IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第37話「電気ビリビリで敵を倒せたやつは歴史上存在しねえ」

「……あー、楯無さん、今何キロです?」

「もう、だらしないわね一夏くん。ちょっと数十キロ泳いできただけじゃない」

「制服着た状態でそれをこなしてぴんぴんしてる楯無さんがすごすぎるんですよっ!」

 

 一夏と楯無。体育祭を何とか無事に終え、悶々としている楯無を慰労すべく一夏がデートに誘い、楯無の希望で夜はホテルのディナーに行くという、高校生としては少々ハードル高めの一日を過ごす……はずだった二人が今いるのは、壁を這う配管と銀色に磨き上げられたシンクの眩しい調理室だった。

 とはいってもホテルの調理室に乗り込んで手ずから料理をしようと言うのではない。そもそもここはホテルですらなく、とある空母の中だ。

 デートの最中、楯無に入った通信によって下された任務。IS学園近海に停泊する空母から機密情報を奪取するため、IS学園から制服姿で海を泳ぐことで発見されずに潜入したアメリカの秘匿空母の中であった。

 

「それにしても……なんなんです、この空母。甲板にはでかでかとIS操縦者の絵が描かれてるし。……それに、中に誰もいませんよ」

「絵の方は趣味でしょうね。あと一夏くんはそのセリフやめなさい。危ないから」

 

 ここまでの潜入は順調だった。可能な限り隠密性を上げるため、緊急時以外はISの使用を控えることにして直接泳いできたが、その間見つかることはなかった。一夏は割と呑気なのでそのことを運が良かった程度に考えているようだったが、楯無としてはそう簡単に受け止めるわけにもいかない。

 この空母は存在をおおっぴらにできないとはいえ、だからこそ侵入者への備えは十分以上にしてあるはず。それでもなお潜り込む程度のことは更識家の当主として可能なのだが、一夏まで連れてこれほどあっさり侵入できたというのは、確実に何か別の理由が働いている。

 

 今回の潜入ミッションの目的となる機密情報は、ファントム・タスクに関しての物。

 これまでも何度かIS学園を襲撃してきた秘密結社だけに更識とIS学園の情報網を駆使して探ってきたが、それでも尻尾すらまともにつかめない組織の秘密を、アメリカが握っているという。

 それだけならば、まだいい。アメリカほどの国家であれば、良かれ悪しかれ世界規模で暗躍する組織に対して、何らかの情報あるいは影響力を持っているのは当然のことでもあり、存在が秘匿された空母に情報が保管されていたとしてもありえる話と納得できるだろう。

 だが、そんな空母にまともに人がいないというのは。

 

「おーい、誰かー。腹減ったからなんか作ってくれー」

「!?」

 

 思案にふける楯無と、制服が吸い込んだ水を絞っていた一夏の耳に飛び込んでくる女性の声。突然のことだったので、二人揃って反応が遅れた。楯無は咄嗟に身を隠したものの、一夏も一緒に身を隠す余裕はなく、驚いて固まった一夏はばっちり空腹の闖入者に姿を見られてしまった。

 

「あん? 誰だお前」

(アメリカ代表、ファング・クエイクのイーリス・コーリング!? 面倒なときに!)

 

 調理室に入ってきたのは、男っぽい言葉遣いの美女。全身を包むライダースーツのようなタイプのISスーツに身を包み、しかし前面のファスナーは首元から臍の下までほぼ全開にしたセクシーな美女。ショートカットから少し髪が伸び始めたと思しきその女性の顔を見て、楯無は正体をすぐに知る。

 大国アメリカのIS代表操縦者にして軍人。さばさばした性格が女性ファンに人気の高いIS操縦者だ。しかも口調からわかる通り性格は大雑把。もしも侵入者がいるとバレてしまえば、即座にISを使って大暴れしたうえで取り押さえようと考える類の脳筋人間だと噂に聞いたことがある。

 

「あー、えーと……あ、新しいコックです。お腹空いたんですね、じゃあちょっと待っててください。軽くつまめるものを作りますから」

「おう、頼むわ」

 

 一夏、渾身の演技。表情が引きつり気味ではあったが、コックに化けて丸め込もうという咄嗟の判断は悪くない。このままイーリスが部屋を出て行ってくれれば、あとはいくらでもやり過ごしようが……。

 

「いやいや、そんなわけねーだろ。IS学園の制服着てるし、そもそもその顔を見間違えるわけがないっつの、織斑一夏」

(ですよねー)

 

 あるわけがなかった。

 さすがに一夏は面が割れすぎている。イーリスはノリツッコミをしたのかはたまた最初は気づかなかったのか、いずれにせよ既に正体はバレてしまっている。

 

「なら一時間後に来てください。俺が本当のコックだっていう証拠をお見せします」

「へえ、上等じゃねえか。だけどもしたいしたことない料理だったら、お前の童貞をナターシャへの土産にするからな!」

(……ええー?)

