IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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番外編 その三「シロガネアドベンチャー」

 子供には子供の世界がある。

 大人もみな、そこを通ってきたのだ

 

                  とある童話全集のまえがきより

 

 

◇◆◇

 

 

「白鐡ェェェェ―――――――ッ!!」

「うわぁっ、なんだ真宏!?」

 

 バーンと高らかに扉をぶち開けて、一日の授業とIS自主訓練を終えて学園から寮へと帰り、一息ついていた一夏の部屋に侵入した者がいる。

 いまだに時々同じ寮に寝起きする女子達が遊びに来たり忍びこんだりといったことが何度かあり、その度無自覚に貞操の危機に陥っている一夏であったが、その時の叫びにはむしろ命の危険を感じるような成分が大量に含まれていた。

 

「白鐡ェ……どこ行ったぁ……っ!」

「いきなり入ってきたと思ったら何を言ってる!? ……って、白鐡がどうかしたのか?」

 

 そこまで一夏をビビらせた者は誰あろう、IS学園に籍を置く人間の中で一夏との付き合いは千冬に次いで長い、一番の友であるはずの男たる神上真宏だった。

 普段は騒動を楽しむちゃらんぽらんな態度か、騒動に燃えるロマン体質な態度のどちらかしか示さない真宏は今、一夏ですらそうそうお目にかかったことのないおっかない顔付きをしている。

 猫背気味に曲がった背筋を獰猛にたわめ、ぎょろりと室内を見渡す瞳は獣そのものの光を放ち、どこぞの汎用人型決戦兵器が暴走状態に陥ったような有様であった。

 

「いない……。ちっ、白式辺りに泣きついてるかと思ったが、ここでもないとは……。騒がせてすまんな、一夏。白鐡が……ちょっと」

「いや、騒々しいのは別にいいんだが……また白鐡がなんかやったのか」

 

 真宏がその身に蓄えた感情は紛れもなく怒りであり、その矛先はここにいない白鐡を向いているということ、一夏にははっきりと感じ取れた。

 ……なにせこんな感じで真宏が部屋に押し掛けてくるのは、今日が初めてのことではないからだ。

 

 強羅のセカンド・シフトに伴って現れた自律型機動ユニット<白鐡>は、自分の意思と呼ぶべきものを持っている。知性がどの程度の水準なのかはよく分からないが、戦闘においては真宏の命を受けて飛び、自分で考えて囮になり、翼の端の刃を振るって戦うくらいのことは軽くやってのける。

 そして普段は、何故か部分展開すると小さなデフォルメモードとなって姿を現し、旺盛な好奇心のままに人にすり寄り、面白そうな物に興味を示して近づいていく。

 

 白鐡のことを真宏はとても可愛がっているし、それは他の専用機持ちやIS学園の生徒も変わらない。強羅が模擬戦の相手となったときの白鐡は厄介極まりないが、それ以外のデフォルメモード時はいたって可愛らしいメカペットという趣なのだからして。

 

 が、一つ問題がある。

 それは、白鐡の旺盛な好奇心が時に「いたずら好き」という形で現れることだ。

 髪を引っ張る、服に張り付く程度ならばいざ知らず、真宏の部屋のフィギュアをつついて落としてしまい、白式を有する一夏の元に泣きついてきたことが既に3度ある。

 だから、真宏が部屋に押し入ってきてすぐのときこそ驚いたものの、一夏は既にこの真宏の行動がいつものように白鐡がはしゃぎすぎ、逃げ出したのを追いかけている最中なのだろうと察しがついた。

 

 大方今度は真宏のデュエルモンスターズのデッキをひっかきまわしたか、部屋の戸棚に並ぶ自慢のプラモデルに悪さでもしたのだろう。

 昔、互いの家に行き来しては些細なことでケンカをして、あまりエスカレートすると千冬に二人もろとも拳骨を叩き落とされて強制的に仲直りさせられていた頃のことを、一夏は思い出す。最近では一夏も真宏も大分丸くなってあの頃のように大喧嘩をすることはあまりなくなったが、白鐡と真宏のやり取りはあの頃の自分達にどこか似た雰囲気があり、一夏は年齢不相応に懐かしい気分を味わった。

 

「……ここにもいないか、仕方ない。もし白鐡を見かけたら呼んでくれ」

「ああ、分かった。でもあんまり怒ってやるなよ?」

「ふん、わかっとるわい」

 

 一夏の指摘に、真宏は拗ねたように鼻を鳴らす。

 ああして怒った様子で白鐡を探している真宏であるが、その実もうさほど怒りの感情は残っておらず、むしろどこへともなく飛んで行ってしまったらしい白鐡への心配の方が強い。

 怒りや恨みといったネガティブな感情が長続きしないのだ、神上真宏という男は。

 

「まったく、どこをほっつき歩いてるんだ、白鐡の奴は……」

 

 だからこそ、その言葉は無性に寂しそうだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 では、実際白鐡は今どこにいるのかというと。

 

――きゅ、きゅー……?

 

 ぶっちゃけ、当の白鐡自身もわかっていなかった。

 

 

 今日の白鐡は、まず真宏の部屋へと部分展開状態で出現してから、遊ぶことしばし。

 生まれたばかりであらゆる物が珍しく、好奇心のままにふるまう白鐡は真宏の部屋がとても好きだった。マスコット並のサイズになっている自分が背中にしがみつくのにちょうどいい大きさの強羅のフィギュアや、その他大きかったり小さかったり「穴」みたいな形だったりのロボのプラモ達や、やたら大切にしているデュエルモンスターズのカードに描かれたカッコいいモンスター。

 どれもこれもが白鐡の心を楽しませ、だからこそたまに勢い余って悪さをしてしまったりもする。

 プラモの周りを飛び回っている最中にうっかり接触して床に落としてしまったり、カードを咥えて傷をつけてしまったり。

 

 しかし真宏は割と鷹揚なので、その程度のことで怒ることはあまりない。

 真宏が怒るのは、そのプラモが特に大事にしている物だったり、触れれば折れそうなほど脆そう[フラジール]だったものだったときだけだ。取り返しのつかないようなことを平然とすることだけは許さない、と。

 

 確かにそれは正当なものではあるが、しつけとしての叱り方に、白鐡はいまだ慣れずに驚いてしまう。

 あるときは部屋の隅で縮こまり、またあるときは白式のいる一夏の部屋へとふらふら飛んで押しかけて、ほとぼりが冷めるのを待つ。そうすると、真宏は不満そうにしながらも白鐡のことを迎えに来てくれる。それが、いつものことだった。

 

 そして今日。白鐡は例によって真宏に叱られ、驚いて部屋を飛び出し――今はどういうわけか、海の上を飛んでいた。

 

 別に海の上に白鐡があること自体はおかしくない。IS学園は丸ごと島一つを敷地としているのだから、少し歩くだけでもすぐさま海へと出てしまうことになる。

 ただ問題は、この状況が白鐡にどういう影響を与えるかだ。

 

――きゅー、きゅー?

