IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第47話「箱」

 4月になり、幾日かの時が過ぎた。

 新入生歓迎イベントは大盛況。新たに入ってきた生徒達は早速影響され、初々しくも将来がやや不安になる類のやる気にあふれ、俺達進級した在校生もますます気合が入り、ISの訓練や座学に打ち込みつつあったりなかったりな日々をそれなりに楽しんでいた。

 整備課にさっそく持ち込まれた例の次期量産モデル計画用打鉄をちらっと見せてもらったり、その改造方針について喧々諤々の議論を繰り返す蔵王側技術者と倉持側技術者とIS学園の生徒達をとりあえずなだめすかしたり。

 

「どう考えても装甲が一番大事でしょう!?」

「最近のトレンドは火力と機動力なんですよ!」

「黙りなさい変態共!」

「まあまあまあ。ここは間を取ってパワー一択ということに」

「それまったく仲裁になってないぞ」

 

 IS学園にてどれほど変態的なISが生まれるのかと思うと、今から胸が熱くなろうってもんである。

 

 

 そして新しいクラスにおいてもクラス代表は一夏に決まり、1年生のクラス代表の一人に蘭と俺の弟子を名乗ってるあの子が名乗りを上げ、ISによる決闘の末に蘭に決まるという1年前の一夏のようなことをしていたりもしたが、至って平和な日々。

 

 それを壊そうとするものがすぐそこまで迫っているなどとは、その時の俺達にとってまったく思いもよらないことだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「……どうしたんです千冬さん。いきなり俺達を呼び出して?」

「まあ、待て」

 

 その日は、特になんということもない日だった。

 当たり前に授業があり、一夏が廊下で半分寝ながら歩いていたのほほんさんにぶつかってすっころんで押し倒すような形になり、割とまんざらでもない感じにしていたのほほんさんと覆いかぶさる一夏という図を目撃したヒロインズの面々が、つまらない嫉妬で殴り飛ばしたりしないように、と必死に笑顔で怒気を押し隠していたりなどなど。なんだかんだで最近のほほんさんも地味に一夏との接触が増えてきたような気がする程度の、極めて通常通りの一日。

 

 だが、どういうわけかその日の放課後、俺達専用機持ちはひそかに千冬さんに呼び出されていたのだった。

 理由を知らされることなく、みんな揃っているHR時でもなく、そこからめいめい別れて部活に行ったり訓練に行ったり部屋に帰ったりしたあとで、それぞれに別個の方法で連絡を取ったのだ。

 俺の場合は、アリーナで訓練してるときにプライベートチャネルの通信で。模擬戦の真っ最中だったんでかなり驚きました。

 

「神上が最後か。どうやら全員揃ったようだな」

 

 集められたメンバーは、いつもの通り専用機持ちのメンバーと、ここしばらくIS学園に滞在しているチェルシーさんやシュヴァルツェ・ハーゼの代表としてクラリッサさん、そしてヤン管理官。部屋の隅には織斑両親もちょこんとおさまっている。なんだかんだと因縁がありそうなメンツである。

 

 全員揃った、と千冬さんは言うがあいにくと俺達はどういった意図でどんなメンツを集めるつもりだったのか知らされていない。とにかく職員室に来い、と言われて足を運んだらそこで待っていた山田先生に連れられてIS学園の地下へ。いつぞやマドカに面会しに来たときとはまた違う地下施設の、今度は割と中枢らしい所の司令室的な部屋へと通された。

 

 俺が部屋に入るまで、ずっとこちらに背を向けていた千冬さん。

 振り向いて俺達の顔を見渡すその表情はいつも通りの落ち着いたポーカーフェイスであるが、どことなく違和感を感じる。

 あの最強無敵の千冬さんが、まるで束さんの悪巧みに直面した時のような……いや、それ以上の緊張で強張っている?

 長い付き合いによって培われた勘が頭の隅でそう囁くのを感じながら、同じ結論に至ったらしい一夏とマドカがこっちに目配せをしてくる。

 悪いがまだ何もわからんぞ、とこっちも目線で返しておいたが、さていったい何事か。おそらくただ事ではないのだろうが……。

 

 そう思っていた俺達に、千冬さんは淡々と……そしてその実、凄まじい覚悟と決意を持っていたのだと後に知ることになる言葉を、口にした。

 

 

「敵だ。……それも最後の、な」

 

――ビイィーーッ! ビイィーーッ!

 

「!?」

 

 千冬さんのその言葉がトリガーであったかのように、IS学園中に――そして、全く同時に地球上のいたるところにて――敵襲を知らせるけたたましいアラームが、響き渡ったのだった。

 

 

 衛星軌道から降下軌道に入る大質量体を検知。アラームの原因は、それだ。

 この情報は複数の天文台からもたらされ、どうしてこんなになるまで気付かなかったのかと、軍事基地や天文台は上を下への大騒ぎになっているとかなんとか。

 しかしそんな世間の動揺も気にせず、IS学園の優秀なスーパーコンピューターは迅速に軌道を計算。謎の大質量体がどこに落ちようとしているのかをはじき出す。

 その落着予測地点は、なんと。

 

「IS学園から5kmほどの海上。ほんの目と鼻の先だな」

 

 海側からIS学園へと向かってくる軌道で、海上に落着。形状と質量からしてこの隕石だかなんだかわからないものは大気圏突入して地表へ落ちてくるまでばっちりそれなりの質量を残すだろうというのが、はじき出された結論だった。

 もしこれが事実ならば、甚大な被害が出る。高波がIS学園に押し寄せるだろうし、落着の衝撃波によってもっと即効的な破壊も巻き散らかされかねない。

 生憎と俺はこの手の災害規模の算定方法なんか知らないから何とも言えないが、それこそ最悪の場合恐竜絶滅させた隕石のごとく、人類の危機にも至るのではという危惧がちらりと脳裏を過った。

 

「状況は分かったな」

「つまり、あれが落ちてくる前にぶっ壊せばいいんですね! 任せてください、いつぞやファントム・タスクのミサイルを迎撃しまくったのに比べれば、たかが石ころ一つ!」

「そんなこともあったわねえ。今回は生徒も続々地下に避難して行っているから、心配はいらないわよ」

「言っておくけど、押し返す必要はないんだからね? ISなら十分破壊できる大きさだから。……まあ僕も、とっつきで壊してみたいって思わなくもないけど」

 

 それが、今回の俺達に課せられたミッションということらしい。

 スコールが言うとお前が言うなと言いたくなるのはひとまず置いといて。ついでに、天文台すら慌てふためくほど突然現れたこの謎の物体になぜ万全の下準備をしたうえで対応できるのか、とかは深く考えない。

 千冬さんは多分聞いても応えてくれないし、本当に必要になるのであれば教えてくれるだろう。……なんとなくだが、その必要なときというのがそろそろ近づいてきている気もするし。

 

「近場に来ると予想されている以上お前たちにも働いてもらうことになる。だが水際での防衛は後の段階だ。可能な限り高高度で迎撃する」

「高高度……って、俺達が今から上がるのか!?」

 

 指令室の前面ディスプレイに映し出される模式図的な状況確認画面によれば、対象となるナニカはいまだ成層圏の上あたりを絶賛落下中。すさまじい速度であるため、今からISで迎撃に飛んでいくとなると少々厳しい位置にある。

 だがしかし、そこはそれ。

 こんな時こそ助っ人の出番だ。

 

