ある人の墓標   作:素魔砲.

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「ふぁぁぁあああぁぁぁああ」

 

 

あごが外れそうなほど大きく口を広げて、あくびをする。

凝り固まった肩と首をほぐすために軽くストレッチなどを行いながら、自販機で買ったホットコーヒーを口に含んだ。寝床を気にするほど自分の体は繊細には出来ていないはずなのだが、どうにもよく眠れた気がしない。いまだに覚醒しきれていない意識を覚ますために、もう一度顔でも洗いに行こうかと思う。そうすれば少しは頭もすっきりするかもしれない。

 

そんなことを考えながら、ロビーの端に設置されているソファーから立ち上がろうとした時、ちょうど今回の連れが姿を現した。待ち合わせの時間にはまだ早いはずなのだが、彼女の方も寝覚めが悪かったのかもしれない。一見して分かるほど量の多い髪を、後ろ頭で器用に結んでいる。どこかの学校の制服のような格好もいつもと変わらない。

見た目もそれ相応で中学生くらいだ。まぁ彼女の場合は姿を変化させられるので、見たままの姿がそのままの年齢とは限らないのだが。若干切れ長の瞳を、眠そうにしょぼつかせ、手の甲でこすりながらこちらに向かって歩いてきた。

 

昨日、ジークの要請で横島の援護に現れたのが、この娘タマモだった。

やる気のなさそうな、あからさまに嫌そうな表情を隠そうともせずにこちらの世界にやってきた。横島との付き合いは美神除霊事務所のメンバーの中では、彼女がもっとも浅い。もともと美神が高額の報酬に目がくらみ請けた仕事で退治されるところだったのを、もろもろの事情で保護されているのだ。

 

正式に雇われているわけでもないので、今回の異世界行きに不満を持っているのだろう。建前では世間の常識を学ぶために、美神除霊事務所にいるのだから、無理もないことかもしれない。もっともここ最近では、そんな建前はすっかり忘れて事務所になじんでいるのだが。彼女はフロントの脇にある自販機から何か飲み物を購入し、一口すすりながら横島の向かい側に座り込んだ。

 

 

「おはよう」

 

 

お互いに挨拶を交わし、コーヒーを飲む。どうやら彼女も眠気をこらえているようだった。

 

 

「あんまり眠れなかったんか?」

 

 

目の前で横島とは違いあくびをこらえているタマモに尋ねた。

 

 

「そういうあんたも眠そうだけどね」

 

 

やはり分かってしまうのだろうか、睡眠時間自体は十分にとっているのだが。

 

 

「別に枕が替わって眠れないってタイプじゃねーからな俺は。ただなんかこう、こっちに来てから嫌な予感がするっつーか・・・」

 

 

昨夜、京都に到着したのは予想通り夜になってからだった。何しろ急な京都入りだったので、宿泊先も決まっていない。片っ端から付近の宿に連絡を入れて、どうにか近場のビジネスホテルに部屋を取ることができたのは、幸運だったのかもしれない。荷物を預けて、監視対象が宿泊している宿を下見に出かける。外から様子を探る程度だったので、はっきりした事はわからないのだが、なぜか異様なほど騒がしかった様子だった。

危険な感じはしなかったので、放っておいたのだが。

 

それから宿に帰って、遅めの夕食をとり眠りにつこうとしたのだが、なぜか目がさえて眠れなかったのだ。緊張して眠れないといったわけでも、体調が悪かったのでもない。強いて言うなら遠足前の子供の心境だ。そわそわと落ち着かない心がどうにも止まらなかった。まぁそれは楽しい予感などではなく、まったく正反対のものだったのだが。

結局横島が眠りにつけたのは、日付をまたいだ時間帯だった気がする。

 

 

「横島も?」

 

 

どうやらタマモも似たようなものらしい。

 

 

「ってことは、これって予知ってやつか?」

 

 

自分は美神ほど霊感が強いわけではないのだが、何かの予兆を捕らえたときは、その予感があたる事は多い。しかしそういった場合、大抵ろくでもないことが起こる。

 

 

「かもね、はぁ、いくら美神さんやおキヌちゃんの頼みでも、やっぱり断ればよかったかな?」

 

 

なんでも高級食材を使って作った油揚げづくしの料理か何かにつられ、横島の助っ人を頼まれたのだそうだ。いくら彼女の正体が、妖弧だからといっても、餌に釣られるというのは実際どうなのだろう。少なくとも出会った当初の彼女であったなら、プライドが邪魔をしそうではあるのだが。要するにすっかり美神たちに慣れてしまったという事なのだろう。

 

 

「お前は釣られるだけの餌があってまだいいじゃねぇか。俺なんか問答無用だぞ。どうせなら乳の一つも揉ませろっての」

 

 

「そんなんでいいんだ。でも、いつもの事じゃない?気にする必要ないと思うけど」

 

 

さも当然の事といった感じで、タマモは横島をあきれたように見つめた。

 

 

「・・・・・・反論する気もおきん」

 

 

いまさらながら、事務所においての自分の立場といったものを考えさせられるのだが、悲しくなるだけなのでやめておいた。気分を入れ替えて、軽い朝食をとりつつ今後の予定について話し合う。ジークから渡された修学旅行のしおりによれば、今日明日菜という少女は自由行動のようだ。決まった場所を観光するわけではないので、早めに宿に行って見張らなくてはならないだろう。

 

