IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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 今回の話を書いている途中に思い浮かんだのは『大乱闘スマッシュブラザーズ』。昔は友達と集まって飽きもせずにやっていたものですが、今時の子供はどうなんでしょうね。ちょっと気になります。
 そんな過去の思い出に浸りながらの二か月ぶりの更新です。第十八話、いってみよー。


第十八話 友は苦労性

 広大なフィールドを有する大規模アリーナ。観客席近くの広告群の文字列からして、そこがドイツであることが窺い知れる。

 その中央で今、一機の打鉄が懸命に宙を駆けていた。一振りの近接ブレードを片手に目指すその先にいるのは、イタリアの第二世代型機である『テンペスタ』。このアリーナにおける勝負の対戦機だ。

 テンペスタが後退しつつ銃器から放つ散発的な攻撃に対し、打鉄は最低限のものを躱すのみで後は持ち前の耐久力に任せて突き進む。これは間違った戦法ではない。その身に備えられた重厚な装甲は並の射撃武装では微々たるダメージを与える事しか出来ない頑強さを誇る。機動力に劣る打鉄は下手に避けようとするよりも、こうして無理矢理押し切る方が効率的なのだ。

 迎撃の手が緩む。弾切れだ。テンペスタが慌てて装填する隙を打鉄が見逃すはずもなく、一直線に敵へと向けて突き進む。その刃を突き立てんと構えを取り、一気呵成に攻め込む打鉄。五十メートル、三十メートル、十メートル……距離は瞬く間に縮まってゆき、必殺の間合いへと相手を引きずり込む。

 攻撃が命中し装甲に火花を散らす――真正面から攻撃を受け、弾き飛ばされたのは打鉄の方だった。

 機体を立て直そうとするも、その名に違わぬ(テンペスタ)のような銃撃の前にそれは叶わない。先ほどの隙はブラフ、打鉄を誘い込み近距離からの連射を叩き込むための罠だったのだ。

 気付いた時にはもう遅い。絶え間なく襲い来る衝撃に身動きは取れず、シールドエネルギーはみるみる減っていく。ついにはゼロとなり、力なく地に墜ちていく……打鉄はこうしてテンペスタに完敗を喫したのであった。

 

 

 

 

 

「あー、くっそ! また負けたぁ!!」

 

 半分に分割された画面の自分の方に映る『You lose』という文面に、悔しさのあまり思わず大声を上げてしまう。隣に座る対戦者と言えば、そんな俺を呆れたような目で見ていた。

 

「そりゃあ負けもするだろうさ……自分からブレオンで縛っているんだからな。いい加減に変な意地を張らずに普通にプレイしたらどうなんだ? こっちとしても張り合いが無いんだが」

「うっせ。例えゲームだろうと、ISが関わるからには実戦と同じ状況でやろうっていう意気込みなんだよ」

「それで負けてりゃ世話ないけどな」

 

 ごもっともな指摘にぐっ、と言葉に詰まる。言い返したいところだが、出てくる言葉は負け犬の遠吠えが精々といった所だ。余計な無様を晒すことになりかねない。

 耐えろ、俺。次こそは勝利して、この赤毛野郎をぎゃふんと言わせてやるんだ……!

 

「そう言ってやるな、弾よ。どれだけ涙ぐましい努力であろうと、見守ってやるのが友というものであろう」

「まあ、それは別にいいんだが……おい、椛。人のベッドで寝転がって読書とかどんだけくつろいでいるんだよ。というか、それ俺の本じゃねえか」

 

 後ろで俺たちの対戦を観戦していた椛からのフォローになっているかどうか微妙な言葉に、この部屋の主である赤毛にバンダナを巻いた少年――五反田 弾は一応肯定したが、振り向いて目に入った光景に苦言を呈する。対して椛は全く悪びれた様子もなく、その手に持った本に目を落とす。諦めたように溜息をつく弾が少し哀れに思えた。

 

 篠ノ之神社から鉄仙の後ろに乗せられて断崖絶壁を下るというスリリングな体験をしつつ、俺と椛は中学時代の友達である弾の家が営む五反田食堂へとやって来ていた。弾の顔を見るのと昼飯を目当てに来たのだが、駿馬で早駆けしてきたものだから昼食時にはまだ早かった。

 そんな訳で今は弾の部屋でゲームとかをしながらのんべんだらりとしている。ちなみに俺と弾が対戦していたゲームは『IS/VS(ヴァ―スト・スカイ)』。有名なIS関連大手企業のエンターテイメント部門が開発した、発売月売上百万本を成し遂げた名作である。第二回モンドグロッソのデータを利用した対戦ゲームであり、男女問わずに高い人気を誇っている。

 こういうゲームは出場国から「うちはこんなに弱くない」とか文句が出そうなものだが、この『IS/VS』はその限りではない。文句を言おうにも、ゲームバランスが完璧に調整されており付け入る隙がなかったのだ。絶対的な強キャラというのが存在しないので勝敗は完全にプレイヤーの腕次第、昨年開催された世界大会では凄まじい戦いの末に数々の伝説が生まれたのだとか。

 そのゲームで俺はブレオン――ブレードオンリー、格闘限定の縛りプレイで弾に挑んでいるのだが、今のところ敢え無く連敗中である。やっぱり機動力が低い打鉄だと厳しいものがある。近づく前に抑え込まれてしまう。

 

「次の対戦に行くとするか……機体変えたらどうだ? 『打鉄‐隼』とか使いやすいぞ」

「でも射撃中心じゃねえか。格闘・機動特化の機体とかないものかね」

「あったら俺が使っているわ」

 

 対戦準備画面であーだこーだ言い合うが、どうしてもこれというものが決まらない。

 ちなみに『打鉄‐隼』とは打鉄を射撃型に調整したマイナーチェンジ機だ。なんでも山田先生の現役時代の専用機らしい。というか専用機持ちってことは、あの人結構強かったんだな。見た目からは想像つかないけど。

 

「……あるにはあるぞ。隠し機体だそうだが」

「え、マジで?」

 

 ボソリと呟いた椛の言葉に耳を疑う。俺も弾も隠し機体があるなんて聞いたこともない。攻略サイトにも乗っていなかったはずだ。疑うのも当然だろう。

 ところが、椛は微塵の迷いも見せずに頷いた。

 

「うむ、条件がかなり厳しいから気付かぬのも仕方あるまい。ちょいと貸すがよい」

 

 よっこらしょ、とベッドから起き上がった椛にコントローラーを渡す。すると彼女は突如として猛スピードでボタンとスティックを操作し始めた。何かのコマンドなのか、一見して意味の無い滅茶苦茶な動きを見せる画面と残像が見えるほどの速度でコントローラーを操る和服少女という物凄くシュールな光景に、俺たちは呆然と見守る事しか出来ない。

 そうこうしている内に椛が最後のコマンドを入力したらしい。数十秒の内に随分と酷使されたコントローラーが返される。やたらとテンポのいい効果音と共に画面に変化が生じ……その新たに表れた機体名に、驚愕を余儀なくされた。

