IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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いやぁ、やっと話数が2桁になりました。
ここまで来るのに4か月……もう少しスピード上げたいな。


第十話 其の瞳に重ね視る

「本日はISの基本的な操縦を専用機持ちに実践してもらう。各自、安全に注意して臨むように。織斑、オルコット、用意しろ」

「はい」

「分かりましたわ」

 

 四月も下旬、IS学園の授業は座学に加えて実技が行われるようになった。今日はその初授業である。現状ではまだ生徒全員がISスーツを所有しているわけではないので、一般生徒は見学する事になっているが、それでも心なしか浮ついているように見受けられる。やはり普段と違う授業は気分が高揚するものらしい。

 千冬殿も仕方ないと割り切っているのか特に見咎めはしていない。それでも授業を妨げるほどの騒ぎになれば叱責が飛ぶだろうが、彼女らも馬鹿ではない。数週間のうちに千冬殿の厳しさは身を以て心得ており、騒ぎなど起こす愚か者は居なかった。

 

「――――っ!」

 

 一夏坊が右手首に装着された白式の待機形態であるガントレット――個人的にはバングルと言った方が適切だと思うが――を左手で掴み、強く念じるように力を込める。すると解放された粒子が彼の身を包み、一秒と掛からずに白き鎧、白式を形成した。セシリアも同様にブルー・ティアーズを纏う。

 可能ならば自然体で展開した方が良いのだが、何でもかんでも完全を求めるのは酷であろう。それに、慣れてしまえば出来るようになる事だ。わざわざ言う程でもない。

 

「よし、では二百メートルまで急速上昇だ。始め」

 

 千冬殿の掛け声を受けたセシリアの反応は早かった。言われた通りに機体の全推力を以て上昇し、あっという間に指定された高度へと到達する。対して一夏坊はぎこちない。遅くはないのだが、機体の能力を十全に活かし切れていない。経験の差が如実に出た形であった。

 

「う~ん、おりむーはのんびり屋さんだな~。試合の時はもっとビューンって飛んでいたのに~」

「火事場の馬鹿力という奴だったのだろうよ。飛行する際のイメージが固まらないうちはあれくらいのものだ」

 

 通信機越しに一夏坊を叱責する千冬殿を目に入れながら、隣に居る布仏と話をする。何故か知らないが懐かれたらしく、此奴はよく私に声をかけてくる。昔馴染みを抜けば、クラスの中では最も仲が良いと思う。

 というか布仏よ。いくら一夏坊でも、お主にのんびり屋とは言われたくないと思うぞ。

 

「イメージって~、どんな感じが良いんだっけ~?」

「一般的には『己の前方に角錐を展開する』となってはいるが、あくまで参考程度にしかならぬ。経験を積む中で己に合ったものを見出すのが最善だ」

「お~、そうなんだ~。ちなみにもみっちは~?」

「私か? 簡単な事よ。『飛ぶ』、これだけだ」

「……もみっちは博士の割に~、精神論が多い気がするな~」

 

 何を言うか、精神論も馬鹿には出来ぬぞ。理詰めに限界を感じても、根性で突き進んだら意外といけたりする事もあるしな。全てを論理立てて説明する事が良いとは限らない。イメージとなれば尚更だ。

 そんな事を頭に並べ立てていると、急に怒声が聞こえてきた。

 

「一夏! いつまでセシリアと話し込んでいる! さっさと降りてこふぐっ!?」

「お前は教師からインカムを奪うな。ほら、山田先生も簡単に盗られないように」

「す、すみません。急な事だったのでつい……」

 

 見てみると、箒が千冬殿の拳骨で沈んだところだった。どうやら上空で二人きりの状態になっている一夏坊とセシリアが気に喰わなかったらしく、真耶から通信機器を奪い取ったようだ。

 そのような真似をすれば罰を下されるのは目に見えていただろうに、我が妹は何をしているやら。恋は人を盲目にさせるというが、まさかこれほどのものだったとでも言うのか。

 

「まったく……織斑、オルコット。次は急降下と完全停止だ。地表から十センチメートルを目標にしろ。危険だと判断した場合は降下途中でも停止するように。では始め」

 

 次いで出された千冬殿の指示を、まずはセシリアが実行した。流星のように地表目掛けて落ちてきた機体を、墜落間際でPICとスラスターの制御により制動。結果、指示通りに地表から少し浮いたところで停止することに成功した。

 

「ふむ、八センチといった所か。許容される誤差であるな」

「え~、そんな細かい所まで分かるの~?」

「目測だから正確とは言えぬが、大体の見当はつく。目を鍛えれば自ずと出来るようになるであろう。お主もやってみるか?」

「遠慮しておきま~す」

 

 間合いを測る時の要領とあまり変わらないのだが……そうか、遠慮するか。布仏は鍛えればものになりそうな予感がするだけに残念である。

 まあ、やる気がない者に強要しても仕方が……っ!?