『そういう時は、私に任せたまへ!』

「こ、この声は!」

「すっごくきれいな声なのに明らかに酔っぱらってちょっと呂律のまわってない声は!」

「オ、オーカ・ニエーバ!?」

 

 いよいよきな臭いことに、なんとロシアの専用機オーカ・ニエーバが既に攻撃スタンバイしていた。通信の声はいつぞやセントエルモ攻略戦の時に聞いたのと変わらない、陽気そのものな美女の声。どうやら彼女が迎撃に出ているらしい。元々高高度での長時間偵察を普段の仕事にしているらしいから、現場に近いということで駆り出されたのだろう。

 ディスプレイに灯るオーカ・ニエーバの位置を示す光点は地上よりも宇宙に近く、空気が薄い高度なせいもあって半ば人工衛星のように、遠心力によって重力と拮抗するレベルのすさまじい速度を出している。表示を信じるならばもはや第一宇宙速度にも近く、隕石だか何だかわからない今回のターゲットにヘッドオン状態で突っ込んで行っている。

 

『私はいつでも空にいる! 放っておいてもウォッカが冷えるしな! そして実はこんなこともあろうかと、隕石破壊用の巨大ミサイルも用意しているのだ!』

 

 オーカ・ニエーバの装備情報が公開される。それによると、普段は広域レーダーを背負っているオーカ・ニエーバの背中に身長よりも長いミサイルが4本も装備された、ISなんだかミサイルキャリアなんだかわからなくなる図式が示されている。なにこれかっこいい!

 

「なにこれかっこいい! 俺もああいうミサイル欲しいな!」

「それはもうセントエルモの時にやっただろう、我慢しろ」

『~♪ さあいくぞ!』

 

 思わず興奮した俺をたしなめる箒の声も聞こえた気がしたが、まあいつものことだ。

 ひょっとしたらこのままイチイバルがどうのと歌っているオーカ・ニエーバがあのミサイルで全部片づけてくれるんじゃないかという期待感がにじみ始め、一方ラウラとクラリッサさん、ヤン管理官あたりが千冬さんを見つめる視線が少々鋭くなっている。対応が早すぎるとでも言いたげで、俺もまったく同感だった。

 

 ……うっすらとそんな空気が部屋に満ちる。

 だが、何かがおかしい。これはただ単なる隕石の襲来ではない。

 着々と距離を縮める隕石とオーカ・ニエーバの表示を見るにつれ、そんな胸騒ぎが高まっていく。

 

 オーカ・ニエーバからの通信はミサイル発射までのカウントを読み上げているが、果たしてそれであっさりと片付いてしまうのだろうか。

 予兆はあったのかもしれないが、俺達は一切関知できなかった、この突発的な事件。

 ただこれだけで終わるものかという予想は……ディスプレイを見つめる千冬さんとスコールが揃って親の仇でも見るような目つきであることから察するに、成功に期待することはできそうもなかった。

 

『3、2、1……発射! ハッハー、ボルシチより熱い炎をぶちまけろ!』

 

 ミサイル発射から着弾までの時間はそう長くない。目標までの距離はあったが何せお互い超高速で向かい合って飛んでいるのだから、距離はあっという間に縮まっていく。

 巨大なミサイル4発の直撃とあれば、相手がただの隕石ならば問題なく迎撃できるだろう。さすがに、宇宙の彼方からケイ素生命を積んできた宇宙植物共生体ご一行様とかは勘弁してほしいところだが。

 

 この時すでに、指令室にはとてつもない緊張感が満ちていた。

 ゼロへと近づいていく着弾までのカウントダウン。接近し合う簡素なマーカー表示の目標とミサイル。地球を模した地上の図はただひたすらにのっぺりとした丸みであり、そこには命の痕跡など何も描かれていない。

 それは単純化された記号なのか、はたまた全てが滅んだあとを暗示しているのか。そんな突拍子もない考えが突如として脳裏に浮かぶほどに、知らず俺達は手に汗握っていたのだ。

 

 おそらく今も俺達のはるか頭上でミサイルが目標を破壊せんと迫っている。地上からでも着弾の光くらいならば見えるかもしれないが、呑気に見物に行く気分にはなれそうもない。

 

 何かが起こる。

 その確信が、俺達の足をこの場に縫いとめていた。

 

 

「ミサイル着弾を確認! 目標の破壊を……って、ええ!?」

「……どうした、山田先生」

 

 管制を担当していた山田先生が告げたのは勝利を告げる快哉……ではなく、目を疑うような現実を前にしての驚愕だった。

 どこか諦観の漂う千冬さんの、落ち着いたというよりは消沈した声に促され、わたわたと慌てまくりの山田先生がなんとかかんとか状況を読み取り、千冬さんと違ってさっぱり事情が分からない俺達に、説明してくれる。

 

 一体何が起きているのか。

 これから、何が始まるのか。

 

 

「オーカ・ニエーバのミサイルによって、目標の破砕を確認。……でも、破砕したのはただの小惑星です! その後方から高エネルギー反応を示す大質量体を検知! ……最初の目標は囮です!」

『なにぃぃぃっ!? くっそお騙されたああああああ!?』

 

 通信越しにがなり立てるのは悔しげなオーカ・ニエーバの叫び。今の攻撃でミサイルを全弾撃ち尽くしたうえ、あまりに高速で飛行中のため再度攻撃軌道に入ることはできず、もし機会があるとするならば再び地球を一周回ってきたときくらい。そうなればああして叫びもしよう。

 

「……千冬さん、全部話してくれなんて言いません。何が起こるんです?」

「言っておくが第三次世界大戦ではないぞ。だが、一つだけ言える」

 

 うっ、ちょっと期待してたのがバレた。

 だが千冬さんがこうして俺のネタに乗ってきてくれるなんて、それこそ天変地異の前触れにも等しい異常事態だ。機嫌次第では白刃をもってツッコミ入れてくれる人だし。

 用意周到、といえるほどではないがどうやら前もって予測されていたらしいこの事件。迎撃に上がったオーカ・ニエーバとこうして集められた俺達専用機持ちとその関係者。

 宇宙から飛来する、何者か。

 

 ……こりゃあ、きな臭いなんてもんじゃないですよ。

 

「……頼む、IS学園を守ってくれ」

「……なるほど。お任せあれ、千冬さん」

「え、今のでわかるのか、真宏!?」

 

 生憎とこの中でわかってないのはお前だけだと思うぞ一夏。

 千冬さんがこの事件について何かしら知っていることと、宇宙からお出ましの何かがIS学園を狙っていることくらいはわかるだろうに。

 

 だがともあれ、やることは簡単だ。

 いつものように、俺達は俺達の大切なものを全力で守り抜く。それだけだ。

 

 

◇◆◇

 

 

『で、海まで出張ってきたわけだが……』

「……さすがにあんなの降ってくるとは予想外だぞ」

 

 千冬さんからの特命を受け、ISを展開して早速海上に出た俺達。

 ISを通して見る視界にはIS学園本部とのデータリンクにより、例の物体の落下予測軌道が表示されている。先ほど地下で聞いた通りにその軌道はIS学園近くの海へ落着する軌道であり、大質量体が海へ落ちて高波でも起きたらいけないと、できれば空中で迎撃するため高度を上げているさなか、その物体が望遠映像に映し出された。

 

 ある程度、覚悟はしていた。

 最初に検知されたものが小惑星であり、それを囮と言い切った山田先生の発言。明らかに相手を自然現象ではなく、明確な「敵」とみなしていたのだから、何らかの人工物なのだろうと。衛星兵器だか宇宙戦艦だか知らないが、何であれ戦ってやろうじゃないかと思っていたんだけど、さ?

