IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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 ストックが少ないのでそのうち鈍足更新になるかも……
 なるべく途切れないように頑張ります。


第二話 火急の知らせ

「…………夢か」

 

 ふと目を覚ませば、そこは見慣れた自分の研究室。戦国の世には決してあるまい機械類が所狭しとひしめいている。

 寝ぼけた頭を働かせて周囲を確認すると、我のことながら呆れてしまうような状況であった。部屋は散らかっており、床のそこらに機械部品が落ちている。自業自得ではあるが、片づけるのが面倒だ。しかも机に突っ伏して寝ていたせいで体が凝っており、動くのが少々億劫である。

 …………そういえば作業が一段落したから仮眠をとっていたのであった。時計で時間の経過を見る限り、思いのほか深く眠ってしまっていたようだが。

 

(それにしても、懐かしきものを見たな)

 

 振り返りしは夢に見た一人の男の最後の時。()が儂であったころの記憶。はるか昔に終わりを迎えた武士の物語。

 

 この追憶に、意味はない。

 何の因果か二度目の生を――しかも四百年以上先の未来の同じ家系の女子として――授かる事になったからには以前と混同してはならぬ、と私は考えている。篠ノ之 紅霖は終わりを迎えた。終わりを迎えたからには、たとえその記憶と魂を持っていたとしても、新たな人として生きるべきであろう。

 たまにこうして懐かしむことはあるが、ただ懐かしむだけだ。彼は彼であり、私は私であるのだから。

 

 考え事はここまでにして飯でも食べようか。作業の続きをするにしても、部屋の片づけをするにしても、空きっ腹ではやる気が起きない。腹が減っては戦は出来ぬ。今も昔も変わらぬ真理である。

 凝り固まった体をほぐし、積み上げられている資材の一つである磨き上げられた鋼鉄を鏡の代わりとして身だしなみを整える。

 その鋼鉄に映りしは、腰まで届く長い黒髪を持ち、若干吊り目な、記憶に残っている傍若無人なあの人にどことなく似ている少女。この世に生を受けし一人の人間の姿。

 

「うむ、これでよいな。篠ノ之 (もみじ)、いざ食事へと参らん!」

 

 眠気覚ましに腹に力を入れて大声を一発。女性にしてはやや低めだがよく通る声は、部屋の外の通路にまで響いていった。通りがかる人がいたら確実に驚かれるか、五月蠅いと文句を言われる声量である。

 

 まあ、ここにいる人間は私一人だから誰も反応などせぬのだがな! はっはっはっは!

 …………いかん、ちょっと寂しくなってきた。

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

『やあやあ、椛ちゃん。元気してる? 束さんは毎日絶ッ好ッ調!! そして! 椛ちゃんの声を聴けてついにテンションが天元突破して……』

「うむ、それで何か用でもあるのか? 姉者(あねじゃ)

 

 携帯電話の向こうで騒ぎ立てる歳の離れた姉の戯言をバッサリと切り捨てて用件のみを聞く。何やら『椛ちゃんが冷たい~』とぬかしているが知った事ではない。一から十まで付き合っていると疲れるのだ。

 

『相変わらず侍してるねぇ。冷徹な刃に切り裂かれた束さんのハートはブロークンだよ』

 

 腹ごしらえの最中に電話をかけてきた挙句、頓珍漢な事を言っているこの娘の名は篠ノ之 束。天才科学者として世界に名を馳せる我が姉だ。

 

 ついでに言うと、私が今世に生まれてからの勉学の指南をしてくれた人であり、この身を十五の身空にして一端の研究者へと仕立て上げた張本人でもある。

 そのような事態になった経緯を簡潔に話すと、反重力力翼やら流動干渉波とか何やら高度な事を語る姉者の学の深さをこの時代の標準だと勘違いした私が教えを請い、それに興が乗った姉者が教え得る限りのことを教え込んだ結果こうなってしまったのである。

