IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第33話「独神」

「はい、あーん」

「あ、あの一夏くん……? 別に腕は怪我してないから、自分で食べられるわよ?」

「あーん」

「……あー、ん」

 

 IS学園が誇る各種設備の充実度は、そこらの学校の遠く及ぶところではない。それは怪我や病気への対応においても同様で、通常の保健室の他に高度な治療を施すことや、患者を一般生徒から隔離することを目的とした特別医療室も存在している。

 某国の特殊部隊襲撃を迎撃する際に怪我を負った楯無会長が入院しているのも、そんな病室の一つ。そして会長がけが人であることと、病室が寂しい一人部屋であることを理由に、今日も一夏が世話を焼きに来ていた。

 

「美味しいですか、楯無さん。簪に聞いて好物を揃えてみたんですけど」

「え、ええ。どれもすごく美味しいわ。……ちょっと悔しくなるくらい」

 

 携えてきたのは手作りの弁当。一夏が鍛えた主夫力を駆使し、会長の好物ばかりを詰めてあった。マフィンだのサラダだのがメインの洋風弁当なのだが、何故かデザートのシャーベットだけはわざわざ輪切りにしてあるあたりに、そこはかとない不安を感じる。

 ともあれそれらの手料理を、一夏が手ずから食べさせている。普段は会長に一方的に弄ばれているせいか、ここぞとばかりに世話を焼き、甘やかし、主導権を握っていることが楽しくて仕方ないといった様子に見える。

 ……そしてそんな今の一夏が会長にしてあげていることの一つ一つが、他の生徒一同からすればどれほど羨ましいものなのかを当人だけが理解していない。イケメンでならす一夏の手料理と甲斐甲斐しいお世話。IS学園の全女子垂涎と言っても過言ではあるまい。

 

「……なによ、なんなのよアレ」

 

 それはもう、窓の外から部屋の様子を窺う鈴の目が死ぬくらいには。

 

「一夏さんの平常運転ですわ。きっとそうですわ。一夏さんは困っている誰かを見過ごせない殿方ですから、いつものことなのですええそうですわ」

「まあ、確かにそうだよね」

 

 セシリアも平静を装っているが、手やらロールした髪やらがぷるぷるしまくっているのは自分の言葉を余り信じられないからだろう。もしこれで会長と一夏が正式に交際しているとでも言われた日には、そのまま受け身も取れずにぶっ倒れるに違いあるまい。

 対するシャルロットはさりげなくセシリアの体を支える程度には落ち着いているが、一夏との同室経験者としてあの本人の善意からきているジゴロ的ご奉仕が会長の方をどうにかしてしまうのではないか、と懸念している様子がうかがえる。

 

「くっ、このままではマズイ……! かくなる上は!」

「このままおめおめと嫁を奪われるくらいならば、一か八か!」

「おいこら落ち着け箒とラウラ。なぜ制服の胸元を開ける」

 

 そしてさりげなく一番テンパっているのが、箒とラウラの二人だ。何を思ったか突然服を脱ぎかけ、窓から部屋へと侵入を計ろうとした。肩を掴んで止めなければこの二人は迷わず突っ込んでいたことだろう。危なすぎる。

 

「止めるな真宏! 一夏が、一夏が楯無さんに取られるかどうかの瀬戸際なのだ! ならば多少強引な手を使ってでも、一夏の心を掴み取る!」

「その通り! 私の色気をもってすればあるいは!」

「そこで凶器に頼らなくなったのは成長だと思うけどちょっと待とうねお嬢ちゃんら。地上3階の部屋に窓から半裸の女の子が侵入してきても、一夏がドン引きするだけだから」

 

 そう、ここは特別治療室の窓の外であり、俺達は全員空中に浮いている。わざわざISを部分展開までして壁に張り付き、花の女子高生がストーキングにいそしんでいるわけだ。箒達が一夏と会長の様子が気になりすぎるからと監視を決定し、何故か俺まで連れてこられて現在に至っている。……まさかとは思うけど、俺も一夏のヒロインズ扱いされてるなんてことはないよね?