 

「あれは……箱か?」

「そうとしか見えないのが悔しいですわね」

 

 そう、まさしく「箱」だ。箱状の何か、だった。しかも、超巨大。

 まだかなりの距離があるし、しかもすさまじく巨大なため望遠映像の中ではほとんど動いているように見えないが、間違いなく今も隕石と大差ない速度でこちらへ向かってきている直方体の何か。映像を解析したところによれば最長の一辺は500mくらいあるという巨大なものだ。

 

 まずもって、この瞬間にアレが自然物であるという可能性は完全に消滅した。直線やら直角やらは自然界に存在しえないという噂をどこぞで聞いたことがあるが、あれは完全にその両方を満たしている。

 

 そんなものが、しかもあれほどの規模の物が宇宙から降ってくる。今は亡きファントム・タスクあたりならばセントエルモの例があることだしああいうものを持っていてもおかしくないが、生憎と本体は壊滅して、スコールたちはIS学園に合流している。

 

 つまりあれは、新たな敵だ。

 

『3、2、1……敵メガゾード、来ます!』

『何やってんですか束さん』

 

 そんな何かが射程に入るまでの秒読みを担当している声は、なんだかんだで慣れ親しんだ束さんの声。通信の後ろのほうで「いつの間に私の仕事取ったんですか篠ノ之博士!?」とか山田先生の悲鳴が聞こえてくるので、またしてもこっそり忍び込んでいるのだろう。

 ……さりげなくオールスターすぎやしないだろうか。いつどこにいてもおかしくないけど、必ずなんぞの騒ぎが起きてるときか引き起こす時にしか現れない束さんまでいるんだからして、不吉な予感しかしない。

 

「まあいいや、みんな一気に行くぞ!」

「任せて、一夏っ!」

 

 しかしとにかく今は迎撃だ。

 一夏の荷電粒子砲を筆頭に、俺達はまず迎撃の火線を集中させる。

 グレネードの砲弾や荷電粒子砲、ミサイルにガトリングやレーザー、レールガン。ありとあらゆるISの火力が目標の一点に集められる。とにかく火力を集中して破壊しろ、と出撃前に千冬さんに言い含められていたことが功を奏した形だろう。そうでなければ、状況に戸惑い反応が鈍っていたに違いない。

 かなりの速度で落下してきているため、既に十分こちらの攻撃が届く距離まで近づいていた箱に向かってそれぞれの武器を構え、オープン・チャネルでタイミングをリンクして、全弾発射。無数の光が殺到する。

 もし撃たれる側だったら、とか考えたくないレベルの火力がISの優秀な火器管制によって狙い通りに叩きつけられ。

 

 その成果のほどはと言えば。

 

『ほとんど効いてない!? 俺達の火力ほぼ全部突っ込んだのに! くっそかくなれば強羅ダイナマイトを使ってでも……ッ!』

「やめなさい! ……仕方ないわ、一時撤退! とにかく一旦降りて、今度は地上で迎撃するわよ!」

 

 ほぼ無傷、である。

 さすがにサイズ差補正がありすぎたのか、多少箱の表面が焼け焦げたり溶け抉れたりはしているようだが、中身の崩壊に至るほどではなかった。呆れるほどに頑丈な装甲だ。強羅ともいい勝負かもしれない。

 あんまりにも悔しくて、思わず自爆技をかましてでも破壊してやろうかと思ったが会長に止められたので一応やめておく。だが本当にそうでもしなければ勝てない気がする。そのくらい、やばいという予感がしたのは間違いなく事実だ。

 

 

 そして俺達は、今度はIS学園の近くで迎撃用の戦線を構築するため、そのまま自由落下以上の勢いで地表付近まで降下していく。ほぼ一年前、ISの飛行訓練で一夏が急降下後のブレーキに失敗して地面にクレーターを作ったのも今は昔。全員そろって危なげなく減速し、俺達を追うように落ちてくる箱を見上げた。

 この間、先回りするために急いでいたこともあったが迎撃は一切しなかった。本来ならばあれだけの大質量体が海へ落ちないようにするため、多少なりと砕く努力をすべきなのだが……何せ、あの箱は。

 

「……減速しているな」

「ご丁寧に姿勢制御してきれいにまっすぐ降りてきてるじゃない。……なんか舐められてる気がするわね」

「ふん、ならばすぐにそれが思い上がりだと教えてやればいいだけだ」

 

 なんと、箱の下部に隠されていた噴射口から炎を吐いて、姿勢を安定させたまま減速。そのままゆっくりと海へと着水したのだった。

 

 この時点で、俺達の口調は軽いが警戒心はマックスになっている。背後に控えるIS学園までの距離はほんのわずか。俺達の妨害など物の数でもないとあざ笑うかのように、当初予測された通りの位置に落着した箱を前に、緊張がにじむ。

 おそらく、これはただ落ちてきたものではない。IS学園に向かってきたことも含め、明確な目的があり、それは……きっと侵略の意図。そんな予感がある。

 

 その予感、的中しなければいいと考えていられたのは、わずかな時間。

 コンテナ型であるのは何かを運ぶためではないか、と密かに脳裏を過った考えを、この箱は裏切らなかった。

 

「っ! 蓋が開く! 来るわよ!」

 

 会長が気付いたように、特にもったいぶるでもなく至極あっさりと箱のふたが開いていく。

 上側の面が真中から二つに割れて開いていくその中に、一体何が収められているのか。いずれにせよ俺達にとっての敵であることは間違いなく、また今この瞬間においても正体不明の謎の敵。

 その姿形の一旦でも見られるか、と警戒した俺達は。

 

――わしゃわしゃわしゃ

 

「っきゃああああ!? なんか虫みたいなのがいっぱい出てきたー!?」

 

 ごく一般的な感性を持つ女子であれば至極当然な叫びとともに、まずものっそい勢いで、引いた。

 

 箱から出てきたものを一言で表すならば、無数の虫。

 節足で、たくさんいて、わしゃわしゃと音を立てながら意思の感じられない真っ赤な一つ目を鈍く光らせ箱の壁を登って湧き出てくる様は、はっきり言って超キモい。

 しかもなお悪いことに、こいつらの特徴はそれだけではない。

 

「あれは……なんだ、セラミックの昆虫か!?」

『……レギオンと呼ぶべきか、BETAと呼ぶべきかフォーリナーと呼ぶべきかAOJカタストルと呼ぶべきか、悩むな』

「そんなこと後でいいだろ真宏!? あとどれも不吉だ!」

 

 まずもって、色。

 透き通った白というか、曇ったガラスというか、不思議な光沢を放つ結晶質の外骨格に体を覆われた謎の物質がその虫の体を形作っている。

 しかも異常はまだまだ多い。既にして数千はいるだろうと思えるほどの数が箱から出てきているが、そいつらは箱が着水したのは海上であることからすぐさま海へと落ちるのだが、そのまま海面上に立っている。アメンボのように浮いているわけではなく、どうにも節足の先端部分に斥力場か何かを発生させているらしい。

 いずれにせよ、瞬く間に箱のまわりの海面が見えなくなるまで広がっていくさまははっきり言っておぞましいったらありゃしない。

 これには、寮でゴキブリが出てくるたびに刀やらライフルやらの得物で撃滅しようとするヒロインズのみんなもビビったらしい。というか、俺もイヤだよ色んな意味で!

