ある人の墓標   作:素魔砲.

12 / 35
12

 

 

一つ、恐ろしい話をしよう。

 

 

横島は、闇に包まれていた。

薄暗く、じめじめとした不快感で精神の奥底が腐敗していくような闇に、体と心が蝕まれている。そこは孤独の極致だった。あるいは人が最後に訪れる終着地だった。横島のほかには誰もいない。孤高を気取る隙間もないほどの絶望の世界。自らの人格は否定され、思考は石へとなりつつある。それに伴い体は一個の固まりになり、内宇宙の神は死滅する。

 

 

そう信じるべきものなど何もない。

 

 

死の願望は甘美な夢へと彼を誘い、神秘は奇跡を起こす事もない。ただそこには静寂があった。そしてそれだけしかなかった。そこには万に一つの進歩もない。時間の流れすら、可逆的なものへと変わってしまっているように思われた。

 

もっとも、そんなことは起こりえない。進んだ時間は未来永劫巻き戻らない。

時計の針はクルクルと回転し続け、失った願いは何一つ取り戻せないのだ。

 

 

 

 

・・・・・自分はもう終わってしまっている

 

 

 

 

狂う事すらできずに、横島は闇を見続けた瞳をそっと閉じた。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

目蓋に光が感じられる。カーテンを閉め切っていないせいだろう。顔の半分が無粋な日の光に照らされているため、熱を帯びている。横島はうめき声を上げながら、夢うつつなまどろみの中で、身体ごとその場所から逃げ出した。もう少しだけこの至福の時間を味わっていたい。掛け布団を両足で挟み込み、顔を押し付けて、くるりと回転する。

 

先日の一件以来、なかなか疲れが抜けきらないのだ・・・・・という言い訳をしてみる。本当はとうに完治している。しばらくは、以前のように頭痛や倦怠感に悩まされたが、それも過去の話だ。あのとんでもない目にあった京都からこっち、何事もなく平和なものだった。

 

ぼんやりとした頭でそんなことを考えつつ、再び夢の世界に戻ろうとしていた横島の耳に、何かが聞こえてくる。とんとんとん、かたかたかた。ひどく懐かしい音だ。聞いているだけで気持ちが落ち着いてくる優しい響き。何かを切っている音だろうか?定期的にまな板を叩く音が聞こえる。カタカタと鳴っているのは、おそらく鍋を火にかけている音。大昔・・・と言えるほどではないが、母親が台所で立てていた音と同じ・・・・・台所?完全には目覚めていない頭の中に疑問が生じた。

 

何でそんな場所から音が聞こえてくるのだろうか?まな板何ぞで何を切っているのか?いや、そもそもこの家にそんな物があっただろうか?まともに自炊が出来るわけでもない自分には、ほとんど不要なものなのに・・・・・。とうとう、味噌汁の匂いが漂って来るようになった時、そこで意識が覚醒した。

 

ぱちりと目を開ける。絡まるように体に巻きついている布団を力任せに引き剥がし、腹筋を使って起き上がる。そのまま視線をキッチン側に向けて、横島は違和感の正体を突き止めた。こちらを背にして誰かが立っている。腰の辺りまである長い髪が日光を受けて天使の輪を作り上げている。狭い空間内を器用に行き来しながら、具材を刻み、火加減を調節し、目分量で味付けをしていた。薄いピンクのエプロン姿が、神々しい。家庭的という言葉を絵に描いた様な姿がそこには存在していた。

 

 

「・・・おキヌちゃん?」

 

 

寝ぼけたまま半分ほど閉じた瞳を向け、あくび交じりの声を掛ける。

間違いなく横島の仲間で、仕事の同僚でもある、氷室キヌだ。元の世界にいるはずの彼女が何故か台所で料理を作っている。横島が目覚めた事に気がついていないのか、お玉で鍋の中身(おそらく味噌汁だ)をすくって味見をしている。満足げに一つ頷きながら、魚でも焼いていたのだろう、焦げ具合を確認していた。食欲をそそる香りが胃袋を刺激する。こちらの世界に来てから、ずいぶんとご無沙汰であった、おキヌの手作り料理の味が舌の上で再現された。自然と唾が出てくる。腹の音も鳴っている。しかし、それでも横島は、なんとなく忙しそうに動いている彼女の姿を、しばらくの間見つめていた。

 

 

(あぁ、やっぱり、ええなぁ。何ちゅーかこう、やすらぐとゆーか・・・ここ最近ろくな目にあってなかったからなぁ。こーゆーほのぼのとした感じが心にしみるよなぁ)

 

 

てきぱきと効率のよいその動きは、熟練の技を感じさせる。彼女の場合は身体年齢と実年齢にけっこうな差があるので、驚くには値しないのだが。こちらに来る前までは、横島もよくお世話になっていた。料理がうまいだけではない。家事全般が得意な家庭的な女の子であり、控えめで優しい性格もあいまって大和撫子という言葉が頭をよぎる。巫女服姿がよく似合う清純派の美少女というところもポイントが高い。大抵の男が嫁さんにしたいタイプの女性だと言える。

 

 

(そーだよなぁ、美神さんじゃなくて、おキヌちゃんが俺の上司やったら、有無も言わせず異世界なんぞに叩き込んだりしないよなぁ。最近全然疑問を感じなくなっちまってたけど、こんな調子で美神さんの所に居続けて、今までの元が取れるんか?あのクソ女が俺になびくとは到底思えんのだが・・・。いくらいい女だからって、このまま犬みたいに女王様の命令に、ただ従っていたとしても、いい思いなんか絶対できん。ここはやっぱり高校生は高校生らしく、同じ高校生同士で清い交際ってやつをやるべきなんじゃないか?・・・・・・・おキヌちゃんが相手だと、いまいちそれ以上の行為が、うまい事考えられんが、まぁそこらへんは時が解決するはずや。よし、決めた。こーなったらもう、おキヌちゃんでいこう!」

 

 

布団の上に胡坐をかいて、腕を組みつつ思い悩んでいた横島が突然大きな声で決意表明した。因みに本人は、それを頭の中で行っているつもりなのだが、当然のように口に出していた。

 

 

「・・・こーなったら・・・・・で・・・いこう・・・?」

 

 

したり顔でうんうんと頷いていた横島の頭上から、押し殺した声が聞こえてくる。

台所に立っていたわけだから、なんら不思議な事ではないのだが、潤んだ瞳を半分ほど前髪に隠し、プルプルと震えながら包丁を持っているその姿は、控えめにいっても恐ろしい。いいタイミングで太陽に雲がかかったのか、台所に薄暗い影が生まれている。

