IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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三月の激務の日々を乗り越え、四月の新しい生活リズムにようやく順応し、気付けば五月となって世間はGW。
しかし、私にはそんなものは存在しない。あっても三連休だけ。妹が遊んでいる姿が妬ましい。
そんな訳で色々あって遅れましたが第二十話です。お待たせしました。


第二十話 節介

 二人の転校生がやって来てから五日。未だに二人目の男子生徒の登場という熱は冷めきっていないが、当初のような無秩序な騒ぎはこの頃鳴りを潜めてきている。そのうち彼らも日常の中に組み込まれ、学園の何時もの風景の一つとなっていくのだろう。

 

「ふっ!」

 

 もっとも、今の私にはあまり関係のないことだ。取り留めのない思考を頭から追い出し、眼前の標的へと意識を集中させる。

 身に纏った打鉄の右手に握られた近接ブレードを横薙ぎに振るう。ハイパーセンサー上に表示されるターゲットを両断し、次なる標的目掛けて飛翔する。斬りかかる相手もまた座して待つだけではない。牽制と迎撃のための弾幕が張られ、打鉄に幾何かの被弾判定を付けさせる。疑似的に表示されるシールドエネルギーの減少を見て私は歯噛みした。

 銃弾を躱し、時に装甲で受け止め、四苦八苦しながら接近して斬りつける動作を繰り返す。規定の数のターゲットを撃破した頃には、私の息はすっかり上がっていた。

 

「くそ……」

 

 息を整えながらも言葉を吐き捨てる。誰のせいでもなく、ただ自分の不甲斐なさのために。ハイパーセンサーに表示される訓練プログラムの成績はお世辞にも良いとは言えなかった。

 ここ一週間、剣の稽古はもちろん普段は敬遠しがちな座学にも力を入れて技術の向上に努めてきたつもりだったが、ようやく巡って来た訓練機を使用しての実践で思うようにいかず現実を見せつけられた気分だ。もどかしさに悪態をつきたくなるのも、胸中に焦りに似た気持ちが渦巻くのも仕方がないだろう。

 弱いままでいるのはもう嫌だ。私は今度こそ、強くならなければならないというのに……

 気持ちは逸る。だが、それではいけないと頭では分かっている。剣の道は一日にして成らず。ISもまた同じだろう。焦らず、着実に実力をつけていくのが最善であることは間違いない。

 

「…………休むか」

 

 それでも先走ろうとする感情が燻る私は、かなりどうしようもない奴なのだろう。

 取り敢えず休息も兼ねて頭を冷やすべく、アリーナの片隅に設けられた休憩スペースで打鉄を解除し腰を下ろす。自前のスポーツドリンクで喉を潤しつつ先ほどの訓練成績を改めて見直すが、それで何が変わる訳でもなく、並んでいるのは相も変わらず満足できない数字ばかりだ。

 周りの生徒より劣っている訳ではない。むしろ、一般生徒の中ではそれなりに良い方だと思う。だが、私が目指すべきところ――現在の目標で言えば、専用機持ちたちの成績に比べれば歴然たる差がある。ちなみに一夏は例外だ。あいつは私と似たり寄ったりと言った所だろう。

 先が思いやられる現状に溜息をつき、そこでふと気付いた。先ほどの私と同じようにアリーナを広々と使って訓練する者たち、人が疎らな観客席。はて、休日のアリーナはこんなにも閑散としたものだっただろうかと。

 午前の授業が終わった直後からこの時まで訓練していながら今更になって察したことに我ながら呆れていると、小走りにアリーナを出て行く二人組の話し声が耳に入って来た。

 

「ねえちょっと、織斑君とデュノア君が第三アリーナに居るって本当なの?」

「ホントホント。さっき観察班から連絡があったんだから。さあ、つべこべ言っていないで行くわよ!」

 

 ふむ、なるほど。アリーナが閑散としている理由が何となく判った。要するに、一夏とあの転校生が客寄せパンダとなって人が第三アリーナの方へと集中しているのだろう。此方の人が少ないのも納得だ。

