ある人の墓標   作:素魔砲.

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「ちょっと前にこんな映画を見た気がするなぁ」

 

 

濃霧から避難してきた人々でにわかに騒がしくなってきた喫茶店の店内で、窓から外の風景を眺めていた横島がそう呟いた。窓はそれそのものが色を付けられたかのように白一色になっている。どれだけのぞき込んでも時折人影らしきものが見えるだけで、その人影が男か女かもほとんどわからない有様だった。

 

 

「映画・・・です?それってどんな?」

 

 

隣で同じように窓を見つめていた夕映が小首をかしげながら聞いてくる。

 

 

「なんか主人公が住んでる町が突然霧で覆われてさ、そんで息子と買い物途中だった主人公がショッピングモールに逃げ込むわけ。んで避難した先にはすでに町の住人がいっぱいいておとなしく皆で救助を待っていたら、突然霧の中から得体のしれない化け物が襲ってくるって感じの導入」

 

 

「パニック映画というやつです?」

 

 

「そうそう。暇つぶしに見始めたやつだったんだけど妙に引き込まれてさ」

 

 

タイトルは忘れたが、内容は非常に記憶に残っている。評論などできるほど映画に詳しいわけではないが、よくできた作品ではあった。

 

・・・まぁ、二度と見たいとは思わないが。

 

 

「横島。それって事務所に置いてあったやつ?」

 

 

向かいに座っているタマモが会話に参加してきた。何とも形容しがたい微妙な表情を浮かべている。

 

 

「あぁそうだけど・・・。って、お前も見たの?」

 

 

「まぁね」

 

 

「お前映画とか見るほうだっけ」

 

 

「別に特に映画好きってわけじゃないけど。あれ、美神さんに勧められたのよね」

 

 

「どゆこと?」

 

 

「ほら、私って一応人間社会の勉強するために美神さんの事務所にいるわけじゃない?だから色々一般常識とか勉強してるんだけど、たまに美神さんが教材渡してくるのよ」

 

 

「教材って・・・あの映画がか?」

 

 

「なんでも極限状態における人間の集団心理を学ぶのに最適な教材って触れ込みだったけど、今思えば単なる嫌がらせな気がするわ」

 

 

暗い目をしたタマモがどんよりとした空気を纏う。

 

 

「ほらファザコンぎみのシロなんか軽くトラウマになってるし」

 

 

「あ、あれは・・・キツかった・・・で・・・ござる」

 

 

もらい事故を起こしたような様相のシロが身悶えていた。

 

 

「ぱ、パパ上殿が・・・あれでは・・・あまりにも」

 

 

「はいはい大丈夫よ。あれはフィクションだから。現実じゃないからね」

 

 

ラスト十五分にノックアウトされたらしいシロをタマモがおざなりに慰めていた。まぁ、気持ちはわからないでもないが。そう思いながら横島が再度窓の外に視線を向けていると、少し怯えた様子のおキヌが服の裾をつかんできた。

 

 

「で、でも本当にその映画の中みたいですよね」

 

 

町全体を覆う視界が閉ざされるほどの濃密な霧。原因不明で得体のしれないこの状況は確かに記憶の中にあるあの映画の光景とほとんど変わらないものだった。

 

 

「所詮は映画の話だ・・・って、笑い飛ばせればよかったんだがなぁ」

 

 

これが四人目の仕掛けた何らかの作戦である可能性も当然ある。というか事情を知っている横島からしてみればもはやそうとしか思えない。一瞬、超がやっているのかとも考えたが、例の武道大会が開催されるタイミングで主催の彼女が自らそれを妨害するような事をしでかすとはとても思えなかった。

 

 

「で、でも、もしそうならこれからどれだけの被害が出るか・・・。今は学園祭期間中なんですよ!」

 

 

霧の中から大量の化け物が現れる。そんな光景を想像したのか夕映がゾッとした表情を浮かべた。たしかに普段より遥かに人口が増加している今の学園都市でそんな事態が引き起こされたら、とんでもない惨劇が繰り広げられるだろう。そしてそうなったらもはや対処など不可能だ。警察はもちろん魔法使いたちにもどうにもできないだろう。

 

 