 

 

「あぁっ、しまった。声に出てたぁぁぁ!」

 

 

その後・・・・・。

拗ねてしまった彼女の機嫌を取りつつ、どうにか許しをもらい、食事にありつけたのは、十分程たってからの事だった。

 

 

(危ない、危ない。いい加減思った事を口に出す癖は何とかせにゃならんな)

 

 

そういう場合のほとんどが、人に聞かせたくない想像をしている時だったりするので、厄介なのだ。心の中で一応反省してから、パリッと香ばしく焼けたアジの開きを、炊き立てのご飯の上に乗せて、一気に頬張る。ふっくらと炊き上がった白米の食感と、熱々に焼けたアジの旨みが口の中で唾液と一緒に混ざり合う。奥歯を使って豪快にかみ締め、飲み込みながら、茶碗片手に次々と料理を口に放り込んでいく。若干薄味に感じられる味噌汁の味は、その分出汁がしっかりととられていて、横に添えられているキュウリの漬物との相性が抜群だった。くどく感じさせない絶妙な甘さの卵焼きも、以前食べた時のままで、箸を動かす手が止まらなくなってしまう。湯飲みに注がれた玄米茶を一口すすり、焼き海苔をご飯に乗せて、再び料理の攻略に挑んでいく。この家にあるはずもない綺麗な皿に盛り付けられた、味がしっかりと染み込んでいる煮物は、わざわざ向こうの世界から持って来てくれたのだろうか。とにかくここ最近味わう事ができなかった、最高の朝食が横島の目の前に存在していた。

 

 

「こらうまい!こらうまい!」

 

 

口の周りにご飯粒をつけたまま、素直な感想を口にする。

素朴で家庭的な味わいは、ほとんど一人暮らしの横島が最も欲していたものでもある。

こちらの世界に来てから同居しているジークは、まともな食事を取っているとは言いがたく、いつも、味気ない栄養調整食品か、そうでなければ、見た感じ全くうまそうには見えない軍用食のようなものを食べている。

 

一度ためしに食べてみるかと勧められた事もあるのだが、全力でお断りした。

バランスが取れた健康食だろうがなんだろうが、あれを食うくらいなら、多少健康に悪かろうが、カップラーメンの方が遥かにましだった。なんというか、魔界製というだけで、遠慮したくなるのである。一瞬脳裏に浮かんできた映像を、すぐさまシャットダウンし、ひたすら無心で、眼前の料理に没頭していく。これ以上余計な事を考えながら食べるのは、よくない結果を生み出しそうだった。

 

最終的に炊飯器の中身まで綺麗に空にして、満足げに箸を置いた横島は、ご馳走様と笑みを浮かべながら、料理を作ってくれたおキヌに礼を言った。微笑を浮かべ、お粗末さまでしたと言いながら彼女がお茶のおかわりを注いでくれる。ありがたくそれを受け取り、湯飲みに息を吹き付け冷ましながら、食後のお茶をゆっくりと味わう。購入した覚えもないので、これも元の世界から持って来てくれたのだろう。ついでに言えば急須もそうかもしれない。そこまで考えて、今更ではあるが、彼女がここにいる理由を尋ねる事にする。

 

 

「そういえば、何でおキヌちゃんがこっちにいるんだ?学校があるから来れないんじゃなかったっけ?」

 

 

「今日は日曜日でお休みでしたから。・・・シロちゃんやタマモちゃんに色々お話も聞いていたので、気になっちゃって」

 

 

どうもこの間の京都の一件で、横島の事が心配になり、わざわざ顔を見に来てくれたらしい。美神からも様子を見てくるように言われていたので、仕事も一日休みをもらったのだそうだ。

 

 

「美神さんも心配してましたよ?」

 

 

「それ本当?あの美神さんが?こっちの人間の前で霊能力使っちまったから、報酬減らされて怒ってるんじゃ・・・」

 

 

結局、報告書には事実をあるがまま記載して、美神に提出されているはずだ。

消耗していた横島は京都から帰ってくるなり、気絶するように眠りについてしまったので、それからの事をほとんど知らない。事後処理についてはタマモとジークがやってくれたらしいが、連中は偽りなくそのまま美神に報告したらしい。悲の心はないのかと、問い詰めたいものだが、タマモはとっくに向こうの世界に帰ってしまっていたし、ジークも今は魔界に行っている。報告のついでに、魔力を補充してくると言っていた。

 

いかに省エネモードとはいっても、霊力のない世界での長時間の活動には限界があるのだそうだ。文句を言うまもなく二人ともいなくなってしまったので、その後の美神の様子を聞き出せなかった。下手をしたら自分は彼女に殺されるのではないかと、戦々恐々としていたのだが・・・。

 

 

「大丈夫ですよ。ジークさんも状況的に仕方なかったって美神さんに言ってました。美神さんもある程度の減額は承知の上だったみたいで」

 

 

話を聞くと、どうも多少の損失を、計算に入れていたらしい。

金に関しては、とことん汚い美神らしくない。何しろ彼女からしてみれば、ないに等しい横島の給料にまでこだわる人なのだ。今回の依頼でいくらもらうか、正確な額を知らされている訳ではないが、異世界なんて所で魔族と戦う仕事だ。依頼主が、いまいち金の価値を理解していないと思われる魔族である事をかんがみても、途方もない金額であるはずだ。その損失額も桁外れなのではなかったのだろうか。横島が気になっておキヌに尋ねると、彼女は苦笑を浮かべながら、それも計算の内だったみたいで・・・と言った。

 

どうやら美神は、この依頼を無傷で終わらせる事の困難さに初めから気付いていたらしい。標的が何処にいるのかも分からないから積極的にこちらから仕掛ける事ができない。状況的に対象の魔族が現地の人間を襲うのを事前に食い止める事は難しい。

 

事が起こった後に何とか対処するのが関の山だろう。そうなれば当然取れる手段も限られてくる。横島をこちらに送ったのは、美神自身が事務所を長期間離れられなかったからだが、文珠という汎用性の高い能力を持っている事も理由のひとつだった。

 