 

 バレて、いるはずだがどういう展開なのだろう。どこぞの料理に詳しい新聞記者のごとく、一夏が手料理で場をやり過ごせそうな気がしてならない状況になってきた。いやまあ、さすがにそんなことにはならないと思うのだが、一夏はイーリスには見えない位置で楯無に対して「先に行け」と手でサインを送っている。

 さすがにこれで済むとは思わないが、一夏には白式もある。アメリカの国家代表というのは相手として分が悪いかもしれないが、空母に侵入する前に言い含めていた通り、いざとなったとき逃げに徹してくれれば白式の機動力で十分脱出の目はある。

 楯無が迷ったのは一瞬。一夏にこの場を任せ、自分は目的を果たすため、空母の奥へと向かうことにした。

 

 

「ここは軍艦なわけだし……とりあえずブイヤベース作るか」

「1時間じゃ済まなそうだなオイ!?」

「じゃあチキンブリトー」

「エイリアンが来そうだからやめとけ」

 

 一夏は一夏で軍艦の調理室での無敵フラグを立ててくれているので、楯無の中の不安は既にどこにもなかった。

 

 

◇◆◇

 

 

「なによ、これ……本当に人っ子一人いないじゃない」

 

 空母内のデータセンターをめざし、狭く入り組んだ通路を行く楯無は独り言をつぶやいた。本来隠密潜入で無駄な音を立てることは厳禁であるが、今の状況はそんな必要がない。何せ、空母内に全く誰一人いないのだ。

 乗り込んだ時からうっすらと察してはいたが、ここに至るまで気配すら感じない。遠くで爆発音が響いているのはおそらく一夏とイーリスが結局IS戦闘に移行したからだろうし、それでありながら警報の一つも鳴らないことが楯無の推測を裏付けている。

 イーリスの使うファング・クエイクは白式同様高機動の格闘戦タイプ。リボルバー・イグニッションブーストというマニューバも備えているが、まだ成功率は高くないという。それでいて、動き回るのは空母艦内という限定空間。強羅であれば駐車場並みに必勝の戦場だろうが、あの二人であればおそらくまともに戦えずぐだぐだしたことになるに違いあるまい。楯無はそう見込んで、自分の使命に集中することにした。

 

 乗員の一人もいないにもかかわらず、明りのついた通路を歩く。

 おそらくこの状況は、罠だ。楯無を誘いこんだのが意図的なものか、それとも別の誰かを陥れようとした中に迷い込んでしまったのかはわからない。

 だがおそらく、この空母は既に……。

 

『自沈装置作動。現在この艦は自沈装置を作動させています。乗員は直ちに避難してください。現在、この艦は……』

「ちょっ、嘘でしょ!?」

 

 楯無の予想は、最悪の形で的中した。

 艦内中に響く英語の警告音声は、この艦が沈没することを告げている。おそらく一夏にもこの放送は聞こえているだろうが、一夏の英語の成績で果たして言っている意味がわかるかどうか。そうでなくとも目的を果たすための時間すらなくなりそうだと見込み、楯無はなりふり構わず艦内を走り出した。

 

(いくらなんでもあり得ない。こんなことをしたら、アメリカはファントムタスクの敵に回るわよ!?)

 

 元々、敵対する相手も、味方としてバックについている存在も不明だったファントム・タスク。これまで見せてきた行動と今回得られた情報からしてアメリカと何らかの関係にあることは間違いなかったが、空母を一隻沈めたとなれば確実にアメリカとは敵対することになるだろう。そんなことをして、一体誰が得をすることになるのか。今の手持ちの情報だけではどうしても読めない。

 

 予想はできる。だがそれは「まさか」とありえないことを前提で考えるべきものだ。

 隠密を第一として行動してきたファントム・タスクの行動としてはデメリットしかない今回の空母沈没が、もしもファントム・タスクとアメリカとの間で交わされた取引の結果とすれば。

 空母一隻と釣り合う代償。もしもそれが、「ファントム・タスクそのもの」であるとすれば。

 

(考えてる場合じゃない! 今は情報を手に入れないと!)

 

 これ以上は、妄想になる。一刻も早くこの場を脱するのが先決だ。楯無は止まらなくなりそうな想像を振り捨てて、ひたすらに目的のセントラルルームへと走った。隠れる必要はもはやない。空母を沈めるだけならいざ知らず、人死にまで出すとなればさすがにまっとうな取引が成立するはずもない以上、本来の乗員は既に脱出させられているはずだ。さすがにこの一件がそこまで狂っていないとは思うのと、もし万が一誰かが残っているのであれば救出しなければならない。それを調べるためにも、楯無は全力で走った。

 

 

「よしっ、早いとこデータを吸い上げて……!」

 

 結論から言えば、やはり空母の中には誰一人いなかった。

 イーリスが迷い込んだいたのは完全にイレギュラーな事態だったのだろう。おそらく近くを通りかかってお腹が空いたから食べ物をもらいに来た、とかそういうレベルの偶然と思われる。だがそれはさておき、目的の情報を入手するのが先決だ。

 セントラルルームに据え付けられた端末に、てっとり早くISでアクセス。セキュリティをISの能力で強引に突破して、中身のデータを探る。検索ワードは「スコール・ミューゼル」。

 結果は、該当者なし。

 

「オーケーオーケー……まあ、そう簡単に見つかるわけないわよね」

 

 楯無は慌てない。検索対象としたのは、念のために調べた米軍所属の正規軍人。さすがにテロ組織の人間をおおっぴらに所属させているはずはないので、これは予測の範疇だ。だから、本番はここから。検索対象データを生存者から既に死亡した者へと切り替える。

 

 もしもの話。ファントム・タスクがアメリカと密接な関係にあり、人員の交流などがあったとするならば。その場合、特殊部隊の隊員のように死亡扱いにされた軍人がファントム・タスクに所属していても不思議はない。スコールがその手合いであるとするならば、むしろ想定の範囲内だった。

 

「……あった。けど、これって……!」

 

 しかし結果は、予想が的中していたのは半分といったところ。

 確かに、スコールの名前は死亡者リストの中にあった。だが。

 

「死亡扱いにされた偽装じゃない、完全な死亡。それに、死んだのは12年前……?」

 

 経歴を詳しく見ている暇はないが、スコール・ミューゼルは確かにアメリカ軍人であり、正式に死亡が確認されている。しかもその時期はISが世に出る前のこと。さらに加えて、記録に残っている写真の中のスコールよりも、かつて楯無がキャノンボール・ファストの時に遭遇した現在の姿の方が明らかに若い。

