IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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 前回の話で区切る所をミスしたせいか今回は久しぶりの20000字越え。普段は15000字前後だけど、こういう時とか戦闘描写が入ると長くなるんですよね。もう少し安定した文字数にしていきたい所です。


第二十一話 抗う意思

「とうちゃ~く。こちらが~おりむーとラウラウの喧嘩現場となりま~す」

「これはまた……面倒な事になっておるな」

 

 会長殿より様子を見てくるように頼まれ、生徒会室より本音の案内で駆けること数分。件の諍いがあったという第三アリーナに訪れた私は、目の前の光景に顔を顰めざるを得なかった。

 アリーナの端にぽっかりと空いた空間。そこに居るのは仁王立ちする千冬殿、直立不動の姿勢を取るボーデヴィッヒ、そして珍しく不機嫌さを露わにする一夏坊とデュノアを加えた何時もの面子である。周囲では訓練が続けられているものの、事情聴取が行われているらしき其処に皆の意識が向いているのは明白であった。

 担いできた本音を下ろしながら――あまりにも足が遅かったので肩に担いで来た――周囲の群集を見渡す。都合がいい事に、めぼしい相手はすぐに見つかった。

 

「鷹月」

「ちわ~っす」

「あ、椛さんに布仏さん。もしかして、この騒ぎを聞きつけて?」

「そのような所だ。お主は最初から此処に?」

「うん。といっても、ほとんどの人はそうだと思うけどね」

 

 本音は騒ぎが起きてからすぐに生徒会室に向かったそうなので詳細を知らぬ故、現場の者に話を聞く必要があった。その点、鷹月に会えたのは僥倖である。しっかり者の彼女であれば間違いはあるまい。私は苦笑する彼女に事の仔細を頼んだ。

 

 最初は特に不穏な空気は無かったという。一夏坊とデュノアという特異な存在が二人揃っているおかげで人口過密に陥ってはいたが、どうにかこうにか各々で場所を確保して訓練を行っていた。

 怪しい雰囲気になり始めたのはボーデヴィッヒが現れてからだそうだ。デュノアの指導のもと射撃訓練を行っていた一夏坊の前に現れた彼女は、一対一の模擬戦を彼に申し込んだ。ところが、訓練に集中したい一夏坊としては迷惑だったらしく、その申し出は辞退したという。

 そこまでは良かった。問題は、そこでボーデヴィッヒが引き下がらなかったことだ。模擬戦を断られた彼女は専用機――シュバルツェア・レーゲンを展開、有無を言わさずに戦闘態勢を取った。

 無論、一夏坊は止めようとしたそうだ。だが、その後に起こった事は周囲の予想から全く反したものだった。

 

「先に手を出しただと? 一夏坊から?」

「そうなの。そこまではボーデヴィッヒさんが一方的に突っかかってる感じだったのに、少し黙った後にいきなり織斑君の方から向かって行っちゃったのよ」

 

 どういう訳か、口火を切ったのは一夏坊の方であったらしい。一瞬だけ周囲から見たら不自然な間があった後に、突如として形相を変えた一夏坊は止められる間もなくボーデヴィッヒに飛び掛かっていったという。

 

「唯でさえ人が多いのに、そんな所で模擬戦を始めちゃうと危ないからすぐに管制室の先生が止めに入ったんだけどね。それで話を聞いてやって来た織斑先生が今詳しい事情を聴いているところ」

「成程な……ところで鷹月よ」

「何かしら?」

「どうにも箒の姿見えぬが、何か知らぬか? 彼奴があの場に居らぬとは少々意外でな」

 

 一通り話を聞いた私は、ついでに妹の行方について聞いてみた。先ほどは何時もの面子と言いはしたが、そこに箒の姿は無かったのである。顔には出していなくとも、実を言うと割と驚いている。

 そのような私の内心を知ってか知らぬか、鷹月は笑みを浮かべながら問いに答えた。

 

「ふふ、箒さんなら最近は織斑君たちとは別に訓練しているのよ。毎日遅くまでやっているみたいだし、今日も頑張っているんじゃないかしら」

 

 意外な答えに私は僅かながら目を見開いた。箒が一夏坊から意図して離れるなど想像の埒外であったが故の驚きだ。

 如何なる心境の変化があったのか気になる所ではあるが、彼女と同室の鷹月が語る様子を見るに悪い傾向ではなかろう。箒なりに考えがあるのであろうと納得し、今は己の役目を果たす事とする。

 

「……そうか。よければ無理をしないよう様子を見てくれるか?」

「ええ、お安い御用よ」

「助かる」

 

 鷹月に姉として頼みごとをし、当然とでも言うかのような即答に頬を緩めながら群集の中心に向かって足を踏み出す。

 妹は良い友人に恵まれたものだ。私としても胸を撫で下ろす心地である。

 懸念は一つ片が付いた。なれば後は目の前の騒ぎを治めるのみ。面倒ではあるが、千冬殿に任せきりにするのも気が引ける。ここは一肌脱がねばなるまい。

 ――それにしても、この展開に既視感を覚えるのは気のせいであろうか。

 

「っていうか~リンリンの時のデジャブだよね~」

「言ってくれるな。頼むから」

 

 本音の言葉にげんなりとした気分になる。これでは一夏坊の起こした騒ぎを治めるのが私の役回りの様ではないか。彼奴の身辺の守りを引き受けはしたが、保護者代わりまで務めるつもりは無いぞ、私は。

 とはいえ、言っても仕方がないことだ。起こってしまった以上は無視する訳にもいかない。私は溜息をつきつつ、鷹月と本音の二人を置いて人垣を掻き分けていくのだった。

 

 

 

「織斑……貴様は毎度毎度、騒ぎを起こして私の仕事を増やしてくれるとはどういう了見だ。ボーデヴィッヒ、貴様もだ。無駄な手間を掛けさせるな」

「…………すみません」

「申し訳ありません。教官の判断如何では修正も受ける覚悟です」

 

 人の間を縫いながら近づくにつれて聞こえてくる三人の言葉。その中身に私は頭が痛くなってきた。

 一夏坊は字面だけなら素直に謝っているように見えるが、その顔は普段とは打って変わって不満気なものだ。対してボーデヴィッヒはというと、何やらずれた事を言って千冬殿の顔に縦皺を増やしている。そして、無言ながらも二人の間に漂う険悪な雰囲気が、面倒な事になったのを如実に示していた。

 転校当初の態度からして、ボーデヴィッヒが一夏坊に対して思う所があるのは分かっていたが、ここまであからさまな揉め事になるとは思っていなかった。分別は弁えていると判断した私が間違っていたのだろうか。

 つらつらと考えているうちに千冬殿の目が私を捉えた。遅いと文句を言うかのような目に肩を竦めつつ、私は先月に引き続き仲裁役に名乗りを上げる。

 

「騒ぎを聞きつけて来てみれば此の有様……一夏坊、またしてもやりおったようだな」

「……好きでやってる訳じゃねえよ」

「ドクトル、何の用があって此処に?」

「なに、幼馴染と、友に頼まれた問題児の尻拭いに来ただけだ」

 