だがそれにも限界があるだろう事は容易に想像がつく。何度かはうまく対処できるかもしれないが、それが長続きするとも思えない。そう考えた美神は、ワルキューレとの契約の段階で、現地の人間に霊能力が発覚した場合の報酬の減額について、かなり綿密な交渉を行ったそうだ。なんでも、何事もなく速やかに任務を達成した場合、魔族一体につき通常の料金とは別に成功報酬が上乗せされるのだとか・・・。その他、減らされる金額自体も、当初想定されていたものより、かなり抑えられたらしい。

 

 

「それでも、もらえるお金が減るのは、胃がきしむみたいに嫌だけど・・・って言ってました」

 

 

「さすが美神さんや・・・隙がない」

 

 

どうやらこちらが考えている以上に、彼女は上手だったらしい。

無事に済みそうなので、よかった事はよかったのだが、そんな事ならもっと早く教えてほしかった。ここ最近の夢見の悪さをどうしてくれる、と思わないでもない。まぁ胸のつかえが取れた事にはかわりないのだが。

 

 

「・・・まぁいいか。それじゃあ、おキヌちゃんは今日いっぱい、こっちにいれるの?」

 

 

「はい。お邪魔じゃなかったらですけど」

 

 

「邪魔なわけないって。でもこっちこそいいのか?貴重な休日だってのに」

 

 

「横島さんがいる世界ってどんなのかなって興味もありましたし、あっ、お掃除とお洗濯もやっておきますね」

 

 

食器を片付けながら、おキヌが言った。

掃除?・・・・・そう言われて横島は室内を見渡す。そこには向こうの世界の自室とほとんど変わらないほど薄汚れた光景が広がっていた。脱ぎ散らかした衣服や、食べたままそこらに放置しておいたカップ焼きそばの容器。空き缶やゴミ箱までが横倒しになっている。横島のすぐ目の前に、片方しかない靴下が丸まったまま転がっている。

 

思わずこめかみから一筋の汗が滴り落ちる。きっぱりと年頃の娘さんを招き入れるような状態ではない。まぁ、おキヌは横島の部屋の惨状をよく理解しているので、驚いてはいないし、嫌悪しているわけではないようなのだが。問題はそこではないのだ。

 

こちらの世界に来てから生活費をジークが負担していたので、食費など一切気にする事がなくなり、無駄遣いも増えていた。向こうにいる間は生きていくための最低限の金が必要不可欠だったが、今は多少の無理がきく。だからといって貧乏性の横島は、むやみに外食をするような人間ではないのだが、命の心配をしなくてよいのは間違いない。しかし腹が満たされれば、別の欲求が芽生えるというのが人間というものだ。つまり何が言いたいかというと・・・・・。

 

 

この部屋にはエロアイテムが散乱しているのである。

 

 

しかも、向こうの世界の時と比べて、他人が見ればちょっと引いてしまう類のものが・・・・・。

 

 

全てはDVDプレーヤーが悪いという事ははっきりとしている。

実に充実したラインナップがこの部屋にはあったりするのだ。額に滲んでいた汗が嫌なものに変わる。幽霊の時とは違い生身のおキヌちゃんに、あれを見られるわけにはいかない。グラビア系のアイドル雑誌などとは訳が違うのだ。実は今気がついたのだが、さっきまで彼女が座り込んでいた座布団の下にたしか女子高生ものがあったような・・・。

 

 

「いっ、いやーそんなのしなくてもいいって!せっかくおキヌちゃんの休みだってのに、俺の部屋の、そ、掃除なんかで潰しちまうわけにはいかないし」

 

 

「そんな、気にしなくてもいいですよ。すぐにやってしまいますから」

 

 

「ちょーっ!!まっ、だっ、大丈夫だから、そ、それより、外に出かけよう。て、天気もいいしさ。俺がここら辺案内するから・・・」

 

 

食器を片付け終えたおキヌが、座布団に手をかけたのを見た横島が、慌てて彼女を制止する。今は運よく気付かれていないようだが、もし事が発覚したらえらい事だ。いかに横島でも羞恥心というものはある。特におキヌのような娘が相手では、この手のセクハラは気が引けてしまう。とにかく彼女の意識を逸らさなければならない。

 

 

「い、急いで着替えちまうから、先に外で待っててくれ、すぐ行くからさ」

 

 

「?・・・わかりました」

 

 

釈然としない様子で首をかしげながら、おキヌは言われた通りに部屋の隅に置かれたショルダーバッグを手に取って、部屋を出て行った。その後姿を見送りながら、横島は安堵の息をついた。ぐいっと袖で額の汗を拭う。・・・・・とりあえず時間は稼いだ。いまだ予断を許さない状況ではあるが、とにかく当面の危機は乗り切れた。

 

真剣な表情で、座布団の下に敷かれたDVDを回収する。それをとりあえず押入れの中に叩き込み、着替えを始めた。本当なら、今のうちに部屋中の危険物を除去しておきたい所だが、おキヌを待たせたままという訳にもいかない。出かけている間に何らかの策を考える必要があるだろう。いつもの服に袖を通し、ぎゅっと拳を握り締めながら、横島は過酷なミッションへと挑む決意を新たにした。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

何とか無事に部屋を脱出する事に成功した横島だったが、その後は別段何事もなく穏やかな時間が過ぎていった。適当に辺りを散策しながら、色々な店を見て回る。この麻帆良の地は学園都市というだけあって、学生が好むような施設が結構な数存在しているし、ちょっとした観光にはうってつけの場所でもあった。町並み自体も洋風でこじゃれた印象を見るものに与え、鐘楼や、ばかげた広さの図書館島、世界樹と呼ばれる巨大な神木等、一日で見て回るには大変なほど、面白そうな場所がいくつもある。

 

ここ最近の日課で霊力探知機を持ちながら色々と見て回っていたので、ある程度何処に何があるかは把握している。いちいち解説できるほど、この土地に詳しいわけではないのだが、散歩がてらのちょっとした道案内ぐらいはできるのだ。さまざまな場所を見て回り、歩き疲れれれば、学生が集まるコーヒーショップや公園で休憩しながら、互いの近況を話し合った。といっても、横島には話す事があまりないので、もっぱら向こうの世界の話を、おキヌに聞かされていたのだが。

 

 

例えば、横島に散歩に連れて行ってもらうために、シロがこちらの世界に来たがっている事や、小笠原エミや六道冥子といった商売敵の話。ドクターカオスがくだらない発明品を美神に売りつけに来て、あっさり追い返された事。唐巣神父が空腹でまた倒れた事、横島の代わりで学校に通っているドッペルゲンガーの話や、おキヌのクラスメイトの話などなど。相も変わらず賑やかな面々が美神の周りで騒動を起こしているらしい。

