剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
面白いものが何よりも好きな神々の集会だ、出席者は定期的に行われている神会の方が多い、などということは全く無く面白そうなイベントである戦争遊戯に関しての神会の方が圧倒的に出席者が多い。
「んじゃ、始めるとするか」
「また君が司会なのかい?」
「あ? 文句あるんかドチビ?」
リューとの話し合いにそれほど時間がかからなかったヘスティアは遅れること無く無事にその場にいた。その周りにはタケミカヅチやミアハ、そしてヘファイストスと言ったヘスティアと親しい神々がいる。
「ロキ」
「ちっ、分かっとるわボケ」
アポロンは反対側から声を掛けて神会を始めるよう催促した。
「じゃあ始めるでー! 今回の議題はドチビとアポロンんとこの戦争遊戯や!」
催促されて不機嫌になっていた態度も始まってしまえば掻き消えて何時も通りテンションが振り切れているような明るい声が響く。
「日時だけは七日後って決まっとるけど、場所が決まっとらんから場合によっちゃ遅れるかもな。お前等はそれでええんやな?」
「「構わない」」
それはヘスティアがアポロンからの戦争遊戯を受け入れた時に決めたこと。一週間後ということはもう決定されている。場所の関係上少し延びるのは致し方ないとアポロンも納得した。
「んで、問題の形式やけど」
「待ってくれロキ。その前にヘスティア、一つだけはっきりさせておかないといけない。我々が勝ったらベル・クラネルとアゼル・バーナムを頂く」
ヘスティアとアポロン、身長差があるのでヘスティアは見上げる形になるが、両者睨み合う。お互い視線を逸らさず一歩も譲らない姿勢を示す。
「ああ、それで構わない。その代わり、ボクが勝ったら」
「ヘスティアが勝ったらのなら、要求は何でも飲もう」
ヘスティアはロキに視線を送る。ロキはその視線を受けて両者の発言を書記に命じて記録していく。公的な記録でも、特別な術が掛けられた誓約書でもない。しかし、その条件が反故にされた暁には神々に総スカンされることもあるだろう。
それ故に、この時点からお互いの掛け金を変更することは叶わない。
「ほいほい、お互い何のために戦争するか決まったし、形式をさっさと決めんとな。誰か見たいバトルとかあったら言ってみ」
戦争遊戯の形式の決め方に決まりはない。対戦者が最終的に同意するのであれば多数決でもくじ引きでも良い。
「やはり、闘技場を使い両ファミリアの代表の一騎打ちが良いと思う」
「観衆にもどちらが勝者か分かりやすいし、何よりも一番盛り上がる。俺は支持する」
いの一番でヘスティアを援護するためにミアハが一騎打ちを提案、タケミカヅチもその案に賛成した。
現実的に考えれば、ヘスティア・ファミリアがアポロン・ファミリアに勝利するには一騎打ちしかない。それ以外の団体戦ではファミリアの人数という圧倒的差ができてしまい勝負にならない。
「んー、確かにウチらも出来レースは見たくないしなー」
ロキもその案に反対はしない。出来レースは出来レースで面白いが、団員数五十倍という差では最早見る意味の無い勝負になってしまう。
「いや、それは却下だ」
「なっ」
しかし、その最も勝利する可能性が高い形式を、他でもないヘスティアが却下した。そんな彼女にミアハとタケミカヅチは絶句、ロキは面白そうに笑みを深めた。
「ボクはアゼル君の【ステイタス】封印を差し出して準備期間を一週間にしたんだ。アゼル君が参加する形式じゃないと不公平だ。少なくとも、アポロンが同意しない限り一騎打ちはしない」
「ほお」
アポロンは感心するように声を漏らした。しかし、直ぐに口角を釣り上げて見下すような表情をした。ヘスティアはむざむざ自分の勝機を手放したことになるのだから、仕方ないだろう。
