ある人の墓標   作:素魔砲.

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タイトル回収・・・ぽいものです。






33 真実(前編)

 

 

 

 

 

柔らかく温かな感触が唇に押し当てられた。背骨に電流が流されたように全身が硬直する。頭で理解する前に甘い刺激が一気に押し寄せ脳髄を痺れさせた。本能が目を閉じるべきだと騒ぎ立てる。だがそんな簡単なことができなかった。まるで自分だけ時間が止まったようだ。ぼんやりとそんな考えが頭に浮かんだ瞬間、そっと唇からその感触が離れていった。彼女の顔が見える。夕日に照らされているという理由だけでは済まないほどその頬には赤みがさしていた。

 

 

「な、何か言ってよ。恥ずかしくなるじゃない」

 

 

「え?あ、いや、そのなんだ」

 

 

動揺しながら言葉を探すが何も浮かんでは来なかった。あまりに唐突過ぎたというか直前にこちらから迫った時にはあっさりと拒否されたので、てっきり嫌なんだとばかり思っていたのだが。

 

 

「横島が言い出したん・・・というか飛びかかってきたんじゃない。キスしようと」

 

 

「その言い方だとまるで俺が変質者みたいに聞こえるんだが」

 

 

心外だという意味を込めて視線を送ると、彼女は僅かに苦笑を零した。

 

 

「実際の行動だけ切り取ると大差ない気もするけど」

 

 

「かもしれん!!かもしれんがだからこそ!!そこに愛があるかが重要なんや!!ちゅう訳でもう一回チューを!!」

 

 

力説した勢いのままもう一度キスを迫る。それこそ変態のように。だがその襲撃を彼女はあっさりと躱した。

 

 

「だめ。あんまりやり過ぎるとありがたみがなくなるでしょ。思い出にするなら一回一回を大事にしなきゃ」

 

 

「ぐあああ!こんな不完全燃焼のまま家に帰れと言うんか!」

 

 

「そのくらいの方が横島にはちょうどいいかも」

 

 

「こんなおあずけされまくったら俺はいつか獣になるかもしれん」

 

 

ふてくされて後ろを向く。目に入ってくるのはごみごみとした雑踏とライトアップされる前のビル群。さすがにこの高さの東京タワーからの眺めはなかなかいいものだったが、それだけと言えばそれだけだ。夕日に照らされたその光景を彼女は綺麗だと言っていたが、そんな事より今は自分の下半身に抱えた爆弾をどう処理するかを考えなければならない。思わず悲しげな溜息を付いていると背後から胸元に手が回ってきた。背中越しに微かな重みと体温を感じる。首筋にかかる吐息と漂ってくる甘い香りに再びドキリと心臓が高鳴った。こちらからのアプローチは躱す癖になぜこうも不意打ちを仕掛けてくるのか。

 

 

「すこしかわいそうだったから。今日はこれで我慢して」

 

 

心を読まれたかのような回答が聞こえてくる。我慢・・・するのはなかなかに難題だったが。暫くの間、二人は一対の双樹のように佇んでいた。彼女がポツリと呟く。

 

 

「日が沈んじゃった」

 

 

ビルの間に赤い夕陽が消えていく。暗闇の時間が訪れ人工の光が次々と目に入ってきた。

 

 

「帰ろう。横島」

 

 

優しく囁くと彼女は離れた。振り返り見つめ合う。夜景と共に目に映る彼女の姿は夕日なんかよりもずっと綺麗だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「気分はどう?」

 

 

目が覚めると同時にそう聞かれた。二日酔いでもしたみたいに頭が重い。目蓋を開けるのも億劫だった。眠りが癒しなのだとしたら今自分に必要なものはまさしくそれだった。放っておいてくれと思う。いい夢を見ていたのだ。とてもいい夢を・・・。

 

彼女の夢はここ最近全く見ていなかった。環境の変化でそれどころではなかったという事なのか。たんに薄情だからか。それともずっと情けない気持ちを引きずり続けて、それを見ないふりでごまかしているからなのか。

 

 

「気分はどう?」

 

 

もう一度聞かれる。同じことを。気分?気分だと・・・?