 

「と、とにかく迎撃よみんな! さっそくIS学園に向かっているから、止めないと!」

「了解!」

 

 先ほどと同じように、会長の号令一下一斉に武装を構える俺達。

 ISは現時点で地上最強の兵器であり、同じISを前にした時以外は敗北はおろか苦戦すら論外、というのが世間一般に浸透している認識だ。

 

 だが、この数。

 さすがに弾が足りるだろうかと、とりあえず数十匹まとめてぶっ飛ばす威力のグレネードをぶっぱなしながら、さっそく不安を感じていた。

 

 

◇◆◇

 

 

『アパム……じゃなかった白鐡ー! 弾持って来い弾ー!』

――キュー!

 

 戦闘開始から数十分が経ち、とにもかくにも迫りくるバグ――便宜上、そう呼称されることになった――どもを撃破して撃破して撃破しまくった俺達は。

 

「くっそ、もう後がないぞ!」

「わかっている! 一夏、こっちへ来い。補給するぞ!」

 

「あああ、もう! 何匹いますの! レーザー一本で10匹近く貫いているはずなのですが!?」

「私は12匹だ!」

「張り合ってんじゃないわよマドカ!?」

 

「ラウラ、大丈夫? さすがにちょっと疲れてきたでしょ」

「そういうシャルロットこそ。知っているぞ、戦線が崩れそうなところをお前が集中して埋めていることを」

 

 実のところ既に、当初の地点から数百m押し込まれてIS学園の島へとほんのわずかのところまで後退していた。

 

 バグの戦闘力は大したことがない。水上を渡れること以外に特筆すべき移動能力はなく、攻撃手段はレーザーなんぞ放ってくるのだが、セシリアとマドカで見慣れた俺達からすれば曲がりもホーミングもしないレーザーなんぞ大した脅威ではない。

 

 ……もっとも、それが数千匹から一斉に飛んでこなければ、の話なのだが。

 

 この戦闘最大の問題点は、相手の数にある。

 箱からは今もってわしゃわしゃとアリか何かのように無数に湧き出してきているバグ。一体いかなる戦略に基づいてこんなのが生み出されたのかはわからないが、こうしてキリがなく続々出てこられるとこっちとしてもさすがに対処が難しく、押し込まれてしまっているのだ。

 そりゃもう、火力重視の強羅が前線でぼんがぼんが吹っ飛ばしても後から後からやってくる。俺はレーザーがバスバス刺さっても気にせずやっているが、それでも弾が尽きかけたので取り急ぎ白鐡にお使いしてもらって今しがた補給を完了。これでまだしばらく戦えるが、それはさっきまでの展開の焼き直しをすることになるに過ぎないだろう。

 

 現在各国等に援護を要請しているらしいがあまり反応は芳しくないようで、このままでは……そんな考えたくもない想像が脳裏を過る。

 

『千冬さん、それからいるんでしょ束さん! どうするんですこれ!? もう手段選んでる時間ないと思いますよ!?』

『……』

『珍しくまーくんがまともなことを言ってるよちーちゃん。……やろう』

 

 ドカドカと扇形にばらまくグレネード。着弾地点で白い海水のしぶきとともに砕けて散らばるバグの五体と、それが鎮まるより早く水しぶきの向こうから姿を現す新手と、その脇から伸びてくるレーザーの灼熱。

 強羅の装甲があるから避けもせずこうして撃ち続けられているが、他のみんなは一々回避しなければすぐにシールドエネルギーが尽きてしまう。

 強羅だってダメージが皆無というわけではない以上、ジリ貧もあり得るのだ。

 何かしら根本的な解決策を持ち出さない限り、IS学園に未来はない。

 

 

『……編成を変更する。紅椿、ブルー・ティアーズ、甲龍、ラファール・リヴァイヴ、シュヴァルツェア・レーゲン、ミステリアス・レイディ、打鉄弐式。お前たちは敵陣奥にいる指揮官機を潰して。残りの者は突入を援護しろ』

「指揮官機!? そんなのいるのか!」

 

 おそらくは苦渋の決断だったのだろう。千冬さんの冷静な指揮の声にわずかな苦みが混じったのを、俺の耳は確かに感じ取った。

 

 指揮官機がいる、というのは俺達のハイパーセンサーでは感知できていないが、予測していた事態の一つではあった。これほどの数の虫のような奴らの一つ一つがまさか判断能力を持たされているとは思えず、普通に運用するのであればこいつらをパーツのように動かす司令塔を置いた方が効率がいいからだ。

 事実、さっき会長が指摘していたことでもある。敵の動きが兵法においても理にかなった軍勢の運用であり、その様子からして複数の指揮官がいるのではないか、という推測だ。まるで合戦の場にでもいるかのような言葉であるが、事実今の俺達がやっているのはそれらと大して変わらない。

 戦はやっぱり数らしい。

 

「でも千冬姉、箒達が危険すぎる!」

『危険かどうかは別として、いいのちーちゃん? ……こいつらってさ』

『他に手段はない。今はIS学園の防衛が最優先事項だ』

 

 千冬さんの返答は、一夏を突き放したようにも束さんの言葉への回答のようにも思える。IS学園を守らねばならないのか、はたまたIS学園には守らなければならない何かがあるのか、さてどっちだろうか。

 もっともそんなこと、呑気に考えている余裕は一つもないのだが。

 今もわしゃわしゃと迫りくるバグの固まってるあたりにビームマグナムを叩きこみ、十数匹まとめて蒸発させるのだがまさしく焼け石に水。確かに指揮官がいるのであれば本気で何とかしなければならない。

 

 出来ることならば危険な突撃は俺が志願したいところだが、この圧倒的な数を前に有効なだけの弾幕を張れる火力は強羅くらいしか持っておらず、相手が放つレーザーを拡散して無効化できるサイレント・ゼフィルス、レーザー使用不能環境下でも問題なく機動力と攻撃力を発揮して穴を埋められる遊撃の白式は動かせない。

 ……というか、よくよく観察してみるとさっきからなぜか一夏の白式が異様なほど集中して狙われている。このまま敵陣に切り込んでいけば、敵の密度も高いしより一層ひどいことになるだろう。つまり、その判断は極めて妥当だった。

 

「大丈夫だ、一夏。私達に任せておけ」

「心配は無用でしてよ。おそらく指揮官機がいるとは言ってもあの箱の中。おびき出して戦えば追いつめられることもありませんわ」

「私達の力をなめるんじゃないわよ」

「一夏達はIS学園を守って。僕たちが必ずなんとかするから」

「クラリッサ、こちらは任せるぞ。一夏を頼む」

 

「真宏くん、こっちはよろしく。……勢い余って敵ごとIS学園を丸焼きにしたりしないようにね?」

「それじゃあ、行ってくる。頑張るから」

『ああ、気をつけろ簪。もし危なくなったらすぐ呼んでくれ。そのときは強羅の全火力を投入して、この海を干上がらせてでも助けに行くから』

 

『あっはっは、いくらまーくんでもさすがにそれは……』

『楯無、何が何でも妹を危険にさらすな。……蔵王重工の訓練所には昔、湖が「あった」。今はない』

「……言われなくてもそうするつもりだったけど、簪ちゃんは私が守る!」

 

