IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第24話「諦めるな」

 少しだけ、未来の話になる。

 

 IS学園の寮に備えつけられたふかふかのベッドに腰を落ち着け、ぺらりとページをめくる。

 薄くともつるつるした上質紙は手触りも良く、写真の映りはもっといい。ティーンエイジャー向けのモデル雑誌など買ったのは初めてのことだが、これは写真重視のホビー誌にも迫る紙質だ、などと第一印象としてそんなことを思った。

 

「……おっ、一夏と箒のインタビューはここからか。えーと『夢はでっかく、世界チャンピオン!』って、何言ってるんだ一夏」

「半分くらい誘導されたんだよ!!」

 

 普通とはちょっと違ったところに目をつけるのがもはや宿命と化した俺が今読んでいる雑誌の名前は、「インフィニット・ストライプス」。しかも、一夏と箒の独占インタビューが掲載されている号だ。

 

 この雑誌、当然のようにIS学園にも大量入荷されており、観賞用と保存用とコラージュ――写真に写っている箒の部分を物理的あるいは妄想的に自分に置き換える――用に複数買っていく生徒が絶えないため、購買開店から数十分でおひとり様一冊までという制限がかまされるようになったという、すでにして伝説になりかけのものだ。

 

 そしてそんな雑誌を苦心の末手に入れた俺は、わざわざ一夏の部屋に来て読みふけることにした。

 いや、せっかくだから色々と裏話なんかも聞けたらと思ってさ? ただそれだけであって、別に一夏をいじめようなんて全く思ってないよ?

 

「ふむふむ、一夏はスーツが案外似合うじゃないか。フリルつきミニスカートの箒と並んでると、そこはかとなく女子高生を騙してるジゴロな兄ちゃんっぽいけど」

「人聞きの悪いこと言うなよ。っていうか、そんな感想持たれたの初めてだ……」

 

 俺が写真やらインタビューやらに一つ一つコメントする度、隣のベッドでもだえたりうなだれたりしている一夏を観察するのは、実に面白い。本当にからかい甲斐のあるやつだ。

 そういえば、箒を含めたヒロインズは今頃どうしているのだろう。ここにきていないということは、この雑誌を買ってそれぞれ一人で楽しんでいるのかもしれない。さすがにその道のプロが撮った写真だけあってイケメン度をさらに上げている一夏にうっとりとため息をつき、その隣にいる箒に対して複雑な感情を抱いたりとかしているのだろう、南無南無。

 

 

「しかしまぁ、こんなに見つめ合っちゃって。まるで映画のワンシーンのような写真じゃないか? ほれほれ」

「見せつけるなっ! 嫌だったわけじゃないけど、さすがにそれは恥ずかしいんだよっ!! ……あと真宏だってこの間、人のこと言えないようなことしてただろ」

「うぐわっ!? ……よ、よし一夏。お互いこの件について触れるのはやめにしないか?」

「……ああ、傷口を抉り合うことはないからな」

 

 とはいえいつものように調子よく一夏をからかっていた俺なのだが、実は先日ちょっとやらかしてしまったことがあり、今だけはあまり強く出られない状態にあったりする。

 やったこと自体は後悔していないんだが、やり方はせめてもうちょっとなんとかならなかったのかと赤面しながら反省することしきりだし、……誰にとは言わないが、もう一人の当事者にもんのすごく叱られたから少しは自重しないとね、うん。

 

 でもまあ、今はこの記事についてだ。先が気になってしょうがない。

 

「ふーむ、箒もやっぱりちゃんと化粧してるんだな。こういうときは本職の人が付いてるんだよな?」

「らしいな。詳しくは知らないけど、写真を撮ってるときにちょっと化粧を直したりとかはしてたぞ。ギターケースに化粧道具詰めた人で……」

 

 

『風間流奥義。アルティメット――メイクアップ』

 

 

「――ってやってたけど」

「……何それ超見たい」

 

 実はこの雑誌って案外すごい人脈持ってるのかもしれない。「女は花」が口癖だったり、決めセリフの前に言おうとしたこと忘れそうなメイクアップアーティストなんて、そうそういないだろうに。

 

 とまあそんなことを思いつつも、ぺらりぺらりとページをめくっていく。

 途中一夏も覗き込んできたり、その度に被写体である一夏と箒のポーズにすげーと唸ったりキメ顔すぎるとツッコミを入れたりしていたのだが、それは実に穏やかで得難い平和な時間だった。

 

「……てか、なんでところどころで俺の話題が出てくるんだ」

「いや、質問に普通に応えていたらそうなった」

 

 ……しかし、本当に何故か俺のことがいくつか語られている。一夏と箒にとって古くからの共通の友人だとか、強羅がなんだかよくわからないけどすごいとか、――辛いときに厳しくも激励してくれたとか、命を助けてくれた恩人だとか。

 

「これだけ見ると、まるで俺が聖人君子みたいだな」

「ホントにな、本人はこんななのに。……まあでも、ありがとな。あの時助けてくれて」

「やかまし。顔が近いんだよ囁くなっ」

 

 こうやって、俺と一夏は……いや俺達だけじゃない。他の皆とだって、なんということのない時間を楽しく笑って過ごすことができる。そんな時間を守るためなら、俺も一夏も、もっともっと強くなれる。

 二人の間でいくつも上がる笑い声を聞き、ベルトに付いた強羅の重みを感じながら、俺は改めてそう思った。

 

 

 だがそれはほんの少しだけ未来、今回の事件が終わってからの話。

 今はまだ、急遽開催される専用機持ちタッグトーナメントにまつわる物語を紡ぎ終えていない。

 

 もうしばらく、付き合って欲しい。

 

 

◇◆◇

 

 

「………………………………」

 

 IS学園は一夏達が入学して以来To Loveるも数多く発生しているが、本来は選び抜かれた生徒達にISの高度な教育を施すための機関であり、当然関連施設も充実している。

 訓練や試合に使われるアリーナは複数点在している上、そこで稼働するISに生徒自身が触れるための整備室も、同じだけ備えられている。

 整備室には様々な大型・大出力の機器も含めたISの整備と調整に必要な機材がずらりと居並び、あるいはISを保有する諸国家のちょっとした軍事基地以上の規模と言ってもいいだろう。

 

「ダメ……これじゃあ、反応速度も、安定性も……足りない」

 

 その中の一つ、第二整備室の一角に、ほぼ一人の生徒が占有しているスペースがある。

 大型の機材こそ手近にないが、デスク上に空中投影型のディスプレイを複数展開してそれら全ての情報を同時に読み取り、手元の実体のメカニカルキーボードを目まぐるしく叩き続けている速度と正確さは2年、3年の整備科所属生徒と比較しても並ぶ者が無い。

 

 空中から幻のように浮かぶディスプレイの光にうっすらと照らされているその少女こそ、日本の代表候補生にして自身の専用機『打鉄弐式』の自主開発を行っている、更識簪だ。

 

 姉が為した、未完成ISの独力による完成。彼女もまたそれを目指していたからこそ、広い整備室のそこかしこで慌ただしくも整然とISを弄る整備科の上級生たちとは交流を持とうとせず、今も一人ぽつんとそこにいる。

 

 その結果は、思わしくない。

 これまでかなりの時間を費やし、知識を蓄え、ときに自らの手で重い工具を振るってISと向き合ってきた。そうして得た経験により、今では誰より打鉄弐式を理解しているという自負はある。だがそれでも大雑把に作り上げられただけの機体の完成度は上がらず、制御と駆動のためのシステムも、まだまだ納得のいくものにはなってくれてはいないのが現実だった。

 

 この悩みに直面してからは、かなり長い。その度に手を変え品を変え様々なアプローチを試してきたが、それが開発にどの程度貢献してくれたかは、今の状況から押して知ることができるだろう。

 

「ふぅ。やっぱり、このままじゃ……」

 

 しかし簪は、徐々にその現実を受け入れようとしている。

 これまで、頑なに姉の為したことを追いかけようとし続けてきた。

 幼少のころから長い間、決して追いつくことのできなかった優秀な姉に一歩でも近づこうと重ねた努力。独力でISを完成させることを諦めるのはその努力の時間すら否定するように、これまでずっと思えていた。

 

 だが今は、少しだけ違う。

 どうしても打鉄弐式の力が欲しい。

 為したいことがあり、そしてその姿を見ていて欲しい人がいる。その人になら、頼っても……甘えてもいいのかもしれない。互いに頼り合うことができるかもしれないと、これまで触れあった日々が簪の心を和らげてくれた。

 

 だからこそ、先日彼が織斑一夏を伴って現れ、一夏のほうが自分とタッグを組みたいと言い出した時は、驚くとともに少しだけ残念に思った。

 それも彼なりの優しさの形なのだろうとはわかっている。簪には簪で、別の提案をして欲しかったという想いがあるのだが……それでも同時に、自分のことを思ってくれているのだという事実が嬉しくもあるのだから、より一層胸中の想いは複雑に渦を巻いてしまう。

 その渦はいまだとどまるところを知らず、だからどうしてもその申し出を受ける気にはなれなかった。そうやって悩んでいるのも、もう少しのことだとは思うのだが。

 

 とにかく、と簪は一端そこで考えるのをやめ、空中投影ディスプレイを消し、キーボードをしまって席を立つ。

 今日はこれ以上粘ってもさしたる進捗は無いだろう。こういうときはアニメだ。部屋に戻って、録画してあるアニメと特撮を見よう。

 そう思い、今日は何を見ようかと考える。録画したばかりの物もいいが、今日は何となく少し昔の物が見たい気がする。

 打鉄弐式の開発が進めば空中での機動性もチェックしなければならない。だから、CGで激しい空中戦を繰り広げる、赤くなったり青くなったり変身する人によって変わる光の巨人の物語でも見るとしよう。

 そう心に決めながら自動で開閉する整備室の扉の前に立ち。

 

