ある人の墓標   作:素魔砲.

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「あーあー。はりきっちゃってまぁ」

 

 

欠伸しながら呑気に観戦していたヘルマンの部下の一人(仲間からは、すらむぃと呼ばれている)が、呆れたように呟く。小さな手を使って耳の後ろを掻きつつ、眠そうな半眼で主人が戦っている姿を眺めている。ポップコーンを齧りながら退屈な映画でも見ているように、やる気のない態度だった。

 

 

「おいおい、手からビームみたいのまで出しちゃったよ。ガキ相手に大人げねーなー。そう思わないか?」

 

 

夕映は先程から何かと話しかけてくるその人物に苛立たしげな視線を向けた。戦闘が始まり、担任教師の奮闘をハラハラしながら見つめている時も、この小さな子供は、どうでもいい事を延々とベラベラ喋り続けていた。新製品のクッキーが粉っぽくて好きになれないだの、今朝見かけた猫の柄がすぐそこの看板の色に似ているだの、こちらの都合などお構いなしに、自分勝手に言葉を投げかけてくる。最初の方はおざなりにでも相槌を打っていたのだが、いい加減我慢ならなくなったのか、誰も相手にしなくなった。それは夕映達人質どころか、彼女の仲間達にさえいえる事で、誰からも無視されているにも関わらず、そんな事など気にも留めていない様子で小さな口を動かし続けている。

 

 

「なぁなぁ、そこのちびちゃん」

 

 

そんな彼女に手招きしながら声を掛けたのは、今も戦っている最中のネギ達を心配そうに見守っていた木乃香だった。水牢の壁に手をつきながら、膝立ちになって顔を覗き込んでいる。

 

 

「ウチらをここから出してくれへん?」

 

 

「あん?」

 

 

眉をへの字にして頼んでいる木乃香にあからさまな侮蔑の視線を投げかけ、すらむぃが小さく鼻を鳴らす。顔を隣にいるメガネ帽子の女の子(あめ子と言ったか)に向け、どーする?と視線で問いかけた。

 

 

「ダメに決まってマス。あなた達は人質なんですカラ」

 

 

無表情で先程から一言も言葉を発しない娘(ぷりんと呼ばれているのは名前なのだろうか)の長い髪に触れながら、あめ子が呆れたように答えた。彼女も退屈なのかもしれない。身長を遥かに超えて地面に垂れ下がってしまっているぷりんの髪を、三つ編みにしたり、ポニーテールにしてみたりと、本人が何も言わないのをいい事にいろいろと弄んでいた。

 

 

「一応言っておくと、その水牢はちょっとやそっとの事では破れませんヨ。強力な魔法でも使わない限りはネ」

 

 

「だってよ。まぁ、おっさんはこれ以上あんた達には手を出さないって言ってんだ。おとなしくしてなよ・・・」

 

 

後ろ頭で腕を組んだすらむぃが、気楽な様子で投げやりに答える。そして、いい加減喋ることもなくなったのか、あめ子と共にぷりんの髪を弄り始めた。三つ編みのやり方を聞きながら、難しい顔で不器用に短い指を操っている。

 

結局できる事など何もないのかもしれない・・・。夕映は顔を伏せて、ギュッと拳を握りしめた。もやもやとした形容しがたい熱さが胸の内にあふれてくる。思わず爪を噛んでやりたいくらいに口惜しい気持ちで一杯になった。なすすべなく捕らえられ、人質として利用されている今の状況。自分の見通しが甘かったせいで、親友をここまで追い詰めてしまった事も含めて、あまりの無力感に泣きたくなる。

 

夕映は目を瞑り、大げさな動作で深呼吸して、限界まで肺に空気をため込んだ。そしてそのまま息を止める。一秒、二秒、三秒。声を出さずに二十秒まで数え終わってから一気に肺の中の空気を吐き出す。心持ち強めに己の両頬を叩いて、気合を入れる。過ぎてしまった事は仕方ない・・・とは言いたくないが、後悔するのは後回しだ。何が悪かったかと考えるのも後回し。今はとにかく自分の現状を正確に把握して、解決策を見つけだすことだ。際限なく落ち込んでしまいそうな心を強引に奮起させて、夕映は表情を引き締めた。

 

 

(・・・とはいっても)

 

 

難しい顔で目の前を覆っている水牢に触れる。あの、あめ子が言っていることが本当なのだとしたら、自力でここから脱出することは非常に困難だろう。なにしろ拳法の達人である古菲が、渾身の力で殴り掛かってもビクともしないほどこの壁は強固なのだ。ほかの皆で一斉に体当たりしたところで、焼け石に水だ。これを突破する手段は今すぐには思いつかない。

 

 

(後回しにするしかないか・・・)

 

 

触れていた水の壁から手を放し、戦闘中のネギに視線を向ける。言うまでもなく苦戦を強いられているようだ。なにしろ最大の攻撃手段を封じられてしまっている。真っ向から挑むにはあまりに相手が悪すぎるのだ。身長差や体格がどうのというより、圧倒的にリーチに差がありすぎる。魔法を使えないネギ達は接近して攻撃を当てるしかないが、そのためにはヘルマンが放つ大砲のような一撃を何度も躱す必要がある。威力が威力だ。どうしても大げさな動きで回避しなければならないので、容易には近づけていない。遠距離から一方的に攻められ続けている。あれでは被弾するのも時間の問題かもしれない。

 

 

(攻め手に欠いてますね。・・・魔法が使えるようになれば話は違うのでしょうが)

 

 

そこまで考えてから、今度は明日菜に視線を向ける。彼女は夕映以上に悔しそうな顔をしていた。無理もない話だ。何しろネギ達が苦戦している原因を作っているのは、間違いなく彼女なのだから。本人が意図してやっている事ではないが、そんな事は慰めにもならないだろう。

 

 

(魔法無効化能力ですか・・・やはりあれを何とかしないといけませんね)

 

 

ちらりと明日菜の胸元で光る宝石を見る。おそらくあれが元凶だ。ネギの魔法を無効化するとき、すべての場面であのネックレスが光を放っていた。多分あれを使って明日菜から能力を奪っているのだろう。・・・と、すればだ。

 

 

(あのネックレスさえどうにかしてしまえば、ネギ先生たちにも勝機があります)

 

 

少なくとも魔法は復活する。

そうなれば今のように一方的に攻められ続けるという事はないはずだ。

 

 

(となれば後はどうやってここを出るかですけど・・・)

 

 

再び答えの出ない難解な問題にぶち当たり、夕映は溜息をこぼした。ぐりぐりと眉間をほぐしつつ、唇を噛む。仕舞いには唸り声をあげながら、やけくそ気味に頭を掻き毟っていた。すると、そんな彼女の肩を、誰かがとんとんと指で軽くつついてきた。集中していた所に突然触れられたせいで、ビクリと体が震える。反射的に背後を振り返った。

 

そこにいたのは、人差し指を口の前で立てつつ、もう片方の手でこちらを手招きしている木乃香の姿だった。声を出すな・・・と言いたいのか無言のまま目配せしてくる。気付けば夕映以外のメンバー全員が、のどかを中心として車座に集まっていた。疑問が喉元まで出かかって、慌てて口を塞ぐ。足音を立てないように輪の中に近づいて行った。

 

 

「みんな、ちょっと聞いて」

 

 