 

「布仏!!」

「え?」

 

 咄嗟に布仏を抱きかかえ、全力で土を蹴る。およそ人の体で出し得る限りの速度で飛び退き、今いた場所から可能な限り遠ざかる。

 ――直後、白式の両脚部が地響きを立てて突き刺さった。

 

「いつつ……す、すまん! 椛、のほほんさん! 大丈夫か!?」

「間一髪だったが……怪我はない。布仏が目を回しておるくらいだ」

「お、おお~?」

 

 突如響いた轟音に生徒たちが悲鳴を上げ、舞い上がった土煙が視界を遮る中、落下してきた張本人である一夏坊が地面に突き刺さった脚部を引き抜きながら安否を確認してきた。

 おそらく急降下する際に操作を誤り、想定していた着地点から大きく外れてしまったのであろう。煙が晴れて見えた顔は私たちの無事を知りホッとしながらも、同時に心底申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。

 

「何をしている馬鹿者!」

「ぐふっ!?」

 

 しかし、故意ではないとはいえ危険行為を犯したのだ。千冬殿から怒りの鉄槌を下されるのは当然と言えた。その怒り様、普段の折檻が可愛く思えるような剣幕である。

 

「危険だと思ったら止まれと言っただろう。どうして言う通りにしない?」

「そ、想像以上のスピードが出て、止まろうとしても頭から突っ込まないようにするのが精一杯でした……」

「ふん、まだ機体に振り回されているな。今回は勘弁してやるが、次に同じような事をしたら生徒指導室行きだ。注意しろよ」

「はい……すみません」

 

 全面的に己が悪いと理解しているためか、一夏坊は反駁もせずにただ謝った。その姿に鼻息を一つ鳴らし、千冬殿は生徒全員の方へ向き直る。

 

「……このように実技授業では、少しの油断が大きな事故につながる可能性もある。努々忘れない様にしろ。自分たちが扱っているものが、人の命を簡単に奪ってしまえる代物だという事をな」

 

 浮ついた空気が消え、打って変わって緊張した面持ちに変わる。気付かされたのであろう。己が手にしようとしている力には、其の担い手に相応の責任を背負わされるものであると。

 この学園に入学した一般生徒には、競技場を悠然と駆けるその雄姿に、巷で取り上げられるその煌びやかな様に憧れてこの道を志した者も多いのであろう。それは良い。軍属を志すより余程好感を抱ける理由だ。

 ただ扱い方を一歩間違えば、その輝きは昏き災禍と化し、栄光への道筋は人の道を外す凋落への一途と成り果てる。ISは斯様な危険性を孕むものなのだ。本来の用途から大きく外れ、愚かな事に軍事転用されてしまう程に。

 話を大きくしてしまったが、要するに取扱いには細心の注意を払う事を望む、という事である。実習中の事故で死傷者が出る展開など私は御免だ。

 

「椛さんに布仏さん、ご無事ですか? 一夏さんもお怪我は……」

「ISを装備していて怪我も何もないだろう。それに布仏はともかく、椛がこの程度で怪我をする訳がない」

 

 若干心配そうなセシリアと、対照的に全く動じていない箒が近づいてきた。箒の言う事は尤もなのだが、それに納得のいかない様子のセシリアは顔をムッとさせた。

 

「確かにそうですが箒さん、もう少し気遣いをしてもよろしいのではなくて?」

「失敗をした奴には、下手に甘やかすよりは厳しく接した方がいい事もある」

「だとしても椛さんへの言い方はないでしょう」

「……セシリアはまだこいつの非常識さを知らないからそう言えるんだ」

 

 何やら口論を始めた二人であったが、箒が妙な雰囲気になったのを見てセシリアも口も止める。その下手に手を出してはいけなさそうな状態に、ようやく足を引き抜いて側にやって来た一夏坊も手を出しかねているようだ。

 とはいえ、このままにしておく訳にもいかぬ。千冬殿から何とかしろと目で合図が出されている事であるし、強引にでも話に幕を引かせてもらおうか。

 

「何を辛気臭くなっておるか。セシリア、私と布仏は見ての通り五体満足であるからそう心配しなくともよい。箒の言うことも間違いではないしな」

「もみっちって~、殺しても死にそうにないもんね~」

「はっはっは、冗談を言うでない。首を刎ねれば死ぬし、寿命でも普通に逝くぞ?」

「……お二人を見ていたら、言い争っていたのが馬鹿らしくなってきましたわ」

「はあ……」

 