「ぶどうジュースと紅茶、今夜のご注文は、どっち!?」

「……」

 

 両手に持った缶を突き出し、無駄な笑顔で訪ねてくる一夏に道を塞がれた。

 

「…………」

「あっ、ちょ! 横をすり抜けないでくれよ!!」

 

 そんな一夏のあまりのつまらなさに、おそらく買ったばかりだろう表面に水滴の付いた缶よりもなお冷たい目を一瞬だけ向けてからするりと脇を抜ける。あまりにも隙だらけで、簪ですらたやすく通り抜けられた。

 そしてあっさり廊下に出ると、そこには壁に背を押しつけて腕を組み、苦笑を浮かべる真宏がいた。どうやらまたこの二人で自分の元にやってきて、一夏はなにを思ったかあんなコントをしたらしい。

 簪のセンスにはまるで合わなかったが、あれが日本で見つかった世界に二人しかいない男性IS操縦者の片割れなのだろうか。軽く泣けてくる。

 

「なあなあ、ぶどうジュースと紅茶、どっちにする?」

「……」

「おーい、そろそろ手が冷たくなってきたんですけどー?」

 

 知ったことか。

 確かに真宏には一夏とタッグを組むことを考えてやって欲しいと言われたし、簪も前向きに考えていた。だがこのギャグは……どうなのだろうと思ってしまう。それほど頂けない。

 というか、冷たいのなら缶をわしづかみにしなければいいだけではないか。バカなのだろうか。死ぬのだろうか。

 

「頼むよ、簪さん。せめてどっちかの飲み物だけでも受け取ってくれ。いい加減手が冷たくて痛くなってきた。あと俺とタッグ組んでくれ」

「……ぶどう、ジュース。でもタッグは……お断り」

「ひどいっ!? さりげなく混ぜたのにしっかり反応されたし!」

 

 スタスタと廊下を歩きながら、諦め悪く話しかけてくる一夏からジュースを受け取り、しかしさりげなく混ぜられたタッグの誘いは断っておく。唐変木だと聞いてはいたが、まさかこんな風に流れも何もない方法で勧誘してくるとは、さすがに思わなかった。

 もっとも、しっかり簪と一夏に付いて来ながら親友の手が冷えるのにも構わずニヤニヤしていただけの真宏を見るに、少なからぬ部分で彼の入れ知恵なのだろうが。

 

 そういえばいつぞや真宏は、一夏は友人としてもいい奴だが、特に弄るとこの上なく楽しいと言っていた。これが、そうなのか。だとしたら、趣味の悪いことだ。

そう思うと、簪もかすかに笑うような吐息をこぼしてしまう。

 

 歩きながらでは行儀が悪いので、缶を受け取ってから座れるところを探し、適当なベンチに腰掛けてプルタブを開ける。

 そして両隣には、自然に座った真宏と、遠慮がちに腰を下ろした一夏。簪は缶を両手で持ってこくこくとぶどうジュースを飲み、一夏はこれまでどれだけタッグを組んで欲しいと頼んでも梨のつぶてであった簪にどう話しかければいいのか迷って紅茶をすすり、真宏は何も言わず、ちゃっかり用意していたらしいコーラを飲んでいる。

 

 一夏は冷たい飲み物を一気に飲み干すということはせず、簪も急ぐ理由が無いのでゆっくりと味わい、真宏も同じく。必然的に静かでゆっくりとした時間が流れることになる。

 世界で二人しかいない男性IS操縦者に挟まれてジュースを飲んでいる、専用機が無い専用機持ち。この光景はとても奇妙で、行き交う生徒達の注目を集めてやまなかったが、一夏も真宏も注目されるのはもはや日常の一部であり、簪も善しにつけ悪しきにつけ他人からぶしつけな視線を向けられることには慣れ切っている。

 

 だから無言のお茶会は、三人がそれぞれに飲み終わるまで続くのだった。

 そして結局、進展はなかった。

 

 一夏は相変わらず、どうやって簪に頼めば良いかと頭を悩ませ。

 真宏は簪をどうやったら説得できるだろうと思う一方、一夏からの誘いを断り続けてくれることにほんの少しだけ安心してしまい。

 

 簪は、自分と真宏と、そして他の誰かとこうしているのも嫌いではないと、思い始めていた。

 

 

◇◆◇

 

 

「なぁ真宏……本格的にどうしたらいいんだ?」

「知らん」

 

 その日の夕刻、一夏の部屋にて。

 いくら一夏が相手とはいえ、そう何度も男の一人部屋を訪ねる趣味はないが、今日もつれない態度であった簪の様子にほとほとまいった一夏に頼まれて、またこうして部屋に備えつけられたベッドの一つを占有している。

 さすがの一夏をしても、これほど頼んでもすげなくあしらってくる相手というのは攻略の糸口が見いだせないらしい。元々人の人に対する好き嫌いの感情には鈍い部分のある奴だったが、少々毛色の違った対応を見せる簪にはさすがに手を焼いている。

 だからこそ俺に相談してきたのだろうが、俺としては根気よくやれ、としか言いようがない。簪は前にこっそりこのタッグトーナメント、そして一夏とタッグを組んでこれに参加することに対して前向きな意思を教えてくれたのだから、あとは簪に嫌われるようなことをしなければ大丈夫だとも思う。

 何事にも一生懸命な一夏の姿を見せられて無碍にするような簪ではないのだから、俺はあまり心配してないんだけどね。

 

「まあおそらく簪とのことは時間が解決してくれるから、今は時間じゃどうしようもない問題のことを考えておいた方がいいだろうな」

「時間じゃどうしようもないって……あ、専用機!?」

 

 だから、余計なことかもしれないが俺達は別のことでサポートするとしよう。

 

 

 一夏と簪がタッグを組むというのからしてまず第一の難題なのだが、仮にそれをクリアしたとしても今度は試合に出るための専用機がまだ完成していない、という問題がある。

 トーナメント開催までの日程にあまり余裕はなく、一方簪の専用機である打鉄弐式はこれまでの簪の奮闘もむなしくいまだ完成への道が遠いというおまけ付き。そうやすやすと解決できる問題ではなく、タッグ成立後に全力で俺達が手伝っても、むしろいま必要なのは労働力ではなく技術と知識と経験なのだから、俺と一夏程度ではどれほどの助けにもならないだろう。

 

 そのあたりのことに気付いたのこそ俺に言われてからであったが、大体のことは一夏自身でも察しがついたらしい。これまで、俺も一夏も伊達にIS学園で必死に勉強と実習をこなしてきたわけではないのだ。

 

 時間が無く、人手も足りない。しかし時間はどうしたって伸ばせるものでないとなれば、頼れるものは必然的に「人手を増やす」という方法に限られる。それも、未完成のISを実戦に出せるほどの完成度にしうる、優秀な人手が必要だ。

 

 普通ならそうそう見つかるはずもないそんな人材。

 だがIS学園には、いる。

 

「えーと、確かここに……あった、学園の概要案内! 真宏に言われて思い出したけど、IS学園には整備科っていうのがあるんだよな」

「そうだな。2年になってから作られるクラスだけど、俺もあそこの人たちにはお世話になった」

 

 勿論彼女らとてヒマをしているわけではないが、いるのだ。

 2年生から一クラス分、ISの開発・研究・整備を主目的とした整備科が。ここに所属する生徒達は他と違ってそれらの分野を集中的に学習・実践するため、学内でIS関連のイベントが行われる場合、特に専用機持ちは彼女らに協力を仰ぐことが多い。

 一夏はそういうものを詳しく知らなかったせいでこれまで関わることが無かったが、俺の方は何度か強羅を見てもらったことがある。

 

 

◇◆◇

 

 

「……は、はぁ……んっ。これが強羅……!」

「いい……、実にいいわ、この装甲!」

「見てこの補助動力! なんで第二世代のISにここまでってくらいの出力よ? たまんないわぁ……っ」

 

 

◇◆◇

 

 

 ……ただ、そのことごとくがこんな感じでロマンと偏愛をこじらせた人々だったので、さすがの俺もあまり積極的に頼みたくはないのだが。卒業後、まとめて蔵王重工に召し抱えられるという未来がありありと想像できる、将来有望な方々だったな、ホントに。

 

 ともあれ、一夏と簪も整備科に知り合いがいないわけではないし、今の状況を何とかするには、彼女らの協力が必要不可欠となるだろう。

 

「なるほど……こんな手が」

「……まぁ、相手は選ばないといけないけどな」

 

 そんな風に、男二人で無い知恵絞ってうなりながら簪の専用機をどうするかと対策を考えている部屋の中はどうにもむさくるしい空気が満ちて来るのだが、心配はいらない。こういうときに限って現れる人がいるから。

 

「いーちーかーくーん。あーそびーましょー」

「……真宏、居留守使っていいか」

「俺は構わんぞ。また扉を叩き斬られてもいいのなら」

「うっ……、またオルレアみたいなことされるのは嫌だから、開けてくる……」

 

 いつの時代の小学生か、というような掛け声を扉の前で叫び、しょぼくれた様子で応対に出た一夏にエスコートされて入ってくる人物。彼女の名前を、更識楯無という。

 

「あら、真宏くんもいたの。やっぱり仲が良いわねえ」

「付き合い長いですからね、今は事情もありますし」

 

 勝手知ったる他人の部屋とばかりに入ってきた会長は、手に持っていたシュークリームでも入っているだろう紙箱を勉強机に置くなり一夏のベッドへ即座にダイブ。ふわりとめくれ上がったスカートの奥が見えそうになって一夏が慌てて眼を逸らしたが、どうせ意図的にやってるんだからそれはむしろ逆効果だろうに。

 

 