押し殺した低い声で話しながら、木乃香が服のポケットから何かを取り出す。それは安っぽい子供の玩具のような小さなステッキだった。装飾・・・と言えるのは、先端についているハート型の部分だけで、他には一切ない。アニメのグッズにしてはあまりにシンプルすぎて、商品にはならないだろう。彼女は指先でそれを摘み上げながら、真剣な表情で説明を始めた。

 

 

「あんな、今ウチ少しだけ魔法を習ってるんよ。そんでな、さっきちびちゃん達が言ってたやろ。魔法を使えばここから出られるって」

 

 

正確には、強力な魔法でも使わなければ水牢を破ることはできない。そう言っていたはずだが、細部にはこだわっていないのか木乃香は特に気にした様子もなく玩具のステッキ・・・いや、魔法の杖を振っている。円陣を組む一人一人の顔に意味深な眼差しを向けながら、口の中でぼそぼそと呟いていた。

 

 

「練習用にってちょうど持っててん。これ使って魔法を使えばもしかしたら・・・」

 

 

「ここから出られるかもしれないってことですか!?」

 

 

「おお、本当アルか!?」

 

 

「いいじゃんいいじゃん!なら、早くやっちゃおーよ!」

 

 

思いがけず訪れたいいニュースに、頭をゴリゴリとこすり合わせながら相談していた全員が喝采を上げる。(もちろん小声でだが)胸の手前で小さくガッツポーズを取り、早くやるようにと木乃香を急き立て始めた。

 

 

「ちょ、ちょっとまって、ちゃうねん。ウチも練習中やからみんなに手伝ってほしくて」

 

 

にわかに勢いづいて笑顔を浮かべた皆に、言い出した張本人である木乃香がストップをかける。

 

 

「いや手伝えって、何すりゃいいのさ」

 

 

「う~む。気合ならありあまってるアルけど」

 

 

「あの、曲がりなりにも魔法を習っている木乃香さんができないなら、何も知らない私達では無理があるのでは・・・」

 

 

和美、古菲、夕映の三人が顔を見合わせながら、自信がない様子で目を逸らす。

 

 

「いやいや、ウチもホント習い始めたばっかりやから。呪文教えてもらっただけやし」

 

 

「・・・それって、ほとんど何も分かっていないのと変わらないんじゃ?」

 

 

夕映がジトリとした半眼を向けると、今度は木乃香が明後日の方向を見て顔を背けた。

要するに彼女も夕映と変わらず、魔法に関しては初心者と名乗るのもおこがましいレベルなのか。ネギに魔法を習っているとしたら、もう魔法使いの仲間入りを果たしたのではと、内心うらやましく思っていた彼女の実態を知り、安心したのか失望したのか、もやもやとした複雑な感情が胸中であふれた。

 

 

「で、でもほら、ひょっとしたら誰かが成功するかもしれんし・・・」

 

 

「・・・・・・・・・・・・まぁ確かに駄目で元々とも言いますし・・・」

 

 

「そ、そうそう、だから、みんなでやってみて・・・」

 

 

 

 

 

「何をやるんだ?」

 

 

 

 

 

それが決定的な瞬間であるなら、そうなのだろう。

突然現れた第三者の問い掛けに、その場にいた全員がギョッと目を剥く。驚きは数秒の間呼吸を忘れさせ、先程から聞こえてきていた破壊音すら、耳から遠くなる。夕映達の後ろにすらむぃがいる。ニヤニヤした薄ら笑い。人を小馬鹿にしているような軽い口調。軽薄な仕草で両手を肩の高さで開いている。小学生の平均身長にも届いていない小柄な体を、水牢の壁に押し付けている。水面に映った表情が不気味に歪んで見えた。

 

誰もが身動き一つもできずに硬直する。そしてその間隙を縫うように、水牢の一部が不自然に伸びた。水でできた触手は、鞭のようにしなり、木乃香が持っている魔法の杖を瞬時に絡め取る。ベキリと鈍い音を立てて、杖が折れた。それほど頑強にはできていなかったのだろう、あっという間に粉々になるまで粉砕されていった。

 

 

「おとなしくしてろっていったよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!」

 

 

幼い高音が耳に痛い。突然別人のように豹変したすらむぃが、口の両端を目元近くまで釣り上げて、ヒクヒクと頬を痙攣させる。唾を飛ばしながら薄汚い言葉で、聞くに堪えない罵声を喚き散らした。限界近くまで開かれた瞳が、ジワリと悪意の色を灯す。憤怒の表情を浮かべ、彼女は感情を爆発させた。

 

拳を水牢の壁に叩きつけ、何度も何度も蹴りつける。指、拳、甲、肘、頭、膝、脛、足刀、爪先、踵、硬い部分、鋭利な部分。自らが作り上げた檻に己の身体を激突させる。動作は子供の癇癪のそれだ。ただひたすら原始的で美しさのかけらもない。自分をかばう動作も一切見せず、痛みなどまるで感じないとでもいうように、全身を投げつけていた。

 

突然始まった奇行に、それを見ている全員の背筋が寒くなる。

そばで見ていた彼女の仲間すら、不審な目を向ける間もなく顔を強張らせている。

目を背けることを思いつきもしない。その空間は完全に彼女に支配されていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・そうだな・・・・・・・・・・よし、これにしよう」

 

 

始まりと同じく終わりも突然だった。

ピタリと暴れるのをやめたすらむぃが、空を仰いで無感動に呟く。

雲の隙間に雷光が走り、周囲に轟音が鳴り響く。雨はやまない。やむ気配がない。

水音が煩いくらいに耳に響く。

 

 

 

 

そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・灰色の世界が始まる。

 

 

 

 

「お前らを使う」

 

 

暗い瞳を夕映達に向け、すらむぃが短く宣言した。

そして、戦闘中のネギ達に顔を向けて、絶叫を上げる。

 

 

「ガキどもぉぉぉぉおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

ただ一つの叫びで声帯が破壊されるのではないかと錯覚するくらいの大声だ。

声が届く範囲にいるすべての者が、一切の動きを停止し、彼女を振りかえる。

全員の注目を集めた彼女は、再びいやらしい薄笑いを浮かべて、こう言った。

 

 

「これからお前らが三分以内におっさんを殺せなければ、ここにいる人質を一人殺す。そこからは二分毎だ。二人目、三人目と順番に殺していく。まずは・・・誰にするか」

 

 

一方的に話しながら、嬲るように目線を夕映達に向ける。

一人一人を指さし、やがて彼女は一人の少女の前で、その動きを止めた。

 

 

「おまえにしよう。理由は・・・そうだな、おっぱいが大きいから」

 

 

「わ、私!?」

 

 

冗談のようなふざけた理由で殺害予告をされた和美が、呆然とした表情を浮かべたまま己を指さす。すらむぃは水牢の周りをぐるぐると回りながらその表情を楽しむように、下側から上目づかいで眺めている。そこだけは不自然に長い舌で、べろりと口周りを舐めて、彼女は和美に言った。

 

 

「そうだよ。ガキどもがおっさんを殺せなかったらお前は死ぬ。せいぜい一生懸命に応援しな。それとも、神様に祈るか?」

 

 

「ちょ、ちょっと、やめてよ。じょ、冗談でしょ!?」

 

 

「あいにくと、冗談は好きだが、嘘は嫌いなんだ。約束してやるよ。もし奴らが失敗したら、お前は確実に殺してやる」

 

 

