某国、山間部。夜。
薄闇の中、影に遮られた星の光が闇色となって山の輪郭を示し、夜風が吹き下ろしてくる山間のとある場所。ただでさえ人里離れた辺鄙なところにあるうえ、地形の妙によって山のふもとからは決して覗くことができない位置に、ひっそりと隠れる建物があった。
頑丈なコンクリート造りのがっしりした直方体の形で、窓は少なく、敷地は高い塀に囲まれている。地元の人間には外国資本の製薬会社の研究施設と説明されているが、そもそも外部とはほぼ接触がないので住民の意識に上ることすらない。
しかし夜であるというのに門と敷地内を警戒して回る武装した警備兵が物々しく目を光らせていることを誰かが知れば、ここが彼らの属する組織にとって極めて重要な施設なのだということがわかるだろう。
「だからって、こんな大人数で警備とはなあ」
「無駄口はよせ。上の判断によると、近々ここに収容してる要人も移送されるそうだ。襲撃に会う可能性は高いぞ」
「要人、ってか研究者だろ。そんなにすげえ研究してるのかねえ?」
見周りの兵士たちのうち二人組が語る。
事情の多くを知らされているわけではないが、彼らに与えられている命令は近づく者の排除ではなく、逃げ出そうとする者がいた場合の確保だ。なにかの研究施設と聞かされているここにはさる要人がおり、逃げられるわけにはいかないのだと。はっきりとわかっているのはそれだけだが、長く居続ければ耳聡くもなるもの。
昨今の情勢変化――これが何を指すのかすら、彼らは知らないが――に伴いその要人とやらがここから別の場所に移されるらしいと言うことは、噂に聞いた。
その理由をどこぞの組織からの襲撃とみなす隣の仲間は頭も良いので言うことは信頼できるのだが、さて本当にこんな場所に誰かが来ることなどあるのだろうか。その疑問はどうしても消すことができず。
「――お前達が知る必要はない。その成果は我々が役立てよう」
「何者だ!?」
「……いや、今のセリフすっげー悪役っぽくね? そしてお前ノリよすぎね?」
こんな声がどこからともなく響いてきても、いまだ現実感を抱くことはできないのだった。
「威勢のいいことだ。だがお前達ごときでかなうかな? 勢ぞろいした私達に……!」
山に反響しているのか、出所のわからないその声。しかし明らかにこの場にあってはならない耳慣れぬもので、周囲に続々と集まりだした警備兵は各々銃を構えて警戒する。
その直後、普段は隠蔽のためあまり使われないスポットライトが一斉に壁の一面を照らし出した。闇に慣らされた目には余りにも眩しいその光、しかしあきらかにライトが照らす壁の上には複数の人影が見えた。
間違いない、侵入者だ。
が。
「まず一番手は影となり!!」
一番手の名の通り、先ほどまでの得体の知れぬ声の主でもあったラウラが、シュヴァルツェア・レーゲンの黒い機体を身につけて夜の闇に紛れる影のように、しかし確かな存在感を伴って叫びを上げ。
「姿はあれど音は無し!!」
水の膜を翻しながら朗々と声を響かせるミステリアス・レイディの楯無がキリッと表情を引き締めようとして、抑えきれない笑いの衝動に口の端をひくつかせ。
「静かなれども振り向かば!!」
ちょっと振り向き気味のポーズを決めて、サイレント・ゼフィルスを展開するだけには飽き足らず何故かサングラスをかけている、という謎の存在感を放つマドカが並び。
「とっ、十重に二十重に舞い上がる!!」
シャコンシャコンとミサイルラックの蓋を開け閉めして、実際あそこからミサイルの弾幕張られたら十重二十重できそうだなーという不安を掻き立ててくれる打鉄弐式の簪がつっかえつつも続き。
「椿の花びら!!」
普通の椿って花ごとぽてりと落ちるだろ、というツッコミを入れられる者がいないのをいいことに二刀を振るって見栄を切る、なんだかんだでノリノリの箒がポーズを決め。
「浮世の湖面に映り散る!!」
実はこれまでも一人一人が名乗りを上げる度にその背後にこっそり衝撃砲を打ちこんで爆発させていた功労者の鈴がより一層派手な爆発を背後に背負い。
「望みとあらば目にものお見せしますわ!!」
ビットを激しく乱舞させ、貴族の生まれが為せる業か飛びきりの華やかさを放つセシリアが高らかに謳い。
「我ら命の、大暴れ!!」
両手に持ったショットガンにマシンガン、左腕に格納されたとっつきと、おそらくかつてないほど大量の武器を持ち込んでご満悦の表情を浮かべ、本当にシャレにならない大暴れをしそうなシャルロットが警備兵の肝を冷やし。
「九紋の龍が天を貫く!!」
九紋とか言いながら龍の頭八個しかねーじゃねーか、と冷ややかな目を向けられ、当人もおそらく気付いてるから勢いで押すしかないとふっきれたのだろう、オータムが。
『IS学園! 九大天王!!』
おめーらいつの間にそんなユニット組んだんだ、というツッコミすら許さぬ無駄に圧倒的な威圧感を放ち、壁の上にずらりと並び立っているのであった。
「なっ……! ISが9機だと!? なんて戦力だ!」
「しかも、この前セントエルモを沈めたIS学園の化け物どもだ!」
「よくよく見たらサイレント・ゼフィルスとアラクネ……? もいるぞ!」
「なにっ、つまり一人で集団の平均年齢を1歳くらい上げているあいつはオータムか!」
「オンドゥルルラギッタンディスカー!」
「……じゃかましいいいいいっ!」
突如現れた圧倒的な戦力に対して動転した面もあったろう。だがいずれにせよ警備兵の口走った言葉はオータムをキレさせるに十分なものであり、最近同じクラスの友人達から同類扱いされることをちょっと嬉しく思う二十代(普段は16歳の少女達と同じ制服着てる)としては、涙を振り切りながらサブヘッドに備えたガトリングを憂さ晴らしに乱射せざるを得ないのだった。
◇◆◇
「急げ、IS学園の奴らが襲撃してきた! しかも複数だ!」
「9機でいい」
「いいもなにも、本当に9機来てるんだよ!」
「なんかシュヴァルツェア・レーゲンのパイロットはうちのIS相手に『このロースペックどもがぁー!』って叫びながら大暴れだ!」
「……おまえが言うなって気がするのは気のせいか?」
わざわざ地の利も生かして施設を隠蔽していられたのもさっきまでのこと。ISによる急襲という、考えうる限りで最も危険度の高い事態に、この施設の中は天地をひっくり返したような騒ぎとなっていた。
そして先ほどから何度となく行き来する靴音は必ずと言っていいほど侵入してきた箒達IS学園生一同の行状を叫んでいる。
「ブルー・ティアーズが『追魂奪命剣!』とか叫んで空に向かってレーザー放ったら一本しか撃ってなかったはずなのに数百本になって降って来たらしいぞ!」
「紅椿は『手伝ってやろうか。ただし真っ二つだぞ』とか言って脅してくる! 一体何を手伝うつもりなんだ!?」
「ようやくこっちのISも出始めたらしいが……なんか色んな意味で勝てる気がしない!」
「……どうやら、上手いこと引きつけてくれてるみたいだな」
「ああ、かなりノリノリらしい」
そんな状況を、息をひそめて窺っていた者達がいる。
人の気配が遠ざかったのを確認して、通路の影からするりと姿を現したのは二人の男。どちらもボディースーツ状のISスーツの上にジャケットを羽織り、上半身に取りつけるベルトに各種装備を取り付け目元をサングラスで隠した特命ルックの……言うまでもなく、俺と一夏だ。