 小耳に挟んだ情報から疑問は解消した。それは良いのだが、訓練中はなるべく考えないように努めている一夏の話題であったがために、思考がそちらに傾いてしまったのは困りものだ。

 ……まあ、休憩中くらいは良しとするか。

 

「もう、こうし始めて一週間か……何か変われたか、私は」

 

 誰にでもなく呟いて意識を思索へと集中させる。思い返すのは一週間前の休日、夕刻の帰り道で一夏にとある申し出をしたあの時だった。

 

 

 

 

 

「別に訓練するって……急にどうしたんだ? お前がそうしたいって言うのなら止めはしないけど」

 

 私は、お前とは別にやらせてもらう。その申し出に対して一夏は当然ながら疑問を口にした。私も考え無しに言い出したわけではない。明確な答えは既に準備してあった。

 私は強くなりたい。自らの望みを確かなものとし、今まで目を逸らし続けてきた双子の姉と向き合うためにも。

 だが、それは現在の環境に甘んじていては決して叶わないだろう。入学してから一夏と共に訓練してきたが、お互いに良い結果に結びついたかと聞かれれば、そうとは言い難い。でなければ、先月のように織斑先生に叱責され謹慎に処されるようなことはなかった。

 弱い私が一夏の側に居続ければ、きっと彼に縋って現実から目を逸らしてしまう。曖昧な感情に任せたまま甘えてしまう。それは結果として視野を狭め、私たちのみならず無関係の者たちにさえ迷惑を被らせることになりかねない。それこそ、鷹月が問題だと感じて先生に報告してしまったように。

 それでは駄目だ。鷹月に二度と同じ過ちは犯さないと誓った以上、約束は守らなければならない。そのためには己を律し、安易に逃げへと走るような道を封じなければ。

 だからこそのこの申し出だ。生半可な思いではないと自負しているし、一夏もそれを聞けば理解してくれただろう。

 

「そ、それはお前に頼ってばかりいるのもどうかと思ってというか何と言うか……ええい、何を言わせるんだ!」

「えー……流石にそれは理不尽じゃねえか?」

「――成程ね。織斑君、こういう時は黙って背中を押してあげるのが正解よ」

 

 ……「だろう」というのは彼に直接言ったわけではないからである。不器用な私には自分の心中をぶちまけるような真似は難易度が高かった。途中で言葉に詰まり、結局はいつも通りに可愛くない言葉を吐いて強引に誤魔化した次第だ。

 幸いにも傍らで聞いていた鷹月の取り成しもあって、その場は丸く収めることが出来たと思う。とはいえ、部屋に戻ってからも終始生温かい視線を向けられる羽目になったのは忘れたい過去である。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで始めた単独訓練である。一夏の訓練に付き添っていた時間を剣の鍛錬と勉学に回した結果、以前よりは自分のためになる時間の使い方にはなっていると思う。元々、週に一回出来れば良い方の訓練機での実習も有意義になっている筈だ。

 だが、実際にISを動かしてみて気付いた問題点もある。教えてくれる人がいないのだ。

 中学時代に多少はISについて学んでいたとはいえ、実技に関しては一夏と同じく素人に毛が生えた程度。一夏に辛うじて教えることが出来ていたのは知識面で一日の長があったからに過ぎない。本来なら自分も学ぶ側に立っているべきだったのだ。

 いざ一人になってその事に気付き、我ながら呆れてしまったものだ。一夏に別々にやると言った手前、彼と一緒にいるだろうセシリアや鈴に頼みに行くのは格好がつかない。友人を頼るという解決策は私の見栄の問題でお釈迦となった。

 

「……まあ、悩んでいても仕方ない。やるしかない、か」

 

 参考になるのが教本と試合映像だけでも未だ学ぶことは多い。今はまだ現状のまま努力を重ねるのが良いだろう。いざ行き詰まっても、織斑先生や山田先生に相談すれば何とかなるだろう。

 雑念を払うように頭を振る。疲れも適度に取れた。そろそろ訓練に戻るとしよう。

 そう考え、閉じていた目を開け、俯いていた顔を上げ。

 

「やあ」

「……うわああぁぁ!!?」

 

 ――突如、眼前に出現した見知らぬ人物に驚愕する羽目になった。

 