 

「『暮桜』だって……!?」

「んな馬鹿な……千冬さんのデータは使われていないじゃなかったのか?」

 

 弾の言う通りだ。千冬姉はあの大会で起きた事件が原因の諸事情で、このゲームにはデータが入っていない事になっていた筈だ。

 しかし、何度見ても目の前の画面は覆らない。三年前の大会で俺が食い入るように見つめていた薄桜色の鎧が、ゲーム上のデータだが確かに存在している。

 ――気付くと、俺は無意識のうちにそれを選択していた。

 

「っておい! 勝手に進めるなっつうの!」

「いやまあ、せっかくだから使ってみようかと……」

「そういう問題じゃなくてだな……というか大丈夫なのか、コレ? バグ技じゃないだろうな?」

「心配は無用であるぞ。ちゃんと開発中に組み込んだものだと聞き及んでおる」

 

 何でお前がそんな事を知っているんだとか色々と聞きたい事はあるが、今は後回しにして対戦の用意を整える。ステージは先ほどと同じアリーナ。標準的なステージで互いの純粋な技量を競うにはもってこいの舞台だ。

 

「アリッサ殿――私の友人が一応それの開発関係者でな。せっかく良いデータがあるのに使わぬのは勿体ない、ばれない様にこっそり入れてしまえと指示を出したらしい」

 

 人の心の声でも読み取ったのか、椛は勝手にこちらの聞きたい事を話し始める。

 そしてお前の友達ってまともな人はいないのか? この前に会った李さんも色々と滅茶苦茶だったし、そのアリッサさんってのもばれなきゃいいとかいう問題じゃないだろ。

 心の中で盛大にツッコミを入れているうちにロード時間が終わり、対戦が始まる。うし、取り敢えずは接近を……って速っ!? 速すぎるぞこの機体!? どんだけじゃじゃ馬なんだよ!

 

「ついでに隠し機体なら遠慮せずに色々とぶち込んでしまえと、自重を何処へと投げ捨てたようでな。おかげでその機体の性能――」

 

 ええい、こうなりゃ破れかぶれだ。手っ取り早く必殺技を当ててやる。

 弾も暮桜の常識離れしたスピードに虚を突かれていたのか、その手が操るテンペスタは棒立ち状態だ。一撃を入れるくらいなら訳もない。暮桜の専用近接ブレード『雪片』は、必殺技のエフェクトである白光を纏いながら敵を一閃し……

 

「正に、公式チートであるぞ」

 

 ――其の唯一撃のみで、HPを消滅させた。

 

「「はああああぁぁ!?」」

「うーむ、相変わらずえげつない。流石に忠実に再現しただけの事はある」

 

 驚愕の叫び声を上げる俺たちを余所に唸りを上げる椛。その落ち着き様に、理不尽を目の当たりにした俺たちは噛みつかざるを得なかった。

 

「えげつないどころじゃねえよ! 何だよアレ!? ゲームバランスが崩壊するわ!!」

「このゲームはバランスの良さが売りじゃなかったのか!? アレだけ完璧にバランスブレイカーになってるぞ!」

「私に言われても困るのだがなぁ……」

 

 思わず唾を散らしながら詰め寄る俺たちに、椛はあからさまに迷惑そうな顔をしてそう言った。

 

「幾ら高性能とはいえ、その使用可能条件が厳しすぎて誰もかれもが使える訳ではないから安心せい。正規の手段だと、確かアーケードモードの最高難易度を全試合ノーダメージでクリア、その後に現れる隠しボスを倒して出現だったか」

「な、なんつー無茶苦茶な条件……」

「じゃ、じゃあさっきお前が使ったコマンドは?」

「アレもアレで厳しいぞ。三十秒以内に二百に及ぶコマンドを打ち込まねばならぬ」

 

 ……一コマンドにつき〇・一五秒? それってもう使わせる気ないだろ。

 あまりにもあんまりな条件に、俺も弾も驚愕より呆れの方が勝ってしまった。そのアリッサさんという人は絶対に変人に違いない。というか椛の周りには本人も含めて変人しかいない気がする。そんな妙な確信を抱いてしまう程だった。

 

「まあ、ファンサービス程度に思っておけばよいのではないか? どうせ入れさせた本人も余興としか思っておらぬであろうし、あまりにも強すぎて使っていてつまらぬし」

「そんなものかね……っておい、何処か行くのか?」

 

 徐に立ち上がった椛に弾が尋ねる。それに椛は何ともないように答えた。

 

「うむ、厠を借りるぞ」

「……あのな、お前も一応女なんだから少しは恥じらいってもんを……」

「はっはっは、聞く耳持たぬ」

 

 お小言をあっさりと聞き流した椛は颯爽と部屋から出て行ってしまう。弾はしばらく扉に微妙な目を向けていたが、やがて視線を外すと大袈裟な動作で溜息を吐いた。それには諦念めいたものだけではなく、張り詰めていたものが抜けていくような感じもした。

 

「どうかしたのか? やけに疲れているようだけど」

「いや……椛の奴が相変わらずなのもそうなんだが、やっぱり自分の部屋に女子がいるっていうのは落ち着かなくてな。どうにも緊張しちまう」

「……そういうもんか?」

 

 いざ聞いてみて返って来た言葉に首を傾げてしまう。

 女子が自分の部屋にいるくらいで緊張するようなものだろうか? 俺としてはそこまで気にするような事でもないと思う。いや、流石に先月までのように一つの部屋に同居するというのなら話は別だが。一人部屋になって本当に助かった。相手が箒とはいえ、あの二か月間は精神衛生上大変よろしくなかった。

 そう取り留めのない思考を巡らせる俺に、弾は呆れかえったような目を向ける。そして再び大きな溜息をついて一言。

 

「すまん、そっち関係は小学生レベルのお前には難しい話だったな」

「よーし、もう一戦やるぞー。遠慮なくボコボコにしてやるから覚悟しとけー」

 

 誰が小学生だ、コラ。喧嘩を売っているのなら買ってやる。この暮桜の刀の錆になりやがれ。

 俺の言葉に目を剥いた弾は機体を変えろと詰め寄ってくるが、そんな事を俺が聞くと思ったか。無理矢理押し通してステージ選択に画面が移り、速攻で選択しようとしたところで機体選択に戻される。畜生め、キャンセルボタンを押されたか。

 後はもうイタチごっこである。俺が押し通せば弾がその後に無理矢理戻す、その繰り返し。お互い馬鹿みたいに罵り合いながら堂々巡りをすること十数回。唐突に響いた扉をノックする音に、俺たちはようやく不毛な争いに終止符を打つことになった。

 

「お兄、何やってんの? あんまり騒ぐとお客さんの迷惑になるよ」

 

 そう言いながら部屋に入ってきたのは弾の妹、蘭だ。名門私立女子中学校に通う、兄とは似ても似つかない優秀な子である。

 それにしても半袖のワンピースにフリル付きのニーソックスとか、蘭は自分の家の中でもちゃんとした格好をしているんだな。学園だと寮に帰るや否や無防備な服装でいる生徒が多いもんだから男としては辛いものがあった。その点、蘭はきちんとしていて助かる。名門校で生徒会長をしているだけはあるという事だろうか。

