IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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お久し振りです。
前回の投稿からおよそ二か月……諸々の事情に追われる日々からようやく解放されました。
何はともあれ、筆は折らない宣言が守れて良かったです。自分で言った事を守れないなんて格好悪いにもほどがありますしね。

まあ相変わらずの遅筆ではありますが、これからも「もののふ少女伝」をよろしくお願いします。



第十三話 密談 後に酒乱

 夜、消灯まで時間はあるが、生徒の大半は自室に戻っている時間帯。人通りのない、足元を照らす申し訳程度の照明しかない薄暗い通路に私は身を潜める。

 誰かが今の自分の姿を見たら、幽霊か何かと勘違いして大層驚くことだろう。そして生身の人間だと気づいたら、いったい何をしているのかと呆れられるかもしれない。

 

 そんな傍から見たら滑稽な真似をしている私だが、冗談でもふざけている訳でもない。

 自分の責務を果たすために、確固たる目的を持ってこの場に居るのだ。

 

 ――来たわね。

 

 目をつけていた通路に面する一室から足音が聞こえ始める。数は二つ。一つはコツコツと音がして分かりやすいが、片方はかなり聞こえづらい。部屋の主が時代錯誤な事に草鞋を履いているせいだろう。

 自分の体が扉の正面から死角にある事を確認しつつ、息を殺してその時を待つ。そして徐々に近づいてきていた足音が止まり、視線の先の扉が開かれた。

 

「じゃあ博士……今日は、これで」

「おう、また来るがよい。何なら手伝いを連れてきても良いのだぞ。確か布仏はお主の従者なのだろう?」

「……今はまだ、一人でやってみたいから」

「そうか。ならば、納得がゆくまでやってみるがよい」

 

 現れたのは部屋の主――篠ノ之 椛と、近ごろ頻繁に出入りしている客人――更識 簪。別れ際に言葉を交わすその姿は、知り合って月日は浅いものの友達同士と言って差し支えのないものだ。

 それを見て私情が湧かない事もないが、鍛え上げた自制心で抑える。今の自分は一族の長にして学園の守護を司る者。一個人としての感情で動いたりすることは許されない。

 

「寮に帰るまでに寄り道をして千冬殿に見つからぬようにな」

「そんなことするつもりは無いんだけど……」

「軽い冗談だとも。実際、見咎められたらただでは済まぬが……では簪、また明日。お休み」

「うん、お休みなさい」

 

 客は背を翻し、寮に帰るために私が潜むのとは逆方向へと通路を歩きはじめる。主はその去ってゆく背を見送り、更にその主の背を私が見ている形だ。

 今なら後ろを取るのは容易い。けど、まだその時ではない。少なくとも彼女が完全に立ち去らなければ、第三者が関わる懸念が消えなければ、仕掛けるのは控えるべきだ。

 

 小柄な少女が暗がりに消えていくのをじっと待つ。姿が見えなくなっても足音が聞こえなくなるまで踏み止まる。

 目的の人物が動き始めたらこちらも動かざるを得ないが、相手は微動だにしていない。その好都合さが逆に不気味にも感じられ、言い様の無い不安が嫌な汗となって頬を伝う。

 だが、ここまで来て退く訳にはいかない。これは避けては通れない道。例え相手が世界を変革させた人々の一人だとしても、臆してなどいられようか。そんな事は私の矜持が許さない。

 

 そして、ついに遠方から響く足音も……消えた。

 

 ――ここだ。

 

 機は熟した。まずは優位に立つべく背後を取るべき。無感情に、手馴れた行動を音も無く実行に移そうとし……

 

「……年甲斐もなく隠れん坊とは、なかなかに童心溢れる方とお見受けする」

 

 不動の背中から放たれた、ただ一言によって遮られた。

 ……やっぱり気付かれちゃっていたか。

 思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。その間に、彼女はこちらにゆっくりと振り返った。

 

「見事な隠形だが、生憎とその手合いとは幾度となく刃を交えた身。この程度の至近距離ならば察する事など造作もない」

 

 鋭利な光を宿す隻眼が、寸分の違い無く私が潜む通路の角を射抜く。まぐれでも勘でもない。その瞳にあるのは確信だけだ。どうやら、彼女は私の想像を超える難物だったらしい。

 ――ま、その方が引き込み甲斐があるってことにしておきましょうか。

 心中で意気込み、強張っていた顔にいつも通りの微笑を湛え、私は陰から彼女の前へと自分の姿を晒した。

 

「……これでも隠れん坊には自信があったのだけれど。流石は椛博士といった所かしら?」

「なに、単なる昔取った杵柄だ。自慢するほどのものでもない」

「謙虚なのね。でも、それも度を過ぎれば嫌味になるわよ」

「留意しておこう」

 

 相手に動揺は無く、付け入れるような隙もない。その立ち姿にも、たった数秒のやり取りの内にも。これは梃子摺りそうだと改めて実感する。もしかしたら、今まで対峙して来た誰よりも。

 まあ例えそうだとしても、こっちの目的はきっちり果たさせてもらうけど。

 

「立ち話もなんだ。世辞にも綺麗とは言えぬ様だが、私の部屋にお招きしよう……生徒会長、更識 楯無殿」

「ええ、お邪魔するわ……篠ノ之 椛博士」

 

 さあ……見極めさせてもらうわよ、椛博士。

 貴方たちが私の敵となるか味方となるかを、ね。

 

 

 

 

 

 生徒会。それは学生たちが自発的に活動して、学校生活をより充実したものにしていくための組織。所属する役員は全校生徒による選挙によって選ばれるのが一般的で、いわゆる委員長タイプの真面目な子が立候補する事が多い。たまに熱血系の立候補者もいるけど。

 とまあ、それは一般的な中学高等学校における話。IS学園の生徒会とは一味も二味も違う。

 