「なななな何者だ貴様ぁ!?」

「ちょっと、初対面の人相手に貴様とか酷くないかしら?」

「見ず知らずの人相手の顔面間近で居座っていた奴に言われたくない!!」

「それはそれ、これはこれで」

「か、勝手な事を……!」

 

 椅子から飛び降りて思いっ切り後退りながら、謎の人物に詰問する。だが、相手は飄々とした態度を崩さない。間違いない。こいつは私の苦手な人種だ。

 頭を占める割合の大多数が困惑から苛立ちへと変わっていく。ともすれば怒鳴りつけてしまいそうになる衝動に耐えながら眉間に皺が寄るのを自覚していると、その原因がやれやれとばかりにわざとらしく首を振った。

 

「ま、少しは落ち着きなさい。頭に血を上らせてばかりじゃ進む話も進まないわよ」

 

 誰のせいだ、と声を大にして言いたい所だったが、そこで気付いたことに言葉を詰まらせる。

 外側に跳ねた水色の髪、そこはかとなく高級感を漂わせる扇子、この上なく胡散臭そうな笑みを湛えた顔。それらに隠れるように存在する制服の襟元の黄色のリボン、その色は二年生であることを示すものだった。

 

「……先輩でしたか」

「そ。いやー、良かったわね。私が上下関係に五月蠅かったら怒られていたわよ?」

「それは失礼しました。で、二年の方が私に何の用ですか?」

 

 おちょくるように話し掛けてくる見知らぬ先輩に、取ってつけたような敬語で聞き返す。

正直なところ、早くどこかに行ってほしい。私は訓練で忙しいんだ。

 そんな面倒臭げな私とは裏腹に、先輩は実に楽しそうな顔で口を開いた。

 

「ちょっとブラブラしていたら悩ましげな様子の後輩がいたからね。お姉さんが相談に乗ってあげようかと思ったんだけど」

「それなら普通に声を掛ければいいでしょう。何であんなことをする必要があるんですか?」

「え、何でってそりゃ……」

 

 こちらの問い掛けにきょとんとした顔をする。わざとらしいそれに、何となく嫌な予感がした。

 

「――愉しいから!」

「分かりました。帰ってください。今すぐに」

 

 扇子を広げ呵々大笑する相手にもはや丁寧に応対する気力は無い。「愉悦」と書かれた扇子を叩き落としてやろうかなどと考えながらも、残された理性を振り絞って目の前から去るように促す。

 しかし、相手はそんな事はお構いなしに話し続ける。頭が痛くなってきた。

 

「まあまあ、そんな事は言わずに。さっきまでの訓練一通り見ていたけど、あんまり芳しくないみたいじゃない。頑張っているのは分かるんだけどさ」

「それは遠回しに下手糞と言っているんですか?」

「うん」

「…………」

「あ、ゴメンね。私って嘘をつけないタイプなの」

 

 ……不機嫌だったせいか口を突いて出た言葉に「嫌な事を言ってしまった」と思ったが、そんな気遣いは無用だったらしい。額に青筋が浮かんでいる事を自覚しながら、怒りが一周して冷静になった頭でそう考える。同時に「てへぺろ」と効果音でも付きそうな目の前の顔面に拳を叩き込んでやりたい、とも。

 どうやら認識を改める必要があるようだ。この人は苦手な人種などという可愛いものではない。紛う事なき天敵だ。

 

「でね、折角だからお姉さんが手取り足取り教えてあげようと思うんだけど、どう?」

「どうって……」

 

 お断りします、と普通なら言う所だろう。流石にここまで苦手意識を抱く相手に教えを請うような真似をするのは躊躇われる。

 だが、先輩というからには少なくとも自分以上の実力はあるのだろう。この人を喰ったような性格も、ある意味では自信の表れのようなものなのかもしれない。この場は我慢してその言葉に耳を傾ければ、何かしら得られるものはある……と思う。

 正直、教えてくれるというならば有り難いことには違いない。先ほどは現状のまま努力を重ねる事を決めたとはいえ、やはり早いうちから教えを受けるに越した事はない。一人で間違った方向に進んだ末に歪んでしまっては元も子もないからだ。