「だ、だがヘスティア」
「ミアハ。心配してくれるのは嬉しいけど、これはボクとアポロンの戦いなんだ」
ヘスティアを説得しようと口を開いたミアハをヘスティアは止める。普段の情けない姿を知っているだけにミアハはその時の真剣な声色と眼差しで口を閉じてしまった。
ヘスティアはアポロンに向き直る。
「形式はくじで決めよう。運任せ、一番公平で盛り上がるだろう?」
「ふっ、そうだな」
両者の同意もあり、くじは直ぐに用意される。出席している神々が一枚ずつ対戦形式を書いた二つ折りの羊皮紙を箱に入れていく。ミアハとタケミカヅチは迷った末「一騎打ち」と書いた。
「で、誰が引くんや? ウチは嫌やで」
全員分のくじが入ったくじ箱を上下に揺らして混ぜながらロキはそう言った。何を引いても後々文句を言われるかもしれない役など誰もやりたがらない。
「「ヘルメス」」
ヘスティアとアポロン、両者は同じ男神の名を呼ぶ。オラリオの中でも中立を謳うファミリアの主神であるヘルメスであれば、どちらの息も掛かっていないという判断だ。
「えーと……
「ああ、我が友よ、君にすべて委ねよう」
「ヘルメス、頼むよ」
断れない雰囲気を感じ取ったヘルメスは溜息を吐きながらくじ箱の前まで移動する。睨み合う二柱を一度見て、もう一度深い溜息を吐きながら箱の中へと手を突っ込んだ。
「後々文句を言うのは無しだぞヘスティア?」
「元々言うつもりはない」
「――じゃあ、これで」
ヘルメスは一枚の羊皮紙を取り出してロキへと手渡す。ロキは羊皮紙を開いて書いてある文字に目を走らせる。
「決まりや。今回の戦争遊戯は――」
ヘスティアとアポロンだけでなく、その場にいるすべての神々の視線がロキの掲げる羊皮紙に注がれる。
「攻城戦や!!」
ロキはその羊皮紙を机に叩きつけながら高らかに公平なくじの結果を発表した。
「フハハハハハハハハハハッ!? 神聖かつ公平なくじ引きの結果だ、異論は認められないぞ!」
哄笑するアポロンを無視してヘスティアはすまなそうに視線を送っていたヘルメスに首を振って気にしていないことを伝えた。
「ああ、だが流石に二人だけで攻城戦はできんからなぁ? 誠実なお前に免じて助っ人を一人呼ぶことを許してやろう!! それでも三人だがな、フハハハッ!!」
「――言ったね?」
至って平静な声でヘスティアは口を開いた。動揺を見せず落ち着きを露わにする彼女は、どこにも負ける心配などしていないようにアポロンには映った。
「……ふんっ、一人増えた所で我々の勝利は揺るがん」
「じゃあ、遠慮なく助っ人を呼ばせてもらうよ。ああ、でも安心してくれアポロン」
そんなヘスティアの態度が気に食わないアポロンは不機嫌そうに言葉を吐き出す。ヘスティアは重ねて不敵な笑みで言い放つ。
「助けを借りるのは
「なっ!」
その一言にアポロンを含めその場にいる神々の大半が驚きを声に出す。
助っ人を呼ぶのなら、当然強ければ強いほど良い。強すぎると戦争遊戯をする意味をなくしてしまうが、対戦相手と同等の強さの助っ人なら許されるだろう。アポロン・ファミリアの最高戦力はレベル3のヒュアキントスなのだから、レベル3までなら許されただろう。
「一緒に戦いたいって言ってくれた子がいるから手伝って貰うだけさ。その子がいなかったら、助っ人も呼ばなかったさ」
「貴様はっ!」
しかし、都市外のファミリアとなるとレベル3の冒険者など殆どいない。レベル2の助っ人が一人加わったくらいでは戦況は変わらない。
それはつまり、ヘスティアがアポロン・ファミリアを舐めているということに他ならない。アポロンは顔を紅潮させながら怒りを吐き出そうとする。
「アポロン、ボクはね信じてるんだ。信じることしかできないんだ」
怒りで顔を歪めたアポロンをヘスティアは声だけで制する。
