ある人の墓標   作:素魔砲.

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22 夕映と横島 前編

 

「夕映さん、ちょっとよろしいですか?」

 

 

うららかな午後の教室。

五月の名残を感じさせるポカポカとした陽気になごんでいた夕映は、さらりとその言葉を聞き流しつつ窓から差し込んでくる木漏れ日に目を細めた。目蓋越しに暖かさを感じて思わず頬が緩んでいく。梅雨入りをとうに果たした今の時期には貴重な日差しだった。午前中のお日様だけではたまりにたまった湿気をなくすことはできなかったようだが、晴れ日であることには変わりない。授業中眠気を堪えるのに苦労したものだ。教師が黒板の前で延々と睡眠効果のある呪文を唱えていたのも相まって、なかなかの苦戦を強いられた。あれも魔法の一種だと言われれば納得できそうに思える。

 

 

「あの、夕映さん?」

 

 

周囲からワイワイガヤガヤと喧騒が聞こえてくる。皆同じ戦いを潜り抜けた戦友だった。何人かは被弾(教師による情け容赦のない教科書攻撃)したようだが今日も無事に生き延びる事が出来た。生還した喜びからか、放課後特有の解放感からか彼女たちは一様に笑顔を浮かべている。ああ、平穏とはかくも素晴らしいものなのだ。

 

 

 

 

 

ほんと・・・・・公園の土鳩に豆鉄砲を全力投球したくなる。

 

 

 

 

 

「ちょっと、聞いていますの?」

 

 

バッティングセンターで初体験と洒落込むのもいいかもしれない。やった事がないのでボールに当たるかどうかも分からないが、とりあえずバットは振り回せるだろう。思わず鬼気迫る表情を浮かべてしまっても、あの場所ならそうそう変な目で見られたりはしないはずだ。

 

 

「だ・か・らっ!!」

 

 

もしくは陸上部で砲丸投げの練習をさせてもらうというのはどうだろう。鉄球を顔面にぶち込めば、いくらあの男が信じられないほど頑丈にできているとはいえ、足止めくらいにはなるかもしれない。

 

 

「夕映さん!!」

 

 

強い口調で名前を呼ばれ、肩をつかまれる。そのままガクガクと全身を揺さぶられて、とうとう現実逃避が不可能になった夕映は疲れた視線を目の前にいるクラス委員長に向けた。訝しげにこちらを見つめ、雪広あやかが口を開く。

 

 

「どうかしたんですの?なんといいますかその・・・・・熟年離婚でも考えてそうな顔をしてますわよ?」

 

 

「中学生相手にその例えはどうなんですか?」

 

 

覇気が感じられない声で突っ込みを入れつつ、夕映はあやかの手をそっと肩からどけた。

 

 

「それで何か御用ですか?」

 

 

「ええ。あなたを訪ねてお客様がお見えになっているようで、ネギ先生に伝えてほしいと頼まれまして・・・」

 

 

「ああぁ、やっぱり来ちゃったですか・・・」

 

 

その言葉が耳に入った瞬間、夕映の全身から力が抜け机の上に突っ伏した。両手で頭を抱え、ぐしゃりと髪をかき混ぜる。放課後、彼が自分を訪ねて来ることは前もって知らされていた。だから驚くような話ではないのだが、何かの間違いで来られなくなることを願っていたのだ。だがそんな期待はするだけ無駄だったらしい。ひんやりとした机の表面にゴリゴリと額を擦りつけつつ、胃の辺りを押さえて呻く。何となくお腹が痛くなっているような気がした。ストレス性の胃痛が発症したのかもしれない。

 

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 

あやかが突然奇行に走り出した夕映を心配そうに見ている。後頭部に彼女の視線を感じながら、片手をあげて問題ないという意を示した。頑なに机から顔を上げないままだったが。

 

 

「平気です平気。もう少し自分の胃が弱ければと思わなくもないですけど・・・」

 

 

そうすれば今頃保健室のベッドで惰眠をむさぼる事が出来たかもしれない。心の中で己の強靭な胃に対して恨みがましい愚痴をこぼしてからゆっくりと体を持ち上げる。結局いつまでもこうしてはいられないので仕方なく夕映はあやかに尋ねた。

 

 

「それで、ネギ先生は何と?」

 

 

「え、ええ。とりあえず応接室でお待ちいただいているそうなので迎えに行ってほしいと」

 

 

心底いやそうに尋ねるこちらに、あやかが少々たじろぎつつも答えてくれる。夕映は溜息をつきそうになるのをグッとこらえ、こくりと頷いた。席を立ち身体を丸めてずるずると足を引きずっていく。そのままゾンビのように教室の扉まで進み、一度振り返りると困惑した様子のあやかにポツリと告げた。

 

 

「それじゃ行ってくるです。ひょっとしたら皆さんにも多大な迷惑をかける事になるかもしれないですが、犬にでも噛まれたと思って忘れてしまうのが一番だと思います」

 

 

「ちょ、なんですかそれは!?」

 

 

さりげなく告げられた不吉な言葉にあやかが慌てている。そんな彼女にどこか諦めた笑顔を向けて夕映は教室の扉を開い・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおぉぉ!!男子禁制の女の園!!なんという甘美な響きや!!最高に燃えるシチュエーションやないか!!手がだせんにしても、手がだせんにしてもおぉぉぉぉ!!んはああぁあぁぁあ!!なんかええ匂いがするぅぅぅぅぅ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閉じた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・さて」

 

 

くるりと背後に向き直る。後ろ手に掴んでいたドアノブからゆっくりと指先を引きはがし、夕映はにこやかな笑顔で話し始めた。

 