 ともあれ千冬さんあたりに見つかれば大目玉確実なのだが、箒達にとってみればただでさえ年上好きの気がある一夏が、最近急接近しつつある会長と二人きりで過ごす時間となれば座して待つことなどできなかったのだろう。だったら一緒に見舞いに行けばいいと思うのだが、そう提案するには時機を逸していたのが残念でならない。

 

 そんなわけで、状況がこのまま収まるとは思えない。谷間を晒す箒と、谷間がないからこそより一層危ない部分まで見えそうになっているラウラに倣い、セシリア達まで服を着崩して病室に乱入する前になんとかせねばなるまい。そう思いながらちらりと簪に視線をやると、色々心配だからと付いてきてくれた簪はそれだけで俺の意図を察してくれて、ひょいっと当たり前のような顔で窓から病室内へと侵入した。

 

「こんにちは」

「うおっ!? か、簪!? いつの間に!」

「ど、どどどどうして簪ちゃんが!? 窓から!?」

 

 にわかに混乱する室内と、同じく窓の外で監視しているのをバレないようにするため息を殺す箒達。固唾を飲んで見守るのは、簪が一体何をするのか、そして会長と一夏の関係はどうなっているのか、だ。

 

「まあ、私のことはどうでもよくて。それより、二人は付き合ってるの?」

「付き合うって……真宏と簪みたいに!?」

「え、えええ!?」

「いやいや、無いってそれは! ただ楯無さんの見舞いに来ただけで……っていうか昨日は簪が真宏と一緒に来てただろ!?」

 

 一夏の口から否定の言葉が出た途端、張り詰めていた箒達の雰囲気が一気に弛緩する。 なんだやっぱり、そうだと思いましたわ、などとさも初めから予想していたかのようなことを言っているが、そういうセリフを吐かれるとつい数分前に浮かべていた絶望顔を突きつけてやりたくなってくる。ぐっと我慢だ、俺。

 

「なんだ、真宏たちも見舞いに来ていたのか」

「ああ。あんまり負担になってもいけないから、一夏とは一日ごと交互に来ることになっててな。昨日は果物持ってきたぞ。オレンジとかバナナとかぶどうとかメロンとかドングリとかまつぼっくりとかの詰め合わせを」

「一部確実に果物じゃないの混じってるじゃない。変な森から仕入れてきたのだったりしないでしょうね。食べても大丈夫なモノなんでしょうねそれ」

 

 などと話しているうちに、簪は一夏と会長から必要な情報を引き出してくれている。一夏の認識はあくまで見舞い。確かに一夏の場合なら、傍からすると気があるとしか見えない行動であってもその実下心など無いのだろう。

 それはそれで間違いなく美徳なのだが、想いを寄せている側からしてみれば不満の一つも言いたくなるものなのは箒達のこれまでから知っての通り。事実、迷いなく見舞いと言い切られて不満な会長もぐりぐりと一夏のわき腹に肘をめり込ませている。

 しかし箒達にとってみれば、それだけで十分だ。一夏が相変わらずであることと、会長もまた一夏に惚れているのだと確信するには。

 

「ま、まあ私は信じていたのだがな。一夏が破廉恥ではないということを」

「私だってそうよ? 一夏、優しいもんね」

「出来ればその優しさを振舞う相手を、もう少し選んでいただきたいのですけれど」

「でもそれが一夏の良いところだから、しょうがないよ」

「確かに。私を含め、それで救われる者が多いのも事実だな」

「……なんかぞろぞろ来たー!?」

 

 そこまでわかればもう壁に張り付いている必要はないとばかりに、開き直ったヒロインズはどやどやと窓から病室内へと入っていく。一夏にしてみればこれまでの一部始終を見られていたわけでそりゃもうびっくりしただろう。

 

「で、どうなのだ一夏。楯無さんとの間には、その……なにもないのか」

「何もってなんだよ。そりゃあ、楯無さんといるのは楽しいけど」

「!?」

 

 しかしそこは安定の一夏。会長といるのが楽しいというその言葉に、箒達は雷に打たれたような勢いで体をこわばらせた。

 箒達からすれば、自分達も同じように思ってもらえている自負はある。そうでなければ今日までこれほど一夏と良好な関係は築いて来られなかった。だが、相手が会長であれば話は別。あらゆるスペックが高レベルで、なおかつ一夏好みの年上で、人たらし。あるいは一夏すらたらしこまれてしまうのではという懸念は、彼女らをついさっきまで壁に張り付く覗き魔に変える程度には高いものだった。

 そこに、この言葉。

 

「なんでや!?」

 

 それはもう、鈴がうっかりベルはんになってしまうほどに危惧を煽った。

 

「いやだって、スタイル良いし、それでいて高飛車じゃないし、可愛いところもあるし、料理も上手いし、何より一緒にいて死の危険を感じたことがないし」

「逆に言えばお前は普段から一部の女子相手に命の危機を感じてるのかよ」

 

 一夏の言うことはもっともなモノばかりで、ヒロインズにしてみれば中々に突き刺さる部分がある。そりゃあ箒達も魅力的な美少女ぞろいなのだが、目の前でこうも会長の良いところを並び立てられればショックも受けようさ。

 

「……ねえ、真宏くんは?」

「はい?」

 