 まずは業務内容。学生生活の向上にも努めはするけど、まず何よりも重視されるのは学外からの脅威への対処、学生自身による自衛だ。先生たちも頑張ってくれてはいるのだけど、その全てを跳ね除けられるわけではない。また、生徒に扮してスパイを送り込まれたら発見は困難だ。

 それらの手の届かない部分に対応する組織、教師陣の予備戦力としてIS学園の生徒会は存在する。織斑先生が赴任してからはその影響力ゆえか大分負担が減ったけど、依然として必要とされている。

 

 そして、そういった事(・・・・・・)に関わるからには、役員――特に生徒会長には高い実力と権謀術数に対する知識と対応力が求められる。そのため選出方法は選挙ではなく、純粋な能力による選抜となる。表向きは『学園最強』が務める事になってはいるけれど、ただそれだけでは駄目なのだ。

 表向きの肩書を狙ってか襲撃されることも儘あるけど、それも会長の責務の一つと割り切っている。それに襲撃者は誰もが一定以上の実力者だ。鍛錬にはもってこいの相手とも言える。

 

「お待たせいたした、会長殿。粗茶だが、どうぞ」

「いただくわ。実はさっきまで会議があって喉が渇いていたのよねぇ」

「それはお疲れ様で。茶菓子に煎餅も出しておこう」

 

 そういう訳で生徒会は基本的に多忙を極める。座敷に座ってのんびりとお茶をすすっているなどしたら、優秀な幼馴染兼従者に叱責を喰らってしまうのだが……それは普段の事。今は非常時の一歩手前であり、何より意味もなくこの場に来たわけではない。

 

「ところで会長殿。斯様な侘しき所に如何なる用で参ったのだ? まさか茶を飲みに来ただけではあるまい」

「もちろんよ。ほら、最近簪ちゃん……私の妹がお世話になっていると小耳にはさんでね。せめて挨拶はしておこうかなーって思っていたのよ。時間が取れなくて遅くなっちゃったけど」

 

 事実が八割、嘘が二割の虚実入り混じった返答をする。簪ちゃんの事で挨拶に来たというのは本当、時間が無かったという半分ほどは嘘だ。もちろん、言っていない事が本音の大部分を占めているのは言うまでもない。

 

「やはり簪の姉君であったか。苗字と髪色で見当はついていたが、改めて見てみると顔立ちも似通っておる。しかし、わざわざ彼女が立ち去るまで待つ必要などなかっただろうに」

「あー……まあ、それは何と言うか……あなたも妹がいるなら分からないかしら?」

「……うむ、心当たりはある。深くは聞かないでおこう」

「そうしてくれると助かるわ」

 

 対して彼女は完全に自然体だ。会話の内容も世間話レベルである……お互いに耳が痛い話題ではあるようだが。もし何の気兼ねも無しに付き合えるような関係だったら、気が合う相手かもしれない。

 しかし、今はそのような事など望むべくもない。表面上は相手に合わせながらも、どのように切り出すかを思案する。ベストは意識させることなく、さりげなく聞き出すことだが、それは不可能だ。きっとのらりくらりと躱されて碌な事にならないだろう。

 

 ……考えてばかりいても仕方がないわね。まずは軽いジャブから行ってみましょうか。

 

「それにしても高名な椛博士が簪ちゃんのためにここまでしてくれるなんてね。正直、話を聞いた時は耳を疑ったわ」

「酷い言いようであるな。私とて、親切心はあるつもりなのだが」

「だってあなたの噂を聞く限りでは、代表候補生はおろか代表にさえ直接手を貸した事なんて一度たりとも無いそうじゃない。ただ一人、織斑先生を除いてはね」

 

 かつては『ブリュンヒルデの右腕』と謳われた椛博士だが、織斑先生が現役を引退したのと同時に自身も公には姿を現さなくなった。目立たない所でオブザーバーのような事をしてはいたものの、専属の整備士としての活動は一切行っていない。日本から再三にわたって要請されているにも関わらず。

 そんな彼女が簪ちゃんという個人に対して支援していると聞いて、そう易々と信じられるだろうか。やっている事と言えば作業場所と資料の提供くらいだけのようだが、それでも耳を疑うには十分だ。

 そういった旨の疑問を示してみせれば、彼女は小さく肩をすくめた。

 

「簪自身にも言ったが、個人的な詫びのようなものだ。間接的とはいえ、彼奴には申し訳のない事をしたからな……()の事情を探ろうなどという意図は無いからご安心めされよ」

 

 ……表だけじゃなく裏の疑問にも答えてくれるなんてね。当然と言えばそうだけど、やっぱり更識(うち)については把握しているか。

 

 各国の諜報機関、テロリストなどに対抗するために世間には知らせられないような活動をする組織――暗部。日本におけるその筆頭である更識家を知り得ていなければ有り得ない発言を聞いて、驚くよりもむしろ納得した。

 要人保護プログラムによる篠ノ之一家の住居移転、および隠匿を実行したのは私の前の「楯無」、つまり更識家の先代当主である父だ。事あるごとに妹の所在を探り当てては手紙を送っていた彼女ならば、知っていても不自然ではない。

 そのため簪ちゃんに接近したのはこちらの情報を探るためではないか、または牽制の意味合いがあるのではないかと危惧していたのだが、それを容易く看破してみせた彼女の答えに偽りの色は見えない。

 全面的に信じるのは愚策。だが、この場においてはその言葉を信じてもいいだろう。

 

「そ、ならいいわ。これからも妹をよろしくね」

「うむ、任された。彼奴の専用機の完成を見るまでは見届けると約束しよう」

 

 パンッと音を立てて愛用の文字入り扇子を開き、含みの無い笑顔で告げる。扇子の文字は「姉公認」だ。椛博士も穏やかな笑みを浮かべており、そこに悪意や打算は無いように経験からくる勘では感じられた。