 

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、ふらりふらりと海風に頼りなく揺らされながら飛んでいく白鐡。

 本来は強羅の機体をすら迅速に動かす大出力スラスターを備えた鋼鉄の怪鳥たる白鐡であるが、今の状態では機能も能力も著しく制限されているため、沈みゆく夕陽の光を乱反射させる海の上でまともに自分の位置を把握しながら飛ぶことすら困難だ。

 センサーが探知するのはカメラアイが光学的に認識できる範囲と大差なく、周囲の地形情報もインプットされていないためどちらに向かえばIS学園に帰れるのかわからない。

 ある種自分の宿主たる強羅のコアの気配は何となく感じているのだが、あちらは展開状態にあるわけでもないからか反応は微弱で、これもまた行き先を示す指針となってはくれない。

 

――きゅぅ~……

 

 左右に首を振って周囲を見渡しながら、不安げな声を発する白鐡。その有様は、生まれて初めてうっかり家の外に出て、その空気にビビりまくっている筋金入りの家猫のようであった。

 最初こそ大声に驚いて飛びだしてしまったものの、決して嫌いになどなっていない真宏の元へと戻りたくてしょうがない。だがどちらに進めばいいかは分からず、あてどなくふらりふらりと飛んでいく方向がIS学園とは全くの逆だなどとは、夢にも思えない。

 

 せめてもっと早いうちに地上に降りていられれば良かったのだが完全に後の祭り。今の白鐡は、まごうことなき迷子である。

 

 

 そして、白鐡が迷子になったこの瞬間から、物語は始まりを告げる。

 

 

◇◆◇

 

 

 空気が一日一日寒くなる、秋から冬への境の時期。

 この時期になると日が暮れ始めてから暗くなるまでの時間は予想をはるかに超える早さとなって、時間が不思議な様相を見せてくる。

 だから世の母親たちは、自分の子供に重々言いつける。放っておけば友達の顔が見えないようになって初めて夜になっていることに気付くようなことがないよう、外で遊び呆けるような元気の有り余っている子供達に、暗くなる前に家へと帰るようにと。

 まして寒さが厳しくなり始めたこの時期は風邪も引きやすい。我が子にそう言い含めることは、人としても親としても至極当然のことだった。

 

「うぅ……寒い。それに、ちょっと暗くなってきたなぁ……」

 

 今日ここにも、そんな母から聞かされた言葉を思い出し、家路を急ぐ少年が一人。

 生地が詰まった暖かい長袖に洗いざらしのズボン。首元にはマフラーを巻いて寒さに頬を赤くしながら、友達と別れるときにめいっぱい振ったせいで冷たくなった指先を擦り合わせつつ、家路を急ぐ。

 

 特別目を引く特徴があるわけでもない、元気と大好きなヒーローへの気持ちが一杯に溢れたごく普通の少年だ。

 ただ敢えて同年代の子供達と違う点を挙げるならば、少年はこれまで、世界で二人しかいない男性IS操縦者の内の一人が操るIS、強羅が公式に姿を現した二回のイベントのどちらにも参加したことがある、ということだろうか。

 

 そう、この少年はIS学園の文化祭にて強羅と出会い、キャノンボール・ファストにおいて強羅に守られた、あの少年だ。

 

 数奇な縁によって少年が今最も憧れているヒーローと印象的な触れ合いを何度か経験しているが、それ以外は至って普通だ。

 母が待つ家に帰って宿題をすませ、温かい夕食を食べて風呂の湯船に浸かって100まで数え、寝付く前に父親が帰ってきたら二人で強羅の話をしたり母も交えて三人でテレビを見て、ぐっすりと眠る。

 当たり前すぎて意識することこそないが、だからこそ尊い温かな家庭の中で育っている、そんな少年だった。

 

「まあでも、間に合うか。……夕飯あったかいものだといいな」

 

 角を曲がるともう屋根が見え始めた一軒家。あそこに帰ったら手を洗ってうがいをして、母が作る夕飯の手伝いをしなければと、そう思う。

 

 そして、もしいつも通りの時間が過ぎていくならばきっとそうなっていたことだろう。

 

 

――……

「……ん?」

 

 帰ってきたことを告げるため、インターホンに伸ばした手を止める。

 玄関の脇にある植え込みの下で、何かがカサリと音を立てたからだ。

そういうことはこれまでにもないではない。少年の家の近くには猫やら鳥やらが普通に見られるし、何か生き物がそこに潜んでいたとしても、何ら不思議はない。

 

 だからいつもならふと眼をやって、目につくものが無ければあっさりと無視していたはずだ。

 しかしその日は何故か違った。その薄暗がりの中にいるだろう、まだ見ぬ何かのことが妙に気になった。

 

「何が……いるんだろ」

 

 おずおずと、手を伸ばす。

 両親が手入れをし、時々植え替えもしているために花と植木が元気に育ち、葉が茂っているために謎の音がした位置は、沈み始めた夕陽の光の影になっている。

 いまでははっきりとかさかさ落ち葉が擦れる音が聞こえるその中に、少年はなんら警戒なく指を差し込んで。

 

――きゅ……かぷ

「……っ!!!?」

 

 指先が何か固いものに挟まれて、声なき叫びをあげるのだった。

 

 

「た……ただいま~」

「あら、自分で鍵を開けたのね。おかえりなさい」

 

 少年の母親は、物事に動じない性格をしている。なにせ、いい年こいてものすごくいい笑顔で強羅のプラモデルやら何やらを子供のためと称してちゃっかり自分の分も含めて手に入れてくる少年の父親を平然と受け止められる人なのだ。

 そのおおらかな気質は良くも悪くも常に発揮されており、たとえ父親が仕事の都合で連絡なしに帰りが遅れても笑顔で出迎えて、少年と強羅談義に花を咲かせていても容赦なく風呂へ入れとけしかける、少年が知る限り最強のマイペース人間だ。

 常々泰然とした、ある意味少年にとっても憧れるにたる堂々とした立ち居振る舞い。だからこそ、母が夕飯の支度をしている台所にひょこりと首を出して、声をかけるというより母の様子を窺うようにしていることに関しても、母は何も言わなかった。

 

「手は洗った?」

「うん」

「うがいは?」

「した」

「……そう。ご飯できるまではまだかかるから、待っててね。お父さんは今日ちょっと遅くなるらしいわ」

「は、は~い……」

 

 ただそれでも、ぱちりと大きく開いた母の目が一瞬だけ細くなったあたりから、色々と見透かされている気はしないでもない。本来ならば隠しごとなどできないほど勘が鋭く、父がこっそり内緒で買ってきたおみやげなどことごとく見抜く母なのだ。

 だが、本当に少年のために買ってきてくれたものは見逃してくれたりするから、多分今回も大丈夫だろうと、少年は信じて母の前へと顔を出した。

 

 これで、一晩くらいなら許してもらえるはずだ。たとえ、捨て猫の類を連れ込んでいたとしても。

 

「ふぅ……出てきていいよ」

 

 まあ、実際には捨て猫どころではないのだが。

 

 自分の部屋へと入った少年は、背負っていたランドセルをそっと勉強机の上に置いて、声をかける。

 小学校に入るときに買って貰った、木製の机。小学生男子らしい使い方をしてきたために傷や落書きこそ多いが、それでもいまだ十分に使える優れ物だ。この机とベッド、そして強羅のプラモと、少年と強羅が握手をしている写真が飾られた本棚にタンスがこの部屋の家具の全て。

 そんないかにも子供部屋といえる部屋の中に、少年はとても珍しい客を迎えている。

 

――きゅぅー

「わ、やっぱり機械の鳥だ。……おもちゃみたい」

 

 か細い鳴き声をあげ、開いたランドセルの奥から教科書の上をのたのたと這いずって出てくる何か。

 細い首と、前を向いた羽。デフォルメされている上に機能は封印されているようだが、尾羽の横にはスラスターの噴射口のような形も見える、手のひらサイズの鳥型メカだ。

 

 改めてじっくりとその姿を見て、少年は確信する。

 このデザイン、間違いなく最近セカンド・シフトした強羅の新たな武装、白鐡だ。

 

 白鐡という名の鳥型自律機動ユニットが強羅のセカンド・シフトに伴って現れたという情報は世間に公開されているが、部分展開した場合にデフォルメモードになるなどという話はさすがに公にされていない。

 だが、ラジコンでもなんでもなくこのサイズで自律的に動いているらしいどう見ても白鐡と同系列のデザインのメカ。強羅と、ひいては白鐡と関係があると考えるなというのが無理な話だ。

 

「ねえ、一体どうしてあんなところにいたの?」

――きゅ?

