特殊船団護送艦隊 船団護衛戦記 第四次北インド洋海戦   作:かませ犬XVI

5 / 13
第二章
第四話 敵の影


 インド洋北部 ベンガル湾 セイロン島(スリランカ)北東四百キロ 戦艦扶桑艦橋

 

 クウェート出発十日目、現在時刻、午前七時四十五分。

 既に高く日が昇り、穏やかに雲の流れる晴れた空。見渡す限り何も無い海洋が広がり、時折視界の中を対潜哨戒中の九七艦攻が横切っていく。そんな長閑な空を見上げながら、扶桑型戦艦一番艦扶桑は、無線の子機を片手にただただ指示を待ち続けていた。

 現在、扶桑も参加しているこの特殊船団護送艦隊には、昨日から対潜水艦戦闘の用意が発令されている。およそ二十八時間前の敵潜水艦との戦闘以降、複数の敵潜水艦による待ち伏せ攻撃が予想され、いつ雷撃されてもおかしくないと、艦隊旗艦である大淀が判断しているためだ。

 扶桑としても、その判断に異論は無い。敵潜水艦隊の動きは、太平洋、インド洋を問わず極めて活発だ。いつ何処に現れてもおかしくはなく、日本本土近海にも当然の様に姿を見せては、駆逐艦達との戦闘を繰り返している。対潜能力に乏しい戦艦を含む大型艦は、駆逐艦達による対潜哨戒が無ければ、東京湾から出る事すらも躊躇われるぐらいなのだ。

 

 それにしても、と、扶桑は、視線を壁に備え付けられた時計へと向けた。敵襲撃の可能性大として厳戒態勢を敷いていた一夜が明け、朝日が昇ってまた沈み、更に一夜が明けて早数時間。二十四時間以上特に何も報告が無いのが、扶桑にはかえって不気味だった。

 潜水艦を一隻見付けたら、最低でも後二隻は近くに居ると思え。海上自衛隊での艦隊機動訓練中、いつもそう言われていたし、実際、深海棲艦の潜水艦は三隻以上で群れて行動する事が多かった。あの時沈めた一隻の他にも、少なくとももう二隻、近くに潜んでいたはずなのだ。それなのに、その発見報告が今まで一切無いというのが、どうにも腑に落ちなかった。

 勿論、この艦隊与えられた最優先任務目標は、船団の無傷の日本帰着であり、敵の索敵を振り切れたというのなら、それは喜ぶべき事だろう。しかし、敵もかなり粘り強い。安全圏に逃げ込みでもしない限り、何処まででも執念深く追い駆けて来る。見失ったのなら、探しに来る。

 そんな敵が、今回に限って諦めるとは到底思えない。最後の砦である駆逐艦達が静かなのはさておき、水平線の遥か彼方を索敵している九七艦攻や彩雲ですらが静かなのは、扶桑にはまるで、嵐の前の静けさのようにしか感じられなかった。

 

「大淀より艦隊各艦。これより針路を方位○九○へと変更します」

 

 無線から、大淀の声が聞こえる。だがその内容は、恐れていた接敵報告ではなく、船団の針路変更の通達だった。

 

 船団の全権を任されている大淀には、当然ながら、状況に応じて航路を変更する権限もある。そのため、昨日未明の接敵以後、大淀は艦隊の予定針路を大きく変更。敵の待ち伏せを避けるべく、本来より大幅に北のルートを通るよう指示が出されていた。

 元々の予定では、船団はセイロン島の下端を沿うように航行した後は、ベンガル湾とインド洋の境目に沿い、東進。スマトラ島と大ニコバル島間のグレート海峡を通過してアンダマン海に入り、そのままマラッカ海峡を突破。シンガポールへと向かう事になっていた。しかし、今回のこの航路変更により、船団は一旦セイロン島東部で方位○二○に転進し、斜めに五百キロほど北上。その後で東に向かい、アンダマン諸島とニコバル諸島の中間、テンディグリー海峡を通過してアンダマン海に入る事となった。つまり、本来の予定航路より四百キロほど北を通過しているのだ。

 敵は、まだこの船団の大幅な針路変更に気が付いていないのかも知れない。それならば、未だ敵の偵察艦とすら接触しないのも理解出来る。

 しかし、このまま逃げ切れるのか。敵は、今頃血眼になってこの船団の居場所を探しているだろう。シンガポールの在泊水雷戦隊と合流するにしても、テンディグリー海峡は突破する必要がある。そこまで、まだあと丸一日は掛かる。それまで、持つのか。