「い、いやあくまで映画の中ではそうだったってだけだからな。実際に化け物が出てくるとは限らないんだし・・・」

 

 

そう励ましながら横島は映画の話などしなければよかったと後悔した。どうやら無駄に怖がらせてしまったらしい。これ以上不安にさせないために何かできることはないかと横島が考えていると、少し離れたところから未だに誰かと通話中の美神の声が聞こえてきた。

 

 

「だからそうじゃないってば、基本的にはその方向であってるのよ」

 

 

周囲のざわめきに紛れてよく聞き取れなかったがどうやら誰かと口論しているらしい。通話中に話しかけるのも悪い気がするが、緊急事態でもあるので横島が美神に相談するために近づいていくと彼女の会話がよく聞こえるようになった。

 

 

 

 

 

「わっかんないやつね!だから今よりちょっと加減してくれればいいんだって!は?台風?いらないわよそんなの!!風神には引っ込んでろって言っといて・・・。え?我の出番はないのかって雷神が拗ねてる?ほっときなさいよ!だいたい雷なんてうるさいだけじゃん。もう霧だけで十分だから・・・」

 

 

「犯人はあんたじゃああああああああああああああぁぁぁ!!!!!」

 

 

 

 

 

力の限り人差し指を突き付け、横島が魂の告発をした。その瞬間、店内にいる全員が驚きの表情を浮かべ皆の頭上に『!?』マークが点灯する。そして厨房の隅で何やらガサガサと作業をしていた全身黒タイツ(おそらく学祭中のコスプレだろう)で妙に体格が細っこい三白眼の人物が、ハッとこちらを振り返りすぐさま逃亡を開始した。その背中を黒縁眼鏡に赤の蝶ネクタイ、ブレザー姿の小学生くらいの少年が待てぇと言いながら追いかけていく。

 

・・・何か別の所で別の事件が発生していた気がするが、そんな事には構わず横島は美神に詰め寄っていった。

 

 

「ちょ、ちょっと美神さん!!」

 

 

「何ようるさいわねぇ。電話中よ」

 

 

「電話中とかそんなこと言ってる場合じゃないっすよ!外のアレ!美神さんがやってるんすか!?」

 

 

通信鬼を押さえながら迷惑そうにこちらを見てくる美神に横島は顔を近づけつつ声を落として質問した。すると美神は横島の顔を押しのけ簡潔に答えた。

 

 

「違うわよ」

 

 

「い、いやしかしですね。今確かに霧がどうとかって・・・」

 

 

「ふっ・・・ねぇ横島君」

 

 

「な、なんすか」

 

 

横島の追及を鼻で笑った美神が妙に色っぽくこちらを見てくる。思わずドキリと心臓を高鳴らせた横島はどぎまぎしながら言葉の続きを待った。

 

 

「私たちってさ。これまで神族だの魔族だのの無茶な頼みをさんざん聞いてきたわよね」

 

 

「へ?まぁそうっすね」

 

 

「そうなのよ。ほら元始風水盤の時とかさ、月に行った時もそうだし、アシュタロスの時とか今回だってそうじゃん。いい加減あいつらにこれまで貸してた分を返してもらってもいいと思わない?」

 

 

「はぁ」

 

 

ニコリと魅力的な笑みでそう言ってくる美神の言葉に、横島はなんとなく疑問を覚えた。

 

 

「いやでも風水盤の時も月の時も、いつも美神さんあいつらに法外な報酬を請求してるじゃないっすか。それにアシュタロスの時はもともと美神さんの前世の因縁が関係してたわけだし、貸しってのもちょっと違くないっすか?それに今回の一件だってほとんど俺ばっか働いてて、美神さんはたいしたことしてない・・・」

 

 

「貸!!し!!が!!・・・あるわよね。たっぷりと」

 

 

「うぐっ!!そ、そうっすね。もう滅茶苦茶あると思うっす!!」

 

 

美神に己の頭部を捕まれ、ミシミシと頭蓋骨が軋んでいく音を聞かされて心底ビビった横島は即座に前言を撤回した。

 

 

「そうなのよ。だから今回あいつらに色々協力してもらったってわけ」

 

 

「えっとつまりどういうことっすか」

 