「事情って……あぁ、整備科に協力を頼むのね。白式かしら?」

「それもいいかと思いますけど、今は簪さんの専用機を頼もうと思って」

「簪ちゃんの……? 大丈夫かしら。あの子、一人で専用機を作ろうとしてるのよ。……私がそうしてたから、意識しちゃってるみたいで」

「……えっ? 専用機を、一人で!?」

 

 ベッドの上でもぞもぞと動き、抱え込んだ一夏の枕に顔をうずめながら放たれた言葉に驚く一夏。

 IS学園に入学してからこっち、ISの複雑さと使われている理論の難しさを日々実感しているわけだから、その驚きもしごく当然のものだ。まして会長の専用機は水を操るというどこぞの町の遠隔操作型スタンド使いの殺人鬼のようなことをしてのけるISなのだから、その特殊性を知る一夏にしてみれば驚きもひとしおだろう。

 

 傍若無人な猫のように人のベッドを占領している姿からは、そういう知性のひらめき的な物は全く感じられないのだが。

 

「うん、でもその時は7割方完成してたし、薫子ちゃんに意見をもらったり虚ちゃんに手伝って貰ったりもしてたから」

「な、なるほど……」

「それにしたってすごいでしょうに」

 

 とはいえ、現実は現実。会長は決して一人で作り上げたわけではないと語るが、それでもやったことがすごいのは間違いがない。どこぞのむせる異能生存体がスクラップの中から自分の乗機をでっちあげるのとはわけが違うのだから。

 

「それはそうと、専用機とか整備科への協力とかの話が出るってことは簪ちゃんとも会ってるんでしょう? ……調子、どうかしら」

「えーと、今日もタッグを組んで欲しいと頼みに行ったら何故か真宏と三人で並んでジュース飲んでました」

「なん……ですって……?」

 

 しかしながら、会長もまた会長だ。

 俺達が簪と軽く雑談(?)できるくらいの関係にあると知った会長は、途端に表情を硬くする。

 

「そんな……、私だってあのとき以来簪ちゃんとまともにお茶なんて……。……じゃなくてっ。お、驚いたわね。そういう非生産的な行動ってあまり好きな子じゃないんだけど」

「会長落ち着いて。シュークリーム取り出す手がすげー震えてますよ」

「……とりあえず、紅茶用意しますね」

 

 どうしたってシスコンな会長は、俺達が簪と仲良くお茶してる風景でも想像して愕然としているようだが、多分会長が想像してるのとは少し違うだろう。俺は簪といるときに無言が続くのなど慣れっこだが、一夏は結構どうするべきなのかわからず居心地悪そうにしてたし。多分その辺も簪流の軽い意地悪なのだろうが。

 とはいえ会長にとっては可愛い妹のこと。そんな物であっても震えるほど羨ましいらしく、がばりと起き上がるなり何故か紙箱から取り出し始めたシュークリームがぶるぶると震えている。中のクリーム出ちゃいますよ、それじゃ。

 

 

「はい会長、紅茶です。ティーバッグなんで、持ってきてくれたシュークリームとつり合うかわかりませんけど」

「ありがとう、一夏くん。……うーん、一夏くんの淹れてくれた紅茶は世界一おいしいわー」

「また嘘ばっかり……」

「うん、嘘。良く言うでしょう? 言葉には、千の偽り万の嘘って」

 

 ともあれ、会長も一夏を弄ることで調子を取り戻してきたようだ。安物のティーバッグで淹れた紅茶も、姿勢を良くした会長がたおやかな指でカップを持っているとそれなりの絵になる。

 どうせ簪の様子が気になって俺達に聞きに来ただけなのだろうが、そんな時にもネタを忘れないのが我らの生徒会長。紙箱からして高級な会長持参のシュークリームはとてもおいしそうなのだが、それでも俺の勘が「一夏の奴だけは危ない」と言っている。

 なんというか、先日セシリアがラウラと鈴に茶碗蒸しを食べさせられたときに感じたのと同じような、バラエティ番組の企画でも始まりそうな予感がひしひしと高まり、思わずカメラとか回したくなるのだ。

 

「……うん、この調子なら二人に任せておけば大丈夫そうね。それじゃあ一夏くん、真宏くん。簪ちゃんのこと、お願いね」

「あ、はい。わかりました」

「簪が嫌がらない程度にがんばりますよ」

 

 行儀よく、しかし手早く自分の分のシュークリームを食べ、紅茶を飲み干した会長は颯爽と立ち上がる。言うだけ言った感を盛大に漂わせながら廊下へ続く会長を見守りながら俺はシュークリームをぱくつき、一夏もようやく自分の分に口をつけ。

 

「……? ……うぶふぅぅぅぅぅーーーーーーーっ!?」

 

 案の定用意されていた会長の罠にはまり、思いっきり吹いていた。

 

「あーっはっはっはっは、引っかかった! 悪いけど、一夏くんのシュークリームの中身はからしにすり替えておいたのSA!」

「たっ、楯無さ……ゴッホゴホッ!」

「しっかりしろ、一夏。ほれ紅茶」

「ありが……ごふっ」

 

 そのまま会長はどこぞの蜘蛛男のようなことを叫んで、スタコラサッサとばかりに部屋を出て行った。……本当に、嵐のような人だな。

 

 部屋に残されたのは、紅茶を飲んで一息つくも、未だ大量のからしのせいで涙とかせきとか出ている一夏と、それを介抱している俺。いやはや、俺などでは思いついても情けが先に出て早々実行できないいたずらを平然とやってのける辺りは。流石会長といったところだろうか。

 

 こういう無駄な積極性とかお茶目なところを簪にも見せてやれば、少しは距離も縮まるだろうにと思えてならない。

 

 でもま、大丈夫だろう。

 簪も一夏を邪険にはしても嫌ってはいないようだし、会長のちょっとアレなところもいくつか目撃している。

 

 だからきっと、みんなうまくいく。

 

 そう信じて俺は、この一件のカギとなるだろう一夏の背中を、少し強めにさすってやるのであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「なあ簪さん、俺とタッグを組んでくれないか?」

「……イヤ」

 

 などというやり取りがもはや何回繰り返されたかわからない、その週の日曜日。一夏が簪に対してタッグを組んで欲しいと頼み込んでいるということは、奴のところ構わない無数のアタックによってすでにほとんどの学園生の知るところとなっている。

 一夏は元より耳目を集めている上、今度の専用機持ちタッグトーナメントでは誰と組むことになるのかが、それはもう耳をそばだて脇目で見られていたわけなのだから当然のこと。

 

 そして当然その噂は、自分こそが一夏と組みたいと考えていた専用機持ち達の耳にも入っている。

 そもそも、一世一代の告白にも似た心境で一夏にタッグを組もうと頼みに行くも断られているのだ。一夏と出会うなり蹴りたくる鈴や、わかりやすいツンデレ的態度でそっぽを向くセシリア、「なぁに、織斑くん?」と相変わらずのきれいかつ怖い、よそよそしい笑顔で返すシャルロット、完全に無視の体勢のラウラなどなど。……彼女らがどのような心境に至ったのかは、俺などには想像する術もない。

 だが、それでも一つだけわかることがある。

 

 ただでさえ見知らぬ女子とタッグを組もうと必死になっている一夏が、今日は箒とふたりっきりで雑誌の独占インタビューを受けに行く。

 そんなことになれば、どうなるか、ということだ。

 

 

――セシリア・オルコットの場合。

 

「まったく……一夏さんは悪い子ですわね」

 

 日曜日のアリーナは、平日よりも一層訓練に励む生徒達が多い。

 打鉄やラファール・リヴァイヴが動きを確かめ、飛行し、武装の調子を見ているのだが、一方で専用機持ちは煩雑な手続きを経て学園側のISを借りる必要が無いため、訓練の機会と時間を多く取ることができるから余り焦りはない。

 今のセシリアも、まさにそれだ。

 自身の周囲に不規則移動型のターゲットを浮かばせ、自身はほぼ動かずに撃ち抜くという、フレキシブルに覚醒したブルー・ティアーズには必須の訓練をしている。

 

 だが、その顔は陰鬱に俯けられていた。

 ハイパーセンサーをもってすればターゲットを直接視認する必要が無いとはいえ、毛先まで入念な美的感覚をもって整えられたセシリアの金髪によって隠された目元は影に落ち、全身から立ち上る闘志は怒りの色に染まっている。

 

 そしてそんなセシリアの前には、4機のビットが浮かんでいる。

 整列したまま微動だにせぬBTビット達は、以前のサイレント・ゼフィルス戦での――主に無茶な使用の過負荷による――ダメージを受けて修復と同時に改造を受けている。

 全体的なシルエットは変わっていないが、ブルー・ティアーズ本機と接続する根元に近い部分、スラスターの直上に長方形のスリット状のパーツを取り付けられている。

 改造とはいっても、実のところただ単純にこのパーツを付けられただけであり、機動力もレーザー出力も、スペック上は何ら変わりない。

 

 だがそれは、無機質な計測機器がテストで出した数値の上でのこと。

 本来の主たるセシリアがこのパーツを正しく使うとき、ブルーティアーズにはさらなる力が加わるのだ。

 

「レディとして、一夏さんからのエスコートを準備万端待っていましたのに、それを無にするなんて……っ」

 

 静かに、しかし確かな怒りを秘めた声。

 ビットが震えたように見えるのは、抑えきれない怒りのためか、それともビット達自身が主の噴き出す迫力に怯えたか。

 

 いずれにせよ彼らの忠勇なる意思はそれでも隊列を崩すことなく、セシリアがその手に持った四本のメモリを、受け入れる。

 四本四色、それぞれの色を持ったそれぞれは……。

 

\サイクロン! マキシマムドライブ!!/

  \ヒート! マキシマムドライブ!!/

    \ルナァ! マキシマムドライブ!!/

      \トォリガァー! マキシマムドライブ!!/

 