しかし何が悲しくて女子中学生のストーカーなどしなければならないのだろうか、まぁ男でないだけましといえなくもないが、せめて高校生か大学生、成熟したお姉さまがよかった。もっといえば色っぽくていろいろなところが出たり引っ込んだりしていて、もう見ているだけで辛抱たまらんような・・・・・。

 

 

「なるほどね、これの相手をしなきゃならないのか・・・・・。割に合わないわね」

 

 

疲れたようなしぐさでこちらを見つめるタマモの視線を感じ、横島はわれにかえった。

こっちの世界に来てから、主に一緒にいるのはジークだけだ。よほど自分は前の職場が恋しいらしかった。あわてて話を戻しながら、横島たちは話し合いを進める。

 

しかし、どのような魔族が明日菜という少女にとり憑いているのか、いやそもそも本当に魔族はこちらに来ているのか、両方ともわからないので、まともに対策を立てようがない。結局、いないかもしれない相手を必要以上に警戒するのも馬鹿らしいということで、監視をするだけして、成り行きに任せることになった。

 

双眼鏡などの張り込みに必要な道具を持って、ホテルを出る。

一応ジークから簡易型の霊力探知機を預かってきたので、仮に見失う事があっても事が起きれば、探し出す事はできるだろう。ただし、周囲に探査装置をばら撒いているわけではないので、過信は禁物だが。昨晩下見に行ったおかげで道に迷うことなく目的地にたどり着くことができた二人は、不自然でない程度に身を隠しながら、明日菜が出てくるのを待つ。

 

それから十分ほど暇を潰していると、がやがやと周囲が騒がしくなってきた。どうやら生徒達が外に出てきたらしい。横島は彼女の顔を直接見ているので、間違う事はないのだが、タマモは写真で確認しただけだ。

 

生徒の数も多い事だし気をつけていなければならない。最初から躓くのは御免だった。

とはいっても、怪しまれないようにしなければならないので、かなりの難題だ。ようやくお目当ての人物が現れたときには二人とも気疲れしていた。それでもなんとか明日菜を見つける事ができたので安堵していたのだが、一緒にいる人物を見つけた横島の顔がみるみる青ざめていく。そんな横島を怪訝そうに見つめ、タマモはどうしたのかと尋ねた。

 

 

「あ、あかん。モンスターがおる」

 

 

おびえたように身を震わせながら、横島は明日菜の隣にいる長い竹刀袋を担いだ少女を凝視する。見間違えるはずがない。あの少女は少し前に横島を追い回した娘だ。

少女との逃走劇が脳裏によみがえる。最初こそは普通に声を掛けながらこちらを追いかけてくる程度だったのだが、横島が逃げ延びるために抵抗を続けるたび、背後の気配が尋常でないものになっていったのだ。

 

人間離れをした脚力と体力、アホかと言いたくなるような馬鹿げた力の持ち主だった。なにせ何の誇張でもなく岩を切断するのだ。あの細腕で何故そんなことが出来るのかさっぱりわからない。不用意に背後を振り返り追っ手の表情を見たものだから、危うくトラウマになりかけた。嫌過ぎる文字通りの鬼ごっこだ。

 

あわあわと意味もなくそこら中に視線を向けながらびくついている横島に、落ち着きなさいと呼びかけながら、タマモはその少女を注視した。見た目は別に変わったところなどない普通の少女だ。これでもそれなりに修羅場をくぐっている横島がこれほどまでにおびえるような理由は見当たらない。素直な感想を横島に言うと、彼は真面目な顔でタマモを諭すように言った。

 

 

「外見は美少女かもしれんが、正体は化けもんや。危うくちびりかけたんだぞ俺は」

 

 

正直見た目が可愛いだけに、いつも相手にしている悪霊などよりも遥かに怖かった気がする。まぁマジギレした美神ほどではなかったが・・・。

 

 

「ふーん、普通の子にしか見えないけど」

 

 

どう見てもそんな風には見えないのだが。まぁタマモ達の職場では往々にして見た目が当てにならない場合もある。そんなものかと納得する事にした。そうこうしている内に彼女達が楽しげにおしゃべりをしながら歩いていく。見失うわけにはいかないので、嫌がる横島を引きずりながらタマモは追跡を開始した。途中、布でぐるぐる巻きにした身の丈よりも大きいホッケースティックのようなものを背負った小学生くらいの少年(横島によれば魔法使いらしい)と合流し、彼女達はゲームセンターに入っていった。

 

 

「修学旅行で何でゲーセン何や?」

 

 

横島がポツリと呟く。別に悪いというわけではないのだが、観光に来てまで行くような場所なのだろうか。男子高校生の横島には女子中学生の心は読めない。まぁ一箇所にとどまってくれるのならば監視もしやすいが。ゲームセンターの中には入らずに入り口で待っていると、やがて明日菜が少年と一緒に出てきた。どうやらほかの子たちとは別行動をするらしい。あからさまにほっとした様子で横島は追跡を再開した。

 

道中、横島が偶然見かけた着物美人にちょっかいをかけて、しばき倒されたり、タマモがわさび漬けやレンコン等を刻んだおいしそうないなり寿司を見つけ、買いにいったりと、監視対象どころか目的すらも見失いそうになりながら、なんとか後をついて行く。

電車に乗ってしばらく進み、やがて目的地にたどり着いたのだろう。明日菜たちは一つの神社の前で立ち止まった。無数の竹林を貫通するようにして、膨大な数の鳥居が規則正しく立ち並んでいる。めまいを起こしそうな光景に彼女達は呆然としているようだった。

 