 ……とはいえ、私にも選り好みをする感情はある訳で。

 

「すみませんが、お断りさせていただき……」

「まあ、返事が何であれ関係ないんだけどね。時は金なり。さっさと始めましょうか」

 

 一瞬の逡巡の後に結局は断ろうとしたが、その言葉は一顧だにされなかった。

 ……もう、どうにでもなれ。

 癒えた筈の疲労感が蘇るのを感じながら、何を言っても無駄と諦める。何を考えているのか知らないが、この人を追い払うのは私には無理なようだ。ならば大人しく従った方が楽である。

 教えてくれるというなら教えてもらうとしよう。自分は精々、それを己の糧とさせてもらうだけだ。そう辛うじて思考を前向きに保ち、妙に張り切った様子で先導する先輩の後を追うのだった。

 

 

 

 

 

「手始めとして確認しておくけど、ISを動かすにあたって最も重要なのはイメージってことは知っているわよね?」

「それはまあ、教本にも散々書いてあることですし」

「よろしい。じゃあ、まずは教本の内容は全部忘れなさい」

「はあ!?」

 

 人の訓練に割って入って来た先輩――楯無さんというらしい――は、初っ端からとんでもないことを口にしてこちらの度肝を抜いてきた。再び打鉄を身に纏い、教本の内容を反芻していた私が驚愕の声を上げたことも無理なかった。

 彼女が言う理論はこうだ。教本に書かれたイメージの仕方はあくまで凡例であり、必ずしもそれが最適な物とは限らない。加えて、一々そのイメージを思い浮かべてから行動に移るのは非効率に過ぎる。ならば自分に最も合ったやり方を身に付けるのが最善である。簡単に言うと、そんな感じの事を言われた。

 筋は通っているように見える。だが、それを語る人が問題だった。出会い頭の遣り取りで楯無さんの面倒で胡散臭い性格を思い知らされた身としては、いきなり突飛な事を言われても首を縦には振り辛い。

 とは言え、教えてもらう事になった以上は駄々をこねても仕方がないのも事実。渋々と言われた通りに、あまり期待しないで訓練を続行した訳なのだが……

 

「ほら、さっきより良くなったじゃない。私の言う事も捨てたもんじゃないでしょ?」

「…………」

 

 実際に上手くいくと、それはそれで反応しづらいものがあるのである。

 

「……ご指導、ありがとうございました」

「いや、そんな微妙な顔でお礼を言われたのは初めてよ」

「気にしなくて結構です」

「そう? ま、どういたしまして」

 

 半信半疑ながらも言われた通りに訓練した結果、再度挑戦したプログラムの成績が目に見えてよくなっていたのだ。この先輩の恩恵があった事は認めざるを得ない。

 ならば、お礼くらいは言わないといけないだろう。釈然としないが。

 不本意な気持ちが見え隠れしていたせいか突っ込まれてしまったが、そこは押し通して無かったことにする。そんな私の内面などお見通しと言う訳か、楯無さんは始終胡散臭い笑みを浮かべていた。

 

「でもまあ、無理して感謝しなくてもいいわよ。こっちが押し掛けてきた様なものだし」

「様なものじゃなくて押し掛けそのものでしょう。というか、分かっていたのならやらないで下さい」

 

 出会い頭の遣り取りを思い出して、自然と苦言を呈してしまう。

 アレは私の人生の中でも最悪の出会いと言ってもいい。誰が見ず知らずの相手に悪戯を仕掛けてくるような相手に好感を抱けるだろうか。楯無さんが他の人相手にも同じような事をしているのなら是非やめてもらいたい。本人の評判の為ではなく、やられる相手の心労のために。

 

「ふふ、善処させてもらうわ」

 

 楯無さんはそれに了承の返事をする。

 だが、何故だろう。全く以て信用できない。これも短時間の間にこの人の人柄を知ったからこそ出る反応なのか。だとしたら、とても嬉しくない。

 半目になって疑惑の視線を向ける私に楯無さんは「信用ないわねー」と零すが、知った事ではない。あんなファーストコンタクトをされたら誰でもこうなるに決まっている。

 やがて視線に耐えかねたのか、楯無さんは大仰な動作で腕時計を見て、これまたわざとらしい驚きの声を上げた。

 