 

横島がそう尋ねると美神は鷲掴んでいた横島の頭部をペイっと捨てこう答えた。

 

 

 

 

 

「小竜姫の知り合いの天気の神様に霧の出前を一丁って♡」

 

 

「ピザの宅配頼む感覚で異常気象を呼び込まんでください!!!」

 

 

 

 

 

何一つ悪びれない純粋な笑顔の美神に対して横島は全力で突っ込みを入れた。

 

 

「なんでよ。別にいいでしょ」

 

 

「別にいいって・・・。で、でもなんか聞いた話じゃここの学祭って三日間でうん億だかって金が動くらしいっすよ。こんな状態じゃ下手したら学祭そのものが中止になるかもしれないし。損失額も相当でかくなるかも・・・」

 

 

「私がお金損するわけじゃないしどうでもいいじゃん」

 

 

「・・・・・・」

 

 

キッパリとそう言い切った美神の言葉にしばらく呆然としていた横島だったが、よくよく考えてみると確かにそれはその通りかもしれないという気がしないでもないかなと思い始めてきた。

 

 

「言われてみるとたしかにそうっすね」

 

 

「でしょ?」

 

 

「いやぁなんか規模が規模なだけにちょっとビビってたんすけど、別に魔族が暴れてるってわけでもないんだしこのままでもいいんかな」

 

 

「そうそう」

 

 

「はぁ、なんか安心したらまた腹減ってきたな。すんませーん注文いいっすか?カツ丼とクリームソーダ一つ」

 

 

テーブルからメニューを引き寄せウエイトレスを呼ぼうとした横島の手を後ろにいた人物がガシリと掴んだ。

 

 

「な・に・が・カツ丼ですかぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

地獄の底に引きずり落そうとするような恨みがましい声で夕映がそう言ってくる。

 

 

「うおっ!な、なんや、夕映ちゃん。夕映ちゃんもカツ丼食いたいんか?」

 

 

「カツ丼の話じゃないです!!それより外!!美神さんがやってるっていうのは本当なんですか!?」

 

 

「あ~まぁ美神さんがっていうか美神さんの知り合いの知り合いの神様のせいというか」

 

 

「そんな遠くの親せきがどうのみたいな話はどうでもいいです!!美神さんが原因っていうのは間違いないんですよね!」

 

 

「うんまぁそれはそう」

 

 

「だったら止めてきてください」

 

 

「え!?止めろって俺が?美神さんをか?」

 

 

「他に誰がいるですか!!」

 

 

「い、いやしかしだな、蟻んこ一匹で象を倒してこいって言われてもそりゃ無理な話というか。水滴は石を穿つかもしれんがそれだけでダムは決壊させられんよなぁというか」

 

 

「何言ってるんだかわかりませんけど、とにかく早く行ってきてください!」

 

 

「うわっ!ちょ、お、押さないでくれ夕映ちゃん!」

 

 

問答無用で無理やり背中を押される。気付けば横島は再び美神の前に立っていた。情けない表情で背後を振り返れば目を三角にした夕映が仁王立ちしている。もはや何もせず撤退するという訳にはいかないようだ。一つ大きな溜息をついて気を引き締める。横島は強大な敵に立ち向かおうと勇気を振り絞った。

 

 

「あ、あの~美神さん」

 

 

「なによ」

 

 

「いや、その、できればでいいんですけど。あの霧何とか止めてもらう訳にはいきませんかね?」

 

 

「あぁ?」

 

 

「すんませ~ん。なんでもないで~す。失礼しま~す」

 

 

胸の前でもみ手を作り最大限の低姿勢で挑んだ横島は、その姿勢のまま迅速なバックステップで見事な撤退を決めた。安全圏まで退避が完了したところで額に浮かんだ汗を拭う。

 

 

「ふう。近年まれにみる激闘だったが何とか生き延びることができたな。惜しくも戦いには敗れたが、まぁ勝敗よりも全力を尽くした事の方が重要な気がしないでもないからとりあえず許してください夕映ちゃん」

 

 

「な・に・が・全力ですか!誰がどう見ても瞬殺だったじゃないですか!!」

 

 

