ある人の墓標   作:素魔砲.

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「お腹が空いた」

 

 

それが二時間前に倒れているところを発見した女の、目覚めてからの第一声だった。

 

消毒薬よりも機械油の匂いの方が濃くなってしまった室内で、正確に餌の匂いを嗅ぎつけたらしい。ここは女が無断で占拠している彼女の引きこもり場所の一つだ。もとは医薬品を保管していた倉庫で、軍が基地の一部を改装工事した際、保管場所が移され空き部屋になったのをいいことに女が私物を大量に運び込み自らの私室にしてしまった。いまではもう誰もがその事を半ば既成事実として認めている。周囲を見渡せばドライバーやレンチ、バーナーや電動のこぎりなどの工具と、ビーカーやシャーレ、ピンセットにスポイトなどの実験器具がごちゃ混ぜに放置されている。一目見ただけで部屋の主は明らかに片付けとは無縁だと分かるのが、今現在のこの部屋の惨状だった。

 

そんな室内の一角で女はベッドに転がるような姿勢で横になっていた。一応清潔さだけは保っている(洗濯しているのではなく単に新品というだけだが)シーツに絡まりながらぐぅぐぅと腹の音を鳴らしている。そんな有様を半眼で見下ろしながら超鈴音は呆れた声で言った。

 

 

「・・・おはよう」

 

 

「ああ、おいしそう。ではなくておはよう超」

 

 

そんな挨拶を交わしながら、女がまだ寝ぼけているのか微妙に判断しづらい表情で餌を待つひな鳥のように口をパクパクと開閉していた。どうやら手に持っている器の中身を所望しているらしい。

 

ハァと深く嘆息しながらスプーンを口に突っ込んでやる。すると、あっつぁぁぁと奇怪な悲鳴を上げながら女がベッドから転げ落ちた。どうやら彼女の口内の耐熱温度はそれほど高くなかったようだ。しばらくの間ヒイヒイ言いながら苦悶している女の様子を観察して、超は何となく溜飲を下げた。いい笑顔でミネラルウォーターの入ったボトルを女に向かって放り投げてやる。見事に頭でキャッチしながら女は切羽詰まった様子でそれを拾い上げ、キャップをひねりごくごくと水を飲みほしていった。

 

 

「はぁはぁ、ひどいじゃないか。ちょっとしたお茶目だろう?」

 

 

「いい年した大人にあ~んなんてされてもまったく可愛げがないし、あなたが倒れるたびに介抱させられる身にもなってほしいネ」

 

 

そう言いながら超は疲れたように肩を落とした。こんな風に彼女が突然倒れるのは珍しい事ではない。これで体が病弱だからというならまだ可愛げがあるが、彼女の場合はそんな理由ではなかった。おおかた、また趣味のがらくたいじりに没頭しすぎて寝食を忘れていたのだろう。普段の生活も規則正しいとは言えないが、それでもここまで不健康ではない。正直この奇行だけは何とかしてほしいものだが、超がいくら言ってもどうにもならなかった。

 

 

「まぁ今更その悪癖をどうこう言うつもりはないが、せめて水と睡眠くらいはまともに取るネ」

 

 

「まぁねぇ、そうするつもりがあっても、興が乗ってくるとすっかり忘れてしまうものなんだなぁ」

 

 

まるで他人事のように言って来る女にデコピンでも食らわせてやろうかと超が内心で悪態をついていると、女は口にスプーンをくわえて顔をほころばせた。

 

 

「だけど本当に超は料理がうまくなったねぇ。これはあれかいお粥?」

 

 

「中華粥。すきっ腹に固形物を入れると大変なことになるし・・・」

 

 

食物を消化するのにも体力がいる。内臓に負担を掛けないために味も薄めにして水分を多くしていた。

 

 

「なんというか、最初に君が作ってきた泥水みたいなものに比べると雲泥の差だね。ほんとに」

 

 

「いつの話をしてるネ。確かに自分でも料理が上達しているとは思うが、その理由がいい年した大人の世話というのが悲しくなるヨ」

 

 

本来、超も食事や家事に時間を取られることをあまり好まないたちだったが、身近にいる人物のあまりのダメ人間っぷりに仕方なく世話を焼いているうちに家事の技術が急上昇した。特に料理は意外と己の趣向にマッチしていたようで、もともと凝り性な性格も相まって今ではそこらの料理人顔負けの技術を有している。まぁしかし、これは改まって言うことではないが料理が熟達した一番の理由は、食べてくれる人が心から美味しいと言ってくれるからだろう。目の前で日光浴中の猫のような表情を浮かべている女を見て超はそう思っていた。

 

 

「それにしても休暇がとれたならこんな所に引きこもってないで、私に挨拶の一つでもするべきだったんじゃないカ?最近のあなたを見てると本来の目的を忘れているのではないかと心配になるネ」

 

 

超は最近研究室はおろか自室にまで姿を見せないでいる女の事を内心案じていた。連絡は取れていたので無事は確認していたのだが。

 

 

「いやぁ、一応研究室には顔を出したんだよ。でもその時、君はなんだかんだ忙しくしてたみたいでさ。挨拶は後にするかってこの部屋に来たらやりかけの改造を思い出して・・・」

 

 

その後は作業に没頭していたらしい。それで結局いつもの有様になったようだ。すまないねぇと軽薄に笑う女に若干苛立ちを感じながら超は再び大きなため息をついた。

 

 

「忙しそうにしてたって・・・別にそんなのいつもの事ネ。普通に声を掛ければよいではないカ」

 

 

「ああ、そりゃまぁ君一人の時ならそうしていたけど、ほらあの時は珍しく同僚と何か話していただろう?邪魔しちゃ悪いと思ってね」

 