 いやはや、当時は姉者以外に勉学をしておる身内が居なかったのでな。見事に勘違いした上に、四百年先の教育水準に何とか喰らい付こうと遮二無二に努力してしまったわけだ。

 勘違いだとわかったのは小学校に入ってから。そういえば双子の妹はこんな事はしていなかったと今更になって気付いたものだ。

 

 閑話休題。

 

 そんな他者とは隔絶した頭脳を持つ我が姉は今の社会を作り出した宇宙開発を目的としたマルチフォームスーツ、インフィニットストラトス――通称ISの生みの親でもある。

 だが、その開発目的とは相反して、ISはその戦闘能力の高さから現在では世界各国の軍事力の要という不毛な存在へと成り果てている。これには私も姉者も忸怩たる思いを抱いているのだが、それは今ここで考えても仕方があるまい。

 

「用がないのであれば切るぞ」

『スト~ップ! ちゃんと言うから、言いますから切らないでー!』

「…………はぁ」

 

 この姉、優秀であることは間違いないのだが、何事においても冗長が過ぎるというか、余計な事ばかりするというか、兎にも角にも蛇足が多いのが特徴である。

 会話の仕方は無論のこと、作り上げる物の数々さえもその突飛なセンスによってデザインされた無駄の多い仕様となっている。ロケットを人参型にする意味が私にはちっとも理解できぬ。

 まあ、こんな性格に加えて他人とのコミュニケーション能力が皆無であっても、どうでもいい理由で通信をしないくらいには分別のある人である筈だ。ここは大人しく話を聞くとしよう。

 

『ゴホンゴホン、それでは天才博士、束さんの冒険日記のはじまりはじまり~。わーパチパチ』

「…………」

 

 どうでもいい前口上はスルー。いちいち突っ込むつもりはない。

 

『先月のことでした。世間の中学生、高校生は受験シーズン真っ只中。普段ならそんなどうでもいい事は欠片も気にしない束さんですが、今年は違いました。何故なら! 大好きなちーちゃんの弟、いっくんが高校受験に挑む年だったからなのです!』

 

 ちーちゃんとは姉者の親友、織斑 千冬のことであり、いっくんとは私の幼馴染であり同門の徒でもある少年、織斑 一夏のことだ。彼のことを私は一夏坊と呼んでいる。

 そうか、もう高校受験をする歳になったのであったな。自身も同い歳ではあるのだが、学校には中学の途中から行っていない身であるため頭から抜けていた。

 

『特にやる事も無くて暇だった束さんはいっくんにサプライズを仕掛けることにしました。それはズバリ! いっくんにすこーしだけISを使えるようにすることで、みんなの人気者に仕立て上げようという壮大な作戦であったのです!!』

「この上なく傍迷惑な作戦であるな」

 

 一夏坊、この災厄の如し姉の魔の手にかかってしまうとは憐れなり。お主に平穏なる未来がある事を願っているぞ……いや、あの息を吐くような容易さで女を惹きつける奇妙な体質(?)では平穏など元より望むべくもないか。

 

 ちなみに諸事情によりISは女性にしか反応しないという致命的な欠点があり、それが世間の常識でもある。

 だが、実は機能中枢であるコアに手を加えることによって、ごく短時間ではあるが男性が装着することも不可能ではない。ただし、全身に枷を付けたかのように動くことすら儘ならぬ状態になるだけだが。

 

『思い立った束さんはあの手この手を使っていっくんが受験する高校とIS学園の受験会場を一緒にしました。確実を期すために試験官に変装していっくんをISがあるところに誘導すれば完璧です』

 

 どうせ得意のハッキングをしたのであろう。姉者の手にかかれば誰にも悟られずに事を為すなど造作もなかったに違いない。

 それにしてもこの悪戯話に何の意味があるのやら。本当に悪戯の報告だけであったらどうしてくれよう。木刀の一撃程度は覚悟してもらわねば。

 

