IS-虹の向こう側- 作:望夢
正直悩みに悩んだ人選だったさ。だから石ころ投げないでくれ。
「おはようございます。マスター」
「おはよう、クロエ。でもマスターはやめろ」
「はい、マスター」
西洋人形のように整いすぎる端正な笑顔を浮かべる娘。
クロエと名付けた彼女はおれのことを『マスター』と呼ぶ。
最初は『ユキ様』と呼ばれたのだが、そんな『様』付けされるような偉い人間じゃないのだから止めろと言ったらこうなった。
他に候補があったが、『大尉』だの『少佐』だのと階級で呼び始めるものだから全部止めろと言ったのだが。
「あのな、クロエ。おれのことは『マスター』じゃなくて名前で呼べと何度も」
「そんなッ。ダメ…ですか……?」
「うっ…」
恐らく彼女の思い付く限りの名称でおれを呼ぼうとしているのだろう。個人的には名前だけで呼んでほしいのだが、強化人間故の強烈な刷り込みか。
クロエは自分を『もの』として無意識に位置づけている。だから敬称を付けるのだろうが、それを止めさせたら、とにかく自分を下に付ける名称を探し出す。
今も世の中が絶望に染まりきった感情が伝わってくる。ちなみに『ご主人様』とも呼ばれたが、速攻で棄却させてもらった。
恐らく自分で考えられる最後のネタだったのだろう。それさえも拒否されて、彼女のなかでは自身の存在価値が大暴落してしまったのだろう。
納得のいく名称を考えられないダメな自分に価値はないと、伝わってきてしまう。
「なんでもします、なんでも致しますから。お願いですから、捨てないで」
縋り付きながら必死に訴える姿に良心が痛む。おれにそんな気はないのだが、ここで厳しくしたら後が怖い。
「わかった、わかったから。呼び方はお前に任せる。好きに呼びなさい」
「マスター……。マスター…!」
お許しを得たクロエは花が咲くように笑うと、おれの胸に顔を埋めてくる。
甘えが過ぎるだろうが、ついつい甘やかしてしまうのは、この娘が親の甘えを知らずに育ってしまったからだろう。
カミーユやクェスのように親の甘えを受けられなかった若者の相手をしてやれなかったが故の結末を知るが故に、同じ轍を踏むわけにもいかない。
結果はご覧の通り、甘やかしてしまうのだ。
◇◇◇◇◇
彼が拾ってきた強化人間の女の子。クロエちゃん。
遺伝子の段階から手を加えられて、躰もあちこちが強化された彼女。
その目的は、ISの利権に溢れたバカな連中が、ちーちゃんを倒して世界を見返してやろうというつまらない理由から生まれた強化人間だった。
神経を光ファイバーに変えて人間には不可能な反射神経と、それに耐え得る筋肉組織の強化。認識力を高める為の投薬強化。まったく反吐が出る内容だった。
元々はドイツで研究されていたらしいけど、ドイツの方が研究を完成させて、不要になった試作個体をイギリスが引き取ったらしい。確かイギリスは第3世代のISにビット兵器を積む予定だったから、クロエちゃんみたいな空間認識能力の高い娘は欲しいはずだ。
まさしく、俗物め!って言いたくなるわ。
彼がクロエちゃんを生かしたいのなら、私は反対しない。それに彼女もニュータイプと同等の能力を持つ強化人間みたいだし。観察対象が二人に増えるのは良いことだ。
だからってイチャイチャしすぎ! ベタベタしすぎ! 見た目は中学生と高校生が乳繰り合っているだけにしか見えないけど、二人でじっと見つめあってるのになんか腹立つ! あれですか!? オールドタイプの私はお呼びでないとですか!? あの二人絶対ニュータイプ的な空間――最近の若者に分かりやすく言うなら、GN全裸空間みたいに意識共有してるよ!! ぶーぶー、仲間はずれは反対でーす!