 

「同僚と話?」

 

 

そう言われて超は自分の記憶をさかのぼった。そしてすぐに何日か前の出来事を思い出す。

 

 

「ああ、あのときか。あれは別に楽しく会話していたわけではないヨ。むしろ腹を立ててたネ」

 

 

「どういうこと?」

 

 

「見かけない職員がいたから声を掛けたら、魔道兵士の被験者に薬物を投与するとか訳の分からないことを言ってたので追い出しただけヨ」

 

 

偶然気付いたからよいものの、下手をすれば無許可の人体実験が行われていたかもしれない。あの顔もろくに知らない職員はミリタリーポリスに引き渡したので安心だと思うが。一応身分証を確認したところこの基地の所属だったことは判明している。どういった経緯でこんなことをしでかしたのか、今は取り調べを受けているだろう。超がそう説明すると、なぜか女は額に手を当てて苦笑した。

 

 

「ありゃりゃそんな事になってたのか。まったく先走って動くから馬鹿を見る。正式に許可が出たといっても責任者の立ち合いがなければまずい事になると、それくらいの想像力もないのかね」

 

 

「正式な許可?いったい何を言ってるネ」

 

 

「ああ、だから薬剤投与の件だろう?あれの許可を出したのは私だ」

 

 

平然とそう言いながら女は粥をすべて平らげ、空の食器を近くにあったテーブルの上に置いた。ごちそうさま、美味しかったといつものように微笑んでいる。超はその笑顔を見ることが好きだったが、今はそんな場合ではなかった。

 

 

「・・いったいどういうことか説明するネ」

 

 

声を低くし目つきの鋭くする。しかし女は大した動揺も見せなかった。

 

 

「まぁざっくり説明すると、ある企業の薬品メーカーからセールスがあってさ。なんでもその薬物を使うと魔法を使用した際の反動を二割ほど軽減できるんだって。刻印による人体への影響は個人レベルの調整である程度抑制可能だけど、それでもまだまだ完全じゃない。もしそんなことが実現できたなら大変喜ばしいだろ?」

 

 

「ふざけるのも大概にするヨ。魔法を使った際に反動が起きるのだとすれば、それは術者が制御できないほどのエネルギーを使ったために起こった魔法の反作用ネ。魔力容量そのものを増大させでもしない限り、人体への負担を抑えることなど不可能ヨ。それができなかったからあの刻印を作ったのではないのカ?」

 

魔道兵士に刻まれた刻印。あれは人体に取り込んだ万物のエネルギーを効率よく魔力に変換するための計算式のようなものだ。変換効率を増やせばエネルギーが魔力に代わる際のロスをその分軽減できる。それは同時に魔力容量が少ない者であっても、ある程度強力な魔法を行使できることを意味していた。魔道兵士は人体に手を加えることで生まれるが、人体そのものを変質させるわけではない。あくまでも魔法というメカニズムにそって行われる改造だ。薬物投与などによる生理的なアプローチでは限界があることは目の前にいる女が一番よく理解しているはずなのに・・・。

 

 

「もう一度聞くよ。いったい何のつもりで許可したネ・・・」

 

 

自然と眉間に力が入ることを自覚しながら超は女に詰問した。すると女は降参とでもいうように両手を上に向けた。

 

 

「なんでだと思う?」

 

 

降参はしていないようだった。

 

 

「・・・誤魔化すつもりカ?」

 

 

「ちがうね。よく考えてみろと言ってるんだ。おかしいと思うことはいくらでもあるだろ?」

 

 

「・・・・・・・・」

 

 

生徒に設問する教師のように女は超を試しているようだった。腹立たしい事だが女がこのような言い回しをする時、たいていよく考えれば答えがわかるようになっている場合が多い。超はしばらく沈思黙考していたが、ふと頭にひらめくものがあった。

 

 

「あなたに接触したセールスマン。なんで魔道兵士の事を知ってる?」

 

 

一部では公然の秘密となっている魔道兵士のプロジェクトだが、それはあくまでも軍内部での話だ。正式に配備が完了していない現状、魔道兵士はテストケースに過ぎない。その間は外部に情報が漏れないように徹底的に管理されているはずだった。もちろん人の口に戸は立てられないものだが、それでも民間企業が介入してくるまで噂が拡散しているとすれば事前に何らかの兆候くらいは聞き及んでいてもおかしくない。それに・・・。

 

 

「なんで初めに接触したのが軍の広報ではなく開発主任のあなたなんだ?」

 

 

窓口にアポイントメントを取るでもなく、直接開発主任に接触したという事は相応の情報を握っていて軍内部にも顔が利くという事だ。だがそれにしては超が拘束した職員はミリタリーポリスにその存在を知られていないようだった。つまり末端までは情報が行き届いていないわけだ。下の人間に隠れて秘密裏に事を運ぶ必要があったという事は・・・。

 

そこまで考えて超は分からなくなった。苛立たし気に髪をかき上げる。するとその様子を楽し気に観察していた女が声を掛けてきた。

 

 

「降参かい?」

 

 

「ぐぬぬ」

 

 

予想してたよりも悔しさがこみあげてくる。超がそうして低い唸り声をあげていると、女は今度こそ声に出して笑った。

 

 

「なにも唸ることはないじゃないか。充分及第点だよ。これ以上は分からなくても仕方ないさ。何しろ君は事情を知らないんだから」

 

 

「事情ってどんな?」

 

 

「そうだねぇたとえば・・・」

 

 

若干不貞腐れたように尋ねる超の顔を女はにやにやと見つめていた。そのまま重力に耐え切れずに勝手に目蓋が閉じたとでもいうような不器用すぎるウインクをして、人差し指を立てながら説明を始める。

