特殊船団護送艦隊 船団護衛戦記 第四次北インド洋海戦   作:かませ犬XVI

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第一章
第一話 クウェート湾にて


   インド洋 アラビア海 ペルシャ湾 クウェート沖二百メートル 巡洋艦大淀艦橋

 

 雲一つ無い真っ蒼な空から降り注ぐ、砂漠地方特有の突き刺すような強烈な太陽光。四十度を越える気温が齎すうだるような暑さと、海上故の湿気の多さによる蒸し暑さは、合わさると最早サウナの中に居るかのような感覚にすら陥る。拭っても拭っても汗が吹き出し、テーブルに置いてある当初は冷えていた筈のペットボトル入りの飲料水は、今やもうぬるま湯も同然の水温である。

 そんな灼熱地獄の只中にあって、それでも大淀は、手元にある作戦計画書から目を離さなかった。

 書いてあるのは、今までの予定。そして、これからの予定。約九十日――三ヶ月近くにも及ぶ長い遠征作戦の予定表だった。

 

 タンカーへの原油積み込み。問題無し。本日中、残り六時間以内に完了する予定。自艦を含む友軍艦艇全艦への給油。問題無し。同じく本日中に完了する予定。その他、補給艦からの物資の補給。問題無し。本日中に完了する予定。現時点で、作戦予定に遅延無し。明日の出航予定時刻、午前五時を遅らせる必要は無い。

 頭の中で、一つ一つ、確認事項を潰していく。現時点では、何も問題は無い。作戦予定の前半は、特に大きな問題も無く、恙なく終える事が出来た。残るは、後半。彼女等と共に、神奈川県の横須賀まで無事に帰り着くだけである。

 

 幾度と無く読み返した、作戦後半の予定表。それに改めて目を通し、もう一度頭に叩き込む。特に、連携予定の航空部隊のコールサインは、いざ切羽詰まった時に呼ぶ為にも空で暗唱できる程度でなければ話にならない。一度眼を閉じ、それらのコールサインが脳裏に浮かんで来る事を確認した大淀は、そこでようやっと、作戦計画書から目線を外した。

 ふと外を見れば、そこに見えるは大小何十隻もの友軍艦艇。それは、日本からクウェートまで遠路遥々一万三千キロ、約二十日もの日数を掛けて大航海をして来た日本艦隊の姿であった。その総数、七十三隻。積貨重量トン数がいずれも二十万トンを越えるような超大型タンカー二十五隻を要とし、補給艦四隻と輸送艦二隻を合わせた三十一隻もの警護対象を擁する、巨大輸送船団である。

 彼女達の目的は、勿論ここ、クウェートで産出され販売される豊富な原油。石油の出ない日本に戦略物資たるこの原油を大量に持ち帰る事こそが、この輸送船団に課せられた任務である。そして、この日本の命運すら背負う大艦隊を率いる船団長こそ、海上自衛隊所属、特殊自衛艦隊隷下、特殊船団護送艦隊の旗艦にして艦隊総司令官を務める大淀だった。

 

 人類と深海棲艦の戦争が勃発してから、もうどれぐらいが経過しただろうか。日本が主に目の敵にしている、深海棲艦太平洋中枢艦隊との戦闘は未だ激しさを失っておらず、戦線の各地で常に一進一退の攻防を続けている。ここ三ヶ月以内ですらも、第四次南鳥島沖海戦と第二次ウェーク島沖海戦、第三次南太平洋海戦と大きな海戦が立て続けに勃発し、戦艦八隻、空母十一隻が大立ち回りを演じたと連絡があった。これらの艦隊と航空機の消費する燃料の量は増える一方であり、この輸送任務の失敗は、即ち前線を支える彼女達の燃料の枯渇を意味している。

 かつての大戦において、燃料枯渇でろくに動く事も出来なくなった大淀からすれば、それは前世の悪夢の再現に他ならない。それだけは、何としても避けなければならない。その為には、今回の――否、今回“も”、船団護衛任務を失敗するわけにはいかなかった。

 

 とはいえ、この船団護衛に並々ならぬ覚悟を持って臨んでいるのは、何も大淀だけではない。前大戦の反省と教訓を活かし、海上自衛隊という組織そのものに船団護衛への理解があるのは、大淀にとっては幸いだった。

 今回大淀に与えられた護衛戦力は、戦艦三隻、護衛空母七隻、大淀自身を含む一等二等巡洋艦計十隻、そして駆逐艦二十二隻。計、四十二隻。これに加えて、インドやスリランカに派遣された海上航空両自衛隊の航空機部隊とも連携予定である。陣容だけ見れば艦隊決戦すら可能な戦力が指揮下にある事は、かつての船団護衛の実情を知る大淀からすれば、良い意味で驚きだった。