もっとも横島たちも人のことは言えない。見るからに荘厳な雰囲気をたたえるその佇まいにほんの少し圧倒されていたのだから。それでもいつまでも眺めているわけにはいかない。なぜかハリセンのようなものを取り出した明日菜が少年と一緒に走り始めたからだ。

 

 

「おいタマモ、二人とも行っちまったぞ。早く追いかけないと」

 

 

なぜか正面を睨むようにして前に進もうとしないタマモに先を促しながら横島はあわてるように言った。

 

 

「待ちなさい。なにかおかしい」

 

 

疑うような口調で先を見通す事もできないほど大量に存在する鳥居を見つめながら、タマモは横島を制止した。

 

 

「おかしいってなにが?」

 

 

「霊力はまったく感じないし、私が知っているのと違うところもあるけど、何か結界みたいなものが張られてる」

 

 

タマモ自身が経験したわけではないのだが、この手の術式には心当たりがある。いわゆる前世の記憶というやつで、殺生石に封じられる前の記憶がいろいろと役に立ってくれるのだ。

 

 

「結界って何でそんなもんが張ってあるんだ」

 

 

確かに怪しいところもあるが、どう見てもただの神社だ。そんなものが張ってあったら参拝客まで巻き込んでしまうではないか。

 

 

「そこまではわからないわよ。でもたぶん間違いないと思う」

 

 

術式の効果までは特定できないのだが、不用意に飛び込むようなまねはやめたほうがよい。

 

 

「でも、見失っちまうぞ」

 

 

「そうね・・・・・しばらく待ってみて出てこないようなら、中に入りましょう」

 

 

何も永久にこの中にいるわけでもあるまい。案外あっさり抜け出てくるかもしれない。

 

 

「放っておいていいのか?」

 

 

「私達には関係ないわ」

 

 

本当にそう思っているのだろう、タマモはきっぱりと断言した。探知機が反応しない以上、何が起ころうともそれはこちらの世界の事情だ。自分達が干渉するいわれはないというわけだ。言ってる事は間違いではないのだろうが、ここら辺がシロと違うところだよなと、横島は思う。なんというかクールなのだ。美神除霊事務所に来てからだいぶ変わったようだが、本質はそう簡単には変わらないものだ。

 

それに、彼女が言う事も間違いではない。好きで厄介ごとに首を突っ込む趣味は横島にはないし、この神社が危険な場所と決まったわけでもないだろう。ジークに釘を刺されていることでもあるし、ここはタマモの言うとおり待ってみるべきかもしれない。納得するように一度頷いてから、横島はタマモの隣で入り口を見続けた。それからしばらくは、特に何が起きるでもない、むなしいだけの時間が過ぎていった。

 

途中、明日菜の同級生である、おとなしそうな少女が結界の内部に入っていったのを見た横島が、やめておけと忠告しようと声を掛ける直前でタマモに頭部を強打されたり、

軽めの朝食しかとっていなかった横島が、隣でいなり寿司を食べているタマモに一つ譲ってくれといって断られ、すごすごと近くのコンビにまで食料を調達に行ったのだが、あっさりと道に迷ってタマモに助けを求めたりして結構な時間がたってしまった。

 

そもそも横島は、やる事もなくじっとしていることに向いてはいない。同じ場所で同じ光景を見続ける事にとっくに飽きており、こくりこくりと舟を漕いでいた。その姿をいらだたしげに睨みつけ、タマモは横島の肩を乱暴にゆすった。

 

 

「ちょっと横島、寝てるんじゃないわよ。何で私があんたの分まで見張ってなきゃならないわけ?」

 

 

さすがに寝続ける事ができなくなって、横島はあくびをしながらゆっくりと背筋を伸ばす。

 

 

「あぁ、すまん。どんぐらいたった?」

 

 

「あんたが迷子になったせいで、けっこうたってるわよ・・・三時間くらいかな?さっき急に結界が消えたみたいだから後を追いましょう」

 

 

横島を探している間に別の場所に移動されたのだとしたら、とっくに見失ってしまっているはずだが、それは考えても仕方がないことだろう。まぁ入り口付近からは監視対象の少女が出てきた匂いを感じないから、おそらく大丈夫だろうが。そんなことを考えていると、後ろから人の気配と話し声が近づいてきた。急いで寝ぼけている横島を引っつかみ物陰に隠れる。

 

視線の先から現れたのは、見覚えのない顔も混じっているが、先程まで明日菜という少女と共にいた同級生達だった。再び現れた、横島に言わせればモンスターの女の子も現れたので、横島はあっという間にタマモの背後に隠れている。それを乱暴に引き剥がしなら、息を静めてやり過ごした。

 

明日菜のことを追ってきたのだろうか。だとすればこちらにとっては好都合だ。見つからないように後をつけていけば彼女の元まで案内してくれるだろう。十分に距離をとって、入り口の鳥居をくぐる。参道は意外なほどなだらかで、その分見通しがいい。前を歩く人間を見失う事もないだろうが、普通に歩いていればすぐに見つかってしまう。

幸いな事に道の脇には姿を隠すのに都合のいい竹林が立ち並んでいる。音を立てないように気をつけていけば、なんとかなるはずだった。

 

こちらの世界に来てから隠れてばかりだよな、と思いつつ、横島はもくもくと中学生の集団をストーキングしていく。その姿は誰が見ても不審者だったが、誰に見咎められることなく、目標の人物までたどり着く事に成功した。やはり結界内で何かがあったのだろうか。傷だらけの少年を背負いながら、明日菜と同級生達はかしましく騒いでいる。