 

 

「最高で・・・最低だ」

 

 

自分の物とは思えない程その声はしわがれて暗かった。脱力していた体に鞭を打ち無理やり頭を上げる。彼女の姿が目に入ってきた。正確には彼女の顔と同じ顔をした女の姿が。

 

 

「どっちなの?」

 

 

女が苦笑を浮かべている。笑い方までそっくりだった。一瞬でも自分が見間違えるほどに。

 

 

「現実でもう一度あいつの姿を見られるとは思ってなかったからな。そういう意味じゃいい気分だ。・・・でもなぁ」

 

 

ガラガラ声で言ってやる。猛烈に喉が渇いていた。前歯を舐めて懸命に唾液を出そうとする。体中にかいた汗が不快感を増幅させ、自然と目つきも悪くなる。横島は反吐をはくような気分のまま唸るように言葉を叩きつけた。

 

 

「その姿が偽もんだってわかってるから最低の気分なんだよっ!!いい加減元の姿に戻りやがれっ!!」

 

 

かすれた叫びに喉が傷んだ。だがそんな事はどうでもいい。横島は攻撃性の塊のように目の前の女を睨みつけた。

 

 

「分かったよ」

 

 

そう言って女が肩をすくめる。こちらが瞬きをしている間に女の姿が変化していた。女がいた場所に四人目の少年が立っている。黒髪に黒ずくめの服装。顔立ちこそ整っているが全体的には印象に残りにくく地味な見た目だ。

 

 

「僕なりの歓迎はお気に召さなかったようだ。これでも気を使ったんだがね」

 

 

「本気でそう思ってんだとしたらお前とは絶対に気が合わん!!」

 

 

腹の奥にぐつぐつと沸き立つような怒りがあった。できる事なら今すぐにでもぶん殴りたいところだが・・・。

 

 

(体が全く動かねぇ。体調の方は回復してきてるが・・・こいつは結界かなんかか?)

 

 

床に座り込んだ姿勢のまま何らかの術で体が拘束されている。それもかなり強力なものだ。強引に振りほどくのは難しいだろう。文珠を使っても無理かもしれない。横島は臍を噛む思いで顔をしかめた。まんまとしてやられた。不意を突かれたとしても自分なら気付くことはできたはずなのに。

 

 

「お前・・・なんであいつの事を知ってる?」

 

 

そう問いかけても少年は答えなかった。ただニヤニヤとこちらの無様を笑うだけだ。カッとなり再び声を荒げさせる。

 

 

「あいつはなんだかんだ言ってアシュタロスんとこの幹部だったし、お前が知ってんのもおかしくないかもしれんがなぁ。だからって何であいつの姿で俺の前に現れた!?あいつと俺の関係なんてあの事件の当事者くらいしか知りようがないのに!!」

 

 

アシュタロスが引き起こし、世界中を巻き込んだ大霊障。あの事件は対外的には美神令子を筆頭とした日本のGSとオカルトGメン日本支部、そして神族と魔族が協力して解決したという事になっている。その裏でアシュタロスの陣営から寝返った魔族がいた事や、正式なGSですらないただのアルバイトが主導し事件を解決した事などほとんど知られていない。それは体面を気にした政治的な判断だったり、事件を早く鎮静化させたい勢力の工作だったりするのだが、理由の一つに横島の個人的な希望も含まれていた。あの事件のことでこれ以上騒がれたくなかったのだ。できればそっとしておいてほしかった。そういった心情を理解してくれた人々が奔走してくれたおかげか、事件が解決した後も横島の周りは静かなものだった。特に矢面に立ってくれた美神には感謝してもしきれないくらいだ。本人は事務所のいい宣伝になるから気にするなと笑っていたが、しばらくの間彼女の目の下にクマが浮かんでいたことを横島は知っていた。

 

 

「敢えて調べでもしない限り知るわけがねぇんだ。お前・・・いったい何者なんだ?」

 

 

ジークの言葉を思い出す。四人目などいない。美神は異世界に逃亡した魔族は魔界の正規軍によって送り込まれたのだと予想していたが、この少年もそうなのだろうか。

 

 

「僕が何者か・・・か。教えてもいいけど、それはもう少し後になるかな」

 

 

「ずいぶんと勿体つけるじゃねぇか」

 

 

「順序だてて話さないと混乱するだけだよ。それに・・・」

 

 

含みを待たせるように間を作り少年が口を開く。

 

 

「君にとっても興味深い話題を色々用意したんだ。ゆっくり話そう」

 

 