 

「そうか、そろそろ掻き入れ時か……それは兎も角、お前いくら一夏がいるからって家でそんな気合入った格好しなくても――」

「あー! お久し振りです、一夏さん! はい、これ飲み物です!!」

「お、おう……サンキュ」

 

 弾の言葉を無理やり遮るような大声を上げながら、手に持った盆に載せたコップを渡してくる蘭に若干面食らう。いったい弾が何を言おうとしたのか気になる所だが、聞かない方が良いだろう。蘭が「余計な事を言うな」という恐ろしい形相で弾を睨んでいる様子から、ここで口を開けば俺も巻き添えを喰らうに違いない。

 妹の刺々しい態度に弾は小さく肩をすくめる。これくらいは慣れっこなのだろう。大して気にした様子もなく話を変えてみせた。

 

「ところで蘭、見たところ飲み物が一つしかない訳だが、俺の分はどこにあるんだ?」

「お兄の分なんて無いわよ。代わりにお祖父ちゃんからの伝言ならあるけど。『今日は客入りが良いから厨房を手伝え』だってさ」

「……ああ、分かっていたさ。自分の妹がそんな親切な真似をする訳がないってな……悪いな、一夏。ちょいと店の方手伝ってくるわ」

「今日はこっちから急に押しかけた訳だし、それは別に構わないんだけど……お前、やっぱ変わったよな。昔は店の手伝いなんてまともにやっていなかっただろ?」

 

 微妙に哀愁漂う表情を浮かべながら腰を上げた弾に、以前から常々思っていた疑問を投げかける。それに蘭も頷いて同意を示した。

 

「一夏さんの言う通りよ。中一の夏くらいだっけ? いきなりお祖父ちゃんに料理を教えてほしいなんて言うからビックリしたもの。髪もバッサリ切っちゃったし」

 

 やっぱり妹の蘭も変に思っていたのか。友達になった当初は「店の手伝いが面倒くさい」ってぼやいていた奴が、今では厨房の手伝いを任されるようになっているんだ。俺じゃなくても奇妙に感じるよな。だらしない容姿も何時からか整えるようになって、いったいどういう風の吹き回しなのかと当時は不思議に思ったものだ。

 俺と妹から怪訝な目を向けられる弾はというと、甚だ心外だとでも言いたげに半目をしていた。バンダナで逆立たせた赤毛の短髪(・・)を掻きむしると「あのなぁ」と切り出す。

 

「俺だって何時までもガキじゃねえんだ。将来の事とかいろいろ考えているんだよ。それと、髪切ったのは料理をするのに邪魔だっただけだ」

「ふーん……そういうもんか」

「どうだか。たったそれだけの理由で、料理本とか買い漁るようになるものかしら」

 

 俺は一定の理解を示すが、蘭の方は依然として疑い気味だ。先ほどまで椛が読んでいた本や棚に並ぶそれらを胡散臭げに眺める。どうやら彼女の兄に対する信用度はあまり高くないらしい。

 ……ちょっと弾が不憫に思えてきたな。少しはフォローすべきか?

 そんな風に軽く迷っていると、蘭は椛が読んでいた『鉄人の厨房~家庭料理編~』なるものを手に取った。

 

「まあ、理由が何であれ頑張っているのは認めるけど……ッ!!?!」

 

 ツンデレっぽい事を言いながらその表紙を開いた途端、蘭が声にならぬ悲鳴を上げた。一瞬のうちに真っ赤に染め上げた顔を呆然とする俺たちに向けると、憤然とした様子で怒鳴り散らす。

 

「ここここの馬鹿お兄!! りょ、料理本の中になんてものを紛れ込ませてるのよ!?」

「はあ? いったい何を言って……」

「惚けないでよ! こんなのをベッドの上に堂々と置いておいて!」

 

 何が何だか全く分からない俺たちの眼前に、本の見開きが勢いよく突き出される。そうして見せられた中身に俺は呆気に取られ、元の持ち主である弾は全身を硬直させた。

 載っていたのは写真だ。しかし、それは本来ある筈だった料理のものではなく、着物をかなり際どいレベルで着崩した色っぽい女性のものである。そう、これは断じて料理本などではない。煩悩が尽きない青少年たちのバイブル――俗に言う、エロ本だ。

 表紙を入れ替える典型的な偽装だ。それにすっかり騙された蘭は、何の前触れもなく春画を直視してしまったと言う訳である。

 いや、問題はそこではない。これは先ほどまで椛が読んでいたものだ。そして弾の反応を見る限り、彼が隠し持っていたお宝なのだろう。そういうものには持ち主の趣味とかが如実に表れるものだ。つまり、どうやってかこのエロ本を探り当てた椛は弾の性癖が表れたそれを、あろうことか持ち主本人の目と鼻の先でじっくりと鑑賞していたという事だ。

 ……そういやあいつ、弾の顔を見るたびにニヤニヤしていたような。

 

「――あのヤロッ!!」

「あ、おい弾!」

「ちょっと一夏さん! も、もしかしてお兄とずっと二人でこんな破廉恥なものを見ていたんじゃないですよね!? そうだったら流石に怒りますよ!」

 

 俺と同じ思考に達したらしい弾は蒼くしていた顔を瞬く間に紅に染め直すという器用な真似をやってのけると、足取り荒く部屋を飛び出していった。たぶん、自分の趣味をじっくりねっとりと眺めてくれた元凶に文句でも言いに行ったのだろう。

 何か一つ言ってやらなきゃ気が済まないのは分かる。でも、あいつには何を言っても無駄だと思うぞ。どうせ飄々と躱された上でからかわれるのが目に見えている。一番被害に遭っている俺が言うんだ、間違いない。

 ――と、後を追いかけて伝えようと思ったのだが、怒り心頭の蘭が許してくれなかった。怒気と羞恥で真っ赤になった顔で詰め寄ってくる。メチャクチャ怖い。すまん、弾。俺はここまでのようだ。

 

「っていうか、椛も人の物を勝手に漁るなよ……」

「聞いているんですか、一夏さん!?」

 

 意外と手癖が悪かったらしい幼馴染に文句をこぼすと、蘭からの怒声が響く。こうなってしまっては仕方がない。素直に説教を聞きつつ、大人しくなったら事情を説明するか。誤解で兄妹仲が悪くなっても困るし。

 

 

 

 

 

「……業火野菜炒め定食お待ち」

「おお、やはり此処の看板料理なだけあって美味そうであるな。しかし弾よ、斯様な沈みようでは客足が遠のくぞ?」

「誰のせいだよ……」

 

 時刻は昼過ぎ。ピークタイムを過ぎて人が少なくなった食堂で、俺たちは遅めの昼食をいただくことにしていた。厨房から料理を運んできた弾の顔は随分と憔悴している。手伝いが忙しかったのもあるのだろうけど、どちらかというと精神的ダメージの方が大きそうだ。