 セシリアは「仕方がありませんわね」とでも言いたげな笑みを浮かべて、箒は大きな溜息をついて矛を収め、それぞれが居た所に戻っていった。布仏が冗談を飛ばしてくれたおかげで助かった。

 ……ふむ、しかし転生という経験をしている以上、普通に逝くというのは誤りだったか? 肉体的には老いて朽ち果てたはずであるから間違いではない筈だが、霊魂的な側面から見ると疑問に思える。まあ、考えても仕方のない事ではあるのだが。

 

「ほれ、一夏坊も千冬殿のところに戻るがよい。まだ実演中であろう。次は下手を打たぬようにな」

「ああ……二人とも、本当に悪かった。今度何かお詫びさせてくれ」

「それじゃあ私は~、食堂のスペシャルサンデーパフェを希望しま~す」

 

 にへらと笑う布仏に釣られたせいか、所望されたパフェの値段を思い出したせいか、一夏坊は曖昧な笑みを浮かべて私たちのもとから離れていった。冷や汗を浮かべていたことから恐らく後者の理由なのであろう。どうやら彼奴の懐はあまり暖かくないらしい。

 

「あまり無理な願いをするでないぞ」

「は~い。ところでもみっち~、さっきから言いたかったんだけど~」

「む、何だ?」

「助けてくれたのは良かったんだけど~、出来れば脇に抱えない方が嬉しかったな~なんて」

 

 おっと、そういえば布仏を抱えたままだったな。小柄である故か、あまり苦に感じなかったからそのままにしておった。これは悪い事をした。

 しかしながら、いざ下ろしてやると少し名残惜しそうな顔をされた。存外、楽しんでおったのかもしれぬ。

 

「咄嗟の事ではあまり抱え方は意識してられぬが……どのようなのが良かったのだ?」

「やっぱり~お姫様抱っことか~」

「両手で支えるあれか。安定性は増すが、片手も使えぬのは不便だな。それに、そういうのは男にやってもらうものではないのか?」

「そうだけど~、女の子にやってもらっても嬉しい時はあるんだよ~」

 

 果たして本当なのかと疑問に思うが、周囲の女生徒らが一様に頷いているからにはそうなのだろう。如何なる理屈で嬉しくなるかは解せぬとも、一先ず納得はしておいた。

 女性としての一般的な情緒は理解しておるつもりだが、時折このような認識の齟齬が生じる時もある。やはり女心というのは難しい。十五年かけても完璧に会得できぬ奥深さに驚きを禁じ得ない。

 

「そろそろ静かにしろ。織斑、次は武装の展開だ。それくらいは問題なく出来るだろう」

「は、はい」

 

 千冬殿の一声で生徒たちの目は再び一夏坊の方へと向けられる。先の失敗から幾分と慎重になった一夏坊は、周囲に人がいない事を確認してから右手を突きだした。

 光が集い、形を成す。一秒未満の発光が収まると、その右手には白式の唯一の武装たる雪片二型が握られていた。

 

「〇・八秒か。悪くはないが改善の余地はあるな。〇・五秒で展開できるように努力しろ」

「わかりました」

 

 酷評を免れてホッと息を吐く一夏坊。感心した生徒たちからの拍手にも片手を挙げて応える程度の余裕は取り戻せたようだった。但し、箒とセシリアが縦皺を刻んでいる事には気付いていない。良くも悪くもいつも通りである。

 

「何を不満げな顔をしている。次はお前の番だぞ」

「……わかりましたわ」

 

 不機嫌そうに返答するセシリアを見て不思議そうにしておる一夏坊の様子から改めて確信する。此奴は救いようのない朴念仁だ。少しは思い当たる節がありはしないのだろうか。

 兎にも角にも、如何に一夏坊が鈍感であろうと今は授業中である。セシリアには千冬殿に従う義務があり、また少しばかり腹が立った程度で集中を乱す程未熟でもない。一瞬の発光の後に、その手には発射態勢を整えたスターライトmkⅢがあった。

 

「流石だな、代表候補生。これくらいは造作もないか」

「自分の主兵装ですもの。展開速度を上げるための努力は怠っていませんわ」

「そうか。では近接用の武装も展開してみろ」

 

 セシリアの顔がひくりと引き攣った。何か不都合でもあるのか?