「そうは言うてもだな、モ〇ルスーツの性能が戦力の決定的な差だって有名なセリフもある事だし、戦闘力5のゴミがサ〇ヤ人に挑んでもそりゃ返り討ちにあうよなというか」

 

 

「もういいです!!」

 

 

鼻息荒く憤慨していた夕映が瞳に真剣な色を宿す。彼女は決意に満ちた声で宣言した。

 

 

「私が行くです」

 

 

「な、行くって美神さんの所にか?」

 

 

「?当り前じゃないですか」

 

 

「死ぬ気か夕映ちゃん!!例えるなら君と美神さんはミッ〇ィーとシン・ゴ〇ラ!!強さ以前にジャンルが違うぞ!!」

 

 

「そんな大げさな」

 

 

横島の心からの忠告も夕映には届かなかったらしい。苦笑を浮かべている彼女に、しかし美神の事をよく知っている事務所のメンバーはこう言った。

 

 

「まぁ死ぬまではいかないかもね・・・運が良ければ」

 

 

「時に人というのは肉体的なものより精神的なものの方が苦痛を感じるでござるからなぁ」

 

 

「や、やめといたほうが・・・いえ、でも、大丈夫かな・・・たぶん・・・きっと」

 

 

タマモ、シロ、おキヌが表情を暗くして夕映を見つめる。本気で心配されている事に気付いたのか夕映は少したじろいでいた。しかし決意のほどは固かったようで、一度気合を入れるために己の頬を叩くと美神のもとまで歩いて行った。

 

 

「み、美神さん!!」

 

 

「何よまだなんか・・・ってあれ?あなた確か夕映ちゃんだっけ」

 

 

握りこぶしを、というか膝を震わせながら自分の名前を呼ぶ夕映に美神はきょとんと目を瞬かせた。美神にとっても予想外の人物に声を掛けられたようで些か驚いているようだ。

 

 

「えっと・・・何か用?」

 

 

「単刀直入に言います。あの霧を止めてください」

 

 

「え?やだけど」

 

 

「や、やだって何でですか!今もあの霧に迷惑を掛けられている人が大勢・・・」

 

 

「あのねぇ私だって伊達や酔狂でこんなことやってるわけじゃないのよ。ちゃんと考えがあってやってんの」

 

 

「考え・・・です?それってどんな」

 

 

「まぁ、もうちょっと待っててよ。私の勘が正しかったらそんなに時間はかからないと思うからさ」

 

 

困惑している夕映にウインクを一つして美神は再び通信鬼へ向かって通話を始めた。そのまま放置されてしまった夕映が、首をひねりながらこちらに戻ってくる。

 

 

「何か体よく誤魔化されているような気がするですけど」

 

 

「う~んどうなんだろうな。よくよく考えりゃいくら美神さんでも何の意味もなくこんな大掛かりな事するとは思えんし・・・」

 

 

考えがあるということ自体は間違っていないのではないかと横島が言葉を続けようとしたその時、尻ポケットの携帯電話から呼び出し音が鳴った。誰からだろうと思いながら表示された番号を見てみる。

 

 

「うげっエヴァちゃんだ」

 

 

思わずそんなうめき声をあげてしまうほど、今この時に限っては電話に出たくない人物だった。

 

 

「ま、マスターからですか?」

 

 

「ああ、たぶんこの状況を説明しろとか何とか言われるんだろうけど」

 

 

「ど、どうするですか!馬鹿正直に美神さんがやってるなんて言ったら・・・」

 

 

「ああ。最悪、両世界の二大巨頭が夢の対決!!ってな事になりかねん」

 

 

それは想像するのも恐ろしい未来だった。そんな事になればどういう経緯をたどろうが間違いなく一番被害を被るのは自分だろう。だがしかし、このままエヴァの電話を無視するのもそれはそれで恐ろしかった。横島はゴクリと生唾を飲み込み、背筋が寒くなる気分を味わいながら携帯の通話ボタンを押した。

 

 

「も、もしもし」

 

 

「横島か」

 

 

「あ、はいそうっす」

 

 

「この霧について何か情報があれば教えろ。包み隠さず全て話せ」

 

 

現在の心境ゆえかエヴァの声がいつもより冷たく聞こえる。横島はとにかく何とかして誤魔化そうと脳みそをフル回転させた。

 