 

「学園祭の準備を始めましょうか。うちのクラスだけ極端に進んでいませんから効率よくやらないと」

 

 

「え?い、いえ、それより今扉の外に・・・」

 

 

「ただでさえお化け屋敷なんて手間のかかりそうな出し物に決まったんですから頑張りましょう!!」

 

 

「あの、だから今・・・」

 

 

「私もできるだけ協力するです。釘打ちなどは自信がありませんが、雑用仕事なら私にもできますし」

 

 

「いえですから!!今廊下に横・・・」

 

 

「委員長さん」

 

 

会話を拒否するように一方的にまくし立てていた夕映が穏やかにあやかを呼んだ。笑顔で塗り固めた顔面を向ける。彼女は廊下に指を突き付けた姿勢のまま何故か体を硬直させていた。自分の表情を見たからか、或いは目の奥に宿る感情を覗きこんでしまったからだろうか。夕映は口元だけを動かして、冷たい声を発した。

 

 

「あの不審者を教室に入れたいですか?」

 

 

二人の間を無言の時間が流れる。それは何かの確認作業だったのかもしれない。

当たり前の道理を当たり前に受け入れるための心の準備期間だったに違いない。

やがてあやかに理解の色が浮かんだのを確認すると夕映は同意するように頷いた。

 

 

「気のせいですわね」

 

 

「はい、気のせいです」

 

 

うすら寒い白々しさは、この場合むしろ心地がいいものだった。

今度は正真正銘の笑顔を向けあって、夕映とあやかは互いにサムズアップした。

 

 

「では学園祭の準備を始めましょうか」

 

 

「そうですね」

 

 

とにかく学園祭までそれほど時間があるわけでもない。クラス全員でかかっても当日までに準備が終わるかどうかきわどい所にいるのだ。気合を入れてかからねばなるまい。教卓に向かっていくあやかの後に付いて行きながら夕映が気持ちを引き締めていると、バタンと勢いよく扉が開かれ招かれざる闖入者が現われた。

 

 

「ちょっと待てい!!なんか初めからいなかった事にされてるけど、そうはいかんぞ夕映ちゃん!!」

 

 

「ぢぃっ!!!!!」

 

 

鉄やすりを重ねて思いきり擦り合わせたような舌打ちが辺りに響く。些かうんざりしながら夕映は扉から現れた男に目を向けた。ずかずかとこちらに詰め寄ってきたのは、もはやすっかり見慣れてしまったある一人の男だった。あまり手入れされていない黒髪に赤いバンダナはいつもと変わらなかったが、上下に何処から調達したのか黒い学ランを着込んでいる。焦った表情で夕映の前に到着すると彼はひそひそと小声で話し掛けてきた。

 

 

「どういうつもりや夕映ちゃん」

 

 

「も~おとなしく帰ってくださいよ」

 

 

男の背中を押しつつ、廊下に追い出そうとする。

 

 

「ちょ、打ち合わせと違うやないか。ここに来れば超ちゃんと話ができると聞いたからワイは」

 

 

「だったらちょっとは気を付けてください!!なんなんですかさっきのは!?」

 

 

「い、いや、なんちゅーか最近いろいろと溜まってたもんで煩悩の抑えがきかなくなっとるとゆーか」

 

 

「知りませんよそんな事!!う~・・・来ちゃったものは仕方ありませんが、せめてもう少しおとなしくしてください。ただでさえ男性の部外者がここにいるのは物凄く不自然なんですから」

 

 

何しろここは女子中等部の教室だ。仮に警備員にでも見つかろうものなら問答無用で捕まりかねない。一応いろいろと根回しは済んでいるはずなのでそれほど警戒する必要はないのかもしれないが、先程のような言動を繰り返しているようでは、夕映自身が無意識のうちに通報してしまうかもしれないのだ。まぁそうなっても自分は痛くもかゆくもないわけだが・・・。薄情な事を考えつつ隅っこで体を寄せ合い話していると、あやかが声を掛けてきた。

 

 

「あのー」

 

 

「おお、あやかちゃん!!南の島以来やな。水着姿も可愛かったけど制服姿も捨てがたい」

 

 

「そ、それはどうも。いえそうではなく!!なぜ横島さんがここに?」

 

 

テンション高く手を握ろうとする男・・・横島忠夫からうまく逃れつつあやかが質問した。

 

 

「へ?夕映ちゃんから聞いてないんか?俺は学園長の爺さんに頼まれて来たんだけど」

 

 

「学園長にですか?」

 

 

意外な話を聞いたというように、あやかが目を丸くしている。目の前にいる男と学園長との繋がりに疑問を覚えているらしい。まぁ確かにあまり想像がつかない組み合わせだろう。物問いたげなあやかに、夕映は事の経緯を軽く説明してあげた。あまり気のりはしなかったのだが・・・。

 

横島の両親と学園長が旧知の間柄である事。たまたま横島が学園長に会いに来ていた時、二人の世間話でこのクラスが話題に出た事。学園長が孫娘から学園祭の準備状況について、いろいろと話を聞いていた事。それなら俺が手伝いましょうかと横島が言い出した事。学園長が面白がって許可を出してしまった事等。

 

話しているうちにやっぱり設定に無理があるよなと思いつつ何とか最後まで説明していく。顔色を窺うと、案の定あやかは腑に落ちない様子で戸惑っていた。

 

 

「えーとつまり、横島さんはこのクラスの手伝いに来たと?」

 

 

「そうそう、いやぁ俺も暇だったしあやかちゃん達の役に立つなら一肌脱ごうかと思ってさ」

 

 

