ある人の墓標   作:素魔砲.

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その日の放課後、横島忠夫は久方ぶりの学校でクラスの女子と掃除をするしないで散々にもめ、最終的に箒による頭部への強烈な打撃を受けた後、ほうほうの体で教室を脱出する事に成功していた。

 

 

(段々と手加減がなくなってきとるな、あいつら)

 

 

今日の一撃はなかなかに効いた。もっともいつも受けている美神の折檻に比べれば、まるで大した事はないのだが。そんな事より問題なのは、同級生に時間を取られバイトに遅刻しそうだという事だ。全力疾走で向かってはいるものの間に合うかどうかは微妙なところだった。

 

 

(まあ、仮に遅刻したとしても美神さんの機嫌が悪くなければ大丈夫だよな・・・

急ぎの仕事も確か入ってなかったと思うし)

 

 

機嫌が悪ければ、推して知るべしだが。そうこうしているうちに、バイト先である美神除霊事務所が見えてきた。勢いを殺すことなく入り口まで駆け込み、扉に手を突いて深呼吸を三回。それだけでだいぶ息が整ってきた。

学校から事務所まで、ほぼ休みなく全力で走ってきたにも関わらずこれである。

普段の仕事と、とある弟子の散歩にほとんど無理やりつき合わされてきた為についた、体力のおかげといえるだろう。

あまりうれしくはないが・・・。

 

 

「こんにちは横島さん」

 

 

呼吸が正常に戻るのと同時に、声をかけてきたのはこの美神除霊事務所の良心の一人、人工幽霊壱号だった。なんとかという博士が作り上げたらしい人工の魂を持った、文字通りこの事務所そのものといってもいい存在である。

 

 

「おーす、ああなんとか遅刻せずにすんだ」

 

 

横島は人工幽霊壱号に軽い挨拶を返し、時間を確認して安堵の息をついた。

そして階段を上り始めた所で、美神と別の誰かが話をしている声に気がついた。

 

 

「客か?、おキヌちゃんでもシロタマでもないよな」

 

 

事務所の同僚の誰かが美神と話をしているのかと考えたが、どうも違うようだ。

人工幽霊壱号に尋ねようとした時、こちらの独り言を聞いていたのだろう

 

 

「ええ、ワルキューレさんが来ています」

 

 

質問する前に向こうから答えてきた。

 

 

「ワルキューレ?・・・なんでまた」

 

 

そういえば二日ほど前にも事務所を訪ねてきたらしいと、仕事仲間のおキヌから聞いていたような・・・。魔族の現役仕官が理由もなく人間界に来ているとは考えにくい。

またぞろ厄介事を持って来たのではないだろうかと、横島の背筋に悪寒が走った。

だが考えてみれば一番厄介だった輩はもうこの世にはいないのだ。

実際美神を付け狙うような連中はもういないだろうし、何らかの依頼に来たのだとしてもそこまで面倒な事にはならないのではないか?

 

 

(なによりここで逃げても美神さんの事だ、あっさり逃げ切れるとは思えん。

というか、今月の給料をもらうまでここから逃げるわけにもいかん)

 

 

運悪く今日が今月の給料日だったのだ。

それを貰わずに仮に逃亡に成功したとしても、まっているのは辛く厳しく飢えに苛まれる逃亡生活だ。もし逃げなければならないとしても、事情を聞いて給料をもらってからだ。横島はそう心の中で決め、話し声の聞こえる室内へ足を踏み入れた。

 

 

「ちわーす」

 

 

なるべく平常心を心がけながら間の抜けた声で美神とワルキューレに挨拶をする。

どうやら応接室のほうにいるようだが、ここからではどちらの姿も見えない。

なんとなく変に緊張しながら、二人の方を覗きこもうと顔を動かした。

その瞬間、いってらしゃーいと、なにやら陽気な声が聞こえると同時に体を強く突き飛ばされた。

 

 

「え?」

 

 

踏みとどまろうと手足をばたばたと動かす。だがよほど勢いがついていたのか、体を支えられない。そのまま床に倒れこむと思われたその時、体が不自然な浮遊感に襲われた。まるで落とし穴にはまった様な。そして真っ暗な空間に落ちていく。