 

 机の上に出てきた白鐡に顔を寄せ、少年は問いかける。

 きょろきょろと部屋を見渡して、少年には首を傾げて見せるこの白鐡のような何かが家の植え込みにいた理由を聞いても、その言葉の意味を理解できているのかどうか。

 なんか可愛らしいから許したくなるのだが、さすがにそうやって流してしまうわけにもいかないだろう。

 

 

 ……あの時は、本当に驚いた。

 植え込みの中に何かがいるのはわかっていたし、それが猫か何かであれば噛まれるかもしれないと覚悟はしていたつもりだった。

 だが、指先を軽く噛まれて驚いて引っこ抜いた手に、こんなおもちゃなのか金属生命なのかわからない物がくっついていたのだから、少年も自分の目を疑おうというものだ。

 

 驚きすぎて逆に叫ぶことすらできなかったのは幸運なほう。

 そうでなければ、この白鐡が母に見つかり、騒ぎになり、ご近所総出で家に押しかけられていただろう。

 ふよふよと浮かび、部屋の中を飛び回って様子を窺っている好奇心旺盛な姿を見ながらそう思う。なにせ、もしこいつが本当に強羅と関係があるのならば国家レベルの騒ぎともなりかねないと、少年ですらわかる話だ。

 思わず家の中に連れて来てしまったが、一体どうしたものなのかはどうにも判断が付きかねる。

 

 ……しかし。

 

「……ね、ね。ちょっとこの強羅のプラモデルの背中にくっついてみてくれないかなっ?」

――……きゅー!

 

 とりあえず、今はなによりこのおもしろそうな奴と、仲良くなってみたかった。

 

 

◇◆◇

 

 

 この出会いを、少年と白鐡は心から楽しんだ。

 少年は白鐡になにくれとなく話しかけ、白鐡はその言葉の意味はよくわかっていないだろうが、優しくしてくれる少年によく懐いて、すぐに仲良くなれた。

 

 白鐡は真宏に叱られてIS学園を飛び出しあてどなく飛んでいたはいいものの、強羅から離れすぎたせいでエネルギー供給が心もとなくなり、飛行を維持できなくなって落下。落ちた先がちょうどこの家の植え込みの中だったのだ。

 そのまましばらく、状況が分からず縮こまっていた白鐡。目の前に指が伸びてきたときは何ごとかと驚き思わず噛みついてしまったが、大して力が入らなかったこともあって相手を驚かすだけに済み、今に至る。

 

 少年と白鐡のどちらにとっても、この出会いは幸運だった。

 少年にとっては、あこがれの強羅と近しい白鐡に会えたことはそれだけで嬉しいことで。

 白鐡にとっては、強羅のファンであるために事情をあらかた察することのできるこの少年に見つけてもらえたことは、身の安全その他のために最適であったといえよう。

 

 少年も白鐡も、当事者二人はそんなことを全く意識せず、しかし最良の結果をここに導きだしているのであった。

 

 

 白鐡を家に招いたとはいっても、少年は白鐡をずっと隠しておけるなどとは考えていなかった。友達がこっそり捨て猫やら捨て犬やらを家に連れ帰ってもすぐ親に見つかったという話は聞いていたし、特に少年は自分のあの母に隠し事をしておけるなどとは夢にも思わない。

 そして何より、白鐡は強羅の相棒だ。どんな事情で白鐡がここにいるのかは知らないが、きっと今頃強羅も必死に白鐡のことを探しているだろうと思う。

だから、明日になったらIS学園に連れて行こうと、少年は一人そう決意するのだった。

 

 白鐡の方は、逆にとても呑気である。

 この少年のことは、なぜだかとても気に入った。真宏と強羅の元へと帰れず不安でいっぱいではあったが、この少年は指に噛みついてしまった自分を怒ることなくこっそりと部屋の中まで入れて、優しい笑顔を向けてくれている。

 その笑顔はどこか真宏にも似ているようで、とても安心できるもの。強羅から離れてしまったためエネルギーは微々たる量しか回復していないが、それでも部屋の中を飛び回るくらいのことはできるようになった。少年にじゃれつき、強羅のプラモの背中にしがみついて一緒に飛び回って少年を喜ばせ、言葉は通じないながらもとても楽しい時間を過ごしていく。

 少年が夕飯に呼ばれて行ってしまった時は少し寂しかったが、それもほんの少しの間のこと。風呂まで素早く入って戻ってきてくれるまで大人しく待ち、少年ともう一度ゆっくり遊んで、眠りに着く少年と一緒にベッドに入り、一日を終えた。

 

 少しだけだが、悪くはないと思える時間だった。

 

 

「おかえりなさい、あなた。随分遅くなったわね?」

「うん、ただいま。……会社で、ちょっとね」

 

 その日の深夜のこと。

 少年が寝静まった後、くたびれた様子の父親がようやく家に帰ってきた。

 本来さして帰りが遅れる予定はなかったのだが、夕方急に仕事が入ってしまったらしい。

 それというのも。

 

「……また、またうちの若社長が急に飛び出して行っちゃったんだよ。急ぎの用事が入ったらしくて『ちょっと出かけてきますから、あとお願いです!』てね。こんな感じで若社長の分も人に会う約束とか押し付けられたの何度目なんだろう……」

「それだけ信頼されているって証拠でしょう? 気にしちゃダメよ」

 

 かくなる事情があったらしい。

 しかしそのことを、眠りに着いた少年も、少年の隣で機能をスタンバイ状態に落とした白鐡も、聞き取ることはないのであった。

 

 

「それじゃあ、行ってくるね」

「ええ、気をつけて。お昼までには戻って来なさい」

 

 翌日。

 空は青く快晴で、週末のため学校も休み。外へ飛び出して遊ぶには絶好のその日、昨晩やたら遅くに帰ってきた父がまだ寝室で丸くなって眠っているうちに、少年は自転車を引っ張り出してきた。

 少年は自転車というものに対して小学校に入ってからもあまり興味がわかなかったのだが、最近になって父に練習に付き合って貰って必死に乗りこなせるようになった。

 なぜなら少年の家からは、子供の足では遠くとも自転車なら届くほどの距離にIS学園があるからだ。

 

 そこまで辿りついたからといって、何があるわけでもない。IS学園は一般人の立ち入りが禁止されているため、半ば観光地と化した学園へ続くモノレール駅の下から、うっすらと島にある学園施設が見える程度だ。

 ただそれでも、時々中央タワーの周りなどをISが飛びまわっている光景が見られるかもしれないとあって、少年はこれまでにも何度か自転車で行ってみたことがあったし、同じ目的の人たちをその度に見たことがある。

 

 あそこにきっと強羅がいる。

 今太陽の光を反射して飛んでいったISが強羅かもしれない。そう思うと、休みの度に出かけたくなるのはごくごく自然なことと言えるだろう。そんな少年だからこそ、今日もIS学園を見に行くと言い出したことを、母はあまり疑問に思わないでいてくれたのだろう。色々わかった上で見逃してくれただけの気もひしひしと感じるが。

 

「よしっ。……行くよ、白鐡」

(――きゅー)

 

 ハンドルを握り、ペダルに足をかける。

 気合は十分に、かごに入れたバッグの中に隠れてもらっている白鐡にそっと声をかけて、少年は白鐡を強羅の元に届けるべくIS学園に向かって出発した。

 

 実のところ、ここまで白鐡を連れてくるのも案外大変だった。

 

 朝起きて、眠っているかのように機能を落としていた白鐡も起き出したのを見計らって、今日は一緒にIS学園の近くまで行こうと少年が朝一番に提案したのだ。

しかしそれを聞いた白鐡は、「IS学園」という言葉の意味を知っていたのだろう。途端に渋り出したのだ。

 