軽く胸を叩きながら横島が言う。夕映は白けた目を向けながら誰にも聞こえないように小さくため息をついた。もちろん今話した内容は真っ赤な嘘だ。ただの建前に過ぎない。横島達が追っている例の魔族に関して、学園長と協力関係を結んだという話でしかない。本当の目的は・・・。

 

視線を鋭くさせて彼女を観察する。どうやら級友である葉加瀬聡美や四葉五月と談笑しているようだ。この距離では何を話しているのか聞こえないが、ほとんどいつもと変わらないように見える。

 

ここ数日、夕映と横島は幾度となく超の尾行を試みていた。彼女と繋がりがある・・・らしい悪魔を発見するためだ。しかしなかなか芳しい結果は得られず、いつも途中で見失ってしまい追跡は失敗した。まるでテレポートでもしているかのように、いきなりどこかにいなくなってしまうのだ。

 

結局まともに話ができそうなのは教室くらいしかなく、夕映一人で接触するのも不安だったので悪魔退治の専門家である横島を招き入れる事になった。それでもいろいろと無茶な話ではあるのだが、どういうわけか真っ先に反対しそうな教職員達は驚くほど素直に賛成してくれたらしい。おそらく正攻法ではない手段も使われたのだと思う。

 

 

(エヴァンジェリンさん達が協力してくれればこんな苦労はなかったですが・・・)

 

 

この一件に関して、彼女たちは非協力的だった。超と何かがあるらしいのだが詳細は不明だ。本当はもっと過激な意見も出ていたらしい。超を拘束し悪魔との関係を吐かせるといった乱暴な手段も検討されていたようだ。しかしそもそも悪魔だとおもわれている少年の姿を目撃したのはわずか数人で、肝心の横島にも明確な根拠があるわけでもないらしく、そういった事情から強硬策は見送られた。とにかくまずは悪魔の実在を証明する事から始めなくてはならないわけだ。そのためにこんな回りくどい方法を取っているのだが・・・。

 

 

(どう考えても一番割を食っているのは私ですよね)

 

 

本来無関係であるはずの自分がこうして矢面に立たされているのには色々と理由がある。その中でもこうなった一番の原因は、横島の監視役兼世話役でもあるエヴァがたった数日で音を上げてしまったためだ。代わりに自分がお守りをする羽目になっている。本当なら断ってしまいたい所なのだが、今現在綾瀬夕映はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに逆らえない事情があった。

 

 

(・・・世知辛ぇ世の中です)

 

 

どんよりと暗い気分のまま、窓の外を眺める。

やはりバッティングセンターに行くべきだろうか・・・。

ブツブツとこぼしながら脳内でバットを振り回していると、いつの間にか横島との会話を終えたあやかが話し掛けてきた。

 

 

「あの・・・夕映さん」

 

 

「なんですか?」

 

 

「いえ、一応事情は伺いましたが大丈夫なんですの?その、彼は色々と・・・」

 

 

「あ~・・・たしかにちょっと普通とは違うかもしれませんが、学園祭の準備が終わるまでの期間限定、放課後の数時間に限った話ですし、本人も今の状況が例外的なものだとは分かっているはずですから」

 

 

「はぁ」

 

 

「それでも心配なようでしたら、一応こういったものも用意していますが」

 

 

そんな事を言いつつ夕映は傍らに置いてあったケースからあるものを取りだし、あやかに渡した。

 

 

「え?あの、これは?」

 

 

「強制真人間矯正用器具だそうです。命名者はエヴァンジェリンさんですが、”きょうせい”がかぶっているのがポイントですかね」

 

 

「まにんげん?いえそうではなく、これは・・・バット?」

 

 

「見た目はそうですね」

 

 

「なにか妙にでこぼこしてるし、所々に赤黒い染みが・・・」

 

 

「使用済みですから」

 

 

さらりと事実だけを告げる。本来の所有者であるエヴァから譲り受けた物だが正直持て余していた感はぬぐえない。いい機会だしこのままあやかに押し付k・・・もとい預けてしまうべきだろう。何しろ彼女はクラス委員長なのだから。

 

 

「まぁ、手先は器用なようですし雑用仕事はバイトで鍛えられていると言っていたので少なとも邪魔にはならないのではないかと」

 

 

どうしていいのか分からずおろおろとしているあやかに、夕映は苦笑しながら告げた。すると・・・。

 

 

「・・・・・・・・・あれで?」

 

 

どこか呆然とした表情であやかが何かを指さしている。素直に顔を向けた夕映の目に映ったのは、数人の女生徒相手にカメラを向けつつ写真撮影をしている横島の姿だった。

 

 

「いいよぉ、千鶴ちゃん。すごく色っぽい。もうちょっと胸元はだけてみようか」

 

 

「うふふ。あまりオイタしたら駄目ですよ?」

 

 

お化け屋敷用の衣装合わせをしていたらしい那波千鶴が年下の子供を叱るような優しい口調で諭している。

 

 

「楓ちゃん楓ちゃん。もっと千鶴ちゃんに近づいて!胸をくっつける感じで!!」

 

 

「むぅ、そうはいってもこれ以上は近づきようがないでござるが」

 

 

眉根を寄せた長瀬楓がそれでも横島の指示に従おうと千鶴に近づいていく。

 

 

「真名ちゃんはちょっとサイドにずれる感じで・・・そこそこ!!あ~そんなに冷たい目で見られるといけない何かに目覚めてしまいそう」

 

 

「どうでもいいがこれ以上は料金が発生するぞ?」

 

 

長い髪を押さえつつ龍宮真名が呆れたように呟いた。

 

 