見えているのは扉のような枠の中からこちらを楽しそうに見ている美神の姿だった。

 

 

「それじゃ横島君、あとよろしくねー」

 

 

人を小馬鹿にした様な声とともに美神の姿が急速に小さくなっていく。

 

 

「なんでじゃーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 

わけのわからぬままに絶叫を上げ、いつものように涙と鼻水を垂れ流し、

横島は命綱なしのリアルすぎるバンジージャンプを体験していた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「ぶめぎゃっっ!」

 

 

奇妙な悲鳴を上げ、横島は見事に顔面を強打して無事に地面に着地していた。おのれ重力め・・・ぶつぶつと見当違いの愚痴をこぼし、痛む鼻頭をさすりながら、瞳にたまった涙をぬぐう。なにやら長い間暗い空間を落下していたと思ったが、一応生きているという事はそれほどの高さではなかったのかもしれない。

 

 

(というか、ここどこだ?何で室内で自由落下せにゃならんのだ・・・)

 

 

きょろきょろとあたりを見渡しつつ、八畳ほどの広さのろくに物も置いていない室内を観察する。目に付くのは部屋の中央にあるコタツくらいだろうか?

何でこんな所に・・・事務所にいたはずが今は見知らぬ場所にいる。

いろいろと納得がいかない事もあるが、美神の仕業である事に間違いはないだろう。

何でこんな事をするのかさっぱり理由がわからないが。

 

 

(どちくしょう、今度という今度は並大抵のセクハラじゃ腹の虫が収まらん。

下着盗んだり、風呂覗いたりするだけじゃあ、決して俺は止まらんぞーあのクソ女ーーーーーーっ!!」

 

 

腹のそこから湧き上がる魂の叫びを感じつつ、横島は今度美神にあったら容赦なく胸を揉みし抱いてやると心に誓っていた。もちろん心の声をしっかりと口に出してはいたが。

 

 

「そんなに大声で犯罪行為を堂々と宣言するのは、あまり感心しないぞ横島君」

 

 

そんなどこかで聞いたような冷静な声が聞こえてきたのは、横島の妄想の中で、美神が恥らいつつもその白魚のような手で最後に残った一枚に手を掛け、濡れたような瞳と色っぽい声音で、横島を誘っていた時だった。ふんふんと荒い鼻息を漏らしつつも気持ち悪く身をくねらせていた横島は、唐突に聞こえてきたその声に心底驚いた。

 

 

「だぁあああっ!おっおまえっジークか!何でこんな所にいやがる」

 

 

横島の前にふわりと浮かび、何か可哀想なものを見るような目でこちらを見ていたのは、魔族の仕官であるジークフリート少尉、通称ジークであった。

なにやらいつもよりもはるかに小さいサイズ、というよりきっぱりと手のひらサイズのミニチュアであったが。

 

 

「なんかえらく小さくなってるな、おい」

 

 

このような状態の神族や魔族を一度見た事があったが、小竜姫達とは違って男のミニチュアなんぞかわいくもなんともない。どうでもよさそうに横島は一応なぜ小さくなっているのかとジークに聞いた。

 

 

「こちらの世界では魔力の消耗が激しいのでね、おいそれと普通の大きさにはなれない。省エネを心がけなければ」

 

 

小さい体であるにもかかわらずハキハキとしたよく通る声でジークは答えた。

なぜかは知らないが、要するに小さくならなければいけないほど霊力が不足しているという事だろうか。

 

 

「ちょ、ちょっと待て、てことはまた冥界だか何だかのチャンネルがどうこうしたのか!?」

 

 

まったく要領を得ない質問をしながら、横島は慌てて声を上げた。だとすれば、大事である可能性がある。前回、冥界と地上の霊的拠点とのチャンネルが強制的に閉じられたときは、ほとんどの神族魔族が力を失った。

とするならば・・・・・・

 

 

 

「小竜姫様達も小さくなっとるのかーーーーっ!!」

 

 

 

小竜姫の小さい姿は確かにかわいらしいが横島にとっては全然うれしい姿ではない。軽いスキンシップも、お肌の触れ合いも、ミニサイズではまったく楽しくないではないか。あ、あかん非常事態だ。なんとかして、せめて小竜姫様だけでも元のサイズに戻るようにしなければ。横島の胸に熱い使命感が芽生えていた。