 皮肉交じりにそう言ってやれば、一夏坊は不満気な顔に申し訳なさのようなものを滲ませた。面目ないと感じるのであれば最初から騒ぎを起こさないで欲しいものである。もっとも、片眉を動かした程度で態度を変えないボーデヴィッヒよりは素直で好ましいと思うが。

 渦中の二人から視線を逸らし、一歩離れた位置にいる鈴音にセシリア、デュノアへと向ける。友人二人は私が現れたことを織り込み済みだったのか、安堵に似た様子を見せている。しかし、私と付き合いのないデュノアは緊張しているようであった。

 今回の件に関してデュノアは無関係であろう。男の皮を被った彼女から意識を外し、面倒臭げな担任へと顔を向けた。

 

「篠ノ之姉、事情は理解しているか?」

「概ねは」

「なら改めて説明する手間は省けるな。話を付けるのはお前に任せる」

「本来であれば、織斑教諭の役目である気はするが」

「大人があまりでしゃばるものでもないだろう。餓鬼の喧嘩を治めることくらい、生徒の自主性に任せるさ」

 

 それらしいことを言うや否や、千冬殿はさっさと鈴音たちと同じ位置へと下がってしまう。どうやら本気で私に任せ切りにするらしい。

 勘弁願いたい所ではあるが、他に代役がいないのも事実。貧乏籤を引かされたと諦めるしかなかろう。

 

「はあ……それで? ボーデヴィッヒは何故、一夏坊に道理を無視してまで模擬戦を申し込んだのだ。先に話を持ちかけたのはお主なのであろう?」

「織斑 一夏の力量を測るためだ。早期に確認するべきと考えていたそれを為すのに、今日は都合が良かった。それだけだ」

 

 大きく溜息を吐きつつ、まずはボーデヴィッヒより事情を聴く。それに返ってきた言葉は単純明快なものであった。軍人らしいと言えばそうなのだが、仲裁役としては困るため少々踏み込んだ問いをする。

 

「力量を測るという理由は大変結構。だが、それはお主が為すべきことでもなければ頼まれた事でもあるまい。まして、騒ぎを起こしてまで確かめようとする緊急性も無かろう。それを補う答えがお主にはあるというのか?」

 

 ヴェルナー殿から、今回のボーデヴィッヒの転入はシュバルツェア・レーゲンの実稼働データ採取と、ドイツが一夏坊に対して形だけでも繋がりを持とうとする態度を国内外に示すためのものだと聞いている。積極的に彼と接触するようには命じられていない。

 となれば必然的に、一夏坊に突っかかる理由はボーデヴィッヒの個人的なものとなる。それが分からなければ事態の解決は見込めない。何とか答えてほしい所である。

 

「私が必要と思い、実行した。それ以外に理由など無い」

「…………」

 

 だが、胸中の願い空しく返答は遠回しな黙秘であった。

 余りにも非協力的な態度に、さしもの私も目を細める。此方を射抜くような緋色の瞳と睨み合うが、相手には意見を翻す様子も無ければ怯む気配さえも見られない。剣呑な雰囲気に中てられた一夏坊が生唾を呑み込む音を合図として、「まあいい」と私は折れるしかなかった。

 これ以上、根競べのような真似をしていても時間の無駄である。一先ずは諦めるとして、もう片方から話を聞いた方が有益であろう。

 

「一夏坊、お主の方は何か言い訳はあるか?」

「言い訳って、因縁つけられたのは俺の方なんだが……」

「阿呆。事の発端は兎も角、先に手を出したのはお主だと聞き及んでおるぞ」

 

 言葉に詰まる一夏坊。言い逃れしようとするならば、もう少しマシな文言を考えろと言うのだ。

 

「大方、プライベート・チャンネルで挑発でもされたといった所であろう。何を言われて手を出した?」

 

 先ほど鷹月から聞いた話からして、一夏坊が急に態度を変えた原因は、その直前の不自然な間にボーデヴィッヒから人知れず何かをされた事にあると考えられる。言葉にせずして意思を疎通する方法となれば、ISを扱う者であれば自然とプライベート・チャンネルへと行き着く。

 短絡的な思考ではあるが、間違ってはいなかったらしい。指摘を受けた一夏坊の顔は苦々しげであった。普段の彼ならばここで観念して洗い浚い吐き出すところだ。少なくとも、私はそう見積もっていた。

 しかし、彼は口籠るばかりで語ろうとしない。周囲を一瞥した後に、申し訳なさ気に口を開くのみであった。

 

「……悪い。言えねえ」

 

 まさかの事態に瞠目する。一夏坊が口を閉ざすなど、片手で事足りるほどしか経験がない。馬鹿正直な此奴がそうするとは余程の事なのか。

 恐らくだが、周囲を気にしていた様子からして人目が憚られる内容なのであろう。斯様な重いものとなれば、おいそれと吐き出させる訳にもいかないし、容易に吐くとも思えない。態々プライベート・チャンネルを使ったボーデヴィッヒについても同様であろう。

 揃って黙り込む二人を前にして途方に暮れてしまう。視線で静観を決め込む千冬殿へと訴えかける。此の場で決着をつけるのは無理であると。

 

「仕方がない奴らめ……この場は解散とするが、もうこれ以上は面倒事を起こすなよ」

「了解です」

「……分かりました」

 

 千冬殿の言葉を受けて、一夏坊は難しい顔のまま鈴音たちに伴われて去っていった。そしてボーデヴィッヒもまた、別の出入り口に向けて足を進める。

 その後者を私は追う。一夏坊は追っても意味はあるまい。一度決めたら頑として譲らない彼奴の事だ。幾ら問い詰めようとも、口を割るとは思えない。ならば、多少は行動の理由に心当たりがあるボーデヴィッヒに目を向けた方が良かろう。

 

「ボーデヴィッヒ」

 

 アリーナを出て、人気の無い通路に入った所で声を掛ける。隠す気もない私の尾行にとうの昔に気付いていたのであろう彼女は、何の揺らぎも見せずにただ振り返った。

 

「……ドクトル、まだ私に何か用件でも?」

「少しばかり聞いておきたい事があってな。一夏坊が居ない方が、お主も素直に話易かろう」

「話すべきことは先ほど話した筈だが」

「あれで十分だと考えているならば、お主は自身の対話能力を疑うべきであるぞ。まあ、大して時間もとらぬから付き合え」

 

 あまり勿体ぶっては問答無用で帰られかねない。私は即座に本題を切り出した。

 

「お主は、千冬殿がモンドグロッソ優勝を逃した原因であるから、一夏坊を目の敵にするのか?」

 

 一夏坊とボーデヴィッヒに直接の関わりはない。ならば、諍いの原因は自然と間接的な関わり、即ち彼女の教官を務めていた千冬殿に関連する事となる。そして、一夏坊が関与している千冬殿関連の騒動と言えば、三年前のモンドグロッソの誘拐事件以外に有り得ない。

 詳しくは知らないが、教導を受けた時に何かしら世話になったのであろう。ボーデヴィッヒは千冬殿に少なからない敬意を示している。その恩人に泥を付ける要因となった一夏坊を恨むこともあるやもしれぬ、というのが私の予想だ。

 真っ向から問い質す私を、ボーデヴィッヒはただ見つめる。数秒ばかりの沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。