「うははははははは!!!たーのしーなー!!こっちに来てからこんなに楽しいのは初めてかもしれん!!」

 

 

もはやただのカメラ小僧と化した横島が様々な角度からデジカメを構えてはシャッターを押している。そこには本来の目的をスコーンと忘れて、欲望に流され続ける男の姿があった。しかしそんな彼の至福の時間は、そう長くは続かなかったようだ。

 

 

「あーっ!!バカ島だー!!なんでここにいるのー!!」

 

 

左手にトンカチを構え、右手にニッパーを携えた鳴滝風香が喉を鳴らしつつ唸り声を上げる。まるで天敵を見つけた獣のような有様だが、姿が愛らしいせいで見た目は小動物のそれである。バカ島呼ばわりされた横島がきょとんとしながら後ろを振り返った。

 

 

「へ?あ、お前ら断崖絶壁シスターズ!!」

 

 

「だだだ、誰のどこが断崖絶壁だーこの悪者めー!!」

 

 

聞き捨てならない言葉を聞いた風香が顔を真っ赤にしながらジタバタと手足を振り回している。そしてそんな彼女の背中に隠れていた鳴滝史伽がなんとか姉に加勢しようと口を開いた。

 

 

「そうですー!!えーと、えーと、わる、わる・・・臭い虫ー!!」

 

 

「だだだ、誰が臭い虫だこんちくしょー!!」

 

 

斬新な悪口に敏感に反応した横島が双子を追い回す。

 

 

「待ちやがれ!!」

 

 

「いーっだ!!白くてべたつく何かを食らえ!!」

 

 

「な、なんやその卑猥な感じの・・・ってただの糊やないか!!ああぁでも確かに白くてべたべたするぅぅ!!」

 

 

「えーい紙ふぶき攻撃!!」

 

 

「や、やめろぉぉ!!紙が髪に!!」

 

 

横島が情けない悲鳴を上げつつ髪の毛を引っ掻き回している。

するとその様子を面白そうに眺めていた明石裕奈がニヤニヤしながら近づいてきた。

 

 

「まったくしょうがないなー横島さんは。ほれほれ取ってあげるから屈んで屈んで」

 

 

「うぅ、すまんなーゆーなちゃん」

 

 

横島が素直に身を屈めて前傾姿勢を取る。

 

 

「私たちも手伝うよ」

 

 

「うーん、これは濡れたハンカチかなんかでふいた方がいいかも」

 

 

「じゃー私行ってくるー」

 

 

思い思いの台詞で釘宮円、柿崎美砂、椎名桜子のチアリーディング部三人娘が横島の世話を焼き始める。頭をわしゃわしゃと撫でられつつ、横島は感動に打ち震えていた。

 

 

「み、みんな優しーなー」

 

 

「ははっ、まぁもうちょっとジッとしてなよ」

 

 

「でもやっぱり素手じゃ取りづらいね」

 

 

横島に張り付けられた折り紙の欠片を取ろうと悪戦苦闘している面々に、水場でハンカチを濡らしてきた桜子が走り寄ってきた。

 

 

「おーい。濡らしてきたよー」

 

 

「おお、桜子ちゃんありがと・・・え?い、いや、待って、それハンカチじゃなくて」

 

 

「うん雑巾だよ。今日ハンカチ忘れてたの忘れててさー。ちょうどいいのがあったから」

 

 

水を汲んで雑巾を引っ掛けたお掃除スタイルのバケツ片手に、桜子がニコリとほほ笑む。普段から笑顔が常の彼女だが、どこかしら影を背負っている気がした。横島もそれを感じ取ったのか、頬を引きつらせて僅かに後退している。

 

 

「え、えっと、できれば雑巾は遠慮したいんだが・・・」

 

 

「えーでもハンカチないし・・・」

 

 

笑顔を維持したまま器用に眉をひそめている桜子の肩を美砂と裕奈がガシッと掴んだ。

 

 

「そうだねー掃除道具の方がかえって綺麗になるかもねー」

 

 

「ですにゃー」

 

 

こいつは面白れぇーやとでも言いたげに目を光らせた二人が逃げ腰の横島にじりじりと近づいていく。

 

 

「ちょ、落ち着け二人とも!」

 

 

「そいつはできない」

 

 

「相談だぜっ☆」

 

 

そして再び追いかけっこが開始される。狭い空間をうまく使って何とか走り回っていた横島だったが、悪ふざけパワー全開の二人からは逃げられなかったのか、あっさりと教室の隅に追い詰められていた。少女たちが不気味な笑みを深くする。横島が逃げ道を探すように辺りをキョロキョロと見回していたその時、教室の入口から救いの神?が現われた。

 

 

「あれー、横島さんじゃん。どうしてここにいるの?」

 

 

「おお、横縞さん。久しぶりアルなー」

 

 

視聴覚室に積んであった資材の一部を運搬していた朝倉和美と古菲が目を丸くする。微妙に名前を間違えられた横島だったが、それでも第三者の登場に顔をほころばせていた。

 

 

「和美ちゃん!古菲ちゃん!助けてくれ!!ゆーなちゃんと美砂ちゃんが・・・」

 

 

そんな風に助けを求める横島の背後で、裕奈と美砂が怪しげなボディーランゲージで何かを伝えている。それを見た途端、いち早く意図を察した和美が聖母の笑みで横島を拘束した。

 

 

「あー駄目だよ横島さん。いくら我慢出来なくても不法侵入はいかんでしょ。記事にしちゃうよ?」

 

 

「う~む。これは逮捕アルな」

 

 

何処からかサイレンが鳴り始め、横島に手錠がかけられる。どうやら誰かが玩具のなりきりセットを持ってきていたらしい。

 