 

「大淀、聴こえる?」

 

 備え付けの無線からそう呼び掛けられ、大淀は窓の外に送っていた視線を艦内へと戻した。

 声の主は、大淀指揮下の第一特殊船団護衛艦隊の旗艦、駆逐艦、睦月。睦月型駆逐艦十二隻全艦を結集して結成された、船団護衛専門艦隊の旗艦である。

 

「こちら大淀。聴こえています。どうぞ」

 

 無線を手に取り、応答を返した。

 

「ペルシャ湾の哨戒、終わったよ? カタールまでだけど」

「お疲れ様です。出港は予定通り明日五時の予定なので、それまで休んでいて下さい」

 

 ペルシャ湾の最深部であるクウェートの港に投錨している日本艦隊は、帰る時には往路同様にペルシャ湾を横断する必要がある。その時、狭いペルシャ湾内で万が一敵潜水艦隊に襲われた場合、もう退避する場所無い。高価で建造期間も極めて長い超大型タンカーを一隻たりとも喪う事は赦されない以上、その絶望的な状況は絶対に避けねばならない。

 そのために大淀は、艦隊がクウェートに停泊して以降、睦月達第一特殊船団護衛艦隊と、もう一つの駆逐艦隊である第三特殊船団護衛艦隊に交互に湾内の対潜哨戒を命じていた。その最後の哨戒から、彼女達が帰って来たのだ。

 尤も、クウェートからペルシャ湾の出口、ホルムズ海峡までは、大凡一千キロもの距離がある。巡航速度が15ノット程度しかない彼女達では、ホルムズ海峡からクウェートまで大凡三十六時間も掛かってしまう。そのため、二十時間程度で済むカタールまでで妥協せざるを得なかったのだが。

 とは言えど、ホルムズ海峡周辺からペルシャ湾内部という狭い海域は、今まで人類が一度も制海権を奪われる事無く確保し続けている数少ない海域の一つである。また、スエズ運河を通る欧州艦隊も此処に原油を求めてやってくるため、ペルシャ湾の対潜警戒レベルは地中海や瀬戸内海と並んで世界最高である。いかに隠密行動を得意とし浸透侵出が特技の潜水艦とは言えど、深海棲艦の潜水艦がこの湾内にまで入り込んで来た事は、ただの一度も有りはしなかった。

 

「りょーかい。さろまちゃーん、どこー?」

 

 大淀との通信もそこそこに、睦月がさっそく補給艦へと声を掛ける。

 出港が明日の早朝のため、早い内から燃料補給に取り掛かり、余裕を持って終わらせようとしているのだろう。

 因みに“さろま”とは、大淀達の様に艦霊の召喚された艦娘ではない。深海棲艦との戦争勃発以後、護る領域の激増した海上自衛隊が、新たに設計、就役させた艦隊随伴型大型補給艦“さろま型補給艦”の一番艦である。姉妹艦三隻と共に、今回の輸送船団の補給要員として付いて来ていた。

 

「こちら大淀。補給隊の皆さん、第一特殊船団護衛艦隊各艦への補給の用意を御願いします」

「了解」

 

 睦月型駆逐艦は、全部で十二隻居る。さろま一隻では、全艦への補給には時間が掛かる。そのため大淀は、残りの三隻にも給油を要請した。

 これで、単純計算、燃料補給に掛かる時間は四半分となる。今から補給を始めれば、夕方には余裕を持って終わるだろう。出発までにのんびり羽を伸ばす時間も確保出来る。明日クウェートを出発すれば、少なくともマラッカ海峡を抜けてシンガポールに辿り着くまで、睦月達の力にこの船団は頼りきりになる。彼女達には、しっかり休んでいて貰わねばならない。

 大淀は、今一度窓から外を眺め、補給艦目掛けて単縦陣でひた走る睦月達の姿を見詰めながらそう内心で独白した。

 

「しかし、大淀よ」

 

 それからしばらくして、大淀はもう一度声を掛けられる。

 声の主は、駆逐艦初春。睦月達同様に、初春型駆逐艦六隻全艦を集結して結成された、第三特殊船団護衛艦隊を率いる旗艦である。

 

「何でしょう」

「シンガポールは、今も手薄なのであろう? 特に、航空戦力の不在は不安じゃ。せめて龍驤が戻るまで、作戦の延期は出来ぬのか?」

「そうしたいのは山々なのですが……」

 