 

「私は教官を、凡夫とは比べるべくもない強い人を尊敬している。それにはドクトル、貴方も含まれている」

「……それは光栄だ」

「強者にはそれに相応しい称号があるべきだ。だが、教官はそれを捨ててまでしてあの男を救った。ならば、あの男にはそこまでする価値があるという事なのだろう。私はそう考えた」

 

 淡々と話すボーデヴィッヒ。だが次の瞬間、その顔貌は不愉快気に歪められた。

 

「だが、実際に見てみればどうだ? 腑抜けた顔、覇気の欠片もない姿、稚拙に過ぎる技術……奴はどうしようもなく弱い」

「いかんのか? それは」

「日本でも弱肉強食という言葉があるだろう。当然だ」

 

 言外に力なき者に価値は無いとでも言うかのような言葉。遅ればせながら、私はようやく理解した。

 彼女は唯の軍人馬鹿でも、千冬殿を盲信して視野窮作になっている訳でもない。根本的な問題として、人としての何かが欠けてしまっているのだ。

 

「私には理解できない。教官が何故あの男を助けたのかも、貴方が何故その身を犠牲にする必要があったのかも」

「…………」

「それでは、失礼する」

 

 私の隻眼を見据えながら言うボーデヴィッヒに、私は返す言葉を持たなかった。何を言うべきか判断がつかなかった。その無言から用件が終わったと断じたのであろう。銀髪を翻し、小柄なその姿は通路の奥の闇へと消えて行った。

 ……何か彼女に言うべきだったのであろうか?

 銀糸が消えて行った闇を見続けながらそう思うが、深く考えずとも、それは無駄な行為に終わったであろうと分かっていた。世間一般の道理を説いたところで、あの様子では耳を傾ける事はあるまい。

 異常なまでの『力』への執着と絶対視。それが彼女を駆り立てる原因、そして一夏坊を試そうとした理由なのであろう。だが、それが分かったとしても、私は彼女を諌める術を持たない。

 何故『力』を絶対のものと考えるのか。

 何故『力』を持たぬ者を認めようとしないのか。

 何故その心を頑なに閉ざそうとするのか。

 ――私は、まだ彼女のことを何も知らない。

 

「……片手間に様子を見てやればいいと思っていたが、どうやら誤りであったようだな」

 

 嗚呼、我が友は何という問題児を放り込んでくれたのか。

 ただの軍人馬鹿ならやりようは幾らでもある。視野窮作の阿呆でも何とかなるであろう。しかし、心の根が歪んでしまっているのが相手ではそうはいかない。此方としても真剣になる必要がある。

 ……いいだろう。相手が難物であるならば、私とて遣り甲斐がある。理解できないと言うならば、言葉を尽くして教えてみせよう。それでも分からぬと言うならば、此の姿をその眼に刻んで見せよう。その歪み、正してみせようではないか。

 難関を前にして自然と頬が吊り上る。きっと今の私は、傍から見れば物騒な笑みを浮かべている事であろう。そう自覚しつつ、止まっていた歩みを前に進め始める。

 千里の道も一歩から。ラウラ・ボーデヴィッヒを知るために、私は力強く地を踏み締めた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

『……そうですか、あの子がそんな事を……申し訳ありません。単に新しい環境に慣れるのを手伝ってもらうつもりが、私事を押し付ける形になってしまったようです』

「謝るならば、最初から厄介ごとを起こさない奴を送って欲しいものだな」

『面目ありません』

 

 謝罪の言葉を口にする歳の離れた友人である老翁に、私は皮肉めいた返事をする。それに対して彼は映像越しに力ない笑みを浮かべた。

 アリーナでの騒動から数刻。既に日も暮れた時分に、私は自室で私用の通信回線を開いていた。相手はボーデヴィッヒを学園に送り込んだ張本人である白髪の老人、ヴェルナー・シュヘンベルグ殿。ボーデヴィッヒが隊長を務める部隊のIS管理官にして、彼女の後見人である。

 昼間に起きた出来事を説明すると、やはりという顔をした後にこうして謝っている事から、ドイツ本国でもボーデヴィッヒはそれなりに面倒事を起こしていたのであろう。とはいえ、ヴェルナー殿が面倒事をこちらに押し付けたとも考えにくいが。

 

「まあ、それはいい。私はお主の頭を下げさせるために連絡したのではないからな」

『ええ、それは承知していますが……いいのですか? 正直、私の不手際を補ってもらうようで心苦しいのですが』

「今更であろう。少なくとも、一年は毎日顔を突き合わせるのだ。学園生活を充実したものにする為となれば、私も喜んで尽力しよう」

『そういう事であれば、お願いするとしましょう。爺には出来ない役目もあるでしょうし』

 

 連絡した理由は無論のこと、ボーデヴィッヒについて少しでも情報を仕入れる為である。後見人である彼ならば、ボーデヴィッヒの私的な部分についても少なからず知っていよう。

 

「それで何か心当たりはないか? あのような性格になるには、人格形成期に問題があったとしか思えぬぞ」

『……心当たりが無いわけではありません。ですが、その前に一つ確認させていただきたい。ラウラさんは「力のない者に価値は無い」と言ったのですね?』

「直接口にはしておらぬが、意味合いとしてはそのような事を言っておったよ」

『そうですか……やはり、あの子は…………』

 

 痛ましげな様子で瞑目するヴェルナー殿。その顔に浮かぶのは悔恨であろうか。

 人の感傷を邪魔する趣味は無い。しばしの無言の時を待ち、ややあって重々しげな言葉が紡がれた。

 

『事は私がラウラさんを引き取る前にまで遡ります。あの子がどういった存在として生み出されたかは御存じでしょう』

「四年前に潰した研究所で生まれた遺伝子強化試験体(アドヴァンスド)であろう。忘れるものか」

 

 十年前より続く亡国機業との抗争。姉者が彼奴等と関与する者共を炙り出し、それを私たちが可能な限り合法的に排除するのが我々のやり方だ。

 その内の一つに含まれるのが、ボーデヴィッヒが生み出された違法研究所である。胸糞悪い事に人体実験に手を染めていたその研究所は、長年に渡り周囲を欺いてきた害悪の巣窟とでもいうべき所であり、調べた限りでは三桁に上る数の子供が鉄の子宮より生み出され、そして地へと還っていった。後味の悪さに加え、今は姉者の助手を務めるクロエにも関係が深い事もあって印象に残っている。

 生き残っていた数少ない子供たちはヴェルナー殿が保護して、後に信頼のおける彼の友人の養子となるなど、其々の道を歩んでいくことになった。確か、ボーデヴィッヒの他に三名程はヴェルナー殿が今も面倒を見ていたと思う。過去を拭い去ることは出来ずとも、未来への道筋を示すことは出来た筈であった。

 だが、彼の様子を見るに、それは未だに終わりを迎えていなかったようだ。

 

『ラウラさんを引き取ってから調べたのですが……あの子は当初、試験体として優秀な数値を示していたのですが、ある時を境に一変して最底辺に転落してしまいました。とある施術が不適合に終わったからです』