 別人か? あるいは既に記録の改ざんがされているのか。楯無はしばし思考に沈む。

 

 だから、しばらくの間気付けなかった。端末に映る自分の影がゆらゆらと揺れていることに。

 

「……しまっ!?」

 

 振り向き、人魂のようにゆらめく火の玉がいつの間にか背後に浮かんでいたのを目にするのと、それが轟音と熱波を放って爆発するのは、ほぼ同時だった。

 

 

◇◆◇

 

 

「うふふ、まだまだ若いわね」

 

 空母上空。既に太陽は水平線の彼方に没した星空に、沈みゆく空母を眺める黄金の人型があった。艶やかな声と豪奢な金髪。装甲もまた星の光を弾く金色のそれこそは、ファントム・タスクの実働部隊「モノクローム・アバター」の一隊を指揮するIS操縦者スコール・ミューゼルと、彼女のIS「ゴールデン・ドーン」の姿だ。若者の未熟を受け入れるようなその口ぶりは余裕に満ちて、アメリカの空母一隻を沈めた張本人だとは思えない慈愛すら感じられる。

 

 

「せいはああああああ!」

「あら、危ない」

 

 だから、楯無があの程度で死んでいないこと、この期に及んではなりふり構わず自分を倒しに来るだろうことも予想がついていた。海面を割ってイグニッション・ブーストも使い、瞬時に距離を詰めてきた楯無が繰り出すミステリアス・レイディの槍を、スコールは身をひねるだけであっさりとかわす。

 楯無もまた奇襲が楽に成功するとは思っていない。慌てず体勢を立て直し、2機のISは互いに距離を取り、向かい合う。

 

「随分必死ね。私の秘密、そんなに刺激的だったかしら」

「ええ、それはもう。その体を三枚におろしてでもあなたのアンチエイジングの秘密を知りたいくらいには」

「……へ、へえ。言ってくれるじゃない」

 

 油断なく相手の動きを探りながらも軽口をたたき合う楯無とスコール。米軍の記録からはっきりした、あからさまな年齢詐称と若作りを突かれてかなり表情のひきつるスコールであったが、その動揺を行動には現さないあたりはさすがの精神力といえよう。年のことはかなり本気で気にしているらしかったが。

 

「これでもくらっときなさい!」

「あらやだ、お断りよ」

 

 この期に及んで、楯無はもはやスコールを逃がす気はない。米国空母沈没地点でISを使うということが国際的な問題になりかねないという冷静な判断は確かにあるのだが、それ以上にスコールを野放しにする危険の方が大きすぎた。

 高速でスコールの周囲を旋回しながらランスに仕込まれたガトリング砲で高圧水流弾を放つ。破壊力こそ実体弾に劣るが、衝撃と弾速はIS相手にも十分ダメージを与えられるだけのものがあり、なおかつ海上ならば実質の弾数はほぼ無限。弾幕は途切れることなくスコールを襲う。

 

「無駄よ、無駄無駄無駄。その程度の水では、私の防御を貫けないもの」

「くっ!」

 

 しかし、スコールが浮かべる余裕の表情すら崩すことは敵わなかった。ろくに動きもしないゴールデン・ドーンに近づく弾は、シールドバリアにすら触れることなく、スコールの周囲で揺らめく大気に絡め取られるように消えていく。その正体は、ゴールデン・ドーンを覆う高熱の防御壁<プロミネンス・コート>いつぞやキャノンボールファストの会場で見せた光の繭も、これの応用だったのだろう。

 

「でも、あなたのその水の膜は私の熱を受け止められるかしら」

「ちぃっ! これが年の功ってやつね!」

「……熱量、倍にしておくわ」

 

 ここにきて楯無は思う。スコールのゴールデン・ドーンと楯無のミステリアス・レイディは極めて良く似たISだと。扱うものが熱か水かの違いだけで、操るそれらを攻防どちらにも使っているという点では姉妹機ではないかとすら思える。

 だがここで、とんでもない相性の悪さが明らかとなる。もしもゴールデン・ドーンの能力が炎を使うものであれば、水を操る楯無に負けはない。だが実際にスコールが操るのは「熱」。たとえ水をかけたとしても、熱量は消えるわけではない。ましてその熱量が圧倒的であれば、水は触れる端から蒸発して楯無の制御を離れてしまう。

 ゆえに、まぎれもない大ピンチだ。スコールの手の中で火の粉が渦を巻き、形を成したまばゆい光球の持つ熱量はミステリアス・レイディの水の防御膜では防ぎきれない。まして、またしても年齢ネタを突いたことでめらっと湧き上がった怒りの熱量までもプラスされたらしく、高熱火球が一回り大きくなった。

 

「くらいな……さいっ!」

「あっつぅ! ここにきて本気出したわね! 割としょうもない理由で!」

 

 思いっきり力の限り投げつけられた光球は楯無のフェイントを全て見抜いて直撃。水の膜を積層して熱量を相殺してなお絶対防御がなければ肌を消し炭に変えていただろうほどの威力でミステリアス・レイディのエネルギーを盛大に削る。

 視界の中に表示されるアラートの数は目を覆いたくなるほど。面倒なので全てまとめて消して、戻った視界の中には次々と飛来するおかわりの火の玉。防御もできない威力なので、楯無はガトリングの弾幕での迎撃と回避に専念せざるを得ない状況へと瞬く間に追い込まれた。

 

「こ、のっ! 調子に乗るんじゃないわよ!」

 

 迫る火球が三つ。そのうち一つを回避して、進行方向を塞ぎに来ていた二つをまとめて撃ち落とし爆発させる。その瞬間が好機。広がる爆炎に紛れ、水で作った分身を進行方向へそのまま飛ばし、そちらで攻撃を引きつけている間に一気にスコールへランスの突撃を敢行する。