 

「え?ちょ、く、古菲ちゃん!?腕、腕極まってる!!」

 

 

いつのまにか神速の動きで背後を取った古菲が横島に関節技を仕掛けている。

彼女はそのまま妙に押し殺した低い声で囁いた。

 

 

「マァマァ、詳しい話は事務所で聴こうアルか。なぁニーチャン」

 

 

「あれ?何か設定が変わってないか!?」

 

 

ジャパニーズマ○ィアのようにドスのきいた声を発した古菲から逃れようと横島が必死になっている。そのままワーワーギャーギャーとやかましい喧騒が聞こえ始め、夕映は一つ嘆息した。疲れ果てたような仕草で隣に立っているあやかに向き直る。

 

 

「委員長さん出番です」

 

 

彼女の顔と、手に持っている強制真人間(略を交互に見る。

無感動な台詞を聞いたあやかが呆然としたまま口をポカンと開けた。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・で、何のつもりですか?」

 

 

強制真に・・・金属バットを肩に担いだ夕映が目の前で正座をしている横島を睨み付ける。足の爪先で苛立たしげにリズムを取りつつ顔をしかめた。

 

 

「い、いや違うんや夕映ちゃん。俺はただお化け屋敷の入り口に飾る等身大パネル用の写真を撮っていただけで・・・」

 

 

小さく縮こまりながら反省のポーズをとった横島が、手に持ったデジカメを前に掲げ必死になって自らの無実を主張している。その様子を胡散臭げに眺め、夕映は隣にいるあやかに確認した。

 

 

「そんな物を使う予定はあるですか?」

 

 

「いえ、初耳・・・ですけど」

 

 

自信がないのか他のクラスメイトの反応を伺いつつあやかが答える。夕映達を中心として周りを取り囲むように集まっている少女たちが一斉に首を振った。横目でそれを確認した夕映が再び半眼を向ける。

 

 

「だ、そうですが」

 

 

「そ、そうだっけ?で、でもさ、そーゆーのがあった方が客も集まってきそうだろ?だから俺は自分用に写真を撮っていたわけではなくてだな・・・」

 

 

形勢が不利になってきたからなのか慌てて言い訳を始めた横島だったが、そんな彼の心中など知った事ではないとばかりに傍聴席から次々と新たな証言が飛び出してきた。

 

 

「えー、だけどそのわりにはいろいろ要求してたよね」

 

 

「うんうん。上目遣いでこっち見ろーとか」

 

 

「胸の谷間に霧吹きで水かけようとしてた」

 

 

「不自然なほど下からのアングルで撮ってたよねー」

 

 

何の他意もない無邪気な声で致命的な事を言ってくる少女たちに横島の頬が引き攣る。夕映は口を半開きにしたまま硬直している彼を一瞥し、ニコリと微笑んだ。そしてデジカメをそっと奪い取り、中にあるメモリーカードを抜きとると本体を思い切り叩き落とした。

 

 

「えい」

 

 

ガシャンと嫌な音を立ててデジカメが床に激突する。

 

 

「あー!!ワイの・・・ワイの青春メモリアルがあああああぁぁ!!!」

 

 

「やかましいです!!!」

 

 

両手をワキワキとさせつつ横島が絶叫している。夕映はそんな彼の胸ぐらを掴みながら怒鳴り声を上げた。

 

 

「いい加減にしてくださいよ!!おとなしくしてってさっき言ったばかりじゃないですか!!」

 

 

「い、いや俺も一応気を付けてはいたんだけども」

 

 

ガックンガックンと首を前後に揺さぶられつつ横島が答えてくる。その言葉を聞いて夕映のこめかみにクッキリと青筋が浮かんだ。あれのどこが何を気を付けていたというののだろう。どう見ても自分から騒ぎを起こしていたようにしか見えない。

 

 

「だいたいなんでデジカメなんて持ってきてるですか!?」

 

 

「えーと・・・・・・記念撮影のため?」

 

 

「何処の世界にスカートの中を盗撮する記念撮影があるですかあああああぁ!!!」

 

 

情動はそのまま握力に直結していたらしい。握りしめた襟首がミシミシと嫌な音を立てる。

 

 

「うぐ、ご、誤解だ夕映ちゃん!!さすがの俺も盗撮まではしとらん!!・・・はずだ」

 

 

断言できずに言い逃れている横島の言葉を受けて、夕映は手に持ったメモリーカードを和美に渡した。中を調べるように頼む。はいはいと気軽に請け負った和美が保存されている画像を調べていく。

 

 

「うん。アウトだね」

 

 

「やっぱり逮捕アルか~」

 

 

指先をせわしなく動かしながら確認していた和美があっさりと言った。彼女の隣にいる古菲も残念そうに首を振っている。横島が拘束されながらもなんとか無理やり声を絞り出した。

 

 

「ま、まってくれ!別に狙って撮ったわけやないんや!!なんかこっち側の女の子は無意味に露出度が高いとゆーか、見せパンなのかと疑わしいくらいに下半身が無防備とゆーか・・・」

 

 

「何訳の分からない事を言ってるですか」

 

 

「い、いや、でも、漫画で例えるなら単行本一冊につき必ずパンツが・・・」

 

 

「そんな事実はねーですっ!!!」

 

 

「ゆ、夕映ちゃん・・・くび・・首が絞まってる・・・」

 

 

気が付くと、夕映は本人にもよく分からない危機感を覚えて、ぐぎぎと奥歯を噛みしめながら前後左右に横島を振り回していた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・それから。

 

 

 

 

 

