特殊船団護送艦隊 船団護衛戦記 第四次北インド洋海戦   作:かませ犬XVI

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第八話 艦対空 防空戦闘

「敵機、南方三十キロ地点を突破、なおも接近中。敵編隊、現在推定五十機。扶桑さん、お願いします」

 

 祥鳳から報告される敵の現在の状況を聞きながら、扶桑は、艦橋の窓から双眼鏡を構え、晴れた南の空を睨みつけていた。遥か南方、三百キロ以南から飛んで来た敵編隊は、今や扶桑達まで残り三十キロの地点を突破して来ている。高度七千メートルを巡航しているとはいえ、この距離となると、もう双眼鏡などなくとも肉眼ですら問題無く敵編隊を視認出来るほどである。

 双眼鏡越しによくよく戦闘空域を確認してみると、明らかに敵と判断出来る機影は二十機から二十五機程度。その他は、敵味方が激しく入り乱れているように見えてよく解らない。恐らく、襲い掛かる烈風と、それに死に物狂いで対抗している敵戦闘機群である。

 明らかに敵と思われる機体は、戦闘機隊の決死の防衛戦闘に護られてなおも箱型密集陣形での飛行を続けており、突っ込んでくる烈風に向けて曳航弾の交じる火線をばら撒いている。その内、大型で鈍重の雷撃機と思われる機体は僅かに五機しかいない。もとから数が少ないのかこれまでに撃ち落とされたのかは定かではないが、残りは、全て爆装している急降下爆撃機と思われた。

 敵編隊の速度は、おおむね報告通り、大体時速五百から五百二十キロ。中間の時速五百十キロと仮定すると、敵は分速八キロ半。後二分。残り二分で、扶桑は委任された艦砲射撃の号令を出さねばならない。

 最早、秒読み段階である。目前まで敵が迫っていると言って間違いなかった。

 

「こちら祥鳳。制空隊、離脱して下さい!」

 

 遂に、最後まで追い縋っていた烈風部隊に対し、撤退命令が下される。これ以上敵への攻撃を続けると、扶桑達の対空砲撃に巻き込まれるためだった。

 敵の撃退には失敗したが、彼等にこれ以上戦闘を続行させるわけにはいかない。まだ戦いは終わっていないのだ。仮に無理に戦い第二次攻撃隊を壊滅に追い込んでも、敵はやがて帰還機から稼働機を掻き集めて第三次攻撃隊を組織してくるだろう。その備えをして貰わなければならなかった。

 

「砲撃用意!」

 

 敵編隊の周囲を取り囲んでいた烈風達が、一斉に離脱していく。そのさまを見ながら、扶桑は無線に改めてそう吹き込んだ。以後は、口元から子機を離さない。チャンスは一度きりしかない。万が一にも無線が扶桑の号令を拾い損ねる事が無いようにするためだった。

 装備する電探が計測した敵機までの距離が、艦内無線で扶桑のもとに知らされる。敵編隊が二十キロのラインを突破した。流石にこれ程の近距離となると、最早探知した距離に誤差などほぼ無い。信用に足る数字だった。

 狙うのは、敵編隊が十二キロの所まで飛んで来たその時である。

 扶桑と山城の放つ砲弾は、大体十キロを飛ぶのに十三秒弱の時間がかかる。となると、敵が十キロ丁度に到達する十三秒前に号令を発すれば良い。敵の速度を考えると、ほぼ七秒間隔で一キロ進む事を考えれば、十二キロと判断した瞬間に発砲すれば、多少のタイムラグを含めて、大体丁度いい具合で起爆してくれるだろうという想定からだった。

 それまで、待つ。早過ぎても、遅過ぎても、意味が無い。焦ってはならない。

 航空機とは、極めて高速で動き回るものだ。たった一秒で、百メートル以上も進んで行く。零式通常弾は加害半径こそ広いものの、その威力は爆心地から遠ざかるにつれ急激に低下していく。敵機を落とし、または任務続行を諦めさせる程の損害を与えるには、可能な限りの精度を追求しなければならない。そうでなければ、多少の被弾は無視されてしまう。

 たかが、一秒。されど、一秒。この僅かなずれが作戦の成否を握るため、扶桑は、時計で秒数をカウントしながら、号令を出すタイミングを見計らい続けた。

 

 

「てぇっ!」

 

 空の敵を睨み、二十キロ突破と報告されてからの秒数を数え、今だと判断したその瞬間。扶桑は、声を荒げて口元の無線にそう号令を吹き込んだ。

 その刹那、その号令をきちんと受け取った戦艦二隻、重巡二隻の計三十六門もの主砲が、今までの沈黙を破り、豪快にその口火を切った。

 艦隊全体に立て続けに轟く、凄まじく強烈な爆発音。巨大な火球が幾度も海面を焼き、雷の直撃を受けた以上の強烈な轟音と衝撃波達が、黒鉄の要塞達を震わせた。

 

 

 永くも短い、十三秒。秒速八百メートルにも達する巨大な砲弾達が群れを成して空間を切り裂き、音を置き去りにしながら空を往く。今まで艦内にすし詰めで待機していた対空機銃要員達が蜘蛛の子を散らす様に甲板に広がり行くその最中、扶桑達艦娘は、誰もがその行方を見守っていた。