 

 

「例のセールスマンが所属している企業がとある政治団体に多額の献金をしていて、その団体の構成員の一人が軍部の主戦派に顔の利く人間で、そいつが私を紹介したというのは?」

 

 

「なんのために?」

 

 

「利権目当て・・・と簡単に言ってしまえればよかったんだが事態は少々複雑でね。そもそも利権の整理は上の人間がとっくに済ませた後だろうし、いまさら食いつこうとするには遅いきがするが、まぁ魔道兵士が扱うのは物ではなく人だからね。そこを突けば何とかなると思ったのかな?人間相手の利権関係は複雑になるし手間もかかるから。例えば軍に卸されてる民間のレーションの調達に関してリベートを取る、なんて簡単な図式にはならない」

 

 

「・・・・・・」

 

 

「いずれにしても私としては彼らが本気で利権を狙っているとは思えなかったがね。だって売り込んでくるにしても製薬会社はないだろ?ただでさえ薬事法なんかでめんどくさい手続きがあるのに。そんなことするくらいならNPO法人の人権保護団体がでてくる方がまだあり得そうだ。あぁそういえば君が懸念してた薬物に関してだけど、成分分析の結果、あれは民間に出回ってるものよりそこそこ強力な向精神薬程度の物だったよ。もちろん魔法使用時の人体の負担を減らす・・・なんて効果はなかったけど、負担がかかっても気にならないくらいの効果はあるかもね」

 

 

「その話はもういいヨ。それよりその企業の目的が利権ではないならなんだというのカ?」

 

 

「というより企業側と政治団体側の思惑が別にあると考えたほうがいいように思うね。製薬会社の方は本当に利権目当てだったのかもしれない。でも政治家の方はちょっと調べると面白いことがわかる」

 

 

「なにが?」

 

 

「その政治団体の主要人物の一人にある大財閥のご子息が含まれていてね。君も名前くらいは知ってると思うよ」

 

 

そして女は小さな声で具体的な人物の名前を挙げた。

 

 

「それってたしか大手通信会社の会長カ?」

 

 

「それは表向きの肩書の一つだね。ありていに言えば彼の正体は武器商人だ」

 

 

「武器商人?」

 

 

「第一次魔法大戦以降、急速に力をつけた勢力の一つさ。当時はアメリカが本土攻撃を受けて軍需工場のいくつかを外部に移したなんて噂もあったくらいだしね。その受け皿というか仲買人となったのが彼らだ」

 

 

第一次魔法大戦。魔法世界(ムンドゥス・マギクス)による旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)への侵攻。地球人類が初めて経験した異界の住人からの侵略戦争である。開戦当初はまだ魔法に関して何の予備知識もなかった人類側が圧倒されていたらしいが、それもそう長くは続かなかったと言われている。

 

 

「魔法世界側の主要都市であるメガロメセンブリアが比較的簡単に陥落したからねぇ。まぁ正確に言えばアレは内部から瓦解したようなものだけど」

 

 

魔法力の枯渇による世界崩壊が現実に迫っていた数年間で、メガロメセンブリアは地球侵略に先駆け急速な軍国化を進めていた。それは国民を手っ取り早く兵士へと変貌させるために必要なプロセスだったのだろうが、これに反対する国民はメガロメセンブリア元老院の予想をはるかに上回っていた。もともと彼らの国是は無私の心で世界に尽くすというマギステル・マギ(立派な魔法使い)を目指すものだった。それが突然、生存権を確保するために魔法を使って人を殺せ、に変われば反発を招くのは当たり前だった。そう言った声を憲兵による監視体制によって封じ込め、反乱分子を摘発し、洗脳や見せしめのための処刑を行い。情報規制、言論統制、政府にとって都合のいいプロパガンダを行う事で国民感情を操作した結果、とりあえず戦争を行うことができる状態までには持っていくことができたらしい。

 

 

「とはいえ潜在的にはかなりの不穏分子を抱えたままで行われた戦争だったわけだ。自国内ならともかく戦場に出てしまえば監視の目も緩くなるからね。進んで捕虜になるものや亡命者が大量に出たそうだよ。地球側も魔法の情報は欲しかっただろうし、未知の技術を得る事にもつながる。表向きは異星人として排斥しながら裏では積極的に技術者なんかを確保していたんだな」

 

 

最終的に自国内のレジスタンスが外部の連合軍を手引きし、メガロメセンブリアは陥落。こうして魔法世界は崩壊した。

 

 

「とまぁここまでが歴史でいうところの第一次魔法大戦だ。彼らがなぜかたくなまでに国体を維持しようとしたのか諸説あるけどまぁそこはいいだろう。メガロメセンブリア陥落後、連合軍の攻撃を生き延びた魔法使いたちは難民となり世界中に散っていった。そうやって魔法技術が世界中に拡散した結果、各国の技術競争が激化し、人類は否応なく魔法革命とでもいうべき新たな産業革命を迎えて・・・」

 

 

「な・が・い・ヨ。話が脱線しすぎ。武器商人の話はどうしたネ」

 

 

「ん?ああそうかすまない。件の武器商人は大戦以降この国においても多大な影響力を持ってきた。ただ魔法技術の浸透により以前のようには商売がうまくいかなくなってきたのさ。彼らが所有する兵器工場の多くは旧兵器、魔法技術が導入される以前のものがほとんどでね。兵器産業に使われる工場のラインは、なかなか他の物に転用がきかない場合が多いんだ。戦車の砲塔を作っている工場のラインを人口精霊触媒の生産ラインに変えるのは無理があるだろ?そんな風になかなか方向転換に苦労しているとき、既存のそれとは異なったアプローチの魔法技術が導入されたわけだ。まぁ私が考えた魔道兵士だけど。これはほとんどコストがかからない上に主な材料は人間だからね。彼らにとっても面白いと思ったんだろうな・・・」