 だが。

 

「焦り過ぎよ。行動バレバレじゃない」

「な、尻尾!?」

 

 イグニッション・ブーストによる接近は、たとえ相手もISを装備していたとしても反応できるものではない。にもかかわらず楯無の目の前にゴールデン・ドーンの尻尾が、その先端を大蛇の口のように開いて待ち構えていたということはすなわち、楯無の行動が全て読まれていたことを意味する。

 この状況では加速があだになり、進路変更すらできない楯無は為すすべなく胴体に食らいつかれて、動きを止めた。慣性を殺しきれずがくんと揺れる首。気合で一往復のみに抑え込んで顔を上げると、そこには勝ち誇った顔のスコールが憎たらしい笑みを浮かべている。

 

「それにしても、やけにわかりやすかったわね。よほど焦っていたようだけど……ははぁん」

「な、なによ……!」

 

 ニタリ。スコールの表情が、そうとしか評しようのない形に歪む。これは、相手の弱点を見つけ、そこをいたぶることしか考えていない手合いの顔だ。

 

「なるほど、男連れね。あの艦の中に、織斑一夏がいるんでしょう? ……なら、これでどうかしら」

 

 楯無の直感は的中し、放たれた言葉が持つあまりの禍々しさに怖気が走って息が詰まる。一夏と一緒に来ていることを察したスコールは、先ほど楯無に放っていたのとは比較にならない巨大な火球を頭上に掲げた手の上に作り出した。

 直径は人を数人飲み込んでまだ余る巨大さで、楯無の顔にも目を開けていられないほどの熱波が吹き付ける。もしあんなものが、空母に直撃すれば、どうなるか。

 

「や、やめなさい! やめろおお!」

「だぁめ。今のうちに愛しの一夏くんにお別れを言っておくことね。そぉ……れっ」

 

 心底楽しそうに。装甲に食らいつくスコールの尻尾を引きはがそうともがく楯無をあざ笑うように。そっと指差す先の空母へ向かって飛んでいく高熱火球。一夏が空母から脱出した形跡はまだない。おそらくまだ艦内でイーリスと追いかけっこをしているのだろう。今からでは、たとえこのピンチに気付けたとしても逃げ出すことはできないかもしれない。

 通信は何度も呼びかけた。それでも返事がないのはおそらくジャミングがされているからで、一夏に状況を伝える術すらない。このままでは、何も知らないまま艦の一部が蒸発し、それに巻き込まれて一夏が沈む。いや、それどころか運が悪ければ、あの火球が直撃して……。

 

「このおおおおおおおっ!!!」

「あら、すごい。愛の力かしら」

 

 そんなことはさせない。絶望的な想像を振り払う気合を腕に込め、楯無は無理やり尻尾なのになぜか生えている牙から逃れ、飛びだす。

 スコールに背を向けているのも構わず全速力。その向う先。

 

 楯無は、その身を空母に迫る巨大火球の前に投げ出した。

 

(止めることは無理でも、全てのナノマシンをアクア・ヴェールにつぎ込めば、威力を弱めるくらいは……!)

 

 この時すでに、楯無は我が身を楯とする覚悟を決めていた。一夏が逃げられないのであれば、せめて少しでも助けられる可能性を上げる。大切な人たちを傷つけさせないためならば、この命を、人生を捧げよう。それが更識家当主を継ぐときに決めた楯無の、更識刀奈の誓いなのだから。

 

 迫る火球。

 まぶしく熱く、目は開けていられないがすぐそばまで迫っているのはよくわかる。

 

 恐怖はある。

 だが悔いはない。

 自分の選択に誇りを持って、楯無は楯無たることを完遂する。

 

 ……それでももし、心残りがあるとするならば。

 

(こんなときだけど、会いたいなあ……一夏くん、簪ちゃん。そして……)

 

 そして、と。

 思い浮かべた顔は、その人物のものではなく、しかし当人以上に当人らしい。いかつくごつく、だがひたすらにかっこよく。彼の夢そのものが形になったようなその、鋼鉄の勇者の横顔を思い浮かべ。

 

 

『電気ビリビリで敵を倒せた奴は歴史上存在しねえーーーー!!!』

 

 

 叫ぶ声に驚き開いた目の前を、想像とそっくりそのまま同じ顔が横切った。

 それも、自分の体よりはるかに巨大な高熱火球を明後日の方向に蹴り飛ばしながら。感動してもおかしくないシチュエーションなのに、何やってるんだあの男はという感想しか浮かばなかった。

 

「ま、真宏くん!? どうしてここに……っていうかそのセリフはなに」

『助けに来ました、刀奈さん! それと、セリフは電撃避けの呪文です』

「……今の、電気玉じゃなくて高熱火球よ?」

『えっ……うおわー蹴った足が熱ぃー!?』

 

 会いたい、と思ったときに駆けつけてくれるという超カッコいい登場をしたにもかかわらず、空中で足を抱えてのた打ち回るという超カッコ悪いロボがそこにいた。それでも名前を呼んでくれたせいもあって胸のキュンキュン止まらないあたり、自分も割と重症だと楯無は思い知る。

 

「大丈夫、お姉ちゃん」

「か、簪ちゃんまで、一体どうして……」

「真宏と二人で、聞いたの。楯無の名前の意味。守ってもらえるのは嬉しいけど、守られるだけじゃ、嫌だから」

 

 あまりにもアホらしいのた打ち回り方をしていたが、既に体勢を立て直してしっかり楯無とスコールの間に入り、さっそく両手に持ったマシンガンで弾幕を張ってスコールを牽制している真宏を横目に、簪が寄り添い支えてくれる。