 その辺の話に深くかかわるとこっちにまで火の粉が飛んでくるのはこれまでの人生経験で身に染みている。だから簪と一緒に一夏達からちょっと離れて観戦モードに入っていたのだが、会長が声をかけてきたのはそんな時だ。

 声に誘われ振り向けば、ベッドに腰掛ける会長が遠慮がちにこちらを見ている。

 

「真宏くんは、私のこと……どう思う? ……あ、いや変な意味じゃなくて、迷惑かけたりしてないかなとか、そういう意味で!」

「いやいや、迷惑だなんてそんな。普段からお世話になってますし、感謝もしてますよ」

「……ほんとうに?」

「それはもう。俺はこれまで嘘をついたことがないのが自慢なんです」

「それ、そのセリフ自体が嘘フラグじゃない」

 

 何故か不安げな様子の会長だったが、他愛ないことを話しているうちに笑うようになり、無駄な力が抜けたようだった。何に悩んでいるのかは分からないけど、やっぱり会長はこうでなくちゃな。

 

「で、一夏。私にも魅力があるってんならどこなのよ、言ってみなさいよ。ほらほらぁ……」

「鈴!? なんでしなだれかかってくるんだ!?」

「ひいきをするな、一夏。私の魅力も教えてくれ。……胸か? この胸が私の魅力だというのなら、少しくらい触っても……」

「一夏さん、わたくしだって負けていませんわよ?」

「ほぉら、一夏。僕にもっと寄りかかってよ。ぎゅーってしてあげるから」

「では私は膝に乗るとしよう。特に意味はないが」

「ちょ、待っ、なんだこれー!?」

 

「……箒達、成長したんだな。俺は嬉しいぞ」

「でも、一夏は大変そう」

 

 とかなんとか俺達が和んでいる一方で一夏は大変なことになってたけど。胸元をはだけた箒達に四方から絡まれてるし。

 これまでは何事も暴力で解決するのが一番だ、とばかりに赤いゴリラじみたオーラを纏っていた箒達も、ようやく紫色のタコめいたアトモスフィアを放つようになってきた。……しかし一夏の心を射止めるための手段が腕力ではなく色気になったのはいいのだが、あれはあれで刺激が強すぎて逆効果な気がするのは俺だけだろうか。

 

 そして、そんな様子を楽しげに見守っている会長の様子はいつも通りに戻っているなと見ていた俺の目が曇っていたということが判明するのには、今少し時間がかかる。

 

 

◇◆◇

 

 

 一夏を筆頭に、箒達を含めて一年生専用機持ちによる賑やかな見舞いの後、楯無が自室に帰ることを許されるまでにはさらに二日かかった。IS学園を襲撃した謎の、ということになっている某国特殊部隊との戦闘で負った傷の治療という名目だったが、一番重傷になりそうだった背後からの銃撃は白鐡が防いでくれたおかげで、実のところ怪我は大したことがない。

 それでも念のための検査や療養すべしという意見と命令が積み重なり、楯無の退院は今日まで伸びに伸びていた。生徒会業務は病室でも出来る限り進めたし、虚や一夏、果ては真宏に簪までもが手伝ってくれていたようで、滞りはなかったと聞く。

 なのでこれで全てが元通り……とは、残念ながらまだ行かなかった。

 

「はあ、やっぱりミステリアス・レイディの損傷がキツいわね。無理させすぎちゃったわ」

 

 いまだ回復していないもの。それは楯無の専用機、ミステリアス・レイディだ。

 専用機持ちタッグトーナメントに襲来した無人機との戦闘で激しく損傷し、先日の特殊部隊戦においても修復が完了していない状態で使うことになったため、蓄積したダメージは深刻になりつつある。

 パーツ製造が完了したあとの組み上げからとはいえ自機に深く関わっている楯無の見立てでは、ミステリアス・レイディを完全な状態に戻すためには早めにオーバーホールをする必要があると出た。

 しかしそのためには、IS学園の設備のみでは足りない。高度な専門性を誇る専用機をオーバーホールするためには、製造元であるロシアまで出向く必要がある。そして国家代表である楯無が戻ったとなれば、ここぞとばかりに色々させられるのがいつものパターン。どうせまた、ロシアの管理官がグラビア撮影だのインタビューだのを山とぶち込んでくるに違いなかった。

 ミステリアス・レイディの損傷具合から計算される修理などによるロシア滞在期間はざっと見積もって一週間ほど。その間は日本に連絡する暇もないほどのハードスケジュールになりかねない。

 

「……ん? ロシアに一週間? ……何かしら、既視感が」

 

 なんとなくそのシチュエーションが記憶に引っ掛かったような気がしたが、すぐに考えるのをやめた。よく覚えていないし、どうせ夢か何かで見た記憶だろう。妙に心臓がドキドキして体が熱くなるのだが、気にしないったら気にしない。