「『越境の瞳(ヴォーダン・オージェ)』か」

『ええ。理論上では不適合は起きない筈でしたが、実際には彼女のそれは暴走を起こし、その機能を制御することが出来なくなってしまいました』

「人の身体に手を加えるのだ。絶対の保証など有り得る筈が無かろう」

 

 肉眼へのナノマシン移植処理で疑似ハイパーセンサーとでも言うべき機能を付与する『越境の瞳』。それもまた、両の手で収まらない数の人体実験の果てに生み出された技術だ。

 脳への視覚信号伝達の速度向上、そして高速戦闘下における動体反射の強化。あくまで戦闘下でのみ機能する事を念頭に置いたそれが通常時にもカットできないとなれば、日常生活に多大な不利益を与える事は想像に難くない。視覚過敏の他、脳への情報量過多によって立ち眩み等の症状が考えられる。最初はボーデヴィッヒの眼帯に疑問を持ちもしたが、今思えばそれも止むを得ない事情によるものだったのだ。

 

『確かにそうでしょう。ですが、あそこはそのような事が考慮されるような場所ではなかった。期待される数値を出せなくなったあの子は……廃棄(・・)が、間近だったようです』

「…………」

『あの研究所では力を持たない者はそのように扱われていたのです。そしてラウラさんは、結果的に私たちの介入が間に合ったとはいえ、その瀬戸際にまで追い詰められてしまった……もしかしたら彼女は、未だ過去に囚われたままなのかもしれません』

「そうか……難儀なものだな」

 

 生き残るためには軍人として有用でなければ、強くなければならない。さもなくば用済みと断じられ、無為の内に果てていく――そのような強迫観念にボーデヴィッヒは囚われているのではないか。ヴェルナー殿の心当たりは想像以上に私の心に重く圧し掛かった。

 自身に刻々と死が近付いてくることに恐怖しない人間はいない。それが老いによるものであれば、折り合いをつける事も出来よう。だが、自己が介在する間もない理不尽に命を刈り取られるとなれば、その心が歪んでしまうのも致し方のないことなのかもしれない。

 無論、ヴェルナー殿の推測が全てとは限らない。ともすれば、違う理由がボーデヴィッヒにはあるのかもしれない。だが少なくとも、今の彼女を形作る一因となっているのは間違いなかろう。

 

「……彼女の背景は概ね理解した。手間をかけたな。後は此方で何とかしよう」

 

 私がボーデヴィッヒに何をしてやれるかは、まだ分からない。それでも一歩ずつ進んでいこう。彼女と分かり合うために。

 ヴェルナー殿に礼を告げる。だが、彼はそれに対して頭を振った。

 

『一人で背負い込もうとしないで頂きたい。私も無関係ではありません。協力させてもらいますよ』

「ふむ、それは願ってもいない事だが……良いのか? お主も暇ではなかろう?」

『定期連絡と称してそれとなく話を振ったりする程度なら、そこまで手間ではありませんよ。それに……いえ、これは言っても詮無き事ですね』

「何だ、妙に気に掛かる言い方をするではないか」

『いえいえ、所詮は爺の戯言ですよ。どうか、お気になさらず』

 

 何やら気になる事がヴェルナー殿の口から洩れたが、説明する気はなさそうな彼を前にして追及するのは憚られた。表面上は普段通りの物腰の柔らかさだが、そこに何処か陰りのようなものが見えたからだ。

 先ほどの痛ましげな表情といい、どうにも彼はこの一件に対して何か思う所があるようだ。多忙の合間を縫って協力しようとするのも、それが理由なのかもしれない。

 友人として気にならないと言えば嘘になる。だが、彼も無駄に年を取っている訳ではない。必ずや己の手で解決するであろう。余計な手出しは無用というもの。私は彼の誤魔化しを受け入れた。

 

「まあ良い。互いに何か進展があれば連絡という事でよろしいか?」

『問題ありません』

「うむ。では、今日は此処までにするとしよう。私もいい加減、晩飯を食べたいのでな」

『羨ましいものです。此方はこれから午後の仕事ですよ』

「はっはっは、それは災難であるな。では、また」

『ええ、また』

 

 軽口を叩きあってから通信を切る。姉者と異なり喧しい相手ではなかったが、それでも話す相手がいるといないとでは静けさが段違いだ。夜のとばりが下りた自室は何処か物悲しさを感じさせた。

 斯様な時に寮部屋に入れなかったことが悔やまれるが、今更そのような事を考えていても仕方がない。兎にも角にも、まずは腹を満たすべく台所に立とうと腰を上げる。

 さて、昨日は肉であったから今日は魚にでもしようか。確か鮭が残っていた筈だ。

 冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考えているその時であった。静まり返っていた部屋にノックの音が響く。随分と強く叩かれたのか、不必要なまでに大きな音のそれに思わず肩を揺らす。

 夜分に何用か。思考を中断されたのもあって若干不機嫌になりながらも、台所へと向けていた足先を玄関へと変える。眉を顰め、下らぬ来客であれば追い返してやろうと思いながら「誰ぞ」と問い掛けた。

 

「椛、俺だ。ちょっと今いいか?」

 

 返って来たのは男の声。つまりは一夏坊である。

 

「斯様な時間に何用だ? 私は二十四時間営業のコンビニではないぞ」

「いや、すまん。でも止むに止まれぬ事情があってだな……ってヤバッ! 頼む、部屋に入れてくれ!」

 

 扉越しに聞いてみれば、やけに切羽詰った様子の答えが返ってくる。また女に期待をさせる発言をした挙句、怒りを買って追い掛け回されているのであろうか? 経験から適当な推測をしてみるが、其処で妙な所に気付いた。

 外の気配は二つ、どうやら一夏坊意外に誰かが居るらしい。

 疑問を覚える所ではあるが、放置しているだけでは何の解決にもならない。渋々と扉を開ける。僅かに隙間ができるや否や、一夏坊は体を捩じり込むようにして部屋に入って来た。

 ――その後ろに続く、金髪の少女と共に。

 

「…………」

「いやー、危なかった。もうちょっとで人に見つかる所だったぜ」

「ご、ごめんね一夏。僕がうっかりサポーターを付け忘れてきちゃったせいで……」

「別にいいって。俺が急に連れ出したのも悪かったし、お互いさまってことで」

「そっか……うん、そうだね」

 

 ……さて、この闖入者どもは人様の部屋の玄関先に座り込んで何をしてくれているのであろう。

 仄かに漂う桃色の空気に苛立ちを覚える。何故デュノアが男装を解き女子らしい身体の線を露わにしているのかとか、何故わざわざ私の部屋にやって来たのだとか問い質すことは山とある。なのに、この馬鹿者どもは何をしているのか。

 

「――おい」

「「あ」」

 

 私の口から低く威圧的な声が漏れる。ようやく部屋の主を蔑ろにしているのに気付いたのか、二人は「しまった」という顔をする。

 

「えーとだな……これはその……まあ、ちょっと色々あって……」

 

 一夏坊に睨みを利かせつつも、デュノアに向けて胡乱な視線をやれば、彼はたどたどしくも言葉を紡ごうとする。デュノアが女であることも含めて、如何様にして話を切り出そうか迷っているのであろう。

 しばらく視線を彷徨わせていた一夏坊であったが、何を決心したのか途端に私の目をひたと見据える。そして顔を引き締め、言った。

 