「手はず通りってところか。施設内が手薄になってるうちに、さっさと目的地まで向かうとしよう」
「ああ、急ごう」
会話は必要最小限に。目的を効率よくこなすため、箒達がやっていることや俺達の格好自体はネタに走っているが、その実極めて真面目である。
なんだかんだと色々激しい経験をする機会の多かった俺と一夏だったが、今度ばかりは緊張する。サングラス越しに視線を交わし、無言でうなずいてここへと潜入する前に見せられた地図を思い出し、目的の場所へと静かに素早く向かっていく。
ばくばくと心臓が強く脈打ち、一歩ごとに高まる異常なほどの緊張感はいやがおうにも感覚を研ぎ澄ませる。何故なら、そうしなければ死ぬからだ。
ファントム・タスク残党が集う、某国研究施設への潜入及び要人救出ミッション。
そこは、当然のように武装した者だらけの密閉空間。しかもISすら配備されているこの施設に俺達は今、ISを身につけることなく、潜入していたりする。
◇◆◇
「作戦内容は先ほども説明した通り要人の救出。この施設に潜入し、二人の人物を救出して離脱することが目的だ」
「施設の見取り図は入手済みで、どこに捕えられているかの目星はついているわ。陽動班が敵を引きつけている間に潜入班が内部へ入りこみ、救出する。それだけよ」
寝ている間に放りこまれていた輸送機のキャビンの中、空間投影モニターにとある研究施設の写真やら見取り図やら何やらの情報がずらずらと表示されていく。警備の人数、監視カメラの位置と数、幾筋もの侵入ルートと撤退ルートなどなど。事前調査の周到さが窺える資料を前に、千冬さんとスコールが作戦を説明していた。
目標はとある山の中に隠された秘密研究施設であり、地上は元より地下施設が充実していて、そこに今回のターゲットとなる人がいるのだとか。
説明を受けたこともあり、ここまでくれば大体の事情は把握できている。
俺達も関わった、ファントム・タスクによる全世界への宣戦布告と、それに伴うセントエルモ事件。クリスマス直前に戦艦セントエルモを撃沈したことで大方片付いたかと思われていたあの事件は、その実いまだ息を潜めて生きながらえていたのだという。
なんでもファントム・タスクという全世界規模の組織の中には、スコールとはまた別種の考えを持った一派もいたらしい。こちらとしては見事一枚岩に合力していてくれたほうが一網打尽にできてうれしかったのだが、そうはいかないのが組織の常。
セントエルモ事件以降逮捕が相次いだスコールの属する一派とはまた別の系統であった者たちは自分達へと追及の手が及ぶより先に姿をくらまし、こうして今もしっかりと何かを狙っているのだとか。
あの事件の解決を担うIS学園として、これを放置してはおけない。ファントム・タスク残党はこの施設にとある要人を捕えているという情報もあり、救出ついでにボコってこい。要するに、それが今回のカチコミの要諦だ。
「潜入班は二名。……そして、ISの携行を禁止する」
「なんとっ!?」
しかし、作戦内容を告げた千冬さんの言葉に驚愕の声が上がる。
いかに潜入は目立たないことが第一で、元々交戦などしないで済むならばそれが一番であるとはいえ、俺達が向かうのは敵の重要拠点だ。
普通に潜入するだけでも数限りない危険が待ち構えているだろうが、なお悪いことにファントム・タスク残党の勢力を調査したところ、やつらはISすらいまだ保有しているのだという。
そうなるとコアネットワークでそれぞれつながっているISは近づくだけでも居所を感知され、せっかくの潜入の意味がなくなってしまう。ゆえに俺達のISは既にステルスモードにするよう指示されてもいる。
だがステルスモードも万能ではない。至近距離まで近づいてしまえば気付かれる可能性が高いため、潜入チームが持ち込むことは難しい。
つまり、ISすら配備されている敵組織のただ中へ飛び込んでいくのが、ほぼ丸腰の二人。自分がその役になるにせよ、決して楽なミッションではないのだと、改めて緊張とともに理解した。
「一人目は……織斑一夏、お前だ。理由はわかるな」
「……ああ。白式なら、いざというとき遠隔転送が可能だからな」
潜入するのは当然というべきか、まず一夏。
ラウラや会長なんかの本職と比較すれば隠密行動は向いていないだろうが、なにより一夏の白式は文化祭の一件以降、ISの遠隔転送が可能になっている。
もし万が一のことがあった場合でも白式を転送することができると考えれば、難を逃れられる可能性は最も高い。
「そしてもう一人は……神上、お前だ」
「え、マジっすか!?」
そしてもう一人は、なんと俺だった。
さすがに他のみんなも驚いている。順当にいけば本職の特殊部隊隊長であるラウラやニンジャであるところの会長あたりが無難なところだろうに、まさかの俺指名なのだから。みんなの顔に驚愕が浮かんでいる。
……ちなみに、じゃあこの人選について俺がどう思うかというと。
「悪の秘密結社の研究施設への潜入……ISでの殴りこみに続いてこんなことまで……燃えてキター! 忍ぶどころか、暴れるぜ!」
「いや、忍べよ」
「……真宏さん、生き生きしてますわ」
「アレだ、昔の特撮には敵基地への潜入というシチュエーションが多かったからな」
「心の底から納得した」
まさか、こんなシチュエーションを嫌がるわけもねーのである。
「では、神上と織斑はISスーツを装着しておけ。銃弾程度には耐えられるISスーツなら、下手な恰好よりよほど向いている。その他の装備は用意してある。すぐに仕度しろ」
「了解です」
「残りの者は陽動担当だ。潜入班の作戦が成功するかはお前達の働きにかかっている。派手に暴れて来い」
「はいっ」
急に知らされた物であることもあってか作戦自体は至極単純だ。俺と一夏はそそくさと輸送機の隅っこでISスーツに着替え、どこぞの特命戦隊御用達っぽくてますますテンションが上がるジャケットとベルトを身につけサングラスを装着。そのまま二人してこれから潜入する施設の見取り図を睨んでルートを頭に叩き込んでいく。
目標地点への到着まではあと数時間かかるという。
覚えたルートを元に仲間達と陽動のタイミングと方法、その際披露するネタ、潜入のタイムテーブルを作り、実はこの輸送機はワカちゃんの<大掃除>だったようでいつの間にやら混ざっていたワカちゃんの「面倒なのでまず地上施設をまるっとふっ飛ばしちゃいません?」という誘惑を聞き流しながら、時間を過ごした。
「なあ真宏、お前もバレンタインのチョコをいろいろもらってるのはいいとして……どうして千冬姉とマドカからももらってるんだ?」
「義理チョコだ義理チョコ。だから両肩掴むんじゃねえよいてえええええ!?」
腹ごしらえもしておこうということで、さっそく今日もらったチョコを消費したりとか。ただそのチョコというのは、一夏が俺の身柄ごと適当に見繕ってきた荷物の中にあったものでばっちり千冬さんとマドカからもらったものも入っていたりする。おかげでご覧のありさまだよ! こいつ姉だけじゃなくて妹もできたからますますシスコンに磨きがかかってないか!?