 

「えぇそう言われましても当店といたしましてはご期待にお応え致しかねますというかぶっちゃけ仕様なのでどうしようもないというか」

 

 

「今からそちらに行く。逃げるなよ」

 

 

それだけ言うとブツンと回線が切断された。

 

 

「何してるですか!!ふざけてるですか!!」

 

 

「違うんやあああぁぁぁ!!切羽詰まって何言ったらいいか思いつかんかったんじゃああああぁぁぁ!!」

 

 

夕映にポカポカと背中を叩かれながら横島は頭を抱えた。このままでは本当にこの喫茶店で怪獣大決戦の戦端が開かれてしまうだろう。そうなったらこんな耐久力の低そうな店など簡単に崩壊してしまう。あの気のいい店長を悲しませるのも忍びないので、せめて被害を最小限に抑えるために場所を移動しようかと横島が考えていると再び携帯電話が鳴った。表示を確認することなく素早く電話に出る。

 

 

「ええと、すまんエヴァちゃん。ちゃんと説明はするから店を壊すのだけは・・・」

 

 

本人が不在である以上、見えはしないだろうがそれでもペコペコと頭を下げながら横島がそう言うと、通話相手が口を開いた。

 

 

「・・・横島君」

 

 

「へ?」

 

 

明らかにエヴァとは違う声で名前を呼ばれ一瞬頭が混乱する。しかしすぐにその声がよく知っている人物のものであると認識した。

 

 

「おま、ジークか?」

 

 

「ああ」

 

 

「なんか久しぶりつーか。お前どこで何してたんだ?まだ魔界にいんの?」

 

 

懐かしいと言うにはまだそれほど時間がたってはいないが、それでも似たような気分にはなる。当初の予定では魔界で魔力を補充したらすぐにこちらの世界に戻ってくると言っていたはずだが、なにやら用事が出来て帰れなくなっていたらしい。しばらく顔を合わせていない友人に接するように横島が近況を尋ねるとジークは不愛想にこちらの質問を遮った。

 

 

「そんなことはどうでもいい。確認するぞ、今君の近くに美神令子はいるか?」

 

 

「なんだ突然」

 

 

「いいから答えてくれ!!時間がないんだ!!」

 

 

語気を荒くしてジークが返答を急かしてくる。何かを焦っている様子が電話越しにも伝わってくるようだ。横島は当惑しながらそれでもジークの質問に答えた。

 

 

「すぐ傍にいるけど・・・」

 

 

「事務所のほかのメンバーは?」

 

 

「全員いる・・・って何なんだよいったい!」

 

 

事情も説明せず矢継ぎ早に質問してくるジークに横島が苛立っていると、彼はそんなこちらの様子など無視して安堵しているようだった。

 

 

「そうか。なら聞いてくれ横島君。いいか、今すぐに、その場にいる全員を連れて元の世界に戻ってくるんだ」

 

 

「お前急に何言ってんだ?戻ってこいって依頼はどうすんだよ。四人目の調査が・・・」

 

 

はっきり言って、あの子供の調査はまだほとんど何も成果を得られていない。調査期限に関して明確にされていなかったとはいえ、中止の指示が来るにしてもあまりに突然だ。横島がそう言うとジークは皮肉気に笑った。

 

 

「四人目・・・四人目か・・・」

 

 

「お、おいジーク?」

 

 

様子がおかしいジークに横島が戸惑っていると彼は一言こう言った。

 

 

 

 

 

「四人目などいない」

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

尋ね返す言葉が浮かばない。その間にジークは繰り返し断言した。

 

 

「四人目などいないと言ってるんだ」

 

 

「い、いや、ちょっと待てよ。じゃあ俺が会ったガキは何だってんだ?それにあのガキの調査を正式に依頼してきたのはお前らの軍隊・・・」

 

 

「ならもっと言おうか?四人目だけじゃない。一人目も二人目も三人目も!!魔界から異世界に逃亡を図った魔族など初めから存在しなかったんだ!!」

 

 