「勝てないと思っていたなら、そうだね、ボクは土下座をしてでも、罵倒を浴びせられても、泥水を啜ってでも一騎打ちに持ち込んだよ。でも、ボクは信じてるんだ――ベル君とアゼル君なら、ボクの
毅然と、ただアポロンを静かな態度で見つめる。その姿を見てロキは感心すると共に面白くなさそうな顔をした。ミアハとタケミカヅチはそんな彼女を見ても心配で仕方なかった。
「負け戦だなんてボクは思っちゃいない。ボクだけはそんなこと思っちゃいけない。ボクだけは彼等の勝利を信じて送り出さないといけないんだ。アポロン――君は違うのかい?」
(貴女も、成長したのね)
そして、ヘファイストスは穏やかな笑みを浮かべた。
成長という言葉は正しくないのかもしれない。神々は成長しない、することができない。子供を心の底から信じるという想いは元々ヘスティアの中にあったに違いない。しかし、それを表に出せていなかっただけ。自分を曝け出してでも、信じて見守ることしかできない己の弱さを自覚しながらも大切と想える子供を見つけた証拠だ。
(今の貴女になら、あの子を)
ヘファイストスは目を閉じ、心の中で頷いた。
「んじゃ、後はギルドがセッティングしてくれるやろうし! 今日は解散やで!!」
ロキの一声で神会は終了した。これから面白くなると興奮している神々は未だ帰らずにその場に留まって各々話をしている。
「ふふ、応援してるわヘスティア」
「……君に言われなくても頑張るさ、フレイヤ」
ヘスティアの横を通り過ぎながらフレイヤは声を掛けた。その言葉に僅かな苛立ちを感じた。フレイヤからすれば手に入れようとしているベルとアゼルがアポロン・ファミリアに渡ったほうが簡単に手に入る。にも関わらずヘスティアを応援したのは、別段ヘスティアのもとにいたとしても手に入れられるという自信故だろう。
ヘスティアはその苛立ちを飲み込み、これからのことを考える。
「ヘルメス、一つ頼めるかい?」
「なんだい?」
「サポーター君の居場所を突き止めて欲しい」
「……まあ、それくらいなら良いかな。君に不利な形式を引いてしまったこともあるし」
「それは気にしなく良いよ」
きちんと依頼料を払おうとするヘスティアをヘルメスは珍しく断った。
「今回はサービスってことで」
「何に対してだい?」
「それは秘密だ」
ヘルメスにはヘスティアに断り無くアゼルを仲間へと引き入れているという後ろめたさがあった。流石に依頼を一つ引き受けたくらいで後ろめたさがなくなるわけではないが、ヘルメスなりの誠意を見せた結果だ。
「じゃあ俺はさっさと帰って依頼を遂行するとするよ」
そう言ってヘルメスは颯爽と会場を後にした。ヘスティアもそれに続こうとするが、呼び止められる。
「ヘスティア」
「何だいヘファイストス?」
「少し話があるの。これから私のホームに来れる?」
天界からの神友であるヘファイストスに対してヘスティアは頭が上がらない。下界に降りて来てからも何度も世話になっている相手だ。そんな彼女の頼みを断れるわけがなかった。
「ああ、大丈夫だよ」
それに、どこか真剣な神友の表情を見てヘスティアも何時ものような小言ではないと察した。
■■■■
「お、お邪魔します……」
おずおずと、部屋の中を伺うようにして鈴音は入室した。ヘファイストス・ファミリアの主神兼社長を務めるヘファイストスの執務室へと連れてこられた鈴音は怯える子犬のようだった。
連れてきたヘファイストスも溜息を吐きながら鉄を打っている時の鈴音との落差に呆れた。感情とはここまで人を変えることができるのかと感心もしたが、鈴音のそれは最早別人になったかのようだ。
「そう、緊張しなくてもいいわ」
「は、はい」
ヘファイストスは自分の机につき、鈴音は彼女の前に立ちながら待つ。その間壁に掛けられている槌を見ながら、思い浮かべるのは燃え盛る炎と熱せられた鉄だった。