「俺じゃどうしようもない事なんだ。頼む、椛。力を貸してくれ」

 

 並々ならぬ決意を携えた面持ちの一夏坊に、不安気な様子で此方を窺うデュノア。間違いなく厄介事の類である。

 ……訂正しよう。互いに災難であるな、ヴェルナー殿。如何やら私も、晩飯の前にもう一仕事せねばならぬらしい。非常に遺憾ではあるが。

 静けさに一抹の寂しさを感じたのが悪かったのであろうか。唐突に訪れた望まぬ喧騒に私は天を仰いだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 数分後、一先ず卓袱台を囲んで大まかな事情を聴いた私は、先程とは反対に眉間を押さえて地に目を落としていた。一夏坊とデュノアは緊張した面持ちで私の言葉を待っている。愛人の子であるデュノアが父親の命令によって男装していたという事実、それに衝撃を受けているのだと目の前の二人には見えるのかもしれない。

 しかし、生憎と私が眉間を押さえる理由はそこまで高尚なものではない。元を辿れば転入してきた当初から思っていたことだが、いい加減に我慢がいかなくなった私はそれを口にした。

 

「……デュノアよ」

「は、はい!」

「お主、阿呆であろう」

 

 私の言葉に二人がポカンとした間抜け面を晒す。だが、それを無視して言いたいことを言ってやる事にした。

 

「シャワーを浴びている最中に不注意で男装が露見するなど、一夏坊がデリカシーに欠ける奴であることを鑑みても、お主の失態以外の何物でもないわ。そもそも、あの手抜きに過ぎる男装は何だ。人の事を欺くつもりがあるのであれば、胸を削いでナニを付けてから出直してこい。最低限その程度はしなければ諜報の真似事にもならん。それに――」

「た、タンマ! ちょっとタンマ!」

「む、何だ?」

「もっと他に言う事あるだろ!? ほら、愛人の子だった事とかにさ!」

 

 人の話を遮って訴えかけてくる一夏坊。ちなみに当のデュノアは「な、ナニ……?」と譫言を漏らしながら赤面している。

 

「そのようなこと、お主らの話を聞かずとも既に把握しておったわ。今さら語るべきことなどありはせん」

 

 何を言っているのだと呆れの色を滲ませながら吐き捨てる。我ながらやさぐれていると思うが、これは押し掛けてきた上に人を呆れさせる此奴らが悪いと言い訳する。

 その二人はと言えば、愕然とした様子で此方を見つめるばかりである。どうやら衝撃的な話を持ってきたつもりが、逆に衝撃的な事実を突き付けられてしまう事になってしまったらしい。

 

「し、知っているって……じゃあ、僕の事は他の人も……?」

「少なくとも学園の上層部は認知しておる。混乱を防ぐために情報は制限されているが故、そこまで数は多くなかろうが。お主に接触が無かったのは、下手に刺激するのを避けた学園が事態を静観していたからに過ぎぬ」

「……そっか。とっくの昔にばれちゃっていたんだね」

 

 突き付けられた事実に、煤けた笑みを浮かべるデュノア。

 言ったであろう。アレでは諜報の真似事にもならぬと。初期の段階で発覚したおかげで、此奴が罪を重ねる事にならなかったのは幸いと言えるかもしれないが。

 一方、その横であんぐりと口を開けていた一夏坊であったが、数秒してようやく事実を呑み込めたらしい。気を取り直して私に問い掛けてきた。

 

「ま、まあ、知っているって言うなら話が早い。シャルルを助けるのに何か良い案は無いか?」

「……なるほど、それが用件か」

「ああ。親の言いなりにされて、挙句の果てに牢屋入りなんて認められるかよ……と言っても、俺には三年間はこの学園に居られるって事しか分からなかったんだけどさ」

「で、私を頼ってきたと」

「お前なら何とかしてくれるって信じているからな。頼む、力を貸してくれ」

 

 彼なりの誠意の表れなのであろう。私に向かって一夏坊は頭を下げた。デュノアは戸惑ったように、下げられた一夏坊の頭と私との間で視線を右往左往させていた。

 デュノアを助けようとする一夏坊の気持ちは分からなくはない。彼と千冬殿には親が居ない。事情はともあれ、彼ら姉弟は親の庇護下から放り出されて生きてきたのだ。そんな彼が、デュノアの人生が親の身勝手で閉ざされるのを看過できるとは思えない。だから、こうして形振り構わずに私の下にやって来たのであろう。

 ――だが、此処で安易に手を貸すことは果たして正しいのであろうか?

 一夏坊は以前にセシリアと戦った時に言った。「全てを守ってみせる」と。恐らく彼にとってデュノアは、既にその守るべき「全て」に含まれている。短い間ながら培った友情と、置かれた境遇に対する義憤によって。

 それは称賛されるべきことなのであろう。些か感情任せではあるが、その感情に従って行動するのは中々難しい。こうしてデュノアを助ける手段を講じようとしているだけでも立派と言える。

 そう、此奴は正しかろう。ならば、何時まで正しく在れるであろう?

 陳腐な言葉ではあるが、世の中は正しいだけではやっていけない。仮に信じていた者に裏切られ謀りに嵌められた時、一夏坊はどうなるのか。心が折れ抜け殻となるか、正しさを捨て非情となる道を選ぶか、それとも――

 その時が来なければ実際のところは分からない。若しかしたら、その時は永遠に来ないかもしれない。

 だが、少なからず可能性があるのであれば。

 

「随分とデュノアに入れ込んでおるのだな。お主が頭を下げるなど珍しいではないか」

「そりゃまあ、あんな話を聞いた以上は放っておく訳にもいかないし……」

「馬鹿正直なお主らしいな。では、それがデュノアの思惑通りであったとしたらどうする?」

 

 此奴を試すために、憎まれ役を買って出てもよかろう。

 

「え……?」

「……どういう事だよ」

「簡単な事よ。お主がデュノアを守ろうとすることを織り込み済みで事情を話し、より深く懐に入り込むことで情報を探ろうとしていたとしたら如何すると聞いておるのだ」

 

 一瞬、何を言っているのか分からないという様子の一夏坊であったが、その言葉を呑み込んだ途端に表情を一変させる。猛る炎の如き怒りへと。

 

「そんなこと――!」

「無いとでも言うつもりか? 有り得ないとでも思っておるのか? ならば、お主は余程お目出度い奴よ。嘘か真かも知れぬ身の上話一つで、デュノアの事を理解したつもりでおるのだからな」

 

 爆発しようとするそれを抑え込むように言葉を畳み掛ける。有無を言わせぬ口調と眼力に、一夏坊は怯んだように口を噤ませた。

 実際、デュノアが未だに何かしらの企みをしている可能性は低い。その背後にあるデュノア社の意向は兎も角、彼女自身に悪意は見受けられない。仮に其の態度が偽りであるとすれば、大した演技力だと感心する所である。

 其の僅かな可能性を今は利用させてもらう。世の中はそう都合よく出来ていないと、此奴に教える為に。

 

「御涙頂戴の話を聞かせた程度で私を絆せると思ったら大間違いであるぞ。いい加減お主も、誰彼構わず救おうとしないで気付くといい。人は悪意を持つ者であると。それに――」