 この二人が現れた理由は簪の言葉で知れる。楯無の名前の意味を知っていて、なおかつ空母への潜入作戦を把握している人物。楯無の脳裏には好々爺然とした顔で意外と何かしら企んでいるあの御仁の顔が浮かんでいた。

 

『楯無さんの覚悟はよくわかりましたけど、誰かを守りたいって気持ちは俺達にもあります。人間はみんな楯無なんです』

「それ決していい意味で言われたセリフじゃないよね」

「真宏くん、らしいわねー……」

 

 それを言っちゃあ形無しだ、とか言ったら負けな気がするのでぐっと口をつぐんだ楯無だったが、この状況が頼もしい物であることは間違いない。たった一人で戦っていたというのに、いまでは強羅の頼もしい背中が前を守り、簪が背を支えてくれている。

 だから、もう大丈夫。

 

「……三対一は卑怯でしょう」

『ハッハー、悪いね金髪のお姉さん。卑怯もラッキョウも大好物なんだよ』

「卑怯もラッキョウもあるものか、だから」

 

 ……大丈夫、なはずだ。いつの間にか、簪と一緒に大量のミサイルをぶっ放し始めている真宏の情け容赦のなさには不安を感じるが。スコールはすいすいと避けてこそいるものの攻めに転じる余裕を持たせないあたりさすがの火力量だ。

 ともあれ、この決着は楯無自身の手で付けなければならない。それが更識楯無の名が持つ責任なのだから。ミサイルを次々ぶっ放している簪の手から離れ、楯無はミステリアス・レイディの状態を確かめる。

 

「まだまだ行くわよっ!」

「くっ、ズタボロだっていうのに、しつこいじゃない!」

 

 ……まだ、行ける。真宏達の作る弾幕の隙間をかいくぐり、楯無はすぐにスコールへと接敵。ランスを突きこんだ。防いで逸らされてこそしまったものの、槍に乗った力の重さは十分。これなら戦える。

 

「というわけで真宏くん、簪ちゃん。ここは任せてもらえるかしら」

「きっと、お姉ちゃんならそういうと思ってた。だから、これを……!」

『受け取ってください、楯無さん!』

 

 万全とはいいがたい状態であったが、それを補ってくれる仲間もいる。簪がキーボードを叩き、強羅の背後に無数の0と1が溢れ、光の中からある物が形を成す。それは楯無にとって見慣れた、自分の装備。

 それを、強羅は。

 

『ぃよいしょお!』

「ちょっ、なんで投げるのよ!? これだから縁の下の力任せは!」

 

 スコールと打ち合いながら高速で飛翔するミステリアス・レイディの方めがけて、思いっきりぶん投げた。

 とはいえ全く考えなしではなかったらしく、強羅が投げた装備は翼を広げて軌道を整え、高速機動中のミステリアス・レイディの背中へ見事に接続された。寸前に蹴り飛ばしたスコールとの距離を取ったことで、合体は問題なく成功。

 ここに、ミステリアス・レイディは真の意味で完成する。

 簪と真宏が持ってきてくれた赤い翼、名は<麗しきクリースナヤ>。ロシアの言葉で赤を意味するその名の通りの真紅色をした、ミステリアス・レイディのためだけに作られた専用機の専用パッケージ、オートクチュールだ。

 

「これが使えるなら、見せてあげるわ。私とミステリアス・レイディのワンオフアビリティ!」

<START UP!>

 

 クリースナヤと接続することで、ミステリアス・レイディは本来秘めたる力の全てを発揮する。全身を覆う水の装甲アクア・ヴェールが青から赤に染まり、超高出力モードへと変わる。

 

「きっと10秒しかあのモードは使えないんだね」

『一瞬も見逃せないな』

 

 真宏と簪は既に観戦モードに入っているらしく、対峙する楯無とスコールを遠巻きに見ている。解説キャラに成り果てることに全く躊躇いがないあたりは素直にすごいと楯無は思う。だからそんな二人に、少しはいいところも見せてあげるとしよう。

 

「教えてあげるわ、スコール。ミステリアス・レイディのワンオフ・アビリティ<セックヴァベック>の力を!」

「く、マズイ……!」

 

 ワンオフ・アビリティ。

 セカンドシフトを果たしたISが稀に顕現させる特別な能力。一夏の白式とかつての千冬の愛機、暮桜がシールド無効化能力「零落白夜」を持つように、真宏と強羅が精神依存のエネルギー生成能力「ロマン魂」を持つように、その力は予想もつかず、かつ非常に強力だ。黙って使わせてしまえば、たとえミステリアス・レイディに対して圧倒的に優位な特性を持つゴールデン・ドーンでさえどうなるか。

 冷静に戦局を見極められるからこそ、スコールは焦りを感じる。なぜか強羅と打鉄弐式は加勢してこないが、状況は3対1で極めて不利。このうえ楯無にまでワンオフ・アビリティが加われば敗北は必至。

 

 その時スコールが選んだのは、攻撃。これまでも使ってきた高熱火球<ソリッド・フレア>を、先ほどまでのような戯れ程度の物ではない本気の速さと威力で形成し、楯無に向かって撃ちだした。

 まばゆい光を放つ弾丸は煙と光の尾を引いて楯無に殺到。これまではバラまくようにゆっくりとした弾速で放っていたのとは打って変わり、油断していればISですら回避は難しいほどの速度と軌道だ。

 そしてスコールほどの熟練者が、切り札を出す時を間違えるはずがない。ワンオフ・アビリティ発動のため、わずかに生じるチャージ時間。その一瞬を、スコールは捕え、楯無が避けようのない体のド真ん中に放り込んだ。

 

「しまっ……!?」

「遅いわぁ!」

 

