IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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今話より原作第二巻に突入。ええ、やっと第二巻です。
あと一か月ちょっとで執筆開始してから一年なんですよねぇ。それでまだ二巻とか……うん、何かすみません。



第十七話 我が故郷

「八四六、八四七、八四八……」

 

 六月初頭、段々と湿気が出始めてくる季節。もうしばらくすれば梅雨前線が到来し、憂鬱な梅雨空が続く予感がするそんな頃。

 休日の早朝、寮の裏手で木刀を振るう。芯に鉛を仕込んだ特注のそれは私の体に負荷をかけ、一振りごとに汗を散らす。程度は違えど、物心ついた時から繰り返してきた日課の鍛錬であるその動きに淀みは無い。

 

「九六六、九六七、九六八……」

 

 しかし、内面は無心には程遠かった。燻る感情がほんの少し、切っ先を鈍らせる。

 心中を占めるのは先月のクラス代表戦の時のこと。椛も先生も、セシリアさえ事態の解決のために自分の為すべきことに全力を尽くしていた中で、私だけが何もせずに見ている事しか出来なかった。それに耐えられなくて、せめて戦う一夏に声援を届けるために飛び出した。

 愚行だった。紛れもなく、否定のしようもないほどに。どれほど危険な事をしようとしているのか分かっていた筈なのに、それでも進もうとする自分を止められなかった。物語なら聞こえのいい話だっただろうが、これは現実だ。私の行いは誰にとっても害悪に他ならないものだった。

 そして侵入者に砲口を向けられた私は塵も残さずに消える筈だった。そうならなかったのは見た事が無いほどに必死の形相をした双子の姉が割って入ってきたからだ。どうやら隠し持っていたらしい専用機――後日になってセシリアに問い詰められていた――から放たれた蒼白い粒子が防壁となり、私の身を脅威から守り通した。そのまま侵入者に突貫し、容赦なく一刀両断して騒動は終焉を迎えた。

 

「――千っ!」

 

 規定の回数を成し遂げ、ふうと一息つく。体を動かしたおかげか、少しだけ気分が晴れたような気がした。

 ……それにしても、あいつは如何して変わらずにいられるのだろう。

 自分は姉として有ろう。私の目の前に飛び込んできたときに椛が言い放った言葉を思い出し、なんとなしに考えに耽る。

 正直なところ、椛はもう私に愛想を尽かしていてもおかしくないと思っていた。再会してから今までに私が椛に対してとってきた対応は、つっけんどんで非友好的なものばかり。時には喧嘩を売るような言葉も吐いていたと思う。もしかしたら、そんな私から椛が離れていくのを無意識のうちに望んでいたのかもしれない。

 しかし、椛は変わらなかった。躊躇なくその身を危険にさらして私を守ってみせたその背中は、幼い頃から羨み、憧れてきたそれと何も変わっていなかった。

 椛はきっと今でも私に家族としての愛情を向けてくれているのだろう。それに私はどう応えるべきなのか?

 いや、そもそも私は何がしたいのだろう? 椛と仲直りしたいのか、突き放したいのか……孤独の中で支えとしてきた一夏への恋慕の情さえも、考えてみると酷く曖昧なものに思えてくる。そういう男女の関係になりたいという幼い頃からの願望が、時を経て変質したただの妄執ではないのか。

 漠然とした予感に不安が鎌首をもたげる。そんな筈はないと頭を振り頭から疑念を追い払うが、気分は一転して曇りとなっていた。流した汗により道着が肌に張り付いて気持ちが悪い。

 

「……自分の望みも分からないようでは弱くて当然、か」

「精が出るな」

 

 自分にしか聞こえないような声で呟いた直後、唐突にかけられた別人の声に思わず身を固くする。気付かないうちに人が近くまで来ていたからではない。その声が今まさに考えていた人の声だったからだ。

 

「も、椛か。何か用か?」

「まあな。ほれ、差し入れだ」

 

 放られたものを片手で受け取る。スポーツドリンクのペットボトルだ。水分補給は自室に戻ってからしようと思っていたのだが、差し入れと言うのならありがたく頂こう。簡単な礼を言って一口飲み、のどを潤す。

 椛の姿を改めて見ると、普段の制服とは違う気楽な恰好をしている。簡素な小袖一枚を軽く着崩し、裸足に草履という何時かの時代の庶民のような服装だ。それを違和感なく着こなしているのは流石といった所か。