そしてそのまま境内へ足を踏み入れた。横島達もさすがにそこまではついていくことが出来ずに、彼女達を見送った。

 

タマモによれば先程のものとは違う何らかの結界が張られているらしい。しかも一目見ただけで強力だとわかるくらいのものが。いったいこの神社は何なのかと思わずにはいられないが、はいれないものは仕方ない。またしても遠目から張り込みする事になってしまった。

 

 

「別に魔族の野郎が出てきて欲しいとは欠片も思わんが、こうやる事もないと暇でしょうがねーな」

 

 

頭の後ろで腕を組んで、もっともらしい雰囲気を出している正面にある門を見つめる。

 

 

「同感ね。探査装置の中継器だけ置いて、帰っちゃ駄目かしら」

 

 

一定の間隔で中継器をセットしておけば、霊力反応を見逃す事もないだろうが、いざ緊急事態が起きた場合、初動の遅れが致命的な結果を招かないとも限らない。やはりおとなしく見張っているしかなさそうだ。

 

長期戦になるかもしれないということで、来た道を戻って、コンビニで食糧を買い込み、再び参道を上って門の手前までたどり着いた。それから、一応境内の様子を見ておくかと、なれない木登りをして、持ってきた双眼鏡で内部を観察する。門の外からでは分からなかったが、内部は想像以上に広い。見るものの目を引き付けるように敷地中に桜の木が植えられていて、見事な花を咲かせている。タマモはその風景に少しだけ見とれているようだった。しかし横島にとってはそれどころではない。妙齢の美しい女性達が忙しそうに動き回っている姿が眼前に飛び込んできたからだ。元の世界の同僚を彷彿とさせる巫女服姿で桜などよりもよっぽど横島の目線を釘付けにしていた。

 

 

「お、おぉ、綺麗なねーちゃんがいっぱいおる。マジで何なんだこの神社は。ひょっとしてその手のサービスを売りにしてる、いけないお店かなんかなのか?」

 

 

なにしろ、ざっと見た感じでも、横島好みの美女がわんさかといるのだ。ただの神社にしては従業員の質があきらかに偏っている。

 

 

「そんなわけないでしょう。もしそうなら、中学生が堂々と中に入れるわけないじゃない」

 

 

タマモがあっさりと横島の願望が混じった予想を否定した。放っておいたら、この男のことだ、仕事や結界の事など忘れて、境内に特攻しかねない。

 

 

「じゃ、なにか?こりゃ神主の爺さんの趣味かなんかだってのか?おのれ、スケベ爺めが。そんな奴は、正義のGSであるこの横島忠夫が天誅を食らわせたる」

 

 

横島はギリギリと歯軋りをしながら、自分の想像の中でいたいけな美女達を手篭めにしている、脂ぎった老人に呪いをかけようと、何処からかわら人形を取り出した。

 

 

「やめなさいっての。まったく、なんだって私が横島の子守りなんかしなきゃなんないのよ」

 

 

いつもならば、美神に突っ込みを入れられるか、おキヌちゃんにたしなめられるかするので、タマモが特に何かをする必要はないのだが、今は自分ひとりだ。いまさらながらに、一人でこの男を制御しなければならない苦労をかみ締めるのだった。それから、念のためにもう一度横島に釘をさしてから、タマモは一眠りする事にした。どのみち魔族が現れるか、目的の少女が出てくるまで、やる事はないのだ。昨日はよく眠れなかった事だし、今のうちに英気を養っておくべきだろう。

 

横島が真面目に監視しているかは別としても、すごく気持ちの悪い目で、熱心に巫女達を見つめているのは事実だ。何かあればこれが気付くだろう。そう判断し、本来の姿である狐に戻ってタマモは眠りについた。そんなタマモの様子には目もくれずに、横島は巫女服姿の美女達を目で追っていた。目ざとく露天風呂の位置を確認しているのはさすがといえる。この時間から風呂にはいっているものはいないようだが、チェックしておかない理由は横島にはない。さすがに内部まで見通すことは出来なかったが、外の敷地だけでもかなりの広さだ。そこを動き回る美女達を見ているだけで目の保養になる。

 

何しろ最近は女っ気がまったくない生活を強いられていたのだ。じかにセクハラできない事と、露出度が足りない事を除けば十分だった。清楚な感じもいいもんだなと思いながら、時間を忘れて巫女達の観察に戻る。もはや完全に目的を忘れている横島だった。

そうこうしているうちに日も落ち始め、建物の一部が騒がしくなってきた。宴会でも始まったのか巫女さんたちが次々と料理を運んでいく。コンビニで買った菓子パンをかじっている身としては、うらやましい限りなのだが。美人は見たいが、うまそうな料理は目の毒でしかない。

 

しばらくそんなもやもやとした思いをしていると、完全に日も落ちてしまったようだ。

神社自体は明るいし、月も出ているのだが、基本ここは山の中だ。ほとんど明かりのない中で不安定な木の上にいることが怖くないとはいえない。というよりも出来ればとっととホテルに帰ってしまいたいのだが。そこまで考えて、そういえば、と、監視対象である少女のことを思い出す。彼女達はホテルに帰らなくてもいいのだろうか?修学旅行できたはずなのだが。とっくに自由時間は終わっているだろうし、そもそもなんで神社でおもてなしを受けているのだろうか?ひょっとするとこのままここに泊まるつもりかもしれない。そうなれば必然的に自分達はこの場所で野宿することになる。出来れば勘弁して欲しいものだ。そんなことを横島が考えていると、タマモの目が覚めたのか、がさがさとコンビニのビニール袋をあさる音が聞こえた。