「いっけない、そろそろ約束の時間じゃない。箒ちゃん、お姉さんはこれで失礼するわね」

「……最後に一つ、いいですか?」

「ん、何かしら」

「何でわざわざ、私に教えようと思ったんですか?」

 

 すたこらさっさと遁走を図る楯無さんの背中に問い掛ける。訓練の途中からずっと引っ掛かっていたことを。

 さっきは悩ましげな後輩の姿を見てとか何とか言っていたが、実際のところはそれだけではない筈だ。私の他にも訓練している一年は他にもいるし、その中で自分が特別優秀だとも思っていない。そんな私に何を思って手を貸したのか、気にならないと言ったら嘘になる。

 足を止め、振り返った楯無さんは言葉を選ぶように考え込む。

 

「そうねぇ、強いて言うなら……お礼、みたいなものかしら」

 

 だが、彼女の性格から鑑みれば当然の事だったかもしれないが、その口から出てきたのはあまりにも抽象的で具体性に欠くものだった。

 

「お礼? それはどういう……」

「じゃ、そういうわけでバイバーイ!」

「あ、ちょっ!?」

 

 追及の暇も無く楯無さんはアリーナから出て行く。その逃げ足は大したものであり、私は伸ばした手で空を掴む事しか出来なかった。残ったのは消化するどころか二割増しになった疑問だけである。

 お礼と言われても、初対面の相手に何のお礼をするというのだろうか。知らず知らずの間に何かの助けになっていたとでも言うのか……いや、自分がやって来た事を顧みても人の得になりそうなことをやった覚えはない。だとすれば楯無さんはどういう意味でお礼と言ったのだろう?

 曖昧な形に誤魔化されたせいで疑問は膨らみ続ける。同時に、段々と楯無さんへの苛々とした気持ちも湧いてくる。思わせぶりな事ばかり言わないで、はっきり言えというのだ。

 物思いに耽ること数十秒、最後の最後まで胡散臭い先輩に引っ掻き回された私が出した結論は。

 

「……訓練、続けるか」

 

 全部後回しにして、訓練に集中する事だった。

 イメージする。彼女に言われた通りに、自分の中の理想の動きを。腹立たしいことだが、あの先輩の教えは確かに私の糧となっている。もっとも、好感度は初対面の一悶着と胡散臭い性格で差し引き零に近いが。

 ――今度会ったら腹に一発入れさせてもらおう。

 そう心に決め、私は更なる精進のために打鉄を飛翔させるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 静まり返った学園の一室、そこにカップとソーサーの音が妙に響いた。

 普段は嗜まない紅茶の香りを鼻孔に含みながら一口。ゴールデンルールとやらに忠実に淹れられているのか、その味わいは素人にも上等なものに感じられた。

 昼下がりの一服に斯様なものを馳走になれば、大抵は機嫌の一つは良くなるというものであろう。

 だが、生憎と私の口から出てきたのは上機嫌とは言い難い低い声色だった。

 

「……遅いな」

「申し訳ありません。此方から呼び出しておいてお待たせしてしまって……」

「虚殿が気にすることは無い。勝手気儘な主に仕えておると苦労も多かろう?」

「ええ、不本意ながら慣れてしまいましたが」

 

 つい零してしまった言葉に頭を下げたのは布仏 虚。布仏 本音の姉にして生徒会会計の三年生である。

 生徒会室を訪れた私をもてなしてくれた相手に謝らせるのは気が引ける。その必要が無い事を告げながら労うと、虚殿は苦笑を漏らした。不本意と言ってはいるが、悪い気はしていないのであろう。

 

「それにしても、お嬢様はどこで油を売っているのでしょう。まったく……」

 

 虚殿がブツブツと愚痴をこぼしているのは他でもない。彼女の主であり、私を此処に呼び出した張本人たる会長殿が一向に姿を現さないのが原因だ。

 先日、少しばかり頼ませてもらった調査の結果が上がったと連絡を受けたので、こうして生徒会室を訪れた訳なのだが、何故か会長殿が不在であったが故に待ち惚けを喰らっているのが現状である。実を言うと、今頂いている紅茶も二杯目だったりする。