 敵編隊からも、こちらの一斉砲撃は間違い無く見えたはずだ。こちらの発砲炎の数を確認してか、先頭に居た敵機が数機、大慌てで左右にブレイクしていく。しかし、箱型密集という突貫陣形をとっていた敵編隊は、その解除に、退避に、手間取った。

 そして、想定していたその時間が過ぎ去ったその刹那。敵編隊の浮かぶその大空に、彼等を包み込む様に鉄の鱗粉を撒き散らす黒煙の華が幾つも咲き誇った。

 

 扶桑達の想定通り、艦隊から十キロの地点できっちりと花開いた零式通常弾は、音速を超える速さで夥しい数の鉄片を辺り一面にばら撒き、近くにいる哀れな航空機達に情け容赦なく襲いかかった。

 瞬く間に十機以上の敵機が紅蓮の炎に包まれ、圧し折れ、空中分解し、爆散し、元の形を失いながら急降下していく。その道中、幸運にも鉄の鱗粉から逃れた友軍機を海底への道連れに誘いながら。

 

 痛烈な一撃を喰らった敵編隊は、最早これまで通りに編隊を保つ事は出来なかった。皆が皆、泡を喰ってそれぞれの方向に旋回し、半壊した集団があっという間に霧散していく。

 更に、あの一斉砲撃を皮切りに、扶桑達迎撃艦隊全艦の搭載する高角砲という高角砲が全て一斉に火を吹き始めると、敵機達はさらにバラバラに散らばっていった。ある者は高度を下げ、ある者は更に高度を上げ、またある者は爆弾を投げ捨ててUターンし、各々が思い思いの行動を取り始める。

 編隊長機が墜ちたのか、それとも景気良く撃ちまくっている高角砲でそれどころではないのか、指揮系統すらも機能していないようだった。散らばった機体同士で集結を図ろうともせず、一機から四機程度という極僅かな単位だけで高角砲の弾幕の中を逃げ惑っている。

 この有様では、彼等に船団への攻撃などまず不可能だろう。仮に扶桑達をすり抜けた機体が船団に向かおうとも、船団の周囲にはまだ多摩や大和達が待ち構えている。彼女達の輪形陣を突破出来るとは思えなかった。

 

「たーまやー」

「かーぎやー」

「お前達真面目にやるくま」

 

 運悪く高角砲の直撃でも受けたのか、急降下爆撃機の内の一機が大爆発を起こして消し飛んだ。

 それを花火に見立ててのんきに掛け声を上げる北上大井ペアの声を聞きながら、扶桑は、しかし、空を見上げながらそう喜んでいる暇は無いなと思った。指揮系統を失い、編隊も解除し、既に全員揃って迷子状態と化した敵部隊が、段々と扶桑達に対する攻撃の構えを見せ始めたのだ。

 最早船団への攻撃など到底不可能。しかし、離脱しようにも、高角砲の弾幕から脱出すれば、依然としてその周囲を飛び回っている烈風達が群がって来る。まず生還は望めない。そして、このままこの場に留まっても、いずれは高角砲で落とされる。

 進撃も撤退も不能に追い込まれた敵が選べる選択肢は、眼下を航行する扶桑達に対する攻撃以外に無かった。

 

「こちら扶桑。全艦、退避行動自由。来るわ」

「はぁ……空から一方的に叩かれるのね……。不幸だわ……」

 

 艦隊に注意を促してみれば、返って来るのは妹からの愚痴。相変わらずいつも通りのその様子に苦笑を漏らし、扶桑はさらに言葉を返そうと口を開いた。

 

「大丈夫よ、山城。練習通り、全弾避けてあげましょう」

 

 航空機の恐ろしさは、艦娘も海自も揃って認識している。どれだけ濃密な防空網を築こうとも、それを突破してくる敵機が少なからずいる事も、両者とも理解している。

 だからこそ、日本海上自衛隊所属の艦艇は敵の爆撃は来る前提で訓練を積んで来ている。その訓練のマニュアルとなったのが、旧帝国海軍が事実上壊滅に追い込まれたあのレイテ沖海戦。一千機もの一大航空兵力で以て攻め込んで来た、ハルゼー大将率いる空母機動部隊の猛攻を、直撃弾皆無で切り抜けた伊勢、日向の回避術だった。

 図体が大きい戦艦でも、急降下爆撃機部隊の猛攻を全て回避する事が出来る。この戦訓を重く受け止めた日本では、戦艦、巡洋艦、そして駆逐艦に至るまで、この回避法の習得が義務付けられている。

 無論、伊勢型戦艦の準同型艦である扶桑と山城は、その戦訓の影響を色濃く受けた一人である。日本海での演習で、赤城率いる主力機動艦隊からの猛攻撃を妹共々死に物狂いで避け続けた爆撃回避訓練は、扶桑にとっては大きな経験だった。

 赤城達の全力出撃、四波のべ八百機からの反復攻撃で狙われ続けるあの地獄の様な訓練から考えれば、僅か四十機からの攻撃など、大した事は無い。

 勿論、たった数機の複葉機に脚を止められ結果として自沈に追い込まれた戦艦ビスマルクという例もあり、油断だけはしないつもりではあるのだが。

 

 空を見上げる。海面近くまで下りて来ているのは、生き残った雷撃機が僅かに二機と、戦闘機部隊。

 友軍誤射を恐れ、烈風達は近寄って来ない。そのせいで、敵戦闘機は本来の仕事を失っている。 だからこそなのか、降下して攻撃に加わる目論見のようだ。

 爆弾も魚雷も積んでいない彼等戦闘機達だが、その機銃掃射も馬鹿には出来ない。機雷や魚雷という危険物を搭載する戦闘艦は、たった一発の機銃弾のアンラッキーヒットで轟沈する事すらあるのだから。