吐き捨てるようにそう言うとジークは激情を押さえるように荒く息をついた。横島は・・・ただ混乱していた。ジークの言葉の意味が何一つ理解できない。逃亡犯である魔族が初めから存在していないというなら、そもそも何で自分はこの世界に来ることになったのか。今まで散々苦労しながら倒してきたあの魔族達はいったい何だったというのか。この世界に来てから少なくない時間を共に過ごしてきたジークから、その経験自体を否定されたような気分になって横島は呆然としていた。ジークは冷静になろうとしてそれが叶わなかったようだ。先程より語気を強めて再度警告を発した。

 

 

「もう一度言うぞ!!とにかく今すぐ全員でこちらの世界に戻ってこい!!そっちの世界には・・・」

 

 

ジークの言葉が途中でぶつ切りになる。耳に届いてくる電話の切断音が妙にザワザワと心の奥を揺さぶってきた。

 

 

「お、おいジーク!!もしもし!!もしもし!!」

 

 

無駄と分かっていながらそう呼びかける。だがやはりというか電話には何の応答もなかった。チッっと舌を打ってジークの番号にかけなおす。だが何度かけても電話は全くつながらなかった。

 

 

(くそ、何だってんだ)

 

 

心の中で悪態をつきながらジークの話について考える。四人目がどうのという話は理解できなかったが、詳しい事情説明もなく事務所メンバー全員の所在確認と早急な元の世界への帰還を促してきたという事は、何かしらの危険がこちらに迫っているという事ではないか。要するに今すぐ逃げろと言っていたのだジークは。

 

 

(逃げろっつたって・・・)

 

 

思わず近くにいる夕映に顔を向ける。先程からこちらの様子がおかしい事に気付いていたのだろう。何かを言いたげに不安そうな顔を向けてくる。ジークの警告はこの世界を離れろだった。『この場を離れろ』ではなく『この世界を離れろ』だった。

 

 

(それってつまり・・・俺はともかく美神さんでもどうにもできない何かがこれからこの世界で起こるってことなのか?)

 

 

そこまで考えて強く頭を振る。ジークの言葉だけで結論を出すのは早すぎる。とにかく今聞いた話を美神に伝えるべきだろう。そう思って横島が美神の方に振り返ると彼女は何か得心がいかない様子で通信鬼を眺めていた。

 

 

「ったく何だってのよ。そりゃ無茶なこと言ったかもしれないけど途中で切ることないじゃない」

 

 

美神がブツブツとばつが悪そうに何かを愚痴っている。

 

今彼女はなんと言ってた?

 

 

「美神さん。今なんて?」

 

 

「小竜姫のやつがさ。話してる最中にいきなり通信を切ったのよ。何回か掛け直しても繋がらないし。なんかトラブったのかな?」

 

 

ひょっとして故障した?そう言いながら通信鬼を叩いている美神の前の座席に横島は素早く滑り込んだ。先程ジークから聞かされた話を出来るだけわかりやすく伝える。美神は最初怪訝そうににその話を聞いていたが、終わりに差し掛かるにつれ表情が険しくなっていった。

 

 

「確認するわよ。ジークは四人目だけじゃなくほかの逃亡犯もいないって言ってたのね」

 

 

「えっと正確には、一人目も二人目も三人目も魔界から異世界に逃亡を図った魔族なんて最初から存在しなかった・・・だったかな」

 

 

「それで元の世界に帰ってこいって話をしている最中に電話が切れた・・・と」

 

 

「はい」

 

 

「・・・・・・」

 

 

ウォールナットのテーブルの木目に指先を這わせながら美神は何事かを考えているようだった。横島はその思考を邪魔しないようにじっと身動きもせず押し黙った。途中から何事かとこちらに近づいてきた夕映やおキヌたちも、二人の様子から言葉を発せずにいた。やがて僅かに唇を噛んでから美神がポツリと呟いた。

 

 

「やってくれるわね・・・」

 

 

一度だけカツンと指の爪をテーブルに打ち付け、美神は立ち上がった。事務所のメンバーを全員見つめ簡潔に指示を出す。

 

 

「帰るわよ」

 

 

横島はその言葉に反応し反射的に立ち上がっていた。

 

 

「み、美神さん!帰るってまさか元の世界に帰るって事っすか?」

 

 