 

 しかし、私は同時に確かな怒りも感じていた。

 其れは未熟者ながらも、真っ直ぐに此方を見据える一夏坊に対してではない。

 

「己が貶められているにも拘らず、口すら開かぬ腑抜けを、お主は本当に助けようというのか?」

 

 力なく項垂れ、弁明の一つすら口にしないデュノアに対しての怒りであった。

 

「シャルル……?」

「……もういいよ、一夏。バレバレだったみたいだけど、僕が嘘をついていたのは本当の事なんだ。椛博士が疑うのも仕方がないんだよ」

「でも、それは親から命令されて嫌々やっていたんだろ!?」

「そんなこと関係ないんだ。罪を犯した事実は覆させられない。一度やってしまったら、その次も疑われるのは当然だよ」

 

 一夏坊の言葉に淡々と返し、陰のある笑みを浮かべるデュノア。その姿に如何にも苛々させられる。

 己の身を弁えていると言えば、其の態度は悪いものではなかろう。

 だが、私にとっては諦観に身を浸し、抗う選択肢を捨て去った腰抜けにしか見えない。表面上は平静を装っていても、酷く勝手な気持ちと分かっていても、内心では目の前の小娘に怒鳴りつけたい気持ちで一杯であった。

 

「椛博士、これから僕はどうなるんですか?」

「……何もなければ(・・・・・・)、退学処分の上で本国へ送還となるであろう。その後に関しては此方の関与する所ではない」

 

 確かにこの娘の境遇にも態度にも腹を据えかねる所はある。

 だが、今の私の役目は現実を突き付け、選択を迫ること。説教をかます事ではない。その役目を担うべき者は他にいる。傍迷惑な事に、夜分に人の下へ厄介事を持ってきてくれた馬鹿者が。

 デュノアの今後について聞き、俯く一夏坊の表情は窺い知れないが、それでも身に纏う雰囲気から悔しげな様子は伝わってくる。そんな彼に視線で問い掛けた。

 

 挫けるか、見捨てるか、それとも……

 ――さあ、如何する?

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ちょっとしたハプニングからシャルルが女子だったことが判明し、父親の命令で俺のデータを盗むために男装していたと告白されたのが数十分前。それからシャルルの手を引っ張って、人目を掻い潜りながら椛に助けを求めに来たのが十数分前。そして今、俺は自分の見込みが甘かったことを思い知らされていた。

 椛から突き付けられた疑惑という名の現実と、シャルル自身が既に諦めてしまっているという事実が、聳え立つ壁となって道を阻む。それを前に俺は悔しげに臍を噛む事しか出来ない。

 嘘をついていたシャルルの事を、良く思わない奴もいるかもしれないとは思っていた。それでも椛なら大丈夫だと思っていたのは、俺の甘えだったのだろうか。

 自分が何の権力も後ろ盾もない弱者だとは分かっていた。それでもシャルルは信じてくれると思っていたのは、俺の驕りだったのだろうか。

 理屈では分かっている。それが現実的な対応なのだろう。大人のやり方という奴なのだろう。

 でも、それで俺が納得出来る筈もなくて、胸の中にはモヤモヤとしたものが広がって気持ちが悪い。そして、そんな納得のいかない現実を当然のように受け止めている二人に我慢ならない気持ちが噴き出してきて、それを抑えるために俺は俯くような形になっていた。

 そんな俺を見てどう思ったのだろう。シャルルが俺に話しかけてきて。

 

「ごめんね、一夏。せっかく助けてくれようとしていたのに……でも、これでいいんだ」

 

 本当はシャルルの方が辛い筈なのに、人の事を慰めるような声色で、儚げな笑みを浮かべながら。

 

「これが、どうしようもない現実なんだから」

 

 ――その言葉を言った途端、俺の中で何かが切れる音がした。

 

「……けんな……」

「え?」

「ふざけんなって言っているんだよ!!」

 

 大声を上げ、握った拳を卓袱台に叩きつける。突然の騒音にシャルルが怯えたように肩を揺らすが、人の気を遣えるほど俺は平静ではなかった。

 

「なんで諦めるんだよ!? お前の人生だろ、たった一回しかないお前だけの人生だろ。それを簡単に捨てるなんて絶対に間違っている! これでいい訳なんてあるものか!!」

「でも、僕には他にどうする事も……」

「違う!!」

 

 シャルルの反駁を無理やり捻じ伏せる。

 寮で話を聞いた時も少し声を荒げてしまったが、その時はまだ落ち着きがあったから踏み止まることが出来た。しかし、今はもう湧き上がる激情を押し留める事は出来そうになかった。

 俺の剣幕から逃れようとするかのように視線を彷徨わせるシャルル。その肩を掴み、アメシストの瞳を真っ直ぐに向け直させる。

 

「シャルルは逃げているだけだ! 立ち向かおうとした事も無い癖に、最初から無理と決めつけて目を背け続けている。そうしていた方が楽だからな!」

「そ、そんな簡単に言わないでよ! 相手は腐っても大企業の社長なんだ。僕なんかにはどうしようもないじゃないか!?」

「確かに母親が突然いなくなってしまって途方に暮れてしまったのかもしれない。大企業の社長相手に立ち向かうなんて出来やしないと諦めてしまったのかもしれない。けどな、それじゃあ駄目なんだよ。お前が幸せにならなきゃ、お前を愛していた母親が浮かばれないだろうが!」

「……っ!」

 

 死んだ人の事を持ち出すなんて卑怯だと分かっている。

 それでも俺はシャルルに言う。ここで言わなければ、彼女は何も変われないと思うから。

 

「一人で無理だって言うのなら俺が力を貸してやる。それでも足りないなら頭を地面に擦り付けてでも協力してくれる人を見つけてくる。でもな、そこにお前の意思がないと駄目なんだよ。お前が心の底から幸せになりたいって思わないと、他の奴らがどんなに頑張っても全部無駄になっちまうんだよ!」

 

 もし俺がシャルルを自由の身にすることが出来たとして、そこにシャルルの意思がなくても、彼女を救えたことにはなるのか。果たしてその先に望む未来はあるのか。

 違う。そんなものは救いなんかじゃない。俺という別の力に引っ張られているだけで、父親の言いなりになっているのと何も変わらない。

 怯えていても、足が震えていてもいい。それでもシャルル自身が立ち向かわなければ、意味なんてないのだ。

 

「だから立てよ、シャルル。少しの勇気でもいい。自分の意志で立ちあがって抗ってみせろ!!」

「僕は……僕は……」

 

 言いたいことを言い切って肩を離すと、シャルルは床に手を突きへたり込む。顔にはありありと迷いが浮かび、彼女が決断を下すにはまだ時間がかかりそうだった。

 今はそれでいい。シャルルに諦める以外の選択肢が有ることを知ってもらえれば。

 大声を上げて乱れた息を整えながら、視線をシャルルから先ほどから沈黙を守る人物へと移す。その先では、俺たちに現実という奴を突き付けてくれた椛が、泰然とした様子で瞑目していた。まるで俺の言葉を待ち受けるかのように。