 

 

「ということはそいつの目的は利権ではなく魔道兵士の技術そのものカ?」

 

 

「というより私に接触したかったんだろう。こんな回りくどい手を打ってきたのは、商売敵に尻尾をつかまれたくなかったからか。軍部の主戦派と一口に言っても決して一枚岩ではないからね。自分たちの息がかかった軍人に仲介させるつもりだったのだろう。まぁ君のせいで失敗したみたいだけど・・・」

 

 

「私があなたの共同研究者だったから話が通っているとでも勘違いしたのか。どおりで素直にペラペラと話すと思たネ」

 

 

ミリタリーポリスに連行される際、裏切り者を見るような目でこちらを罵倒してきた男の表情を思い出し超は小さくため息をついた。

 

 

「いずれにせよ、これから私は少々忙しくなる。申し訳ないけどカシオペアの方はしばらくの間君に任せきりになってしまうな」

 

 

「まったく面倒ネ。あなたはただの研究者なのになんでこんな・・・」

 

 

「軍の協力を得ている以上、ある程度政治にかかわるのは仕方ないさ。厄介なことだがね。そんなに言うなら、きみ私の代わりにやってみるかい?」

 

.

疲れた顔でやれやれと肩をすくめる女に超は苦笑して首を横に振った。

 

 

「わるいけどそれは私向きの仕事じゃないネ。馬鹿にされるのがおちだヨ」

 

 

「まぁ、たしかに。内実がどうあれ君の見た目が小娘であることに変わりはない。ただ、それだけが理由じゃないだろ?」

 

 

目がかゆかったのか、あるいは単に寝不足なだけか、しきりに目蓋をこすりながら女は超に問いかけた。

 

 

「どういう意味カ?」

 

 

「君の性質に由来する問題さ。政治的な駆け引きに限らず、君は人を軽く見ているところがある」

 

 

そのことを窘める・・・というよりは単に事実を指摘しているといった口調で女はあっさりとそう言った。

 

 

「忌避しているわけでも侮っているわけでもないけどね。ただ軽く見ている」

 

 

女は気だるそうな動きでベッドから降りると、先程まで自分がくるまっていたシーツを名残惜しそうに見つめた。そして反論することもできずに押し黙っていた超の頭を優しく撫でた。

 

 

「いつか君にも大切に思える繋がりができるといいね」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

 

目覚めた瞬間そう実感できたのは、夢に出てきた人物が懐かしかったからだろう。撫でられた時の手のひらの温かさまで感じた気がして、わずかに頬が緩んだ。来るべき作戦をまじかに控えたこの時期に何の誇張もなく当時の記憶をただ再現する夢を見た事は、自らの目的を再確認するのに都合がよいのかもしれない。リクライニングチェアの背もたれに体を預けたまま超鈴音はそんな事を思った。ちょっとした仮眠をとるつもりだったのだが、想定以上の時間眠りについていたらしい。

 

椅子のわきに置いてあるクーラーボックスからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、中身を半分ほど飲み干す。若干重く感じる頭をはっきりさせようと、顔でも洗ってくるかと思い立ったところでふと違和感に気付いた。

 

 

「やぁ」

 

 

短い挨拶が聞こえてくる。

 

 

慌てて超が振り返ると、そこにはついこの間までこの隠れ家にいついていた少年の姿があった。視界を遮らない程度に伸ばされた黒髪、日本人離れした彫の深い顔立ち、本人の趣味なのか全身黒ずくめの姿は相変わらずで、シンプルなワイシャツとジーンズを着込んでいる。少年はこの部屋に常備していたパイプ椅子に座りながら柔和な笑顔を浮かべていた。

 

 

「おまえ・・・いつの間に・・・」

 

 

表面上は冷静さを装いつつ、激しくなっていく心臓の鼓動を何とか抑えようと胸に手を当てる。不意を突かれたなどという話ではなかった。寝込みを襲われたようなものだ。

 

 

「どうやってここに来た?セキュリティには何の反応もなかった」

 

 

警備システムは今も正常に稼働している。センサーにも異常はなく外部からハッキングを受けた形跡もない。魔法による何らかの干渉があった場合でもすぐさまそれに対抗できるように、この隠れ家には幾重にも仕掛けが施されている。

 

 

「どうって言われてもね・・・」

 

 

「答えろ!!返答次第では・・・」

 

 

言葉尻を濁す少年に超は目つきを鋭くさせていった。

すると・・・

 

 

 

 

「いや、普通に玄関から入ってきただけだけど。セキュリティパスは君にもらったのがちゃんと使えたし。ひょっとして君、僕のパスを失効し忘れてたんじゃない?」

 

 

 

 

ジト目でこちらを見やる少年から顔を背け、超は残っていたミネラルウォーターを飲み干した。

 

 

「・・・そうか」

 

 

「・・・まぁ、別にいいんだけどね」

 

 

白々しく咳払いなどする超にむかって少年は小さくため息をついた。

 

 

「で、何しに来た?言っておくがこっちは今更お前に用などないネ」

 

 

「ご挨拶だね。手ぶらで来るのもなんだし一応お土産も買ってきたんだけどその様子じゃいらないかな?」

 

 

手に持っているコンビニの袋を揺らしながら少年はそう言った。

 

 

「ふっ、用はないといったが歓迎しないとは言ってないネ」

 

 