 少なくとも学園内をうろつくような恰好ではないだろう。事務的な声で私は聞いてみた。

 

「どこかに外出でもするのか?」

「叔母上に顔を出そうかと思ってな。神社の管理をお願いしている以上は訪ねぬわけにはいくまい。まあ、あの人の事だから笑って流しそうではあるが」

「そうか。雪子叔母さんに……」

 

 確かに叔母さんならそうするだろう。悪い事をしてもあまり叱らないで本人の反省に任せるような人だ。

 

「そのついでに実家の整理もしてこようと思っておるのだが……その、なんだ、お主も来るか?」

 

 こちらの気を窺うような遠慮気味な誘い。それに内心動揺する。微妙な距離感を保ってきた今迄からすれば、二人でどこかに行こうなんて思いもよらない。ああ、そうか。椛は停滞する事を止めたのだろう。どんな心境の変化があったかは知らないが、私たちの関係を変えようと思い立ったのだ。

 

「……私は…………」

 

 だが、それに対する答えを私は持ち合わせていない。自分がどうしたいかもわからない私に、その差し出された手を取る資格があるのか? その選択をすることが、本当に良い結果につながるのか?

 疑念が渦巻き椛と向き合う事を躊躇わせる。それを振り払えないから、私は椛よりも弱いのかもしれない。剣でもISでも、心でも。何となくそんな気がした。

 

「私は、いい。今日は訓練機の予約も入れているから、叔母さんに会いに行くのはまた今度にさせてもらう」

「そうか。ならば仕方あるまい。時間を取らせて悪かったな」

「――ただ、もしよければだが」

「?」

 

 私の返答をある程度予測していたのか、僅かに苦笑を浮かべただけで去ろうとする椛。その背中を呼び止める。

 弱い私に差し延ばされた手を取る勇気はない。でも、何時までもそこで立ち止まっているのは嫌だから。

 

「実家に置いてある居合刀、持ってきてくれないか? 引っ越して以来、真剣を使った鍛錬をしていないから勘を取り戻しておきたい」

 

 ほんの少しずつでも、私も前に進もう。

 

「……ふふ、お安い御用だ。帰りを楽しみにしておるがよい」

「人を玩具を待ちわびる子供の様に言うな……まあ、頼んだぞ」

「ああ。ではな」

 

 後ろ手を振って椛は去っていく。その顔に浮かぶのは苦笑ではなく、確かな微笑みであったと思う。

 ……私も行くか。せっかく借りた訓練機だ。時間は有効に使わなければ勿体ない。それに今日は一夏がいない分、自分の訓練に集中できる。今月の学年別トーナメントで無様を晒さないためにも、少しでも技術を向上できるよう努力しなければ。

 

 ――私は弱い。ならば強くなろう。望みが分からなければ、分かるまで求め続けよう。不器用な私には、それくらいしか思い浮かばないのだから。

 

 もらったドリンクをまた一口飲みながら、椛が去った方向とは逆の方に歩きはじめる。

心中の曇りは消えていない。だが、そこには今までには無かった切れ間が見えたような気がした。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 篠ノ之神社は都市部から離れた郊外、有体に言ってしまえば少々田舎臭い所に位置する。別に寂れているとかそういう訳ではないのだが、IS学園から電車で一時間弱の距離にしては人々の喧騒は少ない。神社に向かって駅から離れていけば、それは尚更だ。

 閑静な住宅街に足を進めながら、かつての思い出に浸る。今では見る影も無いが、幾度も最寄りの農村との行き来に使った参道の道なりには違いない。心なしか感傷的な気分にもなろう。

 ……しかし、斯様な時に限って邪魔とは入るもの。今の私は唐突に連絡を入れてきた無粋者の応対を強いられていた。

 

『ねえ、何でいっくんの護衛を会長さんたちに任せちゃったのさ? 別に束さんたちの方でもなんとかできることじゃない。つかず離れず気付かれないように四人も配置する必要なんてないよ』

「更識にとって要人警護は得意中の得意。餅は餅屋に任せるのが筋というものであろう。結局は力押ししか出来ぬ我らより余程適役よ。と言うか、どうやって護衛の配置を把握したか言ってみよ」

『え? お手製人工衛星でいっくんを観察してたら見つけたんだけど』

「言わんこっちゃない」

 