すらむぃは愉悦に歪めた顔で指切りをする時のように小指を立てた。声は真剣そのものだ。まるでその声音こそが、嘘も偽りもないことの証明であるかのようだった。和美が後退りしながら、あちこちに視線を彷徨わせる。その目が理解しがたい物を見たように恐怖で濁っていた。その視線から逃れたかったわけではない。それだけは確信できる。それでも夕映は自然と顔を伏せて俯いていた。

 

 

「な、何言ってんのよあんた!」

 

 

背中越しに聞いていたのだろう。無理やり動揺を抑え込んだまま明日菜が叫んだ。何とかして振り返ろうと努力している。首筋を痛めそうな姿勢でギロリと目付きを鋭くさせて抗議の声を上げた。そんな彼女に対して気を使ったのか、すらむぃがぺたぺたと足音を立てながら、明日菜の前に回り込む。威勢のいい態度の彼女にへらへらと笑いながら答える。

 

 

「あん?何が?」

 

 

「ひ、人質には手を出さないって、さっき言ってたでしょ!?それが何だってそんな事になるのよ!」

 

 

「そいつはあのおっさんが言った事だろう?俺は約束した覚えはねーぞ」

 

 

「あんた、あのエロ爺の手下なんでしょ!?だったら・・・」

 

 

「あーーっ!うるせうるせっ!んなこたぁどうだっていいんだよ!犯人の気が変わって人質を殺すなんざ、よくある事だろーが!」

 

 

「ふ、ふざけないでよ!そんな理由で・・・」

 

 

「もういい黙れ」

 

 

明日菜が言葉を言い切る前に、業を煮やしたすらむぃが腕を伸ばして彼女の頭部に触れる。軽く撫でたようにしか見えなかったが、明日菜は唐突に言葉を途切れさせ、がくりと項垂れた。さらりとした髪がむき出しの肩から滑るように落ちる。完全に脱力した姿勢で倒れこみそうになっていた。もっとも両腕に巻き付いている支えのおかげで、かろうじて立ってはいるが。

 

 

「てめーにはまだ用があるんだよ。いい子だからおとなしく寝てな」

 

 

瞳を閉じて意識を失った明日菜の額を軽く弾きながら、すらむぃが言う。そしてすぐに興味を失ったのか、まだうまく事情が呑み込めていない様子のネギ達に向かって声を張り上げた。

 

 

「おーい!そんじゃ、はじめるぞー!三分だからなー!」

 

 

まるで遊び仲間に呼びかけるように命がかかった殺人ゲームの開始を告げる。その様子はとてつもなく楽しそうだった。無邪気な笑みは内心の邪悪さを覆い隠してしまう。彼女は天使のように愛らしかった。そしてそれがとてつもなく不気味で恐ろしい。その仕草一つ一つが恐怖を助長し、悪意を伝染させていた。

 

 

「待て」

 

 

そしてそんな彼女を、張りのある短い言葉でヘルマンが制止する。眉間に皺を寄せた厳しい表情で口を挟んできた。

 

 

「なんだよ」

 

 

水を差されてふてくされた声を発したすらむぃが、唇を尖らせる。

 

 

「なんだよではない。どういうつもりだ、すらむぃ。明日菜君の言う通りだ。これ以上、人質に危害を加えるつもりはないと言ったろう」

 

 

「だからそれはあんたが約束した事だろ?俺が守る義理はないね」

 

 

「そうはいかない。君は私の部下だ。命令には従ってもらう」

 

 

「断る」

 

 

あまりにあっさりと言い切ったせいで、その場の空気が凍ったような静寂が支配する。

ヘルマンは信じられないものを見るかのように、目を見開いた。

 

 

「なんだと?」

 

 

「聞こえなかったか?断ると言ったんだ。この女共を死なせたくねーなら、あんたが殺されなよ。そうすりゃ、誰も死なない。ハッピーエンドだ」

 

 

「・・・ふざけるなよ」

 

 

「至極真面目だよ、こっちは。それにこれはあんたの意に沿う事でもあるだろ?こいつらの命がかかってれば、ガキ共もさぞかし真剣に戦ってくれるだろーぜ」

 

 

人を小馬鹿にしながら鼻を鳴らして告げてくる。不躾な態度は少なくとも上司と部下のそれではなかった。

 

 

「そういう事ではないだろう。脅しで強制するようなやり方など、誰も望んでいない」

 

 

「あくまで、自分からやる気出せってか?ハッお優しいことで・・・」

 

 

すらむぃがうんざりとした表情で吐き捨てる。大げさな仕草で額を押さえ、かぶりを振っていた。

 

 

「てめーの流儀がどうだろうと知ったこっちゃねーな。とにかく、これ以上あんたに何を言われようと、止めるつもりはないね」

 

 

その宣言と同時に、すらむぃが指を鳴らす。すると、夕映達を囲んでいる水の壁から、いくつもの鋭利な棘が飛び出してきた。無数の槍が自分たちに突き付けられている。刃物のような先端は、触れるだけで怪我をしそうなほど鋭く尖っていた。そこからポタポタと水滴が流れ落ちていなければ、とてもそれが水でできているとは思えない。

 

首筋や心臓などの急所を目指して伸びているのは、間違いなく脅迫の意味合いを含んでいるはずだ。すぐそばで誰かの短い悲鳴が聞こえてきた。音が聞こえた方を振り向けば、木乃香が口元を押さえて瞳を潤ませている。いや木乃香だけではなかった。明るい笑顔とおバカな態度が常である古菲すら、嗚咽を堪えるように何度も喉を動かしている。ふと、足元を見ると、呆然自失とした和美が膝をついていた。誰もが恐怖に支配され、身動き一つできない。

 

そしてそれは自分も同じだった。知らぬ間に微弱な震えが体を駆け巡っている。極度の緊張で胸が押しつぶされてしまいそうに感じる。呼吸ができないわけでもないのに、息苦しさで溺れてしまいそうだ。鼻の奥をツンとした何かが刺激している。目頭が熱い。耳を澄ませばドクドクと血の流れる音が聞こえる気がした。口の中が乾いて、唾を飲み込む。寒さを覚えて肌が粟立つのを感じる。薄暗くなっていく視界で、今、自分は気を失いそうになっているのだと気が付いた。

 

 

「逆らえば全員殺す。分かるだろう?てめーらは素直にこっちの言う事を聞いてりゃーいいんだよ」

 

 

にんまりと口を広げたすらむぃが水牢に蹴りを入れる。そのまま水壁に寄り掛かると勝ち誇った様子で手を振った。すると、その姿を見ていたヘルマンが目を細めて腕を組む。そして、すらむぃ以外の部下たちに向けて、短く叫んだ。

 

 

「あめ子、ぷりん。すらむぃを止めろ!」

 

 

その言葉が聞こえた瞬間、気付かれないようにすらむぃの背後にまわっていたあめ子とぷりんの二人が一斉に躍り掛かる。足音を全く立てずに走りながら俊敏な動作で接近する。獣のように素早く跳躍し、両腕を伸ばしながら、すらむぃを拘束しようとした。

 

・・・だが。

 

体の向きはそのままに首だけを百八十度回転させたすらむぃが、顎の骨を外したように大口を開ける。そして何かが彼女の口から勢いよく飛び出してきた。空中をくるくると回転している。それは、表面に五芒星が描かれたどこにでもあるような瓶だった。だが同時に特殊な魔法が封じ込められた瓶でもあった。先程ネギがヘルマンに対して使用した封魔の瓶。それが何故かすらむぃの元にあった。