だからそれをさっさとよこせと超は手を差し出した。少年はやれやれと肩をすくめながらそれでも素直にビニール袋を超に渡した。超がガサゴソと袋をあさってシュークリームとプリンを確保していると、少年は落ち着いた声で言葉を続けた。

 

 

「実のところ何か特別な理由があってここに来たわけじゃないんだ。今更君の計画を邪魔しようなんて思っているわけでもないから安心していい」

 

 

「まさか私に会いに来たとでも言うつもりカ?」

 

 

「それが理由でもよかったんだけど残念ながら違う。君は麻帆良に大量の監視カメラを設置していただろう?この場所はこれからの成り行きを見守るには一番適した場所といえる。だから来たんだ」

 

 

「成り行きを見守る?要するに暇という事カ?」

 

 

「そうとも言えるかな?『剣』の調整がまだなら手伝おうかとも思っていたんだけど、その様子じゃ心配いらないみたいだしね」

 

 

計器類に向き直り数値に目を通しながら少年は一つ頷いた。超はシュークリームの袋を開けながら目を細めた。

 

 

「以前ははぐらかされたがもう一度聞くヨ?」

 

 

「なんだい?」

 

 

「なぜおまえに剣の調整ができる?」

 

 

「さぁ、なぜかな・・・」

 

 

初めて聞いた時と全く同じ答えだった。ごまかしにすらなっていない稚拙な返答。要するにこちらの問いに答える気が全くないのだろう。一瞬無理やりにでも聞き出すべきかと物騒な考えが脳裏をよぎる。拘束すること自体はおそらく可能だ。彼は抵抗しないだろう。だがそれ以上の行為、例えば脅しや懐柔で口を割らせることができるかと問われればたぶん答えは否だった。もうすでに何度か試したことだ。舌打ちしてシュークリームにかぶりつく。甘いホイップクリームとカスタードに癒されながら超は気持ちを切り替えた。

 

 

「まぁいいネ。好きにすればいい」

 

 

見方を変えれば不安要素の一つを手元で監視できるということでもある。少年の思惑が何にせよ目の前にいれば対処も可能だろう。そう考えて超は端末を操作して少年が言っていた麻帆良の監視システムを起動した。まもなく麻帆良武道会の本戦が始まる。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「来られない?え、でも昨日の話だといっしょに行けるって・・・」

 

 

耳元をくすぐるような声が携帯電話から聞こえてくる。こちらを非難しているというよりは単に疑問を感じたのか少々驚いているようだった。

 

 

「すまん、夕映ちゃん。俺もネギたちの応援に行くつもりだったんだけど、今朝になって美神さんが今日は近くで待機しろって」

 

 

周囲の客に迷惑にならない程度に声を押さえながら横島忠夫は綾瀬夕映に事情を説明した。ここは昨日美神たちが居座っていた喫茶店の店内だ。学祭期間中だからなのか早朝といってもいいこの時間でも店は開いている。入口から一番奥まった場所に位置するテーブル席で美神除霊事務所の面々は各々くつろいでいた。

 

 

「待機って・・・何かあるですか?」

 

 

「分からん。美神さんはなんも説明してくれないし。でも今日で学園祭二日目だろ?いい加減何か起こるかもしれないって警戒してるのかも」

 

 

横目でチラリと美神の姿を観察する。夏らしく全体的に露出度の高いファッションだ。黒のベアトップに薄手のショールを首にかけ、ショートパンツからスラリと長い足が伸びている。思わずむしゃぶりつきたくなるような丸出しの太ももに視線を奪われたまま、横島は夕映と話していた。

 

 

「ちゅうわけでネギの奴に行けなくなってわるいなって夕映ちゃんから伝えてくれないか?」

 

 

「えっと・・・その・・・」

 

 

「どうかした?」

 

 

あいまいに言葉を濁している夕映に横島が尋ねると彼女はためらいがちに答えた。

 

 

「あの・・・私もそっちに合流していいですか?」

 

 

「へ?」

 

 

意外なことを言われて思わず間の抜けた声が漏れた。頭に疑問符を浮かべながら聞き返す。

 

 

「合流って・・・武道会はどうすんだ?のどかちゃんたちと一緒に試合見に行くんだろ?」

 

 

「それは・・・その・・・一応マスターから横島さんの事を任されてますし、もし何か事態が動くんだとしたら傍にいたほうがいいと思いますし・・・」

 

 

言葉を慎重に選んでいるのか夕映にしては歯切れが悪い返答だ。もじもじとしている姿が何となくビジュアルとして浮かんでくる。

 

 

「いやまぁ夕映ちゃんが来たいっていうなら止めはせんが、なんもないかもしれないぞ?下手したら一日中喫茶店で過ごす羽目になるかも」

 

 

「いえ大丈夫です。それぐらいは覚悟していますから」

 

 

どうやら本気でこちらに来るようだ。とりあえず喫茶店の場所を夕映に教えてから、待っていると告げて通話を終えた。隣に座っているおキヌに夕映が来ることを伝える。

 

 

「え?でも今日格闘大会があるんですよね」

 

 

「うん。俺もそう言ったんだけど・・・」

 

 

何か夕映なりの考えがあるのだろうがわざわざ友達との約束をキャンセルしてまでここに来るとは思わなかった。

 

 

「まぁ夕映ちゃんは俺たちの事情を知ってるわけだし四人目の事とかいろいろ気になってるんだろうな」

 

 

先の事件を考えれば夕映が必要以上に警戒心を持っていたとしてもおかしくない。そう言うとおキヌは表情を曇らせた。彼女の事を心配しているのだろう。気休めでも何か安心できるようなことを言ってやるべきかと横島が悩んでいると、こちらをからかうような口調でタマモが話しかけてきた。

