない事も無いが、それに伴って色々と面倒な事が起こるのでな。今のところは使う予定はない」

 

 一応は日本所属となってはいるが、限りなくフリーに近い私が専用機を使うとなると手続きやその他諸々の煩雑な作業が発生する。それに加えて、あわよくば貴重なコアの一つを手中にしようと勧誘やら何やらが来ることは想像に難くない。

 そのような事に手間を掛けさせられるのは御免こうむる。どうしても必要になった場合は別だが、余程のことが無い限りは私が専用機を使うことはないだろう。

 

 そのような旨をオルコットに伝えてみたのだが、どうやら此奴は納得していないらしく、訝しげな視線を私に向けて来ていた。

 いったい何が不満なのか。私としては至極真っ当な理由だと思うのだが。

 

「……信じられませんわ。あの類人猿でさえ専用機を使うというのに、あなたはただの訓練機を使うだなんて。これでは明後日の試合の結果は決まったようなものですわね」

「ほう、随分と大きなことを言う。その根拠は?」

 

 いっそ異様と言ってもいい程の自信だ。

 どこからそんな自信が湧いてくるのか聞かせてもらおうか。

 

「当然のことですわ。専用機と訓練機ではその性能差は歴然としたもの。勝負の結果など論ずるまでも無い事ですわ」

「「…………」」

 

 ……呆れた。言葉が出てこないくらい呆れた。

 オルコットが言ったあまりにもあんまりな理由に私も千冬殿も言葉を失い、呆れが混じったどころかほぼ主成分になっている視線を向けざるを得ない。

 

 実戦においてはISの機体性能がいくら良くても、それを操る者の技量が無ければ話にならない。逆を言えば性能が悪くとも、それなりの技量があれば相手がより良い機体であっても勝てる可能性はあるという事だ。

 事実、そのような例は公式の記録に残っている試合結果にも幾つか見ることが出来る。性能で勝っているからとはいえ、相手を侮ればいつ足元をすくわれるかわからないのだ。

 

 イギリスの代表候補生たちはそんな事もわからない馬鹿どもの集まりなのだろうか? いや、仮にも国の期待を背負っている者たちだ。そこまで阿呆ではないだろう。

 未熟故に私の技量がそこまで高くないと高を括っているだけだと思いたい。というかそうであって欲しい。でなければ、かの国への評価を少々改めなくてはならなくなる。

 

「確かに専用機相手に訓練機だと……」

「勝てそうにないよねえ。あーあ、私も専用機欲しいなぁ」

 

 それよりも周りにいる生徒たちから聞こえてくるこの声は何だ? 自分たちが専用機持ちには勝てないと挑む前から決めつけているではないか。まだ学び始めてから数日と経っていないのに何という体たらくだ。お主らはここに何をしに来たのだと問い詰めたくなってくる。

 

「……いいだろう。明後日の試験、楽しみにしているぞ」

「ふふ、ご心配なく。完膚なきまでに叩き潰してあげますわ」

 

 ――決めた。適当に終わらせようと思っていたが、予定変更だ。

 済まないな、オルコット。お主には私の目的のために贄となってもらうとしよう。

 

「…………何を考えているかは知らんが、あまりやり過ぎるなよ」

 

 去り際に聞こえてきた千冬殿の言葉に片手を挙げて答える。

 心配には及ばぬ。ただ少し、意識の低い者どもに良いものを見せてやるだけだ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 剣道場に入ると、そこには何やら剣呑な空気が漂っていた。

 

 どこからこんなに集まって来たのかと問いたくなるほどの人数の観客が囲む中央にいるのは、面具を外して明らかに苛立っている様子の箒。そして同じように面具を外し、尻をついて困ったように頭を掻いている一夏坊だ。

 どうやら手合わせが終わった直後らしい。私の予想通り、腕の落ちている一夏坊が箒に瞬殺され、それに箒は納得いかないといったところか。

 