『作戦当日、いっくんが勝手に迷った末に束さんの方へ向かってきてくれたおかげで予定よりスムーズに事は運びました。後は予め細工しておいたISに興味が湧いたいっくんが触れるだけ。サプライズは遂に成就の時を迎えたのです』

彼奴(あいつ)は一体何をしておるのだ……」

 

 姉者に仕組まれたならまだしも、まさか本当に迷子になっていたとは。受験を逃すことになっておったらどうするつもりだったのか、小一時間ばかり問い詰めてやりたいものだ。あの馬鹿者め。

 

『そして世にも珍しいISを纏った男(ただし動けない)が完成したのでした~

 

………………って、なる筈だったんだけどね』

 

 ふと、今の今まで上機嫌だった姉者の声が途端に翳った。これは自分の思い通りにいかなかったり、想定外の事態が発生した時のものだ。

 ――――どうやらここからが話の本題のようだな。

 

「何かあったのか?」

『ちゃんと動いたんだよ。いっくんが身につけたIS』

「…………は?」

『だ~か~ら~、動かせない筈だったものが何故か知らないけど、何の問題もなく完璧にオールグリーンでグリーンだよーって感じで動いちゃったんだよね、これが』

 

 …………よし、まずは落ち着こう。こういう時は素数を数えるのであったな。二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三、二十九……うむ、この程度でいいか。

 今日の日にちを確認。三月上旬、四月にはまだ早い。

 

 ……やれやれ。

 

「姉者、四月馬鹿にはまだ一月ばかり早いぞ」

『さらっと嘘をついたことにされた!? さすがの束さんでもこんな嘘はつかないよ、椛ちゃん!』

「……ああ、そうだろうとも。わかっている」

 

 あまりのことに現実逃避を図ってしまったが、そう都合よくはいかぬようだ。現実の何たる非情な事か。そして面倒事を巻き起こしてくれた一夏坊、許すまじ。

 さて、ふざけた思考はここまでにしておこう。まずは現状を確認せねば。

 

「で? 今、その阿呆はどうしているのだ?」

『ちーちゃんに言われて家で大人しくしているよー。まあ、外に出たくても周りにひしめいているマスコミとかどっかの研究員とかのせいで出られないだろうけどね』

「まあ、当然そうなるであろうな」

 

 

 世界で唯一ISを動かせる男。

 それはつまり、今の社会常識を覆しかねない存在であるということだ。

 

 先にも述べた通り、ISは世界各国の軍事力の要であり、それは女性にしか動かせない。

 故に各国政府の急務は、如何にして優秀なIS操縦者となり得る女性を自国に留めるかという事となった。地位の向上、権利の付与、あらゆる点での優遇……他国に引き抜かれぬよう各国は八方手を尽くした。

 その過程で社会における女性の力はISを持つ者、持たざる者に関わらず飛躍的に高まる事となる。所詮は実の伴わない虚像の如しものに過ぎないが、力は力。それを手にした女たちは己を貴び、男たちを見下すようになっていった。

 これが原因で現在の社会は女が男を奴隷の如く扱ってもまかり通る女尊男卑の社会へと変貌してしまった。今ではすっかり常識となっており、街中で女が男を小間使いにしているのが日常茶飯事になっているという。

 

 

 だが、その社会構造に風穴を開ける存在が現れた。

 

 

 そのような彼の身を狙うであろう者は、それこそ枚挙にいとまがない。

 他の男と何が違うのかを調べようとする者、自分たちの既得権益を乱す存在として封殺しようとする者、その特殊性を利用して利益を得ようとする者……あらゆる者たちがあらゆる手段でその手を伸ばしてくることだろう。

 

 何にせよ、私の幼馴染は文字通り世界中から注視される存在へとなってしまったのである。

 皮肉な事に、当初姉者が想定していた悪戯の結果通りに。

 

『それでさ、椛ちゃんはいっくんがISを動かせた理由に心当たりとかあったりしない? 束さんにはさっぱりわかんなくてさ~』

「無茶を言うでない。実際に見てもいないのに判断を下せるわけがないだろう。それに、姉者が解せぬことが私に解せるとは思えぬ」

 