「ねえねえ一夏に真宏、見て見て。この恰好で行くっていうのはどうかな! トトトトレビアーン!」
「落ち着けシャルロット。まずはそのテンションを何とかしろ」
あとは、俺と一夏のコスプレじみた衣装を見たシャルロットが、コート、回路っぽいマークの付いたゴーグル、背中に無駄に背負った謎タンクという出で立ちで怪しいフランス語をしゃべるのを止めたりとか。本当にこの子は影響受けやすすぎやしないだろうか。
とまあ、こんな感じの空の旅。
仲間たちがいつも通り過ぎて安心することこの上ない。
そして、現場へと到着する
外は日が暮れて夜になってはいるが、さすがに空挺降下などという難易度の高い真似はせず、近くの空港から車でぶぶいと近づいてあとは徒歩の山登りをすることになっている。時計を合わせて作戦開始時刻を決め、それまでに陽動班と潜入班でそれぞれ別ルートから昇っていくとか、そのシチュエーションに滅茶苦茶ワクワクする。
……無論、そんな風にはしゃいでばかりもいられない。
一夏と二人で黙々と夜の登山を楽しみつつ、作戦を監督するためと、さすがに目立ちすぎてバレることを防ぐために輸送機内に持ち込んだ通信機器でこちらの様子をうかがうことになっている千冬さんが、出撃直前に言っていたことを思い出す。
「……真宏、すまないが一夏を頼む」
「へ? そりゃあまあ、持ちつ持たれつやっていきますけど……これから行くところ、何か変なものでもあるんですか?」
時間差で向かうため先に出た箒達と、それに続いた一夏。偶然ながら最後に輸送機を出ることになった俺に、千冬さんが声をかけてきた。作戦開始前の激励、と取れなくもないお言葉だが、千冬さんは本来そんな人だったであろうか。
自分に厳しく、他人に厳しく、弟には溢れんばかりの愛ゆえにもっと厳しい。そういう難儀なブラコン気質を備えているが、だからこそこんなときに縋るようなことを言うとは、これまでの付き合い的に思えない。
振り返ってまっすぐ目を見れば、千冬さんの端正な顔は普段通りの無表情。一夏を気遣ったのもあくまで自分の生徒だからと言いたげだが、今明らかにプライベートな時の呼び方してましたよね。
「……」
「……」
「――おーい、真宏。早く行こう」
「……ああ、わかった」
睨みあいにも似た時間は長く続くことはなく、さすがに俺程度では千冬さんの言葉の真意を読み取ることはできなかった。だが、ただ一言機密と言ってしまえば突っぱねられたのにそうしなかったことと、わざわざこうして俺に言い含めたこと。何かがあるのだけは間違いなさそうだ。
「……? どうかしたか」
「いや、ここはもう一人女の子がいるべきじゃないかと思ってな?」
「あー、編成的にはそうだな。……確かに真宏は『頑丈』のワクチンプログラム移植されてそうだし」
「そういう一夏は『ジゴロ』のワクチンプログラムが入ってるわけか」
ともあれ、一夏には黙っておこう。
おそらくこの作戦は世界にとって、IS学園にとって、そしてあるいは一夏にとっても大きな変化をもたらすことになるのだろう。
その直感だけは、確かにあった。
◇◆◇
「……地上が騒がしいな」
「確かに。いまだかつてない規模です」
「情報は一切入ってこないが……さてどこの誰が攻めてきたのやら。データは保存できたか?」
「必要な物はあらかた。あとは身一つでもいけますよ」
ズシン、ドスンといかにも重たげな振動が頭上から響いてくる、研究所地下施設内の一室。当然窓はなく、空調が整える快適ながらもどこか白々しい温度の部屋の中には無数のコンピューターがファンを回す音と、ディスクにデータを書き込む音。そして二人の男女の息遣いだけがあった。
既に地上で戦闘、それもかなり大規模なものが勃発していることを悟りながらも極めて冷静に……あるいは、何もかも諦めきっているかのように淡々と作業を進めていく。
ここに居つくようになったのはそう昔からのことではない。これまで必要に駆られ、あるいはそうせざるを得なくなり何度となくありとあらゆるところを転々としてきた。
自分の都合かあるいは他人の都合か、いずれにせよ居所を変えるなどとこの二人にとっては至極当たり前のことで、慣れた手つきでデータをまとめていく。
ここでの成果、ここに来るまでの成果、次に解決するべき課題などなど。二人が10年以上の歳月を費やして、一番大切なものすら置き去りにして得た物は無駄ではないと信じたい。
「今度こそ、この境遇から抜けられたらと願うのは……私達にはもはやできないかな」
「かも、しれないですね。でも諦めることもできそうにないです」
ぶっきらぼうに、そして寂しげに語るのは長髪の女性。鋭く凛とした眼差しに宿る光は強く輝き、年齢不詳の気配があった。しかしデータを保存したメディアをまとめて鞄に突っ込み、ぎゅうぎゅうと結構無理矢理に詰め込んでいく手つきからそこはかとなくダメな人のオーラが漂ってくる。この光景を見たあとだと、髪が長いのも単に切るのを億劫がっただけに思えるほどだ。
一方の男性はメガネをかけた優男風。こちらもそれなりの年なのか若いのかわからないが、そこはかとない苦労人オーラがにじみ出ている。どのくらい苦労人かというと、なかなか閉じない鞄に四苦八苦する女性からそっと鞄を受け取り、てきぱきと綺麗に鞄の中に荷物を詰め直してあっさり閉じて見せるあたり、特に。何度となくこうやって彼女をフォローしてきたのだろうということが、ただこれだけのやり取りからありありとうかがえる。
「……すまん」
「いえいえお気になさらずに。いつものことじゃないですか」
申し訳なさそうにしゅんとなる女性と、それをニコニコ笑いながら慰める男性。二人の間でこの程度のことは日常茶飯事なのだろう。お互いにフォローし合うことと、そして……こうして、何かがある度に居所を変えねばならないことも。
「お待たせしました博士。移動を始めますので準備を……既にしてくださっていたようですね」