「……何でだ。何でこんなにも腕が鈍っているんだ!?」

「いや、何でって言われても……受験勉強してたし、それより前はバイト漬けだったからかな」

「バ、バイトだと……? 鍛錬はどうした!? 椛もいただろう!」

「椛も忙しかったみたいでなかなか時間が取れなくてさ。あいつが居なくなってからは、一人でやっていてもどうも味気なくなっちまったんだよ」

「……つまりサボっていたんだな?」

「身も蓋もなく言っちまえば、そうなる」

 

 箒は怒りのあまり肩を震わせ始めた。頭に血が上っているせいか私にが入って来たのに気付く様子もない。

 これは荒れそうだな。しばらくは様子を見ておくか。

 

「叩き直してやる! 私との稽古を毎日放課後三時間だ! 文句は言わせん!」

「それはちょっと長いような……っていうか、ISのことはどうするんだよ?」

「そんな鈍りきった体では知識なんぞ付けても役に立たん! 動ける体を作る方が先決だ!」

 

 言っている事は間違っていないが、少しはISを実際に動かせた方が良いと思うぞ。訓練機の申請が通るかは知らないが。

 

「情けない……! そもそも、男が女に負けて悔しいとは思わないのか!?」

「そりゃあ……格好悪いとは思うけどさ」

「格好悪いだと!? そんな生ぬるい事を言っていては、オルコットの奴には勝てないぞ! それでいいのか!?」

「そんな事言われてもなぁ……」

 

 箒が叱咤の言葉を吐き続けるが、一夏坊の反応はどうも煮え切らないものだ。恐らく、今の彼奴に必要なのはもっと別のことなのだろう。

 かつて剣道に打ち込んでいた頃の瞳に宿っていたもの。相手と己に打ち勝ち、ひたむきに上を目指していく原動力――闘志が今の彼奴には見受けられない。

 

 ブリュンヒルデの弟というだけでそれ以外は普通の男だったのならば、平和な生活を送るただの一般人だったのならば、それは必要なかった。だから私も一夏坊の腕が鈍っていっているのを知りながらも、特には何も言わなかった。

 しかし、彼奴はもう普通ではなくなってしまった。今はISを動かせる唯一の男――本人の意思に関わらず争いを招く存在だ。

 

 彼奴を争いから守るために私はここにいるが……全てを隠したまま守り通すのは不可能だろう。遠からず、一夏坊は争いを知る事になる。その争いの中心に己がいると知った時に彼奴はどうするかは知らないが、備えだけはしておかなければなるまい。

 

「うーん。織斑君って、もしかして結構弱いのかな?」

「篠ノ之さんにあっさりやられちゃったもんね」

「ISちゃんと動かせるのかなー」

 

 まあ、意地っ張りな彼奴のことだ。放っておいてもこの観客の声を聴いていれば一念発起するだろうが……それでは私が手持無沙汰だ。

 久方ぶりに見せてやるとしよう。お主がかつて目指していた『上』の領域をな。

 

「説教はそこまでにしておいてやれ、箒。口で言ってもわからぬ事はあるものだ」

「椛!? い、いつからいたんだ!?」

 

 私が声をかけると驚いたようにこちらを見る箒。悲しきかな、若干身構えたように見えるのは気のせいではないだろう。

 というか本当に私がいた事に気付いていなかったのか。どれほど頭に血を上らせていたのやら。

 

「一夏坊、竹刀を貸せ。その様子では今日はもう稽古をできる体ではあるまい」

「構わないけど……それでどうするんだ?」

「私も少しは体を動かそうと思ってな。箒、お主も弛みきった一夏坊の相手だけでは物足りまい。少し相手をしてくれぬか?」

「わ、私がか……?」

 

 私からの頼みに箒は戸惑っているようだ。好いていない相手にそんな事を言われれば当然そうなるであろうから、特には気にしない。

 むしろ思っていたより反応は悪くなかった。最悪の場合は拒絶されることまで考えていたのだが、箒はそこまで嫌なわけではないらしい。ならば、ここは押し切っても大丈夫か。

 

「形式は剣道ではなく我が家の手合わせの手法に則る。防具はなし。得物は何でも構わぬ。先に致命と判断される一撃を入れた方か、相手に降参させた方が勝ちだ。相違ないな?」