 私の知識は基本的に姉者からの受け売りに過ぎない。考え方に多少の差異はあるが、たどり着く答えは大抵同じになるか姉者の方が上手になる。

 故に私だけの手で一夏坊がISを動かせる理由を突き止めることはかなり難しいと思われる。詳しく調べないと何とも言えないが、恐らく望み薄であろう。

 

 そんな私に今言えることがあるとしたら一つだけだ。

 

「現状において確かな事は、ISがそうある事を望んだ(・・・・・・・・・)という事……ただ、それだけだ」

『…………ま、そうだよね~。こればっかりは地道に調べるしかないかぁ。あ、椛ちゃんも手伝ってくれるよね?』

「言われずともそのつもりだ。私とて、気にはなるからな」

 

 一人でわからなければ力を合わせるのは当たり前のこと。昔の孤独な姉者であったなら何事も一人でこなそうとしたのであろうが、今では人の手を借りることも知っている。些細な成長だが、家族としては嬉しいものだ。

 ……興味が湧いた相手としかまともに話さないのは変わっていないが。まあ、興味の対象が増えただけでも良しとしよう。

 

 それはともかく肝心の一夏坊自身の件であるが、これについては語らずとも処遇が既に決まっているだろう。なにしろ、身を守るのに相応しい場所が公然と存在しているのだから。

 

「性急に答えを出す必要はあるまい。どうせ一夏坊はIS学園に放り込まれるのであろう?」

『おろ? やっぱりわかっちゃう?』

「当然」

 

 先の悪戯話の際にも出てきたこのIS学園、正式名称:IS操縦者養成特殊国立高等学校は、世界で唯一ISの専門的な教育を行う学術機関である。その設立には西側の某大国などをはじめとする様々な国家、組織の思惑が絡んでおり、結果的に如何なる国にも帰属しないという事になっている。

 そのようなIS学園の校則には五十五にも及ぶ特記事項なるものが存在するのだが、その一つにこんな規則がある。

 

 特記事項第二十一:本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする。

 

 つまり、IS学園に所属すれば卒業するまでの三年間は外部からの干渉を退けることが合法的に可能というわけだ。一夏坊の避難場所としてこれ以上の適地は他にあるまい。

 ……唯一問題点があるとすれば事実上の女子校であるという事だろう。そんなところに男一人で放り込まるのは厳しいものがあるだろうが、こればかりは仕方がない。

 

『わかっているなら余計な説明は省いていいか。じゃあ、これでやっと本題に入れるね! 長い道のりだったな~』

 

 …………待て、今何て言った。

 

「…………今のが本題ではなかったのか?」

 

 あのような知らせだけでも一大事であるというのに、姉者はこれ以上何を言おうというのか。面倒事はもう御免であるぞ。

 

『ノンノン。さっきまでのお話はただの前置きと事情説明。束さんが電話した理由は椛ちゃんにそのことでお願いがあったからなんだよね』

 

 「お願い」と聞いた瞬間に感じたもの凄く嫌な予感に、脳が警鐘を鳴らす。

 昔からこの台詞によって碌でもないことや、とてつもなく下らないことに付き合わされてきたのだ。警戒してしまうのは当然のこと。

 気のせいという希望的観測にも縋ってみたいが、恐らくそれは無駄な真似となるだろう。そんな希望などへし折っていくのが我が姉者なのだから。

 

『そのお願いとは! 椛ちゃんにIS学園に行ってもらう事なのです! パンパカパ~ン♪』

「…………はぁ」

 

 それ見た事か、やはり面倒な事ではないか。

 

「一応聞いておくとしよう。何故だ?」

『もちろん、いっくんのデータ収集とその護衛だよ。束さんの手にかかればちょちょいのチョイでデータなんて盗み出せるけど、ちーちゃんとかにあまりやり過ぎないようにって言われているからね。護衛の方は言うまでもないでしょ?』