 まあ妥当だからと言って心穏やかでいられるというわけでは断じてなく、内心簪のことが心配で心配でしょうがないのだが。

 ……覚悟しろよ、この虫野郎。ライフがゼロになろうがどうしようが、貴様らは一匹たりとも宇宙へ帰さないからな。

 

 

◇◆◇

 

 

 突如宇宙からやってきた謎の存在との間で勃発した、IS学園をめぐる戦い。

 当初は相手が何者なのかすらよくわからず、それでも防衛のための戦闘を余儀なくされたIS学園。

 敵は昆虫か何かのような、極めて機能的な形状をした雑魚が無数。大きさはせいぜい1mもない程度のものであるが、海上を歩くという不気味な移動能力を示し、頭部からレーザーを放ちながら仲間がどれほど破壊されようと無感動に迫りくる様は人に本能的な恐怖を抱かせるに十分な異形であった。

 

 しかも相手は数で押すだけではなく統率のとれた動きまでしている。これは相手に複数の指揮官機が存在するためであるらしく、それらを倒さない限りIS学園の防衛は難しい。それがIS学園の防衛総指揮を任されている千冬の判断であり、なんだかんだと様々な騒動の裏で糸を引いているにも関わらず、今回に限ってIS学園側についてオペレーターの真似事などをしている束が承認した作戦だった。

 

 では、その策の効果のほどはというと。

 

 

「……ほんとにいたー!?」

「しかもなんで虫みたいな兵隊の指揮官が人型ですの!?」

「姉さん!? これはまた姉さんの仕業というオチではないですよね!?」

 

 ちがうよー、と必死で弁解する束の声を聴くより先に、ひと塊となって敵の戦線を突破して箱の付近まで到達していた箒達は散開した。直前まで彼女らがいた空間を7本の熱線が焦がしたからだ。

 マドカがジュエル・スケールを広域展開してレーザーを無力化する空間を確保し、そこを真宏が両肩両手に備えた大量の火器で一掃。開けた空間から一挙に飛び出してここまで飛んでくることに成功して、すぐのこと。

 

 

 そこで箒達が見たものは、予言された通りの敵の指揮官機。おそらくこれまでは箱の中から指示を飛ばしていたであろう者たち。

 それらは、人型をしていた。

 

 

 黒いボディに両の手足。ブレードを持つ右手と熱線砲を構える左腕。頭部にはおそらく端末である兵士たちとのやり取りをするためだろう角状のアンテナが2本。

 箒達にいつかの記憶が過る。この姿、まるでゴーレムⅢのようだ。その予想は、あの機体が下方にまだまだ湧き続けるバグ同様無人機であるというハイパーセンサーの分析結果がさらに補強してくれる。

 

 明らかに、おかしい。

 この敵は来歴が不明で、どこぞの国が作った秘密兵器、第二第三のファントム・タスクが作った謎メカ、束のいたずら、そして大穴で宇宙から侵略にやってきた機械生命体などいろいろ予想の立てようはある。

 実際武骨な箱状の輸送船でここまでやってきたことと、その中から我先に現れるのが機能のみを追求したからだろう、昆虫のような形になっていることからも異質さがうかがえる。

 だがここにきて姿を現したこれらは、まるでISのようではないか。

 

「姉さんの言うことが本当かどうかはともかく、あいつらが強敵であることは間違いない! 行くぞ、みんな!」

 

 この戦いには、本当に不可解なところが多い。

 敵の正体はなんなのか。千冬や束、スコールは何を知っているのか。

 自分たちは……あるいは、この星は一体どんな事態にさらされているのか。

 

 その答えを得るためにも、そして何より後方で戦っている仲間とIS学園を守るためにも、負けられない。

 先の読めない戦いであるが、士気は高い。少女たちは下方から上がるレーザーを回避しながら、黙って彼女らを見つめ続ける7体の指揮官機へ向かって各々の最高速度で突撃をかけるのであった。

 

 

◇◆◇

 

 

 篠ノ之神社、ひいては篠ノ之流の剣術はその昔、戦場にて生まれたものだという。

 

 かつて父から聞いた神社の由来。戦乱の世に生まれた、尋常ならざる剣の冴えを誇る一人の少女剣士が守ったとある村。村人たちの感謝の心は社を建てることで表され、それに応えんとする少女はその地に住まい、子を為し、自らの剣術を伝えたのだとか。

 空を舞うような運脚、稲妻のような太刀筋、それでいて理に適った刀法の数々。今に伝えられる伝説のような逸話は、確かに今も箒がその身に収めた剣術の中に生きている。

 ……たまに、一時期真宏がやっていた、アメリカの某財団社長が講師役を務めていて、手や足から炎を出せることを前提とした講義がなされるという噂の通信空手のごとく、使い手が空を飛べたり剣からビームを出せることを前提としているかのような技もあったりするのだが、気にしていては始まらない。

 

「はぁっ!」

 

 指揮官機が振るうブレードを雨月で受け、空裂で隙のある胴を突く。だがここは足場を気にする必要のない空中。つば競り合うブレードを起点に体を翻して回避され、今度はこちらが至近距離から熱線砲に狙われる番だった。

 しかし箒は相手を突き放ち、両手の刀からブレード光波をでたらめに放って撹乱しつつ距離を取る。

 だがそれによって体勢が崩れた。というか、そもそもブレードを受け止めた雨月を持つ手の感覚がなくなっている。強羅に真正面から剣で斬りかかられたのをまともに受け止めればこのくらいの影響はあるだろうが、あの機体は鈍重なので紅椿相手にそんなことはできたためしがない。

 しかしこの機体は、それを可能とするだけのパワーとスピードを兼ね備えている。

 

 腕が使えないのを見越したうえで、次の攻防へとつなぐために取るべき姿勢を紅椿が汲み取り、PICが実現するまでのタイムラグ。ほんの一瞬のことではあるが、相手が再び攻撃に及ぶ方が早いと直感で理解し、にわかにぞっと肝が冷え。

 

「箒さん、ご無事でして!?」

「セシリア、助かるぞ!」

 

 さきほど撃ちそこなった熱線砲を上げようとした腕をブルー・ティアーズのビットが放ったレーザーが焼き、両足を振る勢いで強引に体を逸らした箒への直撃は何とか避けられた。ついでにその勢いを利用して雨月での刺突をセシリアの背後に迫っていた別の指揮官機に放って止めようとするが、さらっとブレードで斬り飛ばされて終わり。多少攻撃を躊躇させる程度のことしかできなかった。

 

 生憎と、こんな不毛な繰り返しがこの戦闘であった。

 はっきり言って、相手は強い。下方にて無数に湧き続けるバグから時折上がるレーザーが邪魔なことを差し引いても、この指揮官機は性能が高い上に戦闘自体巧みだ。無人であることや武装の面でもいつぞやIS学園を襲撃に現れたゴーレムⅢと似た部分があるが、この敵は複数機による連携を得意としている。

 

「こっ、のぉぉ! ……がふ!?」

 

 今も、セシリアを狙っていた機体がビットの射撃を振り切って突如として上方から襲撃。元々相手をしていた機体と合わせて二対一となり、両手の二刀でさばききれる限界を超えた。