 まあ、少年とて一筋縄で済むだろうとは思っていなかった。強羅の相棒たる白鐡が何故かこんな姿でこんなところにいたのだから相応の理由はあるだろうし、正直なところ少年自身もまた、白鐡がここにいたいと思ってくれることを嬉しく感じる気持ちは当然ある。

 

 しかし、少年は必死に説得した。

 白鐡は帰らなければならない。きっと強羅も心配しているはずだから、と。

 両親に気付かれないように小声で、しかし切々とそう説いた。白鐡が人間の言葉をどこまで理解できているのかはわからない。あるいは犬猫レベルの意思疎通しかできておらず、こうして語った言葉のほとんどは無駄なのかもしれない。

 だがそれでも、きっと白鐡ならわかってくれると信じた。

 何せ白鐡は強羅の友達。それならば、本気の想いは必ず届くに違いないと少年は強く確信している。

 

 そしてその思いは、正しく報われた。

 はじめは部屋の隅や枕の下に潜り込もうとしていた白鐡も、少年の訴えが続くにつれて徐々に顔を出し、体を出し、話を聞いてくれていた。

 首をあげて少年の目を見て、じっとしている姿からは言葉が通じているかわからなかったが、それでも根気よく説得し続けたその信念が実ったのか。白鐡は、ついに少年の腕の中へと舞い込んで、その処遇を任せてくれたのだ。

 

「ふっ……ふっ……」

 

 だから、少年はペダルをこぐ。

 道の段差で白鐡の入ったバッグが大きく揺れ過ぎないように注意して、でも一刻も早く強羅の元へと届けてあげたくて。

 

 白鐡と会えたことは、とてもうれしかった。あの憧れたヒーローの片鱗が自分と出会ってくれた偶然には、どれだけ感謝しても足りないほどだ。

 しかしそうであるならなおのこと、白鐡を強羅の元に送り届けるそのことこそが少年の果たすべき仕事なのだと……少し大げさだとは思うが、そう信じた。

 

(――きゅ、きゅ……きゅー!)

「ごめんね、白鐡。もうちょっとだけ我慢してっ」

 

 さすがに少年の自転車にはサスペンションなどついていないから、白鐡にとってあまり乗り心地の良いものではないだろう。それでもその鳴き声がどことなく嬉しそうに聞こえるのは、少年と同じようにこの状況が楽しいと少しでも思ってくれているからなのか。

 もしそうだったら嬉しいな、と少年は思う。

 

 それはまるで、世界中のだれも知らない少年と白鐡だけの小さな冒険のようだから。

 

 

 ――そう、このときまでは、そうだった。

 

 

「……」

「ん?」

 

 ふと、少年の視界の端を何かがよぎった。

 ほんのわずか、「そんな気がする」というだけの些細な違和感であったのだが、妙に記憶に残る。IS学園を眺めるため、父親や友達と一緒によく通るこの道の隅に、見慣れぬ闇色の何かが、いたような。

 

「――――」

「!?」

 

 勘違いではない、今度は確かにいた。

 またしても生じた違和感の源のすぐそばを通り過ぎざまそう思い、振り返る。

 そして少年は、そこにいた黒い服を着た大人が耳慣れぬ言葉を呟いたのを、確かに聞いた。

 

(――きゅー?)

「今のは……一体?」

 

 心臓の音が大きくなった。

 家からここまで走り通しだったからではなく、間違いなく別の理由で鼓動が速くなる。

 ちらりちらりと左右に飛ばした視線には怪しい物などもう映らず、見慣れたIS学園へと続く道だけが普段歩いているときよりもずっと速く流れていっている。

 そのはずなのに、まるで全く知らない道に迷い込んでしまったかのような不安を感じて額にやけに冷たい汗が滲んでくる。

 

「なんだろう……怖い」

(――きゅぅう……)

 

 思わずつぶやいたのは、紛れもない本音。

 何か得体のしれないものが薄皮一枚隔てた向こう側で蠢いている感触が、ジワリジワリと近づいてくるのが感じられるようだった。

 

 そういえば、父が最近このあたりで外人をよく見かけると言っていた。

 そして母が、IS学園には色々と怖い噂や危ない人たちがうろついているのだという話もしていたのを思い出す。

 自転車のチェーンが外れたりしないか、急に道が工事されていて行き止まりになっていないかなどというありそうもないことが起きないか、妙に不安になってきた。

 

 少年の不安を白鐡も感じ取ったのだろうか。がたがたとゆれるバッグの中からか細い鳴き声が響くのを聞いて、はっと我に帰る。

 今は自分が白鐡を強羅のもとに帰してあげなければならないのだから、こんなところで止まるわけにはいかないのだ。

 

 ぎゅっとハンドルを握り直す。

 いつの間にか震えていた指先は少しだけ落ち着いたが、ジワリと掌に滲んでいた汗の感触が少しだけ気持ち悪かった。

 

 

「大丈夫だよ、白鐡。……こんなの、ちょっとした冒険ってだけだから」

(――きゅー)

 

 その言葉は白鐡に向けたのか、自分の勇気を絞り出すためのものだったか。

 どちらであってもやることは変わらない。少年はますます力を込めて、精一杯にペダルを踏んだ。

 

 

「あああああっ、もーーーーーーーっ!!!」

――きゅー! きゅー!!

 

 そして現在、少年は絶賛立ちこぎ状態でとにかく細い道を選んで走ることになっていた。

 

 よく知っている道もよく知らない道も関係なく、辛うじて少年の方向感覚がIS学園に向かっていると告げる方向に向かってでたらめに道を選んで、力の限り自転車で突っ走る。

 人通りが少ないのを通り越してここしばらく全くすれ違う人もいないため、見通しの悪いカーブでも減速など一切せず生垣の葉に体を突っ込むようにして曲がり、とにかく走りに走った。

 バッグから顔を出している白鐡が、時々少年が選んだ道とは違う方向を示してくれる。そんな時は迷わずそれに従ってここまで来たのだが、それもあとどれほど続くかわからない。

 

 少年の耳には、自転車のギアがきしむ音とタイヤが路面をかじる音。そして、背後から慌ただしく迫ってくる革靴の足音がいくつも聞こえているのだから。

 

 こんな状況になった理由を端的に表すならば、一言で済む。

 

 少年の違和感と不安は、勘違いではなかった。

 これだけだ。

 ただし、最悪の形で。

 

 辛うじていつも通りの道を進んでいられたのは最初に違和感を覚えてから100mが限度。気付けば道の隅には黒づくめのスーツにサングラスをかけた怪しい男が複数潜んでいて、その代わりに通常道を歩いているはずの普通の人たちは一人もいない。

 明らかに怪しすぎるこの状況。少年が違和感を確信に変えるのも当然のことであり、気付けばやたらと頑丈そうな車まで追いかけてきている。

 

 そして、そんなさなかに聞こえた言葉。

 

「――シロガネ!」

 

 それだけで十分だ。あの怪しい男たちはここに白鐡がいることを知っていて、それなのに少年に声をかけてくることもなく密かに距離を詰めて来ている。

 どれだけ好意的に解釈したとしても、よからぬことを企んでいるだろうことは疑いない。

 

 だからそこまでが限界だった。

 少年はさっきから車が一台も走っていない車道を遠慮なく横切って、後ろの車が入れない細い路地に入り込んだ。……ちなみにこの路地は今日初めて入ったため、どこに通じているのかはまったくわからない。

 

「白鐡、次はどっち!?」

――きゅー!

「左だね、わかった!」

 

 道の狭さからするにこのあたりの民家を繋ぐための道でしかないのだろうと、少し大きい車であればまともに通ることもできなそうな道を右に左に曲がりながら思う。

 いまだ追いかけてくる足音や、連絡を取り合っているらしき聞き慣れない外国の言葉は聞こえてくるが、少年はまだ捕まっていない。きっと、白鐡が道を教えてくれているおかげだろう。そうでなければ、こんな複雑な細い道をずっと走り続けられるはずがない。すぐに行き止まりに辿り着くか、あるいは太い道に出て車に追いつかれていただろう。

 ならば白鐡を信じて、少年はとにかく体力の限界まで走るだけだ。どんどん重くなる足に体重をかけてペダルを押し込みまた一つの角を曲がり。

 

「……うそ」

――きゅ!?