「そうよ」

 

 

「で、でも四人目は・・・」

 

 

「その調査を依頼してきたやつが帰れって言ってんだから素直に帰ればいいじゃん」

 

 

「い、いやしかし、これじゃほとんど何もわからないままじゃないっすか」

 

 

四人目の正体もジークが言っていた言葉の意味も何一つ分からないまま帰還することになる。これでは消化不良もいいところだ。

 

 

「美神さん。ほんとは何か気付いたんすよね。だったら教えてください」

 

 

付き合いの長い自分には分かる。美神は先程の会話で間違いなく何かに気付いていたはずだ。そう言うと美神は横島の方をじっと見つめて小さく頷いた。

 

 

「気付いた・・・っていうか予想が当たったって感じかな」

 

 

「予想?」

 

 

「ねぇ横島君。前に私が言ってたこと覚えてる?逃亡犯の魔族がなんで逃亡先に異世界を選んだのかって話」

 

 

「は、はい覚えてるっすけど」

 

 

数日前の出来事だ。忘れるわけがない。たしか霊力の存在しないこの世界は逃亡先には向いていないはずなのに、なぜ逃亡犯の連中がこの世界に逃げ込んだのか理由がわからないといった話だったはずだ

 

 

「答えは簡単。あいつら自分で逃げてきたんじゃなかったのよ」

 

 

「え?」

 

 

「おそらく無理やりこの世界に送り込まれたんじゃないかしら」

 

 

「お、送り込まれたって・・・なんすかそれ!いったい誰に・・・」

 

 

「今回の一件の発端を作ったやつら。魔界の正規軍でしょうね」

 

 

その言葉に横島は絶句した。だって意味が分からない。美神の言う通り魔界の正規軍があの魔族達をこの世界に送り込んだんだとしたら、なぜその退治を美神の事務所に依頼したのか。これでは筋が通らないではないか。

 

 

「たぶんワルキューレは何も知らないで私たちに依頼を出したのよ。彼女の所属する部署とは別に、魔族を送り込んだ連中がいるんじゃないかな」

 

 

「だ、誰なんすかそいつら!何のためにそんな事!」

 

 

「そこら辺の事情をワルキューレが調べてたんだけど・・・このタイミングでジークから帰れって指示が来たってことはタイムリミットが来たってことよ。これ以上はこの世界にとどまるべきじゃない」

 

 

これで話は終わりだ。そう宣言するかのように美神はテーブルの上の伝票を手に取った。会計を済ませるためにレジの方に向かっていく。横島は納得がいかずに美神を追いかけた。話が半分も理解できていないだろう面々も後に続く。横島がテーブル席をまたぐようにしながら歩いていると、その時ふと違和感に気付いた。

 

 

(なんか・・・さっきより人の数が減ってきていないか?)

 

 

外の霧から避難するために店内にはかなりの人数がいたはずだ。どこも満席でなかには相席になっている人達もいた。だが今はそれほど混雑しているわけではない。通路もスムーズに通ることができる。横島がその事に疑問を覚えていると、後ろで窓を見ていたシロが無邪気に感想を口にした。

 

 

「おぉ、ちょっと霧が晴れてきたみたいでござるな」

 

 

その言葉を聞いて横島も窓に視線を向けてみた。すると確かに霧は晴れてきているようだった。ついさっきまでは店の前の道路を見る事すら困難だったが、今は向かいの店舗の様子が見える。人通りも増えてきたようで、みな突発的な霧の発生を不思議に思いながらもまた学園祭を楽しんでいるようだった。ただ一人美神だけはその光景に何か焦った様子で速足になり、レジで会計を済ませると同時に外に飛び出した。横島も慌てて後を追う。彼女は周囲を睨みつけながら小さく囁いた。

 

 

「・・・まずい」

 

 

その言葉の真意を尋ねる暇もなく美神は再び店の中に戻っていった。どうやらおキヌたちを急かしているようだ。横島が自分も戻ろうかと考えていたその時、背後から声がかかった。

 

 

「そこにいたか横島」

 

 