 相手は剣の術理もわきまえていないような単純な振るい方しかしないが、機体性能に任せた速さと重さは尋常ではなく、まともに斬り合っていれば不利は明らか。腹に蹴りが入ったのをむしろ幸いと、箒は紅椿の展開装甲を高機動仕様に変形させて瞬時に後退。せき込みながら刀を向ける。

 追いすがってくるうちの一機をライフルとビットによる5点斉射で釘づけにしたセシリアに任せて再び一騎打ちへと持ち込んだ。

 

「すみません、箒さん!」

「き、気にするな、問題ない!」

 

 被弾も多い。数百m四方はあろうという空間のあちらこちらで戦闘が行われているが、相手の指揮官機にはまるで統一された一つの意思でもあるかのように振る舞い、たまに遠くで別の誰かと戦っている機体からの狙撃まで飛んできたりする。

 通信に耳を澄ませたところによると、こうして自分たちが戦っている分相手は指揮能力が落ちているのかバグ共は力押ししかしなくなり、学園側の防衛線は真宏達が何とか抑え切れているのだという。

 

 だが、このままで勝てるかどうか。

 

「くっ……! ダメだ、もっと……もっと剣を強くしなければ……!」

 

 勝利を掴むために必要な、何か。そこへ至るきっかけへと、箒はまだたどり着けていなかった。

 

 

◇◆◇

 

 

(箒さんはうまく助けられましたけれど……っ、手が足りませんわ!)

 

 セシリアの操るブルー・ティアーズは、ビットによる手数で一対多を圧倒する戦いを得意とする特殊射撃型の機体だ。むしろ一騎打ちでこそその本領が削がれてしまうこの機体を、戦況もあってセシリアはフルに生かし切っていた。

 

「ごめんあそばせ、レーザーでわたくしを捕えるのは不可能と思ってくださいまし」

 

 ひらりひらり、と最近セカンド・シフトして蝶の羽みたいな形に整えた結晶質の鱗粉を背負うようになったサイレント・ゼフィルスに対抗するかのように、セシリアは足元から延びてくるレーザーを華麗に回避すると同時、ビットに命じて邪魔しくさった足元のバグの頭部レーザー発振源を正確にぶち抜いて無力化する。

 その間に距離を取り、一番奥深くまで切り込んでいる鈴のもとへバグを向かわせようと指揮を飛ばしている指揮官機をスターライトmkⅢで狙撃。頭部を狙ったはずであり、殺気などトリガーに指をかけるときですら発しなかったはずだが、さすがにISと互角を張る性能を誇る人型無人機。すんでのところで予想もしなかった方向へと回避され、指揮能力を撹乱するだけに終わってしまう。

 

「ただ、こちらは本当に厄介ですわ……っ、シャルロットさん、火力は足りていまして?」

「ありがとうセシリア、ちょっと手伝って!」

 

 箱の上空に位置取り、複数のビットを同時に動かせるほどの分割思考能力を生かして指揮官機のうち、とくに眼下のバグを操って攻撃することを得意とする一体と渡り合いながらも仲間達の援護を続けるセシリアは、善戦している。

 しかしそれと同時に攻めあぐねているのも確かだ。これだけ大量の敵を相手にしては4機のビットとレーザーライフルをもってすら火力が足りず、敵を追い詰めるあと一歩が届かなかったことなどこれまでに何度あったか。そしてその度に標的を自分に変えた指揮官機に近接戦闘の間合いまで迫られ、箒やシャルロットに救われた局面が何度あったことか。数の不利だけではない、まぎれもなく卓越した性能を、目の前の敵は持っているのだ。

 

 明らかに人間の感性によるものではない不可解な動きと、それでいてすべての機体が一つにつながっているかのように感じられる瞬間もある有機的な連携。

 じゅわん、と気づけば音を立てて焦げた肩の装甲。目をやるより先にスラスターを全力で吹かして回避軌道に入ったセシリアを追随するように、シャルロットとラウラの相手をそっちのけでこっちを熱線砲で狙い撃ってくる指揮官機に撃ちまくられながら、セシリアは叫ぶ。

 

「あーもう、わたくしがあと6人くらい必要ですわ!」

 

 ちゅぼん、と嫌な音がした。

 振り向くまでもなくビットの1機が熱線砲によって落とされたのだと理解し、残りのビットと自分自身でいかにして戦況を維持するか必死に思考を巡らせる。

 ここぞとばかりに集中する火線は必要最低限の動きで回避したが、その輻射熱のおかげで冷や汗が垂れる暇もなく蒸発してくれたのは、幸か不幸か。

 

 

◇◆◇

 

 

「ほらほらほらほら、弾ならいくらでもあるよ!」

「……最近のシャルロットは真宏に毒されすぎてはいないだろうか」

 

 どんな窮地にありながらも軽口をたたくのは、IS学園専用機持ちのたしなみ。今もシャルロットとラウラは虫に完全包囲されて四方八方からレーザーにライトアップされながら、必死の回避と指揮官機との戦闘をこなすという離れ業を駆使していた。

 

「こんのっ、もっと近づいてこないととっつきが使えないじゃないか!」

「だから落ち着けシャルロット!?」

 

 レーザーの射線を集中させ、一度でも被弾してしまえばそれだけでシールドエネルギーが尽きそうなほどの火力があちらこちらに現出する一方、それを自分たちが指揮しているせいもあって巧みに回避して迫りくる無人機の攻撃は苛烈であり、シャルロットとラウラは防戦一方に追い込まれていた。

 アサルトライフルの弾丸をブレードで弾かれるなどはザラであり、熱線砲は確実にシャルロットとラウラがお互いの機動を邪魔してしまうタイミングに、一番来てほしくない位置を狙って放たれる。まるではじめから二機で行動することを想定していたかのように見事な連携であり、さしものシャルロットとラウラをしてすら分が悪いと言わざるを得ない

 

 

(機体性能のせいにはしたくないけど……っ、まともにやってて勝てるような相手じゃないっ)

 

 シャルロットは左腕のシールドでラウラをかばって熱線をはじき、シュヴァルツェア・レーゲンから延びたワイヤーブレードがその隙を狙って背後から迫っていた1機をからめ捕るのを感じながら歯噛みしていた。

 

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは、打鉄と並び称される傑作第二世代量産機のカスタムタイプだ。第三世代機の開発にこそ難航しているものの、その分第二世代機の技術には蔵王重工にも負けないほどに精通しているデュノア社が、第三世代の専用機ひしめくIS学園へシャルロットを送り込むためフルカスタムを施した機体。

 ほぼ1年間乗り回してきたおかげでもはや手足のごとくなじみつつある。

 一時は心配されたデュノア社からのパーツ補給問題だが、割と早期に真宏が事情を知る仲間となったため、蔵王重工を経由することで普通に物資は届いているので問題ない。

 だからこそ今も実弾火器を使っては捨て、砲身が焼き付いては取り換えと乱暴な使い方をできている。ラピッドスイッチは今日も絶好調。この場の誰より弾薬消費量が多いのは伊達ではない。伊達ではないが、同時に何かが足りていなかった。

 

「くっ……シャルロット、私がAICで敵の動きを封じる。その隙にとっつきで……!」

「ダメだよラウラ、相手が早すぎて捕えきれないし、僕たち二人だけじゃ一機を相手にしてるうちにもう一機にラウラが狙われるよ!」

 

 ラウラとシャルロットは同室のよしみもあって専用機持ちの中でも屈指の連携を誇る。だがそれでも、下手をするとまさしく二身一体を機械的に実現しているかもしれないほどにうまく攻防を連ねるこの敵相手には通用しない。