 ともあれ、その間ずっと楯無はロシアに釘付けにされることになる。当然その間IS学園に生徒会長は不在ということになり、何より。

 

「そんなに長い間、一夏くんとも、真宏くんとも会えない、か……」

 

 二人と会えなくなることは間違いない。

 ぽつりと呟いて自覚したその境遇は、思いのほか胸に寂しさをもたらした。同時に、一体自分は何を考えているのかと、とんでもない罪悪感に襲われたりもしたのだが。

 

(な、なんで一夏くんと会えないからって……!? それに、一夏くんはまだしも真宏くんはマズイでしょ!?)

 

 自室で一人パタパタ暴れるIS学園最強の生徒会長。意外と可愛い姿がそこにはあった。

 更識家当主として、国家代表として、IS学園生徒会長として決して平坦ではない人生を歩んで来たがために、年頃の少女、ただの更識刀奈が本来持つべき淡い感情を完全に持て余している。

 

(う~……!)

 

 赤くなった顔を抱えた枕に埋めながら、楯無は夢想する。もしも、許されるなら。

 もし自分が楯無の名を継ぐことなく、ここがIS学園ではなく、どこにでもある学校に通うごく普通の男女として一夏と、真宏と出会ったならば。今とは違う、どんな言葉を交わしていたのだろうと。

 

「楯無さーん、いますかー?」

「おい待て一夏、せめてノックをしろ。それが原因で何回トラブルに巻き込まれたと思ってやがる。お前は今までに見た女の裸の数を覚えているか?」

「人がパンを食べるくらいの気安さで覗きしてるみたいに言うなよ!?」

「似たようなもんだろうが」

 

「!?」

 

 偶然の出会いからお互いを意識し始め、からかったり弄ばれたりとすったもんだの末ようやく手をつなげるようになった、くらいまで楯無の妄想が進行した頃、部屋の外から楯無を呼ぶ声があった。

 IS学園には二人しかいない男子生徒の声。今まさに妄想のネタにしていた、一夏と真宏だ。

 

「あわ、あわわわ……!」

「楯無さん? 聞こえてますよね、入りますよー?」

「そこで敢えて入るあたり、さすが一夏だ」

 

 返事がないのをいいことにさくっと扉を開けるのは一夏ならでは。真宏もいるというのにそれを止めないのは、一夏が常のごとく繰り広げるラッキースケベから始まるラブコメを期待してのことか。その気持ちは分からないでもない。目の前で生ラブコメが繰り広げられるのであれば、それは煽りもするだろう。

 だがその結果、一夏と真宏が部屋に入ってくる。普段から綺麗に使っているとはいえ、片付けをする暇もなく、部屋を、部屋の中でだらしなくしている自分を見られる。

 

「ちょ、え……えい!」

「うおわーっ!?」

 

 そして慌てた末の行動が、手近にあったティッシュ箱スローであった。楯無ともあろう者が室内程度の距離で目標を外すわけもなく、一夏は姿を見せた瞬間目の前に迫りくるティッシュ箱にあえなく額をはたかれることとなった。

 真宏は何故か「スリケン……!」とか驚愕していたが気にしない。何故か事あるごとに更識家をニンジャ扱いしようとする手合いは、世界中どこにでもいくらでもいるからもう慣れた。

 

「こ、こら一夏くん。勝手に女の子の部屋に入ってきちゃダメでしょ! 真宏くんも、こういう時こそ止めなさいよ!」

「一応声はかけましたよ? それでも返事がないから、何かあったのかなって」

「お前入学初日に似たようなことしてシャワー上がりの箒と出くわしたのもう忘れたのか」

 

 赤くなりながら一夏と真宏をしかる楯無だったが、この程度のことは慣れた物な一夏達はどこ吹く風でコントになり果てている。それはそれで助かるような、気に入らないような、恋する楯無の心境は複雑だ。

 

「それより、何か用かしら? ……ハッ、二人で私にエロいことする気でしょう!? R-18版みたいに! R-18版みたいに!」

「楯無さんは何を言ってるんですか」

「落ち着きましょう、なんか見ちゃいけない物を見てます」

「……あ、うん。ごめんなさい、なんだか変な電波を受けたみたいで」

「あはは、どうしたんです楯無さん。なんか変ですよ」

 

 一夏達が部屋に来てから、いやそれどころか実は来る前からして既に変だったのだが、そう言われるとムッとする。一体誰のせいだと思っているのか。笑っている一夏も、さもそんな一夏の傍観者とでも言いたげな真宏も、二人揃って余裕ありげな態度なのが無性に腹が立つ。

 