そのような準備が終わるのを待っていたかのように扉が開く。この部屋は今二人がいる研究室部分自体がかなり広いうえ、奥には生活用の部屋も用意されているためこの扉から外に出ることはほとんどない……というよりも、内側からは扉を開けられないようになっている。
一部の利害が共通しているからこそ受け入れている状況ではあるが、実質監禁されているのと変わらない状況。変化が訪れたわけだが、二人は至って冷静だ。これまでに似たようなことが何度繰り返されたかを思えば、自然とリアクションも薄くなる。
日に何度か通信越しに顔を合わせるこの施設の警備責任者がわざわざ直接出向いてきたのは、おそらくISによって襲撃されているここから二人を連れ出すため。山の中に地下施設をこれだけ広大に作り上げられる力があるのだ。地上が襲撃されたとしても別の脱出ルートなど他にも無数にあり、今回もその中のどれかを使う算段なのだろう。
護衛らしき、深く帽子をかぶっているため顔が見えない二人の年若い男性兵士を引き連れて、責任者が一歩部屋の中へと足を踏み入れる。礼儀正しくこそあるが、有無を言わさぬ口調。自分達が捕らわれの身であることを改めて再確認させてくれるため、二人はこの瞬間があまり好きではないのだが。
ニヤリ、と。
責任者の後ろでここがチャンスとばかりに笑った兵士の片割れと、無言で手に持つ銃を振り上げたもう一人の兵士がこの閉塞した日々の終わりをもたらした。
「ふんっ!」
「ぐぉっ!?」
予想外にというべきか、予想通りというべきか。思いっきり手加減なしで振り下ろされた銃把は人の意識とこの警備責任者の出番を狩り取るに十分な威力を持っていたらしい。悲鳴を一声、ばたりと倒れ伏した警備責任者はぴくぴくと痙攣を繰り返すだけのモノになり果てた。
突然の事態に、この部屋の主である二人は驚きを隠せない。これまで一度としてこんなことはなかったために想像が追いつかない。……いや、もしかしてと思うことはある。ただ、自分たちの身に本当にこんなことが起こるとは思えなかっただけのこと。
「き、君達は……一体」
思わず口を出た言葉。今こんなことが起きたということは、おそらく上で起きている騒動と無関係ではあるまい。彼らはきっと、地上での戦闘の隙に潜入し、自分達を助けに来た何者かなのだ。
あり得ないだろうと、半ばあきらめていたその想像が現実のものとなった。喜びとも戸惑いともつかない複雑な感情に振り回されていた二人は、ニヤリと顔を見合わせて笑いあい、服の肩のあたりを掴んだ二人のなんかやたら楽しそうな雰囲気に違和感を感じ。
「せいっ」
バサリと、一体どういう原理なのかマントでも剥ぐかのように変装していた服を脱ぎ、その下にISスーツとジャケットと上半身につけるホルスター状のベルトといういかにもスパイっぽい格好になった二人の少年を見た。
同時に、服の構造的にどう考えてもあり得ないこんな変身をしてのけたことからして、シリアスになりきれないのだなと、理解した。
「お待たせしました。ちょっと遅くなりましたけど、お二人を助けに来たIS学園の者です。荷物……はまとめてあるみたいなんで、付いてきてくれますか?」
おそらくそこらを歩いているのをとっ捕まえてひんむいて奪い取ったであろう警備兵の扮装をしていた二人の内の片方がそう語る。ちなみに変装を解いたら一瞬でサングラスまでつけているという謎仕様。彼らの中の何がそこまでお約束にこだわらせるのかさっぱり分からない。
……だが実のところ、助けられる立場にある二人はそれどころではなかった。
今まさに離したのとは別の一人。先ほど警備責任者を殴り飛ばした方の一人に、目が釘付けになっていたからだ。
「……どうしたんだ一夏、思いっきり見られてるぞ?」
「みたいだな。な、なんか失礼あったのかな?」
「アレだよ、今の一瞬でフラグ立てたんじゃね。一夏なら、ありうる」
「何言ってんだ真宏は」
ターゲットらしき二人のおかしな反応にこそこそと相談する一夏と真宏。普段ならばまた一夏が無意識にフラグを立てたのだろうと思うところだが、今回は女性の年齢があるいは千冬よりもうちょっと上にまでいっているくらいと見え、さらに男性もいると来た。さすがの真宏でも、二人まとめて一夏の魅力にやられたとは思いたくない。
「あ、あ……すまないな。ちょっと驚いただけだ。助けに来てくれたのならば嬉しい。撤退のルートは決まっているか?」
「荷物はまとめてあるから、すぐについて行けますよ。えーと、君達は……」
「IS学園1年1組、織斑一夏です」
「ついでに俺は神上真宏です。よろしく」
「織斑……一夏」
「一夏……くん、それに神上くん。……うん、よろしくね」
長きにわたる監禁生活から抜け出せるのだから、万感の思いはあろう。だがそれにしてもこの目の前の二人が真宏達、特に一夏に向ける視線には複雑な感情が籠っている。歓喜に震えているようにも、羞恥に縮こまっているようにも、あるいは怯えているようにも見える眼差し。一体どんな経緯があってこの人たちはこんな風に万感の思いを込めて一夏を見つめているのだろうと、真宏は考える。
つい数時間前、一夏のことを頼むと伝えた千冬の声を反芻しつつ。
「……まさか、ねえ」
女性の目元と男性の雰囲気が、どことなく一夏に似ているように見えると感じ始めていた。
◇◆◇
助けに来たはずの要人は、なんだか挙動不審でしたの巻。
そんなサブタイトルをつけたくなるくらいには奇妙な二人となんとか合流した俺と一夏はその二人をつれて、来た時とは違うルートを、来た時以上の慎重さで駆けていた。
俺が先行してルート上を偵察し、安全を確認してから二人と一緒に護衛についている一夏が追ってくる。ここまでくる間に軽く話した限りでも年単位で引きこもり研究者生活をしていたらしいが、それでも健脚を誇るお二方は割としっかりついてきてくれている。お陰で撤退ルートは問題なく進むことができているから助かることだ。
「やっぱり、こんなところまで来るだけあって二人はすごいね。僕はもう息切れそうだよ」