 一方、上空に今なお陣取っているのは、急降下爆撃機部隊である。その数、少なくとも十機。襲撃するのに最適のポイントを探して、艦隊の上空をフラフラと移動している。右に左に蛇行しているせいで、対空砲が上手く当たらない。艦隊の上空、扶桑達戦艦の上を取ろうとしているように見えるのだが、針路が読めない。まだ急降下体勢に入った機体は見当たらないが、必ず仕掛けて来るだろう。

 

 と、敵の状況を観察していたその時だった。敵爆撃機の内、特に高度を高くとっていた二機編隊が急に上下反転。逆落としで一気に急降下をし始める。遂に仕掛けて来た。

 機首をほぼ真下、突入角六十度を超える急角度に向け、瞬く間に迫って来る。

 

「面舵一杯!」

 

 機首の向きからして、標的は恐らく扶桑。単縦陣の先頭を潰せば、後続の山城の機動も乱れ、結果的に友軍が攻撃し易くなる。それを狙っての事だろうとあたりを付けた。

 反射的に、舵を切るよう命令を出す。方向は、敵機の方向。敵の下を潜り抜けるようにすり抜けるためだ。初めから命を捨てて体当たりを狙って来ない限り、急降下爆撃中に真下に逃げ込んだ敵を攻撃する術は無い。後は、爆弾が到達するまでに艦の操舵が間に合うか否かの時間の戦いである。

 

「初春! 右舷、敵戦闘機!」

「分かっておる! 面舵一杯!」

 

 無線の向こうから、子日と初春の声が聞こえる。どうやら戦闘機隊も攻撃を仕掛けて来ているようだった。

 恐らく、第一波の急降下機が出た事で、他の機体も釣られるように済し崩し的に仕掛けて来ているのだろう。尤も、未だに指揮系統が回復していないのか、数もタイミングもてんでバラバラなのが救いではあるのだけども。

 

「山城! 後ろに付かれてるくま!」

「くっ、取舵一杯!」

「大井っち、戦闘機をやるよ、駆逐艦がヤバい」

「加古、私達も続くよ」

 

 扶桑の舵が効き始め、敵機の下を目掛けて回頭を始める。迫る敵機は、まだ爆弾を手放してはいない。この分だと、恐らく回避は間に合う。扶桑が軌道修正可能範囲外に出る方が早いだろう。一先ず、目前の脅威からの自分の安全は確保した。一応、前方上空に新手の爆撃機二機の姿を認めるが、まだ僅かながら距離がある。まだ反応するには早い。取舵を指示するにも、まずは降って来る爆弾を避けてからでなければ。

 その間に、ざっと周囲を見回す。後ろをついて来ていた山城の後方上空には、爆撃機が三機編隊。山城は舵を切ったのだろうが、まだその影響は出る前だ。そして、敵機もまだ急降下はして来ていない。恐らく、ギリギリまで狙いを付けてから攻撃を始める気だろう。扶桑を狙う二機のように、六十度以上の急角度で以て。

 真後ろに付かれているのは少々不味い事態だ。敵機の軌道修正次第では、三発全弾被弾もあり得る。艦後方の高角砲に妹上空の敵機を狙うよう指示しながら、扶桑は妹から目を離す。

 球磨達は、比較的安全だ。敵爆撃機は、目立つ上に大型鈍重で狙い易い扶桑達を優先的に狙おうとしている様に見える。扶桑達が囮として機能し敵の攻撃を吸収出来ている限り、彼女達は実質見逃されているようなものだ。

 祥鳳達の周囲にも、敵機は見当たらない。狙われても可笑しくはなさそうなのだが、甲板に航空機の姿が無く、誘爆しそうにないからなのか、それとも何か別の理由があるのか。とにかく敵は彼女達を無視、放置しているように見える。

 一方、少々厳しそうなのが、初春達六隻だ。駆逐艦は小型故に機動力は高いが、防御力は無いに等しい。その機動力故に爆撃機からは無視されているが、紙装甲故に戦闘機達からすれば獲物である。何しろ、機銃弾だけで蜂の巣にする事も可能なのだから。

 敵戦闘機は多少バラけてはいるが、相対的に多めに殺到しているのは旗艦の初春だ。ざっと見るだけで五機以上、十機程度の敵機に狙われているように見える。今も上部構造を上から降り注ぐ火線が縫い、火花を上げながら手入れされた船体に小さな風穴が無数に開いていく。命中した曳光弾が弾かれずそのまま船体に消えた事を鑑みるに、装甲が無さ過ぎて兆弾すら出来ていない。

 このままでは、一隻ずつ狩られる。北上、大井、古鷹、加古が救援のため回頭、そちらに向かっているが、どこまで庇えるか。出来れば戦艦の装甲の厚さを活かし扶桑達が盾になってやりたいところだが、爆撃機に狙われている今、それも出来ない。

 扶桑は、苦肉の策として、船体前部の高角砲に対し、駆逐艦を狙う戦闘機に対する砲撃を指示した。

 

「こちら球磨! 敵雷撃機が攻撃態勢! 扶桑、右舷は任せ――」「姐様!」

 