 

 

「ラゲーナ・シグナートーリア(封魔の瓶)!!・・・だったか?」

 

 

若干自信がなさそうに発せられた呪文は、それでも正しく作用する。微弱な振動が瓶全体に伝わったかと思うと、表面の五芒星が眩い輝きを発する。それは光と共に実体化し、空中で魔法陣を描く。鈍い音が辺りに響き渡り、今度こそ正確に発動した魔法は、目を見開き驚愕の表情を浮かべた二人をそのまま瓶の中に封じ込めた。役目を終えた封魔の瓶から光が消える。魔法の効果が切れると、空中に浮いていたそれは、カランと音を立てて地面を転がった。その様子を見ていたすらむぃが、ひょいとそれを拾い上げる。耳をほじくり、中に詰めてあったコルク栓を取り出すと、瓶のキャップにぐいっと押し付けた。

 

 

「うまくいくもんだなぁ。どさくさに紛れて回収しといてよかったぜ」

 

 

ぐるりと肩を回しながらヘルマンに顔を向ける。目元を意味ありげに歪めて、からかうように笑みをこぼした。

 

 

「思惑通りにいかなくて残念だったな。あの二人の事を忘れてると思ってたのか?」

 

 

「む、むぅ」

 

 

口惜しそうにヘルマンが唸り声を上げる。奇襲のタイミングを計っていたようだが、それもすらむぃにはお見通しだったらしい。

 

 

「ボケた頭でも理解できたか?抵抗は無駄だってことがよ。さっさと殺し合いな。

どーせそれしか手はねーんだ。あっ、そーだ、一応あの連中にも言っとくか」

 

 

言い聞かせるような口調でヘルマンを挑発していたすらむぃが、突然明後日の方向に向き直った。

そして・・・。

 

 

「てめーらにも言ってんだぞ!覗き屋どもっ!!」

 

 

はるか遠くに見える森の一角に視線を固定し、怒鳴り声を上げる。

 

 

「こっちはとっくに気付いてんだよ。さっきからうっとーしーくらいに熱い眼差し向けてきやがって。なめた真似しやがったら、女の命はねーからな。分かったか!!」

 

 

ここにはいない何者かに向けての言葉だろう。呼びかけに対する反応を探っている様子でじっとしている。やがて、彼女は納得したように頷くと、森に向けていた視線を切った。

 

 

「・・・・・・何のことを言っている?覗き屋だと?」

 

 

直前まで会話していたヘルマンが訝しげに声を掛ける。

すらむぃはなんでもないと言いたげに手を振ると、片眉を吊り上げた。

 

 

「ああ、気にすんな。邪魔するようならこっちで対応するからよ。それより・・・いいのか?」

 

 

「?・・・何がだ?」

 

 

「もうすぐ三分経つんだけどな。呑気にくっちゃべってていいのかって聞いてんだよ」

 

 

目線をいまだに座りこんだまま動こうともしていない和美に向けてくる。平坦な語調は呆れを含んでいるように見えた。視線を向けられた和美がビクリと体を震わせる。ただその眼差しから逃れたい一心で、腰を下ろしたまま後退りし、周囲を囲む棘の一つに腕を突き刺して悲鳴を上げた。浅く切ったその場所から血の玉がプクリと膨れ上がる。それはやがて腕を伝う一筋の流れとなり、地面へと落ちた。自身を抱きしめるように両腕を回し、何度も何度も小さく首を振っている。それはまるでこれから訪れる現実を認めたくないと拒絶しているかのようだった。

 

 

「ちょっ、ちょうまてや!さっきから勝手に話すすめよって!まさか本気でその姉ちゃん殺す気やないやろな!?それに三分てなんや三分て、短すぎやろ!!」

 

 

ヘルマンにやられたのか、随所に傷を負った小太郎が、憤懣やるかたない様子で一歩踏み出す。そのまま中央の舞台に向けて走り出しそうになったところで、警告のつもりだろう、夕映達を囲む棘が一斉に伸びた。頭の上、腋の下、股の間や、指の間にまで、傷つけないように細心の注意がなされた悪意が、何もない空中をえぐっている。もう何度目かもしれない悲鳴が喉にこみ上げてきて、夕映は涙目で口を引き結んだ。そんな彼女たちの様子を見た小太郎が慌ててその歩みを止める。本気・・・だと悟ったのだろう。グッと何かを飲み込んで、彼は奥歯を噛みしめた。

 

 

「ひ、卑怯やぞ、こらぁ!!」

 

 

「うるせーぞ、こんだけ人数いるんだから、三分でも長い方だ。いいか、猿みたいなおつむしてそうだから、もう一回言ってやる。おっさんを殺せ。じゃなけりゃ、この女は・・・ん?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三分経った」

 

 

その細腕に腕時計をつけているわけでもないのに、何で正確に時間がわかるのだろう?

放心状態の夕映の頭に浮かんだのは、そんな事だった。目の前の光景を信じることができない。視覚が脳を裏切り、幻覚を見せているのではないだろうか。今度こそ堪えようもない悲鳴を上げた和美に、すらむぃがゆっくりと近づいてくる。全てがスローモーションのように引き伸ばされていた。口を押えて、涙を流している木乃香。どうすればいいのかわからない様子で視線をそこかしこに彷徨わせている古菲。制止の声を上げるヘルマンと小太郎。そして裏返った声で叫びながら、懸命に手を伸ばしているネギ。誰もがそれを止めようとして、叶わずにいる。

 

夕映は・・・夕映も何もできなかった。目の前を通る死神の鎌をなすすべなく見送ってしまう。拒絶と哀願の視線を無視しながら、すらむぃが紐状に変化した右手を水牢に突き入れる。背後の壁に限界まで後退した和美に、それはそっと接触した。胸の中央、胸郭によって守られたその場所にずぶりと沈み込む。瞬間。和美が白目をむきながらその場に頽れた。支えを失った操り人形のように、力を失った彼女はぐったりと地面に横たわる。瞳孔が開き、だらしなく開かれた口元からは唾液がこぼれていた。水に濡れた前髪が、怪しく目元にかかっている。いつもどこか余裕を感じさせていた彼女の表情はもはや死に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

「きゃあああああああああああああああぁぁぁ!!!!!!!」

 

 

悲鳴が上がる。熱に浮かされたような朦朧とした意識の中で、空白を埋めるかのごとく、ただ言葉の羅列が延々と紡ぎだされていく。意味をなさないその繰り言は、肺の中に残った最後の空気が絞り出されるまで続いた。こみ上げた熱が喉を詰まらせる。ゲホゲホと咳き込んで、目尻に涙が浮かんだ。力を失い体重を支えれれなくなった膝が、ぺたりと床についてしまった。湿った冷たい感触が肌を伝わる。そこでようやく悲鳴を上げていたのが自分である事に気が付いた。

 

 

「あ・・・・・あさ・・・くら・・さん・・・・・・?」

 

 

喉を傷めてしまったのか、しわがれた声が口からこぼれる。涙でかすんだ視界にもう一度和美の姿をとらえた。彼女は一見眠っているようにも見えた。胸を突き刺されたように見えたのだが、外傷の類は一切見当たらない。出血もないし、衣服が破れているわけでもない。湿った制服が肌に張り付いているのでよく分かる。それでも彼女は死んでしまったのだと確信できた。眼球の奥に映る虚が見えてしまっていたから。