 

 この様子なら生徒に対して被害を出すような真似をする事はなさそうね。元からそこまで心配していた訳じゃないけど、自分の目で見て改めてそう思う。「怒らせなければ義理堅く情に篤い」という噂、あながち間違いでもなかったみたい。

 さて、最低限の安全確認は済んだことだし、そろそろ本題に移っていきましょうか。どこかの政治家さんみたいに、彼女の癇に障らないよう注意しながらね。

 

「そういえば椛博士。あなた、どこの部活に入るかは決めているの?」

「部活か……特には決めておらぬな。確か必ず一つは所属しなければならぬと聞き及んではいるが」

「強制って程じゃないけど、学園側ではそうするように推奨しているわ。ほら、うちって高校生の割に物騒な事とかも結構勉強するじゃない。その息抜きのためとか上級生との交流とかいう理由だそうよ」

「物騒な事と言えばあれか、爆弾解体やらハッキングやら。健全な高校生が学ぶことではないと思うのだが、どうにかならぬものなのかね」

「全くよね」

 

 まあ、ISの軍事利用が無くならない限りは無理でしょうけど。というか文句を言っている私たちが、一番その物騒な事に精通しているっていうのが何とも言えないわね。

 

「それは兎も角、何故会長殿がその事を私に?」

「部活からの苦情はまず生徒会に回ってくるようになっていてね。あなたみたいに魅力的な新入生が何時までも無所属だと、こっちに催促が来るのよ」

「ならば私などより一夏坊の方が問題だろう。最悪、争奪戦になりかねぬぞ」

 

 うん、そうでしょうね。うちの生徒はISについて事前に学ぶような女子校出身者が多いし、男慣れしていない子がほとんどだ。だから興味本位で自分の部活に引っ張り込もうとするのも予測される……というか、既にいる。薫子ちゃんによると、新聞部は他の部にいた方がネタになるから参戦しないそうだけど。

 とまあ、多方面から一夏君を是非お招きしたいという旨のお便りが届いているのだけれど、今のところは生徒会で差し止めさせてもらっている。複雑な事情を抜きにしても、色々と立て続けに環境が変わっちゃ可愛そうだし。

 

「一夏君はいいのよ。まだまだここでの生活に慣れていないでしょうし、少なくとも一学期の内はそっとしておいてあげようと思っているの」

「ほう、優しいな」

「生徒会長として当然の気遣いよ……それにほら、争奪戦になったらなったで面白そうだし」

 

 扇子で口元を隠してクスクスと笑えば、感心していたような彼女の顔が呆れに変わった。期待していた通りの反応についつい笑みが深まる。

 

 一夏君に直接関与するのは夏休み明け……文化祭あたりを予定しているのよね。それまでは様子見、そして周囲の環境を整えるのに専念する事になっている。周りが落ち着かなくちゃ、事を上手く運べるわけもないし。

 で、そのために必要になってくるのが目の前の彼女なのだけれど……同時に最大の懸念にもなりかねないのよねぇ。上手く丸め込まれてくれるよう望むばかりだわ。

 

「まあ、部活に考えを回す余裕なんて無いでしょう彼の事は置いといて、今はあなたの事よ。うまーく話を逸らして逃れようだなんて考えちゃダメなんだから」

「どうしてもか?」

「ええ、どうしても」

 

 にっこりと笑って肯定すると、彼女は仕方ないとばかりに溜息を吐いて考え込む態勢に入った。

 うん、ここまでは順調ね。規則には従ってくれる人みたいで助かったわ。

 

「そうは言われても……私に合いそうなのと言えば馬術部に弓道部くらいか?一応は茶道の心得もあるが、あそこは千冬殿が顧問だそうだし気が引けるな……」

「剣道部はどうなの?」

「近頃の型にはまった剣はどうも肌に合わなくてな。私のようなはぐれ者が入っても場を乱すだけであろうから遠慮しておくよ」

「そう。どこに入ってもみんな喜ぶと思うけどね」

 

 織斑先生程ではないにしても、椛博士もまた圧倒的な知名度を誇る有名人だ。そんな人が入部して喜ばない所なんて無いだろう。

 加えて最近では意外と茶目っ気のある穏やかな、それでいていざという時は毅然とした姿を見せる為人から一年の中で人気も出始めているのだとか。本音ちゃんによると、アイドルというよりは「親分」みたいな感じだそうだけど。

 

 ……何にせよ、人望はありそうね。それを私たちのために役立ててもらうためにも、そろそろ仕掛けましょうか。

 

「ねえ、椛博士。悩んでいるようなら一つ提案があるのだけれど」

「うん?」

 

 茶菓子の煎餅を、音を立てて咀嚼しながら思案する彼女の意識がこちらに向けられる。緊張と僅かな不安を抹茶の苦みと一緒に飲み下し、私は本題を切り出した。

 

「あなた、生徒会に入る気はない?」

 

 ――一秒、二秒、彼女は私を真っ直ぐ見つめたまま動かない。今さっきまでと何の変りもない瞳で見据えてくる。言った途端に警戒されると思っていただけに、その反応の無さが薄気味悪く感じられた。

 そうしてたっぷり五秒はたった頃、ようやく動きが見せた。呆れ顔を絵に描いたような、胡散臭いとでも言いたげな表情だ。

 

「人に仕事上の勧告をしに来たと思ったら、よもや勧誘が目的だったとは。勝手に引き込んだら部活から文句が来るのではないか?」

「まだ催促の連絡は来てないから無問題よ。文句が出ても口八丁と会長権限で何とかなるし」

「それは職権乱用というものであろう」

「ふふん、何とでも言いなさい。で? 私としては色よいお返事を期待しているのだけれど?」

 