 

 目の前に、片側二車線の開けた道路と、嫌になるくらいの上り坂が迫っていた。

 

「そ、そんなぁ……」

 

 情けない声の一つも出よう。

 すっかり忘れていた。少年の家からIS学園に向かうには、どのルートを通ってもこのような坂を越えなければならないのだった。

 必死に耐えてはきたが、ここまで見も知らぬ大人達に追いかけられて怖くなかったはずなどないし、息が荒くなるほどに酷使した足はガクガクと震えている。そのうえ、この坂などと。

 だが、戻ることなどできはしない。さっきから白鐡がそちらへ不安そうに視線をやっていることからして、追手が迫っているに違いない。

 

 道は、前のみ。

 ならば迷えない。迷わない。

 

「……白鐡、もうちょっと捕まってて!」

――きゅー!?

 

 少年は再びペダルに足をかけた。

 元よりサドルに腰は下ろしていなかったところから、さらに体を前のめりにして全開の立ちこぎで、再び走り出したのだ。

 

 踏みぬかんばかりに力を入れているつもりでも、上り坂であれば速度は出ない。かといって自転車を降りて押したところで追いかけてくる大人の足には敵うはずがない以上、少年にできるのはこれだけだ。少ない平地で稼いだ速度はすぐに尽き、重力に引きずり降ろされないようにするだけでも全力が必要になる。

 そこまでしても、坂は半分ほどしか上れていない。

 きついにもほどがある。しかも、かごの中で白鐡が騒ぎ出した。後ろを振り返る余裕などないが、それはつまり追いかけてきている黒服の連中が現れたということに間違いなく、それでもまだ頂上までは距離がある。

 

「負ける……もんかっ」

――きゅ! きゅー!

 

 歯を食いしばり、息苦しくなるほど激しい脈を打つ心臓を無視して坂を登る少年に、白鐡は必死の声をかける。なんか「ケイデンスを30回転上げろ」とやたら渋い声の幻聴が聞こえてくる。

 一方白鐵の方からはなんとなくだが、もういい、自分を置いて逃げろと言われているような気がする。しかしそんな意見は不許可である。どうあろうと白鐡を強羅の元まで送り届けると決めたのに、今さらこの程度のことでやめたくなんてない。

 その思いに突き動かされるままに少年はペダルを回し続けてきたのだから。

 さあ、あとほんの少しで、頂上だ。

 

「――!」

「っ!?」

 

 その時、少年のすぐ後ろで聞き慣れない異国の言葉がした。

 今度ばかりは驚いて振り向けば、いつの間にかすぐ手の届きそうなところまで迫っていた男が一人。サングラスをかけているせいで表情は読めないが、顔付きや髪の色から日本人でないことだけははっきりとわかる。

 あからさまに怪しいそんな奴が、自分を捕えようと手を伸ばしていたのだ。

 

――だめだ、もう逃げ切れない。

 

 疲れ切った足はこれ以上速くは回らず、追いかけてきた男の手は今にも襟首をつかみそうなほどに近づいていて、妙にゆっくりに見える。

 これ以上は無理だ。自分は捕まって、白鐡も奪われてしまうに違いないという思いが、少年の心の中に苦味を伴って広がっていく。

 

 悔しかった。自分があと一度踏み込めれば、坂を登りきれるのに。

 少年一人の力では、どうあっても逃げ切れない。

 

 だから。

 

――キュィィッ!

 

「――アウッ!?」

「白鐡!」

 

 今少年を救えるのは、白鐡しかいない。

 

 白鐡もまた、こんな状況を許せないと思っていたのだ。

 バッグの中で震えているだけなど、強羅の相棒にして白式から一字をもらった名が廃る。だからこそこのときに、全力で飛びだして少年へと手を伸ばす男の顔面に小さな体ごとぶち当り、その出鼻をくじいてみせた。

 

 今の白鐡はエネルギーが尽きかけで出力はほとんど出ていない。それでも元々硬い自身のボディを相手が走ってきた勢いに合わせてカウンター気味にぶち当たれば、大の大人を怯ませるくらいのことはできる。

 

 ほんの一瞬のことだが、それで十分。たとえこのままもう推力がなくなりはじめた自分が落ちたとしても、少年だけは助かるはずだから。

 男の顔面で跳ね返って落ちながらも白鐡はそう思い。

 

「……危ないっ!」

 

 しかし、思い切り体を捻って腕を伸ばしてくれた少年の手が、その体を掴んでくれた。

 

――きゅー!?

「ありがとう、白鐡。……でも、危ないよっ」

 

 少年の声に混じるのは、感謝とわずかな怒り。白鐡が助けてくれたことを喜びつつも、自分を犠牲にするような無茶をしたことを怒っているのだと、まっすぐに伝わってくる。

 自分がまたしても無茶な体勢で白鐡を助けたことは、考えるまでもない当たり前だという顔で。

 

「まぁいいや……おかげで」

「――!!」

 

 そして次に少年の顔に浮かぶのは、年齢不相応に不敵な笑み。

 背後から顔を押さえて声を荒げる男が再び手を伸ばしてくるピンチにも関わらずに笑って見せて。

 

「もう、追いつけないよ……っ!」

 

 体を沈めてその手をかわし、さしかかった下り坂を駆け下りだした。

 

 

「よしっ、このまま一気に行こう、白鐡!」

――きゅー!

 

 それこそ少年の狙っていたこと。いかに大人の足といえど、坂を下る自転車の速さには敵わない。子供の自転車相手に車を持ちだす相手だから油断などできようはずもないが、ここで距離を稼げばIS学園へと続くモノレール駅まではもう少し。

 駅までたどり着ければ、きっとIS学園とも連絡が取れる。そうすれば、白鐡を送り届けることができるに違いない。その思いを込めて、動きたくないと訴える足に最後の鞭を打つ思いで少年はペダルをこいでさらに加速する。

 

 坂が終わるまであと少し。平地になってすぐのT字路を曲がれば海に出て、遠くにIS学園の島も見えるはずだ。

 IS学園へ向かうため何度も通ったこの道を、いつもの様に曲がろうと重心を倒す。路面が近づく側のペダルは上げて、顔の横を通り過ぎる電信柱の勢いに少しだけ首をすくめながらも、速度はそのままにカーブを曲がり切った。

 

「……う、うわっ!?」

 

 その、瞬間。

 

 どこまでも運の悪いことに、カーブの出口に転がっていた大きめの石にタイヤを取られて、ハンドルの制動が利かなくなった。

 

 

「わ、わわわああ!!」

――きゅ、きゅううっ!