 

 

「おう、起きたんか」

 

 

「うん、なにか変わった事あった?」

 

 

ビニール袋からペットボトルのお茶を取り出し、一口飲む。すっかり温くなってしまったお茶に少しだけ眉を寄せながら、タマモは横島に尋ねた。

 

 

「いや、なんもねーな。さっきまで宴会でもしてたみたいだったけど。それより、ひょっとしたら俺達ここで野宿ってことになるかもしれねーぞ」

 

 

「なんで?」

 

 

心底嫌そうなタマモに向き直り説明する。自由時間を過ぎてもホテルに帰らないのは何か事情があるのではないか、どうも彼女たちはこの場所に泊まるつもりなのではないか等々。昼間買ったいなり寿司の残りを口にくわえながら、話を聞いていたタマモがガックリとうなだれた。

 

美神除霊事務所に居候する前は、ほとんど野宿だったのだろうが、暖かい寝床で眠りたいというのが人情というものだ。それは彼女も同じなのだろう。横島は横目で、やけになったようにいなり寿司を食べているタマモを見てから、再び視線を神社の内部に戻した。

 

今はタマモなんぞに付き合っている場合ではないのだ。なぜなら今回ののぞ・・・張り込みのメインイベントがこれから始まるからだ。普通はご飯の後はお風呂に決まっている。昼間に露天風呂の位置はバッチリと確認済みだ。ごくりとつばを飲み込み、横島は双眼鏡越しの視線を風呂場へと向けた。

 

 

(うっ・・・・)

 

 

思わず心の中でうめき声をあげる。予想に反して瞳に映っていたのは監視対象である明日菜という少女だった。自分をさんざん追い回した例の娘と一緒に、気持ちよさそうに湯に浸かっている。

 

言ってしまえば、横島にとって中学生は守備範囲外だ。すこしまえにその自覚も揺らぎそうになったが、基本的にはそうなのだ。いくら仕事上の監視対象であったとしても、覗きなどできるわけがない。

 

昼間は気付かなかったが、以外にある胸や、お湯のしずくが、なまめかしくも太ももを流れ落ちていく姿など、決して見たくはないのだ。湯船のふちに腰掛けて、艶っぽく吐息をもらす姿など論外なのだ。体を覆うタオルが、肉体の曲線を露にしているのだが、できればとってくれんかなぁ」

 

 

「落ちなさい」

 

 

「どわぁぁぁぁぁ!!」

 

 

冷徹な声が聞こえると同時、急激に視界が上下逆転し、一瞬内臓が圧迫される不快感と共に、横島は地面へと熱烈なキッスをするはめになった。土の味が口内に広がる。痛みにゆがんだ顔を手で覆うようにして、ごろごろと地面を転げまわった。

 

いくら横島が頑丈だといっても、あの高さから突き落とされれば、洒落ではすまない。まぁ、別に何処も怪我をしてはいないし痛みがあるだけなのだが。声を出す事もできずに、うずくまって痛みが引くのを待っている横島に、木の上から蹴落とした張本人である、タマモが声を掛けてきた。

 

 

「あんたいつからそっちの趣味になったの?」

 

 

「ち、ちがうんや。俺の意思と反して体が勝手に動いただけで・・・」

 

 

頭上から軽蔑のまなざしを向けているタマモに必死に言い訳をする。今回ばかりはどうかしていたとしか言いようがない。一時の気の迷いというやつだ。だがこういう場合は大抵、必死になって言い訳すればするほど、疑惑は深まっていくものだ。

 

 

「そばにいられると怖いから、あんたそこにいなさい。見張りは私が代わるわ」

 

 

案の定、言い訳には何の効果もないようだった。地面にうずくまりながらシクシクと鬱陶しく涙を零している横島を尻目にタマモは監視を続行する。レンズの向こう側では、いつの間に現れたのか、ほかの同級生たちも一緒になって、大騒ぎしながら、風呂に入っている。馬鹿らしくなって、タマモは見るのをやめた。

 

それから、暇をもてあましたのだろう、タマモはロリコン疑惑の横島をからかい始めた。このままタマモが向こうの世界に帰ってあることないこと触れ回れば、冗談でなく命の危機だ。横島は全力で下手に出つつ、なんとかタマモの買収に成功した。

 

 

「どちくしょう。お前俺の給料がアホみたいに少ない事知ってんだろ。ちっとくらい気ぃつかわんか」

 

 

「ちゃんと手加減してあげてるじゃない。きつねうどんで手を打ってあげているんだし」

 

 

「量のほうを加減しろっちゅーとるんだ。お前三十杯も食えんのか?」

 

 

「まぁ余った分は貸しよね・・・・・・・。って、ちょっと待って何か様子がおかしい」

 

 

顔に薄笑いを貼り付けつつ、なかなかの戦果に満足しながら、神社に視線を戻したタマモが真面目な声を上げた。建物内で人が動く気配がまったくしない。あまりにも静か過ぎる。急いで手元にあった双眼鏡を覗き込むと、そこには等身大の人の姿をした石像が数多く立ち並んでいた。

 

先程までは確かになかったものだ。どれもが何かから逃げるように恐怖の表情と仕草をあらわしている。石像はここの神社の巫女服姿でまるで生きているような躍動感を持っていた。はっきり言って悪趣味極まりないが、まさか夜になってそんなものを運び出したわけがないだろう。

 

間違いなく何者かの襲撃を受けているのだ。あわててジークから預かっていた、携帯型の霊力探知機を見るが、まるで反応がない。どういうことだ?神社と探知機を交互に見比べ、タマモは考えを整理する事にした。