 椛博士は「ふむ」と一つ唸ると、片手に半分残っていた煎餅を再びバリバリと食べ始める。即断しないあたり、もしかしたら望みがあるかもしれないと思い、こちらもお茶をすすりつつ判断を待つ。

 

 それにしても品があるのかないのかよく分からない人ね。お茶の淹れ方は上手いのに、作法は随分と適当だし。細かい所で器用な真似を見せてはいるのだけれど。

 

 雑に食べているように見えて、くずを落とさない彼女に呑気に感心していると、どうやら考えがまとまったらしい。最後の欠片を口に放り込み、何度か噛み砕いて嚥下する。そして締めにお茶を一杯飲んでから口を開いた。

 

「断る」

 

 あらら……やっぱ普通のお誘いじゃ駄目か。

 

「つれないわね。もう少し前向きに考えてくれてもいいんじゃないの?」

「損得勘定の結果を鑑みての答えだ。話に聞く限り、生徒会はなかなか忙しい所だそうではないか。斯様な所で忙殺されるよりは規則の緩い他の部を選ばせてもらおう」

「ちょっとちょっと、お姉さん一年の子にそんな沢山の仕事を押し付ける気なんてないわよ。人のところをブラック企業みたいに言わないでちょうだい」

「ははは、勤務体系はともかく業務内容はとてもではないが健全とはいえまい」

 

 お互いに愛想笑いを浮かべながらの交渉は遅々として進まない。いや、既に私の敗色が濃厚になっていると言っていい。元より彼女にとってはメリットなど微々たるものしかない誘いだ。都合よく乗ってくれるわけがない。

 それにこちらの狙いは完全に見抜かれているに違いないのだ。交渉ごとにおいてこれ以上不利な状況もない。ペースを奪い、主導権を握るのは至難の業である。

 

「部活については近日中に決めさせてもらうとしよう。もう夜分近くだ。そろそろ、このささやかな茶会も締めにしようぞ」

「まあ、そう急かさなくてもいいじゃない。もうちょっとお話を聞く気はない?」

「諦めが悪い事で。無用な引止めは時に逆効果にもなり得るぞ」

「…………ふふ」

 

 座敷を立ち台所に茶器を片付けに行こうとする背中には、はっきりと「話は終わりだ」と書かれている。この状況、敗北寸前だ。ここから持ち直すのは正攻法では難しい。

 なら、どうするか? この場の主導権を握り返すにはどうしたらいい?

 

 

 

「亡国機業」

 

 

 

 ――決まっている。相手の予想を超え、空気を変え、場をひっくり返してしまえばいい。

 

「随分と目の敵にしているそうね、貴方たち。ここ十年くらいずっと」

「…………」

 

 目の前の背中は黙して語らない。けれど、そこには確かな手応えがあった。

 ……ようやく引っ掛かってくれたわね。

 

「でも相手が相手だけに苦労しているそうじゃない。たった五人……織斑先生を含めたら六人かしら? ともかく、それだけの人員でアレとやり合ってきたのは感心するけど、私としては無理があると思うわね」

 

 束博士が失踪して以来、更識は力の限りを尽くして開発者である彼女の動向を探ってきた。世界一重要な人物が姿を消したのだから当然だ。異常な技術力により徹底的に隠蔽された痕跡を追うのには苦労させられたが、その結果、一つの事実が浮かび上がってきた。

 ――束博士は何者かと結託し、同時に何者かと抗争している。

 技術力だけでは説明のつかない資金源に開発資源、そして気紛れのように潰していく違法研究の数々の共通点。それらを地道に調べ上げてゆき……私たちは何とか「何者か」を特定することに成功した。

 

 それが亡国機業。何時できたのか、何を目的としているのか、その全てが謎に包まれているが、裏社会において確かな力を持っている組織。ここ数年は各国の新型ISを狙っているらしい。

 その全容は掴めていないが、対テロ組織として更識も警戒している。そんな相手が束博士の敵だと知り得ている事が、この場における唯一有利な点、そして突破口を開く重要なカギだ。

 

「……姉者には念入りに足跡を残さぬように言ってあったのだがな。流石は更識とでも言わせてもらおうか。国の狗だけに鼻は利くらしい」

「お褒めに預かり光栄よ。天災の火消し役さん」

「ふん、よく回る口だ」

 

 お互いに皮肉り合い、薄い笑みを浮かべる。先ほどまでの愛想笑いとは全く違う、油断すれば一瞬で喰らい付かんとも言わんばかりの酷薄な笑みを。

 椛博士は座敷に再びどっかりと腰を下ろすと、単調直入に切り出した。

 

「まどろっこしい真似はもう止めにしようぞ、楯無(・・)殿。お主がこの場に来た狙いは、私たちを亡国機業への対策として取り込もうとすることで相違ないか?」

「取り込もうだなんて図々しことは考えていないわよ? 余計な事は聞かず、必要な時にだけ情報と戦力を提供し合う、そんな共同戦線を望んでいるわ。もちろん、それ以上の協力が得られるのなら喜ばしい限りなのだけどね」

 

 敵の敵、しかもそれが世界で最高峰の知識と技術を擁する者ならば、味方につけておかない理由は無い。手に余る存在だとしても、基本的に自由にさせておけば悪い事にはならないだろう。ベストではなくてもベターな関係なら構築可能だと見越している。

 それを成し遂げるための関門が、束博士と接触するための窓口と見做されている椛博士という訳だ。十年培われた経験則からして、椛博士が了承すれば束博士もそれに従うという事は分かっている。

 何とか首を縦に振って欲しい所だけど……その厳めしい顔からして簡単じゃなさそうね。

 