 結局、弾は俺の予想通りになってしまったのだった。俺が蘭に事情を説明して誤解を解いた後、階下に様子を窺いに行くと、そこに居たのは顔を真っ赤にして肩を震わせる弾とこれ以上ないくらい愉快そうにニヤニヤとする椛。なんかもう色々と可哀そうな有様だった。

 その後にちゃんと厨房の手伝いを完遂したのは彼の意地だろう。真っ白に燃え尽きた姿を見て、俺は心の中でこの友人に敬意を表した。

 ちなみに椛は弾が手伝いをしている間、客である近所の爺さん婆さんと談笑していた。あいつは妙に年配の人と仲がいい。根っこの部分が似通っているからだろう、多分。

 

「案ずることはない。私とて、年頃の男児が色事に興味を抱くのは不可抗力だと理解しておる。和服美人、良いではないか。あの僅かに覗くうなじがたまらんな、うむ」

「もう勘弁してください……」

「ふむ? まあいい。そろそろ飯をいただくことにしようぞ」

 

 弾が血涙を流さんばかりに懇願する。それにきょとんとした顔をした椛は、恐らく自分の発言が弾を傷つけている事に無自覚だ。

 それでフォローしているつもりなのか。女子に自分の性癖に理解を示されるとか、むしろ逆効果だと思うぞ。俺だってもし千冬姉にそっち系の趣味で賛同を示されたら酷く微妙な気分になる。そこら辺の男女の機微が椛はどこかずれているようだ。

 何事もなかったように箸を口に運ぶ椛に対して、弾は暗い影を背負う。与えられたダメージは大きく、回復するまでには時間がかかりそうだ。同様に昼食をいただきながら、俺はせめて弾の未来に幸多からんことを祈り、この時ばかりは蘭も同情的な視線を向けていた。

 

「……そう言えば一夏さん。IS学園での生活、どんな感じですか? 周りが女子ばかりだと大変な事も多そうですけれど」

 

 しばらく黙々と食べていると、蘭がそう聞いてきた。

 どんな感じ、ねえ。先月は無人機に襲撃されるとか大変どころの話じゃない騒ぎもあったけど、あれは守秘義務があって話せない。当たり障りのない範囲に限ればいいか。

 

「確かに最初は針の筵みたいだったけど、二か月もすれば少しは慣れてきたかな。箒とか鈴とか元々顔を知っている奴もいるし、そんなに困ってはいないぞ」

「そっか、鈴さん帰って来たんだ。それと箒さんっていうのは……」

「私の妹だ。基本的にはお主や鈴音と同じだと考えてくれて構わん」

「へえ、そうなんですかぁ……ふふっ」

 

 あ、あれ? なんか今の蘭の笑い声に黒いものを感じたような……いや、気のせいだよな。弾が遠い目をしているのも関係ないよな。うん、次の話に行こう!

 

「そうそう、困った事と言えば男子用トイレが少な――」

 

 瞬間、両隣の椛と弾からの肘打ちが脇腹に突き刺さる。「ぐふっ!?」と呻き声を上げ、続いて後頭部に投げつけられたおたまでテーブルに撃沈。見事なまでの三連撃に俺は抵抗する間もなく黙らされた。

 

「馬鹿、飯の席での常識くらい弁えろっつうの」

「まったくだ。この阿呆が」

「おい坊主、次やったら中華鍋だからな」

「も、申し訳ありませんでした……」

 

 テーブルに突っ伏しながらも謝罪の言葉を捻りだす。今のは俺が悪い。流石に食事時に話す事じゃなかった。

 ちなみに最後のおたまを投げつけてきたのは弾と蘭の祖父にして五反田食堂の大将、厳さんである。彼は弾から投げ返されたおたまを浅黒く焼けた手で受け取ると厨房に戻っていった。俺の発言に即座に反応してくるとか、相変わらず千冬姉並の地獄耳だ。

 

「……それはともかくとして、本当に困っている事は無いんですね? その、頻繁に言い寄られたりとか」

「? よく分からんけど、特に問題ないぞ……ああ、でもあればかりは困ったなぁ」

「な、何がですか!?」

 

 ふと思い出して口にすると、蘭がずいと身を乗り出してくる。

 いったい何なんだ? そこまで大したことじゃないんだが。

 

「いや、最初の一か月半は寮の部屋に空きが無くてさ。仕方なく箒と一緒の部屋に同居して……どうしたんだ、蘭? 急に無表情になって」

「同居……一か月半も一緒の部屋に男女が……同棲……?」

 

 何やらブツブツと呟き始めた彼女からおぞましい気配を感じ取り、少しだけ身を引いてしまう。隣のお二方はと言えば「やっちまったよ、こいつ」みたいな目で俺を見るばかり。

 え? なにこれ? 俺が悪いの?

 

「……一夏さんっ!!」

「あ、はい」

「私も来年IS学園に入学するので勉強を教えて下さい!」

「はいぃっ!?」

 

 突然ガバッと顔を上げて呼ばれ無意識に丁寧な返事をし、次いで放たれた突飛な発言に驚愕させられた。今の話で何がどうなってそのような結論に至るのか全く理解できない。静観していた弾もこればかりは片眉を上げる反応を見せた。

 というか蘭の通う私立中学は大学までエスカレーターで行ける結構名の通った名門だった筈だ。IS学園を受験するという事は、そのせっかく苦労して入ったであろう学校の利点を捨てると同じ。安定志向の俺としては考えもしないことだ。

 それに学園の受験自体もそう生易しいものじゃない。いや、むしろ世界でも有数の超難関校だ。本来なら平均より少しばかり上の成績である俺が通えるところではないのは当然のこと、優秀である蘭も世界レベルの秀才が集まる場では不利かもしれない。

 別に蘭がIS学園を受験するのを止める理由も無いのだが、一応はそう説明しようとして口を開く前に遮られた。

 

「狭き門だという事は理解しています。ですが、私だって伊達に良い成績を取っている訳ではありません。今から猛勉強して絶対に合格してやります」

 

 と、どうやら決心は固いらしい。こうなってしまってはもはや俺がどうこう言える事ではない。目線で隣のご家族の方にバトンタッチをお願いすると、面倒くさそうにしながらも引き受けて下さった。

 

「んなこと言っても蘭、勉強以外にも色々と問題はあると思うぞ。例えば学費とか、国立とはいえそんなポンと払えるような額じゃないだろうし」

「うっ……お母さん、うちってどれくらいまでなら大丈夫かな?」

「そうねぇ。普通の私立くらいなら行かせられる蓄えはあるけど……一夏君、実際のところお幾らくらいかかるのかしら?」

 

 客が帰った後のテーブルを片付けていた五反田食堂の自称看板娘、蓮さんが俺に年齢を感じさせない――そもそも何歳か知らないが――素敵な笑顔を見せながら聞いてくる。

 娘さんの将来にかかわる大事な事だ。答えたいのは山々なのだが、残念ながら俺はその回答を持ち得ていなかった。

 