 

 しばらく左右に触れ続けるハンドルを必死に抑え込もうとして叶わず、海へと続く堤防へとまっすぐ向かって行った少年の自転車は、歩道への段差を登り切れず強制的に急停止。

 自転車に乗っていた少年と、少年の服にしがみついていた白鐡は慣性に従い、体が自転車から引きはがされる感覚とともに中へと投げ出され、堤防を飛び越えた。

 

 

 どしり、と着地の音は重い。

 いや、そもそも着地ではなく墜落というべきだろう。

 潮風にさらされた堤防の向こう側が砂浜だったのは不幸中の幸い。しかし堤防から砂浜までの高さはそれなり以上のものがあり、舞い散る白砂も衝撃を吸収しきることはなかった。白鐡を必死に抱きかかえた少年の体は弾み、砂まみれになりながら転がってようやく、止まる。

 

「う……うぅ」

 

 うずくまったままの少年は、動けない。

 堤防から砂浜までの高さは少年の身長を越え、盛大に砂を撒き散らすだけの衝撃は子供の体には過ぎたもの。砂が肌にめり込むような感覚が涙をこぼれさせる。

 これまで生きてきた中では一度も感じたことがないくらいに痛く、そして苦しかった。

 

 既に体はズタボロだ。あちこち擦り傷が出来ている上、落下の時に強く打った腕は痛くてまともに動かせない。息をするだけでも苦しくて、口の中に入り込んだ砂がしょっぱい上に気持ち悪い。足も一度動くのをやめてしまうと、さっきまでどうしてあれほど頑張っていられたのかが不思議なほどに動いてくれない。ここまで自転車で走って汗ばんだ肌につく砂の感触は鬱陶しくてならなかった。

 

 だがそれでも、腕の中の白鐡だけは守り抜いた。白鐡が服にしがみついてくれていたとはいえ、それでも咄嗟に抱え込めたのは奇跡に近い。砂浜をゴロゴロと転がってもなおしっかりと抱きしめていたおかげで白鐡はどこかへ飛ばされてしまうこともなく、そこに今もいてくれた。

 

「だ、大丈夫……?」

――きゅ……きゅー

 

 声は力ないが、白鐡もなんとか無事のようだった。まだあちこち痛くて起き上がることもできないが、そのことが少年をほっとさせた。

 

 しかし、そんな悠長なことを考えている余裕は、ない。

 

「――!」

「――!! ――!」

 

「! ……ま、まずい」

 

 ここまで、少年が追手から稼げた距離は坂を下るときの距離のみ。そうである以上、ここでもたもたしていればすぐに追いつかれてしまうのは道理である。

 堤防の向こうから次々と顔を出す怪しい男達は容赦なく砂浜へと降り立って、それぞれ一定の距離を保ったままやっと体を起こし始めた少年への包囲を狭めていく。たかが一人の子供相手に周到過ぎることであるが、これまで少年がして見せた逃亡劇はこの男達にそれだけの警戒を抱かせるに足るものだったということだろう。

 

 少年が必死であたりを見まわしても、ここもまた人払いがされているのか砂浜は端から端まで人っ子一人いない。自転車で走り続けていたせいもあって息が整わず、大声だって出せはしない。

 もはや少年と白鐡の力ではどうしようもない、絶対絶命だった。

 

 

「し、白鐡っ」

――きゅー!

 

 為す術なく、腕の中に抱え込んでいた白鐡が奪われる。

 大人の力はその後もたやすく少年をねじ伏せ続け、身動きすら取れずに白鐡が連れて行かれようとするのを見ているしかない。

 かすれた喉でどれだけ叫んだところでその声は助けてくれる誰かに届くこともなく、砂浜に顔を押し付けられてまた砂が口に入ってくる。

 

 悔しかった。

 少年も、白鐡も。

 

 あと少しでIS学園まで辿りつけた。ここまで必死に頑張った。

 二人の大冒険がこんな形で終わってしまうなんて、それがいやでいやでしかたがなかった。

 

 ――きゅ、きゅぅう……

 

 しかし、白鐡は動けない。

 どれほどもがこうとも今の白鐡の力では男達の腕から逃れることはできないと思い知らされ、むしろ自分が暴れれば暴れるほど少年も叫び、白鐡に向かって腕を伸ばそうとしてより痛めつけられる。

 それならば、いっそ何もしないほうがいい。

 そうすれば、ここまで自分を連れて来てくれた少年だってこれ以上傷つかなくて済むはずだ。

 

 嘆き悲しむ心の中に、白鐡はそうやって折り合いをつける。つけてしまう。

 

 抵抗をやめた白鐡の様子に、男たちはほくそ笑む。

 仕事が成し遂げられるだろうことを確信したのだろう、優越感の滲む笑い顔で。

 

 白鐡は、最後と思って顔を上げる。

 せめてもう一度あの少年の顔を心に刻みつけようと、うなだれていた首を上げ。

 

 

「諦めちゃ……ダメだ!」

――!

 

 

 砂にまみれて押しつぶされかける少年の目に、不屈の光を見た。

 白鐵にとっては見慣れた光。主がいつもその目に宿すのと同じ輝きだ。

 

「こんなときでも……、強羅ならきっと諦めない! だから、ダメだ!」

 

 少年の言葉はそれ以上続かず、のしかかる男によって顔を抑えつけられて砂にまみれる。

 だがそれでも、少年はまだ瞳の奥に宿った炎を消さない。捩り上げられた腕が痛むだろうに泣き言も言わず、白鐡から目を逸らさずにいる。

 足がもがいて少しでも白鐡の元へ近づこうとして、しかし果たせず砂を蹴る。

 怖いだろうに、痛いだろうに。それでも少年は、決して勇気を失っていない。

 

 どんな逆境でも、決してあきらめない不屈の闘志を秘めたその姿。

 それはまさしく、白鐡の主たる真宏と、それを支える強羅の志と同じものではなかったか。

 

 白鐡は少年に見つめられ、同時に見つめ返してもいる。

 交わる視線の温度は熱く、白鐡を守ろうとする少年の強い強い意思が伝わってくる。

 

 だからだろう。

 

 

 その時、白鐡と少年の間で、確かに「何か」が繋がった。

 

「白鐡っ!」

――……きゅー!

 

 少年は口元の砂を撒き散らしながら顔を上げる。

 白鐡はこれまでの大人しさが嘘のように身をよじって、体を掴んでいる男を慌てさせた。

 

 少年と白鐡は、心が確かに繋がっているのを感じる。

 相手の思うことが感じられ、自分の心が相手に伝わっていると確信できる。

 

 それは、人々が暖かい感情を持って「友情」と呼ぶもの。

 出会ってからの時間など関係なく、ただ強い絆を持つ者達だけが得られる、心のつながり。

 

 そしてその友情は、少年に強い確信を与える。

 自分の心が、きっと白鐡の心に届くことを。

 あの鋼の翼の内には、強羅の仲間たるにふさわしい熱い魂があることを。

 

 だから、叫ぶ。

 声に思いを乗せて。思いに勇気を託して。

 自分の勇気が白鐡に届いて、大きな力に変わるようにと、祈って。

 

 かつて父親から教わった、友達に力を届けるあの言葉を。

 

 心の底から、全力で。

 

 

「チェンジ! スーパーモード!!」

 

 

――キュイイイィィィッ!!!

 

 そして白鐡は、本当の姿を取り戻す。

 

「――!?」

 

 少年の目の前で、光が炸裂する。

 同時に、さっきまでの白鐡の鳴き声とは似ているようでいてどこか違う叫びが高らかに響き渡り、白鐡を押さえていた男が吹き飛ばされていた。

 

「白……鐡?」

 

 眩しさに目をつぶっていた少年が恐る恐る目蓋を開いた。

 目の前の砂浜から段々と目線を上げていく。太陽を直接見たような光は既に無くなっているが……かわりに、巨大な鋼の翼を持つ鳥がいた。

 

 白鐡の体から発せられた光は物理的な衝撃をすら伴っていたらしく、砂が同心円状に波紋を描いている。そしてその中央に、さっきまで一緒にいた小さな白鐡によく似ていて、しかし何倍も鋭い顔つきと雄々しい翼を持つ鋼鉄の怪鳥が、全身に満々たるエネルギーをみなぎらせてこちらを見ていた。

 太陽の光を弾く翼はまっすぐのびて、潮風すら触れるそばから切り裂かれていく光景を幻視する。

 

 そんな白鐡の姿を映す少年の瞳は、悲しくも痛くもないはずなのにこぼれる涙を止めることができなかった。

 

――キュイイッ!