「あ、ああ。問題ない」

 

 この篠ノ之家流の手合わせ方法、実は四百年前からほとんど変わっていない。前世では母上や燐と、今世では父上や千冬殿とよくやっている。

 最近はご無沙汰していたから少々沸き立つものがあるな。箒がどれ程の腕になっているかも楽しみだ。

 

「ならば準備をしようか。箒は防具を外してくるとよい。一夏坊、お主もだ」

「……わかった」

「お、おう」

 

 ほぼ何でもありで完全に実戦形式のこの手合わせでは防具は邪魔にしかならない。一夏坊も観戦するならば窮屈なものを付ける必要はあるまい。

 

「――よく見ておけ。そして思い出せ。お主が目指すものを」

「え…………」

 

 防具を片付けに行く一夏坊へすれ違いざまに囁く。

 理解できていないようだが、それで問題ない。

 

 さあ、種はまき終えた。

 後はこの剣を振るうのみ……我が武を以て魅せてくれようぞ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 剣道場の中央に対峙する私と箒。双子であるが故によく似ている私たちが向き合う様子は、一種奇妙な様に見えるだろう。違いなど探せば幾らでもあるが。

 箒の髪型はいつも通りのポニーテール。そして服装は剣道着だ。対して私は髪をうなじで適当に結んであるだけ。服装は上の羽織を脱いだだけの制服だ。そして何より、左目の傷跡の有無が私たちの最も大きい相違点だろう。

 

 ……あとは胸の大きさくらいか。私にも人並みくらいのものはあるが、いったい何をしたらあのような大きさになるのやら。

 

「そちらの準備は良いか? 問題なければ始めるが」

「……ああ、大丈夫だ。いつでも構わない」

「そうか」

 

 箒の凛とした瞳がこちらを射抜くように見つめる。その鋭さは記憶に残っているものよりも洗練され、これまでに積んできた鍛錬と経験の重さを思わせるものだった。

 ……良い気迫を纏うようになった。さすがは剣道の全国大会で優勝しただけのことはあるという事か。

 

「では部長殿、合図を頼む」

「わかったわ。合図の後は後ろに下がっていればいいのかしら?」

「荒っぽくなるのでな。そうした方が安全だろう」

「まあ、私もあまり怪我はしたくないしね?」

 

 審判役を買って出てくれたのは剣道部の部長殿だ。やたらと疑問詞が多い人だが、それは個性という事にしておこう。人は十人十色、千差万別とも言うしな。

 

「それでは……双方、構え!」

「っ!」

 

 部長殿の掛け声で箒が竹刀を構える。型は正眼。油断はなく、いつでもこちらに打ち込める状態だ。

 それに対して私は無形の構え。つまりは竹刀を持った手をぶらりと下げ、一見すると無防備にさえ見える状態だ。無論そのような事はなく、実際は相手の如何なる攻撃に対しても対応するための型だ。

 しかし、それは相手に先手を譲るともいえる行為だ。実際に箒はそう思ったのか、顔を訝しげに顰めた。

 

「なに、特に深い意味はないよ。強いて言わせてもらえば、先にお主の太刀筋を見てみたいだけだ」

「……わかった。なら、遠慮なくいかせてもらう」

「ふふ……そうだ、遠慮などするな。お主の全てをぶつけるつもりでかかって来るがいい」

 

 こちらが笑みを浮かべても箒は仏頂面のままだ。お堅い妹だ。

 

「……はじめ!」

「はぁ!!」

 

 開始の合図とともに箒は勢いよく踏み込んできた。常人ならば文字通り息をつく暇もなく間合いを詰めてきた箒は、初手に唐竹の一閃を繰り出す。それを私は半歩下がり体を半身にして回避、続いてやって来た胴狙いの横薙ぎを己の竹刀でいなす。

 

 守りはここまで。次はこちらから行かせてもらうとしよう。

 

 箒の竹刀をいなした勢いを殺すことなく、返し手に篭手打ちを狙う。竹刀ごと腕を引き戻すことで対処されたが、それにより箒の姿勢が若干崩れた。その隙を逃がすことなく追撃をかける。