「確かにお主の言う通り、私たちには圧倒的に手の数が足りない。何人か部下を持つ者もおるが、それも自由に動かせるわけではないしな。専門組織の手を借りられるならば僥倖……そう言いたいところだが、素直に頷く訳にもいかぬ。理由が分からなくはあるまい?」

「亡国機業の手の長さね。各国の軍、企業、その他諸々と幅広く根を張っていると聞いているわ」

「然り。中には中枢まで黒の所さえある。さればお主の所さえも警戒の内に入るのは当然の事であろう」

「ええ、そうでしょうね」

 

 なるほど、無意味に少数精鋭で動いていた訳じゃないって事ね。僅かな人員で行動しているのは情報漏洩の可能性を極力減らすため。恐らくはその動かせる部下というのも本当に信頼できる数人だけで、残りには重要な事は何一つ教えていないのだろう。

 まあ、当然の対応だ。束博士の技術が流出したら大なり小なり混乱が起きるし、まかり間違ってコアの製造法などが漏れたら世界の危機といっても過言ではない。そんな心臓に悪い事は私も御免だ。

 

「でも『信用できないからお断りします』と言われて、『はいそうですか』と引き下がるほど、私は諦めが良くないわ」

「言われずとも、先の遣り取りで存じておる。今まで受けてきた勧誘の中でも有数のしつこさだ」

「それはどうも。で、あなたの協力を得るためには、私は何をしたらいいのかしら?」

 

 きっと一筋縄ではいかない。だが、ここで束博士とその周辺との繋がりを持つことが出来れば、それは何にも勝るアドバンテージとなる。チャンスを逃す理由などありはしない。

 気を引き締め、どのような無理難題が課されようとも成し遂げる覚悟を決める。そこに椛博士の厳然とした声が降りかかった。

 

「――己が信を示せ」

「信を……?」

「物の証など何の価値もありはせぬ。故に私がお主の心根を見極める。少なくとも頭が腐ってさえいなければ、組織との付き合いもやりようがあるのでな」

 

 ……これはまた、ぶっ飛んだ課題を突き付けられたものね。

 かなり精神論染みた前時代的なやり口に、すっかり虚を突かれてしまった。彼女の頭は知識以外、武士道的なもので構成されてでもいるのだろうか。

 

「虚言、甘言、一切無用。全てを真の言の葉で語られよ」

「……もし、私がそれに触れるような真似をしたら?」

 

 一応の確認だった。わざわざ禁則事項を犯す気など毛頭なかったが、それに伴うリスクを知っておいて損はない。彼女が私を見誤る可能性も無きにしも非ずな訳だし。

 ただ私は考えもしていなかったのだ。次に彼女が取った行動を、滅多な真似はしないと勝手に信じ込んでいたがために。

 

 ――光が瞬き、腕がぶれた。

 

 それしかわからなかった。まるでその瞬間だけ世界が早送りになったような錯覚の後、首筋に冷たい輝きを放つ刃が据えられ、同じくらい冷徹な光を宿した瞳に射抜かれている事を察知するまでに。

 

「されば是非もなし。素っ首貰い受けるまで」

 

 あれ……? 私、もしかして生死の境目?

 肌が粟立ち、冷や汗が伝う。いつも通りの思考回路を保ってはいるが、それでも否応なしに緊張を強いられる。首筋の凶器によってではなく、今まで経験したことが無いほどの濃密な殺気によって。

 正直言って、ヤバい。彼女の眼は冗談抜きで殺人をも厭わない者のものだ。そんな相手に生殺与奪を握られて平気でいられるほど、私はまだ経験を積んでいない。

 

 …………でも、

 

「……ねえ、知ってる? この学園において生徒会長とは『最強』の称号なのよ」

「…………」

 

 ――だからと言って、こんな所でビビってる訳にはいかないのよ。

 

「何故なら生徒会長は学園全生徒の長だから。何の罪もない子たちを守る盾となり、魔の手を払う矛となるからこそ、その称号は与えられる」

 

 私の信を問うというなら耳をかっぽじって聞きなさい。

 生憎と嘘で塗り固めるほど、柔な信念を持っているつもりは無いの。

 

「故に私は、そのように振舞うのよ」

 

 思いの丈を込めて言い放つ。これが私の在り方だ、と。

 奈落のように深い瞳を真っ直ぐと見返す。微動だにせぬ右腕に握られた刀の冷気に、身を貫く殺意の鋭さに負けないように。

 数秒が数十分にも感じられる沈黙が続く。そんな中、黙って聴き手に回っていた彼女の唇が動きを見せた。

 

「それは、更識の『楯無』としての言葉か?」

「……いいえ。確かに最初の内は、暗部としての職務の一つだと思っていたけれど……馴れ合いって怖いものね。仕事上の付き合いのつもりが、いつの間にか大切なものになっているんだもの」

 

 少し昔の事を思い出して苦笑してしまう。

 初めから生徒会長になるべくして入学した私にとって、他の生徒は仕事の警護対象と変わりはなかった。それが薫子ちゃんをはじめとした子たちと触れ合う内に無意識に変わっていって……気付いたら、私の世界は「更識」だけではなくなっていた。

 

「だから、きっとこれは……この学園を愛する、『生徒会長』更識 楯無としての言葉よ」

「――――そうか」

 

 ふっ、と空気が軽くなる。刀身が翻り肩に担がれ、その担い手の顔には穏やかさが取り戻されていた。

 

「非礼を詫びよう会長殿。少々試させてもらったが、いらぬ真似だったようだ」

「それって、つまり……」

「お主の信、確かに聞き届けた。私の、負けだ」

「……ぶはぁ!」

 

 緊張と詰まっていた息が一気に抜ける。張り詰めていたものが無くなったせいか、最初から今まできっちりしていた姿勢も崩れてしまった。

 

