IS-虹の向こう側- 作:望夢
真っ暗闇の世界。来る日も来る日も真っ暗な闇の中で、躰を勝手にされる日々が続いた。
産まれてからずっと、そうした闇しか知らなかった。
でもそんな闇の中にも光は舞い込んできた。とてつもなく大きな光。優しくて、温かかった。
でもその光は私の心を照しただけで、消え去ってしまった。まだその時ではないと、光は告げて消えていった。
いったい何時なのか、その時は何時になればこの闇を照してくれるのか。私は待ち続けた。
そして3年が過ぎて、光はようやく私の世界を照らしてくれた。
――来るか?
差し伸ばされた手は、優しくて、温かかった。あの時の光と同じように、私を照してくれる光。夢も希望もない世界から連れ出してくれる光。
「マスター……」
マスターは何時も私を抱いて眠ってくれる。マスターの温もりが、私が光の中に居ることを実感させてくれる。
マスターの心が、私を満たしてくれる。優しさという光で。
私は、その光に惹かれる。この大きな光は、私を包み込んでくれる。薄汚い闇の記憶から、私を守ってくれる。
「どうした、クロエ?」
「いえ。申し訳ありません、マスター。起こしてしまいましたか?」
「いや。ちょっと起きただけさ。もう一眠りするよ」
「はい。お休みなさいませ、マスター」
「ああ。おやすみ、クロエ」
髪を軽く梳き撫でて、額に口づけを落として、また眠りにつくマスター。
それだけなのに、私は身体中の血液が沸騰しそうな興奮に苛まれる。
私は『物』だから、大切にされる事に幸せを感じてしまう。
死んでもいい。マスターの為なら、私の命などいくつも投げ捨てよう。マスターが望むなら、私の卑しい躰を捧げよう。
マスターは、私が囚われていた闇を浄化してくれた。
私の世界。それはマスターが与えてくれたもの。だから私には、マスターだけで良い。
強化人間の男にも、纏わりつく女にも重ねられたくないから、束様に無理を言ってしまった。
束様もまた、マスターの世界の一部。私を救ってくれる御方。
でも、わけを話したら束様は私の機体を変えてくれた。束様には感謝します。
ただのデータ取りでも、あるがままの私を見て欲しかった。誰かと比べて欲しくなかった。その為のわがままだった。
マスター、私は悪い娘なのでしょうか?
でも赦してください。私は私として、マスターの世界に居たいのです。
赤いMS――サザビーが、アリーナの中を舞う。その姿は一直線に進む彗星ではなく、まるで獲物の上を旋回して獲物を狩る猛禽の様で、だから蒼き鷹だったのだ。
アリーナというISには狭い世界。それでもこの世界には私とマスターだけ。
サイコフレームが共鳴しあって、マスターの想いが流れ込んでくる。
マスターは楽しんでいた。私との拙い戦いを。ファンネルの撃ち合いで負け、ビームサーベルの切り合いで捌かれ、ビームライフルでは捉えられず私だけが捉えられて。それでも楽しんでいた。
兵器として造られた私のアイデンティティを完膚なきまでに打ち壊したマスター。なのに悔しさを感じないのは、マスターの力が、私の及ばない次元にあるからか。
強い。御強いマスター。私ではまだまだ未熟です。だから私は強くならなければ。マスターをお喜び差し上げる為に。
◇◇◇◇◇
モンドグロッソ。ISによって行われる世界大会であり、一種のオリンピックの様なものだ。
多種目に渡り、各国は自国の威信を懸けたISを競い合わせる。
そんなモンドグロッソが開催されているドイツに来ていた。
「~~~♪ ~~~♪」
一緒に連れてきたクロエもこのお祭り騒ぎの空気に舞い上がっているようだ。
ただずっと手を握られている所為で、周囲の目が痛い。
クロエは身内贔屓なしにしても極上の美少女であることは確かだ。
そんな美少女が楽しそうに笑っているのだからその魅力は30%増しは下らない。
その笑顔を一心に受けるのは悪くない。悪くないのだが、それ以上に周囲の嫉妬という名の視線が痛い。ニュータイプは視線にも敏感なんだから勘弁してくれ。
そんなおれは別に遊びに来たわけじゃない。今回も束の依頼で此処に来ている。