 

 

「ハッハハー!!いいねぇ!やっぱりこうでなきゃーなぁ?こんだけ人質がいて、誰も死なないってんじゃ、つまんねーもんなぁ!悲嘆に濡れた悲鳴も慟哭もいいスパイスになってるしよぉ!くくくクッククくけけキャきカキきゃキャけキャ!!」

 

 

喝采を上げながら腹を押さえてすらむぃが笑う。その言葉の意味を無視してしまえれば、愛らしくすらある。邪悪まみれの無邪気な笑い。

 

・・・・・・本物の悪意。夕映はそんなものを初めて見た。

 

 

「あ、あ、ああ、あああ、あな、あなたは・・・ほんとうに?」

 

 

舌がもつれてうまく話せないのか、舌足らずな口調でネギが言った。自分の生徒に起こった出来事が信じられないのだろう。ふらふらと足元をふらつかせている。夕映にはその気持ちがよく分かった。だってあまりにも突然すぎたから。世界が入れ替わったような違和感があった。映画のフィルムに入り込んでしまったような。あるいは夢にうなされているのだろうか。自分は本当はベッドの中で眠りについていて、悪夢を見ているのでは?本当の現実では和美はちゃんと生きていて、普段の退屈な日常がまた始まるのではないのか。しかしそんな浅はかな願望は、あっさりと裏切られた。いまだに笑いの衝動が収まらないのか、口元を厭らしく歪めながら、すらむぃが話し始める。

 

 

「さーて盛り上がってきたところで次のゲームだ。次に死ぬのはだ~れ~か~な~?」

 

 

くるくると回し、夕映達をなぞるように動かした指を止める。

クイズ番組の司会のような仕草で彼女が選んだのは・・・。

 

 

「お前だ、褐色肌。理由はアルアルうるせーから」

 

 

「ひぃいゃぁ」

 

 

細く限界まで引き絞られた悲鳴は、およそ古菲らしくないものだった。涙と鼻水で汚れた顔を恐怖に引き攣らせている。死刑が確定した罪人の気分だろうか。あるいはこめかみに銃口を押し付けられて、無理やり最後の祈りを捧げさせられている哀れな犠牲者か。想像もつかない恐怖が彼女を襲っているのだろう。ネギ達がヘルマンを殺さなければ、数分後に彼女は死ぬのだ。和美の姿をみれば、すらむぃの言っている事が、もはや冗談でもなんでもないのがよくわかる。結果いかんでは本当に古菲は殺されるだろう。

 

 

「すらむぃ・・・きさま」

 

 

「そんじゃ、はじめよう。制限時間は今から二分後だ」

 

 

炯々とした眼光で睨み付けるヘルマンをあっさりと無視して、すらむぃがゲーム開始の合図を送る。その姿にネギと小太郎が制止の声を上げるが、彼女は水壁に寄り掛かり、にやにやと笑うだけで何も答えなかった。

 

 

「ちっ、やるしかないんか・・・」

 

 

「こ・・・小太郎君?」

 

 

「腹くくれネギ。あのおっさんを・・・・・・やらんと、あのガキ、姉ちゃん達をまた殺すで?それでええんか?」

 

 

「で・・・でも・・だからって・・・」

 

 

「・・・そんな顔すんな。俺かてやりたないわ、そんなん。けど、しゃーないやろ。俺らが手ぇ汚さんと、あのガキいく所までいってまう。そうなってから後悔しても手遅れや」

 

 

「うぅぅ・・・」

 

 

「時間がない・・・行くでっ!!」

 

 

覚悟の決まった瞳で、小太郎がヘルマンへと接近する。短い距離で何度もステップを繰り返し、狙いを外しながら距離を潰していく。ただの一度まともに食らっただけで、戦闘不能になりかねない砲撃魔法のような一撃を躱しながら近づくには、こういった小細工が必要になるのだろう。だが・・・そんな警戒は無用だったのかもしれない。先程までなら、矢継ぎ早にすさまじい威力の攻撃が飛んできていたのだが、ヘルマンも勝手が違う戦闘に戸惑っているのか、手を出してこなかった。好機だと思ったのか、小太郎が観客席の一つを蹴飛ばしながら、鋭い跳躍をみせる。一足飛びにヘルマンへと近づくと、全力で殴り掛かった。

 

 

「ま、待つんだ小太郎君!これでは、すらむぃの思うつぼだっ!!」

 

 

「へっ!そんな事はわかってるけどな!人質取られてるんやからしゃーないやろっ!!」

 

 

ヘルマンの忠告を無視し、小太郎が彼の左足に張り付くように移動した。容易に懐に入る事には成功したが、腕の長さ、リーチの違いは如何ともしがたい。ただでさえ体格に文字通り大人と子供の差がある。低身長の小太郎が高身長の相手と戦うなら、互いの息遣いが聞こえるほどの超接近戦に活路を見出すほかない。スピードで撹乱しつつ、相手に距離を取られないように、ぴたりと張り付き、一撃を加える隙を伺う。本来なら体重の軽さは致命的なものであったが、幸いな事に小太郎には気の力がある。急所を狙うことは難しくとも、いくらかやりようはあった。

 

頭部を狙って振り下ろされた一撃を、前に出ることで何とか躱す。じりっと焦げるような音を頭の後ろで聞きながら、小太郎は股の間に小さく丸めた体を滑り込ませた。下側から相手の鳩尾を狙って足を振り上げる。変則的な回し蹴りの形だが、体幹のバランスは崩れていない。極度の集中と特殊な呼吸法で、体内に練り上げた気の力を接触と同時に爆発させる。防御のためだろう。蹴りの軌道上に置いたヘルマンの腕が、軋んだ音を立てて僅かに歪んだ。

 

一般的な成人男性を軽く上回っている体格の持ち主がふわりと体を浮き上がらせる。地面と接していない状態では、まともに受け身をとることもできないはずだ。チャンスに目を光らせながら小太郎は追撃の蹴りを見舞った。足刀が相手の胴にまともに決まる。くぐもった苦悶の声を上げながらヘルマンが客席の一角へと突っ込んでいった。

 

 

「おっしゃー!手応えありっ!」

 

 

小太郎が大げさにガッツポーズを取った。今のは効いたはずだと顔をほころばせる。だが、すぐに表情を引き締めると小太郎は警戒しつつも素早くヘルマンへと近づいていった。あれで勝てるならもっと早くけりがついている。確かに会心の一撃だったが今ので沈むほど甘くはないはずだった。

 

その慎重さが小太郎を救った。ピクリと髪の間で揺れる耳が、標的の息遣いをとらえていた。慌てて急制動を掛けてその場で踏みとどまる。ヘルマンは倒れこんだ姿勢から、バネ仕掛けのように立ち上がると、背中が見えるほど体を捻った。弓のように引き絞られた体が、ギリッと鈍い音を立てる。腕の位置は体に隠れて見えない。それでも小太郎には彼が拳を握っている光景がしっかりと見えている気がした。

 

軸足を支点にくるりと体が回転する。膨大な破壊力を秘めた一撃が地響きを立てながら直進していった。ガリガリと地面を削りながら小太郎に迫る。咄嗟に体を捻ることができたのは、奇跡だったかもしれない。それでも完全には躱すことができずに、わき腹をえぐられる。傷つけられた部分に灼熱が襲い掛かった。小太郎は反射的にあげかけた呻き声をギリギリ抑え込み、バク転の要領で地面に両手をついた。