 球磨から、敵雷撃機の動向が報告される。だが、その言葉が最後まで紡がれるより早く、山城の声がかき消す様に無線から響く。

 その意味を理解し、扶桑は艦橋から上を見上げる。敵爆撃機の機体下部から、黒い点のような物が切り離され迫って来る。ダイブブレーキが風を切る何とも言えない変な音に、ピューという爆弾が風を切る腑抜けた音が加わる。

 直撃コースでは無い。大丈夫。避けた。爆弾の軌道を見て、冷静にそう判断する。

 その僅か一秒後、上から三発の爆弾が相次いで降り注ぎ、扶桑の左舷中央から五十メートルのあたりの海面に大きな水柱を立ち上げた。水柱の大きさと、単発だった事から考えて恐らく五百キロ程度の爆弾だった。

 当然ながら、こんなものが本命のタンカー達に命中すれば、一発で大爆発するのは間違い無い。

 

「こちら扶桑。敵弾全弾回避。損害無し」

「山城! 敵機急降下!」

「くぅ……艦中央、火災発生……」

「初春! 魚雷を棄てなさい! 誘爆するわ!」

「……初春、了解」

 

 無線越しに、仲間達の怒鳴り声が続く。ちらと後ろを窺うと、左に回頭する山城と、その回避に合わせて軌道を修正しようとする爆撃機の姿が見える。だが、遠心力で大きく右に傾きながらも全力で曲がる山城に、敵機は付いて行けていない。

 あの様子なら大丈夫か。山城も直撃は避けるだろう。そこまで考え、扶桑は右前方に視線を移す。

 新手の爆撃機が、二機。狙いは扶桑でまず間違い無い。右舷低空には、こちらに機首を向ける敵雷撃機の最後の生き残り二機の姿も見えるが、その機影の前に、球磨が滑りこもうとしている。身を挺して庇ってくれるつもりらしい。雷撃機は彼女に任せよう。

 

「くそっ、こちら若葉、第二対潜弾投射機に被弾。使用不能」

 

 駆逐艦達に被害が続出している。特に集中攻撃されている初春は、火災発生とかなり状況が宜しくない。大井から魚雷を捨てろと怒鳴られていたが、投棄したのか否かは確認できない。

 

「取舵一杯!」

 

 だが、確認している暇も無い。扶桑の前には、既に爆撃機が迫っている。じきにまた急降下してくる。針路を変えなければ、先読みされる。今度は左に舵を切る。

 

「こちら山城。右舷至近弾一! 損傷無し!」

 

 舵を切り終えた直後、山城から報告が来る。直撃弾無しの至近弾一。敵機にも腕が良いのがいるのは間違い無い。だが、それでも直撃だけは免れたようだ。

 

「こちらレオ・リード! 爆撃に成功、敵空母一隻撃破!」

 

 と、そんな時だった。敵空母への爆撃に向かっていた陸上戦闘機部隊から吉報が舞い込んでくる。あの二千ポンド爆弾――約九百キロの大型爆弾を見事直撃させたのだろう。

 いかに装甲を張った大型艦であろうとも、大和クラスの重装甲戦艦でもない限りは九百キロもの大型爆弾を喰らってただでは済まない。良くて大破。悪ければ色々と誘爆して一瞬で大爆発してもおかしくない。応急処置しての早急な戦闘復帰はまず望めない。戦線離脱は確定だ。これで、敵航空戦力は間違い無く半減した。敵が第三次攻撃隊を出す事を諦める可能性も高くなった。

 だが、それを聞く扶桑達には、呑気に喜んでいる暇は無かった。

 今はまだ、散開して五月雨式に突っ込んでくる敵第二次攻撃隊の残党を相手するのに必死なのだ。特に、初春がかなり厳しい。爆撃機を何とか対処して、早く彼女の救援に向かわなければ。このままでは、航行不能はおろか被撃沈の可能性すら否定出来なかった。

 

「こちら大淀。レオ隊、もう一隻への攻撃は可能ですか?」

「こちらレオ隊。不可能だ。爆弾を使い切った。加えて、こちらも被弾している。これ以上続けると落とされる」

「了解。残りはこちらで引き受けます。ただちに帰還を」

「了解。RTB」

「敵機撃墜。初春、生きてる?」

「まだ機関も舵も無事じゃ。じゃが、火が消えぬ。魚雷管が故障した。短艇も焼けてしもうた。速度を落とさねば――」

「今無理だから、頑張ってー」

 

 急降下爆撃機が、ダイブブレーキを展開。機首を下に向け、扶桑の予測未来位置を目掛けて突っ込んでくる。

 敵機の機首の向きを見る限り、狙っているのは扶桑の右舷前方。もし面舵一杯のままだった場合、恐らく直撃弾を貰っていたコースである。早めに舵を切っていて良かった。既に、転舵の影響が出つつある。この分なら今回も回避出来るだろう。

 

「こちら初霜。子日より発光信号。無線機故障、通信不能」

「敵機撃墜!」

 

 しかし、扶桑自身は良いとしても、仲間達の戦況が宜しくない。被害状況の報告に混じり、ちらほらと今の山城のように敵機撃墜の報告も交じるが、それでも敵機に嬲られつつある現状は否定しようが無い。