「それじゃあ、少しペース落としましょう。二人に何かあったら大変ですから」
「いや、その必要はない。危険は少ない方がいいからな、今は一刻も早くここを抜けることを考えた方がいい」
「で、でも……」
「心配してくれてありがとう。……その気持ちだけで、十分だ」
なんとなく、道中一夏とセットにしてみたかったからこの配置にしたのだが、結構正解なのではないかと思う。
十分警戒しているがゆえの小声で言葉を交わす三人はそれなりに仲がよさそうに見えるし。一夏はどうしてこの人たちのことをこうも気遣っているのかが自分でもよくわかっていないようだが、それでもしっかり二人を守ろうとしている。
「千冬さん……これひょっとして俺に爆弾預けてませんかね」
仲良きことは美しきかな。だが相手の正体を知らないまま仲良くなると、後々その人が実は不倶戴天の敵だった、なんてことにもなりかねないのが人の世の常。なんとなく、余計なこと喋られたらとんでもない地雷踏むことになるんじゃないかという不安がひしひしと感じられるんだよね。
……だって、この二人。さっきからずーっと思ってるけど、なんとなく一夏と千冬さんとマドカに似てるし。
もしこの人たちの正体が俺の考えている通りのもので、うっかり一夏がそれに気づいた場合どんな行動に出るか。さすがの俺も予想できないってばよ。
唯一の救いは、束さんあたりが「こいつらは悪魔だ!」とか言い出してもいつもの妄言とスルーできそうなくらいいい人たちっぽいことか。もしこれでこの人たちが無人ISのボディを乗っ取ってIS人間化したりしたらシャレにならない。
「ぅう……出口、どこだぁ~」
「っ!」
そんな呑気な逃避行が、一瞬にして終わりを告げる。
これまで慎重に警備兵がいないと思われるルートを選んで進み、あと少しで地上へつながるルートへ出られるという矢先。道の向こうから人の声が聞こえてきた。
こんなところで聞くとは思っていなかったほどに情けない声ではあるが、耳慣れぬそれが仲間のものである可能性は万に一つもなく、すなわち敵とみなすべきだ。
「……!」
手振りで一夏に警戒を促し、そっと通路の角に手鏡を伸ばして盗み見る。
対象までの距離は約10メートル。まっすぐで遮蔽もない通路の先を、なんか滅茶苦茶情けない感じでべそかいた女の子がうろうろしてる。
見てるだけですごーく疲れる感じだが、この状況。おそらくあの子もファントム・タスク残党の一人で……さらに首元に光るペンダントが見える。まず間違いなく、IS操縦者だ。そして迷子だ。
「どうする、真宏? なんかあの迷子のIS操縦者ずっと同じところぐるぐる歩いてるぞ」
「おそらく迷いに迷って途方にくれてるんだろ。IS任されてるとは思えないくらいの方向音痴らしいな……。このままじゃしばらくあそこを動かんだろうし……困った」
状況を確認してから一夏達の元へと戻り、簡単に報告する。相手は一人しかいないようだが、確実にISを持っている以上遭遇することが予測された敵の中でも最高クラスの戦力であると言っていい。
正直、どうしようもなくなった。俺達は元々敵との交戦など考慮した装備は持ってきていないし、ISだって敵に見つかるのを防ぐために持ち込んでいないのだからあいつに真正面から対抗するなど不可能だし、4人が固まってやり過ごすことなど夢のまた夢だ。
つまり。
「……俺が囮になる。いざとなったら白式も呼び出せるから、俺が行くのが一番いいだろ」
「一夏くんっ、何を!?」
誰かが囮になって、相手の注意をひきつける必要があるということだ。
その点一夏ならば遠隔転送可能な白式を有している。万一相手がISを展開して戦闘が不可避となった場合でも、最低限死なないでいるくらいのことならば十分に可能だろう。だからこその一夏の言葉。そうと知っていて、それでも心配せずにはいられないらしい要人の二人。
気遣わしげな視線と、一夏の決意を止めることなどできないだろうという諦観を同時に宿しているのがわかる。
……だけど、そういうときこそは。
「いや、俺が行く。一夏はこの二人を連れて行け」
「……真宏?」
他の誰でもなく、俺が名乗り出るのがお約束。
ここまでのやり取りは全て、相手に気付かれないように小声でのもの。無論今もそうであるのだが、このときの一夏の声にははっきりとした怒気が含まれていた。そこにあるのは、俺の無謀をなじる声。
「何考えてるんだ、相手はIS持ってるんだぞ。いくらなんでも、生身で囮をするのは危険すぎるっ」
「ああ、そうだとも。もしISと戦闘になった場合、対抗できるのはISだけだ。……忘れるなよ一夏。俺達の役目はこの二人を安全無事に連れ帰ることで、一番危険なのは今この場所じゃない」
「……っ」
この作戦を実行するにあたり、輸送機の中でではあったが作戦会議が行われた。
とはいっても具体的な潜入策などは光画部名物ならぬIS学園名物行き当たりばったりに頼らざるを得ない面が多く、情報が得られた限りの範囲でこの施設の警備状況や想定される危険を洗い出したに過ぎない。
その際この要人救出をするにあたって最も危険だと考えられたのが、脱出の瞬間だ。
地上へ出たときに箒達がISを一掃してくれていればいいが、そうでなければ最悪の場合IS同士の激戦のただなかにこの二人を連れて飛び込んでいかなければならないことにもなりうる。そしてその際なにより重要なのは、この二人を守ること。ISの戦闘とは今この地上において最も激しい戦闘であることに他ならず、その土俵に立つためには無論ISが必須。
一夏が白式をでその役目を担うより他に手段はない。
「わかってるはずだ。一夏は絶対最後までこの人たちと一緒にいなきゃいけない。千冬さんだって言ってただろ」
「でも……でも真宏が危険すぎる!」
「……安心しろ。俺の頑丈さは知っての通り。一夏は、絶対にこの二人の手を離すな。それだけ、約束してくれ」
「……」
一夏は頷かない。
友を死地に追いやるような選択をできるほど冷静でもなければ非情でもなく、安心しろという友の言葉に疑いを挟めるほど友達甲斐の無いヤツでもない。