 楯無の叫びを無駄だと断じるスコールの雄たけび。空中に爆炎の華が先、楯無の姿は為すすべなく極小の太陽にも似た業火の中へと消えた。

 

「お姉ちゃん!?」

「ハハハっ! 口ほどにもないわね更識楯無! 塵一つ残らないなんて……あら、そこまでの威力込めたかしら?」

 

 消えたのだが、おかしい。

 スコールは確かに楯無を倒す気でいたが、絶対防御を持つISを蒸発させるような威力はあの技にはない。だが現実として楯無の姿はなく……そして、体が動かない。

 

「な、なんなのこれは……体が、空間に捕らわれる!?」

「……ええ、そうよ。さっきあなたが破壊したのは水で作った分身。そして私は、その直後に『2秒間だけ時間を止めた』」

 

 セックヴァベック。

 その意味するところは、「沈む床」。周囲一帯の空間そのものを拘束する、AICをはるかに越える能力だ。

 

『すげえぜ楯無さん! ラスボスみたいだ! そして俺達も動けない!』

「この能力、あんまり細かく範囲を弄れないみたい。……でも、時が止まった世界に入門するなんて、いい経験かも」

 

 観戦者二人が巻き込まれてる割りにうっとりと楽しそうにしている中で、背後に響く楯無の声。しかしスコールは振り向くこともできず、これまでの戦いで激しい損傷を負いながらもいまだ健在な楯無の様子をハイパーセンサーでしか知ることができない。

 説明の内容が、空間拘束結界たるセックヴァベックのそれとは明らかに異なっている気もしたのだが、ついに口すら動かなくなってきたスコールではツッコミを入れることすらできなかった。同じ能力に巻き込まれているはずの真宏と簪は相変わらず元気だが、あの手合いのことはもはや理解しようとするのが無駄なので、考えることをやめた。

 

 背後の楯無は、慌てない。その手に持つのはいつものランス。しかも、ミステリアス・レイディの最大火力、ミストルティンの槍発動準備に入っている。これほど広範囲にAIC以上の出力で空間拘束能力を展開しながら、急速に充填されていくエネルギー。その総量がどれほどのものになるのか、スコールには想像もつかない。

 ただ一つだけはっきりしているのは、もはや逃げ場はないということだけだ。

 

「あなたの敗因はたった一つよ、スコール。たった一つの、シンプルな答え」

 

 楯無はランスを力いっぱいスコールに投げる。そのまま串刺しにする気かと身構えるが、しかしスコールの体に触れる寸前でぴたりと止まった。自分と同じようにセックヴァベックに捕らわれたか、と思ったのはほんのわずかな間のこと。

 ランスから噴き出る赤く染まった水が後方へ迸り、赤い円錐状の光となり、光の向こうの歪んだ景色の中で、楯無が美しすぎるとび蹴りポーズを決めているのを見てしまえば、もはや絶望しか感じない。

 

「てめーは私を怒らせた! ミストルティン!! キィィーック!!!」

「理不尽よおおおおお!?」

 

「生きててよかった!」

『見に来てよかった!』

 

 楯無の蹴りはランスを真芯から捕え、アクア・ヴェールの力がなんか働いたのかぎゃぎゃぎゃぎゃんと加速し、それらすべての威力を込めたミストルティンの槍が、スコールの心臓を情け容赦なく狙って、突っ込んだ。

 

「くっ、こうなったら……!」

「なに!?」

 

 しかし、スコールの動きはそれよりわずか一瞬速く、そして楯無の予想を超えていた。

 スコールは体が動かなくなった時からひそかに作っておいた火球を、勢いがついて止めることなどできない楯無ではなく「自分自身に」直撃させたのだ。

 

 ゴールデン・ドーンが作り出す高熱火球の威力は高い。触れたものをことごとく焼き尽くす熱量は、当然自身に対しても例外なくその牙を剥く。解放されたエネルギーは容赦なくスコールの体を襲い、セックヴァベックの拘束からすら弾き飛ばすほどの爆発を生じさせた。

 

 結果、ミストルティンの槍は不発に終わり、楯無は一瞬前までスコールのいた空間を素通りする羽目となる。

 ついでに空間拘束から解かれた真宏と簪もことの異様さを感じ取ってすぐさま楯無の元へ駆けつけて並び立ち、腕一本を犠牲に絶体絶命のピンチから逃げおおせたスコールを改めて目にする。

 

「なかなかやるわね。まさか、私の秘密がバレることになるとは思わなかったわ」

「あなた、その腕……」

 

 二の腕から先がちぎれた左腕。しかしその傷口には血も肉も骨もなく、オイルとケーブルと鉄がのぞく、機械の腕だった。

 

『あ、サイボーグでもIS使えるんだ……』

「真宏、改造手術受けることを考えちゃダメ」

「二人とも今回ほんとブレないわよね」

「……本当にね。まあ、おかげで私も助かるけど。ここらでお暇させていただくわ」

 

 一度拘束を抜け出してしまえばもはや長居は無用ということなのだろう。スコールはさらに複数の小火球をあたりにばらまいて牽制の目くらましとして、一気に離脱を図った。真宏は強羅自身で、簪は用意してきた防御特化パッケージ<不動岩山>でその攻撃から楯無と背後の空母を守る必要があったため追うことはできず、楯無には追いかけてもう一戦やらかす力が残っていない。クリースナヤも<REFORMATION>というメッセージ音声と共に通常モードへと戻ってしまった。これが潮時なのだろうと、認める他はない。

 

『くっそ、ボケるのに忙しくて逃がした……! それより楯無さん、大丈夫ですか?』

「ええ、二人が助けに来てくれたおかげよ。……本当にありがとう。守られちゃったわね」

「いつもは私たちが守られてばかりだから。今度は、私たちが守る番」

 