 今も、シャルロットのマシンガンとショットガンが繰り出す豪雨のような連射を平然と回避する2機は一方が囮となってもう一機が接近し、それに対処しようとすればその行動をすら囮としてもう一機がさらに近づく、という芸当をしてのけるのだ。

 

「くそっ、これではAICの意味がないではないか!」

 

 ラウラもまた、焦りを募らせる。

 プラズマ手刀による斬撃は相手の装甲を切り裂けるだけの威力を持っているが、軍隊仕込みの近接格闘をもってしても切り刻むに一手足りない。下方から時折レーザーを放って邪魔してくるバグが鬱陶しいのは無論のこと、悔しいが敵の実力がきわめて高い。

 シャルロットと二人して挑んでいてもなお圧倒されそうになるパワー。二機連携を最大限生かした互いの位置取りはラウラの目を幻惑し、撹乱し、1機に戦力を集中するということを巧みに防いでいる。

 

 1機ずつ相手取ることができないのならばいっそ、2機同時に。脳裏を過ったその考えを実行に移すには、いまだラウラの視界は狭すぎる。

 

 

◇◆◇

 

 

「はぁあああっ!」

 

 双天牙月の切っ先が弧を描く。追って宙を舞った体の勢いを乗せた足刀が相手の頭をかち割らんと迫り、防御のために掲げられた指揮官機の剣と火花を散らしてはじけ飛び、蹴りを受け止めようと跳ね上がった熱線砲に重い衝撃を叩きこむ。

 

 が、相手はそれだけの技を受けてなお頑強。力が均衡して生じた一瞬の停滞にパワーをこめて鈴を吹き飛ばし、衝撃砲による牽制にも構わず再びブレードを振りかぶって迫りくる。

 

 どうやら、この指揮官機にはそれぞれ個性があるらしい。巧みに戦況を見て協力し合う機体や、特定の一機との連携を重んじる機体、そして鈴が戦っているようにバリバリの近接戦闘を好むもの、など。

 一体どのような設計思想に基づいて生まれたのかは知らないし興味もない。鈴が関心を抱くのは、いかにしてこいつらをぶちのめしてさっさと一夏達の元へと駆けつけるか、だけだ。

 

 ハイパーセンサーの効果範囲はこの周辺一帯に絞っているが、時折耳に入るオープン・チャネルの通信によると自分たちの奮戦によって指揮能力が下がったか、IS学園側の防衛戦は多少余裕が出てきたようだ。

 強羅の火力にサイレント・ゼフィルスの広域レーザー拡散能力もあるうえ、IS学園の教師陣が訓練機を駆って総出で防衛しているのだ。施設への被害は最小限にとどまっているという。

 

 相手は機械であるだけに、行動は常にまっすぐで絡め手や心理戦の入り込む余地がない。IS操縦者というよりも武芸者と言った方が正しいような気さえする箒や一夏と違い、動き自体は単純だというのにいっそ不気味なほどに迷いがない。こちらが急所を狙う斬撃に頭部を狙った一撃でもって迎え討ち、相手が防御のために剣を引くことを期待したとしても、無駄に終わる。お互いどちらかが防御に回らねば相討ちになるような状況において、この敵は絶対に自分から守りに入ることをしない。チキンレースに負けるのは、いつも鈴だ。

 ISの、あるいは機械の剣士とはかくあるものなのかと思うほど、行動に占める自己の保存に対する比率の低い攻め手は武術の心得を持つ鈴であるからこそ、心胆寒からしめられるものがあった。

 

「なんてっ、泣き言吐いてる場合じゃないけどねっ!」

 

 ならば、とばかりにこちらも単純に渾身の力で双刀を振るってぶち当てる。ISの武装だけあって頑丈なので、真っ向からぶち当たっても刃こぼれひとつしないのはよいことだが、その分機体へと跳ね返る反動も並みならぬもの。重量差によって弾き飛ばされる体よりも、腕に残る痺れこそが次なる攻め手の邪魔に思えてならなかった。

 相手は常に鈴を見据えて視線を外さない。暗黒色の全身のなか、目の位置にある赤いライン状の光はまるでレーザーサイトの赤い光のように自分を射抜いているようでうすら恐ろしい。だが負けるものかと歯を食いしばり、鈴は再び挑みかかる。

 

 

 鈴は、実質ほぼ1年で素人から代表候補生の座まで上り詰めた。

 家庭の事情で中国に渡り、一夏に会いたいという願いを持て余していたところにIS適正の高さに目を付けた国からISの訓練を受けないかという誘いがあり、それを受けて今がある。

 当初からヤン管理官に目をかけられて、それはもう思い出すだけで廃人になりそうなレベルの修練に次ぐ修練の日々。生きていられたのが不思議なほどの厳しい鍛錬の果てに、鈴は代表候補生の座を手に入れた。

 

 今の自分は、好きだ。

 一夏がいて、真宏がいて、箒達新しい友達もいる。

 そんなIS学園にいられることを誇りに思う。守るために戦えることを心から嬉しく思う。

 

 守れる力を授けてくれたヤン管理官に、心の底から感謝の念を抱いている。

 

 だから。

 

「こっ、の! がふっ!? ……舐めんじゃないわよおおおおおおっ!!!」

 

 殴られようが斬られようが、鈴は絶対にあきらめない。

 ヤン管理官から受け継いだ技と甲龍の性能のすべてを費やして、必ず勝利をつかむのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

「風力、温度、湿度、一気に確認……ミサイル、全弾高速モードッ!」

「いまだかつて見たことない速さのミサイルー!? なにそれ今の、速くなるおまじない!?」

 

 簪がミサイル達に、やたらめったら速さを求めますようにという願をかけ、ついでに実際測定したデータから最大速度、最短距離で敵を狙うよう軌道情報をインプット。楯無の援護によって攻撃に集中できるため、得意の半マニュアルミサイル誘導によって敵機を一度に殲滅せんとミサイルを一気に叩き込んだ。

 

 しかし。

 

「くぅっ、また避けた……!」

「あれを避けるってどういう機動性なのかしら……不気味ね」

 

 そのミサイル攻撃ですら、相手はことごとくを回避と迎撃してしまう。腹いせに外れたミサイルを再誘導し、全て海面に叩きつけてぼんがぼんがバグを吹き飛ばすが、その程度では大した効果も見込めない。

 

 バグは今もって箱からあふれ続けている。まるで引き出しに入れて放置していたカマキリの卵が孵ってしまったかのような光景でおぞましいことこの上ないのだが、既に吐き出されたバグの量たるや確実にこの箱の容積を越えている。

 巨大なビルを横倒しにしたような形でありそれなり以上の輸送量を誇るであろう、上から見下ろせば内部に余計な構造のない完全な輸送用と思しき箱。その中から無数に湧き出す無人の兵器。まるでこの箱自体が異形のISで、量子展開された武装があのバグであるかのような感覚があった。

 

 だが生憎と今の楯無と簪に、その可能性を検討している余裕はない。楯無が展開したアクアナノマシンによる水のベールを沸騰させて熱線砲が迫り、簪の荷電粒子砲を熱線砲で相殺しながら切り込んできて、楯無のランスと切り結ぶなど普通の……というより人間のIS操縦者ならばそうそうできない度胸と命知らずぶりだ。