うつむき気味に黙ったままの一夏。俺達に助けられた二人はそれぞれに一夏のことを心配していて、俺にも不安げな目を時折向けてくる。
だが俺は不安なんてない。ただ黙って笑って頷くだけだ。
……多分だけど、この人たちと一夏を引き離しちゃいけない。それが千冬さんが俺に望んだことで、きっと俺は二度と得られない絆の形を、今再び取り戻しかけている一夏にしてやれる唯一のことだろうから。
「迷子の迷子のIS使いさん。あなたのお家はどこですか」
「え、この施設の一室を借りて住んでるけど、いまだにどこなのかよくわからなくて……って、おまえは誰だ!?」
注意をひきつけるため、可能な限り相手の意識を引きつけられるよう、場違い極まりない風を装って声をかけた。関係者以外立ち入り禁止もいいところな秘密結社の施設内に、見慣れない格好をした妙な男が一人でふらりと現れたのだ。さすがにISを任されるだけはあると言うべきか、相手は涙を振り払って即座に警戒態勢。胸元に揺れる待機状態のISに指先で触れ、すぐにも展開できるようにしている様は抜き打ちの姿勢にも似ている。
「……ついさっきまでただの迷子だったのに、君って結構強かったりする?」
「なっ、誰が迷子だ! 私はこう見えて、ファントム・タスクでも少ないISを任されてる者なんだからなっ!?」
IS操縦者なせいもあってか年の頃は俺と同じくらい、あるいは少し下程度と見てとれる。ファントム・タスクには制服的なものがないようでスーツ的な服装に活動的なショートカットの髪。眼に宿る光のうち、さっきまで半べそかいてたことによる涙の作用は何割か。ツリ目気味なのは恥ずかしいところを見られたという羞恥の心もあるからだろうで……おかげで突然現れた俺のことに集中して、別ルートに進んだ一夏達のことには気づいていないようだった。
あとはこのまま、しばらく時間を稼げばいい。
「まあそんなのは知ったこっちゃない。……行くぜっ! ファイヤーボム! ボンバァアアアッ、シューーーーーートッ!!」
「問答無用で手榴弾!?」
とりあえず、挨拶代わりには爆発を。
さっきからこそっとピンを抜いて用意しておいた手榴弾を、とにかく全力でぶん投げる。狭い通路の中での爆発物。ISを展開していれば死にはすまいが、まさか生身の俺がこんなものをいきなり出すとは思わなかったのだろう。反射的に何かを叫んでいたようだったが、残念ながらその声は文字通り爆発的に広がった轟音と熱波に遮られ、俺の耳には入らなかった。
「まさかいきなりこんなことをするなんて……っ。しかも、ISを展開した私を前にして生身のまま逃げようともしない。正気か?」
「いいや。……勇気だっ!」
「あれ、会話が通じてない!? なんかめちゃくちゃ暑苦しい!」
実際のところあの爆発は俺にとっても危なかった。あらかじめ身を隠せそうな横道があるとわかっていたからちょっと爆風に体中炙られるぐらいで済んだが、もし至近距離で直撃していれば生身の人間なぞ木っ端のように吹き飛んでしまう。俺が生身で潜入すると知ったワカちゃんがお守り代わりと持たせてくれた二つのアイテムのうちの一つで、頼もしさは際限ないのだが物騒さもまた同様である。
無論、それほどの火力であっても、相手がISを展開していれば大したダメージになどなりはしないのだが。
爆炎を振り払って姿を現したのはラファール・リヴァイヴ。さすがに本隊が解体されたために専用機の類は持ち合わせがないのかノーマル状態のもののようではあるが、生身の俺にとっては全く歯が立たないレベルの敵であることは間違いなく、しかも目の前に放り投げられた手榴弾に慌てることなくISを緊急展開できる判断力。いい年こいて迷子になる割に、実力はしっかりしているのだろう。
「しかし戦うことだけが勇気じゃないってどっかの長官も言ってたし、スタコラさっさだぜぃ!」
「なっ、待て!」
ISの機動性は密閉空間であろうとさして低下するものではない。PICの恩恵による慣性を半ば無視したUFOのような軌道は、直角な通路の曲がり角でも減速することなしに追ってくる。
土地勘がないうえに無駄に入り組んでいる地下施設の中を、とにかくISから逃れるためがむしゃらに突っ走る。結構ちゃんと整頓されているせいか遮蔽物などまるでなく、とにかく曲がり角がある度に考えなしに曲がっていくことだけがせめてもの抵抗。こちらが生身であるため本気を出すまでもないと相手が考えているのが不幸中の幸いだ。
そうでなければこの逃走は一秒も持たずとっ捕まえられて終わっていただろう。
「おいこらっ、いつまで逃げるつもりだ! いい加減にしないと撃つぞ!」
「お好きにどうぞっ! だが俺を撃ったとして、あんたはここから一人で目的の場所まで迷わず行けるのかな!?」
「……謀ったなぁ!?」
そして、俺ですら自分が今どこにいるかわからなくなってるんだから、自分が所属する基地の中で見事迷子になっているこいつならばもはや生きて地上の光を拝めるかすら怪しいところだろう。
ばっちり俺を追い詰めてはいるが別の意味で追い詰められていることを悟ったIS操縦者。さすがにもはや手加減は無用と判断したか、あるいは八つ当たり気味な怒りによってか。ついにアサルトライフルをその手に展開した。
無言でかつ素早い量子展開。IS学園においてラファール・リヴァイヴは打鉄とならぶ練習機だからつい同級生やらを技量の基本と思ってしまうが、こいつは明らかにそういう手合いよりも早い。アサルトライフルとはいってもIS用。口径は人間が扱う物を軽く越えた代物で、撃ちまくればコンクリートの塊ですら豆腐かなにかのようにぐずぐずに破壊できるのだから、人体に当たればそのあたりの肉から骨からまるごとごっそり抉っていくだけの威力が込められてもいる。
それほど強力な弾丸が、情け容赦なく降り注ぐ。
「ハーッハッハッハァ!」
「この状況で笑う……っ? なんか本気で相手したくなくなってきた!」