何とか冷静さを取り戻した夕映と横島は、些か置いてけぼり状態のクラスメイト達に改めて詳しい事情を説明した。いち早く夕映の話を聞いていたあやかの助け舟もあって、一応全員が納得できたようだ。普通に考えれば女子校に無関係の男がホイホイやって来るなどありえない話ではあるのだが、クラスメイトの大半がすでに横島を知っていた事と、もともと面白ければ別にいいやといったわりと大雑把な3年A組の気風も合わさって、実にあっさりと彼の滞在は認められた。

 

それに人手がほしいのも事実なのだ。出し物がお化け屋敷に決定するまでさまざまな紆余曲折があり、実際の作業を開始するまで遅れに遅れてしまっているので、学園祭当日に間に合わせるためにも男手があった方が何かと都合がよかった。そんなわけで一部横島の事を知らない女生徒の・・・なんだって男が?学園長もノリで許可出すとかおかしいだろ。教師どもは何やってんだ?といったまっとうな疑問はさらりと無視され、学園祭に向けての準備が開始された。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「横島さーん。ゴメンそこの板取ってくれない?」

 

 

「ん、これか?今持ってく」

 

 

「横島さーん。釘打つの手伝って、人手が足んなーい」

 

 

「おっけー、ちょっと待ってて」

 

 

「横島さん。視聴覚室に材料を取りに行くので手伝ってくれませんか?」

 

 

「あー重そうだもんな。荷物持ちなら任せとけ!」

 

 

「横島さーんお腹すいたー喉渇いたー」

 

 

「えっと、パンとジュースでいいか?」

 

 

「よーこーしーまーさーん!今週のマ○ジン買ってきてー」

 

 

「うむ、じゃーコンビニでも行って・・・って待てい!!何でパシリまでせにゃならんのだ!!あとどうせ買うならサ○デーにしとけ!!!」

 

 

「「あちゃーばれたかー」」

 

 

他愛ないやり取りはそれだけ彼がこの場所に馴染んでいるという証明なのだろうか。様々な頼みごとをされては器用にこなしていく(一部騙されそうにもなっていたが)横島を視界の端に収め夕映はそう思った。もっとも彼自身が人見知りとは無縁の性格をしているし、このクラスも基本的には騒がし・・・もとい気取らない温かな気質を持っているので、もともとそれほど心配もしていなかったのだが。

 

仕事の方もこちらが思っていたより、ちゃんとお手伝いしてくれているらしい。本人が豪語していた通り、力仕事から細かい作業まで八面六臂の活躍を見せている。これならばいちいち自分が監視していなくても大丈夫そうだと、夕映は手元に視線を戻した。

 

雑多な資材の山とクラスメイトのほとんどが集まっている空間は思ったよりもせせこましい。数人のグループに分かれ、限られたスペースの中で場所を確保し作業が進められる。夕映はその一つに身を寄せ、黙々と単純作業を繰り返していた。図面通り、木材の隅に印をつけ線を引いていく。これをもとに釘打ちやらのこぎり引きやらをするわけだ。

 

この後には備品チェック等の雑用仕事が待っているため、できることなら早めに済ませておきたかった。とはいっても最終的な組み合わせの段階でバラバラになってしまっては元も子もないのでなかなか手が抜けない。そんな事を考えつつ夕映が木材相手に奮闘していると、すぐ隣でトンカチ片手に作業していた早乙女ハルナが手を止めて苦笑をこぼした。

 

 

「しっかし相変わらずだねー横島さんも」

 

 

眼鏡の位置を調整しつつ、騒ぎの中心にいる男を面白そうに眺めている。

 

 

「見ている分には飽きないんでしょうけどね。じかに接しているとそんな呑気な事を言ってられないですよ」

 

 

実際それがここ一週間程彼と一緒にいる夕映の感想だった。こちらが目を離すと何をしでかすか分からないので気が気でないのだ。幼稚園児か!!・・・と思わなくもないが、邪念がない分彼より園児の方がましかもしれない。

 

 

「はは、かもね。でもその割には最近よく一緒にいるらしいじゃん」

 

 

言外に何か含みを持たせてハルナがこちらを覗き込んでくる。

うぐっと言葉に詰まり、夕映は藪蛇だったかと後悔した。

 

 

「朝倉が言ってたよ。放課後二人で歩いてる姿を見かけるって」

 

 

ハルナがニヤリと不気味な笑みを浮かべる。獲物を追い詰めたハンターのようにジリジリとこちらに迫ってきた。どうやら彼女のラヴセンサーに引っ掛かってしまったらしい。

 

 

「言っておきますが、ハルナが思っているような事は何もないですよ」

 

 

このままでは横島と恋人同士にされかねないので、夕映は予防線を張っておくことにした。じと目でハルナを見つめ、念のため釘を刺しておく。

 

 

「またまたぁ、照れる事ないじゃん」

 

 

「照れてないです」

 

 

「えー、でもさぁやっぱりあやしいと思うなー。のどかもそう思うでしょ?」

 

 

アニメキャラのような含み笑いをしつつ、ハルナが自分の隣で一生懸命鑢掛けをしているのどかに話し掛けた。突然水を向けられた彼女が目をパチクリとさせる。会話に参加せずとも一応話は聞いていたのか、戸惑う様子で口を開いた。

 

 

「え、えっとどうなのかな」

 

 

のどかの返事は曖昧ではあったが、眺めに伸ばした前髪の中で瞳が爛々と輝いている。どうやら彼女もこの話に興味があるらしい。こちらの否定の言葉は届いていない様子だった。のどかまで・・・と思わず溜息をつきそうになるが、よくよく考えてみれば彼女とネギの話で盛り上がっている時の自分もこんな調子なのかもしれない。過去の自分を振り返ってみても、よく思い出せなかったが。