 深々と溜息をつく。この馬鹿姉者、どうしてくれようか。

 ――一夏坊が唯一の男性操縦者と発覚してから約三か月。世の中もようやく落ち着きを見せ、外出してもマスコミに囲まれるようなことはなかろうと判断され、学園外に出る事を許可された一夏坊は現在、入学してから放置したままの家の整理に向かっておる筈だ。

 とはいえ、どこぞの輩に身柄を狙われたものか分かったものではない状況には変わらぬ。なれば護衛を付けるのは至極当然の事であり、其の役目を学園の守護を担う更識の手の者が務めるのも必然である。本人に気取られず警護しておることから、その実力も推して計るべしであろう。

 されど、この身内同士の関係に終始したがる阿呆は不満があるそうな。しかも至極個人的な理由からである。斯様な駄々に付き合ってやる義理などありはせぬ。早急に切って捨てるのが上策か。

 

「我儘もいい加減にせい。先月の件があって尚も懲りぬのか」

『うっ……た、確かに三食そうめんはもう嫌だけど……』

 

 貧乏生活を強いられていた頃の記憶が蘇り、姉者が怯む。

 夏の盛りでもないのに素麺一色の食事は中々辛いものがあったようである。それに付き合ったクロエは素直に偉いと思う。私であったら家出しておる。

 

「ならば大人しくしておれ。人並みの食生活を失いたくなければな」

『むー……分かりましたー。大人しくしてますー。暇つぶしに椛ちゃんの観察でもしてますー』

「おい」

『あ、次の曲がり角を右ね。そしてゴーストレート!』

「…………」

 

 電話の向こうで上がる実に楽しげな声に青筋が浮かぶ。恐らくは一夏坊を観察していた人工衛星を私の方に差し向けたのであろう。そしてゲーム感覚で指示を出している訳だ。

 ゆらりと視線を上空に向ける。其処にあるのは蒼空。人工衛星の影など欠片も見えはせぬ。

 

「其処か」

『うひいっ!?』

 

 だが、それは人の視力でのこと。相棒の力を借りれば軌道上の監視者を捕捉する事など造作もない。

 

「あまり人をからかうでないぞ。度が過ぎれば其の玩具――」

 

 目を細め睨みつける。遥か上空にある人工衛星のレンズ部分、それを介して此方を観察しておる姉者を。一息つき、やや殺気を込めた一言を放った。

 

「――墜とすぞ?」

『あわわ……! じゃ、じゃあね椛ちゃん! 叔母さんによろしく!』

 

 ブツンと逃げるように通話を切った姉者に鼻息を一つ鳴らし、携帯を懐にしまう。同時にハイパーセンサーのみを限定的に使用していた曙も休止させる。本調子でないのに些末な事で使わせるでないわ。

 

「まったく……よろしく等と言わず、自ら会いに行けばよかろうに」

 

 ブツブツと文句を並べながら足を進めると、さほど時間もかからずに目的地の小高い丘と百数十段ほどの石階段、そして「篠ノ之神社」と銘打たれた朱の鳥居が目に入る。

 元がなんちゃって神社であることを知っておる身としては少しばかり可笑しな気分にもなるのだが、此の地に住まう者たちがそう認めておるのであれば構うまい。奇天烈女が始めたものでも四百年経てば立派な神社になるのだなぁ、と思うだけである。

 鳥居をくぐり、古びてはいるが手入れの行き届いた石階段を上る。すると、先の方より誰かが掃き掃除をする音が聞こえてきた。

 丁度良いと思いつつ残り数段を上りきる。視界が開け、そこそこ大きい敷地の境内を清める女性を見つける。鼻唄など歌いつつ務めておった向こうもこちらに気付いたのか、「あら」と言いつつ満面の笑みを浮かべた。

 

「御帰り椛ちゃん。叔母さん、楽しみにし過ぎて二時間も前からお掃除してたのよ」

「……叔母上、張り切り過ぎではあるまいか?」

 

 道理で階段に落ち葉の一つも無い筈である。妙に納得しつつ、同時に溜息をつく。そんな私に叔母上、篠ノ之 雪子はまた朗らかに笑うのであった。

 

 

 

 

 

「忝い、叔母上。部屋の片づけ程度、一人でやろうと思っておったのだが、結局は手伝わせてしまった」

 

 本殿の裏にある居住空間の客間、其処で一通りの用事を済ませた私と叔母上は茶を飲んでいた。三年前に出て行った家とはいえ、当時は諸事情あって随分と慌ただしい転居であったので、必要最低限の処分だけして後は放置同然。故に午前中いっぱいは時間がかかると予想しておったのだが、叔母上のご厚意によりこうして早くに終わらせ、一息つくことと相成った。