 こんなことをするのなんて、これまでそれこそ真宏くらいしか見たことがない。

 

 簪は、この指揮官機との戦いの前に真宏が極めて本気で言っていた言葉のせいもあり、常に楯無とともに戦っていた。アクアナノマシンを操り変幻自在、千変万化の戦いを得意とするIS学園最強の生徒会長たる楯無と、真宏や一夏達の協力もあったがほぼ独力で機体を完成させたことにより、愛機への理解の深さでは他の追随を許さない簪。

 数か月前まではぎくしゃくした関係であったが、今ではすっかり仲良し姉妹となったこの二人が組めばただでさえ攻めづらい能力を持つミステリアス・レイディが防御に徹し、その間にミサイルと荷電粒子砲による高機動火力型の打鉄弐式が敵を討ち取ることが可能となる。

 

 しかし今、そのやりようが実施できているかと言えば答えは、NO。

 指揮官機の動きは鋭く、簪が放つミサイルは近頃半分ほどの制御はIS任せにしているものの、相手の機動はその上を行く。

 まさしくどこぞの納豆ミサイルサーカスのごとき機動でミサイルをひきつけつつ熱線砲で薙ぎ払うなど、一夏がたまに練習しているがさっぱり成功しない曲芸の一種ではなかったか。

 追いすがるミサイルのプレッシャーにあせらず精妙無比な機体制御を続けるなど人間にはそうそうできることではなく、調子に乗って強羅で一夏の真似をしようとしてボッコボコにされる真宏のようにミサイルに撃墜されるのがオチなのだ。本来ならば。

 

 しかしこの敵にそんなそぶりはない。

 ただ冷徹に、常に自分の最高のパフォーマンスを発揮して簪たちを追い詰める。

 

 機体性能がこれまで戦ったISや無人機とはまずもって段違いだ。

 ブレードは触れる傍から装甲を切り裂き、熱線などかするだけでシールドエネルギーを盛大に消し飛ばす。

 

 簪は攻撃に専念するよう楯無から言いつかっている都合上、周辺の状況も広く認識するよう努めている。あちらこちらで戦い続けている他の仲間達も善戦はしているが決して有利なわけではなく、どこも不利だ。実際簪自身誰かを助ける余裕はなく、心拍数の異常な上昇を打鉄弐式から警告されている。

 

 恐ろしいのだ、この強敵が。

 

 すでに誰しも無傷ではない。あとどれだけ戦えるか分かったものではない。

 だが、それでも。

 

「頑張ろう、お姉ちゃん!」

「ええもちろんよ簪ちゃん。……これ以上指一本触れさせないわよ!」

 

 ともに戦う仲間がいれば、距離は離れていても常に自分を思ってくれている者を思えば、簪はまだまだ戦えるのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 だが、戦いは無常。

 

「きゃあああああ!?」

「セシリア!」

 

 それまでとは違う悲鳴だった。

 驚きの中にも反撃の意思を込め、勝機をうかがっていたセシリアの叫びが苦痛に耐える響きを持った。

 その場の全員が振り向いた先にあった光景は、そんな異常の想像を裏切らない。

 

 バラバラと砕け散る3機のビットのパーツと、突き出されたブレード。ついにシールドを貫き、わき腹を深く切り裂かれたセシリアが装甲の破片と血をまき散らしながら、やけにゆっくりと海面へと落ちていった。

 

「セシリアあああああ!?」

 

 まるで天から降ってくる獲物を歓迎するように落下するセシリアを見上げていたバグ共は、箒達が一斉に放ったブレード光波や実弾、荷電粒子砲、衝撃波によって粉々に粉砕され、セシリアの体は海中へと没した。

 仮に絶対防御が働くほどのダメージであったとしてもISはまだ展開状態を維持していた。あの状態ならばしばらくはもつ。これまでIS学園で鍛錬を積んできた少女たちの脳裏の冷静な部分はそう結論を下し、だからこそ敵の手にかからないよう咄嗟に体が動いたが、友が倒れた事態に冷静でいられようはずもない。

 

「あんたらあああああっ!」

「鈴、無茶しちゃダメだ!」

 

 襲いかかったのは、鈴。衝撃砲を乱射して牽制し、分離させ両手に持った二刀をもって斬りかかる。左右から迫るその剣は、セシリアを斬ってまだ振り向いていない指揮官機を、片手のみで両断しうる激しさを秘めている。

 だが、そんな程度では生ぬるい。友の痛みを思い知れ。左と右と、両手で斬られて五体を三つにぶちまけろ。

 

 怒りを加えた剣はまさしく苛烈。疾風怒濤の勢いで、しかし。

 

「がっ、後ろから……!?」

「鈴!!」

 

 一度全力で蹴りつけて距離を取ったはずの敵がイグニッション・ブースト並みの速度で追いすがり、お返しとばかりに鈴の背を重く蹴りつけた。

 その勢いで鈴は体勢を崩された。こうなればもはや剣を振るえる道理はなく、セシリアを落とした指揮官機が、スラスターを備えた重厚な脚部を振り向きざまに回し蹴りへと変化させているとわかっているのにどうすることもできず迎撃され、もと来た方向へと蹴り飛ばされて、今度は高々と掲げた剣の振り下ろしを真正面から受け、先のセシリアの焼き直しのように海面へと叩きつけられた。

 

 

 蟻の一穴という言葉がある。

 蟻が明けた小さな穴ひとつで堤が崩壊することもあるということであり、セシリア一人の欠落がまさか蟻の穴ほどに小さな影響で済むはずもない。

 

 最初にセシリアが倒れてから、2分と経たないわずかの間に。

 

「ぐ……く、そぉ……っ」

 

 最後に残った箒も含め、全員が倒れる事態となった。

 

 指揮官機の数は当初の箒達と同じ7機。しかしながら仲間全体のフォローをもしていたセシリアが落ちて均衡が崩れ、そこからはあちこちで局地的に戦力比が大きく傾くこととなり、数の差に為す術なく一人また一人と倒された。

 

 箒はまだ決してあきらめていない。だが全方位から囲まれ熱線砲を突き付けられた今の彼女に逆転の方策はない。左腕は既に上がらず、紅椿もダメージを受けすぎて高度を保つのが精いっぱい。イグニッション・ブーストなど使おうものなら負荷に機体自体が耐えられず、バラバラに空中分解するだろう。

 

 敗北は決定的となった。このまま箒も倒れ、指揮官を取り戻したバグは統率のとれた動きでIS学園に殺到し、真宏達を飲み込んであの島を更地に返す気なのかもしれない。

 まさに、万事休す。

 

 ……もし、まだどこかに勝機があるとするならば。

 

「負けない……私たちは、絶対に負けないぞ……! 一夏も、真宏も、どんなときでもそう言うはずだ!」

 

 箒の目に、そしてISの生命維持機能に守られて今も生命をつないでいる少女たちの誰もが、全くかけらもこれっぽっちも諦めていないことだろう。

 

 箒の強がりにも何ら感慨を示すことなく、7本の熱線が放たれ紅椿のシールドエネルギーが尽きる。

 箒達は紛れもなく敗北した。

 

 

 IS学園に迫る無数のバグ。

 専用機持ち7人を撃破した指揮官機。

 迫りくる脅威に対し、為すすべなく敗北を突きつけられたこの状況。

 

 IS学園を、そして地球を巡る本当の戦い最初の一幕は、圧倒的な不利から始まった。


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