 ちらりと後方を窺えば、駆逐艦有明が山城のすぐ傍にまで避難して来ている。その近くに、被弾炎上し火達磨となった敵戦闘機が墜落、水柱を立てて海中へと消えていく。それを仕留めたのであろう山城の高角砲は、既に新たな敵を求めて旋回を始めている。

 しかし、そんな山城の後方上空には、新たに爆撃軌道に乗りつつある急降下爆撃機が二機、接近してきている。

 

「山城、後ろに敵機よ」

 

 生き残っている敵機は、全機種を合わせて二十機程度と言ったところか。当初の一斉射前と比べると既に半減以下にまで減っているが、それでも二十機は多い。特に、敵の戦闘機隊はその半数以上を占め、その軽快な機動力故に高角砲も対空機銃も命中率が悪い。また、相対的に対空武装の貧弱な駆逐艦を狙われている事も、敵機撃墜の難しさに拍車を掛けている。

 ここで、風を切って真っ逆さまに落下して来る爆弾が、扶桑の右舷後方から三十メートル付近に二発着弾した。扶桑が反対側に舵を切っていた事に気付いて軌道修正を試みたのだろうが、一度急降下を始めた爆撃機の軌道修正能力は案外大したことは無い。突入角度の深さから見て敵機の練度も高い事は見て取れるが、物理法則というものは、練度だけで引っ繰り返す事は出来ない。敵が扶桑の回避運動を読み違えた時点で、回避出来るのは殆ど読めていた。

 

「こちら扶桑。敵弾回避。損傷無し」

 

 一先ず、二度目の攻撃も避けた。扶桑は、自身の被害状況をそう無線に吹き込み報告する。尤も、そう言っているそばからまた新たな爆撃機が二機、真正面から迫って来ているのが見えるわけなのだけれども。

 

「敵雷撃機、全機撃墜くま!」

 

 引き付けた後に、次は左右どちらに避けようか。そんな事を考えているその時、扶桑の右側、盾になるように同航している球磨から、頼もしい報告が齎される。そちらに視線を飛ばせば、球磨の更に向こう側、約二キロの海面から黒煙が立ち上っている。たかが一機の航空機が墜落したにしては、随分と煙の量が多い。恐らく、魚雷が誘爆したのだろう。

 これで、敵部隊に航空魚雷を装備した機体は居なくなった。いよいよ、扶桑達戦艦にとっての残る要注意の敵は、未だ腹部に爆弾を抱えたままの急降下爆撃機、僅か数機のみに限定された。

 

「球磨、貴女も初春達の援護に回って。私達は大丈夫よ」

「そうするくま」

 

 球磨が大きく舵を切り、扶桑の横から離脱。北上達同様、駆逐艦達のもとへと駆け付けていく。やはり、総排水量が一万トンに満たない小さな艦であるためか、舵を切った後の機動が素早い。その機動力を羨ましく思いながらも、扶桑は、球磨から目を離し、目前に迫る敵爆撃機に視線を移した。

 これで、球磨指揮下の巡洋艦五隻全艦が、駆逐艦の警護に回ったという事になる。敵戦闘機も、いい加減弾薬が切れる頃だろう。後は、体当たりを目論んで突っ込んで来る敵機にさえ気を付ければ、初春達が沈められる事はあるまい。

 残るは、迫る爆撃機達の爆弾を使い切らせてしまえば、もう敵にまともな攻撃手段は無くなる。特に、扶桑や山城に対し通常の攻撃手段は無くなる。

 

「面舵一杯」

 

 迫る爆撃機が急降下を始める前に、扶桑は転舵の指示を出す。舵が利き始めるまでのタイムラグを考えると、そろそろ転舵しないと不味かった。

 

 それにしても。敵爆撃機は、何故扶桑達戦艦ばかりを狙うのか。分離した艦隊十五隻の中で、最も大型で上から見て良く目立ち、舵の利きも悪いから狙い易い。その理屈は理解している。しかし、本当にそれだけなのか。否。それだけでは無いだろうと、扶桑はうすうす感付いていた。

 重巡や小型とは言え空母も居る中、何故戦艦だけがこうも狙われる。さっきからの無線報告を聞いている限り、敵の爆撃機は十機以上いながら、その全てが扶桑と、その妹山城だけに狙いを絞っていた。

 戦闘機が駆逐艦しか狙わないのはまだ理解出来る。機銃だけで撃沈出来そうなのは駆逐艦しか無いのだから。しかし、爆撃機が戦艦しか狙わないのは何故なのか。駆逐艦に寄り添い、庇いながら激しく対空砲火を撃ち上げる古鷹や北上達は、駆逐艦に体当たりしてしまわないためにも、回避行動がかなり制限される。船体の大きさはさておき、回避が不自由故に当てやすさで言えば扶桑達よりも上だ。とにかくこちらの戦力を、頭数を減らす事を考えるのであれば、狙われていても可笑しくは無いというのに。

 だが、そうはならなかった。この航空攻撃で、結局球磨や古鷹達巡洋艦は、敵からほぼ完全に無視されていた。雷撃機も最終的に球磨が撃墜しはしたが、元々狙われていたのは扶桑だ。彼女ではない。

 

 恐らく。敵航空機の優先攻撃目標が、一番が本命のタンカーなのは不動だとしても、二番には戦艦を指定されていたのではないだろうか。何の為に。決まっている。艦隊決戦を少しでも有利に運ぶために、だ。