「あー……実はそっち関係の書類は全部千冬姉がやってしまって、俺自身は把握してないんです」

「あらそうなの? じゃあ……」

 

 そう、気付いた時には手続きの全てが終わっており、加えて物の管理が苦手な千冬姉が領収書とか控えとかを紛失してしまった後だったのだ。自分の事でどれだけの金が動いているかを知らないなんて、家計のやりくりをしてきた身として非常に情けない。通帳の残額からしてそこまでの巨額ではないと思うんだが……

 まあ、答えられないものは仕方ない。そうとなればもう一人の方に聞くまでである。視線を向けられた椛は美味そうに白米を食う手を休め、茶碗と箸を置いた。

 

「入学金、年間授業料などは国公立と私立の中程だ。しかし授業でISを扱う関係上、教材費などの諸費用が嵩む故、総計では一般的な私立高校の学費を上回ると思われる」

 

 整然とした説明を聞いて蓮さんが少々困り顔になる。私立より上となるとやや厳しいものがあるのだろう。それが分かっている蘭も同様に難しい顔をしていた。

 ところがそこで椛の説明は終わらず、彼女に一筋の光明を投げかけた。

 

「ただし、奨学金や援助制度などが充実しておるので一概には言えぬが。入試時の成績は勿論のこと、ISの適性が良ければ国からの補助も出る」

「そ、そうなんですか? それなら……」

 

 蘭は椛の言葉に希望を見出したのか、若干明るさを取り戻してポケットから何かを取り出した。見たところ何かの紙片のようだ。それを受け取った椛は「ほう」と感心したような声を上げた。

 

「簡易適性試験、判定Aか。これならば奨学金の審査も通る可能性は高いな」

「へえ、そんなの何時受けたんだ?」

「学校にそういう試験を各地で開いている政府機関の人たちが来た時よ。無料で受けられるっていうから試しにやってみたんだけど、意外といい結果で試験官の人にも褒められたの」

 

 そう得意げに蘭は胸を張る。弾はそれに対して「ふーん、良かったな」とおざなりな対応をしていたが。

 まあ、実際のところ結構いい結果だと思う。簡易とはいえ適正A、代表候補生であるセシリアと同じなのだから。本格的な試験をすれば変動する可能性もあるが、それでも高い適正には違いないだろう。

 ISの操縦は適性が全てという訳ではないが、それが高い事に越した事はない。大雑把な見積もりでは、蘭は努力次第でセシリアと同じレベルにまでたどり着ける可能性があるという訳だ。

 そう考えるとIS学園を受験するのも悪い選択ではないと思う。きっと椛も止めはしないだろうし、むしろ研究者として勧めるのではと俺は勝手に予想していた。

 

「ただ蘭よ、あまり深く考えずにIS学園を志望する事は感心できぬぞ。今しばしは選択肢の一つとして留めおいた方が良かろう」

「え?」

「へ?」

 

 しかし椛の口から出てきた言葉はその真逆、思い止まらせようとするようなものだった。

 

「な、何故ですか椛さん!? 成績だって目指せないほど悪くは……!」

「成績云々の問題ではないのだ。IS学園は操縦者養成校と銘打ってはいるが、その実は軍学校に近い。進路を強制される訳ではないとはいえ、何らかの形で必ずやお主の将来に大きな影響を与えるであろう。斯様な所に勢いのまま進学する事を勧めるなど、私には出来ぬよ」

「あ……」

 

 理由を聞けば、それは至極納得のいくものだった。確かにIS学園には一般高校とはかけ離れたカリキュラムが組まれている。防諜とか爆弾解体なんて普通は教えない。しかし、それらのスキルが必要になるのがIS操縦者であり、学園で教えられることになるのも必然なのだ。

 当然、高校生らしからぬ技術を身に付けた卒業生の進路は一般的とは言い難い。多くの者はIS関連企業に就職、成績優秀者は国家代表を目指してさらに精進していくという流れになる。ISから離れる選択肢もあるにはあるだろうが、それは非常に稀だろうし、例えば大学に進学したとしても何かしら周りとのズレ(・・)を感じる事になってしまうかもしれない。

 そういった将来的な問題を椛は懸念しているのだ。俺の周りにいるセシリアや鈴、少なくとも代表候補生はISに下手したら一生関わっていく覚悟はあるのだろう。そして多分、他の生徒の皆もそれを承知の上で入学してきている。俺や箒みたいに不可抗力で入学したのは例外にするとして、果たして蘭にその覚悟があるだろうか。

 椛が語る事の意味を理解した蘭は、先ほどまでの勢いを失って叱られた子供の様に項垂れる。これで相手が昔からよく喧嘩していた鈴だったら逆に怒り狂っていたんだろうけど、今の目の前にいるのは短いながらも仲良くしていた人だ。三年前の小学生だった蘭は椛をまるで姉のように慕っていたから、その言葉を素直に聞いたのだろう。これが人徳というやつか。

 

「別にお主が学園に入学するのを止めたいと言う訳ではない。ただ、志望するならばそれに見合う目的を持って臨むべきだと思うのだ。――夢、と言い換えても良いかもしれぬな」

「夢……ですか」

「ああ。参考までにそこの二人にでも聞いてみようか」

 

 急なふりをしてきた椛に、弾と二人そろって苦い顔をしてしまう。

 何でそこで話を振ってくるんだよ。衆人環視の中で夢を語るとか羞恥プレイに他ならないぞ。

 

「おい、何で俺たちがそんな事を……」

「グダグダ言うでない。少しは年上としての度量を見せろ。ほれ、まずは一夏坊から」

「ええー……そんなこと言われてもな……」

 

 弾の抗議を歯牙にかけず押し通す椛。答えを促されて俺は言葉に詰まってしまう。

 いや、夢って言われても……小学生の頃なら恥ずかしげもなく何かしら答えられたんだろうけどさ。

 

「正直なところ今の事でいっぱいいっぱいで、先の事を考えている余裕が無いんだよな……まあ、どうせISに関わっていく事には違いないんだろうけど」

「つまらん奴め。その様ではいい様に飼い殺される羽目になりかねぬぞ」

「うーん……一夏君はもう少し真面目に考えた方が良いんじゃないかしら」

「おい坊主、てめえも男ならシャキッとしやがれ」

「よし、次」

 

 以上、椛、蓮さん、厳さんからの評価でした。とても辛口で心が折れそうです。というか厳さん、あなたはいつの間に厨房から出てきたんですか。

 精神的に叩きのめされた俺を放置して、皆の視線は次の標的たる弾へと移る。それを受けて彼は若干気圧されたように「うっ……」と椅子ごと後ずさる。先にやられた身としては同じように共倒れとなって欲しいものだ、と胸中でささやかな希望を述べておいた。

 