 

 それからまたしばらくの間、紅茶をチビチビ飲むこと十数分。二杯目も飲み切ろうかという時になって、ようやく目当ての人物が部屋の扉を開けて現れた。

 

「ごっめーん! 待った?」

「ああ、三十分ほど」

「ちょっと、そこは『私も来たばかり』って言う所じゃ――」

「お嬢様?」

「ハイ、スミマセンデシタ」

 

 従者にニコリと微笑まれた主はふざけた態度から一変、平身低頭せんばかりの勢いで謝罪する。もっとも、その謝罪に誠意が込められているかどうかは怪しい所であるが。

 虚殿と揃って溜息を吐く。此奴はもう少しどうにかならぬのかと。

 思わず脱力してしまったが、何時までも弛緩した空気にしている訳にもいかない。面子が揃ったからには気を引き締めなければ。私は仕切り直すように咳払いをしてから切り出した。

 

「まあ、お主が何処で何をしていたかなど如何でもいい。早々に用件に移らせてもらうぞ」

「仕事熱心なこと。それじゃ虚ちゃん、よろしく」

「はい、報告させていただきます……シャルル・デュノアの素性調査の結果を」

 

 先日、簪との昼食の場で送ったメールは他でもない、会長殿にシャルル・デュノアの調査を依頼するためのものであった。

 色々と問題を孕んでいる二人の転校生。その中でボーデヴィッヒは素性が明らかとなっているが、デュノアはそれすらも定かではない。いや、信用できる情報がないと言うべきか。

 何故性別を偽っているのか、本当にデュノア社の関係者なのか、疑問は色々とある。それを解明する手段として、会長殿に調べを入れるよう頼んだ次第である。協力関係を結んでいるのに加え、彼女らとっても無視できぬ事柄だ。依頼は快諾され今に至る。

 私と会長殿が耳を傾ける中、虚殿は数枚の報告書を取り出して口を開いた。

 

「ここ十数年の情報を洗ってみましたが、デュノア社の現社長に子息、息女がいるという話は全くありませんでした。学園側に提出された書類等は虚偽のものと断定していいでしょう」

「ふむ、そうなるとシャルル・デュノアは虚構の存在ということか?」

「あー……それなんだけどね、全くの嘘って訳でもなさそうなのよ」

 

 会長殿は私の推測を微妙な顔で否定した。

 子息、息女もいないというのに嘘ではないとは如何なることか。怪訝な顔をする私に、会長殿は先の話を補足する。

 

「子供がいないって話はね、デュノア社長の本妻に限った話なのよ」

「……なるほど、妾の子か」

 

 その一言で私は大まかな事情を理解した。同時に、会長殿が微妙な表情をしていた訳も。

 私は側室を持つのは男の甲斐性という古い認識があるので特に思う所はないが、現代ではあまり大っぴらに出来るものではない。多少、顔を顰めるのも仕方あるまい。

 

「妾というよりは単純に愛人の様ですね。周囲には隠していましたが、数年ほど前に愛人が病死したため、その娘を引き取ったそうです」

「つまり、その愛人の娘が……」

「シャルル・デュノアの正体、という事でしょうね」

 

 同じ結論に至った私たちの間に、しばしの静寂が訪れる。

 あまり気持ちの良くない話だが、目を逸らす訳にもいくまい。私は続けて推論を口にする。

 

「デュノア社は最近、業績が芳しくない。第三世代型の開発が滞りイグニッション・プランにも参画出来ず、ラファール・リヴァイブで得た評価も刻々と失われてゆく……形振り構わなくなりおった可能性は考えられよう」

「彼らに必要なのは現状を打開するための技術力、または有益な情報。この学園でその両方が得られるのは――」

「唯一の男性操縦者とその専用機……つまり織斑君と白式がお目当てって事かしら?」

「十中八九、そうであろう」

 