 

「いいのいいの。私が勝手に手伝ったんだから。それに子供が変に遠慮しちゃダメよ? 椛ちゃんは小さい頃から手がかからない子だったけど、いい子過ぎると逆にこっちが寂しくなっちゃうわ。少しは構わせちょうだい」

「ふふ……承知いたした」

 

 叔母上の純粋な好意に私も頬を緩める。だが、嬉しさと同等に申し訳なさも感じている。叔母上は私を手のかからない子と評してはいるが、この神社の管理を任せていること自体、己の愚にもつかぬ我儘なのだから。

 いい加減身を隠さねば危ういと判断し、一家離散の選択をしたのが六年前。それから三年は囮として一人留まった私が神社の管理を行ってきた。しかし、其処に降って掛かったのが第二回モンドグロッソでの事件と私の負傷。己の浅慮の結果を一夏坊に背負わせるわけにはいかぬ、と姿をくらますことにした私の後任として来てくれたのが叔母上だ。

 気楽な独り身で世界を放浪しておった叔母上を縛り付ける事になったのはもとより、IS開発者の身内として迷惑を被る事もあったはずだ。可能な限り禍根を断ってから去りはしたものの、其の手合いが完全に消えたとは到底思えぬ。

 故に如何しても後ろめたさからは逃れられぬ。平静を装いながらも、心の内は陰り気味であった。

 

「……もう。椛ちゃんは本当に不器用ね」

「む……」

「大方、私に迷惑かけて申し訳ないとか思っているんでしょう? 言わなくても、その眼を見れば分かるわ」

「むむむ……」

 

 しかし、斯様な私の心情は叔母上には筒抜けであったようだ。

 迂闊。叔母上が千冬殿以上の読心術の使い手であった事を失念しておったわ。

 

「それが変に遠慮しているってことなの。いい? 叔母さんはこれっぽっちも迷惑だなんて思っていません。むしろ、そろそろ歳だし家に帰ろうかと思っていたから丁度よかったくらいよ」

「しかし叔母上……」

「でもも糸瓜もありません。まあ、確かに変な人たちが寄って来た事はあるけど、これでも篠ノ之の人間よ。お婆ちゃん程じゃなくても、怪しいのを追っ払うくらい屁でもないわ」

 

 反駁をしようにも、先を読まれて潰されてしまう。この人相手に舌戦は不利である。

 ちなみに、叔母上が言うお婆ちゃんとは私の曾祖母に当たる。戦時中に巫女を務めていた人で、空襲で神社が吹き飛んだ時――現在のものは戦後に新築した――激昂して薙刀を投擲、B-29を撃墜せしめたという逸話がある。その後、此の近辺に空襲が来ることはなかったそうな。

 閑話休題。

 此処まで封殺されては憮然として黙り込む事しか出来ぬ。そんな私に叔母上は何時もと変わらぬ笑みを向ける。

 

「別に怒っている訳じゃないのよ。けど、これだけは言わせてちょうだい。あなたがこの街を去ったのも、家族がバラバラになる事を選んだのも、全部それが最善だと思っての事だったのでしょう? 確かにそれは誰かに迷惑を掛けたり、あなた自身が後悔する事もあったかもしれない」

 

 その通りだ。其の選択をしたとき、私はこれが正しいのだと考えていた。

 しかし、時が経つにつれて後悔は募る。一家離散を選ばずとも、家族を守る術はあったのではないか? 一夏坊の前から去ったのは真に正しいことであったのか? ……最早過ぎた事と言えど、斯様な迷いが脳裏を離れたことは有りはせぬ。

 

「でも、その判断を尊重して背中を押してくれた人だっていた筈よ。私は二つ返事で快諾してあなたを送り出したし、兄も口では言わなかったでしょうけど、ちゃんと認めてくれていたんじゃないの? そうじゃなかったら今からぶん殴りに行かなくちゃいけないのだけど」

「い、いや。父上は確と了承してくれたが……」

「そう、ならいいわ」

 

 ニコニコと笑いながら物騒な事を申す叔母上に若干引きながら答える。満足気に頷いた叔母上は、そこで一つ咳払いをして言葉を区切った。

 

「まあ、何が言いたいかと言うとね。認めていてくれている人の前でくらい、うじうじと考えていないで自信満々の顔でいなさい。私はそうしてくれていた方が嬉しいもの。――娘同然の子たちの夢のためなら、嫌な顔なんてする訳ないでしょう?」