話を聞くだけでそれらの光景が目に浮かんでくる。なんというか、どいつもこいつも変わりなく結構な事だ。

 

多少げんなりとしながら、それでもなんとなく懐かしさを覚えて、彼女の話を聞いていく。すると、お互い時を忘れて話し込んでいたので、だいぶ時間がたってしまったのか、いつのまにか日がかげりを見せ始めていた。いつまでも彼女を、こちら側に引き止めておく訳にもいかないので、少々早いがそろそろ部屋に戻る事にする。ついでに、いつも利用している近所のスーパーで夕食の食材を買い込んでから、帰宅する事になった。夕飯は横島の好物を作ってくれるらしい。それを聞いて嬉しそうな彼の様子に、おキヌは優しい微笑を浮かべた。

 

 

横島がカートを押しながらおキヌが食材を選んでいく。

傍から見れば夫婦のような二人だったが、当人達はまったくそんな意識もなく談笑しながら買い物を続けていった。いつも食べているカップうどんが、安売りしているのを見た横島が、自然と手を伸ばしそうになって、慌てて引っ込める。せっかくおキヌが料理を作ってくれるのだ。今日のところはインスタントから脱却しなければならない。強引にうどんから視線を引き剥がして、店内を見回っていく。こちらの世界に来てから、こんなに穏やかな気持ちになったのは初めてかもしれない。そんなことを考えつつ、ただおキヌの後ろついて行くだけだった買い物も終盤に差し掛かる頃。

 

生鮮食品コーナーに真剣なまなざしを向けたまま動かなくなってしまった彼女に、若干の手持ち無沙汰を感じていた横島が、ふと、何か自分の心に引っ掛かりがある事に気がついた。違和感・・・と言ってもいい。あるいは焦燥感だろうか・・・むずがゆく、手が届きそうで届かない感覚。横島本人にもよく分からない、奇妙なささくれが心のひだを突いている。レジを通し、清算を済ませ、買い込んだ食材を、袋に詰め込んでいく段になって、そののもやもやは徐々に加速していった。

 

 

・・・・・何だろう・・・自分は・・・何か大切な事を忘れている気がする。

 

とても重要で、やらなければならなかったことがあったような・・・・・・・・・。

 

 

自分も荷物を持つと言うおキヌの言葉をやんわりと遮り、すべての袋をぶら下げた横島は、なんとなくざわめいている心を落ち着かせるようにして、ゆっくりと歩いていく。

何かを忘れているのは確かなのだ。そこはかとなく重大な問題だったような気がしないでもない。それでも具体的な内容が頭に浮かんでこない。おキヌと一緒に自分の部屋へと向かっている途中、どうにかして忘れている事を思い出そうと頭を悩ませていると、そんな彼の目に止まるものがあった。それは道のはずれにある、一軒のコンビニだった。

 

出口付近から菓子パンを咥えた男が、袋から雑誌を取り出しつつこちらに向かって歩いてくる。・・・別にその男自身に注意を引かれたわけではない。しかし何かが横島の心に触れた。咥えているのはやきそばパンだろうか?飲んでいる缶コーヒーもありふれたものだ。脇に抱えているのは漫画雑誌の類か、表紙でグラビアアイドルが笑顔を浮かべている。

 

 

・・・・・グラビア・・・アイドル?

 

 

何かが引っ掛かり、もう一度その言葉を心の中で唱えた瞬間、電撃にうたれたかのように、横島の脳に衝撃が走った。唐突に朝の出来事が脳内で再生されていく。何でこんな重要な事を忘れていたのだろうか。部屋に散乱している危険物は何一つ処理されていないではないか。このまま和やかに部屋に戻っても、あのブツが発見されれば、急転直下の結末がまっている。

 

あ、あかん。・・・すっかり忘れとった。

疲れから来るそれとは違う、焦りから来る嫌な汗が再び額に滲んでくる。出かけているうちに何とか作戦を考えるつもりだったというのに、まったく何にもこれっぽっちもいい考えが浮かんでいない。

 

視線は落ち着きなくふらふらと周囲をさまよい、体の動きもぎこちなくなっていく。

自然と歩みの速度も遅くなり、前を歩いているおキヌとも距離が離れていった。

 

 

「どうしたんですか?横島さん」

 

 

その事に気がついたおキヌが横島を不思議そうに見つめてくる。

 

 

「い、いや、なんでもないよ。うん、なんでも・・・・・」

 

 

明らかになんでもないわけがない様子であたふたと慌てている横島に、おキヌは体調でも崩したのかと気遣わしげな視線を向けた。視線が定まらず、小刻みに体が震えているように見える。脂汗で額が光っているのは気のせいなどではあるまい。おもえば、異世界に出張だと聞かされ、事務所で横島の姿を見なくなってから、おキヌはずっと彼の事を心配していた。いつもそばにいるのが当たり前だった横島が、突然姿を消してしまった事で、なんとなく不安な思いをしていたのだ。任務自体も大変なものだと聞いていたし、実際京都では、相当な無理をしたらしい。何かのきっかけで、具合が悪くなったのだとしてもまったく不思議ではない。そう考えたおキヌはとりあえず横島が持っている大量の荷物を、自分が引き受ける事に決めた。

 

 

「横島さん、気分でも悪いんじゃないですか?とにかくその荷物を貸して下さい。私が持ちますから」

 

 

「へっ!?・・・い、いや違うんだ。全然元気だって。そ、それよりおキヌちゃん。お願いがあるんだけどいいかな?」

 

 

おキヌに顔を見られないようにしながら、頼みごとをする。どうにかして彼女を、暫くの間だけでも足止めしなければならない。そして自分だけいち早く部屋へと戻り、ブツを回収し、おキヌの目の届かない所へと片付けてしまわなければ・・・。

 

本心から自分を心配してくれているであろう、おキヌを騙すようで心苦しい思いはあるが、これもお互いのためだ。せっかくのおいしい夕食なのだ。できる事なら平穏無事にすませたい。そんなことを考えつつ、何か都合のいい言い訳を考えていた横島だったが、どれだけ見回しても、それらしい理由になりそうなのは、コンビニくらいしかない。横島の頭では、あそこで彼女に適当な買い物を頼み、時間を稼ぐくらいしかとっさに思いつかなかった。

 

 