モンドグロッソ第一大会総合部門で優勝し、ブリュンヒルデの称号を持つ織斑 千冬が、今時第二大会総合部門でも猛威を振るって、既に優勝は約束されているようなものなのだが、それを気に入らない連中が居るのは世の常事。
織斑 千冬の弟、織斑 一夏も、姉の応援の為にこのドイツの地に来ているのだ。
織斑 千冬は束にとっては親友であるとのこと、織斑 千冬自身は世界最強のIS乗りだが、織斑弟は普通の中学生なので、その警護の為におれたちが遣わされたということだ。とはいえあくまでも保険という立場だ。世界一のIS乗りの身内なのだ。それぐらいの護衛は着いている。その護衛が対処できない事態に際して、おれたちが動くことになる。
とはいえモンドグロッソ開催中の上に諜報に強いこのドイツという国で世界一のIS乗りの弟をどうにかしようなど、ソーラ・システムなしでソロモンを攻めるようなものだ。
ソーラ・システムさえなければソロモンは墜ちはしなかっただろうに。
あの雪辱のソロモン防衛戦。
アムロのガンダムと撃ち合ったおれは、完全に負けてしまった。ニュータイプ同士の戦いだったが、やはりガンダムとザクには覆し難い性能差あった。
並外れたアムロの反射神経に、機体が着いていかなかったのだ。
「マスター……?」
「ん? どうした、クロエ」
「いえ。なにかお悩みの様でしたから」
「いや、悩みじゃないさ。昔のことを思い出してただけさ」
もう過ぎ去った過去を気にしてもしかたがないだろう。IFを思ったところで、歴史は変わらないのだから。
「マスター、悪い知らせが入りました」
「悪い知らせ?」
「織斑 一夏が誘拐されました」
「え?」
淡々と言うものだから、クロエの言葉が非常事態であることを頭が理解するのに一拍要した。
「いや、この警備でか」
なにしろ一般人に紛れて覆面があちこちに居るのだ。
そんな中で有名人の弟をどう掻っ攫った。
いや先ずはおれたちが必要か否かを判断しなければ。
「織斑 一夏の消息は?」
「ドイツ軍も捜索に出ていますが、目下不明です」
軍まで出動していて見つからないとなれば、相手が相当のやり手か、国が一枚噛んでいるか。いや、この世界大会という大舞台での事件であれば、国が関わっていないことを疑う方が難しい。
「クロエ、発信器は?」
「動いています。進行ルート上の潜伏に使えそうな場所は、今は使われていない工場跡地の資材倉庫が怪しいです」
「上出来だ。なにかある前に終わらせるぞ」
「イエス、マスター」
おれたちは人目に着かない裏路地に入ると、ISを纏って、ステルスが施されたフライングアーマーに乗ると、空を駆けて発信器の反応を追跡した。
軍に報せないのは、騒ぎが大きくなって大事に至る前に、こちらで終わらせてしまおうと思ったからだ。なんの利権も考えなくて済む立場のフットワークの軽さは一刻を争う時ほど貴重なものだ。
◇◇◇◇◇
「奴が動いたか……」
諜報部から上がってきた報告に目を通しながら呟くひとりの少女。まだまだ年若い乙女だが、その声にはこの歳の少女には決して出せない気迫に満ちていた。
「機体の完成は間に合わなかったか、まあ良い」
万全の状態というわけではないが、今の奴の実力の程を知るには良いだろう。
「この私に尻拭いをさせるのだ。これくらいの楽しみというのはなくてはな」
織斑 一夏の誘拐。その報と共に動いたサザビー。それが何を示すのか興味はないが、態々動いたというのだからわかることもある。織斑 一夏の救出は二の次だ。どのみち先に到着している奴がやっているだろうという確信がある。
純白のISを展開して、彼女は空を駆ける。
この十数年を待ち焦がれた。普通に平凡な生を送っても良かっただろう。スペースノイドとアースノイドの対立がないこの世界。ISによって女尊男卑が広がっているこの世界で、女性として生まれれば勝ち組も良い所だ。
だがそんな俗物の様な生き方になんの意味がある。
媚び諂う腰抜けにこの身をくれてやるつもりもない。
今のこの昂りを受け入れられる人間は、この世界にただ一人だろう。
是が非でも手にしてみせよう。その止まり木を最初に見つけたのは私なのだから。
to be continued…