 

 

「案外あんたの事が好きなだけかもよ。最近よく一緒にいるんでしょ?」

 

 

「昨日も似たようなこと言われたけどな。その割にゃ金属バットで殴られたりするんだが」

 

 

「それはあんたが馬鹿な事するからでしょ」

 

 

「まぁそこは否定出来んなぁ・・・」

 

 

さすがに夕映に美神たち並みの理解を求めるのは無理があるだろう。これでもセクハラのレベルには気を付けているのだが。女子中学生が許容できる範囲のセクハラとは何だろうと、実に難解な問題を横島が考えていると注文していた朝食が届いたようだった。

 

 

「今更言うのもなんだけど、よく朝っぱらからステーキとかハンバーグとか食べられるわね」

 

 

ジュウジュウと鉄板の上でいい音を立てている肉を見ながらタマモがうんざりとしていた。偉そうに鼻を鳴らしてシロが口をはさむ。

 

 

「ふん。拙者はお前と違ってやわな鍛え方してないでござるからな。胃袋も甘やかさないでござる」

 

 

「肉ばっか食べてると体臭きつくなるらしいわよ」

 

 

「な、なんだと!?」

 

 

ショックのあまり愕然としているシロはさておいて横島はにこにこしたまま肉にかぶりついた。

 

 

「うぅん。やっぱり金の心配をせんですむ肉の味は格別やなぁ。向こうに帰ったら当分食えなくなるだろうし食いだめしとかなきゃな」

 

 

「やめときなさいよ。店に迷惑だから」

 

 

この時間に午後のランチメニューを快く提供してくれた店長の顔を思い出し、横島は午前中の間は自重することにした。そんなこんなで朝食も終え、各々が食後のお茶を楽しんでいた時、扉を開けて制服姿の夕映が店に入ってきた。走ってきたのだろうか僅かに息を切らして、ハンカチで額の汗を拭っている。きょろきょろと店内を見回しこちらを探しているようだった。横島が声を掛けて手を振ってやると、夕映は息を整えながらゆっくりと近づいてきた。

 

 

「すみません急に」

 

 

「んにゃこっちは別に気にせんでいい。それよりのどかちゃん達にはちゃんと話したのか?」

 

 

「ええ。なにか若干間違って解釈されたような気がしますが、一応納得してくれたみたいです」

 

 

何をどう間違っているのか説明しないまま夕映は苦い表情を浮かべていた。横島もあえて追及するようなことはせず、夕映に椅子をすすめた。美神をのぞいた全員が挨拶を交わし、朝食は済ませてきたらしい夕映が飲み物を注文する。オーダーを済ませたウエイトレスがいなくなったのを見計らって夕映が声を潜めて聞いてきた。

 

 

「それで美神さんは?」

 

 

「あそこにいる。なんかここに来てからずっと通信鬼で話しててさ」

 

 

一人だけ別の席で何やらメモを取りつつ、衛星携帯電話かトランシーバー並みの大きさの通信鬼に話しかけている美神を指さして横島はそう答えた。

 

 

「誰と話してるです?」

 

 

「さっぱりわからん。俺も聞いてみたんだがあっちに行ってろって答えてくれなくて」

 

 

時折苛立たし気にテーブルを指先でたたいているあたり、何か仕事上のトラブルでもあったのかもしれない。触らぬ神に祟りなしともいうのでそれ以来彼女には近づかないようにしている。

 

 

「どっちみち何かあったら向こうから指示がくるだろ?それまでここでぐうたらするのが俺らの仕事やな」

 

 

「仕事なんですかそれ。まぁ待機っていうのはそういうものかもしれませんけど」

 

 

些か微妙な表情で夕映が首をひねっている。現場の仕事を知らない彼女にはピンとこないのかもしれない。基本的に待つことも除霊仕事のうちなのだ。限定された場所にしか現れない地縛霊や憑代を起点に呪いが具現化するような呪物が相手ならともかく、中にはよく分からない条件でよく分からない場所と時間によく分からない霊障が発生するケースもある。その場合発生する条件を調査し、現場の痕跡などから原因を特定して、霊障が起こるまで根気強く待っていなければならない。野外にテントを張って寝袋にくるまりつつ夜を過ごすなどという事もままあるので、そう言った意味では屋根があり雨風をしのげるこの待機場所はなかなかの好条件だった。

 

 

「おまけにうまい飯も食えるしな。というわけで夕映ちゃんももっとなんか注文したらどうだ?費用は全額シークが持つらしいしおごるぞ」

 

 

「はぁ。まぁジークさん相手なら多少は許される気がしますね。何故かはわかりませんが」

 

 

もう一度メニューに目を通し始めた夕映に相槌を打って、横島は自分も追加でクリームソーダを頼むことに決めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

熱気というのはこういうものを指す言葉なのだろう。控室にまで届いてくる歓声を聞きながらエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルはそう思った。もともとかなりの敷地面積を持っている龍宮神社の一部を改装して作られたこの武道会の会場は、観客の収容人数も相当なもので予選の戦いを目撃した人々が口コミやネットで情報を拡散させた結果、かなりの人数が来場しているようだった。噂では大会のチケットをめぐって熾烈な争いが起こるまでになっていたらしい。まるで人気アイドルグループのコンサートのようだ。

 

 

(まぁ物珍しさという点だけで言えば、そんなものの比ではないだろうがな)

 

 