笑ってるんじゃない。悲鳴を喉から出る寸前に無理矢理笑い声に変えてるだけだ。超怖い。
なにせフルオートで吐き出される弾丸が、壁やら天井やら床やら場所を選ばず、走り続ける俺のすぐそばをかすめていくのだ。ISの火器管制能力と照準サポートからすれば走る人間程度の的に命中させられないなどということはありえないので、つまりこれは威嚇だろう。
それでも超音速の弾丸は体をかすめる度に衝撃波を全身くまなく叩いていくし、お陰で耳もほとんど聞こえなくなった。はじけるコンクリートの破片が突き刺さり、怖すぎて視界は暗く狭まってくるし、カッコつけて囮なんか引き受けるんじゃなかったと心の底から後悔が湧きあがっても来る。
必死に振り回す手足は冷たくなって末端の感覚なんてとっくにない。多分転んでも気付けない。
……だがそれでも、俺は一夏とあの二人を引き離すことだけは、したくなかった。
確信はない。だがそれでもあの三人はずっと一緒にいるべきなのだと、これまではそんな当たり前が果たされていなかっただけなのだと、俺の勘が叫んでいる。
生憎と理屈よりも勢いとロマンこそが行動原理の根本に来るのが俺という男。そうだと信じたのならそれそのままに行動するべきで、まさに信じるものに身を投じている今は、不安と恐怖に押しつぶされそうでありつつも、結構スカッとする気分でもあるのだった。
「んなろっ、これが最後の手榴弾だ! くらっとけ!」
「また同じ手か、無駄だ!」
さっきほどもったいぶることはできないほどに焦っていたが、それでも角を曲がり際に投げつけた手榴弾。通常の手榴弾を大きく越える威力を誇っていた先ほどのものを思い出してか、脅威と感じてこそいないようだが警戒はしているらしく、ちらりと振り向いたときにラファール・リヴァイヴの盾を構えているのが見えた。おそらくあのまま手榴弾は盾にぶつかり、大してダメージを与えることもできずに終わるだろう。
……そうだとも。もとよりあれは「そういうもの」なんだから。
カンッ、と盾に手榴弾が弾かれる音を聞いたとき、俺は既に角を曲がった先で身を伏せ目を閉じ「口をふさいで」いた。
なぜならばこの手榴弾が解き放つのは爆風ではなく。
「ッ!? キャアアアアア!?」
光を放つ特殊微粒子、マドカに分けてもらったジュエル・スケールだからだ。
ISには万能にして高機能なハイパーセンサーが搭載されている。
元々は宇宙空間で、下手すると光年単位で離れた彼我の存在を確認するために存在するので極めて性能が高いのだが……それは当然、目の前の人間一人を補足するために使うようなものではない。
俺を追いかけていたラファール・リヴァイヴは頭に血が上っていたことと、俺を逃せば自分が遭難しかねないという不安も手伝ってかなりハイパーセンサーの感度を上げて俺の姿を捕えていたことだろう。ISにとって操縦者でもない人間は所詮取るに足りない一生物。人が足元の蟻を見つけるためには目をこらさなければならないのと同じ原理だ。
一方、ジュエル・スケール。
これはれっきとしたIS由来の物質であり、エネルギー拡散の性質なども合わせてISの目からして見れば、人間よりもよほど存在感が濃い。
対人仕様で感度を上げているところにそんなものが自分を全方位くまなく包み込む勢いで吹きだしてくればどうなるか。
その答えがラファール使いの悲鳴。
ハイパーセンサーがフィルターしきれなかった過剰な情報の流入による、脳への多大な負荷だ。
「くっ……この、小癪なあっ!」
ただし残念ながらISは優秀で、そんな状態が長く続くはずもない。光が逆流するようなこともなくすぐさまリカバーされて、相手のちょっと怒った声がジュエル・スケールのキラキラ輝く粒子と、それを吹きだすために炸裂した火薬の噴煙の向こうから聞こえてくる。
この領域から移動されてしまえば何枚壁を隔てていようと俺を見つけ、今度こそ八つ裂きにされるんじゃないかと思うが、今はまだ警戒してハイパーセンサーを使っていない。
……ん? なんでわかるかって?
そりゃあ、まあ。
「おおりゃああああああっ!!」
「なっ、突っ込んできた!?」
俺は逃げも隠れもせず、ハイパーセンサーをまともに起動させていればさすがに気付けるだろうくらいまっすぐ、相手に突っ込んで行ったからさ。
じゅう、という音は爆発の影響で熱せられたジュエル・スケールの粒子が触れる端から俺の肌を焼くときに発するものだ。正直、全身くまなくものすごく熱くて痛い。
だがいまさらなんだ。恐怖の感情はとっくにメーターをレッドゾーンまで振り切って逆に楽しくなっている。友のためという言葉を免罪符に、絶対勝てない敵に挑む立場に酔いしれた脳はアドレナリンを際限なく垂れ流して目の前の敵を倒せと叫ぶ。
出来もしないのに、と笑う者は生憎とこの場に居合わせていない。それをいいことに俺は、ワカちゃんが俺に持たせてくれたお守りパート2を腰の後ろ、ジャケットの内側から抜き出し相手のどてっ腹に突きつける。
「な、何をっ!」
驚かせて済まないと思う。
だが生身の人間がISに肉薄するなんて奇跡は、密閉空間という地の利を生かし、無理矢理怒らせて動揺を誘い、殺傷能力は低いとはいえ爆発の中に身を投じるという無茶を重ねて、さらに運が良くてやっとなしうるほどのものだ。
だからこの機会に、相手の腹部装甲に正面からゴツリとぶち当たった大口径拳銃の威力を存分に試させていただこう。
ワカちゃんが俺にくれたお守りは二つ。
普通のものよりも威力が高めで、ISに対しても牽制くらいにはなるだろうという触れ込みの手榴弾、ファイヤーボム。
そしてもう一つがコレ。口径12.7mm、対戦車ライフルに使われる弾丸に蔵王特性の火薬をなんか物理法則を無視したかのような量を詰め込み、同体積の金より重いという触れ込みの強装弾を修めた、化物拳銃。
どこぞの国に存在したとかしなかったとか噂される対戦車歩兵を有する特殊部隊の制式装備の名にあやかり、ぶつかるくらいに近づけなければ多分当たらないという特性もあって付いたその名は「ドアノッカー」。生憎と青い炎のランタンはないけどね。