 敵の狙いは、航空攻撃で扶桑達戦艦を損傷させ、その状態で艦隊決戦を挑み、撃破。そのまま船団に戦艦が突撃し、その火力で以て撃滅する事だろう。空母はその手助けに過ぎない。あくまで本命は戦艦。だからこそ、敵の戦艦にとって最大の脅威である扶桑達戦艦を優先的に叩きに来た。そう言う事だろう。

 何故なら、敵の戦艦を止められるような戦力自体が、この船団護送艦隊には同じ戦艦しかいないからだ。空母が七隻居るとはいっても、所詮は小型の軽空母。護衛空母に相当する。更にその搭載機は、殆どが戦闘機。しかも、軽量化と整備の手間を省くため、爆装は不可能。九七艦攻も積んではいるが、それらは総て対潜哨戒機仕様に改造され、魚雷は搭載出来ない。仮に出来たとしても、そもそも祥鳳達の弾薬庫には魚雷自体が一本も無い。そして、小さく取り回しやすい対潜爆弾では、戦艦に対する攻撃力は期待出来ない。

 

 敵がこちらの手の内を全て知っているとは思えないが、そもそも、船団護送艦隊の陣容は、戦艦が入れ替わるばかりで大して変化が無い。これまでの船団との交戦記録を幾つか突き合わせれば、こちらの艦載機の大半が戦闘機である事、そして、ろくな対水上艦攻撃能力が無い事は推察出来てしまうのだろう。

 それが分かってしまえば、あとは難しい問題ではない。軽巡や重巡の主砲では、戦艦の装甲は撃ち抜けない。被害を出す事は出来ても、突き進む戦艦を物理的に喰い止める力は無い。戦艦にとって最大の脅威である航空攻撃の危険性が低いと分かれば、後は敵の戦艦が注意すべきなのは、同じ戦艦と、初春や球磨達がごく僅かに搭載する艦載魚雷しかない。

 そして、艦載魚雷での肉薄雷撃が非常にハイリスクな戦術である事は、誰しもが理解している。敵味方が入り乱れる激戦の混乱の最中に仕掛けられるのならさて置き、そうでないのであれば、きちんとした艦隊ならば肉薄水雷攻撃を阻止するのはそう難しい話ではない。

 まして、互いに戦艦の交じる強大な艦隊同士の砲戦中に狙われるならまだしも、戦艦の居ない格下艦隊が挑んで来るという場合には、阻止率はさらに上がる。巡洋艦同士、駆逐艦同士で戦闘している所に、戦艦から強烈な援護射撃を放てるのだ。手数の面で有利なのは考えるまでもないだろう。

 航空攻撃は来ない、艦載魚雷は低脅威。となれば後は消去法で、敵の戦艦が危険視するのは、扶桑達戦艦しか居なくなる。

 

 この推察が正しければ、やはり敵は仕掛けて来るだろう。戦艦同士が真正面から殴り合う水上戦の華、艦隊決戦を。

 そう思うと、ますます被弾するわけにはいかない。万全の状態ですらどう転ぶか分からないのが戦いなのだ。十全の力を出せずに勝てるほどに敵が甘くは無い以上、少なくとも扶桑達はほぼ無傷で挑めなければ、勝機は薄い。

 特に、今回の敵の陣容は、こちらと同じ戦艦二隻。扶桑型戦艦姉妹だけで同数の戦いが出来る。出来れば、大和の増援は無しで切り抜けたかった。

 

「こちら初春。後部のヘッジホッグが延焼しそうじゃ。もう爆雷も棄てる。若葉、そなたに隊の指揮は任せる」

「くっ……。若葉、了解。初春、大丈夫なのか」

 

 勿論、戦艦に対する船団の備えが同じ戦艦しかいないのは、日本が敵戦艦を軽視している、というわけではない。航空攻撃と、潜水艦隊の待ち伏せ。かつて日本輸送船団を壊滅に追い込んだそれらへの警戒を重視した結果、相対的に戦艦に対する対策が貧弱になってしまった。それだけなのだ。

 

「機関も舵も無事じゃ。浸水も無い。航行だけならば問題無いぞ。じゃが、砲が故障寸前じゃ。もう戦闘は出来ぬ」

「そうか――」

 

 三度目となる、爆撃機の急降下。開いたダイブブレーキが空を切り、独特のサイレンを響かせながら、一気に扶桑目掛けて突っ込んで来る。これで、扶桑に対して急降下して来たのは五機目と六機目。敵爆撃機部隊の約半数である。

 狙いは、今の扶桑から見て若干左斜め前方。先程取舵一杯だった扶桑が舵を切り直す、または一旦直進に戻る事を想定し狙いを調節したのだろう。危なかった。もし舵切りがもたついていれば、直撃コースど真ん中である。敵の想定より、扶桑が舵を切り回頭し始める方が早かったようだ。

 しかし、敵の狙いもそこそこ正確だ。直撃だけは避けられるだろう。だが、先程よりも回避がきつい。至近弾になる可能性は高い。装甲を貫かれるとは思わないが、浸水が発生する可能性は否定出来ない。備えておく必要がある。

 扶桑は艦内無線を手に取り、左舷側にダメコン用意と吹き込んだ。

 

「こちら山城! 敵機撃墜! 敵弾回避!」

「敵機撃墜! こちら古鷹! 全艦に通達! 敵戦闘機の体当たりに注意を! 敵機、突っ込んで来ます!」

 