 

 

「いやぁとうとう夕映っちにも春が来てしまったかー。おねーさんは置いてけぼりくらったみたいでちょっと複雑・・・」

 

 

首を俯かせ何となく反省していると、ハルナがたわけたことを言い出した。

 

 

「違うと言っているでしょう。私にだって好みのタイプというものがあるです」

 

 

「だから横島さんがそのタイプなんでしょ?」

 

 

「ありえないです」

 

 

即答しながら作業に戻る。このままではろくな展開になりそうもない。気分的には耳せんでもしているつもりで手元に集中する。これ以上何か話し掛けられても相手にするつもりはなかった。

 

 

・・・・・のだが。

 

 

「でも、夕映があんなに大きな声をだすのってめずらしいよね」

 

 

自然と口からこぼれたその言葉は純粋な疑問だったらしい。首を傾げたのどかがポツリと呟いた。

 

 

「何が言いたいですか?」

 

 

「え?う、うん。気に障ったらごめんね。ただ横島さんと話してる時の夕映って全然気兼ねしてないっていうか、なんだかすごく自然に見えて・・・」

 

 

こちらの顔色をうかがいつつ、のどかが答えてくる。すると・・・。

 

 

「そうそうそれだよ!!私がひっかかってたのは!!」

 

 

「な、なんですかハルナまで突然」

 

 

「いやさ、普段の夕映だったら年上の男相手にあんな感じで食って掛からないじゃん。襟首掴んで怒鳴り声上げてーって。それなのに全然遠慮してるように見えないし、だからそういう関係なのかもってさ」

 

 

ハルナが身を乗り出して力説してくる。勢いに負けて夕映は身体を仰け反らせた。

 

 

「あの人相手に遠慮したってこっちが馬鹿を見るだけですよ。ホントびっくり箱みたいな人なんですから」

 

 

何とか体勢を立て直し、目の前にある興奮気味の顔を押しのける。横島をよく知らないハルナには分からないだろうが、こちらが遠慮して消極的になっていると彼はどこまでも調子に乗ってしまう。多少強引でもこっちでブレーキを掛けなければならないのだ。

 

それにわざわざ言うつもりもないが、自分の対応などまだまだ可愛いものでしかない。

エヴァが横島にするツッコミなどもっとぶっ飛んでいる。例の金属バットが入っているケースを見ながら夕映はそう思った。こちらが特に照れる様子もなく淡々と告げたからか、ようやくただの勘違いだと気付いたのかもしれない。ハルナがつまらなさそうに唇を尖らせた。

 

 

「ちぇー。せっかくおもしろそうな事になってるとおもったのになー」

 

 

「ちょっとは本音を隠してください。あと人の色恋沙汰で遊ばないように」

 

 

「あはは、ごめんごめん。・・・・・ん?でもそれじゃ何で横島さんとつるんでんの?」

 

 

「別に・・・あの人の探し物に協力しているだけです」

 

 

不思議そうな顔をしているハルナから目を逸らし、夕映は口ごもった。

詳しく話すわけにもいかないので慌てて話題を変える。

 

 

「私の事よりのどかの方はどうなんですか?聞いた話だとネギ先生の学園祭の予定、ほとんど埋まってしまっているらしいですけど」

 

 

「あ~~それ聞いちゃう?」

 

 

「えへへ」

 

 

ハルナがわざとらしい笑みと共に目を細め、のどかが照れた様子で赤面する。妙な態度を訝しく思いながら夕映は二人に尋ねた。

 

 

「な、なんですかその反応は?」

 

 

「うっふっふっ。いやぁ、なんかついさっきネギ君の方から誘ってきたらしいよ、学園祭一緒に回りませんかーって」

 

 

手に持ったトンカチを器用に回しながらハルナが答えてくる。何となく意外に感じて夕映は目を丸くした。

 

 

「それ、本当ですか?」

 

 

「う、うん」

 

 

のどかがこくこくと頷く。

 

 

「・・・こう言ってはなんですが少し意外ですね。自分からそんな誘いをするタイプには見えませんでしたが」

 

 

ネギはそっち方面に関してかなり疎い方だと思っていたので、軽い違和感を覚えていた。それに年齢が年齢であるため、人一倍教師らしく振る舞おうと努力している彼が、なぜ特定の生徒をデートに誘うようなまねをしたのか。正直に言えばネギらしくないというのが夕映の感想だった。まぁ、事実だとしたら大変喜ばしい事ではあるのだが。難しい顔をしながら悩んでいると、ハルナがビシリと人差し指を立てつつ言った。

 

 

「まーねぇ。私もびっくりしたけど。でもさ、これはひょっとしてネギ君もとうとう覚悟を決めたって事じゃない?」

 

 

「それはつまり・・・ネギ先生がのどかの告白に答えるつもりだと?」

 

 

「そうそう」

 

 

こちらの言葉に同意しながらハルナがのどかを振り返った。つられて夕映も彼女に顔を向ける。二つの視線にさらされてのどかはますます顔を赤らめた。

 

 

「そうなのかな?もしそうなら、う、嬉しいけど・・・」

 

 

「あーーもうちくしょう!!なんなんだこの可愛い生き物は!!」

 

 

はにかみながら体を小さくして俯くのどかの頭を、ハルナがグリグリと撫でまわす。あっという間にぼさぼさになっていく髪に隠れてよく見えなかったが、それでも彼女は嬉しそうに微笑んでいた。幸福そうなその姿に、胸の内側があたたかくなっていく。夕映は自分でも気が付かないうちに口元を緩めていた。