 

 

「まったく君は早とちりも相変わらずだな。」

 

 

何と言うべきか・・・。

ジークは久しぶりに会ったまるで変わらない戦友に軽くため息をこぼした。

 

 

「横島君いいから正気に戻りたまえ。状況の説明を行うから」

 

 

ジークがなんとかやる気を取り戻し、横島が小竜姫様ーと叫びながら部屋を飛び出し、

昼間であったはずが、なぜか夜に変わっている事に気がつき、見知らぬ場所で若干道に迷いつつも部屋に戻ってきて、ここはどこやーと叫び声を上げて、それをジークがなだめるまで、たっぷり30分の時間を要した。

 

 

「はじめに言っておくとだ、ここは君がいた世界ではない」

 

 

無意味に余計な疲労感を覚えながらジークは横島に言った。まずこのことをよく説明しておかなければ。横島の事だ、どのような面倒事を起こすかわかったものではない。

何の理解も得ることなく気軽に外に出て、ナンパでもして警察に通報され、留置所で一晩を明かす事などやりかねなかった。ちなみに先程横島が勝手に外に出て行ったことは、ジークの精神衛生上の問題でなかった事にされている。

 

 

「は?何言ってんのお前?」

 

 

ぽかんと呆けた表情を見せていた横島だが、あっと何かを察した様子で、ジークをどこか哀れんだように見つめた。仕事のしすぎで、どこかおかしくなったのかとほんの少しだけ心配になった。なんというか姉が姉だけに。横島は、まあとにかくゆっくり休めと、優しくジークを諭した。

 

 

「何かを勘違いしているようだが横島君、僕は正常だ」

 

 

若干額に青筋を立てつつジークは横島に言葉を返す。なんだか自然と名誉を傷つけられたように感じたが、流しておく。そして、今いる世界の大まかな情報、なぜ横島がこちら側の世界、異世界にいるのかを簡単に説明していった。しばらくはやさしくこちらを見ていた横島だが、説明が進むにつれて段々と表情を険しくしていった。

 

 

「てことは何か、ここはほんとに異世界とやらで、俺にその危なっかしい魔族と戦えってのか?」

 

 

最初のうちは長ったらしく説明しだしたジークの言葉を適当な様子で聞き流していた横島だったが、聞き捨てならない説明が増えるにつれて、眉間にしわが寄っていく。

冗談じゃない、ただでさえ訳の分からないうちに異世界なんてところに来てしまったのだ。その上おっかない魔族となど戦えるわけがなかった。

 

 

「無理無理無理、というか美神さんは?」

 

 

実際に仕事を受けた美神はなぜこちらにいないのか?

美神除霊事務所の出張と言う事ならば、美神やおキヌちゃん、シロタマもいなければおかしい。なにやら事務所で突き落とされたときに聞こえた、あとよろしくねーの言葉を思い出すと、不吉な予感を覚えるのだが。

 

 

「美神令子はこっちには来れないそうだ。ターゲットが複数いる以上、長期戦も視野に入れておかなければならないだろう。GSといっても信用商売だからな、それほど長期間事務所を閉めておくわけにはいかないと言っていた」

 

 

美神にしてみればあくまでこちらの世界の事は人事に過ぎない。

逃亡した魔族が異世界で問題を起こそうと、よく知りもしない世界の人間の心配までして自分の世界の事情をないがしろにする訳にはいかないのだろう。

もっとも、請けた仕事はきっちり最後まで責任を持つのも、美神令子という女性なのだが・・・。

 

 

「そんな事言うなら俺にだって学校があるぞ」

 

 

出席日数の方はもうよくわからない事になってはいるが、一応真面目に行かない訳にはいかない。サボり続ければ、ある意味逃亡した魔族などよりはるかに恐ろしい最終兵器彼女が、世界の壁を越えてナルニアの地から降臨しかねない。不用意に想像してしまったおかげで震える体を抱きしめる。

 

 

「そちらの心配なら無用だ」

 

 