 シャルロットからシャチ、ウナギ、タコのコアメダル及びシャチのセルメダルと交換で譲ってもらった、ガイアメモリであった。

 シャルロットは代表候補生としての財力を駆使してガイアメモリの予備を十分に確保してあるし、セシリアも大人買いならぬ貴族買いでコアメダル・セルメダル共にグリードを2、3体完全体にできるくらい所有しているから問題ない。チェルシーにバレたときは日本的に正座させられてお説教を受けたが、後悔はしていない。おかげで、シャルロットとお互いにとってとても良い取引をできたのだから。

 

 次々に挿入されるメモリの上げる叫びと共に、一段、また一段とビットの砲口に高められたエネルギーが充満する。

 眩い四つの輝きが最高潮に達すると同時、セシリアは新たに自らの力としたフレキシブルを、全力で解き放つ。

 

 

「ティアーズ・ファイナリュージョン!!!」

 

 

 手を振り下ろすと共に叫びを上げ、炸裂した閃光は瞬く間に宙を覆い尽くす。

 一つのビットから複数に枝分かれすらしてのけたBTレーザーはその全てが正確かつ獰猛にセシリアの周囲を飛び回るビットに食らいつき、破壊し、貫いた。

 

 レーザーの照射時間は、実際のところ1秒かかったかどうか。

 だがそれだけで十分だったことは、あるいは破壊され、あるいは爆発で吹き飛び、またあるものはレーザーに溶融させられた飛沫となって豪雨のごとく降り注ぐターゲットの残骸の量からも、明らかだろう。

 

 ざらざらと、ただの雨ならば決してさせないような人工物の音が響くその中心で、セシリアは一人、自らの力を確かめ、勝利を誓う。

 

「震えなさい! わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる処刑用BGM――レクイエム――で!!」

 

 

――凰鈴音の場合。

 

「……えぇ、そうよ。覚悟を決めたの」

 

 同じころ、別のアリーナにて。

 鈴もまた甲龍をその身にまとい、訓練のためにやってきたアリーナの中央で、本国の整備担当へと通信を入れている。

 その横顔はどこか悲壮な決意を固めたように強張り、声にもわずかながら震えがある。だが瞳に映るのは、闘志の炎。かつての学年別トーナメントのときのみならず今度もまた自分とのタッグを断り、しかも学園中を探しまわった末に頼んだというのに別の相手と組むことにしたなどと言われれば、その心中に燃え盛る炎の温度も知れようというもので、手段を選ばぬという決意も無理からぬこと。

 

「……キャノンボール・ファスト用パッケージのデザインと、イギリスに技術協力を持ちかけた内容については目をつぶるわ。……だから、もっとやりなさい。衝撃砲がどれだけ丸くなろうと、肩に埋め込まれようと、緑色の粒子を吐くようになってもいいから。右肩は拡散衝撃砲、左肩は貫通衝撃砲にした場合のパッケージデータを、すぐにちょうだい」

 

 ……人として何か間違った道に進みそうであろうとも、そもそもこういう方向性を作りだした中国の開発担当が止めるはずもない。甲龍の手に握られた通信機から漏れ聞こえる声は天井知らずの興奮に染まり、ツッコミ不在のまま、一夏に制裁を加えんとする鈴と甲龍の装備は時を追うごとに強力かつ危険度の高いモノになることを約束されていく。

 

「えぇ……それから、確か開発中の反物質フェルミオン砲があったわよね。名前は確か……そう、ボルテッカ」

 

 だが、いい加減誰かが止めてやらないと仮面の下の涙を拭いそうである。

 

 

――シャルロット・デュノアの場合。

 

「ごめんね真宏、訓練に付き合ってもらっちゃって」

『い、いや……特に予定が無かったから問題ないさ』

 

 キャノンボール・ファストの訓練にも使われた、IS学園中央タワーと直結した第六アリーナ。その中央タワー上空に200メートルに、二機のISが浮かんでいる。

 

 シャルロットのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡと、真宏の強羅である。改修元となった量産機よりさらに機動性を向上させたラファールと、元より重装甲に重装甲を重ねたような機体である強羅が並んでいる姿にはどうしてもバランスの悪さが付きまとっているが、当の本人達にそれを気にする様子はない。

 

 なぜこの二人が揃って訓練をすることになったかといえば、ちょうど自主訓練でもしようかと学園内を歩いていた真宏を、シャルロットが誘ったからに他ならない。

 本来ならばタッグを組む予定のラウラとの訓練をしようとしていたシャルロットだったが、一夏とタッグを組めなかった上、そのことで一夏に詰め寄った際千冬に「お前のような義妹はいらん」と言われたショックを引きずっていたため、今はそっとしておくことにしたらしい。

 

 ちなみに、真宏を訓練に誘うときシャルロットはいつも通りの朗らかな笑みを浮かべていたのだが、真宏はその背後に揺らめく抑えきれない怒りのオーラを感じ、心の中で一夏への恨み言を五回唱えた。

 

 そんな二人の真下、中央タワーの外周に沿ったコース上には訓練用のターゲットが多数配置されている。しかも、設定は自動射撃型。訓練としての難易度は、かなり高い。

 

 通常これほどのターゲットと対峙するには十分な技量と適切な装備が必要であるところだが、今二人の手にある武装はその常識からすれば驚くほどに心もとない。

 

『しかし……これを使いたいって言われるとはな。さすがじゃないか、シャルロット』

「ありがとう、真宏。一人で使うのもいいけど、やっぱりわかってる誰かと一緒に使った方がいいからね、これは」

 

 手首を返して視線を落とした二人の両手には、左右で異なった武器が握られている。

 片手には、ナックルガードのついた反りの大きい曲刀。もう片方の手には、いかにもマスケット銃らしいデザインをした、しかしそれでもしっかりとIS用の装備である拳銃。剣と銃という目的と機能の違いこそあれ、それでもどこか似通った意匠を込められたそれらを見た者は、きっと「海賊の武器のようだ」と思うことだろう。

 

 それが、二人の手の中にある。

 数十機に上る数のターゲットへと立ち向かうに際し、いかにも役不足感の否めないこの装備。しかしそれでもシャルロットはどこか不敵な笑みを浮かべ、真宏もまた強羅の仮面の下に同様の表情を浮かべているだろうことが、言葉の端々からも明らかであった。

 

「……それじゃ、準備はいいね?」

『おうっ! ……派手に行くぜ!』

 

 そして唐突に、二人は機体の上下を反転させ、そのまま垂直に降下する。

 

 機体特性の差からラファール・リヴァイヴが先行してターゲット群の中へと突入し、強羅がわずかに遅れて接敵。

 

「はあああああああああああっ!!」

『オラオラオラアアアアアアッ!!』

 

 そうしてターゲットの射程に入ると同時、あらゆる方向から打ち出される応戦の射撃をシャルロットは目まぐるしい機動で全て回避し、迎撃する。

 手に持つ拳銃から放たれる弾丸は一発もし損じることなくそれぞれのターゲットに二発ずつ叩きこまれ、軌道のすぐそばですれ違うターゲットは曲刀の一閃で真っ二つに切り裂かれる。目を見張る技量である。

 強羅はそれと対照的に、相手の攻撃の一切に構わない。どのような攻撃も強羅の装甲にて受けとめ、頭を真下に向け、ゆるゆると回転しながら弾丸を放ち、シャルロットが敢えて無視した遠間のターゲットを確実に仕留めていく。しかしそれでも手が足りなければ曲刀からワイヤーを伸ばし、鞭のように踊る剣先で斬り裂き、貫き、抉り倒す。

 常に帯同するには機体の特性に差のありすぎる二機であるが、二人の明確にして信の置かれた役割分担は紛れもなくこの場で最良の選択であったことは明らかであった。

 

 

 そうして瞬く間に半分ほどの高度を下ったところで、ターゲットの分布が一変する。それまでタワー外周のコース上に均等に分布していたターゲットの一群が二手に分かれ出したのだ。

 片方は攻撃を集中させるために密集し、もう一方は間隔を広く取って一網打尽にされることに備えた、攻防両面を意識した布陣だ。

 

 戦力分散は本来つつしまれるべきことであるが、それも今は例外となる。この布陣ならば、曲刀と拳銃を持った武装では対処が非常に困難になる。

 

 だが一目見た瞬間にそれを見抜いたシャルロットと真宏は一瞬だけ視線を交わし合い、すぐに作戦の変更を決断。

 今のままでは戦いづらいなら、戦法を変えればいい。

 

「真宏っ!」

『シャルロット!』

 

 掛け声とともに、二人はそれぞれ手に持つ武器を放り投げる。

 シャルロットは拳銃を真宏に。真宏は曲刀をシャルロットに。

 

 相手の軌道をすら読んでの投擲はターゲット達に邪魔すら許さず正確にそれぞれの手へと相棒の武器を収め、これにて二刀流のラファール・リヴァイヴと二丁拳銃の強羅が誕生する。実のところ蔵王重工が半ば冗談で作ったこの武装、こうして使うために当然ラファールと強羅の間では使用許諾アンロックがなされている。

 

 そうして武装を交換し、すぐさまそれぞれが示し合わせたように、自らの武装に最も適したターゲット群へと挑みかかっていく。すなわち、シャルロットが密集したターゲットへと斬り込み、真宏が散開したターゲットの陣中央での防御と迎撃である。

 

 

 ターゲット達の策もむなしく、そこからも二人の圧倒的な戦力を減じることはできなかった。

 シャルロットが自機の機動性の全てを駆使して空中に鋭い弧を描き、その度に両断されたターゲットが次々と増えていく。密集したことが仇となり、一つの弧を描くだけでその軌道にかすめるターゲットの数は多く、爆炎の花は連鎖するように増え続ける。

 

 一方の真宏もまた、いかにも強羅らしい。

 ラファールやその他、通常のISと比べて機動力に大きく劣る強羅は回避という行動をあまりせず、また必要もない。大抵はただ装甲のみによって弾くことができ、自動攻撃型の無人ターゲットごときの攻撃など体を収めた中枢へと響くことすら許さず、ただ反撃のみに集中する。