 スコールの反応がISの索敵圏内から消えるのを待って、楯無の体を支えていた最後の力が抜けた。がくりと落下しそうになるのは真宏と簪が二人で支えてくれたが、もはやいつもの余裕ぶった態度を見せることもできず、素直にその腕の中に甘える他なかった。

 

(楯無の名折れね。……でも、悪くないかも)

 

 どんどん重くなる目蓋に抗う術はなく、今回の一件への対応は反省すべき点も多かった。だがそれでも今だけは、誰かに守られる感触を味わっていたい。体に降り積もる疲労と力強く支えてくれる二人の腕に、楯無はただうっとりと目を閉じる。

 

「必殺! 指ビーム!」

「よっしゃ、よくやった織斑一夏! なんか気づいたら誰もいねーし艦は傾いてるし、死ぬかと思ったけどこれで助かったぜ!」

 

『あ、一夏達出てきた』

「回収の手間が省けたね」

 

 音しか聞こえないが、どうやら空母の中で忘れ去られていた一夏達も自力で脱出した様子。これから先のことを考えると面倒なことばかりが浮かんでくるが、少なくとも今この場では、楯無に関わる全ての人が助かった、その安堵だけが体の中に満ちている。

 楯無という名の持つ責任と重さを、一時だけ忘れる。真宏と簪が自分を支える腕がくれたその時間に感謝して、楯無は今だけ妹たちに頼ることを、許した。

 

 

◇◆◇

 

 

「お前のイグニッション・ブースト、速いけどやる度にムラがあるんだよ。もっとこう、最小の労力で最大の速度をだな」

「そういうイーリスさんはリボルバー・イグニッション・ブースト失敗して壁に突っ込んでたじゃないですか」

「さすがアメリカ。ミスアンチェインなんですね」

「口答えとはいい度胸だ織斑一夏! それと人を筋肉ダルマ扱いするんじゃねえよ神上真宏!」

「いたたたたたた!?」

「両手アイアンクローとはやりますねうぎゃああああ!?」

 

「ん、んん……うるさい……」

「おはよう、お姉ちゃん」

 

 目が覚めたのは、楽しくも騒々しい声が聞こえてきたからだった。

 楯無がうっすらと目を開けると、最初に飛び込んできたのは簪の優しい笑顔。それだけで元気が体の奥からごぼごぼ湧いてくるあたり、楯無のシスコンは重症だ。

 あたりを見回してみると、どうやらここは臨海公園らしい。ベンチで妹の膝枕をされて目が覚めるという勝ち組な状況から、近くで一夏と真宏が二人そろってイーリス・コーリングにアイアンクローをされている光景が見える。一体何をやっているんだあの三人は。

 その様子を見て、いつもの日常に帰ってきたことを実感する楯無。くすりと笑うその前髪を、簪が細い指で梳いてくれる。心地よい感触に、楯無はほうと息を吐く。スッと力が抜けて、心からリラックスできていた。

 

 だが、簪はこの時一つの覚悟を秘めている。

 姉の決意を知って助けに行った時と同じように、姉の気持ちを知って、自分にできる最大のことを。

 

「……一夏か真宏に膝枕されてる方が、よかった?」

「っ!? な、何を言ってるのかしら、簪ちゃん?」

 

 ビクリと凍りつく楯無。多少声が震えていたが、返事を返せたことに関しては自分を褒めてやりたいとすら思う。油断していたところに放り込まれた、楯無の本心を見透かす一言に対する反応としては、十分だったろう。

 

 確かに、十分ではあった。秘めたる思いは口に出さず、やり過ごせるだけやり過ごそうとしていた楯無にとっては。

 ただそれでも、簪の決意の重さには負けている。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「な、なにかしら……?」

 

 

「真宏に、告白はしていいよ」

 

 

「……ファッ!?」

 

 変な声まで出して驚く楯無。ひざまくらから飛び起き、咄嗟に目を走らせた一夏達の方は相変わらずの様子で、イーリスが二人の頭をまとめて両側からこぶしでぐりぐりとしていたので気づかれてはいないだろう。死ぬほど慌てていたが、最悪の事態は避けられたと知って少しだけ落ち着く。まあ、死ぬほどテンパっていることに変わりはないが。

 

「か、簪ちゃん、一体何を……!」

「お姉ちゃんが真宏を見る目。気づかないと思った?」

「……っ!」

 

 楯無は口をつぐむ。妹の眼差しを受けて、これほどの痛みを感じたことはない。一番バレてはいけない相手に気持ちがバレてしまっていることに楯無が最も強く感じたのは、羞恥ではなく罪悪感だった。妹の最愛の人に思いを寄せるなど、そんなことは……と思っていたのだがちょっと待て。「告白はしていい」?

 険しい眼差しのはずだった。軽蔑と憎しみの視線が楯無を貫いていて当然のはずだった。だが目の前の妹が楯無に向けるのは、慈愛と応援の眼差しで。

 

「気持ちを伝えられないのは、辛いから。それに、お姉ちゃんなら大丈夫」

 

 妹の懐の深さに眩暈がしてくる。きゅっと、手を取って握ってくれる感触が優しく強く頼もしい。

 簪が真宏のことをどれほど好いているかは、シスコンとして真宏を羨ましく思うほどに知っている。そんな簪が、まさかこんなことを言い出すとは思ってもみなかった。

 

「で、でも……万が一、万が一よ? もし真宏くんが……」

「真宏が受け入れたなら、平気。……そのときは、更識家のあらゆる力を使ってでも、無理を通して道理をひっこめなきゃいけないかもしれないけど」

 