 

気の力を使って体を押し上げ、ヘルマンから距離をとる。・・・どうやら中途半端なダメージを与えたせいで怒らせてしまったらしい。帽子のつばから覗く瞳が、鈍い怒りをたたえていた。

 

 

「ち、やっぱりあかんか。ネギっ、手を貸せ!悔しいけど俺一人じゃどーにもならん!二人でやらなきゃ・・・」

 

 

「そ、そんなこと言っても・・・で、できないよ!こ・・・殺すなんて!!」

 

 

少年の叫びは、心の迷いを表すように震えていた。体の前で杖を抱き、怯えたように後退る。階段の段差で転びそうになり、慌てて座席をつかんで体を支えた。ネギがうるんだ瞳を小太郎とヘルマン・・・そして壇上で拘束されている生徒たちに向ける。その表情は少年と同じく混乱し、傷つき、憔悴していた。涙を流してはいても、泣き叫んでいないのは、この状況に理解が追い付いていないからなのかもしれない。なぜなら知らないからだ。・・・・に・・・気づいていないから。

 

 

「あほゆーな!!んな事言っとる場合とちゃうやろ!」

 

 

「小太郎君はっ!!・・・小太郎君は、何でそんな風に簡単に割り切れるの?なんでそんなに・・・」

 

 

「割り切っとるわけやない!!そんなわけないやろっ!!頭ん中もぐちゃぐちゃやし終わった後で死ぬほど後悔するかもしれん!せやけど俺はな、俺は・・・自分の都合で迷惑かけた千鶴姉ちゃんだけは・・・死なせるわけにはいかんのや!!」

 

 

「・・・・・小太郎君」

 

 

「お前にまで、受け入れろとは言わん。とどめも俺がさす。せやけど、今は力を貸してくれ。姉ちゃん達を助けるために」

 

 

口元を引き結び、俯き加減で長い前髪に目元を隠した小太郎が、拳を震わせている。ネギはそれを見て小太郎もまた自分と同じように葛藤しているのだと気が付いた。涙腺が緩んでいた瞳を袖口で強引に拭い、大事な杖を肩に担ぎなおす。そして大きく深呼吸をした後、頼りない足取りで、それでも小太郎の隣に並び立った。

 

 

「サンキュな」

 

 

「僕の方こそゴメン。・・・小太郎君の言う通りだ。割り切れなくても、それでも・・・やらなきゃ」

 

 

殺意を向けるには覚悟がなかった。納得するには理由が足りない。信念と呼べるほど強い意志を持ち合わせてもいない。それでも似たような思いはある。ネギは守るべき生徒の顔をもう一度見ながら、口の中だけで呪文を紡いだ。直撃させたとしても、明日菜の力によって、無効化されてしまう。だが、目くらましと牽制くらいにはなる。

 

そんな事を考えつつ、隣にいる小太郎に目配せする。彼はしっかり頷き、ネギの考えを理解したようだった。足の爪先に体重をかけ、重心を移動させる。そして力強く床を踏みきろうとしたその時、呆れた様子ですらむぃが声を掛けてきた。

 

 

「やる気になってるとこ悪いけどなぁ。あと十秒で二分だ。・・・グダグダと余計な事喋りすぎなんだよお前ら」

 

 

「なっ!嘘やろ!?もうそんなにたってたんか!」

 

 

「古老師っ!ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

 

「駄目だ待たない・・・八、七・・・・・・」

 

 

すらむぃが耳の穴を掻きながら一つ一つ数を数える。引き伸ばすことも、早口になることもなく、彼女は正確に秒読みを続けていった。

 

 

 

そして、またしてもあの瞬間が訪れる。

 

 

 

「二、一、ゼロ。んじゃ、あばよ」

 

 

非常な宣言と共にすらむぃは右手を変化させた。ウネウネとしたその動きは海洋生物の触手を思わせる。その部分だけは色を無くした透明であり、水流が直接意思を持ったように自由に軌道を変えている。引き攣ったしゃっくり声が断続的に聞こえていた。

 

嫌々と首を振りながら拒絶している古菲にそれは容赦なく突き刺ささろうとした。その瞬間。猛烈な風切り音と共に、17の風の精霊が空中を飛翔する。収束地点から無秩序に枝分かれしたそれは、様々な角度から標的を捕らえようと直進していく。

 

気配を感じたすらむぃが首だけを回しギョッと目をむいた。そして慌てて明日菜の背後に体を滑り込ませる。ギリギリのところで隠れることに成功したその直後、キーンとした高周波音が鳴り響き、所々に光の帯を残した魔法は一つの例外もなく消滅した。確認するようにそれを見ていたすらむぃがギロリと魔法を放った人物を睨み付ける。そして押し殺した声で唸り声を発した。

 

 

「てめぇ・・・やりやがったな。ガキがぁぁあ」

 

 

明日菜の背中から顔を覗かせ、ネギに怒りの視線を向けたまま、すらむぃが右手を変化させた。そして中断された処刑が再開される。矢のように飛び出した右手が、混乱したままの古菲に突き刺さる。彼女は一度きょとんとした瞳でそれを見つめ、そのまま意識を失い昏倒した。

 

 

「く、古菲さんっ!!」

 

 

咄嗟にその体を受け止めた夕映がくぐもった悲鳴を上げた。脱力した体は異様な重さを持っている。非力な夕映では古菲の体重を支えきれない。二人の少女は、ステージの床に折り重なるようにして転倒した。もつれあったままの姿勢で、何とか脱出しようと試みる。眉をしかめながら懸命に古菲の体から這い出ようとしたその時、彼女と目が合った。

 

古菲は和美の時と同様に、作り物のようなガラス球の瞳で、顔を近づけた夕映の姿を映していた。

 

 

「あ・・・あぁ・・・」

 

 

夕映はぐったりとしたまま、なんの力も感じられない古菲を抱えなおした。空虚な言葉がただ口からこぼれ続ける。暖かい。重ねあった肌はまだ温もりを持っている。しかしそれもおそらく時間の問題だろう。

 

・・・・・なぜならもう”彼女”はここにいないから。

 

 

「はい、二人目完了。邪魔が入っちまったが、まぁだからなんだって話だな。こっちには魔法を無効化してくれるありがたい女神がいるんでね」

 

 

ふざけた調子で両手を組み合わせたすらむぃが、明日菜に向かって祈るような仕草で膝をつく。キラキラと瞳を輝かせ、愛してるぜ女神様などと呟いていた。

 

 

「で・・・次に行きたいところだけど。その前にだ、俺の処刑を邪魔しやがった事へのペナルティーを科さないとなぁ」

 

 

「・・・え?」

 

 

呆然としたまま成り行きを見守るしかなかったネギに、追い打ちがかかる。

 

 

「そうだな・・・おまけでもう一人殺そう。うん、そうしよう。それじゃ、あのクソガキのせいで死んじゃう、かわいそうな女の子は誰かな~」

 

 

すらむぃが語尾に星でも付きそうな口調で次の犠牲者を選んでいる。ステップを踏みつつ夕映達の前を通り過ぎ、やがて彼女が歩みを止めたのは、刹那が捕らえられている水牢の前だった。

 

 

「こいつだ。たまには別の檻にいるやつにしないとな」

 

 