「……俺は高校を出たら専門学校に行って、調理資格を取得してこの食堂を継ぐつもりだ。何か文句あるかよ」

「いや……文句はないが、何と言うか、面白みに欠けるな」

「将来をちゃんと考えてくれているのは嬉しいのだけど、もう少し冒険心とかがあってもいいかなって」

「弾、そこは別嬪の嫁さん貰うとか気の利いたこと言えねえのか。あと、簡単に店は継がせねえからな」

「アンタらは俺に何を期待しているんだ!?」

 

 色々と好き勝手な事を言うお三方に弾は頭を抱えてしまう。真面目に答えたのに散々な扱いを受け、打たれ強さが売りの彼もついに白旗を上げてしまった。結局は俺と似たような有様である。

 ……でも、こいつは俺と違ってちゃんと将来の事も考えているんだな。初めて会った時のちゃらんぽらんさは何処に行ったのやら。鈴も何時の間にやら代表候補生なんかになっているし、何だか一人だけ置いてかれているような気がする。

 中学の同級生たちが先への展望を持つ中で、俺だけが周りに流されるばかりになっている。その事に寂しさとも焦りとも感じられる奇妙な心待ちでいると、ふと昔からまるで変わらない幼馴染にも聞いてみたくなった。

 

「なあ椛、お前にも何か夢ってあったりするのか?」

「む、私か?」

「あ、それはちょっと私も気になります」

「人に根掘り葉掘り聞いておいて、一人だけはぐらかすんじゃねえぞ」

 

 俺の疑問に弾と蘭も喰い付いてくる。特に弾は少々恨めし気で、それを見て椛は苦笑を漏らした。

 

「そう気を立てずとも答えるよ。別段、隠す事でもない」

 

 あくまで自然体。普段となんら変わらない様子で……いや、何時もより少しだけ子供っぽいというか、年相応に見える混じり気のない笑顔を浮かべながら、椛は言った。

 

「――せめて外宇宙まで行くのを見届けたい。今生は、そう思っておるよ」

 

 まあ、こいつの夢がまともなものである訳がないのは当然であって、恥ずかしい真似をして分かったのは、揃いも揃って蘭の役には立ちそうもないという事だけだったのである。

 ……でも、二人はどんな形であれ何かしら将来を考えていた。それが少しだけ引っかかる。

 今はまだ大丈夫だ。あと三年はIS学園にいれば良い。けど、その後は? 俺には自分がどうなっていくのか、どうしたいのかまるで分からない。身の振り方という奴を、俺もこれからは考えていかなくちゃいけないのかもしれない。

 三人でお互い役に立たないとこき下ろしあいながら、心の内で何となくそう思った。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「今日は付き合わせて悪かったな、鷹月。だが、おかげで助かった」

「ううん。私としてもいい訓練になったし、篠ノ之さんが気にすることはないよ」

 

 アリーナから寮へと向かう道すがら、沈む夕日の光を浴びながら今日一日の訓練に協力してくれたクラスメイトに感謝の言葉を述べる。それに彼女は大したことではないと言うが、私はそんな事はないと思う。堂々巡りになりそうなので言わないけれど。

 彼女は鷹月 静寐。私や一夏と同じ一年一組のクラスメイトで、少し前からは私のルームメイトでもある。性格は真面目で仕切り上手。だからと言って堅物ではなく、むしろ物腰が柔らかな出来た人物である。彼女の為人を知ってからは、度々一夏と事務面だけでもクラス代表を交代した方が良いのではないかと思うくらいだ。

 今日、彼女と訓練を共にしたのは偶然の結果だ。早朝、椛と話した後に寮の自室に戻って朝食の後にそのまま訓練に向かうための準備をしていると、たまたま鷹月も訓練機の申請が通っていたことが判明。布仏や相川といった普段一緒に訓練している友人も、今日は外出していて学園に居ない。なら一緒にやろうかと誘ってくれたので、その提案に乗らせてもらったのだ。

 おかげで模擬戦形式の訓練ができてとても有意義な一日だった……同時に、今まで自分たちがどれだけ無茶苦茶やっていたかを理解させられたりもしたが。

 

「……なあ、鷹月」

「ん? どうかしたの?」

「今更かもしれないし、お前だけに言うのも間違っているかもしれないが……一夏との訓練中に迷惑を掛けていたみたいで、悪かった」

「…………」

 

 一夏やセシリア、鈴と一緒ではない訓練をして分かった。私たちの目に入っていなかっただけで、この学園にはISをもっと上手く扱えるようになろうと精いっぱい努力している人が沢山いる。そんな彼女たちにとって、プライベートな事を訓練の場にまで持ち込んで騒ぐ私たちはさぞ迷惑な存在だったろう。

 惰性の塊、傍若無人、全て千冬さんの言っていた通りだ。そして、その事を遅まきにしか理解できなかった私はどれ程周りが見えていなかったのか。訓練中にそう気付かされて、何度も何度も謝ろうと思っていた。

 

「許してくれとは言わないし、そもそもお前はどう思っているのかさえ私は知らない。でも、これだけは言わせてくれ」

 

 だが、全くそれを気にしているような様子を見せない鷹月に言い出すことが出来なくて、せっかく良いルームメイトになれそうな彼女との関係に罅を入れてしまうのではないかと臆病な私は口を噤んでしまった。

 ……でも、それもここまでだ。

 本当に良いルームメイトに、友達になりたいなら、私は此処で黙ったまま終わらせることなど許されない。誠心誠意を尽くしてこそ……今までの間、度重なる転居を理由に避けてきたそれを為してこそ、良き関係は作られるのだ。

 自分自身に誓ったではないか。自らの望みが分かるようになるまで強くなるのだと。なら、今ここで逃げるわけにはいかない。

 

「同じ過ちは二度としない。それを言葉ではなく、行動で証明してみせる。だから、これからの私を見ていてはくれないか?」

「…………ふふっ」

「な、なんだ?」

 

 頭を下げた所に降って掛かってきた笑い声に困惑する。てっきり今までの私の行動から懐疑的な顔をされるか、鷹月自身は苦情の件に何も関わっていなくて不思議そうにされるかのどちらかだと思っていただけに、余計に彼女が何を笑っているのか分からない。

 クスクスと声を漏らす相手を前にしどろもどろになっていると、笑いを収めた鷹月が目尻を拭った。いったい何がそんなに可笑しかったんだ。

 

「ふふ、ごめんなさいね。篠ノ之さんがこんな真正面からぶつかってくるとは思っていなかったから、つい」

「……その言い方からすると、苦情の件については少なからず知っているみたいだな。お前だけに謝罪する訳ではないが、本当にすまなかった」

「まあ知っていたというか、織斑先生に貴方たちへ注意するようお願いしたの、私だしね」

「は?」

 

 苦情の申し立てをしたのが鷹月? ……いや、確かに規律の維持に努めるような性格ではあるが、ならば何故笑っていられるんだ。普通なら、文句の一つや二つは言ってくるものなんじゃないのか?