これを使うコツはただ一つ、怖いということを一瞬だけ忘れること。
そうすれば。
「――食らえ!」
「っきゃああああ!?」
音ではなく、空気を砕く衝撃波が直接体を叩いた。
着弾時のそれと発砲による反動は右手を跳ねあげ、気付いたらなんか背中側にすっ飛ばされている。肩に走る激痛からすると、むしろちぎれていないだけ儲けものなのだろう。
なにせ、すぐ目の前、息がかかるほどの距離にいるラファール・リヴァイヴが今の一撃で確かに傷を負うほどなのだ。
胸部装甲に入ったヒビ。小さいが、それでも紛れもないダメージだった。
だが、奇跡には制限時間がある。
「この……! 調子に乗るな!」
「ぐえっ!?」
傷を与えたとはいってもほんのわずかのこと。ISの機能に支障を来たすほどのものではなく、操縦者がわずかでも冷静さを取り戻せば元あるべき力を取り戻し、しがみつく俺の首を掴んでゴミのように投げ捨てる程度のことは簡単にやってのける。
やっぱり、勝てないよな。
地面と水平に、廊下の端の扉に向かって飛んでいくのを感じながら、俺の心に浮かんでくる感想はそれであった。意外なことに、俺は割と本気で勝つつもりでいたらしい。無論、今この瞬間も。
ゆえに俺は空中でヘソを覗き込むようにして体を丸め、少しでも衝撃に耐えられるよう気合を込める。正直もう武器もなく、勝てる道筋なんて欠片も見えない。それどころか一夏達を逃がすという当初の目的はほぼ達成しているから無駄に頑張る必要はないのだが、それでもこのときの俺は、こう思っていた。
――絶対に、負けないっ
我ながら、本当に度し難い。
◇◆◇
「はーっ、はーっ……」
ボールでも投げるように人一人を廊下の向こうへ投げ捨てた体勢のまま、ラファール・リヴァイヴの操縦者は荒い息をついていた。
世界最強の兵器たるISの担い手がこれほどに消耗する戦い。その相手が生身の人間だと言って、一体誰が信じるだろう。なにせ彼女自身ついさっきまでの現実が夢か何かだったのではないかと、半ば本気で思っているのだ。
ISに追われても戦いを諦めない闘志。自分のすぐそばを弾丸が跳ねても萎えない足。今もって正体がはっきりとはわからない謎の手榴弾と、その爆炎を突っ切ってまで肉薄し、生身で使うには危険に過ぎる反動を持つ拳銃を躊躇い無く使う執念。
どれ一つとっても彼女の知る人間の、男の為せる所業ではなかった。
あいつはISを恐れないのか。ISに戦いを挑むつもりなのか。
……ISに勝つつもりなのか。
そんなあり得ない空想が脳裏をよぎった。
自分が負けるとは思えない。あり得ない。隔絶した力の差は奇策によって近づかれることを許したが、それでも越えられない絶対の違いがある。
だが、それでも。
自分が投げたあの相手は、死んだのだろうか?
確かに人間が数メートルを放り投げられて扉に激突して部屋の中まで放り込まれたのだから、普通に考えて無事なわけがないどころか命の危険をこそ案じるべきだ。
それでも奴は生きている。あのぽかりと開いた闇の向こうで勝機を窺っている。その確信が彼女を動かした。
ただの手負いの人間に対してするものとは自分でも信じられないほどの警戒を伴って接近。部屋の中を慎重にハイパーセンサーで探り、動体反応がないことを確認した。それどころか生命反応も微弱で、ISによって光学補正された視界の中、棚や何かが崩れて積み重なった山の中に半死半生のあの男がいるのだとはっきり分かる。
手にはアサルトライフル。この部屋に踏み込む前にマガジンを交換してフルに弾をぶちまけられるようになっている。その銃口を油断なく荷物の山に向けて一歩一歩ゆっくりと近づいていく。
鬼が出るか蛇が出るか。ハイパーセンサーによって光量が補正され、目標がどこにいるかを示すワイヤーフレームも表示されている視界の中央から一時たりとて逃さぬよう慎重に慎重に進み。
ピクリ、と相手が動いた一瞬後。
突如瓦礫を吹き飛ばして伸びてきた「ISの拳」に、驚愕の声を上げる間もなく殴り飛ばされた。
「なっ、やはり生きていたか、貴様!」
「当然。……まさか、こんな風になるとは予想外だったけどさ」
咄嗟のガードは間に合わなかった。だが辛うじて後方に飛び退ることにより、ダメージは最小限にとどめられている。相手から視線を逸らさないまま、素早くステータスをチェック。機体自体のダメージはほぼないが、シールドエネルギーはまともに殴られたわけでもないというのにかなり減っている。あの男の腕力にものを言わせただけの拳がそれだけ削り取ったということだ。恐ろしくて涙が出る。
なぜならば。
「打鉄……か、なんだかんだで使うのは初めてだな」
左手で右手首を掴み、右手を素早く握って開いて動きの調子を確かめる男。
そいつが身につけているのは紛れもなくIS、打鉄。この基地に配備されてはいるものの、IS適性が十分に高いパイロットの方が少なかったため予備として保管されていた機体の一つを、この男はまんまと土壇場で起動させたのだ。
「貴様、ISを動かせるということは……『世界で最初にISを動かした男』織斑一夏か!?」
「いや、俺は一夏じゃない」
「そうか、つまり貴様は……『妖怪ロマン男』の神上真宏か!」
「え、なにそんな名前広まってるの? あながち間違ってるとは言えない気がするけど。てかIS動かせるっていう情報まったく混じってなくね? ……まあいいや、一応自己紹介だ」
打鉄の動きを納得したらしい男、神上真宏はそのままラファール・リヴァイヴをまっすぐ見据える。不敵な笑みを顔に浮かべ、拳を突き出して見せる真宏の顔は不思議とさっきまでと変わらず、やはりこいつは立場の違いなど関係なく自分に勝利するつもりだったのだとはっきり分かる。
そんな馬鹿が、名乗る。
「俺の名前は神上真宏。慣れない量産機で戦うってのも、男のロマンだ!」
叫ぶ声に隠しようもなく混じる喜色に、ラファール・リヴァイヴの操縦者はここからが本当の勝負所なのだと、泣きそうな気分で理解したのだった。