横島が首を横にしてコンビニに視線を向ける。

 

 

「ちょっとあそこで買い物してきてくれないかな。・・・出来ればそれなりに時間をかけて・・・」

 

 

「買い物・・・ですか?何か買い忘れたんですか?」

 

 

「い、いや、えーと。と、とにかく、これで出来るだけお菓子とか何か適当に買っといてくれないかな。俺はとりあえず荷物を置きに先に帰ってるからさ・・・っと帰り道は分かるよね?」

 

 

「それは大丈夫ですけど・・・あっ横島さん・・・」

 

 

「そ、それじゃ、わるいけどよろしく!」

 

 

財布に入っていた三千円をおキヌの手に握らせ、困惑の表情を浮かべて、こちらを見つめてくる彼女から顔を背けつつ、踵を返し自分の部屋へと全力で駆け出す。我ながら無茶だと思える強引さだったが、今は一分一秒が惜しい状況だ。食材を満載した袋を両手に持ちながら、落とさずに素早く移動するのは、なかなかの難易度であったが、それでも大した距離ではない。自分の部屋まで、もてばいいのだ。出来るだけ腕を振り過ぎないように気をつけて走りながら、横島は歩道を疾走していった。

 

ほとんど息を切らせることなく走り続け、見慣れた玄関の前まで到着すると、大量の荷物に四苦八苦しながら、何とか部屋の鍵を取り出し扉を開ける。靴を脱ぐのももどかしく、転びそうになりながら、室内へとあがりこみ、とりあえず持っている食材を、台所に置いておく。出来れば生鮮食品くらいは、冷蔵庫に仕舞っておきたい所だったが、時間稼ぎがいつまで持つか分かったものではないのだ。とにかく急いで部屋を片付けなければならない。呼吸を整え、汗を拭きながら、横島は散らかり放題の自分の部屋へと向き直った。

 

 

だが一口にお片づけとはいっても、一つ一つ危険物を確認しながらの作業では時間が掛かりすぎる。ここで有効なのは単純なローラー作戦だろう。そう考えた横島は、収納ボックスに入れておいた、半透明のゴミ袋を片手に、目に付くものを片っ端から放り込んでいった。可燃ごみとプラスチックごみ、空き缶と古雑誌、脱ぎ捨てられたままの靴下、ワイシャツなど等。ごみの分別どころか、必要なものとそうでないものまで一緒くたにしながら、僅かな時間で持っている袋はどんどん膨らんでいく。

 

そうして満杯になってこれ以上入らなくなったものは、とりあえず押入れの奥深くに保存しておく事にする。後で整理するのに苦労しそうではあるが、それも仕方のない事だった。背に腹は代えられないのだ。新たなゴミ袋を取り出し、再び隠蔽作業に没頭する。そうこうしながら床に転がっている物を黙々と拾い上げていくうちに、段々と目当てのブツも姿を現してきた。

 

プラスチックのケースに入れられたそれを袋の中に叩き込む。その度に心が軽くなっていくのを感じながら、室内を歩き回り、障害物を取り除く。やがて、何度か同じ事を繰り返していると、整理整頓とは程遠い後片付けは、終わりの時を迎えた。

 

 

曲げたままの体勢でウロウロしていたからか、若干痛みを感じる腰をグッと伸ばし、改めて室内を見渡す。塵や埃で汚れている事を除けば、さっきと比べて驚くほど”綺麗”になっていた。足の踏み場もろくになかったことを考えれば、上出来と言えるだろう。おキヌがこの世界にいる僅かな期間、誤魔化し通すのには十分だ。ぽきりと関節を鳴らしながら、台所に放置していた食材を冷蔵庫に収納しにいく。

 

もう少したてば、おキヌも帰ってくる事だろう。今のうちにお湯を沸かしておき、帰ってきたらお茶の一つでも入れてあげよう。そう考えて、やかんに水をいれ、コンロに置き火にかけた。お湯が沸くまでの間、室内へと戻りテレビを見ながら暇を潰す事にする。さほど興味を惹かれないニュースに欠伸をかみ殺しながら、横島はテーブルの上で頬杖をついた。何とかなってよかった。口元を緩めながら、生真面目な表情でこちらに語りかけてくるキャスターに視線を送った。

 

そんな事をしながらおキヌの帰りを待っていたのだが、お湯が沸いてニュースが終わっても、なかなか彼女が帰ってこない。あのコンビニから横島の部屋までは、そう遠くないのだ。買い物の時間を計算に入れたとしても、こんなに時間が掛かるのはおかしい。

 

彼女は大丈夫だと言っていたが、道に迷ったのだろうか?それとも、まさかとは思うが彼女の身に何かあったのか。そわそわと落ち着かなくなり、不安が頭の中をよぎり始める。とうとう我慢できなくなって、横島が部屋を出て行こうとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。安っぽいありふれたチャイム音だ。だがこの部屋でその音を聞いたのは初めての事だった。なぜならこの部屋に人が訪ねてきた事はないからだ。おキヌが帰ってきたのかと、ホッと安堵しながら、急いで玄関に向かう。ドアの鍵は掛かっていなかったので、そのまま扉を開けて彼女を出迎えた。

 

 

「おかえり。ちょっと遅かったね、おキヌちゃ・・・・・ん?」

 

 

「あっ・・・・・」

 

 

ドアノブに手をかけたままの姿勢で、笑顔を見せていた横島の表情がピシリと固まった。目の前に自分の予想とは違う人物が立っている。どこか凛々しさを感じさせる少しだけ切れ長の瞳を、今は丸くしてこちらを見つめている。どこかの学校の制服姿は最後に見た時と変わっていない。艶やかな黒髪を片側で縛り、どう見ても小柄な体格とはつりあっていない長さの竹刀袋を持っている。硬直し動かないままの横島と同じく、何故か彼女のほうも身動き一つしていない。お互い見つめあったまま、数秒の時間が過ぎていった。

 

 

「・・・・・・・・・じ」

 

 

「・・・・・じ?」

 

 

「銃刀法違はーーーーん!!」

 

 

「だ、誰がっ!・・・ってあなたは、あの時の不審者!!」

 

 

止まった時が動き出したと同時に、横島が全力で後ろに跳ね飛び、少女は竹刀袋を片手に油断なく身構える。袋から中身を取り出す事まではしていなかったが、彼女にしつこく追い回された経験を持つ横島は、あれの中身が竹刀などではない事をよく知っている。なんだか物凄く切れ味のいい代物なのだ。どこかの大泥棒の仲間が持っている、ざんなんとか剣と同じくらい物騒な凶器だった。