「さて、今日貴女を連れてきた理由は一つ。貴女に提案があるの」
「提案、ですか?」
「そう、私は貴女に一つの選択肢を与える。どちらを選ぶかは貴女の自由」
炎のように赤い瞳が鈴音を見つめる。その真剣さに鈴音はこれから示される選択がどのようなものなのか想像することもできずにいた。
「……」
「……」
しかし、ヘファイストスはその状態のまま口を閉ざし話を進めることができなかった。本来であれば、このような選択肢を与えることは絶対にしたくない。しかし鍛冶師として、そして女として彼女は鈴音の成長が見たいと思ってしまった。
一つの火花が炎を起こすように、その感情は鈴音と会う度に大きくなっていく。
「あ、あの……」
最初、ヘファイストスにとって鈴音はただの団員の一人であった。表立ってヘファイストスが特別扱いする眷属は椿くらいのものだが、心の中で期待している眷属はいる。当時鈴音は気弱そうで少し心配ではあったが、それだけの眷属だった。
鈴音が他者に武器を打たせているのではないかという噂が流れた時はその噂を止めるために尽力した。しかし人の口に戸は立てられない、噂は止まらなかった。鈴音は孤立し、ふさぎ込んだ。主神であるヘファイストスが直接気にかけては他の眷属たちの反感を買うのは必至だ。仕方なく、ヘファイストスは椿に鈴音の面倒を頼んだ。
「忍穂鈴音、貴女にとって鍛冶とは何?」
それでも長期間鈴音は鍛冶から離れることになってしまった。打つ刀がすべて店の奥へと追いやられ、生きていく為の金銭がなくなり鈴音は仕方なく鍛冶以外の方法で稼がなければならなくなった。
そんな折だ、ヘファイストスが一人の剣士に出会ったのは。神友であるヘスティアから聞き及んでいたその剣士から彼女は鈴音が再び槌を手に取り鍛冶場へと戻ったことを聞いた。心配していた分、彼女は居ても立ってもいられず鈴音の元へと向かうことにした。しかし、鉄を打つ音を聞きすべてを悟った。
忍穂鈴音という鍛冶師が復活を果たした。否、以前よりも遥かに強く、遥かに深く、遥かに熱く、鉄を打つ音がヘファイストスの鼓膜を揺らした。
「昔の貴女は私に言った『刀が好きだから刀鍛冶になった』と」
「は、はい」
「でも、今は違う」
「はい」
刃に魅入られた刀鍛冶なんてものは有り触れた存在だ。オラリオを探せば何十人といるだろう。人を守る武具を作りたい、最高の剣を打ちたい、己の血を越えたい、美しい刃を鍛えたい、どの理由も等しく鉄を溶かす熱となる。
しかし、忍穂鈴音は理由は変わってしまった。歪に、しかし美しいまでに真っ直ぐに彼女を変えてしまった。アゼルと剣を交える鈴音を見て、彼女はそれを痛感した。
「私はアゼルが好きだから刀を打ちます」
ついさっきまでおろおろしていた彼女はどこへ行ってしまったのか、今の鈴音の表情に怯えや戸惑いなど欠片もない。
「アゼルの剣を振るう姿が見たいから、私はアゼルのために槌を振るいます」
見つめる先にはヘファイストスがいるはずなのに、まるで違う何かを臨むような鈴音の視線にヘファイストスは息を呑んだ。スイッチが入ったかのように、鈴音の身体から異質な気配が漏れ出す。
「アゼルのいる世界に少しでもいたいから、私は――」
最早、それは愛と呼んでいいのかヘファイストスには分からなかった。そもそも愛に単一の定義などないのだが、それでもヘファイストスは思わずにいられない。
だが、忍穂鈴音の『愛』は決して祝福されるものではない。
「――この身を捧げ、この想いを捧げ、彼の刃を成したいんです」
刃を成す、その真意をヘファイストスは問わなかった。聞かずとも彼女には分かっていた。ひたむきに燃える炉に向かいながら一つの刃を完成させた鈴音を見ている故に、その時の彼女の常軌を逸するほどの執念を知っている故に――答えなど分かりきっている。