「いっ、いやああああああああああああああああぁぁぁ!!!」

 

 

すらむぃを目で追っていた木乃香が金切り声を上げる。思わず耳を塞いでしまいたくなるほどその声は大きく、そして悲哀に満ちていた。神の奇跡などない事を悟った狂信者のように、末期の息を吐いて死にゆく者の最後を看取る家族のように。或いは全財産を賭けて挑んだギャンブルに惨敗した者の末路のように、彼女はとうとうそれを知った。

 

行き止まり。どん詰まり。袋小路。終局。終幕。全ての果ての果て。

行き着くところまで行き着いてしまった者が感じる最後の感情。

 

それは・・・絶望といった。

 

髪を振り乱し、錯乱したかのように両手を水壁に叩きつけた木乃香が必死にすらむぃに懇願する。

 

 

「いやぁ!いややぁ!お願い、お願いします!!せっ、せっちゃんを、せっちゃんを、殺さんといてくださいっ!!」

 

 

「え~どうしようかなぁ。オイタしたガキにはお仕置きしなきゃなんないしな~。・・・まぁ・・・でも、そこまで言うなら考えてあげない事もねーぞ」

 

 

「えっ!?・・・ほ、ほんとうですか!?」

 

 

「ああ、そうだ。だから・・・・・・・代わりのやつ選べ」

 

 

どす黒く、どこまで行っても見通すことのできない闇を宿した二つの穴が、木乃香を見ている。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

 

「だ・か・らっ!お前の大事なせっちゃんの代わりに死ぬやつを選べっつってんだよ」

 

 

極上の料理の前で、食欲を抑えきれないようにすらむぃが舌なめずりをする。

彼女がどんな選択をするのか楽しみで仕方がないといった様子だった。

 

 

「ま、待ってください!そんなの、そんなの選べるわけないやないですかっ!!」

 

 

「あっそ。だったらべつにいいよ。こいつ殺すから」

 

 

これ見よがしな態度で、変化させた腕を眠っている刹那に突き付ける。

 

 

「やっ、やめてっっ!!」

 

 

「なら、とっとと選びなよ。・・・こっちも暇じゃないんでね。あと十秒やるから、その間に決めな」

 

 

「そ、そんな・・・」

 

 

木乃香が泣きながら縋り付くような目ですらむぃを見ている。しかしそんな事はどうでもいいとばかりに、無情なカウントダウンは開始された。木乃香がおろおろと辺りに視線を彷徨わせ、指で自らの髪を引き抜くように梳いている。

 

どうしよう。どうすれば。そんな感情が明確に見え隠れしていた。両手の爪で皮膚が破けそうになるまで、露出している腕を掻き毟る。呼吸はたった今まで長距離走をしていたかのように荒く乱れていた。

 

そして・・・じっと刹那の顔を凝視していた木乃香が突然背後を振り向いた。血走った目を夕映と合わせる。

 

お互いの間を息が詰まるような緊張感が漂った。両者とも一歩も動けない。身動ぎ一つすることができない。金縛りにあってしまったかのごとく、瞬きすらもできずに眼球が乾いていく。今この瞬間だけは、その世界に夕映と木乃香だけがいた。真っ白な空間。静寂。そんな時間が永遠に続いていくのだと、頭の中でそれだけを確信していた夕映だったが、現実の世界で、時計の針は変わらず時を刻み続けていたようだった。

 

・・・あと数秒。最後の時を数える声が聞こえる瞬間。木乃香は何もかも諦めたように目を伏せ、そのまま泣き崩れた。

 

 

「ゼロ」

 

 

淡々と・・・淡々とその言葉を発したすらむぃが、白けた態度で半眼を木乃香に向けた。取るに足らないくだらないものを見る目付きで、嘆息する。

 

 

「ま、そんなもんだよな」

 

 

慈悲も容赦もなく、遠慮も戸惑いもなく、躊躇も狼狽もなく、ただ静かにすらむぃが言葉通り刹那にそれを突き入れた。

 

 

 

木乃香の慟哭が響き渡った。

 

 

 

「あは、あはは、はははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 

 

狂っている。その凶笑を見ながら夕映が思った事は、ただそれだけだった。雨の中を幼い子供が笑いながらクルクルと回っている。瞳を凶悪に吊り上げ、口を裂けるくらいに開いて哄笑している。楽しいのだと、愉悦を感じるのだと、心の底、魂の奥深くから、感情の赴くままに殺人者が破顔している。夕映は古菲の体をギュッと強く抱きしめた。そして悲しくなって目を伏せた。

 

 

・・・・・彼女の体は、やっぱり少しだけ冷たくなっていた。

 

 

「ひはははははははははははははははははは、うあははは、くっくはあはははは!!いやーいいね!やっぱりいい!まー俺もよく覚えていないんだけど、こういうのは、たぶん久しぶりだからさー。脳内麻薬がすげーよ!もうちびっちまいそーだ!かはははははははは!おい小娘、どんな気分だ?大事なお友達が死んじまったのはよ~。くはは」

 

 

すらむぃが床に頽れたまま号泣している木乃香に、煽りながら話しかける。笑いすぎて呼吸困難を起こしたように言葉を詰まらせながら、それでもその行為をやめない。夕映は何もできずにその光景を見続けた。感情が枯れ果てて、何も浮かばなかったからだ。

 

 

・・・・・・・その時。

 

 

「すぅらぁぁぁむぅうううううううういぃぃぃぃぃっ!!!」

 

 

怒号が聞こえた。

般若の形相で絶叫したヘルマンが突然その姿を変貌させる。筋肉が膨れ上がり、骨格が歪む。紳士然とした表情が浮かんでいた場所は、つるりとした凹凸の少ない仮面のようなものに変化していた。後頭部から左右に長い角が生える。歪に捻じ曲がったそれと共に、背中からは蝙蝠のような羽が、そして臀部には長い尻尾が生えた。両手の先に鋭い鉤爪がついている。両目があった部分には、瞳をくりぬいて眼窩をさらしたような穴があり、鋭角に尖った牙のような上顎と下顎の間から怪しい輝きがこぼれていた。肥大した体積はあるべき場所に収まり、一つの形を作り出す。その異形の存在、それは見る者にある空想上の生物を連想させる。

 

 

古来より人はそのような存在を・・・悪魔と呼んだ。

 

 

「がああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

雄叫びが全方位に響き渡る。

 

 

「げっ、やべぇ!あのおっさん切れやがった!おっ、おいっこら!下手な真似しやがったら人質は・・・」

 

 

その台詞を最後まで言わせずに、悪魔はその体躯に宿る力を限界まで使用し、盛大な音を立てて大地を蹴った。爆発物が起爆した後のような被害を踏み抜いた足元に残し、恐怖をかきたてる姿のそれが凄まじい速度で疾走する。そして、体勢を立て直し、夕映達に水の槍を突き立てようとしていたすらむぃの前に、素早く舞い降りた。ほとんど視認できないほどの速さで彼女の細い首を締め上げ、宙吊りにさせる。抵抗するようなら一切の容赦はしないと、空いている方の鉤爪を突き付けながら悪魔は言った。

 

 

「・・・残念だ。本当に残念だ。なぜ・・・なぜこんなことをしたんだ・・・すらむぃ」

 

 

大型の肉食獣が威嚇するかのような唸り声を上げる。喋りやすくするためだろう、僅かに締め上げている力を弱くして悪魔は自分の部下に尋ねた。

 