 そう考えたところで、扶桑はすぐに、そう簡単にいくわけが無いと、悲観的ながらも結論付けた。

 この船団が日本に帰るためには、マラッカ海峡を突破するか、スマトラ島南部を回り込み、スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を通過するしかない。もう一つ東奥にある、ジャワ島とバリ島の間のバリ海峡は流石に遠過ぎるのだ。ところが、スンダ海峡を通るには、艦隊の針路をより南寄りにとる必要がある。この危険なインド洋で、より南に――より陸地から離れるような航路を選択する意味など、意表を突く以外には無い。敵と接触する可能性が更に上がるだけだ。

 つまり、この船団の航路が北に逸れる事はあっても南に逸れる事は無いのは、少し考えればすぐに判る。ならば、いずれ敵も捜索範囲を北に、ベンガル湾内部に拡大するだろう。後は、敵がその決断を下すまでの時間の問題なのだ。

 

「出番、かしら」

 

 扶桑はぽつりとそう呟き、そして艦橋の窓から自身の第一第二主砲を見下ろした。

 鈍い光沢を放つ、鈍色の35.6cm連装砲塔。かつてとは違い、既に対艦戦闘も経験し、妹と共同とは言え撃沈スコアも記録している扶桑自慢の砲である。

 今日、或いは、明日。再び砲撃する機会があるかも知れない。確かに、敵が潜水艦だけならば、戦艦たる自分に出番は無い。しかし、敵の通商破壊はかなり苛烈だ。輸送船を沈めるために、戦艦すら用意してくる。そんな時、敵艦隊を真正面から迎え撃ち、敵の侵攻を止められるのは、扶桑達戦艦しか居ないのだ。

 取り敢えず、今の内に砲の動作確認ぐらいはしておこう。いざという時、故障していましたでは笑い話にすらならない。永くも短い砲撃戦の最中には、修理を行う時間も惜しいのだから。

 扶桑は、艦隊無線をそのままに艦内無線を手に取り、自身の装備する全ての火砲に対し、今の内の動作点検を命じた。

 

 

「敵機発見! 繰り返す、敵艦載機を発見!」

 

 クウェート出発十日目、午前九時六分。

 扶桑艦橋に備え付けられた艦隊無線がそんな報告を吐き出したのは、丁度時計の表示が五分から六分に切り替わった直後だった。敵の艦載機を発見。つまり、こちらの索敵機が、敵空母の索敵機と出遭ったのだ。

 この報告を聞いて、扶桑は小さく溜め息を一つをついた。やはりか、と。薄々嫌な予感はしていたが、その嫌な予感が的中したらしい。

 これで、交戦無しにシンガポールに辿り着くという可能性は無くなった。間違い無く、爆撃しに爆雷撃機の大編隊がやって来るだろう。だが、元々敵襲は予想されていた事。不思議と動揺は無かった。

 さて、敵の艦載機という事は、敵には少なくとも攻撃用空母がいる。それがヲ級か、空母棲姫か、装甲空母姫かは判らないが、こちらに空母がいる事ぐらい判っているだろうし、一隻だけという事は無いだろう。良くても、二隻。悪ければ、ヌ級を伴って六隻以上居るだろう。そうなれば、相手にするのはれっきとした大規模空母機動部隊である。

 とはいえ、慌てる必要は無い。この船団に、何の為に小型とは言え空母が七隻も配備されているのか。彼女達は、飾りではない。賑やかしでもない。そして、潜水艦狩りしか出来ないわけでもない。全ては、このような時に敵航空部隊を迎撃するため。彼女達は、必要だからこそこの船団に居るのだ。空は、心配しなくても彼女達が何とかしてくれるだろう。

 

「方位一六○、距離百七十! 繰り返す、方位一六○、距離百七十!」

 

 報告されるのは、敵の方位と距離。接敵位置は、船団から見て南南東、距離はおよそ百七十キロ。敵空母発見ではなく敵艦載機発見という事を考えると、敵の位置はもっと遠い。三百キロから四百キロは彼方だろう。もっと遠いかも知れない。