 前方左舷側の空を見る。縦に二機連なって急降下して来る敵の機影が、徐々に大きくなる。必死で針路を修正しているらしく、右に逸れる扶桑を追って、徐々に敵機の降下軌道もずれて来る。

 やはり、近い。機首の先に、ほぼ扶桑を捉えている。至近弾を喰らうのはまず間違いが無さそうだ。それどころか、直撃弾を貰う覚悟すら必要かも知れない。

 敵戦艦と右砲戦を行う予定である事を考えれば、左舷側の損害は相対的には許容出来る。しかし、浸水して速度が落ちたり、六基ある主砲のどれかに損害が出るような事態だけは何とか避けなければ。まだ敵戦艦とは相見えてすらいない。そんな段階で損傷し弱るわけには、まして戦線離脱などするわけには絶対にいかなかった。

 

「こちらシンガポール地方隊である。船団護送艦隊、応答願う」

「こちら船団護送艦隊、旗艦、大淀。何でしょう」

 

 撃ちまくる機銃がもどかしい程に当たらず、被弾二発を覚悟する必要すらありそうだ。そんな事を考えていたその時、機銃の撃ち上げる幾つもの火線の内の一つがようやっと敵一番機を捉え、その大きな銃弾でもって敵機を縫った。

 百年の時を経て、それでも現代の航空機の搭載機銃が二十ミリである今、扶桑の装備する二十五ミリ機銃は、対航空機用としては十分な威力を持つ。たった数発。僅か数発のその命中弾が、敵爆撃機の右翼をもぎ取った。

 爆発はしなかった。しかし、翼をほぼ根元から圧し折られ、完全にバランスを崩した敵機は、今まで狙い済ませていた軌道から大きく外れ、くるくると回りながら海面目掛けて墜ちていく。

 今海戦中、扶桑がちゃんと見ている前では、初めての敵機撃墜である。

 

「インドネシア空軍より通報があった。スマトラ島西部、プラウ島沖六百キロ近辺にてレーダーゴーストを確認したそうだ。敵艦隊の恐れがある。注意されたし」

「大淀了解。そのレーダーゴーストの動向は?」

「不明だ。そもそも敵かどうかすら判別出来ていない」

 

 先導機を撃墜出来た。しかし、既に急降下を始め、扶桑に狙いを付けている今、最早敵機がこれで諦めるという事は有り得ない。一機目が脱落した事など気にも留めていないかのように、二機目の爆撃機がなおも迫る。

 そして、投弾。機体から切り離された爆弾が、緩やかな放物線を描き、扶桑目掛けて落ちて来る。そして、それだけではない。敵機も、機首を引き起こさない。引き起こそうとしていない。

 不味い、文字通り突っ込んで来る。体当たりする気のようだ。爆弾はさておき、これは避け切れない。

 

「了解。別働隊を警戒します」

「そうしてくれ」

 

 直後、艦橋にいる扶桑の身を、波によるものではないビリビリとした揺れが襲った。それが意味する事は、わざわざ確かめるまでも無かった。敵機の体当たりを、避けられなかった。

 

「姉様!?」

「くっ、こちら球磨! 扶桑が被弾! 扶桑が被弾したくま!」

 

 無線の向こうから、慌てふためく仲間達の声が聞こえる。艦隊無線は生きている。送受信装置も無事だ。だが、被害状況はまだ不明だ。早く、被害状況を確かめる必要があった。

 手に持つ艦内無線の様子を見る。大丈夫、艦内無線も生きている。その生きた無線を使い、艦内全域に被害状況の確認と、可及的速やかな復旧を命ずる。と同時に、扶桑自身も艦橋の窓から周囲を見渡す。

 艦橋からでは分かり辛く良く見えないが、敵機の体当たりを食らったのはどうやら後部艦橋付近のようだ。後部艦橋の根元付近から煙が上がっている。あの場所に設置してあった二十五ミリ機銃はもう使用不能だろう。

 そこを眺めている間にも、艦内随所から報告が入る。

 第一から第六主砲、異常無し。舵、異常無し。タービン、ボイラー、共に異常無し。測距儀、異常無し。無線設備、異常無し。浸水、特に無し。但し、至近弾の衝撃で破損したパイプがあり、現在修復中。探照灯、異常無し。上がって来る報告は、どれも恐れていた甚大なものではない。少なくとも、砲戦に支障は全く無く、満足に行える。

 敵機が爆弾を切り離し、身軽な機体だけの状態になって突っ込んで来たからか、攻撃の直撃を受けた割に、損傷自体は軽微と言って良かった。これでもし、敵機が五百キロ級の爆弾を機体に抱えたままで体当たりされていれば、少なくとも被害はもっと甚大だった。敵機が体当たり前に爆弾を投下、もとい投げ捨てたのは、恐らく爆弾を抱えたままだと軌道修正が間に合わなかったからなのだろう。危なかった。

 

「こちら扶桑。敵の体当たりを受けるも、損傷軽微。戦闘行動に支障無し」

「姉様、本当に大丈夫ですか?」

 

 体当たりを受けた事、そしてその被害状況を報告すれば、すぐさま妹から問い掛けが返って来る。

 

「心配しないで。かすり傷よ」

「ですが……」

「でも、ちょっと機銃を持って行かれてしまったわね」

 