 

「・・・へっ・・・へへへ・・・そんな事は決まってるだろ?やってみたかったからさ。退屈でつまらない仕事でも、こういう潤いがあれば楽しくできるだろ?あんたはそうじゃないのか?悪魔さんよ」

 

 

「・・・・・・わたしは・・・・・」

 

 

挑発的な視線で質問を返したすらむぃに、結局ヘルマンは何も答えなかった。心底がっかりとした表情で顔を背けたすらむぃが、苦いものを飲み込んだ様子で眉をしかめて小さく舌を出す。ヘルマンはそれを見つめ、ため息をついて首を振る。そして何かを諦めたように言った。

 

 

「・・・君を許すわけにはいかない。ここまでやってしまった以上、けじめはつけてもらう」

 

 

「ハッ!!けじめときたか。どこまでも悪魔らしくないな。あんたはよ」

 

 

「・・・何か言い残すことはあるかね?」

 

 

その言葉を聞いたすらむぃが悩む様子で眉根を寄せる。

そして、空を見上げながら、言葉を発した。

 

 

「それじゃ、お言葉に甘えて一つだけ」

 

 

ニコリと天使のような微笑みを悪魔に向けて・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束の時だ。役目を果たせ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意味の分からない言葉を口にした。

 

 

 

疑問に思ったヘルマンが、どういう意味かと尋ねようとしたその時、とんっ、といった軽い衝撃と共に微かに視界がぶれた。背中に何者かの体温を感じ、驚いて振り返る。

 

そこには何故かすらむぃの檻に囚われているはずの一人の少女がいた。長めに伸ばした前髪から、虚ろな瞳が片方だけ覗いている。水に濡れて張り付いた制服を、肉付きの薄い体に纏わせ、風が吹いただけで倒れそうな頼りない足でひっそりと立っていた。半袖のため、むき出しの両腕が肌寒そうに露出している。そして作り物のような無表情で、艶を失った唇を僅かに震わせた。

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

少女、宮崎のどかはただ一言、謝罪の言葉を口にした。

 

 

 

突然、燃えるような熱がヘルマンの背中を襲った。先程衝撃を感じた部分に、何かが刺さっている。首と背中を限界まで捻り、彼はそれを確認した。それは一振りの小さなナイフだった。地味なデザインは決して華美な印象を与えるものではない。装飾の類は最低限に省かれ、観賞用とはとても言えない。そのくせ戦闘に使われるとは思えないほど、全体のバランスは歪だった。まず柄が短すぎる。あれでは取り回しに苦労するだろう。グリップ部分は凹凸がほとんどないほど平坦であり、滑り止めが付いているわけでもない。鍔は不自然なほど長く、途中で柄の方に奇妙な形で捻じ曲がっていた。僅かに覗く刃元は何故か血のような深紅であり、そこには、サバトで使われる呪物のような、瞳を表す文様が描かれたいた。そんな奇妙なものが、ヘルマンの背中に刺さっている。

 

・・・とはいっても、所詮は少女の非力な力で押し込んだものに過ぎない。刃はほんの少し肉を抉って浅く刺さっているだけだ。痛みは全くと言っていいほどないし、血が出ているわけでもない。なぜあの少女がこんなことをしたのかという疑問が脳裏をかすめたが、ヘルマンはとにかくそれを抜こうとナイフに手を掛けた。

 

 

結局、最後まで彼は気づけなかった。何故、非力な少女の力で、ほんの少しでも悪魔の頑強な肉体に傷をつけることができたのか。その疑問を解消する機会を永遠に失ってしまった。

 

 

柄を握りしめ一気に引き抜こうとしたその瞬間。例えようもない違和感が思考をかき乱した。強烈なめまいが襲い掛かり、平衡感覚をかき乱す。立っている事さえできなくなって、ヘルマンはがくりと膝をついた。

 

そして、悲鳴が上がった。恐れを多分に含んだそれは、およそ生物が発するようなものではない。意識が天空に突き落とされ、地上に向かって飛び立っていく。バラバラに零れ落ちるパズルのピースのように”ヘルマン”という存在が猛烈な勢いで欠けていく。視界は閉ざされ闇に放り投げられる。精神と肉体に決定的なズレが起こっていた。自分という魂が脆弱になっていく感覚。弱り、衰え、朽ちていく有様。もはや恥も外聞もなく、彼は縋り付くように自分を抱きしめ絶叫を上げた。

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

「う~ん、いい悲鳴だ。よくやった、のどか」

 

 

同じ言葉が延々と滑り落ちていく。消失はとどまる事を知らずにヘルマンという人格を壊していく。記憶が再生され、破壊される。その揺り籠の中、なぜか頭に響く声だけはクリアに聞こえた。

 

 

「楽しんでるか?壊れていく感覚を。この体はなかなかいいぜ。やっぱり同じ”悪魔”だからかね」

 

 

「ああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁっぁぁぁぁああああぁぁ」

 

 

「まぁそうはいっても、俺以外の意識はやっぱり邪魔だから、同じ悪魔といえど消えてもらうんだがな」

 

 

「あ・・・ああああ・・ああ・・・・・・・あああああああ・・・」

 

 

「結局おまえは何がしたかったんだ?大げさに人質取って、ネギ・スプリングフィールドの魔法を封じて、そのうえで本気の力試しなんて、矛盾してると思わなかったのか?

本気で戦いたいなら小細工なんて抜きでやりゃあいい。どれだけ脅威になるか調べろ?

馬鹿が。邪魔になるっつーなら容赦なくぶっ殺しちまえばいいじゃねーか。なんかずれてんだよなぁ、おまえら」

 

 

「ぁ・・ぁぁぁ・・・・・ぁ・・・・・・・ぁぁ・・・・」

 

 

もはや自分が何であるのかさえ分からなくなってきたその時、その声は、”ヘルマンの口”で”ヘルマン”に最後の言葉を告げた。

 

 

「それじゃ、あばよ。おまえは”魔”を冠するにはぬる過ぎる。続きは俺がやってやるから。まぁ、地獄で楽しくやんな。・・・つってもおまえ、悪魔らしくないから行くのは天国かもしれないがね・・・」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンはその意識を消滅させた。

 

 

・・・永遠に。

 

 

「・・・さて、と」

 

 

膝をついたままの姿勢で蹲っていた悪魔が、ゆっくりと立ち上がりながら、グッと伸びをした。体の動きを確認する様子で、首や手足を動かしている。しばらくそんな事を繰り返していた悪魔だったが、やがて納得がいったのか、ストレッチを止めると表情がうかがえないその顔を、自分の足元に向けた。そこにはすらむぃが首をさすりながら、ニヤニヤと笑いつつ立っている。二人は互いに顔を向けあい、そして言った。

 

 

「やあ、俺。体の調子はどうだい?」

 

 

「やあ、俺。やっぱり排気量が大きいと最高だな。スピードメーターがぶっ壊れそうだぜ」

 

 

首をゴキリと回し悪魔が答える。そして、何が起こったのかいまだに理解できていない面々に向かって、貴族風の丁寧な仕草で挨拶した。

 

 

 

 

 

「初めまして皆様方。俺の名前はベルゼブル。どうかよろしく」

 

 

 

 

 

 

黒い眼窩の奥に鈍い光を宿らせた顔のない悪魔が、厭らしく嗤った。

 

 

 


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