「興味だ?・・・ひょっとして麻帆良大女子水泳部のセキュリティを突破する方法が分かったんか!?あの更衣室のセキュリティは俺の力をもってしてもどうすることもできなかったというのに!!」

 

 

会話に付き合ってやるふりをしながら横島は後ろ手に文珠を発動していた。アパートに置いてある登山バッグには予備にと保管しておいた文珠があったはずだ。あれとうまく連携できればこの会話が美神たちに伝わるかもしれない。向こうから情報を話してくれるというなら好都合だった。出来るだけ会話を引き延ばし美神たちに情報を届ける。それと同時にこの監禁場所の具体的な位置を調べる。照明がないせいで周りが薄暗く視界は悪い。近い範囲に窓がないせいで外の景色も見られない。場所を特定できるようなものは何も見つからなかった。こちらの思惑を悟られないように注意しながら横島は少年との会話を続けていた。

 

 

「・・・一応断っておくけど覗きは犯罪だよ」

 

 

「そういうことを直球で言うたらあかん!!もっとぼかせっ!!」

 

 

昨今の世間の情勢を考えながら発言しないと、いつどのような苦情がもたらされるか分かったものではない。こちらの真剣な訴えかけに何らか感じるところがあったのか少年はこくりと頷いた。

 

 

「そっち方面の期待には応えられないけど、たぶん面白い話だと思う」

 

 

「何だよ面白い話って」

 

 

「そうだねぇ例えば・・・」

 

 

少年が形の良い顎に触れつつ軽薄に笑った。

 

 

「なんでこの世界が生まれたのか・・・とかかな」

 

 

「あん?」

 

 

言っていることの意味が理解できず間の抜けた声がもれた。眉根を寄せて質問する。

 

 

「・・・哲学の話?」

 

 

「違うよ。そのままの意味さ。この世界が生み出された理由」

 

 

「なんだそりゃ?」

 

 

横島はバカにしたように鼻を鳴らした。これのどこがおもしろい話だというのか。世界なんてものは当たり前のようにそこに在り続けているものだ。発生した事に過程や原因は存在するだろうがなぜ生まれたかなど考えても無駄なだけだ。

 

 

「そんなもんに理由なんてないだろ?」

 

 

「この世界はコスモプロセッサに繋がれた他の小宇宙とは違い、君たちが住んでいる世界と変わらない独立した世界だ。そんなものが伊達や酔狂、ましてや偶然に生み出されるはずがないだろう?製作者の明確な意図が存在しているのさ」

 

 

「製作者・・・って」

 

 

「もちろんアシュタロスだ」

 

 

当然のようにそう答える。表情が消えてしまえば少年とは思えないほどにその顔は大人びて見えた。両手をポケットに入れながらこちらを見下ろすその姿にはある種の威厳のようなものさえ感じさせる。横島は僅かに気圧されて息をのんだ。明らかに雰囲気が変わってきている。

 

 

「君はアシュタロスについてどこまで知っている?」

 

 

これで眉間に皴の一つでもあればまだ可愛げがあったかもしれない。実際は精巧に作られた仮面が口を開くときに多少崩れるくらいの印象だった。横島は意識して気を張ることにした。相手に飲まれてはいけない。気付かれないように横島は呼吸を整えた。

 

 

「大したことは知らん。仲が良かったわけでもねぇしな。あいつに関して俺が言える事はいい年したおっさんの長髪ヴィジュアル系メイクはなかなか目にくるなってことだけだ」

 

 

「・・・・・・別に外見の感想を聞きたかったわけじゃないんだけど」

 

 

「んなこと言われても基本あいつ敵だったしなぁ」

 

 

はっきりといけ好かない奴だったのでそれ以上に大した感想はない。あとは恨み言くらいか。こちらが本心からそう言っているのだと気付いたのだろう。少年は少し悲しそうにしていた。気を取り直すように咳払いをする。

 

 

「ごほん。なら彼の目的については?」

 

 

「目的?目的ってあれだろコスモプロセッサ使って神様になり替わろうとしてた」

 

 

「まぁ新たな世界の創造主になろうとしていたという点では概ね間違いではないけど、それはあくまで手段であって目的ではないかな。コスモプロセッサも究極の魔体もある目的を達成するための手段でしかない」

 

 