「その通りではあるのだが……」

 

 確かに姉者が合法的に真正面から「データをください」なんて言いに行ったら、お縄に着くはめになるのが関の山。(姉者は世間では失踪中である故に指名手配されている)ならば、生徒として入る事が可能な私からデータを流した方が効率的だ。

 護衛についてもまた然り。規則では抑えられない強硬手段に出てくる輩から一夏坊を守るには、可能な限り近くにいた方が対応が容易となる。それを言うなら彼の姉でありIS学園の教師でもある千冬殿に任せてもよさそうだが、思いのほか教師とは枷の多い身分だ。自由に動ける私の方が適任なのであろう。

 

 ―――正直なところ、その真っ当な理由に内心驚いていた。

 いつもならば楽しそうとか面白そうとかいういい加減なものであるのに今回は真面目なものだ。それだけ姉者も本気というわけか。

 ならば断る理由などありはしない…………が、問題が無い訳ではない。

 

「急に入学するといっても無理があるのではないか? 試験は当の昔に終わっているだろうし、私自身の都合で入学式には間に合いそうもない」

『そこら辺は心配なーし! 五分前にちーちゃんに伝えて入学後に試験を行う手筈になっています。しかも筆記試験は免除! やったね!』

 

 お願いと言いつつも既に話を通しているではないか。此奴(こいつ)、人が断ることなど微塵も考えていない。

 

『入学式については~……ん~、不法入国すれば何とか間に合うんじゃない?』

「いや、いかんだろうがそれは」

『えー、ちーちゃんも椛ちゃんも本当に硬いんだから。ルールっていうのはぶっ壊すためにあるんだよ?』

「その前に姉者の常識をぶっ壊した方が良さそうだな」

『ブフッ! あはっ、あははははははっ!』

 

 冗談交じりに返したら、吹きだす音がした後に笑い声が聞こえてきた。何が面白かったのか知らぬが、どうやらツボにはまったらしい。

 まともな事を言っていたと思ったらすぐにこれだ。姉者の辞書には「自重」という言葉は存在しないのであろうか……いや、これでも昔に較べたらマシになったのであったな。高望みはしないでおこう。

 

 そんな頭の痛くなることを私が考えていたことなど露とも知らず、携帯電話の向こうで大笑いしていた姉者はようやく落ち着きを取り戻した。

 

『いや~笑った、笑った。椛ちゃんが冗談を言う事なんて滅多にないから油断していたよ』

「そうか。用がないのであればもう切るぞ」

『あ、あれ!? なんか機嫌が悪くなってる!?』

 

 そんな事はない。割と真面目な話をしていた筈なのに、話の腰を折られて不満になど思っていないぞ。姉者の気のせいだ。

 

『と、とりあえずその事についてはちーちゃんと話し合ってよ。さっき椛ちゃんの入学について電話した時にあっちから直接連絡するって言っていたからさ』

「承知した。用件はこれで全てか?」

『うん、そうだよ~。話すことが多すぎて長電話になっちゃったけど、これで全部……って、ああ~~~!?』

「ぬおっ!?」

 

 唐突に聞こえてきた大声に思わず携帯を耳から遠ざける。

 いきなり叫ぶではない。驚くではないか。

 

『束さんがこんな重要な事を忘れていたなんて……一生の不覚! 天才の名が号泣して鼻水とかその他諸々でぐしゃぐしゃになっちゃうくらいの失態だよ!』

「……例えはよくわからんが、何か言い忘れていたのだな?」

 

 姉者がこういう風に大げさな動作を取る時は、大抵もの凄く下らないことが原因だ。経験からそう判断した私は義務感に覆い尽くされた適当な返事をして姉者の答えを待つ。

 

『そうなんだよ、椛ちゃん! まさか、まさか…………』

 

 答え次第では直ぐに電話を切る事も念頭に置いておく。「お願い」のせいでこれから忙しくなるというのに、いつまでも戯れに付き合っている義理はない。

 