 

探知機が何の反応も示していない以上、この襲撃はこちら側の人間の仕業だということになる。自分達が追っている魔族のほかにも何者かがいるということか。頭に浮かんだのは、昼間この神社の入り口に張り巡らされていた結界の事だ。横島ではないが、あんな場所に結界など敷いては、一般客まで巻き添えになる。どう考えても不自然だ。それに敷地内を覆う結界とはまったく質が違う。つまり神社側の人間が敷いたものではないのだろう。

 

ということは、あれは今この場所を襲撃している何者かが仕掛けたものだったのだろうか・・・。だがそれにしては妙なことがある。なぜ、入り口付近に結界を仕掛けたのだろうか?神社そのものを狙っているのならば、あの場所に結界を仕掛ける理由がない。

仮に救援に対する足止めのつもりなのだとしても、襲撃時間がずれてしまえば意味などなくなる。

 

現に自分達が参道を登った時には入り口の結界は跡形もなかった。ならば・・・・・この襲撃の犯人が狙っているのは、明日菜たちということか?そこまで考えて、タマモは横島を振り返った。焦りが表情に出ていたのだろうか?横島がいそいそと木に登ってタマモと同じように双眼鏡をのぞき始めた。

 

 

「な、なんてこった。綺麗なねーちゃん達のお肌が。あれじゃ触ってもぜんぜん気持ちよくないじゃねーか」

 

 

ぶるぶると両手を震わせ、口惜しげに顎の上で梅干状の皺を作っている。いつも通りといえばいつも通りだが、もう少し緊張感を持てといいたい。

 

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうが。誰かが襲撃してるのよ。探知機には反応ないから、私達が追ってる魔族の仕業じゃないでしょうけど。おそらくあの明日菜って子か、その友達を狙ってきたんでしょうね。昼間張ってあった結界はその連中が仕掛けたんじゃないかしら?」

 

 

タマモがさっきの推測を手短に話していく。

 

 

「なんだって、明日菜ちゃんたちが狙われてんだ?」

 

 

「そこまではわからないわよ。でもまぁ、また静観かしらね。ジークから必要以上の干渉は禁止されているし・・・」

 

 

「え、でも、いいのか?それで・・・」

 

 

「良いも悪いもないわよ。向こうにこっちの事情を話すわけにはいかないし、下手したら襲撃犯と間違えられて、問答無用で攻撃されるわよ」

 

 

「げ、じゃ、じゃあ一応、こっちに害が及ばない程度に遠くから見守っていよう」

 

 

へたれたことを言いながら、横島は明日菜の姿を探す。すると都合よく明日菜と魔法使いの少年、そして横島に軽いトラウマを与えた少女の三人が、あわてたように神社から飛び出してきた。よほど急いでいるのか、かなりの速度だ。襲撃犯から逃げているのだろうか?顔つきは逃亡しているもののそれではないが。とにかく、いつまでも同じ場所にとどまっていては彼女達を見失ってしまう。

 

タマモが身軽に木から飛び降り、続いて横島も、怪我をしないようにゆっくりと滑り降りていった。タマモの鼻に頼って、ばれないように後をつける。もはやすっかり手馴れたものであるが、夜道の全力疾走は神経を使う。それでも前を先行しているタマモから離されないように走り続け、なんとか追いつくことに成功した。どうやら川に出たようだ。川の中央にある大きな岩の前で、明日菜たちは何者かと対峙していた。

 

最初に横島の目に飛び込んできたのは、眼鏡をかけた、着物姿の美女だった。大胆に肩を出して着崩れた着こなしは、その豊満な胸を強調させている。その横には学生服姿の少年と、なぜか顔が異様に大きいサルの着ぐるみが、明日菜の同級生の一人を抱えて立っていた。おそらく人質なのだろう、抱えられている少女は両手を縄で縛られ、猿轡をはめられている。数日前に声を掛けたうちの一人だ。あの時とは違い、今は顔を赤くして明日菜たちに助けを求めている。

 

 

「どうやら、あの捕まっている子が目当てだったみたいね」

 

 

夜の山中は驚くほど静かだ。周りは虫が鳴く音くらいしか聞こえない。そのおかげか前で話している彼女達の声がよく聞こえてきていた。明日菜たちは眼鏡の美女に投降を呼びかけていて、その言葉を聞いた美女が、人質の娘に何かをしたようだ。

 

次の瞬間、何らかの術式を発動したのだろう。あたりを光が照らし出し、異形の存在が続々と現れた。隠れて見ている横島やタマモが仰天するくらいの数だ。その数の多さに、阻まれ、明日菜たちは人質の少女を連れ去られてしまった。

 

 

「式神かな?異世界だけあって、ちょっと位しか分からないけど」

 

 

なんとか気を落ち着けて、タマモはあたり一面に存在している鬼のような者達を観察する。

 

 

「式神って、冥子ちゃんとこのあれか?じょ、冗談じゃねぇーぞ。この数が一気に暴走したら、ここら一帯焼け野原になっちまうぞ」

 

 

知り合いの式神使いを思い出す。彼女は協力無比な式神たちを使役していて、よく暴走を引き起こすのだが、その被害が洒落にならないのだ。その彼女でさえ、扱っているのは十二体だ。今この場にいる数はその比ではない。

 

 

「さすがに十二神将クラスの奴が、そうそういるとは思えないけど」

 

 

それに見た感じ、ちゃんと制御されているようだ。

 