 シャルロットの相手にしている一団と異なり、互いに広くあらゆる方向に間隔を取ったターゲットを相手にするには、弾数が無限とも思える拳銃であってもただ当たり前に狙っているだけでは足りない。

 

 真横に手を広げ、体で十字を描くようにして一射。腕を交差して一射。脇の下を通して後ろのターゲットを狙い、前方の敵には贅沢にも両手から一発ずつの弾丸を叩きこむ。

 自らの体を囮とし、相手の攻撃にも構わぬ反撃。十分な装甲と、パワーに裏打ちされた手元の素早さが可能とする二丁拳銃による体術と銃撃を組み合わせた近接格闘術……の、モドキであった。

 本来ならば相手の攻撃を回避しつつ、あるいは誘導によって同士討ちをすら誘う戦闘技術なのだが、強羅と真宏の体術はそれに向いていないため、相手の攻撃を無視した上での行動になっている。

 

 だがそれでもこのターゲット相手には十分以上に有効な戦術であり、真宏はシャルロットとほとんど変わらないペースでターゲットを撃破していくのだった。

 

「すごいね真宏……落ちながら戦ってる!」

『一応言っておくが、自由落下してるわけじゃないからな』

 

 お互いに、こんなことを言い合うくらいの余裕を持ったまま。

 

 終始一方的であったその訓練は、ISの機動力を持って行われたため長くは続かない。二人が武器を交換してからさほどの時間もかけず、シャルロットは最高速を維持したまま地上へと着地。それと同時に両手の曲刀を左右に投擲して二機のターゲットを貫き、重々しい地響きと共に遅れてその後ろへと降り立った強羅は背後からシャルロットを狙った最後のターゲットの攻撃をはじき、振り向きざまに両手から6発ずつの弾丸を連続して放ち、蜂の巣にする。

 

 そして最後に残ったのは、互いの背中を預けるラファール・リヴァイヴと強羅の身であった。

 

 

「……僕は強敵だよ、一夏」

『それは間違いないけど、怖いぞシャルロット』

 

 

――ラウラ・ボーデヴィッヒの場合。

 

 しょーき、しょーき、しょーき……。

 

「……」

「……ね、ねえちょっと、あれどうするのよ」

「どうするって言っても……」

 

 ロッカールームの隅の、ベンチの上。

 自分用のロッカーの前で一人、何故か傍らに鋸を転がしたままナイフを研ぐラウラがいた。

 

 同じくロッカールームにて着替えをする生徒達もいるのだが、ラウラの発する異様な雰囲気に当てられて誰ひとり近づこうとすらしない。ラウラがいるのは特に奥まった位置であるからか、何故か照明すら薄暗くなっているように感じられる。結果として、まるで昔話に出てくる鬼婆が包丁を研いでいるシーンか、あるいはこのままniceなboatで海へ出そうだ、というのがその場に居合わせた日本人IS学園生の感想であった。

 

「……教官にはいらん子扱いされ、一夏ともタッグを組めなかった」

 

 そんなラウラが、ふとつぶやいた。

 確かにそういうこともあったという噂は流れているが、ラウラのこの様子からするに本当のことだったのだと、その場にいた少女たちは確信した。

 だって、ラウラの目がハイライト消えるほどに虚ろだし。

 

「……おい、お前達」

「ひぃっ! な、何……?」

 

 そんなラウラがくるりと、どことなく人形じみた動きで首だけを傾け、遠巻きに様子を見ていた少女達の方を向く。

 相変わらず目からはハイライトが消えていて穴のように平坦な色であり、正直ビビる。だからこそ声が裏返ってしまったのだが、ラウラはそれを少し曲解したらしい。

 

 

「お前達……いま私を笑ったかァ……?」

「笑ってない笑ってない絶対笑ってませんんんっ!?」

 

 

 ゆらりと立ち上がる姿は、さすが歴戦の軍人だけあって隙がなく、両手にそれぞれ持たれたナイフと鋸が異様に怖い。夜中に出くわしたら確実に泣くし、ぼうっとしていたら妊娠なんてしてないのに腹をかっさばかれる、とその場の誰もが思ったという。

 

「そう……か。……ふっ、お前たちはいいよなぁ……。なあ、私の妹になれ」

「ボーデヴィッヒさん本格的に大丈夫!?」

 

 今にも地獄に落ちそうなラウラの様子に、いい加減本気で勘弁して欲しいと思い始める生徒一同なのであった。

 

 

 ――とまあ、あとから聞いた噂も混じってはいるが、大体こんな感じで誰もが一夏と組めない鬱憤を溜めに溜め、タッグトーナメントでの激突を待っていたらしい。

正直、この時期のヒロインズはなんかもう近づくだけでピリピリするほど怒りのオーラを纏っていたから、恐ろしいことこの上なかった。

 俺自身は直接の関係がないとはいえ、一夏が簪と組もうと四苦八苦している原因の一端を担っているだけあって、心穏やかでいるというわけにはいかなかったし。

 

 こんな状況の中で、割と落ち着いた精神をもっていたのは、ただ一人。

 この日、一流ホテルのディナー招待に釣られて一夏と共に雑誌のインタビューを受けに行き、夕食がてら五反田食堂に寄ってきたと後に話してくれた、箒だけなのだった。

 

 

――篠ノ之箒の場合。

 

「箒ちゃん、ゲッチュ! 転送!!」

「うわあああっ! なんだこれは、網!?」

 

 一夏とインタビューを受けに行った日曜日からしばらくした平日の放課後。剣道場にて居合稽古をしていた箒は、突如自分の体が突如巨大な網に覆われたことで悲鳴を上げた。

 気配こそ察知できなかったが、背後から響く無駄にノリノリな声からして既に正体は分かっているためすぐに冷静さは取り戻したのだが、何のために何をされたのかは、さっぱりわからない。

 

「……何をしているんですか、更識先輩」

「やん、楯無って呼んでくれなきゃやーだ♪」

「……楯無先輩」

 

 箒は心底嫌そうに、面倒そうに呟いたつもりだったのだが、その程度の嫌味が通じるほど可愛らしい手合いでないことはわかりきっている。案の定、やたら巨大な虫取り網を外されてから振り向くと、常のごとく底の知れない笑みを浮かべた楯無がいる。

 

 何を思って人間を丸ごと捕まえられそうな網など用意したのかは疑問だが、聞いて答えてくれるわけもないし、どうせロクな意味などないに決まっている。

 

「真剣の居合かー。本格的よね」

「ええ、実家は戦国時代を生き抜いた曰くある血筋らしいので、この程度は。……それよりも、何の御用です?」

 

 だからこそ、箒は早速本題を訪ねた。真宏や一夏から聞く話と自分自身が接した経験からするに、ペースを無条件でゆだねるとやたら疲れることになる相手なのだ、この更識楯無という上級生は。

 

「うん、ちょっと急ぎ過ぎな気がしなくもないけど、ちょうどいいわ。――箒ちゃん、私と(タッグを)やらないか」

「帰っていいでしょうか」

「ちょっ、待って! 待って待って、ごめん嘘冗談だから帰らないでえええ!」

 

 ポニーテールを翻しながら出口へと振り向き、颯爽と歩いて行くと剣胴着の袴に楯無が縋りついてきた。普段は色々と頼りになる生徒会長であるというのに、この鬱陶しさ。色々と演技なのではないかという常から楯無に付き纏う疑惑を一層高めてくる。

 

「うぅ……でもね、お願い箒ちゃん。私、タッグを組んでくれる人がいなくなっちゃったのぉぉぉ!」

「うっ……、そうなのですか」

 

 しかし、その言葉は真に迫るものがあった。確かに、今度のタッグトーナメントに関しては、箒の知る限りでもほとんどの専用機持ちが既にタッグパートナーを決めたという話を耳にした。その一方で箒はまだ誰とも組んでいないし、楯無が誰かとタッグを結成したという話も聞いていないことから考えて、これは本当のことなのだろう。

 そろそろタッグ申請の期限も近付いてきたのだから、確かにこれ以上悩んでいるよりはここで楯無とタッグになるのが最も適切ではないかと、そう思えてきた。

 

「ね、ね? お願い、箒ちゃん」

「む……。わかりました」

「ホント? 本当に組んでくれるのね? ……やったー! もう、何も怖くない……っ!」

 

 ……そう思ってしまったことをさっそく後悔させてくれる先輩である、この人は。箒が承認するなりそこらに転がっていた箱に片足を乗せ、頼りになる割にいつも一人でいることが多く、ウナギのような何かに首をかじられるどこぞの先輩のようなことを言っているのだからして。

 

 

「それじゃあ箒ちゃん、さっそく検査室に行ってフィジカルデータをチェックしてから、職員室へタッグの申請に行きましょう」

「は……。タッグの申請はわかりますが、検査室ですか?」

「うん、ISは自動調整機能もあるけど、やっぱり自分の最新データを元に微調整もしてあげないといけないから。制服に着替えてからだとやりづらいし、ついでにそういうこともレクチャーしてあげようと思って。さあ、行きましょ行きましょ」

「なっ、ちょ……押さないでください!」

 

 そして、箒は楯無に導かれるまま検査室へとやってきた。

 こういった検査を受けることなど、IS学園入学時に受けて以来。さてどんな結果が出るのだろうかと、少しは気にならないでもない。

 

「超忍法、開けゴマ!」

 

 楯無の無駄なワンアクションの後、ドアの開閉パネルに触れるといかにも近未来的なIS学園らしいドアが、圧縮空気の抜ける音と共に左右に開く。この学園には時々こうした無駄に凝ったギミックの付いたものがある辺り、多分に趣味の世界を反映している気がしてならない。誰の趣味かは分からないが。