 腕の力だけではなく、己の全身を余すことなく使うことによって成す剛の剣。前世と比べたら性別の都合で威力は劣るが、同じ女子相手にならば十分に重い剣戟となる。箒は一度、二度は上手く合わせてきたが、三度目で竹刀を大きく弾かれた。

 

 そこに間髪を入れず前蹴りを叩きこむ。腹にそれを受けた箒は軽く吹き飛び、床を二転三転してやっと止まった。まともに喰らったのであれば数秒は動けない筈である。

 ……だが、妙に手応えが軽かった。恐らく反応されていたと見てまず間違いあるまい。

 

「咄嗟に後ろに跳んで衝撃を殺したか。あの一瞬でよく判断できたものだ」

「けほっ……ほとんど反射だったさ……しかし分かってはいたが、お前相手に正面から挑むのはやはり難しいな」

 

 軽く咳き込みながら起き上る箒。その姿には予想通り大きなダメージを受けた様子はない。どうやら我が妹は中々に頑丈らしい。

 距離が離れていったん仕切り直しとなった互いの武のぶつけ合い。構えを取りながらも言葉を交わす。無論その最中にも一挙一動を注視し合い、次の打ち合いの時期を見計らう。

 

「だがどうする? 得物が竹刀である以上、近づかなければ私には勝てないぞ」

「それくらい言われなくてもわかっている。だから……」

 

 再び箒が間合いを詰める。来るか。

 

「こうさせてもらう!」

「む……」

 

 一足一刀の間合いに入る直前、箒が横跳び――私から見て左手の方向――に踏み込む。一瞬だが、私の視界からその姿が消える。すぐさま視界にとらえ直すが、箒は既に振りかぶっていた。咄嗟に竹刀を左側頭部に滑り込ませる。そこに鋭い一閃が打ち込まれ、衝撃が響く。良い一撃だ。払い除けはしたが、少しばかり手を痺れさせられた。

 

「なるほど。私の死角……左からの攻撃を本命とするか。清廉潔白を旨とするお主らしからぬ手段だな」

 

 左目が見えない私はその分視界が狭い。そして、見えないものに対しては当然の如く対応が遅れる。箒はそこを上手く突いて来たのだ。

 しかし、箒がこのような手を使ってくるとは意外だ。てっきりこういう手合いは嫌いだと思っていた。

 

「遠慮するなと言ったのはそっちだろう」

 

 憮然とした様子の箒の返答に、ついきょとんとしてしまう。

 ……本当に驚いた。昔は融通が利かない頑固者だったというのに、いつの間に手合わせ中に軽口を叩けるようになったのか。「男子三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったものだ。箒は女子だが。

 

「はっはっは! 確かにお主の言う通りであったわ! 今の言葉は忘れてくれ」

「……お喋りは終わりだ。そろそろ行かせてもらう!」

 

 宣言と共に箒は連撃を繰り出してくる。その全てを体捌きで躱し、竹刀でそらすが、時折交えてくる左からの一撃に関しては他に比べて余裕のない対応となってしまう。一度は服を掠めるものさえあった。

 それを為しているのが私の体の不自由を執拗に突くという陰湿な手段だとしても、決して卑怯だなどと言いはしない。戦いの場においては健全者も病人も、あるいは若人も老人も関係ないのだ。目一つの有無など語る価値すら在りはしない。

 むしろ相手の弱点を的確に突いたことを賞賛すべきであろう。そして本来ならば忌避するような真似を躊躇う事なく実行したその精神力も。

 

 ……だからとはいえ、簡単に勝ちを与えることなど許しはしないが。

 

「くっ、ちょこまかと……!」

 

 確かに多少は反応が遅れるが、防ぐことはもちろん躱すことも不可能ではない。

 かつてこの魂が経験した戦場は敵味方が入り乱れ、側面、背後はおろか時には空や地からさえ攻撃されることがある情け容赦のないものだ。それを知る私が、たかが見えない程度で反応できないわけがない。