「あー、心臓に悪かった。久しぶりに命の危険を感じたわ」

「人を喰ったような輩に本音を吐かせるには、この手が一番なのでな。流石に本気で殺るつもりは無かったが」

「……こっちは本気で殺されるかと思っていたんだけど」

「心持だけは本気であったからなぁ」

 

 ニヤリと笑う椛博士を見てげんなりさせられる。なんて可愛げのない後輩なのかしら。

 というか今気づいたけど、あなたなんてものを私に突き付けていたのよ。軽く身長を超えている大太刀とか何なのよ。それを片手で軽々と振るっていたあなたは余計に何なのよ。

 あまりの規格外ぶりに心中で色々と突っ込んでしまう。対する椛博士といえば、今の今まで放っていた殺伐さが嘘のような呑気さで何やら携帯端末をいじっている。

 

「まあ、許せ。此方としても安易に心を許すわけにはいかぬのだ……だが、決めたからには誠心誠意を尽くさせてもらう所存」

 

 空間投影ディスプレイが一つ立ち上がる。すると何を思ったのか、椛博士は大太刀で左手親指の腹を切り……それをディスプレイに押し付けた。

 どういう仕組みなのか、ディスプレイは一際発光すると小さなデータチップのようなものに姿を変える。放って渡されたそれに付いた起動ボタンらしきものを押すと、やけに時代がかった書体の文面と、真紅の血印が現れる。

 

「この篠ノ之 椛、己の信義に違わぬ限りは生徒会に協力する事を此処に誓おう」

「血判って……本当に見た目を裏切らない人ね」

 

 驚きを超えて呆れてしまう。その古風さに、ではない。口約束で済むものを、わざわざ自らを縛るかのように確たるものにする愚直さに、である。

 協力関係を結ぶからと言って、それが恒久的なものになるなんて欠片ほども思っていない。利用するだけ利用し合い、不要になれば切って捨てるようなもので彼女たちには十分な筈だ。それにも関わらず、誓詞なんて格式ばったものを用意するとは思ってもいなかった。

 馬鹿正直なのか、それとも何か意図があるのか。まだ彼女をよく知らない私にはわからない。

 

 ――でも、

 

「嫌いじゃないわ、そういうの」

 

 個人的な興味が湧くくらいには、面白いと思う。

 

「何時まで続く関係か分からないけど、しばらくはよろしくお願いね」

「心得た。期待にそぐわぬ程度の働きは約束しようぞ……いや待て。すまぬが会長殿、一つばかり留意してもらいたい事がある」

 

 急に真面目な顔つきになった椛博士。大太刀が粒子になって雲散霧消したことも気に掛かったが、それよりも何事かと意識を持っていかれる。

 

「誓った通り私はお主に手を貸すし、学園を無用な諍いに巻き込むつもりもない。それは私以外の者にも言えはするのだが……姉者ばかりは何を仕出かすか分からぬ。極力抑えはするが、もしもの時は申し訳ないと先に言っておく」

「……話には聞いていたけど、束博士ってそんなに勝手な方なの?」

「文字通りの天災であるからな。人の手で完全に御する事など出来ぬよ」

 

 殊更に大きな溜息を吐く彼女には、姉に振り回される苦労人の匂いが漂っていた。私も虚ちゃんに似たような雰囲気を醸し出させるような真似はしているけど、ここまでは酷くないわ。束博士、恐るべし。

 ……でも、ここで労いの言葉より嗜虐心が湧いてくる私も大概なのかもしれないわね。

 

「うふふ、人騒がせな姉を持つと大変ね……それに加えて、妹さんとも上手くいってないそうだし」

 

 ピクリと肩が揺れる。俯いていた状態からゆらりと持ち上がった顔には、引くつく微笑と井形模様(イメージ)が浮かんでいた。

 

「いやいや、お主ほどではないとも。此方は顔も合わせてくれぬと言う訳ではないのでなぁ」

 

 正にブーメランの如く返って来た言葉に、ピシリと表情が固まった事を自覚した。

 こ、この……! いくら簪ちゃんと仲良くしているからって、ちょっと調子に乗っているんじゃないの……!

 

 数分前までとは打って変わって、互いの間に明らかな闘気が迸る。理由が立場も信義もへったくれもない、物凄く私的な理由であろうが関係ない。ただ目の前の敵を撃滅せんとする意志が場を支配する。

 逆鱗に触れあったが為か、それは瞬く間に臨界へと達する。そしてついに、ある意味で自尊心を賭けた私闘が幕を開け――

 

「…………はぁ」

「…………ふぅ」

 

 ――ようとして、パンクしたかのように窄んでしまった。

 

「……止めましょう。何か、お互いに傷を抉りあう様な結果にしかならない気がするわ」

「同感だ。斯様な争いをしても、待っているのは空しさだけなのであろうな……」

 

 私も椛博士も馬鹿ではない。こんな所で罵り合ってもどうにもならない事など理解している。無意味な争いはお互いに望むべきことではないのだ。

 ……とは言っても、鬱憤とか色々と溜まっている事は否定できないのよね。

 

「何でやる事為す事、裏目に出ちゃうのかしらねぇ……神様がいるのなら恨みたい気分だわ」

「神を恨んだところで、何も変わりはせぬ。恨みも結局は根源たる己へと帰ってくるものぞ」

「そういうものかしら」

「そういうものだ」

「「…………はぁ」」

 

 すっかり冷めたお茶をすすって溜息をこぼす。雰囲気は完全にお通夜状態だ。

 あーあ……せっかく上手くいったのに、何で気分はこんなにブルーになっているのかしら? ええ、分かっているわよ。私が余計な事を言ったせいよ。それ以前に私が簪ちゃんに嫌われてなければ……もう考えるのは止めよう。鬱になりそう。

 