 

 ともあれ、やってきた検査室だ。

 その名の通り、主にISに搭乗する人間の状態を調査するための各種検査機器が大型小型問わず整然と並べられており、部屋の壁に沿ってぐるりと一周すれば人間ドック以上のレベルで精密な調査ができるほどに機材が整っている。

 中でも用があるのは、フィジカルデータを測定するためのリングスキャナ。人が乗れるスキャンフィールドに立ち、足元から浮き上がるリング状のスキャナが対象のフィジカルデータをあらゆる方向から採取するという、部屋の入り口の形状に見合ったいかにもSF的な装置だ。

 正直なところ、この装置を使うのは箒も少しワクワクする。かつてISが開発される前、一夏と真宏とともに特撮やらアニメやらを見ていた頃を思い出させてくれる。

 

「それじゃあ箒ちゃん、準備はいいかしら? 私はできてる」

「いつの間にイタリアのギャングスターになったんですか。……準備は、できています」

「よーし、それじゃあ青春スイッチ、オン!」

 

 とはいえ、さっそくコンソールについて待っている楯無を待たせるわけにはいかない。箒もまたそそくさとスキャンフィールドの中央に立つ。そして楯無が何やら宇宙にまで飛んで行けそうな掛け声とともに装置を起動し、箒の全身はゆっくりとスキャンされていく。

 

 

「……スキャニングチャージ! って叫んでいい?」

「真面目にやる気が無いのなら本気で帰りますが」

「あ、あはは……! ウソウソ、冗談よ!」

 

 などと、息をつく暇もなく冗談を口走る楯無であったが、その実コンソールに向けられた視線は真剣そのもの。タッグを組むことになった箒のため、どうにも気は合わないようだが、本気で向き合ってくれているらしい。

 

 

「ん……よしっ、データ採取完了。このデータは紅椿の方に送っておくから、明日からこれを元に調整の仕方を教えてあげるわね。今日はひとまず、ゆっくり休んでちょうだい」

「はい、わかりました。……明日から、よろしくお願いします」

「こちらこそ~」

 

 丁寧に挨拶をする箒に、楯無は朗らかな笑みを浮かべながらひらひらと手を振っている。どうやら、チェックの後始末もしてくれるらしい。そんなことまで任せてしまうのは少し心苦しくはあるが、それでも今の箒がここにいたところで手伝えることなどないのも事実。その分も明日から教えてもらおうと決意し、着替えるためにロッカーへと向かう。

 

 

 普段の自分が、普通の相手に対してなら必ず反発するであろうこんなやり取りを経ても、不思議と不快に感じない。それが楯無の魅力なのだろうか。

 こんな自分でも当たり前のように接することのできる人が真宏や一夏以外にもいる。そう思うと、少しだけ心が弾むのが感じられた。

 

 

「……なんと、まあ」

 

 箒が去り、楯無一人が残る検査室。

 既にスキャンフィールドは用が無くなり、他の装置も使う理由は無いのだが、どうしても確かめたいことがあったためにコンソールを起動したままにし、誰も入ってこないよう扉にはロックをかけた上でいまさっき採取した箒のデータを眺めている。

 

 眼前に浮かび上がる、二つのディスプレイ。片方に映し出されているのは、身体能力と胸囲こそ驚くべき数値であるが、IS適性は「C」と至って普通、あるいはIS学園に入学を許される生徒の中では劣等とさえ言える、入学当初の箒のデータ。

 

 そしてもう一方は、まさに今取ったばかりの最新データ。 

 身体能力やバストサイズなどにも若干の成長が見られるものの、何より目を見張るのはIS適性が「S」であることだ。

 ごくあっさりと採取され、いまも当然のようにディスプレイに映し出されるこのデータ。実のところ、そう簡単なものではない。

 

「……………………」

 

 楯無は、黙して考える。

 入学当初の箒のIS適性が低かった。これはいい。

 箒はISを開発した篠ノ之博士の妹であるため半ば強制的にIS学園へと入学させられたわけだから、能力的な面はあまり考慮されていない。

 そしてその分、入学以後の鍛錬によって目覚ましい成長を遂げることも決してありえなくはないのだが、IS適性がSというのはやり過ぎだ。

 

 

 本来IS適性とは生来の才能とも言うべき素質が最も大きく影響するもの。

 ISとの相性や訓練次第で多少の上下はあるが、常人並のCから世界でも屈指の実力を誇るモント・グロッソ優勝者たる『ブリュンヒルデ』や『ヴァルキリー』レベルへと飛躍的な上昇を遂げるなど、にわかに信じられる話ではない。

 

「……あくまでプライベートな訓練の一環、ってことで取ったデータでよかったわ」

 

 そう呟きながらも、楯無は今採取したばかりのデータを手早く情報端末に移し替え、コンソールとスキャン装置本体から記録を削除。さらには生徒会長の権限を利用してこの部屋の管理システムにまで入り込んで入念に痕跡を消滅させる。そうすれば、公式記録ではないこのデータが出回ることはない。

 それでもあるいは箒のデータをスキャンしたとき以上の時間をかけ、慎重さをもってことにあたり、完了後に自分の行動が真に正確に為せているか三度の確認の後、ようやくコンソールから立ち上がる。

 

 これで、このデータが自分以外の誰かに知られる可能性はほぼなくなったと言っていい。

 ただでさえ各国から垂涎の的と目されている世界にただ一機の第四世代ISを専用機に持ち、ましてやこの短期間でIS適性に目を疑うほどの成長を見せた、篠ノ之箒。

 

 こうなった可能性はいくつか考えられる。

 

 あるいは、箒の才能が開花したというもの。

 もしくは入学時のデータが何かの原因で間違っていた、あるいは意図的に間違った物にされていた可能性。

 篠ノ之束博士直接の差し金ということもあり得る話。

 そしてもう一つ、紅椿に搭乗者の成長を促す「何か」がある、という可能性だ。

 

 いずれが正解なのか、はたまた全くの的外れなことを考えているのか、今の楯無には判断のしようがない。だがどんな理由であれ、箒が今以上に世界中のIS関係者から合法非合法を問わない手段で注目されることになりかねないこの情報、IS学園生徒会長としても、更識家十七代当主としても、到底おろそかには扱えない。

 

「……っ」

 

 その手の中に握りこんだデータは、おそらく今この世にある情報の中でも屈指の重さを誇るだろう。その自覚が誰より強い楯無の瞳は、部屋を出るその瞬間まで、普段の彼女の明るさからはかけ離れた冷たさを放っていた。

 

 

◇◆◇

 

 

 一夏が簪と出会い、度重なるタッグ申し込みアプローチがことごとく不発に終わり続けて幾日が経ったか。キャノンボール・ファストが終わった翌日、タッグトーナメント開催が告示されるより先に会長と俺から簪のことを頼まれ、タッグ募集期間をずっと簪への頼みこみに費やした一夏の努力は、友人としても目を見張るものがあった。

 やっぱすげぇよ、一夏は。

 

「なあ簪さん、一緒に食堂行こうぜ」

「……い、イヤ」

「……………………」

 

 ただ、その接触のほとんどに俺を同行させるのは一体どういうわけなのだろう。最初に四組まで押し掛けたときは簪と知り合いである俺が仲介するという理由があったにしろ、タッグ申し込み締め切り当日の昼である今この瞬間も、やはり一夏に連れられて簪の元へとやってきていた。

 

 さる筋からの情報によると、今日は何かの手違いで簪のいつもの昼食であるパンが既に売り切れてしまっているらしく、おそらく登校してからその事実を知ったであろう簪は弁当を用意できているはずもない。となれば必然的に、食堂で昼食を取らねばならなくなる。

 ちなみに、それなら一食抜くなどという選択肢は、他の誰が何と言おうとこの俺が許さない。これまでも、整備室に引きこもっているときには脅しつけてでもしっかり朝昼晩と食べさせてきたのだからして。無駄に腹を空かせることなどあってはならないという信条をもつ俺がいるという事実は、目の前の簪から確実に抵抗の意思を削いでいるだろう。

 

 ……まあ、席に着いたままの女の子を男二人で取り囲むというシチュエーションに対して思うところはかなりあるのだが、今は色々と時間もないからしょうがない。

 

「――!」

「――!!」

 

 だから一夏と互いに一瞬だけ目配せをしたのとほぼ同時、俺は簪の右腕を、一夏は左腕を掴み、両側から引っ張り上げて無理矢理に立たせる。

 簪の身長は女子の平均から高くも低くも逸脱していないが、それはすなわち俺と一夏から比べれば多少背が低いということ。そしてIS学園に入学してからはISの操縦技能のみならず、千冬さんの課す地獄のような実習授業で生き残るためにも結構鍛えている俺達ならば、女の子一人を二人がかりで捕獲された宇宙人のように運ぶのは簡単なこと。

 

 つまり。

 

「い、いやっ! 離してっ!」

「はっはっは、今日ばかりは聞けないな! 行くぜ真宏!」

「よっしゃあ!」

 

 床から浮いた足をばたつかせる簪は、しかし俺と一夏に抱えられた腕から逃れることもできず、千冬さんがどこからともなく飛んでこない程度の速度で食堂へと連行されるのであった。

 

 

「……ああっ! 織斑くんが女の子を……、神上君と連行してる?」

「はぁ? 何言ってるのよ、織斑くんが女の子を連れてくるんだったら、確実に臆面もなくお姫様だっこを……してないわね。エイリアンでも捕まえたみたいに両側から抱えてるわ」

 

 そして到着した食堂。入るなりそんなギャグみたいな会話が聞こえてきたような気もしたが、一夏の普段の行動からすればなんらおかしなところが無いのが怖い。

 