 

「りょ、了解いたしましたわ……」

 

 ライフルを収納し、近接武装の展開に取り掛かる。十中八九、展開するのは私と一夏坊の試合でも使用していたショートブレードであろう。私の時は咄嗟に展開していたから問題ないと思うのだが……

 

「むむむむ……」

 

 光は像を結ぼうとするも、なかなか形が定まらない。唸り声を漏らしながら集中すること約三秒、ショートブレードはやっとの事で実体を成した。

 

「時間を掛け過ぎだ。実戦でもそれでは使い物にならんぞ……篠ノ之姉との試合で見せた展開速度はどこに行ったんだ?」

「あ、あれはその……無我夢中になっていて意識せずにやった結果と言いますか……」

「まぐれか」

「…………はい」

 

 力なく答えるとセシリアはがっくりと肩を落とした。

 まあ、苦手な事など一つや二つは有るものだ。それにセシリアは未だ年若い身、焦らずとも今から克服していけばよい話である。反省は必要かもしれぬが、深く落ち込むことはないと後で言い含めておくとしよう。

 

「時間か。それでは本日の授業を終了する。教室に撤収しろ。織斑、グラウンドの後始末は自分でしておけよ」

「あ、はい。わかりました…………ん? 土ってどこから持ってくればいいんだ?」

 

 周囲の生徒がグラウンドから引き上げていく中、一夏坊は如何したものかと首を捻った。先の落下地点は脚部がめり込んだ部分はもちろん、その近辺が小規模なクレーターになってしまってため、元に戻すには均すだけでは事足りぬ。何処からか埋めるための土を持ってこなければならぬであろう。

 助けを求めるように彼は視線を巡らせる。まずは箒、目を逸らされた。次にセシリア、幽鬼のように歩いておって使い物になりそうにない。そして案の定、私にも巡ってきおった。

 ……捨て犬のような目をするではない。まったく、手のかかる昔馴染みだ。

 

「校舎の用務員室に轡木殿という御老人がおる。土の場所はその人に聞くがよい」

「おお……! サンキュー、椛。パフェでもなんでも奢るよ」

「程々に期待しておこう。ほれ、礼を言う暇があるなら早く行くがよい。用務員室は一階の正面玄関近くだぞ。時間を掛け過ぎて次の時限に遅れぬようにな」

 

 まるで救世主でも見るかのような目で礼を言う一夏坊を、追い立てるように急かさせる。彼も千冬殿にまた叱られるのは御免だと思ったのか、足早に駆けて行ったのを見送った。

 ……ところで背中に冷たい視線が二対ほど突き刺さっているのは気のせいであろうか?

 

「くっ、不覚を取ったか……おのれ椛め……」

「わ、わたくしが気付かない間に一夏さんを……油断ならない方ですわ……」

 

 ――いや、確認してみたら確かに歯軋りしながら睨みつけておった。悔しがるのなら何故助けてやらなかったのだ? 理解が追いつかぬ。

 

「もみっちは苦労性だね~」

 

 他人事のように(実際他人事なのだが)笑いながら言う布仏には軽い手刀を見舞っておいた。

 斯様な事、言われずとも姉者の世話をしている時点で気付いておるわ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「――――という事があってなぁ……本当に恋慕の情を抱いておるなら、もっと素直に好意を示せばよいと思わぬか?」

「そ、そうだね……」

 

 部屋の主がディスプレイをいくつも接続したパソコンを操作しながら、世間話のように振ってきた人の恋愛話についての意見に私は辛うじて相槌を打つ。

 相手が相手なだけに、気を抜いたら無意識のうちに敬語になってしまいそう。この人に出会ってからもう数週間は経つけれど、未だにこの緊張感は無くなりそうにない。

 

「ふぅむ……簪、お主はまだ肩の力が抜けておらぬな。少しは布仏を見習ったらどうなのだ」

「……本音みたいに気楽でいられたら、苦労しない」

「くく、それもそうか。ではお主のペースに任せるとしよう。例え遅々とした歩みでも、着実にゆっくりと慣れてゆくがよい」

 

 共通の友人にして一応は私の従者である本音の事を思い浮かべて、少し頭が痛くなる。何であの子はこの人を前にしてもいつも通りでいられるのだろう。しかも初対面の時から。私はパニックになってしまって、慌てて立ち去る事しか出来なかったのに。

 自分の作業をいったん止めて、チラリと好々爺のように笑う彼女の様子を窺う。キーボードを高速で叩く和服少女というのは、やはりひどくアンバランスに見えた。そんな人が世界にその名を轟かす著名人だというのだから、世の中というのは本当にわからない。

 そして、自分が彼女の私室に当たり前のように上り込んでいるのも、また世の中の摩訶不思議な事象の一つだと思えてならなかった。

 気付かれないようにそっと息を吐く。どうしてこうなったんだろう……

 

 

 