 

あわてる横島をタマモがなんとか落ち着かせている間に、明日菜たちに動きがあった。

おそらく魔法なのだろうが、強力な竜巻を発生させ、鬼達の壁を吹き飛ばしながら、魔法使いの少年が、空に向かって飛び出していった。二手に分かれて人質を助けに行くつもりなのだろう。この場に残ったのは、明日菜と長い刀を持った少女だけだ。

 

戦闘が始まる。ハリセンを抱えた明日菜が常人離れした動きで周囲の鬼達を翻弄しつつ、次々と消滅させていく。刀の少女はもっと単純だ。最低限の動きで鬼達に近づいては、無駄のない一振りでどんどん敵を切り伏せている。互いが互いの死角をフォローしつつ、背中を庇いあう事で、数の脅威から身を守っていた。

 

 

「この調子なら大丈夫そうね。横島がいってる事信じられなかったけど、実際に見てみると、信じるしかないわね」

 

 

横島が、自分を追い回した少女の、人間離れした力を、タマモに力説していたのだが、目の前の光景を見れば納得せざるを得ない。ちらりと視線を横島に向ける。なぜか彼は呆然としたように小刻みに体を震わせ、驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

「どうかしたの?」

 

 

その様子が気になってタマモは横島に尋ねた。

 

 

「ば、ばかな・・・・・・。ノーパンだと・・・・・」

 

 

ありがたい物を見たというように、目を見開いたまま、彼は両手を合わせて明日菜に向かって拝んでいた。

 

 

「目潰し」

 

 

言葉に出しつつ横島の目をえぐる。そのあまりに自然な動作は、行為のえげつなさに反して、いっそ美しいものだった。叫び声をあげながら両目を押さえて、地面を転がっている横島を脇にどけて、タマモは注意を前方に戻した。横島に見られているからではないだろうが、明日菜がスカートを押さえて逃げ回っている。今まで倒してきた輩よりも一回り強い相手が現れたことにより、段々と劣勢になってきていた。いや、たった二人でよく持ったほうだろうが。

 

さすがに見ていられなくなり、タマモが幻術を使って、明日菜たちをフォローしようとした時、一発の弾丸が明日菜を拘束していた鬼の頭部を打ち抜いた。そこに現れたのは、褐色の肌を持つ長身の美女と、チャイナドレスを着込んだ、小さな女の子だった。

助っ人なのだろう。二丁拳銃と何かの拳法で次々と鬼達を駆逐していく二人によって、戦況は明日菜たちのほうに傾いていった。

 

 

「今度こそ大丈夫かしら、って何、あの光の柱は?」

 

 

手助けする必要もなくなったので、安心していたタマモの視線の先で、突如、空を貫くようにして巨大な光の柱が立ち上っていた。夜だというのに、あたりを昼間のように明るくしている。見ているだけで何かとんでもない事が起きそうな雰囲気だ。

 

 

「ちょっと、横島あれ、あれ見て」

 

 

「なんだ、タマモ。今ワイはあのエミさんみたいな、ねーちゃんを見てるのに忙しいんだ。おお、パンチラ!いやこの位置からだと、もろに」

 

 

目を皿にして、横島は突然現れた助っ人の一人を食い入るように見続けている。

 

 

「馬鹿な事言ってないで、あっちを見なさいってば」

 

 

横島の首を強引に光のほうへと向けさせる。

 

 

「な、なんだぁ、ありゃ!?」

 

 

「分かんないけど、嫌な予感がするわ」

 

 

異世界の魔法の事など分かるわけもないが、それでもあれだけ盛大に目立っているのだ、何が起きても不思議ではないだろう。とりあえず驚かないように心の準備だけはしておくべきかもしれない。そう思ったのだが・・・・・一分も立たないうちに、そんなものは無意味だったと思い知らされた。

 

それは一本の手から始まった。光の柱からもがくように長大な腕が伸び始めたかと思うと、次第にその数を増やしていき、頭部が現れ、両肩が出てきて最後に全身が出現した。あまりにばかげている。どう考えても縮尺が間違っているとしか言いようがないほどの長身。全身を光らせ、ただ立っているだけで畏怖を感じずにはいられない、その異形は、見るものに恐怖を抱かせる。いったい何メートルあるのか、自分達はいつから怪獣映画の世界に紛れ込んでしまったのだろうか、タマモはとりあえずあさっての方向を見てため息をついた。

 

 

「帰りましょうか?いい加減疲れたからホテルに帰って寝たい」

 

 

「だな、見なかった事にしよう」

 

 

互いに頷いて、来た道を戻っていく。なんというかこういうのは、どこかの星からやってきた光の巨人の世界でやって欲しいものだ。ちょっと遅いけど夜食でも食ってくか。あんたのおごりならいいわよ。と、二人で会話しながら歩いていると、突然通信鬼が目の前に現れ、瞳が光ったかと思うとジークの姿が浮かび上がってきた。

 

 

「何で帰ろうとしてるんだ君たちは」

 

 

あせったようにジークは横島達に言った。

 

 

「いや、だってなぁ。・・・・・っていうか、通信鬼にそんな機能あったんか?」

 

 

「土偶羅が改造したんだ。って、今はそんな話はどうでもいい。神楽坂明日菜がこっちに帰ってくるまで、しっかり見張っていてくれ」

 

 

「いや無理だろ。あんなんが出てきたら」

 

 

「そうよねぇ」

 

 

もう一度怪物のほうに顔を向ける。心の中で十数えてから、横島達はジークに向き直った。

 

 