 ここに来る間に簪は抵抗の気力を失ったようで、ぐったりと顔を俯けて体から力を抜いて、ぷらーんとしている。正直少しやりすぎたかなーと思わないでもないのだが、それでも簪は元々筋金入りのネガティブ引っ込み思案だから、多少強引なくらいでなければ動かせやしないし、まぁちょうどいい。

 

 ここまで来たらもう逃げることもないだろうからとゆっくり足を床に下ろしてやると、多少ふらつきながらもしっかり立ってくれた。うん、これなら大丈夫そうだ。

 

「それじゃあ簪さん、何食べる?」

「今日の日替わりはチキン南蛮か……でも俺はうどんかな。卵を入れたいから月見……おろしうどんで!」

「……う、うぅ。……わ、わたしも……うどん」

「おー、うどん。真宏と同じやつか?」

「ん……私は、かき揚げ……」

「よっしゃ、それじゃあサクッと注文して席探そうぜ! かき揚げだけに!」

 

 その観察は、正しかったらしい。普段食堂には来ないからか勝手が良くわからない様子ではあったが、それでも簪は一夏に妙なものを選ばれるより先に自分の希望を口にして、一夏の寒すぎるダジャレに冷たい目を向けている。いち早く食堂奥の席を見つめてくれるくらい視力のいい簪の、メガネのようにしか見えない携帯用ディスプレイごしの視線はこうしているととても鋭く見えるのだ。

 

「さて、と。いただきまーす」

「いただきます」

「いただき……ます」

 

 そして、うどんをすするずるずるちゅるちゅるという音と、タルタルソースをかけられながらもなお衣が香ばしいチキン南蛮をかじるさくさくという音が交差する。

 

「おっ、簪さんはかき揚げをつゆに浸すんだ。ラウラはサクサク派だから、見つかったら戦争になるな」

「せ、戦争って……」

「ちなみに、ラウラ以外にも一年生専用機の良く集まる一夏の部屋は、きのこたけのこ戦争の主戦場でもあるぞ」

「毎度勃発するたびになぜか俺の部屋の中を自陣営の色でたくさん塗りつぶした方が勝ち、ってわけのわからない勝負されて、部屋の掃除が大変だよ……」

 

 一夏はさすがというべきか、食事時に相手が嫌がるような話題を振ることをしない。他愛のない話題で女の子を楽しませることにかけて、一夏の右に出る者などいるのだろうか。これほどの逸材は、俺の残りの人生でもそうはお目に書かれそうな気さえするのだから、さすがのジゴロっぷりだ。

 

 

 あとこれは全くの余談だが、きのこたけのこ戦争のくだりは全く誇張が無い。両陣営ともにスタンダードなきのこたけのこから、地方・期間限定品まで幅広く戦力を取りそろえ、舌鋒鋭く繰り広げられる論法は終わりない百年戦争の様相を呈しつつも、双方均衡した支配圏をさらに広げようと、最近では布教までしているとか、していないとか。

 ……うん、心底どうでもいいな。

 

「うーん、やっぱりここのチキン南蛮は美味いな。簪さん、食べてみる?」

「えっ……!?」

 

 とか何とか考えているうちに、ほら来た。

 一夏の得意技、「一切意識してない『はいあーん』」だ。普通この年になったら照れやらなにやら出てくるだろうこの行動、この織斑一夏という男はなんのてらいもなくやってのける。

 差し出された箸には、サクサクの衣の上に角切り白身が入ったタルタルソースのかかったチキン南蛮の一切れが。タルタルソースと南蛮酢の酸味が厚めの鶏肉と絶妙に合っている、俺もかなり気に入っている一品。

 

 果たして、簪はこれを受けるのだろうか。肉類が好きではない簪も鶏肉は平気らしいのだが、はてさて。

 

 ……と、そこでどこからともなくギリギリと小さな音がしているのに気が付いた。

 何やら「絶対に許さん!」とばかりの怒りに満ちたこの音、どこかで誰かが黒い太陽の世紀王にでも変身しようとしているのかと思ってあたりを見渡すが、突発的にそんな奇矯な行動に出るような人間は俺くらいしかいないらしく、変身ポーズを決めている生徒はいない。

 はて一体何が原因なのか、と思って手を顎に当てようとして、そこで気付く。

 

 ……あ、この音は俺が箸を力いっぱい握りしめてる音だ。

 

 い、いやあはははは、何やってるんだろうね俺は。

 これじゃあまるで、簪にあーんとかしようとしてる一夏に怒ってるみたいじゃないか。

 そんなバカな、まさか俺も箒たちヒロインズの一員みたいに嫉妬する心境になったとでも!? また薄い本に燃料を投下してしまったとでも!?

 

 その時の俺が錯乱していたのは言うまでもない。

 自分では原因が良くわかっていなかった――か、あるいは敢えてわからないよう無意識に避けていた――が、出所不明の感情にわけのわからない考えが合わさって混乱し、もう少し放っておかれたらますますの醜態をさらしていたことだろうと思う。

 

 だが結果として、俺は騒ぎ立てたり挙動不審な行動に出ることなく、何とか落ち着くことができた。

 

 何故なら。

 

「……ね、ねえ」

「……………………っ」

 

 そっと、わずかに困ったような顔をした簪が、俺の袖を引いてきたからだ。

 

 ただそれだけのことで、すっと頭が冷えた。

 別にいいカッコをしたいというわけではないが、いつもながら色々と人の心の機微をスルーした一夏の行動にどう対処していいかわからなくなった簪が、ほんの少しだが俺を頼ろうとしてくれている。

 そんなことをされたのだから、俺の心はそれに応えたいという一色に染まった。

 

「……一夏、簪は食べないようだからそれは俺にくれ、俺に。かわりにつゆをたっぷり含んだ大根おろしやるから。あーん」

「どういうトレード条件だよっ!? ……まあいいけどさ、ホレ」

「サンキュ。もしゃもしゃ」

 

 うん、美味いね、チキン南蛮! なんか前に食べた時よりやたら美味いようにも思うけど、……多分、今日だけは勘違いじゃないんだろうな。

 

 

 俺達三人の食事は、そんな感じでごくあっさりと時間が過ぎていった。俺はチキン南蛮を一口で食べたので一夏が無自覚に関節キスをかますこともなく、一夏がこれ以上簪に変なちょっかいをだして茶碗を一味唐辛子で赤く染められることもなく、簪は俺がレンゲで無理矢理押し付けた卵を困惑しつつもおいしそうに食べていた。かき揚げと卵というのも、悪くない組み合わせだったらしい。

 

 これまでどうしても一夏と打ち解け切れなかった簪だが、今日はこうして一緒に食事をして、話をして、時々辛辣なことを言っては一夏の心に言葉のナイフを突き立てる。

 割と、いつも通りの光景だ。

 

 それでも簪は。

 ほんの少しだが、一夏に初めて――いつものきれいな笑顔を見せていた。

 

 

◇◆◇

 

 

「――ということで、格闘戦においては『速度』『体重』『握力』の乗算が破壊力となるわけで……」

 

 昼食を終えてすぐの5限目の授業。ただでさえ眠くなる時間に、実習ではなく座学が入っていれば、学生は眠りの世界へといざなわれていく。

 それはもはや自然の摂理であり、IS学園の生徒であってもそれは例外ではなく、誰もが眠気と戦っている。ただ一般の学校と違うのは、生徒達にその本能に逆らおうという気概があることだ。

 ことに近接格闘についての理論を伝えるこの講義はいずれ来るべき「織斑千冬のどきどき格闘実習」に密接なつながりがあり、もし知識に遺漏があれば冗談ではなく地獄を見ることになりかねない。どきどきのまま終わるか、怒鬼怒鬼の訓練になるかは今日次第と言っていい。

 

「……」

 

 だがそんな授業も、講義の内容をすべて頭に入れてある簪にとってはあまり関係が無い。もし今この場で内容を復唱しろと言われても即座に実行できる。

 それでも簪は授業をおろそかにするようなことは普段ならばしない。生来の真面目な気質が教師の言葉を聞き、時折混じる生の体験談に近い現実を感じ取ろうとする。

 

 本来はそうだ。しかし今の簪には、それよりも大きな懸念事項がある。

 

「……ふぅ」

 

 思いだされるのは、今日の昼食時の光景。

 真宏と一夏と3人での食事をしたときのこと。

 

 IS学園に入ってから、簪は長く一人の時間を過ごしてきた。時折本音が「わたしは~、かんちゃんのメイドだから~」などと言いつつ袖を振り回しながら抱きついたり打鉄弐式の開発を手伝ってきたが、その程度。新しい友達ができることもなく、むしろそれを避けすらしてたった一人、自分の専用機の自力開発だけを目指してきた。

 

 今では、必ずしもそれだけにこだわるのが正解ではないと簪も思っている。

 真宏と……そしてその後ろで暗躍しているであろうあの人の想いの一端でも理解して、自然と考えが変わってきたというのもある。

 ましてや、簪はつい先日とあるヒーローの至った結末を見て大号泣した身。空から落ちてくる主人公を受けとめんと集った人たちの中の一人、頼りになる大人なあの人の言った「頼らないことが強いってことじゃないぞ」。心を開きかけた簪にとって、最後のひと押しにもなりうる言葉だった。

 

 簪はもう、一夏とタッグを組もうと決めている。

 これまではどうしても羞恥やその他複雑に渦巻く感情が先に立ってその申し出を断り続けていたが、それも今日まで。今度こそ一夏とタッグを組む約束をしようと……。

 

「……っ!!」

 

 そこまで考える度、簪の心はそれ以上の何物をも拒んでしまう。

 

 一夏とタッグを組んで、どうなるのか。

 タッグを組んで、トーナメントに出場する。

 そのために一夏や真宏は、打鉄弐式の開発を手伝ってくれるだろう。これまで遅々として進んでこなかったが、彼らの助けがあればトーナメントまでに間に合うかもしれない。……いや、真宏あたりは意地でも間に合わせると言ってのけるだろうし、そんな彼と古くからの友人である一夏もまた、同じようなことを言うに違いない。

 

 では、その先は?