 ……その口元がうっすらと笑んでいるように見えるのは、俺の気のせいだろうか。

 

「……椛。お前はさっき、俺がシャルルの事を理解したつもりでいるだけだって言ったな」

「ああ」

「じゃあ、そいつは見込み違いだ。俺はちゃんとシャルルの事を知っている」

 

 スッと椛の右目が開かれる。こちらを見定めるような視線から目を逸らさず、俺は言葉を続ける。

 

「シャルルはスパイだったかもしれないさ。でもな、本当は怖がりで、臆病で、それでいて人に嘘をつくのが耐えられなくて素直に吐くような、優しい普通の女の子なんだよ! まともに口をきいたことが無いお前こそ、勝手に決め付けてんじゃねえ!」

「一夏……」

「…………」

「その上で、お前の質問に答えてやる」

 

 椛は俺に問うた。シャルルが更に俺を騙そうとしていたらどうするのかと。

 そんな事は有り得ないと思っている。でも、いくら俺が否定したところでその可能性は消えない。それが罪を犯した者の宿命であり、俺が向き合うべき現実なのだろう。

 

「例えシャルルがまた俺を騙したとしても……それでも、俺はシャルルを信じる」

 

 ――だったら、その現実さえも俺は乗り越えてみせる。

 

「本気で言っておるのか? 己を騙った者を信じるなど、気狂いの行為であるぞ」

「ああ、そうだろうさ。でも決めちまったんだよ。俺はシャルルを助けるってな」

 

 人が聞けば、何を馬鹿な事をと思うだろう。それでも心に決めてしまったのだ。理不尽に押しつぶされて諦めきった表情をする少女を見た時に、また彼女が胸を張って日の下を歩けるようにしてやりたいと。

 椛の射抜くような視線は変わらない。だが、その口元は気のせいでも何でもなく、幼馴染の俺にしか分からないようなものであっても、僅かながら確かに弧を描いて笑んでいた。

 

「また俺を騙そうっていうのなら、今度こそ止めるように説得してみせる。それでも駄目なら、ぶん殴ってでも止めさせる。何度裏切られても、何度でも止めてやる。――俺は、シャルルが正しい道を選べると信じている」

 

 その笑みを見て、椛の意図を理解し、ちょっとした苛立ちを覚え、俺は心の命じるままに言い放った。

 

「だから椛、人を試すような真似なんてしてないで力を貸しやがれ!!」

「……くく、はははははは!」

「え? え?」

 

 突如として大笑いし始める椛に困惑するシャルル。対して俺は予想が当たっていたことを確信して、腹を抱える目の前の相手に胡乱な目を向けざるを得ない。

 人が必死の思いで頼み込みに来たというのに、まさか心にもない事を言って試してくるなんて。椛なりの心遣いなのだろうが、正直ありがた迷惑だ。

 

「くく、昔から馬鹿だとは思っていたが、まさか此処までとはな。その愚直さ、馬鹿者を越えて大馬鹿者の領域であるぞ。いや、ある意味期待通りではあるのだが、ふふ……」

「大馬鹿者で悪かったな。この捻くれ武士」

 

 笑い声を漏らしながら人の事を馬鹿から大馬鹿にランクアップする奴相手に、俺は皮肉を交えて文句を零すが、まるで堪えた様子はない。想像通りとはいえ、溜息が出るのは仕方のないことだった。

 そんな漫才染みたやり取りに横槍が入る。呵々大笑する椛に呆然としていたシャルルだ。

 

「えっと……何がどうなっているのかよく分からないのだけど……」

「こいつが俺を試すために、わざわざあんな問答を仕掛けてきたんだよ。本当はシャルルにはもう裏が無いって分かっているくせに」

「まあ、そう気を損ねるな。これも必要な事よ。そういうことだ、デュノア。何か言いたい事はあるか?」

「い、いえ……そういう事なら何も……」

「ふん、軟弱者が。人のことを散々に言った相手に喰らい付く気概くらい見せられぬのか」

 

 どうやらシャルルへの言い掛かりは本心でなくても、弱腰な態度への文句は本当だったらしい。今まで我慢していたのか、苛立たしげな声で難癖をつける椛にシャルルは恐縮するばかりだ。傍からするといじめっ子といじめられっ子にしか見えない。

 気に入らない事を臆せず口にするのは椛らしいが、これ以上シャルルに負担を掛けるのも酷な話だ。ここは話題を本筋に戻すに限る。

 

「それより椛、結局ところ力は貸してくれるのか?」

「む……あそこまで啖呵を切らせておいて、御捻りを出さぬほど狭量ではない。少なくとも、デュノアが学園に残れるように手配はしておこう。だが、それ以上は……分かっておるな?」

「……ああ」

 

 シャルルが自分の意志で抵抗しない限りは、椛も余計な手出しはしない。つまりはそういう事だろう。

 言外に伝えられた条件は妥当なものだろう。普通なら退校処分のところを何とかするだけでも無茶をさせるのに、そこから更に先を求めるのは幾ら幼馴染とはいえ厚顔無恥という奴だ。まずは自分たちの手で道を模索しなければ……いや、道を探すためにまずは立ち上がらなくてはならない。

 それはシャルルも分かっているらしい。椛の言葉に不安気な表情を浮かべている。俺は少しでも不安を和らげるためにも、わざとおどけた様に笑ってみせた。

 

「大丈夫だって。これで学園に居られる三年の間は安心になったんだ。今はすぐに決められなくても、時間があれば何とかなるさ」

「そう……かな」

「そうだ。まあ、それでも時間が足りないなら……留年でもすればいいんじゃないか? うん」

「ぷっ」

「お、ようやく笑ったな。まずは辛気臭い顔を止めて、普通に笑う所から始めようぜ」

「ふふっ……そうだね。うん、僕が父に立ち向かえるかは分からないけど……もう少し、ここで頑張ってみるよ」

 

 俺なりの冗談を言ってやれば、シャルルは少し吹きだしてこの部屋に来てから初めての笑みを浮かべた。きっと大丈夫だろう。根拠はない。けど、俺はその笑みを見て、そう思うことが出来た。

 

「やれやれ、私は留年してまで付き合いきれぬぞ。事を決するなら三年の内に収めておくれ」

 

 律儀に俺の冗談に返しながら椛が立ち上がる。用が終わったなら帰れとでも言うのかと思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。

 

「どうかしたのか、椛?」

「誰かのせいで作り損ねた晩飯を遅ればせながら用意しようと思ってな。丁度いい。お主らも食っていけ」

「あー……じゃあ、有り難く御馳走になります」

 

 椛の嫌味に若干申し訳ない気持ちになりながら返事をすれば、彼女は「うむ」と一つ頷いて奥の台所へと消えていく。ふと時計を見てみれば、何時の間にか食堂が閉まりそうな時間になっていた。今からそちらに行っても、きっと間に合わなかっただろう。

 今の今まで必死の思いでいたから気付かなかったが、昼から水分以外は何も口にしてないせいか随分と腹が減っていた。自覚した途端にそれは激しく自己主張を始める。気の抜けるようなグルグルという虫の音が鳴った。

 ああ、椛が飯を用意してくれると言ってくれて本当に良かった。下手したら朝まで空きっ腹を抱える事になる所だった。

 