「……帰るわ。たっちゃん、もう疲れちゃった」

「おい待て。諸共に気分をどん底にさせておいて、易々と帰らせはせぬぞ」

「何? 傷の舐め合いでもしようっていうの?」

「戯け。誰がそんな湿臭い真似をするか」

 

 茶器を持って台所に向かう彼女に首を傾げる。いったい何をするつもりなのかと疑問に思っていると、さして時間を置かずに戻ってきた。その手に持ったものは、茶器とは似ても似つかなかったが。

 

「斯様な時は飲むに限る。付き合え」

 

 一見して値が張る物と分かる酒瓶と二つの朱塗りの杯。それを携えた彼女はイイ笑みをしていた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 人気の無い廊下を走る、走る。歯を食いしばり、目から溢れ出そうとするものを押し留めながら。

 

「……ッ、何なのよアイツ……! あたしがっ、あたしがどんな気持ちで……!」

 

 きっかけは椛の妹――箒と一夏がルームメイトだと知った事だった。頭に血が上りやすい悪癖がたたり、湧き上がる嫉妬のままに一夏の部屋へと突撃。お願いと称して、箒に対して部屋替えを迫った。

 もちろん彼女は抵抗。口論になって、先にしびれを切らしたのは相手だった。振り抜いた竹刀が早過ぎてISの部分展開が間に合うか微妙だったのは肝を冷やしたけど、あわやという所で寸止めされて事なきを得た。ただ、あの苦虫を百匹は噛み潰したような顔は忘れられそうにない。

 まあ、だからと言って女の戦いで容赦はしない。先に手を出したことを盾にして、一夏への話を押し切った。一夏があの約束を――あたしの一番大切な思い出を覚えていたなら、同室というアドバンテージがあるにもかかわらず何の進展もない箒に負ける気なんて欠片もしなかったから。

 

 でも、それを……あたしの大切な思い出を、アイツは……アイツは……!

 

「…………グスッ……ッ!」

 

 気が付いたらボストンバッグを片手に走り出していた。アイツから、認めたくない現実から逃げるように。

 足は自然と椛の居室があると聞いた研究区画に向かっていた。誰かに胸の内を曝け出して泣き喚きたい。だから、そんなことが出来る唯一の相手の所に本能的に行こうとしたのかもしれない。

 

 走って、走って、途中で誰かにすれ違った気がしたけど、それも気にせずに走り続けて、ようやく目当ての部屋の前に辿り着く。

 

「ッ、もみじぃっ!!」

 

 そして拠り所である親友の名を涙に濡れた声で呼びながら、勢いよくその扉を開け放った。

 

 

 

「わたしはっ! 簪ちゃんに家の事なんか気にせずに生きてほしかっただけなのにっ! どうしてこんな事になっちゃったのよぉ~ううううぅぅぅ~」

「分かる、分かるぞぉ会長殿。飲むがいい。飲めば束の間は楽になれる」

「うう、ありがとう椛ちゃん……お姉さんの味方はあなただけよ」

 

 ……え? 何なのこの状況? もしかしてお邪魔しちゃいけなかった?

 おいおいと泣き崩れる見知らぬ人、頻りに頷きながら酌をする椛。そんな光景が目に入ってきて、あまりの衝撃に止めどなく溢れてきそうだった感情もはたと止まってしまう。

 呆然と佇んでいると、とろんと目が据わった椛と視線が合った。

 

「むぅ? おお、鈴音ではないか! よく来たな!」

「え、あ、うん。お邪魔しま……って酒臭っ!? アンタらどんだけ飲んでんのよ!?」

「グスッ……あら、お客さん?」

 

 千鳥足で近寄ってきた椛から漂う臭いに鼻をつまみながら部屋の中をよく見てみれば、座敷を中心に広がる酒、酒、酒。片手では収まらない数の一升瓶が散らばっていた。遅れてこちらに気付いたらしい人はリボンの色からして二年生なのだろうが、酒に飲まれて涙濡れになっていては威厳の欠片もない。

 コ、コイツ……またいつもの悪い癖で酒を水のように飲んで……! 二年ちょっとで直るとは思っていなかったけど、むしろ余計に酷くなっているんじゃないの!?

 

 幼馴染の欠点の一つが悪化していることに戦慄する。そうして立ち尽くしていると、椛がふと何かに気付いたように膝をついてあたしの顔を覗き込んできた。

 

「ふむ……目が赤いが、もしや泣いておったのか?」

「う……」

「ははーん、さては一夏坊関連だな? 彼奴は女泣かせだからのう」

「そ、それは…………うぅ」

 

 酔っているくせに人の心情を的確に察してくる。一時のショックで引っ込んでいた感情の波が再び押し寄せてきて、目の前が滲んできた。止めようとしても止まらなくて、頬を伝った滴が床に滴る。

 それに対して椛は優しく微笑んだだけで、何も言わずにあたしの肩を抱いて座敷に連れて行った。

 

「会長殿、一人追加だ。構わぬか?」

「おーけーおーけー、ぜ~んぜん大丈夫よぅ。ほら、鈴音ちゃん。おねーさんの隣にいらっしゃい」

 

 抵抗する理由もする気も起きなくて、知らない上級生に為されるが儘に座らされる。べろんべろんになっている割には、その手つきは随分と優しいものだった。

 奥の台所と思しき場所に行っていた椛が戻ってくる。その手に持った小さめの杯に一升瓶の中身を注ぐと、嗚咽を漏らすばかりのあたしの前に差し出した。

 

「飲め」

「っ……あたし、未成年なんだけど」

「そこは問題ないぞ。なあ、会長殿?」

「そうよぉ。IS学園はぁ、あらゆる国家機関に属さないんだからぁ」

 

 至極真っ当な反論は訳の分からない理屈で捻じ伏せられた。そういう意味の規則ではないと思うのだけれど、今は反駁する気力もない。

 

「それにな鈴音、何も酔って嫌な事は忘れろと言っているわけではない」

「…………?」

「ぶちまけたい言葉が、やりようのない思いが溜まっているのだろう? それを吐き出すためのきっかけ程度に思えばよい。多少は口滑りが良くなるのでな」

 

 目の前の杯に注がれた透明な液体をじっと見る。そこに映った自分の泣き顔を見ていると、情けなさやら朴念仁への怒りやらがふつふつと沸いてきた。苛立ちに任せて乱雑に涙を拭う。

 ――ああもう、飲めって言うなら飲んでやるわよ!