 事の発端は入学式の翌日にまで遡る。

 その時、私は自分の専用機――打鉄弐式を開発するための場所を探していて、主に二年生から使う事になる学園の整備室を訪れていた。流石IS学園と言うべきか、整備室の設備は学生の利用するものとしては最高の環境が整えられていた。

 これで開発場所については問題ない。私の目的を達するためにも、明日から頑張ろう――そう気持ちを新たにした時だった。誰もいないと思っていた背後から、突然声を掛けられたのは。

 ビックリした。それこそ、本当に心臓が飛び出るかと思うくらい。つい体が命じるままに物陰に身を隠してしまったのも仕方ない。だって家柄の都合上、お姉ちゃんには及ばなくてもそれなりに訓練を積んでいる筈の私が、背後の気配に全く気付かなかったのだ。警戒しない方がどうかしている。

 

 動悸がする胸を押さえつけながら声の主を確認して、困惑はさらに深まった。白を基調とした和服、淀みを感じさせない凛とした立ち姿、そして潜り抜けてきた修羅場の厳しさを示すかのような左目の傷痕――え、何この人? タイムスリップしてきたの? と、私らしくない荒唐無稽な事さえ考えてしまった。

 けれど、話してみると見かけによらず意外と普通で安心した。言葉遣いが古風だったのは許容範囲としておく。学園の生徒である事もわかって、最初に変質者扱いしたのを申し訳なくなるくらいには落ち着いた頃に、彼女が自己紹介しようと言いだした。

 断る理由も無いので素直に名前を教え、武将よろしく名乗りを上げようとする彼女の出鼻を挫くように手に持っていた彼女の学生証を操作した。この人とは仲良くなれそう。そう思ったからこそ出た茶目っ気だった。

 ショックを受けたような顔をする彼女を見て笑みがこぼれる。してやったり、と満足して学生証に表示された名前を見て……今度は私がショックを受ける羽目になった。彼女の比ではない、思考が停止するほどの衝撃を。

 篠ノ之 椛――ISの生みの親である束博士の妹にして、世界でもトップクラスの研究者。そして日本のIS関連技術の発達に最も貢献し、公に姿を見せなくなった現在でも絶大な影響力を誇るというIS界の大御所の名前がそこにあった。

 

 嫌な汗をかき、頭が真っ白になった。私は彼女に何をした? 変人扱いに名乗りの妨げ、初対面の人相手に失礼な事この上ない。そして、日本のごく狭い範囲で実しやかに囁かれる椛博士の噂を思い出し、私の脳内での恐慌は最高潮に達した。

 曰く、椛博士の逆鱗に触れた者は死を覚悟せねばならない。

 とある政治家の護衛を務めていた実家の関係者から流布されたこの噂、信憑性については単なる噂を軽く凌駕する。私自身、その関係者から直に話を聞いたのだから。思い出しながら話している最中の顔面蒼白さは、とても冗談には思えなかった。

 結果、私は逃げた。強張った口を無理やり動かし、何とか謝罪の言葉を捻りだしてから。引き留めるような声が聞こえたような気がしたけれど、怖くて振り返ることは出来なかった。

 

 その後一週間、彼女に会う事はなかった。整備室の奥の研究区画に住んでいるらしいので、もしバッタリと会ってしまったらどうしようと戦々恐々とする毎日だった。おかげで打鉄弐式の開発に当初は集中しきれないという有様だ。

 そんな日々を送る中で、別に身の危険を感じる必要もないのではと思い始めていた矢先に事態は急展開を迎えた。会ってしまったのだ。絶対に怒らせてはいけない恐怖の大魔王(主観込み)に。

 

「おお、簪ではないか。久しぶりであるな」

(あ、死んだな)

 

 その時は運悪く整備室に空きが無くて、どうしたものかと途方に暮れていたのが悪かったのかもしれない。気軽な様子で声をかけてきた彼女を見て私は絶望した。もう録画した特撮やアニメを見られないと思うと、ひどく心残りだった。

 ……今からすれば、この時の私は錯乱状態に近かったのだと思う。少し考えれば本当に殺される事など無い筈と分かりそうなものだけれど、生憎と当時の私にはそんな余裕が無かった。というか恐怖のあまり卒倒してしまった時点で、私の精神状態が正常でなかったのは明らかである。

 

 ――目が覚めると、私は畳に敷かれた布団に寝かされていた。

 IS学園の建物は基本的に洋風だ。和室なんて茶道部などの部室くらいしかない。という事はそのうちのどこかに居るのか……と思ったが、周りを見てそれは見当外れだと知った。部屋全体で和室になっている部分は生活スペースだけで、後は様々な機械に埋め尽くされていたからだ。