 爆装、雷装した爆撃機、攻撃機の速度は、大体時速三百キロから五百キロ。例外として、一部の爆装出来る戦闘爆撃機は五百キロを超える場合もある。しかし、戦闘機に爆装すると、戦闘機の大事な機動力が損なわれ、また、重い爆弾は速度をも殺してしまう。無警戒の相手を叩くのならまだしも、烈風部隊が待ち構える船団相手に戦闘機の爆装は悪手。となると、考えられるのは定石通り、重武装機を身軽な戦闘機が護衛する一般的な攻撃スタイル。

 艦載機が発艦した後に空中で集まり陣形を構築する等のタイムロスを考えると、敵艦載機が船団に到達するまでの猶予時間は、大体一時間半ぐらいか。

 

「こちら大淀。護衛航空艦隊各艦は、至急、迎撃隊発艦用意を」

「了解」

 

 早速、大淀から指示が出される。空母七隻が満載するありったけの烈風を空に上げ、爆撃に備え、戦闘機群の傘を作り上げるためだ。敵航空機に対する防勢対航空作戦には、対空砲よりも戦闘機による迎撃の方が効果的。扶桑達による輪形陣からの対空砲火も勿論準備はするが、可能ならば、戦闘機による迎撃だけで何とかするのが理想だった。

 

「大淀より索敵機。敵機はそちらに気付いていますか?」

「こちら冲鷹索敵隊三番機。気付かれた。敵機は反転、南に退避中!」

「では、敵機を追尾、敵艦隊の位置の特定を。可能ならば陣容の報告を御願いします!」

「了解!」

 

 続いての指示は、敵と出くわした偵察機に対するものだった。

 逃げ帰る敵の偵察機を追い掛け、敵の居場所を特定する。それは、敵戦闘機による迎撃も当然想定される、極めて危険な任務である。かつてのように、鈍足の九七艦攻辺りで索敵していたならば、まず生還は望めない命令であっただろう。

 しかし、今はあの時とは違う。今この時において、艦娘達の口にする偵察機と言えば、ほぼ彩雲の事を指す。そして、その最高速度は、条件にもよるが驚異の時速七百キロにも達する。その足の速ささえあれば、敵の戦闘機を振り切る事とて可能となる。敵に追われても、生きて帰って来れる確率が大幅に上がったのだ。

 その代償として、軽量化の為に機銃一つ積んでいないので、戦闘能力こそ皆無である。しかし、この逃げ足の速さによる生還率の高さ、そしてそれによる機体損傷率の低さは、空母から予備機の数を減らし、またパイロットの損亡を減らせるという、無上の利点を齎してくれていた。

 

「大淀より、第一、第四特殊護衛隊。貴艦達は船団右側に移動、単縦陣にて待機して下さい」

「扶桑、了解」

「大和、了解」

「第二特殊船団護衛艦隊は、艦隊分離用意。敵水上艦による突撃が確認され次第、迎撃に移ります」

「了解くま」

「大淀よりレオ隊。こちら船団護送艦隊。現在、敵空母機動部隊と会敵しつつあり。位置は追って連絡します。攻撃用意を」

「了解。全機出撃。上空にて待機する」

「第一特殊船団護衛艦隊は、対潜警戒を密に。空海潜同時立体攻撃が予想されます」

「りょおかい」

「第三特殊船団護衛艦隊は、対空戦闘用意」

「了解じゃ」

 

 大淀から、矢継ぎ早に幾つもの指示が飛ぶ。その指示に澱みは無く、迷いや躊躇いは一切感じ取れない。敵空母機動部隊との会敵はかなり不味い事態である事は誰しもが解る事なのだが、このような状況にも関わらず、彼女が取り乱す事は無い。

 先の大戦において、航空機による攻撃で壊滅した輸送船団は数知れず。当然ながら、海上自衛隊はその二の舞を恐れ、航空機による通商破壊をも酷く恐れている。大淀がその対処法を叩き込まれているのは明らかであり、また机上演習とて重ねてきている。既に慣れていると言っても間違いではないのだろう。

 流石は、この船団護送艦隊の不動の旗艦である。扶桑の知る限り、彼女は就任以後一度たりとてこの艦隊の旗艦の座を誰かに明け渡した事は無かったが、今のような事態になると、その理由を理解できる。

 大丈夫。指揮は、彼女に任せておけば良い。彼女は、戦闘をほぼ放棄し、その代わりに船団護衛の指揮のみに専念する、言わば司令官ならぬ司令艦。この海上自衛隊にいる艦娘の中に於いて、船団護衛についての知識と経験なら、彼女の右に出る者はほぼ居ない。