 

 ……嗚呼、敵わぬなぁ。叔母上の心からの言葉に苦笑が浮かぶ。

 この身に生を受けて十五年余り、前の記憶は忘れておらぬつもりであったが、それは思い上がりであったらしい。親が子を思う気持ちを忘れるなど、あるまじき失態である。

 私も所詮、精神ばかりが先走った餓鬼に過ぎぬ。親心をふいにするなど不孝も甚だしかったか。

 

「失礼致した……いや、違うか。ありがとう、叔母上。傍迷惑な姪で苦労を掛けるが、其の御厚意に頼り、今しばらく勝手を貫かせていただく」

「そうそう、最初からそう言っておけばいいの。椛ちゃんは難しく考えすぎちゃうんだから。学校でだって、箒ちゃんと上手くいかなくて困っているんじゃないの?」

「よ、よくお分かりで……」

「だって部屋の整理をしている時、箒ちゃんのこと聞いたら難しそうな顔していたでしょう。昔から二人とも頭が固いから、変に意固地になっちゃっているんじゃないかと思っていたのよ。少しは束ちゃんを見習って奔放にしたらどう?」

「……頭が固いのは認めるが、姉者を見習うというのは、無い。絶対に無い」

 

 そのような事をしたら取り返しのつかぬ事となる。千冬殿の胃が崩壊しかねぬ。

 

「ふふ、確かに束ちゃんは少し考え無しな所があるし、お手本にはならないかもしれないわね。あ、でもお洒落さんな所は見習えるんじゃないかしら?」

「あれは御洒落ではなくコスプレと言った方が正しいのではなかろうか」

 

 名案とでも言うかのように、両の手を合わせる叔母上に胡乱げな目を向けざるを得ない。あの童話の主人公染みた格好が御洒落として罷り通るならば、私は現代の人々の感性を疑わねばならぬ。

 まったく、叔母上は出来た人ではあるが、何処か天然な所があるから困る。如何して篠ノ之の人間はこうも一長一短と言うか、癖の強いものしか居らぬのであろう。其の一人である私が言えたことではないかもしれぬが。

 

「えー……でも椛ちゃんに女の子らしさが足りないのも事実でしょう。何時も色気のない小袖ばかり着ているんだから。可愛い洋服にもたまには挑戦しましょうよ」

「謹んで辞退させていただく。柄ではない」

「つれないわねぇ。傷もお化粧すれば多少は誤魔化せるんだし、少しは着飾ればいいのに――って、あら?」

「ふむ、これは……」

 

 叔母上とほぼ同時にそれ(・・)に勘付き、本殿の方面、その先の境内へと意識を向ける。

 ――気配が五つ。唯の参拝客か、道場に用の有る者か、或いは……

 

「どちら様かしら? 今日、道場はお休みの筈なのだけれど」

「さてな。自主稽古かもしれぬぞ。昔と違って門下生も多く居るのであろう?」

「ええ、警官を退職した方が教えて下さっていてね。どこかの誰かさんのように怖くないから、ちゃんと剣道教室として成り立っているわよ」

 

 さりげなく父上を貶めてくるあたり、その兄妹仲が透けて見える。如何やら父上は兄としての威厳とは無縁の人であったらしい。姉者のあの残念加減も、父上のそれが遺伝した結果かもしれぬ。

 とまあ、それは置いておくとして。

 

「何にせよ、客人とあらば出迎えぬわけにはいかぬ。参ろうか、叔母上」

「そうね。お客様はお客様、誰だろうと歓迎してあげましょう」

 

 互いに示し合せたかのように座敷から腰を上げる。その手に箒より頼まれていた品、真剣の居合刀を携えて私たちは客間を出た。

 

 

 

 

 

「お、丁度いい所に。今インターフォン押そうとしていたところなんだ」

「……何だ、お主か」

 

 そんな感じで割と意気込んでいったというのに、来客の姿を見た途端それは萎えてしまった。然もありなん。来客とは、自宅の掃除のために外出しておった一夏坊であったのだから。

 「何だとは何だ」とでも言いたげな顔をしておるが、知った事ではない。お主が紛らわしいのが悪い。

 