「……ねえ、一夏」

「ん、どうした?」

「椛博士って、本当は優しい人なの?」

 

 漂ってきた焼き鮭の匂いに俺が唾を飲み込んでいると、シャルルがそんな事を聞いてきた。

 急にどうしたのだろうか? そんな俺の気持ちを表情から察したのか、シャルルは一息入れてから言い直した。

 

「転校してきてから椛博士と喋る機会は殆ど無かったけど、一夏たちと一緒にいると、たまに視線を感じる事はあったんだ。それで振り返ってみると博士が……何というか、凄い無機質な目で僕を見ていたんだ。まるで実験動物を観察するような目だった。だから僕は、さっき話していた時もそうだけど、博士を怖い人だと思っていたんだ」

 

 そこでシャルルは「でも」と区切る。

 

「急に大笑いして一夏を馬鹿とか言っていた時の目がね、お母さんみたいに優しそうだったから」

「お母さん?」

「うん、そう。だから実際のところはどうなのかなって」

 

 意外な言葉にオウム返しになってしまう。ところが、シャルルに茶化したような様子はない。どうやら本気で言っているらしい。俺にはいつも通りの小馬鹿にしたような目にしか見えなかったのだが。

 生憎と俺は椛に母親の影なんて見た事は無い。だが、かと言って箒と同じ幼馴染かというと何となく違う気もする。妙に爺臭いというか、色々と達観している彼女を同い年に見るのは難しいのだ。むしろ千冬姉と同じくらいに見る事の方が多いだろう。

 

「優しいかどうかって言われても……親切な時もあれば、人の事を弄ってくる時もあるから判別が付き辛いな。何時まで経っても人の事をガキ扱いするし」

 

 肝心の優しいかどうかについても、何かしら実感がある訳でもないので言い淀んでしまう。他の面々に比べれば手を出してくることも少ないが、それは千冬姉とかが気軽に殴ってくるのが変なのであって、椛が特別と言う訳ではない。むしろ、代わりに口で責めてくるから性質が悪い面もある。

 だからと言って、椛に悪い感情を抱いたことは殆ど無い。きっと彼女が何だかんだと言いながらも、結局は人の世話を焼いている事を知っているからだろう。

 

「けどまあ、頼りにはなる奴だと思うよ。素っ気無いように見えて、結構なお節介だしな」

「へえ、そうなんだ。昔からそんな感じなの?」

「ああ。小学校の時に鈴の奴が転校してきて、ちょっと周りに馴染めないでいた時もな……」

 

 そこで俺の言葉はピタリと止まる。台所のある角から、割烹着に三角巾姿の椛が半目でこちらを見ているのに気付いたからだ。所詮は押し掛けてきた身。家主の咎めるような視線に、俺とシャルルは身を強張らせた。

 

「……落ち着く時間をやろうと思っておったが、話の内容を聞く限り、問題は無いようであるな。下らぬ雑談をする暇があるのならば、人に手伝いの申し出の一つでもするべきとは思わぬか?」

「「つ、謹んでお手伝いをさせていただきます!」」

「よろしい。食器の準備でも頼もうか」

 

 すぐさま立ち上がって直立姿勢で返答。台所に引っ込んでいく椛の後を追って、シャルルと二人で小走りする。

 ああ、そうだ。椛にはお節介な面だけじゃなくて、おっかない面もあるんだったな。

 そんな事を今更ながらに思い出したが、シャルルに言った事に変わりはない。椛は頼りになる俺の自慢の幼馴染だ。すぐには無理でも、シャルルも仲良くなって欲しいと俺は思うのだった。

 

 ――ちなみに、焼き鮭を食べるにあたってシャルルが箸を使えない事が判明。急遽行われた椛のスパルタ指導によって、シャルルが涙目になりながらも箸で完食したのは別の話である。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ふと目を開いた。だが、網膜に映る光景は変わらない。瞼の裏と変わらず、その先に広がっているのは暗闇だ。

 何のことは無い。電灯を一つも灯さず、外からの月明かりさえ閉め切ったカーテンで阻み、文字通りの真っ暗闇の部屋にしているだけだ。理由は特にない。強いて言えば、この方が落ち着くからだろうか。ベッドの上で壁に背を預け、片膝を抱えながら私は暗闇を見据えていた。

 アリーナでの一悶着の後、シャワーを浴びてから栄養補給以外の意味を持たない食事を終え、自室に戻って来てから既に小一時間は経ったか。人数の都合上、一人部屋を宛がわれた私は誰と関わることも無く、こうして暗闇の中で思索に耽っていた。その思索は無論、今日起きたことについてである。

 

 ――やはり、織斑 一夏は弱者だ。

 

 三年前の事件において、ドクトルがその身を挺し、教官が名誉を捨ててまで救った男。それ相応の価値を持っている事を期待していたが、この目で初めて見た相手は、顔立ちは整った部類だったが、強き者特有の覇気といったものがまるで感じられなかった。

 それでも戦闘能力はまだ分からなかった。聞くところによると、イギリスと中国の代表候補生とそれなりに戦えたという。その実力を確かめるべく、多少強引ながらも模擬戦を仕掛けたのだ。

 ……だが、それも期待外れだった。制止を受けるまでの二合程度でも分かった。あの男は教官やドクトルはおろか、私にさえ及ばない。

 失望は感じなかった。私が望んでいたような者ではないと知り、興味が失せただけだ。

 ただ、疑問には思う。そのような弱者を何故、教官とドクトルは救ったのかと。

 分からない。あの男の身一つと、教官とドクトルが払った犠牲では釣り合いが取れない。何か私の知らない価値があの男にあるのか、教官とドクトルに何か考えがあったのか、それとも……

 

「ん……?」

 

 尽きない疑問を前にして考えに耽る私の耳に、バイブレーションの音が届く。意識を現実に引き戻して目をやると、暗闇の中で携帯端末の画面が煌々と光っていた。軍務用の方ではない。プライベート用のものだ。

 眉間に皺が寄る。またか、と私は辟易した。

 自分と同じくシュヘンベルグ管理官に保護され、今も後見を受けている四人の遺伝子強化試験体、その内の妙に几帳面な一人からのメールだろう。軍の宿舎で寝泊まりし、家には年に数回しか寄り付かない私に定期連絡を欠かさない奴だ。そもそも、プライベート用の端末自体、そいつに押し付けられた物である。

 

「…………っ」

 

 普段なら義務的に返信する所だが、今は間が悪かった。軍人であり続ける事を選んだ私とは違い、軍から離れて管理官の無駄に広い家のハウスキーパーをやっている彼女の事を思い出した途端、言い知れない不快感が募った。優秀だった彼女らと、愚劣だった自分の違いを浮き彫りにされたように感じたからだ。

 再び目を閉じ、視界から光を追い出す。乱れた感情では考えも纏まらない。私はこのまま寝てしまう事にした。

 

 ――私は強くならなければならない。さもなくば、価値を認められることは無いのだから……

 

 心を落ち着かせるように脳裏で呟く。この世に生を受けてからの、絶対の言葉を。

 寝ようと思えば寝られるように身体は鍛えてある。間もなくして、私の意識は微睡へと落ちていった。

 


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