 後は、扶桑達随伴艦隊が、彼女の期待通りに動く事。今まで積み重ねた訓練の成果を、余さず発揮する事。それさえ出来れば、切り抜けられる。

 

「大淀より、船団各艦。これより船団護衛艦隊は、防勢作戦を実施、敵艦隊による攻勢を喰い止めます。なお、本作戦の目標は、護衛対象であるタンカー達の無傷のシンガポール到着です。敵を撃滅する必要はありません。追撃してくる敵への攻撃にのみ集中して下さい」

 

 続けて、念押しするように、大淀から作戦目標の通達がある。今更言われなくても、皆既に理解しているだろうにと思うその一方で、しかし扶桑は、そう言いたくもなる大淀の心情は察せた。

 普段ならばおいそれとは忘れないような事も、極度の興奮と混乱、恐怖の入り乱れる戦場では、いとも容易く忘れ去られてしまう。目の前の敵を排除する事にのみに意識が集中し、逃げる敵を無意識に深追いし、気が付けば敵中で孤立している。または、迂回していく別働隊に気付かない。そのような事例は、戦場では後を絶たないのだから。

 この船団が結成されたそもそもの目的は、タンカー達の護送。その戦略的目的が達成されたならば、極端な話、扶桑達戦闘部隊が肉壁として敵空母機動部隊から一方的に叩かれ、例え戦術的大敗を記してしまおうとも、それはそれで構わない。敵を倒せたか否かという戦術的勝敗はどうでもいい。戦闘のそもそもの目的を忘れず、視野狭窄に陥ってはならない。これが、恐らく大淀の言いたい事であろう。

 

 扶桑は、一度席に腰を下ろし直し、そして大きく深呼吸した。

 激戦を繰り広げる仲間達を余所に、ずっと後方で待機しか出来なかった在りし日の記憶。そして、逼迫した燃料事情にも拘わらず、戦艦を積極的に前に出してくれる海上自衛隊の決断。

 かつてと違い、今の扶桑達には、仲間を護り、戦艦の誇りにかけて活躍を望める機会が与えられている。それ故に、何よりも期待に応えるだけの戦果が欲しい。これは、扶桑に限らず、長門、そして大和に至るまで、全ての戦艦が心に抱いている想いであろう。

 そのためか、無意識に目に見える戦果に拘り、撃破、撃沈しようと必要以上に敵に喰らい付く傾向がある。

 これを、直接指摘してくる者こそ居ないけれど、しかし扶桑は、自分自身もその例に漏れない事は自覚していた。

 例え敵との交戦がほとんど無くとも、その存在感だけで船団護衛を成功させ評価を得た、イギリスのリベンジ級戦艦という例もあるというのに。




・空海潜同時立体攻撃
 ある意味、海戦の究極系。漸減邀撃作戦のように複数の段階を踏み最後に決戦を行うのではなく、集められる限りの戦力という戦力の全てをほぼ同時に叩き付け、飽和攻撃でもって敵を叩き潰すというもの。
 前からは戦艦と巡洋艦の砲撃、斜め前からは駆逐艦の雷撃、上からは空母艦載機の爆雷撃、下からは潜水艦の雷撃と、もし敵にされたらと想像しただけで泣きたくなるような同時攻撃が可能だが、実際こんなにうまくいくわけがない。
 敵がこちらの大艦隊の存在に全く気付かず、更に鶴翼の陣の中央に上手く飛び込んで来でもしない限りは実現不能といっても間違いではない。

・油圧式カタパルト
 旧日本海軍ではついに実用化出来なかった幻の艦載機射出用カタパルト。防衛省技術研究本部開発、開発協力米国海軍。
 海自所属の全空母に搭載。これにより、赤城達大型空母はおろか、鳳翔ですらが雷装流星を運用できるようになった。
 祥鳳達小型空母が、艦首を風上に向ける事もなく、さも当然の様に烈風や彩雲を飛ばしまくっているそもそもの理由。
 電磁式カタパルトを実用化、運用中の米国海軍にとり、今更油圧式カタパルトなど最早枯れた技術であり、機密でも何でもなかった。また、そもそも技術大国に成長した日本にとり、既に金と時間さえあればいつでも作れるシロモノでもあった。
 協力交換条件は、ハワイ諸島奪還作戦発動時に米海軍と呼応して西からハワイを叩く事。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。