 そんなやけっぱちさに身を任せて、透明な液体を一息に呷った。

 

 

 

「――だから言ってやったのよ! 犬に噛まれて死ねってねぇっ!!」

「よくぞ言った鈴音! あの朴念仁に似合いの言葉だ!」

「そうよ! 女の敵への当然の報いよ!」

 

 中身を呷った杯を叩きつけるように置いて叫ぶ。やんや、やんやと鳴る喝采の声。数十分後、あらましを語り終わった頃にはあたしはすっかり出来上がっていた。

 いや、お酒って馬鹿に出来ないわね。言いたい事が堰を切ったように出てきてビックリしたわ。

 

「ふん! これで済ませはしないわよ。ぜーったいアイツに土下座させてやるんだから」

 

 渇いた喉を濡らすために何本目かもわからない瓶を開ける。なみなみと注いで、これまた何杯目かもわからない酒をグイッと飲む。

 

「怒った女は怖いのう。まあ、一世一代の求婚がふいになれば当然か」

「ぶふうぅぅっ!?」

「うわっ、鈴音ちゃんかかってる! おねーさんにかかってるから!」

 

 という所で、椛の爆弾発言で吹き出させられた。気管に入って咳き込み、それから立ち直ってもなおも頭は混乱する。

 ちょ、求婚って、ええ!?

 

「なななななななな何を言ってるのよアンタはぁ!? あたしが何時きゅ、求婚なんて……」

「『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』なんて、どう考えても味噌汁が云々と同じだろうに。いや、まさか小六で将来の旦那を定めているとはな。最近の若者は進んでいるのう」

「全く以てその通りね。お熱いようで羨ましいわぁ」

「た、楯無さんまで……!」

 

 こちらに向けられるニヤニヤ笑いに耐えられず俯いてしまう。きっと、あたしの顔は酔いと羞恥で真っ赤に染まっている事だろう。そして性質の悪い二人も、それを見て悦に浸っているに違いない。

 ああもう! 椛はともかく、何で知り合ってすぐの人にまで弄られなきゃいけないのよ!?

 

「だー! やめ! その話はやめ! こっから先は禁止!」

「あらら、拗ねちゃった。可愛いわねー」

 

 ニヤニヤしながら意地の悪い事を言う楯無さん。ついさっきまで涙濡れになっていた人と同一人物とは思えない悪辣さだ。ついでに言わせてもらえば、これで生徒会長だというのも信じられない。

 た、耐えるのよ鈴音。こういうのは相手したら負け。相手したら負け……!

 

「それにしても一夏君って本当に人気なのね。私もちょっと興味が湧いてきちゃった」

 

 あ、相手したら負け……!

 

「身体で責めたら面白そうね。朴念仁だけど初心でもありそうだし」

 

 相手にしたら……!

 

「ほら、私って出るとこ出てるから上手くいくと思わない?」

 

 …………ブチッ。

 

「ッざけんじゃないわよっ!! 人の胸が普通より慎ましやかだからって好き勝手言って! 喧嘩売ってんのか、ええ!?」

「きゃー、怒ったー。椛ちゃん助けてー」

「お主わざとだろ? わざと地雷を踏みにいきおったな?」

 

 棒読みの台詞を吐きながら椛の後ろにそそくさと回り込む楯無さんに、ありったけの憎悪を込めた視線を叩きつける。しかし全く効いた様子は無く、逆に「怒髪天」と書かれた扇子で涼むのを見せられて苛立ちが増した。

 この……! そのぶら下がった脂肪の塊、毟り取ってやる……!

 

「まあ、待て鈴音。気持ちは分かるが、ここは穏便に……」

「誰の気持ちが分かるですってぇ!? こっちはアンタが普段はさらしで潰しているけど、実は人並み程度は持ち合わせている事を知ってんのよ! どの口がそれを言うか! この胸か! この、この!」

「ぬおっ!? ええい、こそばゆいから止めい! 枝豆をやるから大人しくしておれ!」

「くそぅ、くそぅ……!」

 

 自分でも訳の分からない衝動に駆られて椛の胸を揉みしだくと、若干顔を赤くした彼女に取り押さえられる。皿ごと渡された肴の枝豆は何故か塩辛く、実を取り出した後の平坦な皮を見ると空しくなった。

 転校して早々にこんな目に合うなんて……どれもこれも一夏の奴が悪いのよ! そうよ、全部アイツが約束を覚えていなかったせいなのよ! 

 

「覚えていなさいよ一夏ぁ!! 絶対に謝らせやるんだからねっ!!」

(元気にはなったみたいね。良かった、良かった)

(……最後の発破は余計だったのではないか?)

(そこはほら、趣味と実益を兼ねてという事で)

「そこ! 何をコソコソしているのよ!? 暇なら酌でもしろっていうのよ!」

「……やれやれ」

 

 どんちゃん騒ぎを繰り広げつつ夜は更けていく。

 そうして遂に強烈な眠気に身をゆだねようとした時……ふと、心が軽くなった様な気がした。

 

 

 

 

 

 ちなみに翌日、あたしは激しい頭痛と吐き気に苛まれて欠席した。

 ……人生の教訓にはなった、と思う。

 

 


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