「一夏君、久しぶりねぇ。元旦に初詣に来て以来かしら?」

「はは、そうですね。受験で勉強漬けになっていましたし……その後も色々あったので」

「私もテレビで見た時はビックリしたわよ。急に臨時ニュースになったと思ったら、世界初の男性IS操縦者っていう大きなテロップと一緒に一夏君の写真が出てくるんだもの。でも元気そうで何よりだわ」

「まあ、何とかやっていけていますよ。女子ばかりだけど、友達も何人か出来ましたし」

 

 叔母上と親しげに話す一夏坊。幼少の頃より度々顔を合わせる機会があったのに加え、叔母上が神社の管理をするようになってからも交流があったのであろう。随分と気心が知れておるように見える。

 

「なら良かったわ。どんな学校にせよ人生に一度の高校生活、楽しまなくちゃダメよね。――ただね」

 

 何時もと同じように微笑を浮かべる叔母上。しかし、言葉を区切り前置きを入れた途端……

 

「――隠れてコソコソついてくるようなお友達は、やめておいた方がいいんじゃないかしら?」

「「「「ッ!?」」」」

 

 微笑を保ったまま、身を潜める四つの気配に向けて殺気を放った。

 

「へ? な、何の事ですか?」

「うふふ。いいのよ、分からないなら分からないで……気付かない間に終わらせてあげるから」

 

 ますます笑みを深める叔母上に恐れをなしたか、身を潜める者たちの気配が揺らぐ。正面に立ちながらも、巧みな技で殺気の対象から外されておる一夏坊は訳が分からぬと言った様子だ。

 混沌とした状況に私は冷や汗を流す。叔母上からすれば一夏坊に害を為す不届き者が潜んでおるのであろうが、実際はその逆。彼らは更識から手配された護衛である。それを屠られては不味い。早急に事情を説明せねば。

 

「叔母上、一夏坊の身の重要性は計り知れぬものがある故、あのような者らも必要なのだ。平にご容赦を」

「……あ、なるほど。ごめんなさいね。おばさん、ちょっと早まっちゃったみたい」

「???」

 

 一拍おいて事態を理解した叔母上は、臨戦態勢を解いて恥ずかしげに頬を掻いた。気配を正確に射抜いていた殺気が霧散し、隠れておる護衛ともども緊張の糸が緩む。何も知らぬ一夏坊が少しばかり羨ましいものだ。

 

「なあ、何の話だ?」

「お主が気にする事ではないさ。それよりも何用で参ったのだ? 今日は自宅の清掃に精を出すという話だったであろう」

「ああ、そうそう。お前に用事があるんだった」

 

 大して気にもしていなかったのか、適当にあしらうと一夏坊は簡単に話題を変える。今しがた思い出したとでも言うかのように平手に拳を打つと、その幼い頃から変わらぬ純朴な少年の笑顔で喋り出した。

 

「実は思っていたより千冬姉の部屋が散らかっていなくて、早めに終わったから弾の家に昼飯を食いに行こうかと思ったんだ。あいつともしばらく会っていないし」

「ふむ」

「そこで椛も今日は外出するっていう話を思い出してさ。よかったら一緒に行かないか?」

「行くこと自体は構わぬが……私の外出の件は誰に聞いたのだ? 特に誰にも伝えておらぬはずだったが」

 

 心当たりがあるのは叔母上と箒程度。とはいえ箒には今朝方伝えたばかりであるし、わざわざそれを一夏坊に連絡する事もなかろう。故に考えられるとすれば叔母上か……いや、もしや姉者か?

 

「外出届を出しに行くとき千冬姉から聞いたんだ。『あいつも外出するそうだからデートにでも誘ったらどうだ?』って。はは、千冬姉も面白い冗談言うよな。俺とデートしてくれる女子なんていないだろ」

「……ああ、そう」

 

 思わず眉間を押さえながらの返答は投げやりなものとなってしまった。

 頭が痛い。誰かに聞かれでもしたら私も一夏坊周辺の恋騒動に巻き込まれかねぬ発言をした千冬殿然り、実際は引く手数多の癖にこの言いようである一夏坊然り、突っ込みどころが多すぎる。とてもではないが捌ききれぬ。

 

「もう、一夏君ったらまたそんな事を言って。実際は両手に花なんじゃないの? ほらほら、おばさんに素直に言ってみなさい」

「本当にいませんって。友達はいますけど、皆俺に厳しいからそういうのは無いと思いますよ」

「そうなの? じゃあ、椛ちゃんはどうかしら? こう見えて優しくて面倒見は良いし、女の子らしさだって磨けばきっと――」

「ええい、話を際限なく広げるでないわ! 叔母上も人を勝手に売り込まないでくだされ!」

 