 単装機銃だけではない。短艇も一隻失った他、付近の手すりは飛び散る敵機の破片に引き千切られて海中に消えた。甲板を移動するための階段も一つひしゃげて通行不能になった。後部艦橋の壁が傷だらけになり、激突の衝撃で発火し燃え上がった敵機の炎に焙られて、塗装が焦げた。後は、甲板に設置していた備品にも少々、破片が突き刺さって穴が開いた。敵機の燃料によるものだろうか、延焼した物に関しては、甲板員が現場判断で海に投棄した。

 だが、戦艦としての機能には何ら問題は無い。主砲には勿論、副砲にも被害は無かった。重要設備が無事だったのは僥倖。特に修理を行わずとも、昼夜を問わず、いつ戦闘が起きても対応出来る。攻撃を受けたにしては、損害は無かった方である。

 

「山城、貴女は大丈夫なの?」

「私は大丈夫です。全部避けましたから」

「そう、それなら良いの」

 

 山城が敵弾を避けきったという無線報告は、扶桑も聞いている。しかし、敵機の機銃掃射や、さっきの至近弾の影響等、何か問題が発生していないとは限らない。

 そう思って問い返してみるも、間髪入れずに即答が返って来る。寧ろ、扶桑の事を心配してくれているのだろう。今はそんな事どうでも良いでしょうとでも言わんばかりの雰囲気が言外に伝わって来る。

 確かに、攻撃を避けきれなかった者が避けきった者の心配をするというのも変な話ではある。

 

「こちら祥鳳です。迎撃艦隊、全艦に通達します。残る敵機の数が十機まで減りました。また、敵爆撃機は全て攻撃を終了、もう爆撃の心配はありません」

 

 そんな時だった。祥鳳から、敵編隊に関する情報が報告される。

 全艦一斉の対空砲撃前、約五十機程がいると報告されたはずの敵機部隊が、今や五分の一にまで減少し、更には既に主力の攻撃手段を使い切ったという。

 報告に釣られて空を見上げてみれば、確かに何時の間にか、空を飛び回る敵機の数が随分と少なくなっている。敵機の半数以上を占めていた戦闘機隊に完全無視され爆雷撃機だけを相手にしていたからか、敵機がここまで数をすり減らしていた事に、扶桑は今初めて気が付いた。

 

「それは本当くま?」

「はい、確かです。見張り員と搭乗員達に確認させました。残る爆撃機に、もう爆装状態と思われる機体はいません」

 

 球磨からの問い返しに、祥鳳がすぐさま淀み無く答えを返す。

 空を高速で飛び回る敵の爆装状況を見極めるなど、戦艦たる扶桑にはよく解らない話である。しかし、既に幾度となく実戦を経験している祥鳳、そして彼女の艦載機の搭乗員達が言うのであれば、間違いはあるまい。

 

「では私も、初春の援護に回ります」

 

 祥鳳の報告を信用し、扶桑は艦隊無線にそう吹き込んだ。

 扶桑の船体は、今初春を警護している北上や大井より縦も長さも間違い無く大きい。横に並べば、文字通り壁となれる。そして巨艦であるが故に、搭載する機銃も高角砲も多い。少なくとも片側からの攻撃は完全に遮断する事が出来るだろう。そう思っての事だった。

 ちらと初春を見やれば、火の勢いこそ大したこと無いものの、未だにそこここで火種が燻っているように見える。二十ノットを超える高速で走り回っている関係で、火が風に煽られているのだ。これでは、消したそばから飛び火し延焼が続いてしまう。その証拠に、炎は艦の後部に集中し、鎮火された部分も焦げと思しき黒ずみでいっぱいである。

 消火のためには、まずは速度を落とす必要がある。しかし、敵機が残った状態で速度を落とせば、今度は機銃掃射どころか体当たりすら受けかけない。早く戦闘を終わらせる事が大事だった。

 

「お願いします。もう敵には、機銃と体当たり以外に攻撃手段は無いはず。密集陣形で乗り切りましょう」

 

 既に初春の方向へ向けて舵を切った扶桑に、祥鳳から了承の声が飛んで来る。

 

「こちら大井。初春より手旗信号を受信。遂に初春の無線が逝かれたわ。アンテナが根元から折れてるわね。ついでに探照灯も割れてるみたい」

「まー、あれだけ蜂の巣になって、今まで良く生きてた方だしね。無線」

 

 転舵し回頭している間に、まだ初春の周囲で奮戦する北上達からの声が聞こえる。敵の集中を受け、今回の航空攻撃に於いて被害担当艦と化してしまった初春に、またしても損害が出てしまったようだ。

 そうこうしている間にも、初春の前に回り込み、真正面から突撃を仕掛けて来た戦闘機がたちまち火を噴き出し圧し折れ、水柱と共に海中へと消えていく。

 

 気が付けば、既に終盤戦。敵空母を友軍が一隻撃破し、敵の第二次攻撃隊をほぼ殲滅にまで追い込んだ。仮に敵が第三次攻撃隊を組織するとしても、相当の時間が掛かるだろう。また、敵艦隊との距離もまだ直線距離で三百キロ近くあり、航空攻撃後に直ちに敵戦艦と砲撃戦を始めねばならないわけでもない。この戦いが終われば、少なくとも数時間は、一息つけるはずである。

 残り僅かな敵機が最早悪足掻きの戦闘を繰り広げる中、窮鼠猫を噛むという諺を脳裏に思い起こし、そんな事態を防ぐため、扶桑は自ら残り火の中へと突入していった。


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