 

 

「な、何だって君がこんな所にいるんや!」

 

 

「そ、それはこっちの台詞だ!何であなたがここに・・・」

 

 

お互いに指差ししながら、一方は表情を険しくし、もう一方は怯えた様子で牽制しあう。

 

 

「まさかあの時から、つけられとったのか?・・・ハッ、しまった。これじゃ袋の鼠やないか!助けて、美神さーん!」

 

 

混乱したまま、部屋の隅でガタガタと震えながら、必死になって逃げ道を探している横島に少女とは別の声が掛かった。

 

 

「あの・・・横島さんのお知り合いなんじゃ・・・」

 

 

コンビニのロゴか描かれているビニール袋を抱えて、ドアの隙間から、おキヌが顔を出しつつ横島と少女を交互に見返している。

 

 

「し、知り合いと言えば知り合いかもしれんが、そんな和やかな感じじゃないんやー!」

 

 

いつのまにか帰ってきていたおキヌに言葉を返しつつ、視線は竹刀袋の少女に向けたまま、限界まで後ずさる。夢に見てしまいそうな追跡劇の記憶は、今だ色あせる事無く横島の記憶の中に存在しているのだ。中学生位の女の子に泣かされて逃げ帰った思い出は、そう簡単には消えてくれない。

 

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。この人が横島さんなんですか!?」

 

 

驚愕の表情を浮かべながら、焦った様子で少女がおキヌに確認する。

 

 

「えーとそうですけど・・・」

 

 

「そ・・・そんな・・・・・」

 

 

呆然としたまま、僅かによろめいた少女の横からおキヌとは違う別の娘の声が聞こえてくる。

 

 

「せっちゃん。どうかしたん?」

 

 

どこかのんびりとした印象を与える柔らかな声だ。どういうわけかショックを受けた様子の少女の肩を支えながら、不思議そうに見つめている。腰まである長い黒髪が印象的な女の子だった。大きな瞳で瞬きしつつ、竹刀袋の少女をうまく支えきれていないのか、一緒になって足元をふらつかせている。

 

 

「ちょっ、ちょっと何やってるのよ・・・前が詰まってるんだけど」

 

 

そんな二人に戸惑うようにしてツインテールの少女が横島の視界に現れた。前にいる二人と同じ制服を着ている。学生鞄を肘の辺りにぶら下げ、両腕を組みつつ呆れた様子で声を掛けていた。

 

 

「あっ、君は・・・・・」

 

 

「・・・こんにちは」

 

 

ツインテールの少女、神楽坂明日菜が横島に向かってぺこりと頭を下げ、挨拶してくる。少しだけ緊張しているように見えるのは、こちらの気のせいだろうか?京都の夜以来だがどうやら元気そうだ。あの時、親友を抱きかかえながら涙を流していた、明日菜の姿が思い出されて、横島は優しい表情を浮かべた。

 

・・・よく見れば、長い黒髪の女の子にも見覚えがある。あの時横島が助けた木乃香だ。どのような経緯でこの場所にいるのかは分からないが、何故か京都での一件に関わっている少女達がこの場に集まっていた。

 

さすがの横島でも、明日菜や木乃香が現れたことで、この訪問がただのお礼参りではない事に気がつく。とにかく玄関先でいつまでも騒いでいるわけにもいかないので、横島は彼女達にむかって部屋に入るように促した。怪我の功名と言っていいのか分からないが、とりあえず全員が入ってこられるだけのスペースは確保してある。人数分の座布団を用意しながら、お茶でもいれるかと台所を振り返った。

 

すると、そんな横島の視線に気がついたのか、おキヌが私が用意しますからと台所に向かっていく。その言葉に一つ頷き返し、まだ室内で立ったままの少女達に適当な場所に座るように言った。素直に横島が用意した座布団の上に腰を下ろした明日菜と目を合わせ、おキヌがお茶を用意してくれるまでの間に簡単な自己紹介だけでも済ませておくことにする。

 

 

「それじゃあ私から・・・改めまして、神楽坂明日菜です。この間はろくにお礼も言えなくて、すみませんでした」

 

 

「ん?あぁ、いや、あん時は俺も慌しかったからなぁ。タマモの奴にもせっつかれてたし、別に気にしなくてもいいって」

 

 

実際木乃香を助けた後も、一悶着あったのだ。

何故かあの場に突然現れた楓と横島が、ちょっとした顔見知りである事が周りの人間に伝わり、彼が麻帆良に住んでいる事が露見してしまった。極力自分達の素性を隠しておきたい横島達は、慌しく彼らと別れ、ジークの元へと逃げるように去っていった。木乃香が無事だった事に喜んでいた最中の明日菜は、それ所ではなかったのだろうが。

 

 

「じゃあ、次はウチが。はじめまして近衛木乃香っていいます。ほとんど覚えてへんけど、危ない所を助けてもらったみたいで、ありがとうございました」

 

 

座ったまま体を器用に折り曲げて丁寧なお辞儀をした木乃香が、横島にお礼を言った。

 

 

「うん。あれから体調とか大丈夫か?変わった事とかない?」

 

 

「あはは、おかげさんで。全然元気ですー」

 

 

にこりと穏やかに微笑んで、返事をしてくる彼女の姿を見れば、言葉通り問題はなさそうだ。文珠を発動した時の手応えは十分だったし、、彼女が解放されてから一度だけ”解析”していたので、あまり心配してはいなかったのだが、こうして目の前で無事な姿を見ることが出来て、肩の荷がおりたような気がした。ホッと一息ついた横島が、最後の一人に視線を送る。ある意味、一番反応に困る人物の自己紹介だ。いやが上にも緊張してしまう。向こうの様子も似たようなもので、横島相手にどういった反応を取ればよいのか、戸惑っているように見えた。

 

無理もないなと自分でも思う。互いに第一印象が最悪だったのは、言うまでもない事だし、それが尾を引いているのも間違いない。大怪我をおった彼女を横島が助けたのは事実だが、そもそも意識を失っていた彼女がそれを覚えているわけがないし、人伝に聞かされただけでしかない彼女には、実感など一切ないだろう。なんとなく気まずい思いをしてしまうのも、納得といった所だった。それでも、このまま黙っている訳にもいかなかったのか、意を決したように少女が目つきを鋭くする。それだけで、横島はかなりビビッているのだが。