学生に講義している教師のように、滑らかな口調で語っていく。そのうちホワイトボードでも出してくるのではないかと横島は疑った。そうなれば話の途中で再び眠ってしまうかもしれない。

 

 

「アシュタロスの目的はただ一つ。神魔の最高指導者たちが仕掛けたデタントからの脱却だ」

 

 

少年は意味ありげな様子でそう言った。ゆっくりと間を持たせてから尋ねてくる。

 

 

「君も話くらいは聞いたことがあるだろ?」

 

 

「あ、ああ。たしかマジもんの戦争を回避するための政策だったっけ。神族と魔族で仲良くしましょうっていう」

 

 

「そうだ。互いに潰し合い滅ぼし合う戦争に一定のルールを設けようとしたわけだ。天界と魔界の霊力バランスが崩れればその影響を最も強く受けるのは人間たちが暮らす地上だ。神魔の争いを制御することで高度に発達した地上の文明を守ろうとしたんだな。だが、結局のところそれは愚策でしかなかった」

 

 

「愚策ってお前・・・」

 

 

「そうとしか言いようがないだろ?神がもたらす絶対の秩序こそを是とする天使どもならともかく、所詮魔族の本質は闘争と破壊だ。本能を鎖で縛り付け、都合よく操ろうとしたところでそんなものうまくいくはずがない。結果としてアシュタロスのような凶悪な魔神が反旗を翻し、地上どころか天界魔界を含めた全ての世界を滅ぼしかけた」

 

 

少年の口調には明らかな侮蔑があった。眉を寄せ口元をひきつらせたその表情は鋼鉄を無理やり引き延ばし顔の形に取り繕ったようなアンバランスさがあった。或いは単純に嫌悪していただけなのかもしれない。穢れなき乙女が無理やり生臭い情事を見せつけられたかのようなそんな不快感が見て取れた。

 

 

「アシュタロスはそれが許せなかったのさ。人間どもの文明を守るというだけの理由で一方的に悪という役割を押し付けられ、勝利することも敗北することもできないまま、延々と下らない茶番を演じさせられ続ける事がね」

 

 

感情を乗せた言葉というのはそれがどんなものであれ人間味を与えてくれるものだ。先程まで畏怖しかかっていた少年に対して、横島の心にほんの少し余裕が生まれた。

 

 

「で、結局この世界が生まれた理由ってやつとその話にどんな関係があるんだよ」

 

 

「意外にせっかちだな。別に話を脱線させているつもりはないよ。ちゃんと本筋に関わることだ。さっきも言ったがアシュタロスの目的はデタントから抜け出すことだった。そのために彼が用意した策は二つ。一つはコスモプロセッサによる世界の改変。そしてもう一つが・・・」

 

 

「あの究極の魔体とかいうやつだろ?」

 

 

怪獣のように大きな姿をした化け物を思い出す。一撃で島を粉砕し、なおかつ全く減衰することなく宇宙空間へ飛び出すほどの強力な砲撃を有し、あらゆる攻撃を別の世界に逃がす事で無効化するという反則じみたバリアを持つ、まさしく無敵の怪物だった。あれを倒すことができたのはバリアが未完成だった事とベスパが弱点を教えてくれた事。そしてもう一つ最大の要因はあいつがバカだったからだ。当時の記憶を横島が呼び起こしていると少年は小さく首を振った。

 

 

「いや違う。アシュタロス本人が死ぬことだ」

 

 

冷然と告げる。それが事実であることを確定するかのように。

 

 

「アシュタロス程の強大な力を持つ魔神となると、天界と魔界の霊力バランスを維持するために自らの意思で死ぬことすらできなくなる。仮に死ぬことができたとしても強制的に同一の存在として復活させられてしまうのさ。そうならないためには自分の死を認めさせるほどの名目が必要だった。天界魔界への反逆はそれを得るためでもあったんだ。要するに反逆が成功しようが失敗しようが望みを叶えることができるようにアシュタロスは計画を立てていたという事になる」

 

 

「そんな話は・・・誰かから聞いたような気もするけどな。俺には信じられん。だって死んじまったら何もかもおしまいじゃねぇか」

 

 

「それはたかだか百年程度しか生きられない人間の考え方だな。アシュタロスがいったいどれだけの時を生きてきたと思う?」

 

 

「・・・・・・」

 

 