「だ、誰が変だっていうのよ! 傷だってもう治ったんだからね、ほら見なさい! へそフォルテ!」

 

 そしてそんな感情のままに行動するとロクなことにならないのだが、今の楯無にとってそれは完全に思考の外だった。それはもう、男二人の目の前で服をまくり上げて傷が治ったばかりの腹を晒すくらいに。一応白鐡が銃弾を防いだとはいえ諸々の傷は受けていたため入院中はそちらの治療もしっかりしておいたし、数日の養生程度でプロポーションが崩れるような鍛え方はしていないので全く問題はない。

 ……いきなりブラジャーがチラ見えするほどに服を脱ぐことが問題ないかは、また別の話なのだが。

 

「うわああ!? な、なにいきなり脱いでるんですか!」

「おぉう……眼福と思っていいのか、それとも見ないべきなのか悩ましい……!」

 

 両手をわたわたと振り回してきつく目をつぶる一夏と、そっぽを向いて目を逸らす真宏。

 そうだ、これだ。こういう反応を引き出してこその自分だ、と楯無は調子が戻ってきたことを確信する。そして、さらに悪ノリする。

 

「あらー、見てくれないの? それじゃあ……触って? おねーさんの怪我が本当に治ったのか、確かめて?」

「さ、触って……!?」

「よし一夏、お前の出番だ」

「おい、なんでだよ! ここは平等にだな……」

 

 照れて押し付け合いを始めた二人を見て、楯無はにんまりとほくそ笑む。やはり自分が年上なのだからこうして振り回すくらいでちょうどいい。この調子で二人を翻弄し、ついでにお腹を触ってもらってちょっと待て。

 

(……あれ? 私、触られちゃうの? 一夏くんと真宏くんどちらか、もしかしたら両方の手で……お腹を、直接!?)

 

 今さら気付く、一番重大なこと。

 一体何をやらかしているのだ自分は。自室で一夏と真宏に肌をさらし、あまつさえそこを触れだなどと。

 ぷぴー、と音を立てて血液が沸騰しそうに体が熱くなり、顔も耳まで赤くなる。ごちゃごちゃと揉めている二人にはまだ気付かれていないだろうが、楯無は自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと気付いている。

 二人の手の感触は知っている。男らしくごつごつとして、女のそれとはまったく異なる手。

 それで素肌を、普段は人目にさらさない部分を触られるなど。興奮するなという方が無理な話で。

 

(えっとえっと、今日はカロリー高い物食べてないわよね!? ウエストだって入院前と変わってないし……ああもう、ダイエットしとくんだった……って、違う、そうじゃない!?)

 

 焦りのあまりおかしなことばかり考えてしまう楯無。傷自体は、既に見えなくなっている。万能細胞移植を併用したフィリップス式組織再生法でふさぎ、生体フィルム<ドッキリテクスチャー>で覆った傷は傍目にはどこにあるのかわからず、遠からず完全に痕も消えて無くなるだろう。

 ちなみにこの万能細胞、元々南極で見つかった隕石由来の遺伝子とアミノ酸から作ったもので、この細胞から成長した宇宙怪獣モドキが東京湾で暴れたと都市伝説でまことしやかにささやかれたことがあるが、真偽のほどは定かではない。

 ただ一つはっきりしているのは、一夏と真宏に晒している楯無の腹は素肌そのものということで。

 

「それじゃあ、失礼して……」

「ひゃあっ!?」

 

 多少無理矢理でもなかったことにしようという考えは、一夏に触れられた途端に消し飛んだ。

 どんな話がついたのか触ってくるのは一夏一人。ぷにぷにと楯無の引き締まった腹をつつき、撫でてくる。

 

「ん、ちょ……くすぐった……ぁんっ!」

「なるほど、本当に傷一つないですね。綺麗なもんです」

 

 綺麗、と言われたことでまた楯無の体温が上がる。それでいて、一夏はまるで珍しい物をみているだけ、といわんばかりの普通な様子が気に障る。なんかこう、もっとこう、違う感想があるものではないのか。

 真宏も真宏だ。せっかく乙女のやわ肌に触れる機会を一夏一人に譲るなど言語道断。こっちをちらちら見ている姿はちょっと可愛いが、それでも男ならこの勢いで滾るアレコレをぶつけようとしてくれてもいいのではないか。

 

「や、あっ、あっ……んんっ!」

 

 悶々としている間も一夏の指先は無遠慮に楯無の腹を撫でまわす。臍の中までくすぐられそうになって期待と恐れに苛まれたりなどなど。何がとは言わないが、限界は近い。

 

「……そろそろ止めなくていいのか、神上」

「や、さすがにタイミングがつかめなくて」

「これ以上はダメですっ! 教育的指導!」

 