 いったいこの訳の分からない部屋は何なのかと思っていると、台所と思しき場所から物音が聞こえた。きっと部屋の主だろう。取り敢えず私が何でここに居るのか聞いてみようと、布団からは死角になっていたそこを覗いてみると……

 

「む、気付いたか。茶を淹れておるから少し待っているがよい。茶菓子は羊羹で構わぬか?」

「…………何でもいいです」

 

 当たり前のように居る彼女を見て理解してしまった。整備室で気絶した私は、その場で最も近くに居た人の部屋に運び込まれたのだ。つまり、その時目の前に居た椛博士の私室に。呆然としながらも、辛うじて返事をした私は偉いと思う。

 迷惑を掛けてしまった以上、ここで逃げるという選択肢はない。それに一回意識を失ったせいか、少しばかり冷静さを取り戻した私は流れに身を任せてお茶をご馳走になった。お茶菓子の羊羹はとても美味しかったと記しておく。

 

 落ち着いたところで、椛博士から幾つか質問をされた。まずは気絶してしまった理由。彼女からすれば自分を見た人がいきなり倒れた訳で、私が何か無理をしていたのではないかと心配していたらしい。

 それを聞いて、私は噂に流されて彼女自身を見ていなかったことを恥じた。実際に話してみれば、少し変わったところのある面倒見のいい人だ。怖がるような要素なんてどこにもない。

 だから迷惑を掛けた事も含めて、色眼鏡で見ていたことを謝罪した。偏った人物像を抱いてしまった原因である、例の噂についての説明も付け加えて。

 

「……もしや殴り込んだ時の話だろうか。死に目に会わせるような真似をした覚えはないのだが……いや、その時が特別だったのであって、常日頃より物騒な事をしているのではないのだぞ?」

 

 ただ噂を聞いて心当たりはあるようだったので、この人を怒らせない様にしようと心に誓った。というか、何をされてそんなに怒ったんだろう? 怖いから聞かないけれど。

 

 それは置いておくとして、次に聞かれたのは私が整備室で何をしていたかだ。話すべきか迷ったけれど……結局は素直に答えていた。私がやろうとしている途方もなく困難な事――自力での専用機開発について。

 私の専用機、打鉄弐式はもともと倉持技研で開発されていた。けれど、そこに唯一の男性操縦者、織斑 一夏君の機体開発の話が舞い込んできて、打鉄弐式は後回しになってしまった。しかも人員の殆どがそちらに回されてしまって、開発再開のめども立たない有様だ。

 ここまで話したところで、椛博士は端末を取り出して何処かに電話を掛けようとした。不思議に思って宛先を聞いてみると、その答えに肝が冷えた。よりにもよって倉持の所長に直談判すると言いだしたのだ。普通ならありがたい申し出だろう。彼女の名をもってすれば、開発の再開はもはや確定事項になると言っても過言ではない。

 けど、私はそれを慌てて止めた。どうしても自力で開発したい理由が、私にはあったから。

 

 私のお姉ちゃんはいわゆる天才だ。若干十六歳にしてロシアの国家代表、しかも専用機はハンドメイドという規格外ぶり。そして、その若さで楯無の名を継いだことからも、姉の優秀さは嫌という程にわかる。

 そんな才能とは縁遠い私からしてみたら、お姉ちゃんは畏怖すべき別世界の住人といっても過言じゃない。事実、私たち姉妹はもう何年もまともに口を利けていない。ただ血が繋がっているというだけで、心の距離はどうしようもなく遠かった。

 それが私にはもどかしかった。お姉ちゃんを真っ直ぐ見られないような自分が嫌で、そんな時に知らされた専用機の開発中止の話を聞いて、ふと思いついたのだ。私も自分で専用機を作れたら、少しはお姉ちゃんと向き合えるようになるんじゃないかと。

 

 そういった理由もあって、椛博士の鶴の一声がかかっては非常に困る。理由を詳しく話はしなかったけれど、どうしても自力でやりたいと伝えて直談判の件は思いとどまってもらった。

 

「お主がそう言うなら止めはせぬが、知り得ていて何もせぬというのもな……そうだ、ならば場所だけでも貸してやろうか」

「え……ば、場所って……?」

「ここに決まっておろうが。整備室も常に使える訳ではないだろう? 何、遠慮する事はない。どうせ私には広すぎる部屋だ。使うべき者が使うのが道理というものよ」

 

 ただ予想外だったのは、この人が意外とお節介だったことだろう。押しの弱い私では彼女の誘いを断れず、済し崩し的にこの研究室を利用させてもらえることになってしまった。

 こんな事になるなんて誰が予測できただろう? 本当にもう……どうしてこうなったんだろう……

 