いつもとは違うゴスロリ服姿のエヴァがそこに立っていた。格闘大会に出る予定だったからなのか、フリルも少なく体の動きを阻害しないように工夫された衣装を纏っている。ただ妙に靴底の厚い編み上げブーツだけは、あまり戦闘には向いていないようではあったが。

 

 

「エヴァちゃん。そういやここに来るって言ってたな。でもどうして俺がいる場所が分かったんだ?」

 

 

「ふん、貴様の居場所などどこにいようと分かる」

 

 

得意げにそんな事を言ってくるエヴァに、まさか発信機でもつけられていたのかと横島が不安を覚えていると、エヴァの背後から聞こえてきた声がその疑惑を否定してくれた。

 

 

「えっと、武道大会の会場にいたのどかさんたちに夕映さんの事を聞いたんです。夕映さんは横島さんと一緒にいるからって、その時にこの場所のことも」

 

 

そう言いながらネギがペコリと挨拶してきた。エヴァの別荘で修行している時に着ている動きやすそうな中華服に、体全体を包み込むようなゆったりとしたローブを羽織っている。その手には少年が普段から愛用している杖が握られていた。どうやらエヴァに足代わりとして連れてこられたらしい。

 

 

「ネギ、お前も来たのか?大会の方はいいのかよ」

 

 

「霧の騒ぎで予定が変更になったんです。出場者の何人かが欠場しちゃったみたいで、今後どうするかを運営の人たちが今協議しているみたいです」

 

 

少なくなった人数でこのまま試合を続行するか、あるいは予選敗退者から敗者復活戦を行うか。大会の運営もごたついているらしい。

 

 

「そんな事はどうでもいい。それより横島お前この霧について何か知ってるだろう。早く話せ」

 

 

「あぁ、そういやそんな話だったっけ」

 

 

正直今の今までエヴァの事をすっかり忘れていた。それだけジークや美神の話が衝撃的だったという事だが、やはりまだ頭が若干混乱しているようだ。

 

 

(ん?でもまてよ。霧の事って言われてもなんつって説明すりゃいいんだ?)

 

 

自分のアルバイト先の上司が異世界の神様のつてで異常気象を発生させていましたなどと言っても、ふざけるなと一蹴されるだけだろう。

 

 

「どうした?とっとと説明しろ」

 

 

様子をうかがっていたエヴァが眉をひそめる。何も言ってこないこちらの態度に焦れているようだった。

 

 

「あ~とあれだな。なんちゅうかその・・・」

 

 

尻の谷間に変な汗をかくほど狼狽えている横島が、もういっそのこと全て暴露してやろうかと諦めかけていたその時、本日最後の電話が鳴った。しめたと思わず笑いそうになりながら電話に出る。問題の先送りにしかならないだろうが時間を稼ぐことはできるはずだ。横島はエヴァ達にちょっと待っててとジェスチャーを送りながら通話相手に声を掛けた。

 

 

「もしもし?」

 

 

「横島さんですか!?」

 

 

「へ?」

 

 

それは全く予想していなかった人物からの電話だった。若い女の子の声だ。聞き覚えがあるような気がするが思い出せない。

 

 

「えっと、すまん。誰かな」

 

 

「あ、あの、すみません。私です。じゃなかったそのハカセです。葉加瀬聡美」

 

 

「あぁネギのクラスの。あれ?俺ハカセちゃんにこの番号教えたっけ?」

 

 

「いえ、それは超さんに教えてもらって・・・。って、違います!こんなこと話してる場合じゃないんです!!その、今から一緒に来てくれませんか!?」

 

 

「え?」

 

 

唐突にそう言われて横島は首を傾げた。葉加瀬は何やら慌てた様子で、言ってることも若干支離滅裂だった。

 

 

「どういうこと?一緒に来いって何処へだ?」

 

 

「あ、いえ、その、龍宮さんが横島さんを呼べって言ってて、超さんがそのあの」

 

 

ここで息が続かなくなったのか葉加瀬は一度深呼吸をした。そして早口に言葉を続ける。

 

 

「超さんがいなくなっちゃったんです!!」

 

 

声を上ずらせた葉加瀬が悲鳴のようにそう言った。

 

 

横島は・・・次々と訪れる事態の変化についていけなくなり、空を見上げた。

 

 

空はいまだ晴れていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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