「っきゃあああああ!?」

 

 しかしそんな甘い時間は、千冬と真耶の登場によって断ち切られた。

 

「お、織斑先生と山田先生!?」

「あー、一応お前は生徒会長だから、見舞いにな。どうやら心配はいらなかった、というかむしろ邪魔してしまったようだが」

「いけませんよ、ががが、学生のうちからそんなこと! そんな、そんな……はう」

「何を想像してるんですか山田先生ー!?」

 

 服は早着替えの要領であっという間に整えた。状況が呑み込めずにいる一夏からも身を離し、生徒会長としての更識楯無の姿を取り戻す。……が、千冬の目が楯無を見ている。じとーっ、と音がしそうなほどなんかこうぬるっと湿っぽい目で、楯無を見て、一夏を見て、また楯無に戻って頭からつま先までを一通り見ていく最中、ずっと無言。

 そして当たり前のような顔で傍らに控える真宏に向かい。

 

「……惚れたか?」

「それはもう」

 

 こういうことを聞くのは真宏相手が一番確実だと、千冬は長い付き合いの中で誰よりも理解している。

 

「ほ、惚れてませんっ!?」

「みんな何の話してるんだ?」

 

 楯無の否定の言葉、この期に及んでなお自分の置かれている状況を理解できていない鈍感が極まった一夏のきょとんとした様子、千冬はどちらも斟酌していない。楯無必死の抗弁もなんのその、うんうんと頷く真宏の反応から、楯無もまた落ちたのだと確信している様子だった。

 なんというかこう、楯無としては色々と反論せざるを得ない。秘すべき乙女心を暴露されたことに対してはもちろんのこと、あまつさえそれを言いだしたのが真宏だ、という点もまた看過できない。

 なにが「それはもう」だ。確かに実際のところは否定できない事実であるが、ただ一夏に惚れただけならこれほどに悩みはしないという恨みつらみが真宏を向く視線に募る。その眼差しは厳しくも切ない乙女のそれで。

 

「……」

「……ハッ!?」

 

 そんな楯無に突き刺さる視線あり。更識の当主として鍛え抜かれた感覚が告げるのは、なんか生温かい視線が自分を見ているという直感。驚き振り向く先にいたのは、一夏に「えっちなのはいけないと思います!」と勢い余って胸を揺らしながら説教している真耶でも、揺れる柔らか球体に視線を吸い寄せられそうになるのを必死に我慢している一夏でも、そんな様子をほんわかニヤニヤと見ている真宏でももちろんない。

 さきほど一夏に惚れていることを見抜いた目で楯無を見て……真宏を見た。

 

「……まあ、がんばれ?」

 

 バレた。

 

「どうしたんです、楯無さん?」

「一夏もっとやってやれ。そうすればたぶん元気になるから」

 

 そんな瞬間を計ったように顔を近づけてくる一夏のタイミングの良さ。織斑一夏という男は、こういうときの距離感がとても近い。目の前に迫る顔の近さと、それを楽しげに煽る真宏もノリで寄ってくる。

 もう、耐えられない。

 

「……いやあああー!?」

「楯無さーん!?」

 

 結果として、悲鳴と共に部屋を飛び出す楯無というとんでもない絵面となった。残されたのは、呆然と手を伸ばす一夏達。

 

「一体何が起きたんだ……」

「お前のせいだ、お前の」

 

 一夏にとってはわけのわからない一連の騒ぎ。真宏からしてみればいつもの一幕。

 だが、これは同時に。

 

「お前もだ、バカ者」

「えっ、俺ぇ!?」

 

 真宏のせいでもあることを、珍しく当人が気付いていなかった。

 

 

◇◆◇

 

 

「とりゃーっ! 寒い! ……はぁ」

 

 一夏達の襲来から逃げ出した楯無は、その足で風呂へと駆け込み、禊よろしく手桶にくんだ水を頭からかぶってみた。効果のほどはさておき、気分は一気に変わる。その結果去来するのは、何をやらかしてしまったのか、という虚無感なのだが。

 たかが年下の男二人を相手に翻弄されて醜態をさらしてしまった。しかも、その内心のことごとくを千冬一人にとはいえ、見透かされた。一夏についての感情のみならず、真宏への想いも。

 

「……どうしよ」

 

 髪から冷たいしずくを滴らせながら、体が冷える前に湯船へ入る。禊の意味がなくなるかもしれないが、気にしてはいけない。冷水で冷えた体に染み込んでくる熱が心地よく、さっきまでのテンパっていた気持ちがなんとか落ち着いてきたから、これでいいのだ。

 呟いた言葉に意味はないが、現在の楯無の心境そのものを表していた。自分の中にある感情。一夏と真宏に対して抱いているこの感情を、どうすればいいのか。

 間違いなく、「楯無」が持っていい感情ではない。こうして心を乱されるくらいならばいっそ二人を遠ざければ。

 

(……ダメ!)