「ガッ!?」

 

 少年が見惚れたのはさほど長い時間ではなかったが、白鐡の姿が目の前から消えた。

 同時に少年の体を押さえ込んでいた男の体重も無くなる。

 

 少年は今の一瞬で何が起きたのかは分からないが、いきなり吹きつけてきた砂混じりの突風を避けるために腕で顔を覆って海の方へと向き直り。

 

「……すげー」

 

「アアアアアッ!?」

 

 少年の上に乗っていた男を掴んで飛び上がり、海に放り捨てている白鐡を見つけてしまい、呆然と呟いた。

 男が反応することもできないような速度で体当たりをかまし、少年から引きはがして死なない程度の高さから放り落としたのだ。

その性能、生身の人間が対峙できるものではありえない。

 

「――!」

 

 本当の姿を取り戻した白鐡が、自分達に対処できる領域を越えていることは男達にとっても自明のことだったのだろう。何か切羽詰まったように叫ぶ声を聞いた少年が振り向いたとき、ちょうど男達の何人かが懐から黒く光る何かを取り出した。

 いや、何かなどというまでもない。少年でも当たり前になんなのかわかるそれは、拳銃だった。

 

 今の白鐡ならば、きっとあの程度の武器など恐れることはないだろう。だがそんなことは相手も知っているらしく、銃口のうちのいくつかは、少年を向いていた。

 

「……っ!」

 

 それだけで、少年は動くことも声を出すこともできなくなった。

 あの黒い穴が自分を向いて一度火を噴くだけで、自分の命が奪われる。嘘か本当か、世に語られる拳銃という言葉がただそこにあるだけで持つ威圧感を真正面から叩きつけられたのだから、当然のことだ。

 

 しかし、それでも。

 

(だから……なんだっ)

 

 少年は目をつぶることも怯えて縮こまることもなく真正面から、銃を構えた男こそたじろぐほどに視線をぶつける。

 確かに少年はどうあっても抵抗することなどできないだろう。男が引き金を引いたらそれだけで少年の命は終わる。

 それは間違いない。だが、そんなことは決して起こらない。

 

――キュイッ!

 

 今の少年には、白鐡がいる。

 大人を一人海に放り捨てた後、数十メートルはあろう距離を一瞬で飛んできてくれるような最高に素速い、友情で結ばれた仲間がいるのだから。

 

 白鐡が少年の周りの砂を吹き散らしながら舞い戻ってすぐ、翼を大きく広げて楯となり、情け容赦なく撃ち出される無数の弾丸を阻む。通常のISと比べれば自重も軽く、強羅譲りの装甲強度はあっても打たれ弱い白鐡であるが、生身の人間が個人で携行出来る程度の火器など物の数ではない。ただそこにいるというだけで、強羅の巨大な翼は少年の体を覆い隠してあまりあり、一発たりとて通すことはない。

 

 ただ、問題が一つ。

 

――キュゥゥ……

「し、白鐡……大丈夫?」

 

 それは、どうあっても覆しようの無い数の差である。

 

 豆鉄砲のような銃弾ごとき、何発叩きこまれようと白鐡のダメージとなることはない。しかし、もはや容赦のなくなった男達十数人が周囲も気にせず乱射してくるとなれば話は別だ。

 白鐡の装甲を叩く銃弾の音は一瞬たりとて休むことがない。

 たかだか拳銃程度ならばそのうち弾も尽きるだろうが、それまでの間に少年を守る白鐡の体をかすめて少年に届く弾がないという保証もまたない。

 この状況に耐えきれれば白鐡と少年の勝ち。もしまぐれで一発でも少年に弾が届けば敵の勝ち。だから少年は白鐡の負担とならないよう体を縮こまらせておくより他になく、時折地面に着弾した弾が砂を弾けさせる度に体をびくりと震わせながら、ただ早く時が過ぎることのみを祈っていた。

 

――キュイ!

「うん、僕なら平気だから」

 

 励まし合う白鐡と少年。はっきりと友情を繋いだ二人ならば、言葉はなくとも思いは伝わる。だからこんなときでも少年は怯えず、白鐡はエネルギーに不安を抱かず、逆転の時を信じて待つことができた。

 

 ただそれでも、現実は残酷だ。

 

「アアアアアッ!!!」

「えっ!?」

 

 少年を驚かせたのは、「海のほうから」響く男の声。白鐡を襲う男たちは陸地側から白鐡を囲もうと動いてはいるが、回り込まれてはいないはずなのに怒りに満ちた声が響いたのは、一体どうしてか。

 その答えは、海に視線を向ければすぐにわかる。びしょぬれのスーツ姿で波を蹴立て、シーズンを過ぎた冷たい海から上がってくる男の姿を、目にすれば。

 

 

 あれは、白鐡が海へ放り捨てた男。海面へたたき落とされたのは何が起きたかわからないほど一瞬の出来事であっただろうに、慌てて溺れることもなく執念を持って海から上がってきたのだ。

 そして、その手には当然のように拳銃が握られている。仲間の撃つ流れ弾が近くに跳ねても全く動じず、自分をあんなにも寒い海へたたき落とした白鐡への異常ともいえる怒りを燃え立たせながら、体に染みついた流れるような動きで銃を構えた。

 狙いは当然、少年。男の反対側から押し寄せる無数の銃弾を弾く白鐡の体がなく、折りたたまれた鋼の翼が部分的に少年の体を隠しているだけの、いくらでも狙いどころのある絶好の位置にずぶ濡れの男は這い上がってきていた。

 

 狙われている。

 さっきまでのどんな場面よりも強く、少年はそのことを認識する。

 ズレたサングラスごしに血走った眼が睨みつけて来て、銃口も全くぶれずに自分を向いている。

 一瞬後に銃弾が自分を貫く光景がありありと想像できた少年は、それだけでまた体が固まってしまう。さっきから何度となく命の危機に瀕しているが、こればかりはどうしようもない。白鐡は背後からの弾を押さえるのに精いっぱいで、必死に翼を伸ばしても翼端に刃を持つ武装としての意味もある羽では柔軟に少年を包み込むことはできず、どうしても隙間がある。

 あの男が何者なのかは知らないが、そんな状況でも少年を見事撃ち抜く実力があるだろうことは、自信に満ちて歪むあの笑いを見ても明らかだ。

 

 

 ここまでなのか。

 白鐡を強羅の元に送り届けようと頑張って、怪しい奴らから必死に逃げて、命の危機すらなんとか乗り越えて、それでももう無理なのか。

 

 少年に、諦める心はいまもない。

 だがことがこうなっては白鐡に力を託すことしかできず、それ以上にできることはなかった。

 このままでは終わってしまう。

 でも負けたくない。眼を逸らしたくない。

 

 きっと強羅なら、少年の憧れたヒーローたちならこんなときでも諦めないだろうから。

 そして、なによりも。

 

 

『何を……やっとるかーーーーーーーっ!!!』

 

 

 少年が憧れた本当のヒーローならば、こんなときに必ず駆けつけてくれるはずだから。

 

 

 ドズンッ、という重い着地音とともに砂に足をめり込ませて、少年と海から上がってきた男の間に立ちはだかる者がいた。

 海原にきらめく光を浴びて輝きを増す増加装甲。V字のブレードアンテナは以前見たときよりもますますきらめいて、腕も足もいっそうのパワーを秘めた図太さを体現している。

 

 雄々しくぶ厚いブレストアーマーもたくましい存在感。

 不安も恐怖も一瞬にして拭いさる、強さと優しさを備えた憧れのヒーロー。そう、それこそは。

 

「強羅!」

『ああ、待たせた!』

 

 そう、強羅だ。

 強羅が、来てくれた!