 放っておくと何時までも続きそうな二人の会話を無理やり遮る。これ以上は私の手に余りかねぬ。だから叔母上、そんな残念そうな顔をしないで頂きたい。私にそのような節介は要らぬ。

 

「ほれ一夏坊、弾の家に行くならさっさと行くとしようぞ。叔母上、彼奴(・・)は今放しておるか?」

「ええ、朝の散歩が終わってからは自由にさせているわよ」

「それは重畳。早速呼ぶか」

「え、あいつってあいつか?」

 

 一夏坊が若干顔を蒼くしておるが、それを気にもかけずに用意をする。親指と中指で作った輪を咥えこみ、息を吐いて指笛を鳴らす。甲高い音が神社の周りに木霊し、鎮守の森へと吸い込まれていった。

 すると、それと入れ替わるように新たな音が響く。一定の間を置き連続して鳴るそれは、近づくにつれて大きくなる。一夏坊は若干及び腰になっておるが、叔母上に肩を掴まれて逃げられぬ。

 そして、音の主は数秒もせぬうちに駆け付けた。神社の裏手より勢いよく飛び出してきたそれは――

 

「ヒヒィーン!!」

「はは、久しいな鉄仙よ。元気にしておったか」

「や、やっぱりそいつか……」

 

 逞しい体躯をした黒毛の馬――私の愛馬、鉄仙である。

 

「ブルル……」

「うふふ、やっぱりその子が一番懐いているのは椛ちゃんね。そんなに嬉しそうにしているのを見るの久しぶりだもの」

「当然のことよ。誰が此奴を育ててきたと思っておる。まあ、ここ三年は叔母上に任せてしまっていたが……よっと」

 

 顔を摺り寄せてくる鉄仙をひとしきり撫でてから、その背の鞍に跨る。私より頭一つ分を優に超える大きさではあるが、前世も含めて乗り慣れておる私には苦でもない。

 手綱を操り、未だ距離を離しておる一夏坊に背を向けて手招きした。

 

「さあ行くぞ。後ろに乗るがよい」

「いや、行くぞって言われても俺が近づくとこいつうおおおぉぉ!!?」

 

 恐る恐る距離を詰めて来ていた一夏坊が咄嗟に首を捻ると、先ほどまでその鼻面があった空間が風切り音と共に蹴り抜かれる。標的を逃した鉄仙は忌々しげな視線を一夏坊に送り、それを受けた当人は激しく抗議をし始めた。

 

「こうなるって知ってんだろぉ!? 無茶言うなよ! 殺す気か!?」

「何だ、お主は未だに鉄仙に嫌われておるのか。三年もあれば改善しそうなものだが」

「七年かけて無理なものが三年でどうにかなる訳ないだろ!?」

 

 私としては楽観しておったのだが、如何やら駄目だったらしい。一夏坊は鉄仙を完全に怯えの目で見ていた。

 鉄仙は一夏坊が嫌いだ。此奴は仔馬の時分より気性が荒く、扱いかねて処分されそうになっておった所を私が引き取った馬である。そのため非常に獰猛であり、並大抵の乗り手では振り落とされかねぬ。少なくとも姉者はまともに乗りこなせたことはなかった。しかし、それがマシに思えるほど一夏坊には苛烈な攻撃性を見せる。後ろ蹴りは当たり前。他にも噛むわ、踏むわと何時にも増して暴れ馬ぶりを披露する。おかげで一夏坊はすっかり此奴が苦手になってしまった。

 やはり軍馬として通用するよう調教したのがいけなかったのであろうか? それにしては一夏坊のみを嫌い過ぎておる気がするが……まあ、それについては置いておくとしよう。今は鉄仙を宥めるのが先決。一夏坊に文字通り馬に蹴られて死んでもらっても困る。

 

「鉄仙、少しばかり辛抱せい。お主の足ならば数分のうちに着く距離よ」

「…………フンッ」

「よし、良い子だ」

 

 不機嫌そうではあるが大人しくなったのを見計らい、一夏坊を引っ張り上げて後ろに乗せる。乗り慣れておらぬせいか姿勢がやや不安定だが、腰に掴まらせておけば問題あるまい。苦手な相手に跨る緊張からか、顔が蒼褪めておるのは処置なしである。

 