 

 そう思っても、正しいはずの決断を今の楯無は選べない。一夏を生徒会から外す、真宏と距離を置く。どちらも為すべきことであるはずなのに、そんなことを実行に移すことは絶対にできそうになかった。耐えられるはずがない。

 

 二人には、名前を教えた。本当の名前、更識刀奈(かたな)

 楯無を継ぐときに封印した、家族にしか教えてはいけない名前。

 

(ま、真宏くんはいいのよ。どうせ放っておいても義弟になるし。でも一夏くんも家族でないといけないなら……ねえ?)

 

 にへら、と顔がゆるむ。一夏を家族に迎え入れるならば、と想像する。主夫力の高い一夏のことだ、更識家の婿に入ってもきっと立派に家庭を守ってくれるだろう。楯無としての使命の日々を過ごしながら一夏の作る料理を食べて、一夏の整えた布団で眠る。それは、想像するだけで幸せに過ぎる。

 簪との仲も最近は良好になっているから、真宏もきっとなにくれとなく訪ねてくれるだろう。真宏が「姉さん」とか呼んでくれたら、それもまたとんでもなくクルものがあるに違いない。

 

(……でも、叶えちゃいけないわよ、ね)

 

 しかし、どちらも叶わぬ恋だ。

 一夏はまだいい。一応フリーなのだからして、箒達の恋愛大戦争に殴りこみをかける覚悟さえあれば誰にでもその心を手にする資格はある。だが今さら自分が参戦することが許されるのか。

 まして真宏は、既に簪の物だ。大切な妹から彼氏を奪い、その仲を引き裂くなどあってはならない。真宏を欲しいと願う気持ちと同じ重さのそんな想いも、楯無の心の天秤に乗っている。

 

(やっぱり、私は一人身がお似合いなのかな……)

 

 俯いた楯無の前髪が湯船に触れる。そうあるほうが気が楽だ、と思いこむのは少し辛い。この胸の中にある思いは許されない物ばかりだが、紛れもない本物。切り捨てようとすれば身を切られるような痛みが確かに走る。

 だがそれが最善なのだ。諦めなければ。楯無となるために斬り捨てた物と同じように、この淡い恋の悩みもまた。

 

 

『本当に、それでいいの?』

「誰!?」

 

 胸の痛みを必死に耐えていた楯無に、誰かが声をかけてきた。

 振り向けばそこにいたのは黒髪の少女。遠くを見ているような目に諦観の色を浮かべ、それでいてやると決めたら神様を地上に引きずり下ろすくらいのことはしてのけそうな、なぜか左手に盾っぽい何かをつけた少女だった。

 あ、これ夢か、と楯無はその時点で気付く。声が自分と同じだし。

 

『一人ぼっちは寂しいものね。それでも、あなたはあなたの大切な人を諦められるの?』

「そ、それは……!」

『なら、奪いなさい。どんな手段を使ってでも』

 

 確かに、諦めることなどできない。できることならば一夏を、真宏を奪ってでも自分の物にしてしまいたいという欲望が確かにある。それを否定することはないのだと、悪魔のささやきが誘惑する。

 

『ダメよ、刀奈ちゃん』

「また来た!?」

『あの鈍感ラノベハーレム主人公の一夏くんにはまだ恋なんて早いです。それに、簪ちゃんと真宏くんの幸せを壊したくなんてないはずでしょう』

「……ええ、その通りよ」

 

 しかし、それが全てではない。一夏を巡る箒達の恋模様を見守りたいという気持ちも、簪がやっとつかんだ幸せをそっとしておきたいという気持ちもまた楯無の本心ではある。

 そのことを、なんか髪をおさげにしている半眼の生徒会長っぽい天使の少女が教えてくれた。

 

『それに』

「それに……?」

『義弟になるのを待ってから寝取ったほうが、背徳感がありますよね』

「ごめんなさい、貴女むしろ悪魔より性質悪いわ」

『えっ、なんだかんだで親戚になった男の子がいたら、なにがなんでもお姉ちゃんと呼ばせるものですよね?』

 

 ……と思ったらこいつも悪魔以上にとんでもないことを言いだす辺り、自分の中に良心はないのかと楯無はちょっと不安になる。

 ぎゃいのぎゃいの、と楯無と楯無の中に潜む天使と悪魔は喧々諤々の論議を繰り広げる。

 楯無自身のしたいこと、為すべきこと。その二つがどうしてもかみ合わない。論争は収拾などつかず永遠に続くかと思われた。

 