 そんな冷え切った思考をしていた頭に、やたらと引っ張っていた姉者の答えが耳を通して飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この束さんが! 箒ちゃんの写真を撮ってくるようにお願いするのを忘れていたなんて!!』

 

 

 …………………………。

 

 

『ああ、高校生になった箒ちゃんはどんな風に成長しているんだろう? 監視カメラとか人工衛星をジャックして遠目から様子を見た事はあるけど、細かいところはよくわかんなくてね。でも遠目からわかるくらいに胸はおっきく(ブチッ)』

「……………………はぁ」

 

 途中で通話を切り、本日三度目の溜息を深々とついた私は間違ってないと思う。これが間違いというのであればいったい何が正しいのか。世の人がこの判断を支持してくれることを願うばかりである。

 ……いかん、こんな事を考えている場合ではなかったな。

 

 変な方向に思考が流れかけたが、頭を振って正常な状態へと回帰させる。

 とりあえずIS学園に入学するにあたってやらねばならぬ事を思い浮かべようとするが、そこに先ほど出てきた人物の名前が引っかかった。

 

(…………箒、か)

 

 脳裏に浮かぶのは双子の妹の姿。姉者のように行き過ぎてはいないが、私もまた自身の片割れを気にかけてはいる。

 箒とは姉者がISを開発したことに伴う事情で一家が離散して以来、実に六年は直接顔を合わせていない。

 転々と変わる所在を探り当てては(ふみ)を送ったりはしているが、向こうから返事が返って来たためしはなく、仲介をして送った一夏坊からのものについても同様である。理由はわかっているのだが、返事が来ないというのは結構堪えるものがあり、その度に軽く傷心している。

 

 IS学園に赴けばそんな妹との再会が待ち受けている筈なのだが、私にはその事に関して少々懸念があったりする。

 

(彼奴はきっと恨んでいるだろうな……姉者も、私も)

 

 政府の要人保護プログラムという名目で一家が離散した当時、箒は小学四年生。精神的にはまだ幼いといって差し支えない時分だ。

 いくら最初の内は両親が共にいたとはいえ、家族と引き離されるという経験は心に深い傷を負わせるには十分だろう。後には加えて両親とも別居することになり、姉者が失踪してからは政府から尋問まがいのことさえも行われていたという。

 

 ―――その事実を知った時は久方ぶりに怒り心頭となったものだ。お偉方に対して交渉という名の脅しをかけて即刻止めさせた程度で済ませたが、千冬殿が歯止めをかけてくれなかったら斬り捨てていたかもしれぬ。それくらいの激情が私の中で燃え上がったのだ。

 

 そのような苦痛に加えて、あまつさえ無二の友人であった一夏坊と別れることを強要されたのだ。原因となった姉者を、そしてとある目的のために一人だけ留まった私を恨むのは無理からぬことだろう。

 

(だが、例え恨まれていようとも私は……)

 

 

 ――ジャーンジャーンジャーンジャージャジャーンジャージャジャーン――

 

 考えを遮るように、携帯電話から着信音が響く。

 この暗黒卿のテーマ……千冬殿か。存外、早くに連絡が来たな。

 出るのが遅いと文句を言われるのは御免だ。着信音が二周目に入らないうちに通話ボタンを押して耳に当てた。

 

『お前、何か私に対して失礼な事をしていただろう』

「滅相もない」

 

 間髪入れずに冤罪を突き付けてきた千冬殿に即座に無罪を主張する。いったい私が何をしたというのだ。

 ちなみにあの着信音は私が設定した訳ではない。姉者が勝手に変えたものを面倒だからそのままにしてあるだけだ。

 

『…………ふん、まあいいだろう。既に束から事情は聞いたか?』

「つい先ほどに。災難であったな千冬殿、心中お察しする」

『私はどうという事も無いさ。問題は愚弟の方だ。まったく、あいつは昔から面倒な事ばかり起こして……』

「ははは……」

 