そう言われれば黙るしかなかった。想像すらできない認識の差だ。それでも横島にとって、まるでアシュタロスが勝ち逃げしたかのようなその言い分を認めるのは抵抗があった。不機嫌に顔をしかめ口をつぐむ。我ながら子供じみた感情だったが自制するのは難しかった。自分が拘束されている立場だとしても。室内に静寂が訪れる。そんな気まずい沈黙を嫌ったわけではないだろうが暫くして少年が再び口を開いた。

 

 

「ただ・・・そんな彼にもたった一つだけ懸念があった」

 

 

「懸念?」

 

 

聞き返す程度の愛想は見せてやるべきだろう。大人ぶるつもりもないがいつまでも拗ねていては情報源に機嫌を損なわれる恐れがある。そんなこちらの考えを知ってか知らずか少年が冷静に続けた。感情がないような、あるいはあふれ出る激情をあえて押し殺しているような力ない声で。

 

 

「彼はね、よく知っていたんだ。神というものがどのような存在なのか。悪魔というものがどのような存在なのかをね」

 

 

おまえの・・・・・・。

 

 

「そう、誰よりもよく理解していた。悪魔の恐ろしさと・・・」

 

 

 

 

 

 

 

お前の罪を許そう。アシュタロス。

 

 

 

 

 

 

 

「神の畏ろしさを・・・」

 

 

 

 

 

 

 

唇をただ震えさせるように淡々と告げて・・・。

 

 

「故に備えた」

 

 

そう結んだ。

 

 

「備えた?」

 

 

今度の問いかけは愛想からではなく単に疑問を感じたからだ。少年がコクリと頷く。

 

 

「もし神が本当にアシュタロスの罪を許してしまったとしたらどうなるか・・・彼は正確に予測していたんだ」

 

 

「予測・・・ってどんな?」

 

 

「アシュタロスの存在は世界の維持にとって貴重だ。簡単には滅ぼすことができないほどに。アシュタロスは考えたんだよ。そんな自分を神々は本当に手放すのだろうかとね」

 

 

少年は記憶を想起するように目を閉じていた。黒い服を着ているせいだろう青白い顔だけが暗闇に浮かび上がる。体温の低そうなその顔は幽霊のようだった。下顎だけを動かしながら話をするその様子も含めて気味が悪い。

 

 

「仮にそうなった場合どうなるか。アシュタロスはシミュレートした。神々に反逆したアシュタロスという存在は、表向き必ず滅ぼされていなければならない。だから利用するにしてもそれは裏で行う必要がある。となれば従来のように元の存在に復活させるわけにはいかない。それに、もしそんな事をすれば再び反逆されることは目に見えている。ならば反逆など企てられないように魂の姿のまま利用するのはどうか。死後、復活させることなく輪廻に囚われた無防備な魂をそのまま利用するのだ。世界を維持するために」

 

 

詩でも諳んじるように少年が語っていく。

 

 

「アシュタロスにとってこれを実行されることだけは避けなければならなかった。自我。思考。意志。すべてを無視されたうえで延々と搾取され続ける。まるで世界を廻すための燃料のように。そんなことは絶対に許せない。彼はそう考えた」

 

 

目を開けてこちらを見つめてくる。黒色の瞳。長時間男と見つめ合う趣味などないが、横島は少年から目を離すことができなかった。肌寒さを感じて身震いする。熱いシャワーを浴びたい。そんな欲求が湧き上がった。

 

 

「アシュタロスはコスモプロセッサ計画と並行しもう一つの計画を立てた。それは自分の死後に発動する計画だった。計画名は・・・『epitaph』」

 

 

「え、えぴたふ?」

 

 

「墓碑銘という意味さ。それがその計画の名前だった」

 

 

僅かな給与額が記載された明細書を見るかのように少年はため息を付いた。単純に一呼吸開けたかったのかもしれない。喋り疲れただけかもしれない。そんな少年の様子に横島は一つ疑問が浮かんだが黙って続きを聞くことにした。

 

 

「その計画は自分の部下、腹心、いやアシュタロス本人さえ知らないまま秘密裏に遂行されていった」

 

 

「は?い、いや待てよアシュタロスも知らないままってどういうことだ。その計画とやらはアシュタロスが立てたんだろ?」

 

 

「彼は計画を立案し実行可能な段階まで進めた後、自らその記憶を消したんだ。下地だけ作ってあとの事には一切関与していない」

 

 