ああ、ニュータイプってホントにズルい。
「ほらほら、二人していつまでも見つめあってないで、動く動く」
「ああ、そうだな。よし、来いクロエ!」
「イエス、マスター」
今は彼とクロエちゃんはISを纏って戦っていた。
彼はいつも通りにサザビーで、クロエちゃんはギラ・ドーガ サイコミュ試験型に乗っている。
サザビーをデチューンした機体として用意したもので、ならヤクト・ドーガでも良かったのに、クロエちゃんが嫌がったからヤクト・ドーガをベースにして造ったという複雑な製作経緯がある。
2機ともサイコフレームを積んでいる機体の所為か、互いにサイコフレームが光っているのだ。サザビーは翠に、ギラ・ドーガ サイコミュ試験型は青色に。
互いにビームを撃ち合っても全弾回避。反射速度はクロエちゃんの方が圧倒的に早いのに、彼を捉えきれない。
これでも彼は手を抜いているのだから畏れ入る。その証拠に、サザビーのファンネルは全基健在なのにギラ・ドーガ サイコミュ試験型の方のファンネルはすべてファンネルの撃ち合いで破壊された。
それはやっぱり経験の差だろうか、クロエちゃんのセンスは悪くない様だけれど、17年もパイロットをやっていた彼には到底及ばなかった。
でも互いに楽しそうなのは、首から下げて服の中に隠しているサイコフレームから感じ取れる。
サイコフレームの構造自体は再現するのは余裕だったけど、その能力は本当に未知数過ぎて、本当に人が造ったものか疑いたくなる。
コックピットフレームにだけ内蔵された僅かな量でも、アクシズを押し返す程の力を出して、人の形に為れば意思を持って、物凄い量が集まると刻すら支配出来る可能性を持つものになる。
後にも先にも、こんなオカルトオーバーテクノロジーはこのサイコフレームくらいだろう。
◇◇◇◇◇
イギリスの遺伝子研究所が襲撃されたことは、表向きには事故として処理されたが、それを信じるものはごく少なかった。
「赤い彗星……。随分と派手にやらかしたものだ」
ドイツのとある一等地。キレと覇気の混じった女性の声が呟かれた。
手元の資料には無駄に高画質の写真に映るサザビーの姿があった。スカートアーマーには『CD』をもじったマーキングと、シールドにはネオ・ジオンのエンブレムが刻まれ、誰がどう見てもMSN-04 サザビーであることがわかる。
だがそれがMSではなく、ISであろうことは空中をまるで宇宙のように舞うサザビーの姿で予測できる。
「だがこの動きはヤツの動きではないな。この動きのクセはヤツのものだ」
幾度もの戦場で戦火を交え、最後は一騎討ちという互いに戦士としてのすべてをぶつけ合った者同士。
見掛けは赤い彗星ではあるが、その端々に見る動きのクセというものは隠しようがないと言うものだ。
まるで親の仇でも見るかの様だった鋭い視線は、今や力強さを失わずも穏やかさを浮かべていた。
「しかし余計な小鼠に捕まっているようだな。ヤツらしいと言えばそうなのだろうが」
だがまたその瞳が鋭さを携えると、一枚の書類を引っ張り出して、その内容に目を通す。
「サイコモニターか。ニュータイプであることが、今回は裏目に出たな」
太平洋に浮かぶ小さな無人島。そこにサザビーが居るのは間違いない。だがこの情報を知るのは、世界でも彼女の身の回りの極一部に過ぎない。無論この情報をどうするのか決めるのも彼女である。
思い出そうと思えば、生々しくも思い出す自身の最後。
人の腕の中で命を閉じる。戦士としての潔さは持っていても、人としての甘さに溢れていた甘ちゃん坊やは、自身の戦士としての散り様を穢したが、人としての幕引きをさせてくれた。他人の為に涙を流す優しさを拒めなかったのは、自分の弱さだっただろう。
だが、そんな幕引きも決して悪いものではなかったと思う。
「ユキ…。貴様がこの世界に居るのなら、この私を感じてみろ」
数ヶ月程前に宇宙に現れた虹色の光りから感じたものは、かつて互いにぶつけ合った意思の波長のソレだった。自身の浮かべる者が赤い彗星の真似事をしているのは確定したも同然だ。
「私の機体の完成を急がさねばな。ヤツを屈伏させられるのは、この世界では私だけのものだろう」
誰かの手で文字と絵によって表現される歴史とは異なった最後を迎えさせた男に、思いを馳せる。
その男ともう一度戦火を交えることを想う横顔は戦士としての期待と、女性の優しさを携えた微笑みを浮かべていた。
to be continued…