昨夜の予選を突破し本選出場を決めた十六名が控室に待機している。出場者のほとんどが顔見知りであることを考えれば、この大会がいかに特殊であるのかよく分かるというものだ。ふと目について弟子の姿を見てみれば緊張をほぐすためか幾度も深呼吸している。半ば成り行きで参加することになったこの大会の前回優勝者が己の父親だったと知らされて心に期するところがあるらしい。おそらく自分も優勝を狙うつもりなのだろう。

 

実際のところひいき目を抜きにしても、ここ数か月であの少年はかなりの成長を遂げていた。退屈でつらいはずの基礎練習を文句も言わずに耐え抜き、呑み込みも早く勤勉でもある。面と向かって言うつもりはないが、なかなか優秀な弟子だった。

 

 

(さて、どこまで勝ち抜くか・・・)

 

 

相手があのタカミチ・T・高畑であることを考えれば初戦突破も危ういかもしれない。まぁ、たとえ敗北したとしてもいい経験にはなるだろう。もっとも本人は勝つ気満々のようだが。

 

タカミチに声を掛けられ、手加減抜きの勝負を申し入れているネギの姿を見ながらエヴァは苦笑した。ニヤニヤしながらその様子を眺めていると、運営の人間から会場の入口に待機するよう言われた。どうも試合開始前に出場者全員のお披露目があるようだ。いちいち面倒なことをするものだと呆れながら戦いが行われる能舞台まで歩いていくと、聞きなれた声で大会開始の宣言が聞こえてきた。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、朝倉和美がこの大会の司会を担当するらしい。舞台度胸はなかなかのもので、この人数に注目されても物怖じ一つしていない。

 

 

「それではこれよりまほら武道会本選出場者をご紹介します!!」

 

 

完成されたにこやかな営業スマイルを浮かべ、超包子とスポンサーロゴが入ったコンパニオン衣装に身を包んだ和美が出場者を紹介していく。一人一人インタビューされるようなことはなかったが、それでも見世物にされているような気分にはなる。特に外見的には女子供でしかないエヴァはより一層の注目を集めていた。いちいちそんな事に苛立ちを感じるほどウブではなかったが、退屈なのでさっさと終われとエヴァが欠伸をかみ殺していると、何やら観客席の方から歓声とは違ったざわめき声が聞こえてきた。先程までは会場に向かって応援や冷やかしを送っていた人々が背後を振り返り指をさしている。

 

 

「ん?」

 

 

違和感を覚えてエヴァも声の発生元に視線を向けてみた。すると、そちらの方向に巨大な雲が発生していた。夏の入道雲を何倍にも大きくしたような白い靄の塊が遠くからこちらに迫っている。先程までうっとうしいくらいに感じていた太陽の光が遮られ、心地よい日影を作り出していた。吸血鬼の身には好ましくはあるが、それでも明らかにおかしな光景だ。ただの雲にしては地上に接近しすぎている気がする。エヴァがそんな疑問を覚えたその瞬間、それはあまりにも突然会場内に侵入してきた。何かの演出を疑う余地もなく一瞬にして周囲が白く染め上げられる。十メートル先を見通すのも困難な程、それは濃密な霧となって視界を覆いつくしていった。

 

 

「うわっ!なんやこれ!?」

 

 

「何がどうなって・・・うぐっ!ちょ、こ、コタロー君暴れないで肘が当たってる」

 

 

「もうなんだってのよ!何にも見えないじゃん!」

 

 

「あ、アスナさん落ち着いてください。慌てたら危ないですから」

 

 

「お、お姉さま~どこですか~」

 

 

「愛衣!?私はここです!って誰ですか!今お尻触ったの!!」

 

 

「うわっ危ないアルなぁ~。転んじゃうアルよ?」

 

 

「ふむふむ。なんとも面妖でござるな」

 

 

一部を除いて出場者も混乱しているのか罵声やら悲鳴やらが聞こえてくる。表面上は冷静ではあったがエヴァも困惑しているのは同じだった。

 

 

(何だ・・・これは・・・)

 

 

異常気象と一口に片付けられるほど単純な話ではない。霧の種類や発生原因はいくつかあるが夏の都市部、明け方を過ぎたこの時間帯に町全体を覆うほどの濃霧が自然発生するなど通常では考えられない。つまり人為的な要因が関係していると考えるよりほかないわけだが、これだけ大規模な自然現象を操作するとなると考えられるのは魔法くらいしかない。だが・・・。

 

 

「エヴァ」

 

 

エヴァが表情を硬くしながら考え込んでいると、こちらの名前を呼びながらのっそりとした人影が近づいてきた。白く煙った視界の先から、シンプルなデザインの眼鏡をかけ無精ひげを生やしたスーツ姿の中年が歩いてくる。

 

 

「む、タカミチか。お前まだここにいたのか。明らかに異常事態だぞ」

 

 

「ああ、わかってる。たぶん非常招集がかけられるだろうからすぐに行くよ。でもその前に聞きたいことがある。エヴァ、これは横島君が言ってた例の四人目が?」

 

 

「さぁな、私が知るわけないだろう。一応今から確認を取ってはみるが・・・」

 

 

「そうか。だったら何かわかったら僕の方にも教えてくれないか?」

 

 

「なぜそんな面倒なことを私がしなければならないんだ。本人に直接聞けばいいだろう」

 

 

「はは、まぁできればそうしたいところだけど、ほら、僕は何故か横島君に嫌われているみたいだし」

 

 

「・・・そういえばそうだったな」

 

 

横島とタカミチの二人が初対面でいきなり殴り合いになりそうになった時の事を思い出してエヴァは顔をしかめた。なんでも横島曰く、俺がこの世で一番嫌いな人種は女にもてそうなスカした中年・・・らしい。

 

 

「わかった。何か情報を得たらお前にも連絡してやる」

 

 