 

 

「は・・・はじめまして、桜咲刹那と申します。京都ではお嬢様と自分を助けて頂き、感謝の言葉もありません」

 

 

語気を強めて一気に言い放った言葉と同時に、機敏な動作で頭を下げる。いちいち、大仰なその仕草に、思わず横島まで姿勢を正し、これはご丁寧にどうもすんませんと、何も悪くないのに謝ってしまった。

 

 

「・・・うーんと、君も具合が悪いとかないかな?あん時は俺も焦ってたから・・・」

 

 

「はい。何の問題もありません」

 

 

「そ、そう?それはよかった。あ、あは、ははは」

 

 

乾いた笑いを零しながら、横島はあさっての方向に視線を逸らした。まっすぐにこちらを見つめてくる刹那と、なんとなく視線をあわせ難い。横島にとって、いまだに彼女の印象は恐怖の一文字で固まっていた。向こうの自己紹介が一段落した所で、丁度いいタイミングでおキヌがお茶と茶請けを持ってやってきた。各々にお茶を配り終え、彼女が席に座るのを待ってから、こちらの自己紹介を始めることにする。

 

 

「なんかもう知ってるみたいだけど、俺の名前は横島忠夫。で、こっちにいるのが同僚の・・・」

 

 

自分の紹介をおざなりに済ませ、おキヌに視線を向けた。

 

 

「えっと、それじゃあもう一度。氷室キヌと言います。よろしくお願いしますね」

 

 

この家に案内する時に一度自己紹介は済ませていたのだろう。

一旦ことわりを入れてから、おキヌが綺麗な所作でお辞儀し、穏やかに微笑んで、丁寧な挨拶をする。全員分の挨拶が終わり、おキヌの入れてくれたお茶で喉を潤してから、一息ついた所で、横島はどうしても気になっていた事を明日菜たちに質問した。

 

 

「明日菜ちゃん達はどうやって俺がここにいる事が分かったんだ?」

 

 

何しろ横島達は異世界の人間だ。出来る限り自分達の痕跡は隠していたし、ジークに聞いた話では色々不穏な手回しも行われているらしい。具体的には土偶羅の存在や、押入れの隅に仕舞われている怪しげな魔界製の鬼械がそれに当たる。横島としてもなるべく知りたくはなかったので、詳しくはないのだが、普通に調べただけでは、この場所に行き当たるわけがない。だから、明日菜達がここにいる事が純粋に不思議だったのだ。

 

 

「横島さんが麻帆良にいるって事は聞いてたから・・・大体の場所も見当がついてたし、当たりをつけて聞き込みしたんです」

 

 

「楓ちゃんか・・・・・つっても具体的な場所は全然教えてなかったし、目茶目茶苦労したんじゃないか?」

 

 

「今日は下見のつもりやったんですけど、たまたま声を掛けたのが氷室さんで、横島さんの知り合いやって言うから、案内してもらいましたー」

 

 

どうやら本当にただの偶然でここまで来たらしい。楓に大体の場所を聞いていたとしても、逆に言えばそれだけしか分かっていなかったのだ。この近辺で横島の目撃情報を聞き込んだとしても、本来ならこの場所を探し当てるのは、かなりの時間が掛かっていたはずだ。運よく横島を知っていたおキヌに声を掛けたからよかったものの、あまり計画性があるとはいえない。行き当たりばったりもいい所だった。

 

 

「無茶な事考えるなー。わざわざお礼言いに来るのに、そんな大変な思いする気だったのか?」

 

 

「お嬢様の命の恩人なのだから当然の事です。・・・・・正直、あの時は何もかも終わってしまったと思いましたから・・・」

 

 

刹那が己の腕を抱え、爪を立てながら、思いつめた様子でうつむく。ほんの少し震えているようにも見えた。彼女にしてみればあの時の事はあまり思い出したくない記憶だろう。自分の大切のものを失ってしまう恐怖は横島にも身に覚えがある事だった。なんとなく全員が言葉を発する事無く黙り込み、無言の時間が流れる。しばらくお茶をすする音だけがその場に聞こえていた。

 

 

「まぁ、なんにしても皆元気そうでよかったよ。俺もあの後すぐに帰っちまったから、ちょっと気になってたんだ」

 

 

場の空気がこれ以上暗くなるのを嫌った横島が、無理やり明るい声を上げた。言ってしまえば、京都で暴れたデミアンは横島達の世界の住人なのだ。魔族の逃亡に直接関わっているわけではないし、自分が悪い訳ではないと分かってはいても、目の前で落ち込んでいる女の子を見ていると、なんだか罪悪感のようなものを感じてしまう。結果的に何とかなったにしても、目の前に命を失いかけた人間がいるとなれば、なおさらだ。

 

 

「・・・・そうですね」

 

 

横島の言葉を聞いた明日菜が少しだけ陰を感じさせる笑顔で頷いた。どうもまだ本調子とはいかない様子だった。京都でタマモと一緒に監視していた時に感じた印象とずいぶん違う。どちらかと言えば、年相応に活発で元気のいい娘だったはずなのだが・・・。あの鬼だか式神だかと戦っていた時の彼女の姿がなんとなく思い出された。

 

 

「そういえば、ほかの連中は元気か?ネギつったっけ、あいつやエヴァちゃんとか茶々丸ちゃんは?」

 

 

話題を変えるため、この場にいない共通の知り合いである彼らの話を明日菜に尋ねる。

 

 

「・・・・・ネギは、ここ最近ずっとエヴァちゃんと一緒にいます」

 

 

明日菜はなんとなく拗ねた様子で唇を尖らせ、お茶菓子に出された京都土産の八橋を手の中で弄びながら横島に答えた。

 

 

「エヴァちゃんと?・・・・まさかとは思うが、あいつらできとったのか。だとしたらキッツいお仕置きをせにゃならんのだが」

 

 

べつに本気であの二人が付き合っていると思ってはいないが、もしも本当にあの年で彼女持ちなのだとしたら、子供だろうが関係ない、おませなガキにはえげつない手段を講じて、身の程をわきまえさせなければならない。

 

 

「あはは、ちゃいます、ちゃいます。ネギ君今修行中なんです」

 

 

木乃香が湯飲みを片手に、パタパタと手を振りつつ横島の言葉を否定した。

 

 

「修行・・・・・ってなんでまたそんな物騒な事してんだ?」

 

 