「な、なんだそりゃ」

 

 

「自分が死んだあと神々から記憶を盗まれたら意味がないだろ?必要な防衛措置さ」

 

 

取り立てて語るまでもないとその表情から見て取れた。しかし横島にとってはそこまでして隠さなければならない計画とはいったい何なのか全く想像もつかなかった。

 

 

「計画は三つの段階に分けられる。一つ目は・・・」

 

 

人差し指を立たせて少年が解説する。

 

 

「新世界の創造。いやこの場合は新たな輪廻の創造と言った方がいいかな」

 

 

「世界の・・・創造?そ、それって」

 

 

横島は思わず周囲を見渡した。目に入ってくるのは相変わらずの闇だ。だが頭に浮かんでくるのはもうずいぶんと馴染んできたアパートの外観。そしてこちらの世界に来てから知り合った人々の姿。

 

 

「コスモプロセッサを起動するために作っていたものとは全く別物さ。アシュタロスが一から創造した完全なる新世界だ。それが必要だった」

 

 

「お、お前何でそんな詳しいんだ?さっきの話じゃアシュタロス本人すら知らない計画だったんだろ?それなのになんで・・・」

 

 

先程感じた疑問をとうとう口にする。明らかにおかしいのだ。この少年が美神の推測通り魔界から送り込まれた先兵だとしても、それはそれでおかしい。アシュタロスが神々に対抗するために徹底して情報を隠蔽したというなら、なぜこの少年はその事を知っているのだ?

 

 

 

 

 

 

 

「知りたいか?」

 

 

 

 

 

 

 

ゾクリと肌が粟立った。

 

 

目が泳ぐ。血の気が引き蒼白になる。脈拍は早くなり、呼吸も浅くなる。隠しきれない感情が表面に浮かび上がってきた。歯の根が合わなくなり慌てて奥歯を噛みしめる。目を逸らすことができない。睨み付けることも。背筋を毒蛇が這い回るような悪寒に横島は戦慄した。

 

 

 

 

 

「知りたがっていただろ?僕の事を・・・。教えてやるよ」

 

 

 

 

 

悪魔が囁いた。

 

 

 

「第二段階・・・完全同一体の創造。これは見せかけだけの分身やクローンではだめだ。霊基構造すらアシュタロスと同一のものでなければならない。アシュタロスはこれを創造するために自らの魂を二つに割った」

 

 

何を言っているのか・・・分からなかった。

 

 

一瞬以上の時間、思考が止まる。恐怖を超える程の驚愕が横島の大部分を占めていた。じわじわと語られた事実が浸透していく。煮立った脳内がそれを理解した瞬間、横島は悲鳴を上げていた。

 

 

「はあっ!!!?ちょ、ちょっとまて!!そ、それじゃお前はつまり!?」

 

 

間の抜けた道化のようなその姿を見ても、少年には何一つ感じ入るものがなかったらしい。

 

 

混乱の極みにいる横島を置き去りにして、少年・・・アシュタロスは最後の爆弾を投下した。

 

 

 

「そして最終段階。世界の崩壊。コスモプロセッサ計画が失敗し、なおかつ同一体が生き残っていた場合のみそれは発動する。新世界に送り込んだ同一体をその世界ごと完全に消滅させる。本体と同一体は魂の縁によって強固に結ばれている。世界を隔てようが輪廻に囚われようが関係ない。一方が消滅すれば必ずもう一方も消滅する」

 

 

 

終末のラッパが吹かれる。

 

ただ『ヨハネの黙示録』とは違い七つの段階などない。

 

一瞬にしてそれは訪れる。

 

 

 

「これが答えだ。この世界が生まれた理由」

 

 

 

文字通り世界の創造主により神話の終わりが語られていく。

 

 

 

「この世界はアシュタロスが自殺するためだけに創り上げた世界。この世界は・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼の墓標だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






と言いう訳でネタバレ回その一です。

もともとこの作品は今回と次回の話の設定を考えて、書いてみたいなと思ったので始まった物語だったりします。ですので作者的には結構満足しています。読者様も楽しんで頂けたら幸いです。書き溜めた分は次回で終わりなのでその後の更新がいつになるかちょっと明言できないのですが気長に待って頂けたらと思います。執筆のモチベーションに繋がるのでもしよろしければ感想等頂けると有難いです。それでは次回の後書きにて・・・。






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