 

 

「おいしい……」

「そうであろう、そうであろう。この団子は京の老舗のものでな、私も贔屓にさせてもらっているお気に入りなのだ。いやはや、この味を今生でも味わうことが出来るとは……」

 

 お互いに作業を中止して休憩時間。いつも通り研究室の中で異彩を放つ座敷に上がり、菓子をつまみながらお茶をすする。今日のお茶菓子は餡が乗った串団子。妙な所で食べ物に対するこだわりが強い博士が選んだお菓子は、庶民的ながらもまた食べたくなる魅力がある。淹れてくれる緑茶もかなりの逸品だ。

 ……何となく餌付けられている気がしなくもない。本人にその気はないのだろうけど、私自身は魅力的な食べ物に釣られてここに来ている節がある。おかげで最近は体重計に乗るのが怖い。

 

「ところで簪よ、打鉄弐式の進捗はどうなっておる?」

「今はフレームと内部の電子機器の調整中……形を作るだけでも、まだまだ時間がかかりそう」

「急いては事を仕損じるとも言う。焦ることなく、慎重に慎重を重ねるのが得策だ。内装に不備があっては目も当てられぬ」

 

 もちろん、当初の目的である打鉄弐式の開発も忘れてはいない。共有スペースである整備室と違って、ここなら椛博士が居ればいつでも使えるし、蓄えられているデータも膨大だ。作業効率は倍以上だと思う。

 ただ困った事に、その膨大なデータの中に「機密」と銘打たれたものが時々混ざっているものだから心休まらない。ロックが掛けられているから見られないようにはなっているのだけれど、赤文字で大きく注意書きされたものが目に入るとドキリとする。

 

「まあ、前進しているだけでも其方は良いさ。私の方は完全に手詰まりだ」

「えっと……織斑君の事を調べているんでし……だっけ?」

「うむ。過去の実験資料を片っ端から洗い出して、一夏坊のバイタルと比較しておるのだが……何一つ分からぬ。もう一方の用件も、相棒が頑なでなかなか進展が見えぬ様だ。困ったものよ」

 

 うっかり出かけた敬語を慌てて直して――彼女は堅苦しいのが嫌いらしい――向こうが今やっている事について聞いてみると、ほとほと困り果てたような返事が返って来た。

 この人でも困ったりすることがあるんだ……天才といったら、何でも完璧にこなせると思っていただけに、ある意味で新鮮に感じる。

 

「……お主、私が困るようなこともあるのだな、と思っておるな」

「え……」

 

 いきなり図星を突かれて戸惑ってしまう。ど、どうしてわかったの……?

 

「顔に出ておるぞ。分かりやすい事この上ない。ついでに言わせてもらうなら、お主まだ此処を使うのに遠慮を感じておるだろう? まったく、私は構わないというのに……」

 

 これまた図星だ。正直な所、私はまだおっかなびっくりといった様子でこの部屋を使わせてもらっている。でも、こればかりは仕方がないと思う。誰だってこんな立派な所を自由に使っていいと急に言われたら気後れしてしまう。

 ……それに、彼女がどうしてここまでしてくれるのか私は知らない。

 

「……どうして、よくしてくれるの?」

「ふむ?」

「あなたが私に協力してくれているのは感謝している……でも、ただの親切心で手を貸してくれているなんて思えない。何か理由があるのだろうけれど……それが、私には分からない」

 

 最初は打鉄弐式に興味を持ったからだと思っていた。けれど、彼女は本当に場所を貸してくれただけで、開発作業には一切口を挟んでこない。私が意見を聞けば答えてくれるくらいだ。

 私という一個人に協力する理由が理解できない。代表候補生であるというのは関係ないだろう。彼女にとって特筆すべき点であるとは思えない。

 いくら考えても思い当たる事は無くて、疑問は深まるばかり。そのためだろうか、私は彼女の好意に甘えきれずにいる。本人の口から聞けたのなら、折り合いも付けられるのだけれど……

 

「ほう、つまりお主は私が何か善からぬ事を企んでいるのではと思っているのか?」

「っ!? ち、ちがっ……!」

 

 酷薄な笑みを浮かべる彼女の言葉を、必死の思いで頭を振って否定する。

 ど、どうしよう……やっぱり聞いちゃいけないことだったのかな。それよりも私の尋ね方が悪かったんじゃ……うう、こんな事になるならもう少し考えてから話せばよかった……

 

「くく……はっはっはっは!」

「…………え?」

「すまぬ、少しからかった。腹など立てておらぬから安心せい」

 