 文句を言ってはいるが、彼女なりに弟のことを心配しているのであろう。相も変わらず弟思いのようで何よりだ。

 

『ま、そちらの事も今はどうでもいい。椛、お前のIS学園の入学についてだが、学園側としては特に問題はない筈だ』

 

 身内話を早々に切り上げて用件を話してくる千冬殿。無駄話の多い姉者とは大違いである。まあ、そんな正反対な性格をした二人だからこそ妙に馬が合うのであろうが。

 

『むしろ大喜びしそうだ。なにせ、IS研究の第一人者がやって来るというのだからな』

「私はあくまで生徒として赴くのだが……まかり間違っても授業などは担当せぬぞ?」

『そこら辺の事は安心するといい。もしかしたら個人教授を願われることはあるかもしれないが、そっちの方はお前の裁量だ。私は知らん』

 

 むう、そのくらいは仕方があるまい。それに未来ある若者たちに教示するのもやぶさかではない。教えを請う者たちに助言を行うくらいならばやらせてもらおう。

 だが、さすがに下心が透けて見えるような輩の相手はお断りだ。学園には国や企業の意を受けて接触を図ってくる者もいるであろう。そのような手合いには留意する必要がある。

 

 ――入学前からこのような事を考えなければならないとは。気苦労が多い学園生活になりそうだ。

 

『試験は束からも聞いているだろうが、入学後に実技のみを行う方向で調整しておく。筆記などお前にやらせても無意味だからな。かかる手間は最小限にしておいた方が良い』

「その心遣いに感謝する」

『私たち教員のことも考えた上での判断だ。礼はいらんさ。それよりお前の方で何か問題はあったりはしないのか?』

 

 おお、そういえば相談しなければならぬ事があるのであった。

 

「入学式に間に合わぬ」

『知るか。間に合わせろ』

 

 言った瞬間に不逞な言葉が返って来た。

 さすが千冬殿、その暴君の如し物言いに翳りはないようだ。だが、私とて相応の事情があって言っているのだ。もう少し取り合ってくれても罰は当たらぬのではなかろうか?

 

「そうは言われても、見積もりではどうしても二、三日は遅れざるを得ないのだ。どうにかならないだろうか?」

『……話くらいは聞いてやる。理由は何だ?』

「純粋に距離の問題、それにお偉方の足並みの悪さが原因であるな」

『………………』

 

 正直なところ、問題が前者だけならば入学式に間に合わないことなど無かったのだが、後者が絡んでくるとそうもいかない。

 入国許可に領空侵入、着地場所の確保などなど……諸々の許可及び申請の受諾が下るのを待っていると、どうしても時間がかかってしまう。お役所仕事の天命故、こればかりは致し方ないのだ。

 まあ、面倒事が嫌いな姉者はそのような事などいつもの如く無視しているのだが。

 

「どうしても駄目ならば、姉者が言っていた通り不法入国で無理にでも間に合わせるが……」

『却下だ』

 

 ダメもとの提案はピシャリと叩き落とされた。

 彼女は規則に厳しいからな。こんな事を許してはくれんか。

 

『…………一日だ。一日だけなら遅れるのを許可してやる。それ以上の遅刻は許さん』

「御意に。少々厳しいが何とかしてみせよう」

『ふん、別に遅刻しても構わないぞ。罰として私のストレス発散に付き合ってもらうだけだからな』

「それは勘弁……」

 

 千冬殿のストレス発散……つまり全力での組手は疲れるからなるべく遠慮したい。いくら父上と私くらいしか相手できる人がいないからとはいえ、毎度の如く溜め込んだ鬱憤を闘気に変えて叩きつけられては辟易するものがある。

 入学初日にそのような目に合うのは御免だ。必ず期日に間に合わねば。

 

 そう私が意気込んでいると、千冬殿が電話の向こうで溜息をついた。

 

『……まあ、それはともかく、だ』

 

 千冬殿の声の調子が変わる。先ほどまでの厳然としたものではなく、鋭利ながらも優しさがある私人としてのものだ。

 