『諦めちゃだめ。弱みを見せて、相手が差し伸べた手を取ったら自分のところまで引きずり下ろせば一発よ』

『どうせこっちは更識家当主なんだから、家のしきたりとかなんとか丸めこめば一回くらい行けますし、その一回でたらしこめば……』

「あなたたち、ちょっと黙りなさいよ!? 私はそこまでする気はありません!」

 

 しかし。

 

『――お前達』

 

『はっ、この声は!?』

「……いや、私達みんな同じ声よ?」

『あなたは、天使でも悪魔でもないもの、ゆえに独りなる神……独神!』

 

 人の手でほどけぬ因果の糸を断ち切るのは、常に神の仕事と決まっている。

 楯無の精神空間に広がる大空から雲を割って降臨するのは、金髪碧眼の女性。天使より悪魔より明らかに年齢が2、30は上であろうと思われる威厳を放ちながら、腕組みのポーズで現れた。

 神たるものの放つオーラは凄まじい。何かを超越したもののみが身につけることのできるそれは、いまだ若輩の楯無にとっては想像もつかない境地の更なる先にある。だからこそ、独神の告げる言葉もまた、楯無をなにより強く打ちのめすのだ。

 

 おごそかに口を開き、神は言っている。

 

 

『お前それアラフォーでも同じこと言えんの?』

 

 

「――いやああああああーーー!?」

 

 致命の一言を。

 その威力たるや凄まじく、一発で楯無の精神を破壊した。

 それこそ、アラフォー幻魔拳のはじまり。楯無の精神は、幻の中へと捕われる。

 

 

 楯無には、はっきりと見えた。

 

 躊躇いと葛藤により、一夏にも真宏にも手を出すことなどできずに終える学生時代。その後はロシアの国家代表として、また更識家の当主として多忙を極める日々を過ごし、気付けば過ぎる、結婚適齢期。

 当然、見合いを子々孫々の繁栄をと勧める一族の声はあれど、なまじ有能な楯無はそんなことにかまける必要などないとばかりに結果を出して文句を封殺し、独身のまま辿り着くは魔の領域、アラフォー。しかも追い打ちのように妹は真宏と幸せな家庭を築き、既に娘も生まれて大きくなっている。

 姪は懐いてくれている。我が子のように思って可愛がっていたせいもあってか、ときには母に話し辛い相談に乗って欲しいと頼まれることもあった。そんな姪があるとき相談に来て曰く、うっすらと赤に染めた頬を嬉しそうに緩めて一言、「彼氏が、できました」。

 

 ……死ねる。

 

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃんしっかりしてっ!」

「……ハッ!?」

 

 その時紛れもなく、楯無の心は幻によって死にかけていた。

 死の淵から蘇ることができたのは、がっくんがっくん肩を揺らして呼びかけてくれた簪の声があればこそ。一瞬自分がどこにいるのかわからなかったが、よくよく見れば楯無がいるのは先ほどと変わらず風呂の中。目の前にあるのは愛する妹、簪の顔。

 

「あれ、簪ちゃん……どうして2年生寮のお風呂に?」

「それは、真宏からお姉ちゃんがすごい勢いで飛び出したって聞いて、心配で……割と本気で。大丈夫? ものすごいうめき声を上げてたけど」

「え、あ……なんでかしら。あ、あはは、ちょ~っとのぼせちゃったのかしらね?」

 

 これは湯だった頭が見せたひと時の夢。楯無にはアラフォー幻魔拳の記憶はない。しかし、魂にははっきりと刻まれた。自分の思いに、一夏と真宏に対する感情に、決着をつけねば自分は一歩も進めないという確信が。

 それは楯無のためでもあり、一夏と真宏のためでもあり、簪のためでもある。

 

 感情が理性に従うことはなく、望む未来は誰もが幸せになれるものだとは限らない。

 それでも、せめて現実でこの手に掴むものは最良にしなければ。

 

 そう、具体的には。

 

『ただいま~』

『お帰りなさい、刀奈さん。お仕事お疲れ様です。……会いたかったですよ』

『ひゃっ!? ちょ、いきなり抱きついちゃだめよ一夏くんっ、せめてシャワーを浴びてから……』

『あっ、一夏ばっかりズルいぞ。刀奈義姉さん、俺にも構ってくださいよ』

『こ、こら真宏くん! どこ触ってるの!』

 

 

「……お姉ちゃん、鼻血出てる」

「……再びハッ!?」

 

 妄想すれば思わず鼻血の一つも出るくらいに、というのはやり過ぎだが、せめて後悔はないように。楯無はちょっと血の色に染まった湯船につかりながら、その決意をあらたにするのであった。


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