「では行ってくる。慌ただしくして申し訳ない」

「気にしないでちょうだい。若い頃は色々と動き回った方が良いんだから」

 

 勝手な姪に叔母上は寛容にもそう言ってのけた。本人が家から飛び出して諸国漫遊しておっただけに、その言葉が本心からのものなのであろうと推測できる。

 ただ、叔母上はそこで「ああ、でも」と付け加えた。

 

「疲れて休みたくなったら此処に帰ってきなさい。少なくとも、私は何時でも待っていてあげるから。愚痴なりなんなり吐き出しながら、また一緒にお茶でも飲みましょう」

「……ああ、また来るとも」

「一夏君も遠慮なく来てちょうだい。もちろん、千冬ちゃんもね」

「は、はい……伝えておきます」

「うふふ、期待して待っているわ。じゃあ行ってらっしゃい」

 

 手綱で指示をだし駆け始める。遠ざかっていく叔母上は、見えなくなるまで私たちに手を振っていた。

 

「……ふふ」

「な、何を笑っているんだ?」

「さてな。私にも色々あるのだとでも言っておこうか。それよりもしっかりと掴まっておるがよい。速度を上げるぞ」

「え、今でも十分速いいっ!?」

 

 ふと漏れ出た笑みの意味を一夏坊が問うてくるが、適当にはぐらかした。鉄仙を嗾けその足を速めれば、声を上擦らせて此方に深く聞くような余裕はなくなった。

 別段、笑った理由は隠す程のものでもない。思っておったよりも己が馬鹿であったことが可笑しく感じられただけだ。

 私は今まで己の不始末の結果は己で清算せねばと奔走してきた。己の行動の結果それが生じたのであれば、その責を負うのは当然であると。肉体に釣り合わず成熟した精神故に、そう在らねばならぬと自身に決め付けて。

 しかし、それは些か的外れな思い込みであったらしい。確かに責任を負うのは重要ではあるが、時には共に受け止め、前へ進むための後押しをしてくれる者も居る事を私は失念しておったのだ。

 愚かしい。全く以て愚かしい。これでは姉者の事など偉そうに言えぬ。挙句の果てには、去り際に叔母上に対して念押しされてしまう始末。笑わずにいられようか。

 

「お、おい椛! これってどこに向けて走っているんだ?」

「弾の家に向けてに決まっておろう。階段を下るより森を突っ切る方が早い故、獣道を走ってはいるが」

「それは分かっているんだけどさ。俺の記憶違いじゃなきゃこの先って………」

 

 それを一夏坊に言わぬ理由は簡単だ。

 ――私は意地を張って、この幼馴染に己の弱みを見せたくないのだ。

 

「うむ、崖だぞ」

「やっぱりかぁ!!」

 

 一夏坊だけではない。箒や鈴音、セシリアや簪にも私は弱音の一つすら吐きたくない。信用とかそういう問題ではなく、単純に己の勝手気儘な感情で。

 人に言えば何を阿呆な事を、と呆れられるかもしれぬ。しかし、其処を曲げてしまっては私らしく在れぬ。たかが意地、されど意地である。今生は華奢な女子ではあるが、かつては戦国の世を生きた武人。見てくれは気にせずとも、他者の目の前では強者でありたい。その者が共に競い合う間柄の友人であるならば尚更である。

 

「もしかして崖を下るつもりか!? 止めてくれ! 死んじまう!」

「何を大袈裟な。ISで急降下程度慣れておろう?」

「そういう問題じゃない……ってもう見えてきた! 鉄仙! ストップストップ!」

 

 それがまた無用な重荷となって私を苛ますのであろうが構うまい。耐えかねるようであれば、叔母上が言うようにまた此処に帰ってくればいい。愚痴の一つ二つ吐き出せば、また前に進めるようになるであろう。

 ああ、そうだ。代わりに酒飲みでもいけそうだ。相手には千冬殿か真耶でも引っ掛けようか。今後の付き合い次第では会長殿も良さそうだ。結構イケる口であったようだし。

 

「…………」

「チクショウ、うんともすんとも言いやしない! これが馬の耳に念仏か!」

「はっはっは! お主は相変わらず愉快な奴よ。さあ、鵯越の逆落としの真似事と洒落込もうか!」

「いや、ちょ、待ってええええええええぇぇぇぇ!!?」

 

 一夏坊の絶叫を尾に引きながら断崖絶壁を駆け下りる。普段よりも軽やかに感じられる気分のままに私は鉄仙を躍動させた。

 


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