 

 

「よかったですね、のどか。・・・・・本当によかった」

 

 

言葉に詰まりながらもそう告げる。こちらの意思とは無関係に目頭が熱くなって、夕映は何度も瞬きした。

 

 

 

今なら・・・自分がした選択が誤りではなかったと確信できる。

この笑顔を守るためにしたことが間違いであるはずがない。

 

 

 

まるで子供を慈しむ母親のように夕映はのどかを見つめていた。

するとそんな態度を不審に思ったのかハルナが不思議そうに首を傾げた。

 

 

「どしたの?なんか修学旅行の時見た大仏みたいな顔してるよ?」

 

 

「だ、大仏!?べ、べつになんでもないです」

 

 

慌てて顔を背ける。ハルナの指摘にちょっとだけ傷つきながら、何とか素の表情に戻ろうとグリグリ頬をこね回した。平常心を取り戻すために夕映が努力していると、のどかが小さな声で礼を言った。

 

 

「ありがと、夕映」

 

 

耳の後ろをくすぐられるような軽やかな声。夕映は何となく照れくさくなって鼻の頭を擦った。

 

 

「横島さんの事は別としても、もし夕映に好きな人ができたら私も協力するね」

 

 

「そう・・・・・ですね、その時はお願いします」

 

 

互いの瞳を見つめながらにこやかな笑みをかわす。周囲がほのぼのとした空気に満たされ、二人がいる空間が別世界になり始める。すると何故か焦った様子でハルナが口を挟んできた。

 

 

「ちょ、ちょっと何二人だけの世界を作ってんの?夕映に好きな人ができたら、もちろん私も手伝うって!!」

 

 

置いてけぼりはたまらないと情けない声でこちらの腕にぶら下がってくる。子供が親にほしいものをねだっているような態度だったが、そんな彼女に夕映は冷淡な声で告げた。

 

 

「いえ、のどかだけで十分です」

 

 

「そ、そんな事言わずに私にも手伝わせてよ~」

 

 

「ふふふ」

 

 

仕舞いにはおんぶするようにハルナが背中にのしかかってきた。夕映は転ばないように彼女の体重を支え、腰に力を入れる。バランスを崩しかけ、ギリギリの所で踏ん張っていると、自分たちを見ながらのどかが笑っていた。なんの屈託もない無邪気な笑み。他愛ないやり取りのなかで彼女が笑っている。夕映は普通の日常が戻ってきたことを実感してゆっくりと目を閉じた。結局のところ自分はこれを守りたかったのだ。友人を騙し横島たちに協力しているのもそれが理由だった。

 

一週間ほど前、魔法使いとジークたちとの橋渡しを頼まれた時の事を思い出す。当時はなぜ自分がと思ったものだが、今では夕映にも彼らの思惑が何となくだが分かってきていた。

 

双方とも四人目の魔族を捜索するという目的は一致している。ジーク側から必要な情報が提供され、学園長は今回のように捜査の融通をする。一見すると健全な協力関係を結んでいるように思えるが、おそらく内実は違っているはずだ。魔法使い側は、一応の協力者でも得体のしれない人物に好き勝手してほしくないというのが本音だろうし、ジーク達も必要以上に干渉されたくないと思っているに違いない。そういった事情があって、自分が選ばれたわけだ。

 

二つの組織の正体を認知し、どちらの側にも属しておらず、肝心な事はほとんど知らされていない。都合よく利用するにはうってつけの人材だったのだろう。

 

要するに緩衝剤のようなものだ。両者の間を取り持って、衝突を避ける役割を期待されているのだと夕映は思っていた。

 

思えばエヴァが横島の監視役を外れたのも、意図的なものだったのかもしれない。互いの関係に軋轢をもたらすような要素は極力排除しておきたかったのではないだろうか。もっとも彼女が横島にうんざりしていたのも事実だろうが。何しろ本人直々にあんなスポーツ用品まで用意する始末だ。

 

野球しようぜ!!お前ボールな!!・・・・・というやつを実際に見たのはあれが初めてだった。

 

あまり思い出したくない記憶が蘇りそうになって夕映は強く頭を振った。

 

 

「どったの夕映?」

 

 

突然顔色を悪くして俯いた夕映をハルナが怪訝そうに見ている。何でもないと小声で言いながら夕映は空しく笑った。傍に置いてあるバットの入ったケースを足でどかしながら、ボール役をやっていた人に視線を送ってみる。彼はまた何か騒ぎを起こした様子で那波千鶴の所にいた。

 

 

「千鶴ちゃん助けて!!なんもしとらんのにあの双子がワイを、ワイを!!」

 

 

「あらあら、しかたないわねぇ」

 

 

自分よりも年下の少女にいじめられて、自分よりも年下の少女に泣きついている。彼は千鶴に優しく頭を撫でられながら鼻の下を伸ばしていた。その顔を見ているうちに、何故だか知らないが先程のどか達が言っていたことが脳裏をよぎっていた。

 

 

(横島さんと話してる時の夕映って全然気兼ねしてないっていうか、なんだかすごく自然に見えて・・・)

 

 

(全然遠慮してるように見えないし、だからそういう関係なのかもってさ)

 

 

横島に冷めた瞳を向けながら頭の中で彼女たちの台詞を反芻する。しばらくそんな事を繰り返してから、夕映は一つ嘆息すると心の中で呟いた。

 

 

(やっぱり、ありえないですね)

 

 

泣きついた先で再び双子にからまれている横島から目を逸らし、夕映は今度こそ作業を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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