 

「――っ!!」

『おっと』

 

 強羅の登場は、男達にとっても驚くべき事態だったのだろう。いよいよもって錯乱したような叫びをあげる海側の男が、ついに発砲した。

 狙いは少年から強羅へと移っているが、その程度の攻撃が強羅に通じるわけもない。

 しかし防御などするまでもなかっただろうその弾丸に対し、強羅は右手を掲げて応じてみせた。

 少年や男の目からすればその剛腕が見た目にそぐわぬ瞬間移動をしたとしか思えないほどの速度で銃の射線に割り込んだ手が、拳を形作っている。

 

 そしてそのまま、ギシギシと装甲がきしむほど力の限りに拳を握りしめていく。

 

『……お前達が何者かは問わない。だが』

 

 拳から力を抜き、握った指を一本一本開いていく強羅。最後の指を伸ばして拳を開き切った時、ぽとりと砂浜に何かが落ちる。

 それはまさしく、男の銃から打ち出された弾丸。

 

 強羅の手によって止められ、握りつぶされひしゃげた弾丸であった。

 

「――ヒッ!」

『……まだ、やるかい?』

 

 顔面全てを覆う強羅の頭部装甲の内側から響く声は、底知れぬ威圧感に満ちている。

 これまででもすでに打つ手を失くしつつあった男達の士気はそれにより崩壊。強羅に明確な捕縛の意思もないとあって撤退を決意し、警戒しながらも素早く砂浜から退散し、いっそあっさりしているとすら思えるほどすぐに、姿を消した。

 

 

「た、助か……った?」

――キュイ

『ああ、もう大丈夫だ。……怪我はないかい?』

 

 ついさっきまでとは打って変わり、波の音以外何も聞こえない静寂の中で、少年は呆然と呟いた。思い返してみれば、正体不明の大人達に追われて走りまわり、砂浜へと投げ出され、白鐡に守られたとはいえ銃撃に晒されていたのだ。

 これまでの人生全てを合わせても足りないくらいの大冒険を、少年はここ数十分の内に味わっていたことになる。

 

 だがそんな実感も、今は心に浮かんでこない。

 何故なら今の少年は強羅に心配そうに肩を叩かれ、本来の姿を取り戻した大きな鳥型メカである白鐡に心配そうに寄り添われているのだから、いっそ夢のような心地を味わうのに忙しい。

 

「へっ、平気です! 白鐡が、守ってくれたから」

『そうか。……よくやったな、白鐡』

――きゅい!

 

 ほっとしたように囁かれる強羅の声に応えるのは、さっきまでの戦いの最中とは違う、優しい白鐡の声。少年の手を取って立ち上がらせる強羅の手は銃弾をすら掴み止めるほどの荒々しさを秘めているとは思えない丁寧さで、かつてIS学園の文化祭で開催された握手会の時に見たのと同じくらい近くに、セカンド・シフトを経てあのときよりずっとカッコ良くなった顔がある。

 命の危機すらあったばかりだというのに、もう少年の心はワクワクが止まらない。こんなに近くで、しかもセカンド・シフトをしたという話を聞いてからこんなに早くまた強羅に会えるとは思えなかった。だからこそ、嬉しくてたまらないのだ。

 

『君も、本当にありがとう』

「……え、どういうこと?」

『白鐡を見つけられたのは、君のおかげなんだ』

 

 ましてや、強羅から感謝の言葉まで捧げられたのならば、もはやどうしたらいいというのだろう。

 

『白鐡は強羅から離れすぎると、エネルギー供給がほとんどできなくなる。それで小さい姿のままでいたと思うんだけど……どういうことが起きたのか、白鐡は君がくれた勇気をエネルギーにして元の姿に戻ることができた。そしてそのエネルギーを感知したから、ここに白鐡がいるということがわかったんだ。そう感じられた。だから、間に合うことができたのは君のおかげなんだよ』

「そ、そんな……っ」

 

 照れ照れと頭をかく。

 膝をついて目線を合わせてくれた強羅に真正面からこんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。ましてや、白鐡と繋がって勇気を分け与えられたあの感覚が嘘ではなかったと証明されたのだから、その感慨もひとしおだ。

 

『とにかく、今日は色々疲れただろう。家の人も心配しているかもしれないから、家に帰るといい。送っていくよ』

「ほ、ほんと!?」

『ああ、勿論だ。白鐡、背中に乗せてあげてくれ。ゆっくりなら、君を乗せて飛んで行けると思うけど……どうする?』

――きゅいっ!

 

 そう言って立ちあがった強羅の背はとてもとても高く見えて、自分を背中に乗せようとすり寄ってくる白鐡はすごくかっこいいのにかわいくもあり、じっとしていられないような気分になる。

 

 ましてや、白鐡に乗って飛んで帰るだなんて夢のようだ。

 今の気持ちを言葉で表すには、少年の知る言葉では不足にすぎる。

 

 だからせめて、最大限の心を込めて少年は叫ぶ。

 

「あ、あのっ」

『ん?』

――きゅい?

 

 

 最高の笑顔で、気持ちを込めて。

 

 

「ありがとうっ!」

 

『……こちらこそ、ありがとう』

――……きゅいぃっ!

 

 

 友達同士ならば、それでもきっと思いのすべてが伝わるはずだから。

 

 この日、白鐡の背中にしがみついて強羅に見守られながら飛んだ空の景色は、強羅と握手した時の写真と同じく、少年にとって最高の思い出となるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 その日の、夜。

 

――プルルルルっ

 

「はい、もしもし」

『真宏くん、ワカです』

「あぁ、こんばんは。……電話かけて来てくれるってことは、あの黒服達の始末が付いたってことかな?」

『ええ、まだ全部終わったわけじゃないですけど。真宏くんに聞いた場所に急いで行ったら逃げきれてない人たちがいたんでちょっと来てもらって聞いた話を、ひとまずご報告まで』

「ありがと。まさか奴らも、逃げた先にワカちゃんがいてほぼ一網打尽されるなんて思ってもみなかっただろうよ。……やっぱりどこかの国の諜報員だったりした?」

『半分正解です。「どこかの国」じゃなくて「色んな国」の諜報員でしたよ。元々IS学園の周りをうろついている諜報員達が、白鐡行方不明の報を受けて躍起になって捜し回ってたみたいです。白鐡を捕まえて私達に恩を売る予定だったって言ってました』

「まあありがちなところかな。それでエスカレートして銃まで持ち出すあたりが恐ろしいけど。周辺一帯封鎖もしてたみたいだし、念が入ってるね」

『さすがに近くに住んでる人まで追い出したりはしてなかったみたいですけど、近所ではこれまでにも何度かああいう人たちが目撃されてたから、騒ぎになっても住人の人たちは怖がってほとんど家から出られなかったみたいです。……今回の場合は、ある意味幸いでした』

「まったくだよ、あの子もトラウマになったりせずに済んだみたいだし。むしろ白鐡と仲良くなってくれたんだから、良かったかも」

『それは同感です』

 

 

「……それにしても、ここまでの情報をよくこんなすぐに引き出せたね」

『方法は企業秘密です。……と言いたいところですけど、大したことありませんよ。ただちょっと「駐車場」で話を聞いただけです。私と一緒に入っていったらすぐに喋ってくれました』

「……………………そうなんだ」

 

 真宏の部屋の電話越しにこんな会話が繰り広げられたという。

 ちなみにワカの言う「駐車場」とは蔵王重工本社の地下にある施設であり、「ワカちゃんの処刑場」「ここでワカと戦ったら生きては出られない」「耐爆シェルター? 藁の家のことかい?」などなどの異名を誇る異空間である。実際のところは倉庫か何からしいのだが、天井の低い密閉空間であるため、もし本当にここでワカと戦うことになったら……というのはIS操縦者が絶対にしたくない想像のうちの一つであるらしい。

 

 そんなところでOHANASHIすることになった諜報員達の冥福を祈りつつ、真宏は思う。

 

 IS学園に各国から監視の目が向けられているのは当然としても、今回の一件における極端すぎる行動。きっとただ事ではない。

 ひょっとするとこれは近いうちに何かが起きる前兆なのではないかと、そんなうすら寒い予感を感じるのだった。


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