 

「先輩たちの間でも噂になっていたみたいで、流石にそろそろ不味いかと思って織斑先生にお願いしたんだけど……ちょっと厳しめに言われちゃったみたいね。ごめんなさい」

「い、いや。そこで謝られると逆にこっちが困るんだが……お前は怒っていないのか? 問題だとは感じていたんだろう?」

「そうね。困った人たちだとは思っていたけど……」

 

 鷹月がふわりと微笑む。夕日に照らされた小さな笑みを向けながら、彼女は私に言った。

 

「――貴方たちが、言えばちゃんとわかってくれるっていう事も知っていたから。ほら、現に篠ノ之さんは謝ってくれたでしょ。だから私は、もう怒ってなんかいないよ」

「……何というか、大した奴だな。お前は」

「お褒めに預かり光栄、とでも言っておきましょうか」

 

 その眩しささえ感じられる笑顔に、つられて私も頬を緩める。そうする以外に他が無かった。

 どうやら彼女は私が思っていたより遥かに出来た人間だったようだ。感情に任せるのではなく、理を以て事を為し、お人好しとさえも言える寛容さで受け入れる。その優しさと厳しさを兼ね備えた精神に、どことなく雪子叔母さんに通じるものを感じた。

 まったく、会いに行くのを断ったその日に、ルームメイトにその面影を見出すことになるとは。これも何かの縁なのだろうか。

 

「私以外にも不満気な子たちも確かにいたけど、別に謝りに回るような必要はないと思うよ。正直、どっちもどっちな感じだし」

「どっちもどっちとは?」

「飽きもせずにまたトトカルチョやっているのよ。『織斑君を獲得するのは果たして誰か』ってね。ちなみに元締めは清香。流石に金銭は賭けてはいないけど、どうしてうちの学生はギャンブラー気質の人が多いのかしら」

「……それはまた」

 

 鷹月の話す内容に驚き呆れながら寮への道を歩いていく。ちょうど校門が見える位置に差し掛かったところで、彼女は「まあ、そんな感じだから」と言ってこちらに振り返る。

 

「そこまで重く考える事はないと思うよ。先輩たちだってそこまで気にしているみたいじゃないようだし、それこそこれから挽回していけばいいんじゃないかな」

「そうか……うん、そうだな」

「それでいいのよ。私だってルームメイトが何時までも辛気臭かったら嫌だし。いつも通りの、ちょっと騒がしい貴方たちでいてちょうだい。こっちが羨ましく思えるくらいのね」

 

 背中を押してくれるような鷹月の言葉に、ふと疑問を覚えた。

 羨ましい? 騒がしくしているのは確かだが、そこに何を羨ましがるのだろうか。

 私の目から疑問の色を感じ取ったのだろう。彼女は苦笑染みたものを浮かべて言葉を続けた。

 

「一人の男の子に、そんなに夢中になった事なんて私は無いから。あーあ、私にも素敵な出会いがあったらいいのになぁ」

「ああ、なるほど……お前なら引く手数多だったのではないのか?」

「中学は女子校だったし、小学校の時は普通そういうのは意識しないしね。残念ながら」

 

 その言い分からすると私が普通ではないみたいじゃないか。小学一年の頃からだぞ。

 ……普通ではない、のか? 家族親戚揃って超人変人ばかりだから意識していなかったが、鷹月の話を聞いていたら不安になってきたぞ。私も結局は変人一家の一員という事か? いやいや、そんなはずは……

 

「うーん……しかし……いや、でも……」

「篠ノ之さん? どうかしたの?」

「はっ!? い、いや大丈夫だ。少し考え事をしてしまっていた」

「そう? ならいいけど……ま、今後も織斑君との訓練、頑張ってね。訓練自体は悪いことじゃないし、距離を縮めたいから一緒にやるっていうのも分からなくはないし。節度を守ればいいと思うよ」

 

 それは励ましの意味を込めての言葉だったのだろう。純粋に私の恋心を後押ししようと思っての発言だったのだろう。

 だが、私はもう既に決断していた。今日一日悩んでいたが、鷹月と話しているうちに決心がついた。

 

「鷹月、気持ちは嬉しいが私は……」

「あ、あれ織斑君じゃない? おーい! 織斑くーん!」

「しばら……く…………はぁ」

 

 その意志を伝えようとして、間が悪いとしか言いようのないあいつの登場に遮られる羽目になった。いつも通りと言えばいつも通りな展開に、つい溜息を吐いてしまう。

 校門の方からやって来た私服姿の一夏は、鷹月の呼び声に気付いてこちらに向かってくる。外出先で何をしていたのか、どうにも足腰に疲れが溜まっている事が歩き方から感じ取れた。

 

「よう、箒に鷹月さん。なんか珍しい組み合わせだな」

「確かにそうかもしれないが、今後はそう珍しくなくなるだろう。なにせルームメイトになったのだからな」

「ああ、箒が移ったの鷹月さんと同じ部屋だったのか。鷹月さん、こいつたまによく分からない事で怒ったりもするけど、決して悪い奴じゃないんで仲良くしてやってください」

「……お前は私の母親か?」

「生意気言ってスンマセン」

 

 帰ってきて早々に余計な事を言う奴に一睨みきかしてやると速攻で頭を下げた。

 そうするのなら最初からやるな。見ろ、鷹月も呆れて苦笑いを浮かべているではないか。

 

「あはは……そういえば織斑君、今日は外出していたんだね。何しに行って来たの?」

「ちょっと家の片づけにな。千冬姉のサマースーツとかも出してきたけど、思っていたより散らかって無くて助かったよ」

「その割には帰りが遅かったようだが……他にも何かしてきたのか?」

「ああ、椛も誘って友達のところ行って来たんだ」

 

 ……よし、落ち着くんだ、私。ここで声を荒げてはいけない。どうしてそこに椛が出てくるんだとか色々と聞きたい事はあるが、事態を正確に理解するためには冷静さを保たなければ。

 心の平静のために深呼吸を一つ。何やら怪訝そうな視線を感じるが気にしない。

 

「なに深呼吸してるんだ、お前?」

「気にするな。それより、どういう経緯で椛を誘ったんだ」

「その友達が、あいつとも仲が良かったからだよ」

 

 一夏が話すところによると、その友達――男友達らしい――は中学時代に知り合ったもので、一応は同じ中学に通っていた椛とも親交があったそうだ。鈴も加えた四人でよくつるんでいたらしい。

 そういった事もあって、その友達の実家である食堂に顔を出しに行くに当たり、同じく外出していると聞き及んでいた椛も誘ったと言う訳だ。その際に雪子叔母さんとも会ったそうだが、どうやら相変わらずマイペースな人のようだ。いつもにこにこ笑っていたり、時折よく分からない事を言うのも変わっていなかったそうな。

 その後、昼食をご馳走になり、三人で街に出歩きゲーセンとかで遊んできたらしい。エアホッケー対戦は椛が全戦全勝の無双状態だったとか。あいつの反射神経とかを考慮すれば妥当な結果だと思う。

 …………何というか、普通の高校生らしいことをしているな。私にはあまり縁がなさそうな話だ。

 