 簪は、強い。超本気の目で呟くセリフに、楯無の顔が引きつるほどに。

 だがきっとそれは、真宏がくれた強さなのだろう。大切なものを大切だと、好きなものを好きだと言う勇気。今この瞬間、簪は間違いなく楯無よりも強かった。

 

「……ありがと、簪ちゃん。でも少し、考えてみるわ」

「ん、わかった。がんばってね、お姉ちゃん」

 

 だから、楯無もまた強くなろうと決めた。自分の中にある二人分の想いに答えを出すために。

 名残惜しいが簪のつないでくれていた手をほどき、スープレックスでも喰らったのか頭から地面に突き刺さっている真宏と、今まさにキャメルクラッチされている一夏を苦笑しながら助けに向かう。

 

 勇気の意味を教えてもらったのだ。せめて、望むものへ手を伸ばすくらいは、してみようと心に決めながら。

 

 

◇◆◇

 

 

「よぉーっし、できたぁー!」

 

 ぴょーんと飛び上がれば、つられて広がるスカートがふわり。しかしパンツは見えそうで見えない絶妙のポージング。束は今日もノリノリだ。

 

「やったー、やったよまどっちー!」

「うるさい、近づくな!」

 

 ここは、とあるホテルのスイートルーム。スコールによって用意された束のための部屋であり、元から用意されていた高価な調度の類は部屋の隅にごちゃごちゃと追いやられ、束が持ち込んだ機器類が所狭しと並んでいる。

 それらは全て、ただ一機のISのため。監視兼束の「まどっちがお世話してくれなきゃやだ」の一言によってお世話係として常駐している織斑マドカの、専用機のためのものだ。

 とはいってもマドカは決して束の世話をしているわけではなく、今も抱き着こうとする束にナイフを投げつけ、あっさり二本指で止められてぽいっとそこらに捨てられたりしているのだが、束本人はフンスフンスと鼻息も荒く楽しそうにしているので全く問題がない。

 

 そう、マドカの専用機が、完成したのだ。

 千冬を付け狙い、一夏の命をすら狙ったマドカのために、束が作り上げたISが。ドヤ顔でふんぞり返る束の背後に、シーツをかぶせられた塊が、何故か三つ。

 

「遊んでいないでさっさと見せろ、私の機体を」

「はーい、まっかせてまどっちー」

 

 ぶっきらぼうで、束のことを心の底から鬱陶しいと思っていることがありありと察せられるマドカの様子はまるで昔の千冬のようで、束としては興奮が止まらない。いじり倒すのマジ楽しい。だからこそ、持てる技術の粋を尽くして、作り上げてあげたのだ。

 

「じゃっじゃーん! これぞまどっちの専用機、黒騎士! これはかつて世界を滅ぼした力、その一つとかそんな感じのことを未来で言われるくらいにね……」

「チェンジ」

「ガガーン! なんで!?」

「誰が謎の粒子を吐き出す機体を作れと言った!」

 

 一目見ただけで、さっそく却下されたが。白騎士と対になるよう黒くしたし、謎の粒子で延々相手にダメージを与えられるし、なんか太いケーブルがうねうねしてるしでカッコいいと思うのだが。何が悪かったのか、束にはさっぱりわからない。

 

「うぅ、せっかく夜なべして作ったのにー……まあいいや。こんなこともあろうかと! 実はもう一機作ってあったから!」

「ネタを仕込む暇があるならさっさと仕事をしろ」

 

 それでもめげない懲りないくじけないのが束という人物だ。黒騎士1号の隣に用意してあった黒騎士2号の覆いを、取り払う。

 

「じゃっじゃーんその2! 今度こそまどっちの真のIS! 魔法使いっぽい帽子とでっかい鎌で切り刻め! サポート用の機体と合体したらルンバっぽくなれるよ!」

「……私の答えは、言わなくてもわかっているな?」

「いふぁいいふぁい! まどっちやめて! 謝るから、ごめんなさい!」

 

 そしてついに、口の中に指突っ込まれて思いっきり左右に引っ張られるまでになった束。ここしばらく一緒に過ごした結果、既にボケとツッコミの貫録が出つつある。

 

「うぅ、ひどい目に会ったよ。まるでちーちゃんと学生やってた頃みたい。懐かしいなー。あ、そうそう本物はこっちね。名前は『黒騎士』だよ」

「散々引っ張っておいてあっさりと!? ま、まあいい。これが、私の……」

 

 そしてさすがに飽きたのか、至極あっさりと公開されるマドカの新IS。その名からも明らかに白騎士を意識した機体を守る黒の装甲が美しい。

 マドカは、真剣なまなざしで自機となる機体を見る。黒騎士というその名前、かつて白騎士で世界に衝撃を与えた千冬を倒すために生きてきた自分には、これ以上なくふさわしい。自然と口の端が吊り上り、千冬とよく似た顔に凶相と言っていい壮絶な表情が現れる。

 

「このISで、私は姉さんを……!」

「ちょーっと待って、まどっち。ちーちゃんを狙うのは良いけど、まだまどっちもこの子に慣れてないんだから、まずは手頃な相手で練習してみないと」

 

 そんなマドカに束は後ろから抱き着いて、背中におっぱいを押し付けながら耳元へ声を滑り込ませる。気色悪い、とばかりに腕の中のマドカがぞわぞわと震えあがっているのも、狙ってしたことなので楽しみつつ、束オススメのターゲットを告げる。

 

 それを口にするにあたり、束の表情は変わらない。

 マドカをからかうときの、楽しくてしょうがないという笑顔で、どうせまともには聞いてもらえない助言をそれでも熱心に説くときの顔で。

 

 

「まーくん、倒してみようか」

 

 

 神上真宏に過酷な運命を押し付ける。

 

 黒騎士はまだ主を知らず、沈黙のままに装甲だけが美しく輝いていた。


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