 萎縮して下げていた顔を戻してみると、彼女は悪戯が成功した子供の様に笑っていた。ついさっきの怒気を感じさせる笑みなんてどこにもない。

 ……この人、真面目に見えて意外と性質が悪い所がある。例えるなら……そう、いい年をした老人が茶目っ気で若い人をいじる感じ。

 私は真剣に尋ねているのに、まさかからかってくるなんて。

 

「むぅ……」

「そう拗ねるな。お主の疑問には答えてやるとも」

 

 頬を膨らませてそっぽを向いた私に、椛博士は口元を緩めたまま声を掛ける。

 ……絶対に反省していない。でも、答えは気になるから話は聞こう。

 

「何故お主に協力するか、その理由は主に二つある。一つは詫びをするためだ」

「詫び? で、でも謝られるような事なんて……」

「直接的には、な。だが、一夏坊の専用機たる白式の開発を倉持に委託したのは他ならぬ私だ。予期していなかったとはいえ、お主の専用機の開発が差し止められてしまった責任の一端は私に存する。せめて援助だけでもせねば申し訳が立たぬ」

 

 急に知らされた事実にポカンとしてしまう。打鉄弐式の開発が中断させられた原因がこの人? で、でも実際に中断を決めたのは現場の人なんだろうし、椛博士を責めるのは筋違いのような……

 今は目的のための手段として受け入れているとはいえ、開発が中止になったと聞いた時には結構なショックを受けた私は、目の前の人を糾弾しても許されるのだろう。けど、それは何かが違う気がして躊躇ってしまう。

 戸惑いが表に出ていたのか、椛博士は申し訳なさそうにしていた顔に苦笑を浮かべた。

 

「やれやれ、人が己のせいだと言っておるのに責めるのを躊躇うとは。その心優しさは美徳であるが、時には心を鬼にせねば苦労するぞ」

「そ、そうかもしれないけど、今更怒ってもどうしようもないし……」

「己の手で完成させたいと願い出たのはお主自身だから、それについてはとやかくは言わぬ。だが、私に対して遠慮する必要はない。それ以前にお主には多大な迷惑を掛けておるのだ。むしろ扱き使っても構わぬのだぞ?」

「……後が怖いからやめておく」

 

 ちょっと想像してみたら背中に寒気が走ったので、その申し出は丁重にお断りしておいた。「そうか」と笑いながら応えた彼女が本気で言ったのかは知らないけれど、どう考えても分不相応だ。

 

「まあ、理由の一つはそのようなものだ。身内の不祥事で迷惑を掛けて悪かった」

「……頭は下げないで。何だかこっちが悪い気がしてくる。それより、二つ目の理由は……?」

 

 頭を上げてもらってもう一つの理由を問うと、椛博士はばつの悪そうな顔をした。こんな表情は見た事が無い。いったいどうしたんだろう?

 

「二つめは、な。悪く言ってしまえば自己満足だ」

「自己満足……?」

「左様……簪、お主が打鉄弐式を自力で開発しておる理由は、成し遂げたい事があるからと言っておったな」

「う、うん」

 

 椛博士にはお姉ちゃんの事は話していない。だから曖昧な形で目的があるからとしか知っていない筈だ。

 

「勝手な推測だが、その目的とはお主が目標としている人物に少しでも追いつくことではないのか?」

「…………え」

 

 それにも拘らず、彼女の言葉はほぼ正確と言えるほどに的を射ていた。

 

「加えて、その者はお主に非常に近しい人物――親類に当たると見た。そしてお主はその者に対して引け目を感じておるが故に、斯様な目的を立てた……違うか?」

「ど、どうして……」

 

 あまりにも事実に近すぎる推測。心中を見透かされた驚きに、否定する事も、彼女が言う自己満足に何の関係があるのか問う事も忘れてしまう。

 

「似ておるのだよ、お主の瞳は」

 

 そんな私を真っ直ぐと見つめる彼女の口元は吊り上っていた。素直に笑っているわけでも、さっきのように苦笑しているわけでもない。まるで自分自身を嘲るかのように、彼女は嗤っていた。

 

「私が守ろうとし、その思いとは裏腹に傷つけてしまった者と同じ目をお主はしておる。それを見て捨て置くことが出来なかった……救いようもないほど身勝手で、何の価値もない理由だ。これを自己満足と言わずして何と言おう?」

 

 ……結局、この後居た堪れなくなった私は作業を早々に切り上げて、いつもより早めに研究室を後にした。

 困った顔、ばつの悪そうな顔、今日だけで椛博士の新しい一面をたくさん見ることが出来た。けれど、最後の悲しそうな表情だけは、叶う事なら忘れてしまいたかった。

 

 


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