 

 私に剣が当てられない箒の顔に焦燥が浮かぶ。剣筋にも徐々に鈍りが見て取れてきた。

 空振りは防がれるのに比べて大きく体力を消耗する。今はまだ息は上がっていないが、あまりこの状況が長引くとそれも時間の問題だろう。私がまだ余裕を残しているうちに体力を切らすのは最悪の事態だ。

 

 それを箒も悟ったのか、再び間合いを開く。若干乱れ始めた息を整えながらも、私を見据えるその瞳に油断は無い。大した集中力だ。

 

「……何で、仕掛けてこない」

「む?」

「お前ほどの腕前ならさっきまでの間に幾らでも打ち込めた筈だ。なのに、何で守りに徹している。未熟な私では、自分の剣は受けきれないとでも思っているのか?」

「そこまでは見縊っておらぬよ。少し感慨にふけっていただけだ……が、それもここまでにしておくか」

「なら……」

「今度はこちらから行かせてもらおう。お主の望みどおりに、な」

 

 最後に付け加えた一言に箒がピクリと反応する。

 攻めで崩せないのならば、守りに入り死中に活を見出す……考えは悪くないが、誘いが露骨すぎるな。口先での駆け引きはまだ苦手なようだ。

 

 ――それに、私に対して待ちに入るのは悪手だ。死中に活を残すほど、我が武は甘くない。

 

「……行くぞ」

 

 言った瞬間に、私は既に箒との間合いを詰めている。日本武術に伝わる歩法――縮地。仙術でも同じ名のものがあるが、これはいわば超高速のすり足だ。鍛錬を積めば誰にでもできる……と思う。

 

「速っ……!?」

 

 構えは上段。狙うは袈裟懸け。驚きで硬直している箒は既に私の間合いの中だ。逃がしはしない。

 

 無論、箒もタダでやられるわけではない。私の接近速度に驚愕しながらも、こちらの狙いを正確に見定めていた。竹刀を頭の上に翳し、もはや躱すことは叶わない必中の一撃から身を守るための守りとする。

 

「篠ノ之流、一刀ノ型――」

 

 この剣技に対して、それは判断ミスだが。

 

花蘇芳(ハナズオウ)

「なっ……!」

 

 次の瞬間、私の竹刀は空を切っていた。直前に私の目的に気付いたらしい箒が、瞬時に床に転がってでも避けることを選択していたのだ。ほとんど躱すことなど不可能な状態から逃げるために得物の竹刀は手放してしまったが、誰が見てもそれは最善の行動だと判断するだろう。

 

 事実、無様に転がって逃げた箒を観客は誰も咎めてはいない。ただ単に咎める余裕がないほど驚愕しているだけかもしれないが。

 

「竹刀が……」

「ま、真っ二つに……」

「椛の奴、相変わらず無茶苦茶だな……」

 

 私が斬ったのは空だけではない。箒が避ける前に手放した竹刀もろとも叩き斬っていたのだ。

 篠ノ之流の技が一つ、花蘇芳――極限にまで研ぎ澄ました剣閃は竹刀や木刀でさえ鉄を斬る事を可能とする。竹刀一つ斬ることなど容易いことだ。

 足元に転がったその残骸を一瞥してから箒へと目を移す。急激な動きをしたせいで吐く息は荒く、こちらを見る目は信じられないとでも語っているような色だった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ば、馬鹿かお前は!? 死ぬかと思ったぞ!」

「馬鹿とは失敬な。避けたのだから構うまい」

「そういう問題じゃない! 避けられたから良いものを、当たっていたら頭が綺麗に割れていたぞ!」

 

 その時は寸止めしていたさ。私は箒ならば避けられるだろうと思っていたが。

 

「あのー、これはもう試合終了という事でいいのかな?」

「何を言う部長殿。まだ手合わせは終わっておらぬよ……む?」

 

 観客の間からそう聞いてきた部長殿に返答していると、私の持っていた竹刀が音を立てて割れてしまった。どうやら花蘇芳の使用に耐えられなかったようだ。

 このまま使うのは少々危ないので、二つに割れた箒の竹刀と一緒に邪魔にならないようにどかしておく。

 