「ありがとう。今度お土産に高級和菓子でもプレゼントするよ」

 

 

「ふん。もういいからとっとと消えろ」

 

 

ぞんざいな手つきでタカミチを追い払い、エヴァは携帯から横島の番号を探して入力しようとした。だがすぐに手元に携帯がない事に気が付いて舌打ちした。命の危険のないお遊びだろうが戦闘を行う以上さすがに貴重品の類はロッカーに預けてある。電話を掛けるなら控室まで取りに戻らなければならなかった。ひとつ溜息をついて和美がいる方向に顔を向ける。さすがにこの期に及んで選手紹介もあるまい。というかこんな状態が続くようなら大会自体が中止になる可能性も大いにあった。大会の主催者である超にはご愁傷さまだが、自分にとっては暇つぶしの一つが潰れたに過ぎない。とにかく今は横島に連絡を取ることを優先すべきだった。そう考えてエヴァは控室に続く廊下に向かって歩き出そうとした。だがその時、いなくなったと思っていたタカミチがいまだにこの場所にとどまっていることに気付いて怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「何をやっているんだお前は」

 

 

関東魔法協会の最大戦力の一人であるこの男がこんな異常事態にいつまでも油を売っていていいはずがない。普段ならすぐにでも近右衛門のもとに駆け付けているだろう。それがどういう訳か何かを考え込んでいる。

 

 

「おい、聞いているのか?」

 

 

「エヴァ」

 

 

「なんだまだ何かあるのか?」

 

 

「いや、実はもう一つ質問するべきかどうか迷っていたことがあったんだが・・・やっぱりどうしても気になってね。ちょっと変な事を聞いていいかい?」

 

 

「変な事?」

 

 

妙に真剣なタカミチの様子にエヴァが戸惑っていると、彼にしては歯切れ悪く話し始めた。

 

 

「この霧だけど・・・魔法によって引き起こされたものだと思うか?」

 

 

その質問の意味が理解できると同時にエヴァの表情が険しくなっていった。

 

 

「・・・それを私に聞くのか?魔法だと?そんなことがあり得るか!今もこの身を縛る忌々しい結界はいきている。その結界内にある学園都市で、これだけ大規模な魔法が正常に機能すると思うか?お前自身初めからわかっていることだろうに!」

 

 

エヴァが睨みつけながらそう言うと、タカミチは軽く頷いただけで言葉を続けた。

 

 

「そうだな。じゃあ仮にその学園結界がなかったとしたらどうだ?」

 

 

「なんだと?」

 

 

「大掛かりな魔法を使えば都市を丸ごと霧で覆いつくすようなことは可能かな」

 

 

「・・・・・・」

 

 

質問の意図が理解できずにエヴァは押し黙った。なぜタカミチはこんなことを聞いてくるのか。このたとえ話に何の意味がある?

 

 

「・・・エヴァ?」

 

 

「・・・可能か不可能かでいえば・・・可能だ。その用途に特化したアーティファクトとそれを正しく運用できる手練れの魔法使いが二、三万人ほどいれば」

 

 

「そんなに?」

 

 

「ただ力を解き放てばいいというわけではないからな。この場合、霧というのが問題だ。これが冬場で霧が発生する条件が整っているというならばもう少し違うが、気候や大気の状態で簡単に変化するようなものを長期間維持し続けるとなるとエネルギーもさることながら制御が極端に難しくなる。ましてやそれが都市一つとなると・・・」

 

 

「実行するのは困難・・・か」

 

 

一応裏技がない事もない。例えば結界術のように術者の設定した別世界を作り上げることで結果的に現実に干渉する。ということもやろうと思えばできる。ただそれは基本的に小規模に限定された空間内だからこそ可能な手段であり、これだけ大規模な範囲を丸々結界で覆いつくすとなればそれこそ学園結界以上の設備と人員が必要になる。

 

 

「今言った条件もあくまで私が考えた試算にすぎん。実際にやってみるまでどうなるか分からん。だが私ならこんなことしたいとも思わないがな。明らかに労力と成果が釣り合っていない。・・・というか何なんだこの質問は!」

 

 

実際に今も学園結界が作用している以上、この質問自体が無意味だ。この霧は明らかに魔法によって引き起こされたものではない。タカミチが何のつもりでこんなことを聞いてくるのか知らないが、とにかく真意を問いたださなければならない。そんなエヴァの心境を察したのかタカミチは苦笑を浮かべた。

 

 

「実は君に話を聞きに来る前に、ある人物から忠告を受けてね。普段は冗談ばかり言ってる・・・というか存在そのものが冗談みたいな人なんだが、珍しく真面目に忠告してきたものだから・・・」

 

 

「なんだそれは。誰の事を言ってる?」

 

 

「え?あぁ、いやそれは僕の口からは言えないかな。とにかくその人が言うには・・・」

 

 

こちらの追及を愛想笑いでごまかしていたタカミチだったが、すぐにその笑顔が強張った。

 

 

「もしこの霧が人為的に発生したものなら・・・そいつには絶対に関わるな」

 

 

「なに?」

 

 

「そしてもう一つ。この霧は確かに魔法によって引き起こされたものじゃない。だが、魔法そのものではある。彼はそう言っていた」

 

 

タカミチがそう告げた瞬間、彼の懐から面白みのない電子音が聞こえてきた。どうやら近右衛門からの呼び出しがあったらしい。タカミチはエヴァに改めて礼を言うとそのまま霧の向こうに去っていった。

 

エヴァは何故かしばらくの間その場を動くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 







長らくお待たせしていたにも拘らず、感想等頂いて感謝しています。
学園祭編はかなりオリジナルな展開になるのでご容赦頂けると幸いです。




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