 最初から見当がついていた目的だ。だが、こうも明け透けに怪しい手を用いてきただけに逆に確信を得られずにいた。どうやら無駄な勘繰りだったようだが。

 男装した生徒を送り込んできたのは一夏坊に接近するため。そして斯様な無茶を実行に移せたのは、いざとなれば切り捨てられる愛人の娘という都合のいい駒があったからこそ。フランス本国は上手くいけば儲けもの、そうでなければ知らぬふりといった所であろう。

 概ね、こんなところか。業の深い真似をする。

 

「……学園側は如何様にするつもりか? 流石に知らぬ訳ではあるまい」

「混乱を避けるためにも、事実を知っているのは学園長と織斑先生くらいよ。しばらくは静観に徹するけど、相手がこっちに危害を加えようものなら野放しにはしておけないわね。それ相応の対応をさせてもらうわ」

「本国へ送還するのか?」

「穏便に済ませられればね。ただ最悪の場合は……」

「…………」

 

 その先は言葉にせずとも察せられた。彼女たちは学園を守護する者。害為す者を排除するのは当然である。それがどんな手段であったとしても、だ。

 

「デュノアには精々、慎重になって欲しいものだな」

「そうね」

 

 短く同意の言葉を述べた会長殿は、ストレスを吐き出すように溜息をつく。あまり後味の悪い真似はしたくないのであろう。普段は飄々としているが、彼女も人の子という事か。

 十七の身空で難儀な職務を背負っているものだ、と思いながらも残った紅茶を一息に飲み干す。用件は済んだ。そろそろお暇させてもらうとしよう。

 

「では、私はこれで失礼する。何か動きがあればまた知らせてくれ」

「はいはい、そっちも何かあったらお願いね」

「お疲れ様でした」

 

 最後に相互の情報共有を約束し、部屋を辞そうと立ち上がる。

 だが、いざ扉を開けようとして、その動きを止めざるを得なくなった。扉が私の手に因ることなく開き、誰かが入室してきたのである。

 

「かいちょ~、お姉ちゃ~ん、大変だよ~」

「本音、扉は静かに開けなさい。それにいきなり開けるなんて失礼よ。今は来客中だったんだから」

 

 駆け込んで――そう表現するべきか些か微妙な速度だったが――きたのは本音だった。珍しく焦った様子の彼女は、礼を失した態度を姉に叱られる。私としてはどうでもいいのだが、堅物気味な虚殿としては看過できぬようだ。

 余談だが、生徒会と関わるようになってから彼女らの事は名前で呼ばせてもらっている。姉妹を苗字で呼んでは紛らわしい。

 

「あ~、もみっち来てたんだ~。っていうか~、そんな事より一大事なの~。緊急事態なの~」

 

 叱責を受けた本音であったが、変わらずに喫緊の事態であると訴えかける。普段通りの緩慢な動作も、注視してみれば二割増し程度にはなっているような気もする。

 その様子から尋常ならざることが起こったと察したのであろう。眉を顰める虚殿を手の動き一つで鎮め、会長殿は本音に問うた。

 

「本音ちゃん、まずは深呼吸。それから何があったのか教えてくれる?」

「分かりました~。す~~~~は~~~~す~~~~は~~~~」

 

 果たして何時まで深呼吸するつもりであろうか。緊急と言っていた割には悠長な本音に調子を乱されながらも、彼女の気が済むのを待つ。

 出来れば己の姉の堪忍袋の緒が切れるまでには済ませてほしい。先ほどから口元が引き攣っておるぞ。

 その願いが通じた訳ではなかろうが、ようやく深呼吸を止めた本音は改めて会長殿に向き直る。そして、その口から途轍もない事を口走った。

 

「おりむーとラウラウが~喧嘩して大変な事になってます~」

 

 瞬間、生徒会室は静寂に包まれた。誰もが言葉を発せず、その顔に浮かぶ表情からも何も読み取れはしない。

 だが、私は同時に確信していた。二人とも思い浮かべている事は私と大して違いなかろうと。本音の言葉を受けて考える事など、それ以外に有り得はせぬ。あまりの事に呆けているだけで、それは言葉にしてしまえば至極簡単なものだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ラウラウって誰だ。

 

 


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