「やれやれ、竹刀はすぐに壊れてしまうから困ったものだ。やはり木刀くらいは用意しなければ、まともに手合わせも出来ぬな」

「……そんな事を言うのはお前くらいだ」

 

 何を言うか。父上も千冬殿もきっと同じことを言うぞ。

 

 さて、図らずも互いに徒手空拳となったのだ。箒の息も落ち着いてきたことだし、そろそろ剣以外も見せてもらおうか。

 構えを取り、じりじりと距離を詰める。いまだ体力を温存している私とは違い、箒の顔には余裕が見受けられない。得物を失い得意の間合いではなくなってしまったのも一つの要因であろう。

 

「投げ技は昼に見せてもらったが……他はどうなっている?」

「ちぃ!」

 

 先ほどとは違いこちらから先手を打つ。まずは牽制、溜めのない動作で胴狙いの拳打を放つ。箒は腕を十字にしてそれを防ぐが、その間にもう一方の拳が眼前に迫る。焦りを浮かべながらも首を傾けることで回避。私の二撃目は頬を掠めるだけにとどまる。

 お返しとばかりに蹴りが飛んできた。だが、遅い。剣に比べて鋭さが感じられない。容易に力を受け流し、絡め取り、投げをかける。背中から床に叩きつけ、剣道場に鈍い音が響く。

 

「ぐっ……ま、まだだ!」

 

 箒は足を掴む私の手を払い除け、後ろ返りの要領で発条のように跳ね起きる。どうやら受け身は取れたらしい。そして、その瞳からまだ闘志は消えていない。

 とはいえ、ダメージが全く無い訳がない。足が震えているのがその証拠だ。

 

「はっ!」

「…………」

 

 尚も諦めずに向かってはくるが、動きに切れがない。体力の方も限界が近いのだろう。短い時間であれだけ激しい動きをしたのだから当然だ。それでも愚直に拳を振るってくる根性は見上げたものだが、そろそろ終わりにさせてもらおうか。

 

 箒の正拳突きを流し、腕を伸ばしきった隙を作る。一気に踏み込み、肘打ちを鳩尾に突き刺した。

 

「ぐはっ!」

 

 肺から空気を吐き出せられ苦悶の表情を浮かべる菷。衝撃に足もよろける。

 

「ぜえい!」

「が……!?」

 

 そこに止めの回し蹴りを叩き込む。側頭部に直撃し脳を揺さぶられ、箒はなすすべもなく崩れ落ちた。

 

 ……観客の方から「うわぁ」と聞こえてきたが気にしない。千冬殿とやったら普通に流血沙汰になるのだから、これでも加減はしている方だ。大きな怪我もないし、問題はあるまい。

 

「か……あ……」

「……これはもう完全にダウンしているわね? じゃあこの試合、椛博士の勝ち!」

 

 部長殿の声と共に、観客から拍手がわく。

 その歓声を聞きながら、ふうと息を吐き構えを解いた。声をかけてくる観客に向けて適当に反応を返していると、周囲の興奮とは明らかに調子の違う声が耳に届いた。

 

「く……相変わらず、容赦なくやってくれる……」

 

 床に倒れたまま箒が息も絶え絶えにでそう口にしていた。私に向けて言っているわけではない。誰にでもなく、ただ何もない宙に向けて独り言のように呟いたのが聞こえたのだ。

 そこに如何様な感情が込められているか、私に知る術はない。人の言葉はそれを発した当人しか真の意味で理解できる者はいないからだ。

 

「……本当に、理不尽な奴だ……」

「…………」

 

 それでも、その言葉に忌々しげなものを感じたのは、間違いではないのだろうと思う。そしてそう感じながらも、私は何も言いはしなかった。これは私が口を出しても、解決するような類の問題ではないのだろうとも思われたから。

 

 物理的な距離は確かにこれまでの六年より縮まった。ただ心の距離はその時から――もしやしたらそれ以前から――一寸たりとも縮まっていないのかもしれない。


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