『一夏の世話を押し付けることになって済まないな……お前にはいつも迷惑をかけているのに、碌に借りも返せていない』

「急に神妙になるとは、らしくないな千冬殿。酒でも飲んでいるのか?」

『茶化すな。まったく、人が申し訳なく思っているというのに飄々とした態度をして……三年前の時もそうやって、有耶無耶のうちに姿を消してくれたな』

「………………」

 

 どこか恨みさえ感じる言葉に私は口を噤んだ。

 あの事についての話になると、いつもこうなってしまうな。

 

 空いている方の手が自然と左目に伸びる。

 そこにあるものは、ある時からずっと閉じられたままだ。

 

『お前がその傷を負った事を悔いていないのは知っているさ。だがな、お前が構わなくても、傷を負う原因となった者は責任を感じるんだ。……あまり無茶をしてくれるなよ』

「……わかっている」

 

 そう、言われずともわかっている。わかっているからこそ、私はこの左目が盲いた時を境に皆の前から姿を消したのだから。

 

『ならいい。辛気臭くして悪かったな』

「もとはと言えば私の短絡な行動が原因だ。気になさるな」

『だからそうだとしても……はぁ、もういい。これに関してはいくら話しても変わらんだろうからな』

「はは、違いない」

 

 お互い我が強いせいで、このように意見が合わないと延々と話が続いてしまう。なので、こうして引き際を見定めることで折り合いをつけている。

 結局は解決していないので、周りからは問題が起きるのではないかと思われたりするのだが、これはこれで案外うまくいっている。私も千冬殿も普段の生活の中に諍いは持ち込まない主義なのだ。

 

 何はともあれ、重苦しい空気が長く続かなくてよかった。私は態度が硬いとよく言われるが、堅苦しい話はあまり好きではない。何事も気楽にこなす方が性に合っている。

 

『そういえば今どこにいるんだ? 学園まで随分距離があると言っていたが、そこまで時間がかかる所など今の時世では無いと思うのだがな』

 

 ふと思い出したように千冬殿はそう聞いてきた。

 先ほどは流していたから特に気にしてないのだと思ったのだが、どうやらそういう訳ではなかったらしい。別段隠すような事でもないので素直に答えてもいいのだが、それ以前に教えていなかっただろうか?

 

「ふむ、言っていなかったか?」

『お前がどこにいるかなんて束以外は誰も知らないと思うぞ? お前はあいつと違って国の方にも連絡先は伝えてあるから失踪扱いにはなっていないがな』

「一応、国から仕事を請け負っているのでな。それは当然であろう」

 

 仕事といっても研究所の方から助言を求められる程度だから大したものではない。それと姉者との仲介役くらいか。

 

「ここ一年ばかりは同じ場所にとどまっていたのでな、当の昔に知られていると思っていた」

『グダグダ言っていないでさっさと教えろ。ほら、どこにいるんだ』

「そんなに急かさなくともいいだろう」

 

 千冬殿の言葉を耳に受けながら、外の様子が見える窓際へと向かう。

 そこから見えるのは漆黒の闇。文明の灯りなど一つもない、未だ人の手が届かぬ無窮の領域。そして、いずれ進出していくであろう無限の開拓地(フロンティア)

 

「私が今いるところは……」

 

 そのどこまでも続く深淵の中に巨大なガスの集合体が浮いている。

 もう既に見飽きるほどに眺めた光景だが、いざ離れるとなると感慨深いものがある。此度は研究開発のためにやって来たが、次に来るときはどうなるだろうか? 

 叶う事ならば私たちの宿願が成就した時であってほしい。それがいつになるかは分からないが、この存在に時の流れなど無きに等しきものだ。何十年かかろうと気に留めまい。

 

「――――木星だ」

『…………はあ!?』

 

 さらばだ、その身に積雲を纏いし巨星よ。

 いずれまた会おう。人が宇宙(そら)へとその足を踏み出した時に。

 


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