忍穂鈴音はアゼル・バーナムの刃である。恨みや憎しみが染み込んだ武具をヘファイストスは見てきた。それらの武具の禍々しさを彼女は肌で感じ取ってきた。それとまったく同じであった。
恨みや憎しみでなくとも、愛情というどこにでもある感情でも――人は狂ってしまえるのだ。その感情を鉄に吹き込めるほどまでに、人の可能性は神にさえ把握できないのだ。
「もう一度問う、貴女にとって鍛冶とは何?」
「私にとって鍛冶とは、己を燃やし、己を打ち、己を鍛える――この身でもって刃を成すことです」
その命は捧げたのだから、心臓はもう忍穂鈴音のためだけには脈打たない。
その想いは捧げたのだから、心はもう忍穂鈴音のためだけには昂ぶらない。
その槌は捧げたのだから、その炎は捧げたのだから、その血の一滴髪の毛の一本に至るまで彼女は捧げると決めたのだから――もう彼女は彼女のためだけには在れない。
「ならば、私は貴女に一つの道を示しましょう」
鈴音の言葉に嘘偽りを感じなかったヘファイストスは漸く踏ん切りが付いたのか、本題へと入った。
「本当であれば、こんな事は言うのは主神失格。だけど、私は見たいと思ってしまった。卓越した技術でもない、重ねた年月でもない、赤子のように純粋なただの感情が武器を成すその結果を」
忍穂鈴音はもう一人では生きていけない、生きてはならない。太陽の光を反射して夜を照らす月のように、彼女はもう一つの存在がなければ存在できない。
その二つを一緒にいさせようと思うのは、至極当たり前の結論だった。
「だから忍穂鈴音、貴女は私の元を離れて彼の元へと行きなさい」
「――え」
予想外の言葉に鈴音は瞠目した。
「輝くものは何処にあっても輝く。なら最も輝く場所に置いておくのが一番良い」
「それって」
「
ヘファイストス・ファミリアにいては彼女の輝きはその極致を見せない。彼女の中で燃える炎はその本領を発揮しない。そのためには、何かが彼女の中に風を吹き込まなければならない。
その何かが、ヘファイストス・ファミリアにはなかった。
「槌と鉄、そしてその想いがあればどこでも刃は打てる。見せてみなさい、貴女の鍛冶の境地を。見せてみなさい、人の子の想いがどれほどの刃を成せるのか」
「で、でも」
主神の提案を聞き、鈴音は即答で了承しようと思った。しかし、彼女には一つ心残りがあった。それは椿と交わした約束。支援の代償として鈴音の持ちうるすべての技術を見せるという約束。
「『感情を模倣することなど不可能』椿はそう言ったわ」
鈴音が何を思って戸惑っているのか分かっていたヘファイストスは椿が言った言葉をそのまま伝えた。
「勿論、それは神である私でも不可能なこと。貴女の鍛冶の中核を成すのが感情である限り――貴女の刃は他のどんな刃にも劣らないでしょう」
「ヘファイストス様……」
鍛冶神は椅子から立ち上がり鈴音の前に移動する。慈しむように鈴音の頬に触れ、そして微笑む。
「後のことなんて考えなくていい、いいえ、そんなことで止まる貴女じゃない。あの日見た忍穂鈴音はただ我武者羅、ただ一途、ただ無我夢中、自分の心の感じるままだった」
「良いん、でしょうか?」
鈴音は頬を触れる主神の手に自分の手を重ねた。そこにはどこか懐かしい温もりが、鉄を打つ者全員が持つ情熱が感じられた。
「私は、そこまで欲して良いんでしょうか……」
「良いに決まってるでしょう? 貴女は私の愛する
ヘファイストスは鈴音を抱きしめ、そして優しく、母が子にするようにその頭を撫でた。忍穂鈴音はただの狂人ではないのだから、ただ望む一つの願いのために他をすべて斬り捨て平気でいられるほど割り切れてないのだから。
それでも、神は人に選択を迫る、試練を与える、可能性を魅せろと囁く。