 

 トーナメントに出場する。

 どうしても専用機への慣れが十分とは言えない簪と、セカンドシフトまでしてのけた機体をもてあまし気味の一夏では、さほど勝ち進めたりはしないだろう。

 だが、万が一にも勝ち進んでいったら。

 あるいは、その初戦から……楯無とぶつかることになったら、どうなるのだろう。

 

 簪の体に、震えが走る。

 楯無の、姉の存在は簪にとってそれだけのものなのだ。

 なんでもできた姉。どんなことでも自分より優れていた姉。

 姉より優れた妹など存在しねえ、と思い知らされてきた。

 

 専用機を完成させるということは、ついにその姉と同じ舞台に立つということだ。

 

 

 実のところ簪は、もう姉のことを完璧だなどと思ってはいない。

 No Body’s Perfect、と帽子の似合うとてもハードボイルドな探偵も言っていたし、簪もそうだと思う。

 

 だがそれでも楯無は、完璧だ。

 少なくとも多くの人がそう思わずにいられないように、ふるまっている。

 ならばその下には、どれほどの努力と苦難があり、乗り越えてきたのだろう。完全には至れない人の身で、あれほどの能力を、カリスマを発揮し、責任に応えて見せる。そんなことが、簪にはできるだろうか。

 できはしない。簪でなくとも、楯無以外には他の誰にだって、できはしない。

 

 幼いころより積み上げられたその畏怖は今も消えず、それが簪の足を竦ませる。

 

 どうしてあの人はそこまでできるのかが、わからない。

 そしてわからないと、確証が持てないと、簪はどうしても勇気が出せなかった。

 

 

――何を、宇宙海賊の一人みたいなことを言ってるんだ

「っ!?」

 

 希望の見えない未来の幻想に、簪の心は重く塞ぎこむ。

 闇が質量を持って、帳のように体に降り積もる幻覚にさいなまれたそのとき、声が聞こえた。

 呆れたようでいて、その実とても優しく簪の身を案じている、これまでにも心地よく響いたその声に、簪は気付く。

 真宏の、声だ。

 

 だが目の前の闇は晴れない。簪の心に堆積した積年の闇は深く、重く、もはや簪自身の力では取り除くことも不可能で、声が届いても光が射すことはないだろう。

 自分はもはや、立ち上がることもできないのだ。

 本気でそう思う。

 

――そんなわけないだろう

 

 しかしそんな自我の一部とすらなりかけた諦観を、真宏の声はただの一声で否定する。

 

 だが、簪はそれを信じられない。

 バカな、ありえない。それが当然のことなのだ。

 ヒーローがいれば違うかもしれない。でも、テレビの向こうのヒーロー達は、決して目の前に現れてくれたりしない。だから、もう……。

 

――だから

 

 なおも否定的な感情ばかりを噴きだす簪がそのとき感じたのは、光。

 絶望にも似た淀みの中でわずかに感じたその何かに、簪は顔を上げる。

 

 ほんの少し先に、光が見える。小さくかすかで、だがはっきりと光る何かが。

 その光の中から、手が伸びている。

 まっすぐに力の限り伸ばされた手は、簪に向かって差しのべられていた。

 

 だが届くには足りない。

 どうしても、光から簪までの距離を繋ぎきるにはその腕だけでは短すぎる。

 

「……」

 

 簪は、そのかすかな光に照らされた自分の手を見る。

 信じられないほど重くなった自分の体は動かすだけでも億劫で、多大な精神力を必要とする。

 

 それでも、伸ばされた手はほんのすぐ先にある。簪も手を伸ばせば、届くだろうほどに。

 

 これは一つの選択だ。

 あの光は強くて優しくて、希望がある。だがその手を掴んで行く道は、今この場で沈んでいくよりも間違いなく辛く厳しい道でもあり、力が足りなければ半ばで倒れてしまうだろうことが、なぜだかはっきりとわかる。

 

 それでも進むべきだろうか。

 進めるだろうか。

 

「……んっ!」

 

 悩んだのは、しかしほんの一瞬。

 簪は、手を伸ばすことを選んだ。

 

 光の中の手と同じくらい必死に、重くて仕方のない腕を上げ、肩ごと突き出すように腕を伸ばす。

 手が届くのに手を伸ばさなかったら、きっと死ぬほど後悔することになるだろうから。

 

 確かにこの選択は楽なものではない。涙も流すだろうし、今以上の絶望が待っているかもしれない。

 

 だが、それでも。

 簪はそれと同じくらい……いや、もっと強く確信する。

 

「あと……、ちょっと……っ!」

 

 簪が勇気を出して手を伸ばせば、いつでもこの手が掴みあげてくれるということを。

 伸ばした指が触れ、絡み合い。

 

 

――諦めるな!!!

 

 

 強く、優しい力と暖かい熱を持った手に掴まれて、簪の心は光の中へと引き上げられた。

 

「……うん!!」

 

 

◇◆◇

 

 

「簪さんは俺とタッグを組む、簪さんは俺とタッグを組む、簪さんは俺とタッグを組む……」

「……ついに催眠術に出やがったよこいつ。あ、気にしないでね。いつものことだから」

 

 簪と一緒に昼食をとったその日の放課後、俺と一夏は例によって四組へと足を運んでいた。

 タッグ申し込みの締め切りは今日の五時。さすがにいい加減簪にも決意してもらわなければならなくなったので気合を入れて望んだ一夏であったのだが、いざやって来てみればなんと珍しいことに、簪がうつらうつらと舟を漕いでいた。

 眉根に小さくしわが寄っているので決して熟睡と言うわけではないのだろうが、それでも普段から真面目な簪が寝ているとは。

 

 さすがにこれはもう説得の時間もないかと、半ば寝たままの簪を抱えて職員室まで連れていくという強硬策を俺が真剣に検討し出したそのとき、一夏の取った行動が、簪の隣につき、ぼそぼそと小声で耳元に吹き込むというこれだ。

 

 こんなことでタッグを組んでくれれば世話は無いと思うのだが、まあ好きにさせておこう。

 

「ん……う」

「簪?」

 

 しかしそのとき、簪の様子がおかしいことに気付く。

 元々夢見が良さそうではなかったが、今の簪は呼吸が少し浅く、腕が震えている。

 

 ……悪い夢でも見ているのだろうか。色々と気遣いやコンプレックスの多い簪には心労も多いはず。机に座って無理な姿勢になっているのだからなおのこと良い夢など見られるはずはないが、心配だ。

 

「大丈夫か……?」

 

 とはいえ、さすがに人の夢の中までどうこうしてやることは無理な話。

 俺に出来るのはせめて、少々ぶしつけかもしれないがその手を取ってやることくらい。

 

 簪の小さくてひんやりした手にそっと触れ、起こしたりしないようにやんわりと握ってやって……。

 

 

「……簪さんは……俺とタッグを組むっ!!」

「……うん!!」

 

 

 いまさっきまで寝ていたはずの簪は思いっきり俺の手を握りながら立ちあがり、ちょうど一夏が催眠術(?)の締めの言葉を言いきるのと同時に肯定の返事を返していた。

 

「えっ」

「えっ」

「……えっ?」

 

 重なる俺達三人の声。

 多分客観的に見たら頭の上に巨大なハテナマークが浮かんでいるだろうほどの、瞬間的な思考の空白状態。

 それぞれ首を傾げて互いを見交わし、一体何が起きたのか全く理解できていなかった。

 

 ……そして古今東西、こんな状況を打開するのは一番早く正気に戻ってごり押しした奴だと決まっている。

 

「や、やったー! 簪さんいまうんって言ったよな、言ったよな!?」

「えっ、あ……ええっ!?」

「あー……確かに聞いたな。……一夏の言葉に対してかは知らんけど」

 

 そしてこのとき、真っ先に我に返ったのは一夏だった。

 簪は夢とのギャップがひどいのか、この期に及んでも何が何やらわからない様子で俺の手を掴んでいるばかり。放課後となり、四組の生徒も多くが既に部活やら何やらに向かっていなくなっているのが唯一の救いだろうか。

 それでも数人はばっちりいるので、明日にはこの有様が尾ひれ背びれに角と翼まで付いて学園内を縦横無尽に飛び交い、口から炎を吐く大怪獣に成長していることだろうが。IS学園というのは、そういうところだ。

 

「よし、そうときまればさっそく登録だ! 真宏、連れて来てくれ!」

「……あぁ、わかったよ。行くぞ、簪!」

「え、えええええええええええぇぇぇ!?」

 

 ……残念なことに、これがタッグトーナメントにおける一夏・簪ペア誕生の秘密だ。

 秘密などと言うべきほどの物など何もない気がするが、全容はこんなものなのだからしょうがない。俺だって、あの時簪がどんな夢を見ていたのかを聞いたときにはつい笑ってしまって、しばらく拗ねた簪のご機嫌とりに難儀したくらいなんだから。

 

 ある意味俺が考えていた強硬策以上に無茶苦茶なこの方法。それでも職員室へと向かう間決して簪との手を離そうとはしなかった。

 だって、途中本当に簪はこれでいいのかとほんのちらりと振り向いて確かめたその表情には、たとえどんなことがあっても立ち向かって見せるという、紛れもない決意があったんだから。

 

 そんな簪を見た俺は嬉しくなって、ほんの少しだけ強く、簪のひんやりした手を握って走った。

 

 

 こうして役者はそろい、いよいよ本格的にタッグトーナメントへの準備が始まる。

 タッグの連携を高める訓練だけではなく、簪の専用機の開発も行わなければならないため、どう考えても時間は無い。だがそれでこそ挑戦のし甲斐がある。

 俺はその時、確かにそう思っていた。

 

 ……自分のタッグのことなど、完っ全に忘れ果てて。


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