「「やっぱり無理」」

 

 

「別にあれを相手にしろとは言っていないだろう。君たちの仕事はあくまで、我々の世界から逃亡した犯人の対処だ」

 

 

逆にそれ以外を相手にしてもらっては困るのだ。

 

 

「はぁ、まぁいいわ。横島、もどりましょう」

 

 

「まじでか・・・・・しゃーない。絶対見てるだけだかんな。あんなおっかないの相手にしねーぞ俺は」

 

 

ジークに説得されて、二人は仕方なく明日菜の監視に戻ることにした・・・・・・のだが、その明日菜がいない。さっきまでは、この場所にいたはずなのに。ついでに言えば刀を持っている少女もいなくなっていた。今この場で鬼達と戦っているのは、助っ人の二人だけだ。

 

 

「あの子らも帰ったんかな?」

 

 

「そんなわけないでしょうが。・・・たぶんあっちの怪物のほうにいったんでしょ」

 

 

現れて以降、何をするでもなく突っ立ったままの怪物に視線を向けながら指をさした。

まず間違いなく、あの怪物と人質になっていた少女にはなんらかの関係性がある。明日菜たちが人質を解放しようとしているのであれば、助けにいったと考えるのが自然だろう。

 

やはり引き返してしまいたくなるが、クライアントの意向にそむく訳にもいかず、というよりも、その背後にいる自分達の上司の機嫌を損ねるわけにはいかないので、二人は仕方なく怪物を目指して歩き出した。

 

さすがに山の中は薄暗くて歩きにくい。道が整備されているわけでもないので、注意深く歩かなければならない。いや、それ以上に、得体の知れない危険な存在に向かって進まなければならないのだ、やる気を出せというのが無茶である。それでもなんとか先に進んでいくと、視界が開けた場所に出る事ができた。

 

森をくりぬいたように、大きな湖が存在している。中央には何かの儀式で使うような舞台があって、そのあたりから化け物の上半身が生えていた。舞台の上では、明日菜と魔法使いの少年が、同じ年頃の学生服姿の少年と戦っている。そしてその上空では、背中に羽を生やした刀使いの少女が、人質になっていた娘を無事救出していた。

 

どうやらどちらも怪我はないようだ。まったくの部外者である二人だが、ほっと胸をなでおろす。後はあの怪物をなんとかするだけなのだろうが、どうするのだろう?と、完全に人事のように見守っていたその時、あの停電の日、あの橋の上にいた二人が、突然現れた。

 

エプロンドレスを改造したような服を着て、手には物騒なライフルを持っているメカっぽい女の子と、黒い服に黒いマントを羽織った金髪の幼い少女だ。背中と足元から、バーニアのようなものを吹かして空中に浮いていたエプロンドレスの娘が、怪物めがけてライフルを撃った。何らかの力が働いているのか、怪物はうめき声を上げながらその動きを止める。

 

お次は金髪の少女だ。上空に飛び上がり、何かの力を両手に集め、大きな声で呪文を発した。瞬間、すさまじい勢いで周囲の気温が下がっていく、そして怪物の周りで湖の一部が完全に氷結する。中心にいた怪物自身を巻き込んで無数の氷柱が誕生していた。

怪物自身の大きさはかなりのものだ、それを覆うように展開されている氷柱もとてつもなく大きい。

 

いったい何なのかと思う。これがこちらの世界の魔法なのだろうか。あまりにも常識はずれだ。その超常現象をひき起こした当人は、続けて呪文を唱え、怪物自身をあっけなくばらばらにしてしまった。派手に登場したわりには、あっさりとやられてしまった怪物を呆然と見つめながら、横島とタマモは互いに顔を見合わせた。

 

 

「ま、まぁよかったんじゃねぇか?あんなもんと戦わずに済んで」

 

 

「そ、そうよね。結果的によかったわよね。あたし達何もしてないけど」

 

 

いつもの調子なら、ああいった手合いは必ず自分達がなんとかしなければならなくなるのだ。さすがは異世界といったところか、自分達の常識などまったく関係ない。乾いた笑いを浮かべながら、二人はいるかどうかもわからない、異世界の神様に感謝をささげた。だが・・・・・・・自分達はもっとはっきり自覚すべきだったのだ。京都に来て以降感じていた胸騒ぎが、まったく収まってはいないことを。

 

 

 

 

 

 

 

高笑いが聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

完全に凍りつき、ばらばらに砕けて湖に沈んだはずの怪物の顔が醜くゆがんだ。見るもの全てが顔を背けたくなるような歪な笑みをその顔面にうかべている。

そして・・・・・・湖が爆発した。その膨大な水量を押し上げるようにして、ひどくグロテスクな触手のようなものが次々と現れる。失っていた下半身は、腐り落ちた獣のような姿へと変わり、所々に鋭い牙を持った大きな口が貼り付けられていた。その口元からは、思わず耳をふさぎたくなるような哄笑が聞こえてくる。

 

あの小さな魔法使いに倒される前の面影は、まだなんとか残っていた上半身くらいだ。

それもどこか無機質に感じられた先程とは違い、ひどく人間味が感じられる表情をしている。言葉を失ってその光景を見ていた横島の腕から何かの警告音が大きく響き渡った。あわてて腕に巻いていた霊力探知機を見る。そこには膨大な霊力反応が示されていた。

 

 

 

「やっぱりこっちには神様なんかおらんのか・・・・・・・・」

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・そうかもね」

 

 

 

新たに現れた怪物に向き直り、横島は空を仰いだ。

 

 

 

 


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