「行きます」
鈴音は抱きしめる主神を押しのける。自らの手で相手を押してその抱擁から抜け出す。その瞳は濡れていた、目尻に雫が溜まっていた。しかし、涙が流れることはなかった。その場には何も思い残すまいと、鈴音は流れ落ちる前に雫を拭った。
「アゼルの元へ私は行きます」
「悔いはない?」
「……あります。それでも、後悔を引きずってでも私はアゼルといたい」
鈴音にとってヘファイストスと椿は辛かった時に支えてくれた恩人である。主神でありながらどこか母親を思わせる優しさを持ったヘファイストス。姉のように自分を心配し導いてくれた椿。
一人訪れたこの地で、彼女の得た家族のような繋がりだった。
「どれだけ感謝しても感謝しきれないと思います。だってヘファイストス様がいなければ、私はアゼルと出会っていなかった」
そんなことないとヘファイストスは思った。目の前の少女なら自分がいなくとも、例えば他の鍛冶神の眷属となっても、いや、それこそ誰の眷属になっていなくともアゼルの元に辿り着いたのではないだろうか。
神でさえ知ることのできない、運命という道筋が鈴音とアゼルにはあるように思えた。
「だから、見ていてください。私の鍛冶を、私の刃を、私の想いを。他の何にも劣らないというのなら、何時かこの刃が貴方達にも届くと信じて私は槌を振るいましょう」
「ええ、見守るとしましょう。愚かしくも愛しい我が
立ち止まることが許されないわけではない。だが、忍穂鈴音は立ち止まることができない。そんなものとうの昔に彼女は忘れてしまっていた。アゼルと出会ったあの日から、想いは芽生え、膨れ、加速し続けるばかり。
どれだけ苦しかろうと、どれだけ痛かろうと、どれだけ精神が摩耗し狂いそうになろうと、彼女の歩みは止まらない。
背中に刻まれた【ステイタス】を改宗可能状態に更新し終わり、二人の間に沈黙が流れる。意を決して鈴音は立ち上がりドアへと歩き振り返る。
「ありがとうございました、ヘファイストス様」
最後に自身の主神に頭を下げて背を向ける。
「行って参ります」
「ええ、行ってらっしゃい」
交わされた言葉はそれだけだった。
鈴音は振り返ること無くドアを開けてその場を去り、ヘファイストスはその背中をただ見送った。自分で送り出したのだから、惜しくとも今は何も言うべきではない。
それに、自分の眷属を危地へと送り出すというのにどんな言葉を送ればいいというのか。
剣を持つ姿は正に修羅、話に聞く噂は死合ばかり、自分の主神を悩ませるほどの戦闘狂。戦場でもない、ただの修練所ですら彼の斬撃は死を想起させた。
間違いなくアゼル・バーナムの隣は死地となるだろう。
それでも、ヘファイストスは鈴音の辿り着く答えが見たかった。死の淵に立っても鈴音はアゼルの傍にいたかった。利害の一致は当然の結末へと収束していく。
「はぁ……」
溜息が漏れた。様々な感情が混ざり合いそして吐き出される。
忍穂鈴音という狂愛を孕んだ少女を心配しながら、彼女の打つ次なる刃を思い浮かべる。死地へと送り出した自分を許せない思いもあったが、神としての性、鍛冶師としての性が自分の選択を間違いとは言わせない。
「はぁぁぁ……」
そして更に溜息を重ねる。
その時思い浮かべたのは、鈴音が改宗したことを聞いて自分の元にやってくるであろう赤髪の鍛冶師についてだった。
忍穂鈴音並びにヴェルフ・クロッゾ――ヘスティア・ファミリア入団。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。
6章が何故長いかと今更ながら考えてみたら、そうでした、アゼルじゃない登場人物に焦点をあてまくってるからでした。戦争遊戯をするにあたって用意しないといけない舞台を固めるのが大変です。すみません、ヴェルフはカットで。