 初春からの意見に、大淀は語尾を濁した。

 戦略輸送船団の船団長である大淀には、インド洋横断中、もし何らかの重大トラブルが発生した際に備えて、自身の指揮下の戦力による対処のほか、シンガポールの在泊艦隊に対し、直接増援要請を行う権限が与えられている。これにより、シンガポール艦隊を予備戦力として考え、仮に大規模な戦闘に巻き込まれて少なくない損害を負ったとしても、予備兵力たる彼女達に駆け付けて貰う事で戦闘後の戦場の支配権を確保する事が目論まれていた。

 ところが今回、その頼みの綱のシンガポール艦隊は、今はシンガポールを離れ、遠くトラック泊地にまで出張に出掛けてしまっている。そのため、もし今シンガポールに増援要請を出したとしても、戦艦も空母も来てはくれない。重巡達も、小笠原諸島やマリアナ諸島、マーシャル諸島やワリー・エフトゥーナ諸島での戦いに忙しく、戦力の多数はそちらに割かれている。あまり強力な増援は望めない。

 つまり、何かが起きても自分達だけで何とかするしかない。それが、今の大淀達の置かれた状況だった。

 

「恐らく、厳しいと思います。龍驤さんがトラックに向かったのも、飛鷹さんが飛行甲板を大破してしまったからです。その修復が終わるまで、少なくとも彼女は――いえ、彼女の護衛の艦隊も、戻っては来ないでしょう。それに、本土の主力空母達も、二つも海戦を戦い抜いたせいで全員ドック入りです。到底、シンガポールに回す余剰戦力があるとは思えません」

「つまり、待っても誰も来てはくれぬと言う事か」

「はい。おそらく、数ヶ月は」

 

 伝え聞いた限りでは、今、飛鷹はトラック泊地にて工作艦明石に応急修理をされ、本格的に修理をするべく呉に向けて回航中という話である。その間は、彼女の抜けた穴をシンガポールから呼び出された龍驤が埋める事になる。果たして、飛鷹が本土に戻って修理を行い、再びトラックに戻って来るのに、どれくらいの時間がかかるのか。軽傷なら工作艦の明石だけで何とかなるはずであり、本土に戻ると言う事は彼女の手には余る損害なのだ。少なくとも、一ヶ月で済む事は無いだろう。

 つまり、もし龍驤が戻って来るまで待機するとなると、このクウェートに最低一ヶ月以上、最悪数ヶ月もの足止めを食らう事となる。

 

「タンカーを遊ばせておくわけにも行きません。状況がどうであれ、何とか帰るしかないかと思います」

「……そうじゃな」

「ええ」

 

 初春も、状況は理解しているはず。だからなのか、すんなりと引き下がってくれた。

 

「それに、そのための大和さんですし」

 

 そんな彼女に対し、慰めの代わりと言ってはなんだが、大淀はそう一言付け加えた。

 言い終わって、改めて窓の外を見る。もう、睦月達第一特殊船団護衛艦隊の姿は此処からは見えない。とっくにさろま達の近くに辿り着いているのだろう。そこから視線を巡らせて、大淀は、超大型タンカーに次いで目を引く大型艦へと焦点を移した。

 

 そこに在るのは、総排水量七万二千トン、18インチ砲こと46センチ砲を装備した、世界史上最大の戦艦。大和型戦艦の一番艦、大和の勇姿。その姿が、大淀から僅か数百メートルという至近距離にて投錨していた。

 今回大淀の指揮下に入った戦艦の数は、全部で三隻。だが、本来予定されていた戦艦の数は、扶桑型戦艦二隻だけのはずだった。しかし、シンガポール艦隊という予備戦力が引き抜かれる事が決まり、船団護衛戦力に不安を持った上層部は、大淀の指揮下にあの大和を投入して来ていた。

 勿論、大和だけではない。彼女専属の護衛として、吹雪型駆逐艦から吹雪、白雪、初雪、深雪の四隻もまた大淀指揮下に編入されており、いざという際は、大和と共に事態の対処に当たらせる事が出来る。

 彼女達も加えれば、並大抵の水上艦相手には真正面からでも撃ち勝てる。護衛空母七隻という申し分無い航空戦力と合わせれば、仮に空母混じりの水上打撃艦隊が通商破壊をしに来ても、何とかなるだろう。

 

「それは、そうじゃが――。何事も無ければ良いがの……」

「そうですね……」

 

 ぼそり、と、溜め息混じりに初春が最後に呟く。それを聞いて、大淀も小さく肯定の意を示した。


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