「へえ、椛さんって普通に学校行っていたんだ。あまり想像できないなぁ」

「忙しい時は公欠とかもしていたけど、授業にもちゃんと出ていたぞ。まあ、中一の最後に色々あったらしくて中退しちまったんだけど」

「……それは兎も角として、だ。その椛はどうしたんだ? 一緒にいたのなら帰りも同じなのが筋だろう」

 

 行き着く場所が同じである以上、わざわざ帰り道を別々にする必要などない。それなのにこの場に椛がいないという事は、あいつは何か別の用事があってまだ帰っていないのだろうか。

 そう予測しながら聞いてみたのだが、一夏は何故か顔を引き攣らせた。

 

「あー……それはだな、ちょっと俺には荷の重い帰り方だったというか……」

「は?」

「どういう事……って、あら?」

 

 突然、訳の分からない事を言い始めた一夏に、鷹月と共に首を傾げる。

 だがそれと同時に、鷹月は何事かに気付いたようだ。不思議そうな顔をしてあたりを見回す。

 

「ねえ、何か変な音が聞こえない?」

 

 言われてみて耳を澄ませると、確かに風に乗って耳慣れぬ音が聞こえてきた。

 ……いや、耳慣れはしないが、聞き覚えが無いわけではない。徐々に大きくなってくる一定のリズムで響くこの音を、自分はどこかで聞いている。そう、あれはまだ小学生の頃に……

 

「これは……馬蹄の音?」

「噂をすれば影か……」

 

 げんなりとした様子で呟く一夏。その理由を問うことは出来なかった。いや、聞く必要が無かった。

 次の瞬間、もはや爆音とまで言えるほどに大きくなっていた音の正体が現れた。校門から盛大に土煙を上げながら入ってくる巨大な黒い影。それは迷うことなくこちらに駆けて来る。

 私は驚き呆れ、鷹月は衝撃のあまりポカンとする。近づいてくるそれの全貌が分かるようになった時、彼女はようやく口を開いた。

 

「せ、世紀末覇者……!?」

 

 うむ、気持ちは分からんでもない。アレは相当にデカいからな。

 迫る黒い影――黒毛の巨馬は、その上に乗る者が手綱を引くことで私たちの目の前に止まる。その威容に後ずさる一夏を、息をする事さえ忘れていそうな鷹月を、そして言いようのない懐かしさを感じている私を前にして、巨馬の乗り手は声を上げた。

 

「それ見ろ一夏坊、帰る時間に大差など無かったではないか! 鉄仙に乗ってゆけば交通費を無駄にせずに済んだものを!」

「そういう問題じゃねえんだよ! そいつに小一時間以上乗って帰るなんて俺には無理だ! 絶対に途中で振り落とされるに決まっている!」

「…………(パクパク)」

「……二人とも、事情はよく知らんが落ち着いてくれ。鷹月が話についていけていない」

 

 口を開け閉めするばかりの約一名を見かねて、よく分からんことで言い争う二人の間に割って入る。近くに来た私を見た鉄仙がガンを付けてきたので、睨み返してやると鼻息をついてそっぽを向かれた。……このやり取りも、懐かしいものだな。

 それと同時にちょっと安心もしていた。やっぱり私は、椛の奴に比べたら普通の方だ。こんなじゃじゃ馬を易々と乗りこなす奴の方が変なのだ。恋をした時期など可愛いものだろう。

 

「む、仕方があるまい。私は鉄仙を馬術部の方に預けてくるとしよう」

「「ああ、是非そうしてくれ」」

 

 どこか残念そうな椛に、一夏と揃って言い放つ。

 そいつは下手な猛獣より狂暴なんだ。私でさえ辛うじて乗れるくらいだというのに、もし誤って鷹月が近づきでもしたらどうするんだ。髪の毛を毟り取られるぞ。

 手綱を操って方向を変える椛。そのまま走り去るのかと思っていたら、ふと何かを思い出したかのように私の方に顔を向けた。

 

「おお、そうだ。箒よ、先に頼まれ物を渡しておくぞ」

 

 そう言って腰に帯びていたものを投げて寄越してくる。受け取ったそれ――居合刀を鞘から僅かに抜いて確認すると、その刀身を夕日が照らした。

 見覚えがある。うちに有ったものでも特に上等な奴だ。

 私が鍛錬に使うには勿体ない代物を渡され、戸惑いのせいで言葉が口から出なかった。ところが椛はそんな事はお構いなしと言った様子で、呆ける私に向けて言った。

 

「ではな。精進を怠るでないぞ」

「……ま、待て!」

 

 そのまま手綱を振り上げようとした彼女を咄嗟に呼び止めた。ほとんど無意識でやった事だった。呼び止めはしたものの、まごついてしまって「どうした?」と首を傾げられる。

 今更な自覚かもしれないが、私はこいつが苦手だ。上の姉ほどではないが度々突飛な事をやらかすし、人の努力の結果を一足飛びに通り越していくような武術の才には嫉妬も覚えている。素っ気無いように見えて実際はお人好しなので、なお性質が悪い。

 嫌悪している訳ではない。ただ、どこか納得できないものを感じているのも確かだ。このしこりが解消されない限り、私と椛が昔のような関係に戻る事は無いのだろう。

 だが、例えそうだとしても、一応はこちらの頼みを聞いてもらったのだ。

 ……お礼ぐらいは、言ってもいいだろう。

 

「…………持ってきてくれて、助かった。あ、ありがとう」

「くく、礼には及ばぬ。――ハイヤァ!!」

 

 目線も合わせずに言った言葉は尻すぼみになってしまったが、それでも椛の耳にはちゃんと届いたらしい。忍び笑いを一つ漏らすと、彼女は短い返答をして今度こそ手綱を振り上げる。無駄に勇ましい掛け声で鉄仙を嗾けると、来た時と同じように猛スピードで去っていった。

 あっという間にその姿が校舎の影に消えていった後に、終始硬直していたままだった鷹月がようやく再起動を果たした。

 

「す、凄い馬だったね……」

「あの馬、蹴ってくるから下手に近づかない方が良いぞ。鷹月さんも気を付けてな」

「というか馬術部の方で対応できるのか? 手に負えないと思うのだが……まあ、どうでもいいか」

 

 暴れ馬の世話を誰がやるのかとか、そもそも勝手に馬を持ち込んで良かったのかとか、というか人工浮島の学園までどうやって連れてきたとか色々と突っ込みどころがありはしたが、どうでもいいと切って捨てる。

 ――それよりも今は言わなければならない事がある。

 

「一夏、少し話すことがある」

「ん? 何だ?」

「今度からの訓練の話なんだが……」

 

 抵抗は感じている。だが、こうでもしないと私は変わっていけないと思うから。

 鷹月には気を遣わせておいて悪い真似をすることになるかもしれないが、許して欲しい。私はもう立ち止まっているのは嫌なのだ。この胸中に渦巻く曇りを晴らすために、前に進むと決めたのだ。

 だから彼に言おう。私にとっての、一つのけじめを。

 

 

「私は、お前とは別にやらせてもらう」

 

 

 


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