あっさりと横島の心配を一蹴し、ジークは横島に、学校には横島のドッペルゲンガーが通う事になると告げた。

因みにその事を告げたときの教師や同級生の反応は・・・。

 

「程度の低いセクハラから開放されてうれしいです」「別に構わないけど貸した金はしっかり返ってくるんだろうな?」「真面目で授業態度もいい横島なら大歓迎だ」「無理してこっち帰ってこなくていいぞー」「みっみなさん、ちょっと横島さんが可哀想じゃ」「無常ですのー」「こういうのも青春よね」等々。

 

 

「あっあいつらぁぁぁ!!」

 

 

予想以上に予想通りの学校関係者の反応に横島はひくひくと頬を痙攣させ、眦を吊り上げ、先程とは違った意味で体を奮わせはじめた。

ひょっとして今日に限って掃除当番を強要してきたのは、今日が最後になると知っていたからなのだろうか・・・。

 

 

「どっ、どちくしょー!、帰ってやる、今すぐ元の世界に帰ってやるー!!」

 

 

癇癪を起こした幼児のように地団駄を踏みつつ、横島は今いる世界への脱出を心に決めた。

 

 

「どうやって?」

 

 

ひとしきり横島が起こしていた奇怪な行動を、まるでサルの実験を観察する科学者のような目で眺めていたジークが冷たい声で告げた。

 

 

「え?」

 

 

思いもよらない事をいきなり告げられたように、横島は硬直した。

言われてみれば、どのようにしてこちらの世界に来たのか、美神に嵌められ知らないうちに異世界にいた横島には知る由もない。

突き落とされた直後に見た枠のようなものは今思えば扉だったように思うが・・・。

 

 

「じっジーク、お前なら元の世界に帰る方法を知ってんだろ。吐け吐きやがれ!」

 

 

ぶんぶんと手を振り回し、ジークを捕まえようと奮闘する横島を尻目に、当の本人はスルスルとその手をかわしていった。

 

 

「落ち着きたまえ横島君、ほら元の世界へ帰るための扉ならそこにある」

 

 

悠々と横島の攻撃を避けていたジークが一つの方向を指し示す。

ぜぇはぁと息を切らせていた横島はその言葉を聞いて、ジークが指した方向を見た。

そこには何故に今まで気がつかなかったのか不思議なほどの存在感を持った、禍々しく瘴気を吐き出す一枚の扉があった。外装は一言で言えば邪悪?だろうか、一つ一つの意匠は素晴らしいものを感じさせるのだが、ひとたび全体を眺めると悪徳?と怖気を覚える。中でも一際酷いのが、ドア枠の天辺についているドクロの彫刻だろうか?その下にはなにやら重厚な雰囲気を持った木板に、「この扉をくぐるもの一切の希望を捨てよ」と書かれていた。因みにドア枠の後ろからは、長大な大鎌が交差するように伸びて、まるで扉を通ろうとする者の首を、その大鎌ではねてしまうのではないかと連想させた。

 

 

「おっおま・・・なんだこりゃ?」

 

 

見るからに危なそう、というかきっぱりと致命的なその扉を指差し横島はジークに震え声で尋ねた。

 

 

「見てわかるだろう、魔界軍特製の異世界間移動装置だ」

 

 

何に怯えているのかさっぱりわからないというように、ジークは横島に答えた。

 

 

「わかるかーっ!、ふざけんな、こんなもんで異世界におさらばしたら、俺の首までおさらばするわーーーー!!」

 

 

再びジークに掴み掛かった横島は、それでもやはりひらひらとかわされる。

 

 

「確かにこちらの許可なく扉をくぐろうとした者は、首を容赦なくねじ切り飛ばされるが・・・。魔界の基本的なセキュリティシステムの一つだ。そう不思議がる物でもないはずなのだが」

 

 

よく見ると扉のドクロが、ゲッゲッゲっと不気味な笑い声を上げている。

 

 

「通信鬼の時も思ったけどなぁ、魔界のもんはどこかぶっ壊れとるんじゃー・・・一応聞くけど俺に許可は?」

 

 

「あるわけないだろう」

 

 

ジークは簡潔にそれだけを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

その晩、その部屋には男性二人による容赦ない無制限一本勝負が行われた。

 

 

 

 


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