「物騒・・・ですか?そこまで言うほどではないと思いますが・・・」

 

 

刹那が、細く整えられた綺麗な眉を僅かに歪めて、怪訝そうにしている。

 

 

「いや、だって、修行だろ?一発勝負に命がけで挑んで、成功すればいいけど失敗したら死んじまうってやつ」

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・何処の世界の修行ですか?」

 

 

ある意味真実の一端を突いた刹那から、何故か疲れた視線を向けられた横島が、おかしな事を言ったのかと首を捻った。自分の経験から出た言葉を素直に告げただけなのだが、別段変なことを言ったつもりはなかった。

 

 

「横島さんと美神さんがやったのは、あまり一般的とは言えないんじゃ・・・」

 

 

それまで黙って話を聞いていたおキヌが、苦笑を浮かべながら横島に口添えする。その言葉を聞いた横島の頬が僅かに引きつった。言われてみれば確かにその通りだ。GS試験に合格し、便宜上美神の教え子になってはいるものの、彼女からGSとしてのまともな教育を受けた覚えがほとんどない。

 

美神除霊事務所は実にさまざまなケースの依頼が舞い込んでくるが、強いてあげればその時々に彼女がしてくれる解説がそれに当たるのか。それはそれでためになる事ではあるのだが、要するに美神が横島にしてくれる教育は全て実戦形式なのだ。唯一の例外は妙神山で雪之丞と一緒に行った修行だろうが、あんなものが一般的であるはずがない。

おキヌに言われるまで、そこらへんの常識がスコーンと抜けていたらしい。

 

 

(なんちゅーか最近の俺は、あの連中に毒されとるんじゃなかろーか)

 

 

心の中で冷や汗を流し、今一度己の常識について考えさせられた横島だったが、もし美神達が今の横島の心を読んでいたら、全員でお前が言うなと突っ込みを入れているだろう。美神の周りにいる人間の中では、横島が一二を争う変人である事は間違いない。本人にその自覚はないのだろうが。

 

 

「・・・しかし修行なぁ。あいつ十歳くらいだろ?俺があいつくらいの頃は遊ぶ事しか考えとらんかったけどな」

 

 

自分が小学生の頃を振り返り、当時の記憶を思い出していると、明日菜がポツリと呟いた。

 

 

「ネギには目標があるし・・・それに今回の事で責任感じちゃってるらしくて」

 

 

詳しく話を聞くと、京都で明日菜達が巻き込まれた騒動について、自責の念を覚えているのだそうだ。あと少し何かが狂っていれば、木乃香も刹那も死んでしまう所だった。あんな思いはもう二度としたくない。もっと自分に力があれば。誰かを守れる力が欲しい。

 

要約すればそういう事らしい。なんというか全然子供らしさを感じられない。真面目そうな奴だったからなぁ、と煎餅を噛み砕きながら横島はネギの姿を思い浮かべた。

 

 

「あいつも横島さんにお礼が言いたいって、本当は一緒に来る予定だったんですけど、まさか一日で見つかるとは思ってなくて」

 

 

「ネギ君忙しいから、ウチ等で場所だけでも特定しようって考えてたんです」

 

 

どうもあの性格のきつそうなエヴァにこってりと絞られているらしい。口では面倒だと言いながら、よく世話を焼いているそうだ。あの年であんな女王様タイプの人間に攻められるのは、修行自体はともかく教育にはいいのだろうか?所詮人事だけど、と横島はそんな疑問を抱いた。

 

 

(妙な快感に目覚めないといいけどな・・・)

 

 

・・・などと考えている横島だったが、完全に自分のことを棚に上げている。もし女王様度なる数値が存在していたら、彼の上司は軽くエヴァの上をいくだろう。きっぱりと人事ではない。実際に横島の性癖が特殊かどうかは、おいておくとして・・・。

 

 

「でも、ちょっと心配なんです。この間なんて疲労で倒れるくらい頑張っちゃってて・・・何か思い詰めてるみたいで」

 

 

明日菜が伏し目がちに視線を落とし、小さくため息を零した。

 

 

「そうやなー。もうちょっとくらい自分の体を気遣ってくれたらえーんやけど・・・」

 

 

木乃香も同意見なのか、憂いを帯びた表情で、己の頬に手を添えた。どうやら横島が考えているよりも、京都での一件がネギ少年に与えた影響は大きいものらしい。だが考えてみれば、そのくらいの反応をしてもおかしくないのかもしれない。魔法使いがどういう存在かは分からないが、あの年齢で人が目の前で死にかける所を見る事など、そうそうありはしないだろう。正直、血塗れの刹那を見た時など、仕事柄大抵のショッキング映像に免疫があるはずの自分でも、ギョッとした。他人である横島でさえそうなのだ、身内であるネギにとっては、なおさらだったはずだ。トラウマになっていたとしても、おかしくはない。

 

 

「・・・まーなぁ。強くなろうとするのは悪い事とも思わんが、別にあいつのせいってわけじゃないんだし、そんな気にせんでも」

 

 

話を聞いた限りでは、ネギが自分を責めすぎているように感じる。だが、真相を知っている横島からしてみれば、京都のあれは不慮の事故みたいなものだ。木乃香を狙っていた魔族の傍に、たまたま強力な力を持った怪物が現れため、手が付けられない事態が起こってしまったという事にすぎない。それに言ってはなんだが、相手が横島の世界の上級魔族である以上、どれだけネギが強かったとしても、どうしようもなかったはずだ。

言うなればあれはこの世界の住人にとってのイカサマのような存在なのである。それを知らせる訳にはいかないので、もどかしいのだが、出来ればすっきり忘れてしまった方がいいのだ。横島がなんとなく、ばつの悪い思いをしていると、刹那が真剣な表情で、口を開いた。

 

 

「・・・・・・・・・・私は、間違ってないと思います」

 

 

それほど大きくはなかったが、その声は不思議と全員の耳に響いた。膝の上でギュッと拳を固めたまま言葉を続ける。

 

 

「自分の未熟のせいで、大切な誰かを失うくらいなら、どれだけ自分を痛めつけても強くなりたいっていう気持ちは」

 

 

まるで自分に言い聞かせているように聞こえる。よく見れば彼女の体のいたるところに包帯が巻かれていた。気のせいでなければ、湿布の匂いもしている気がする。両手に細かい傷がついているように見えるし、心なしか顔色も優れていないような・・・。

 

横島はそこでようやく気がついた。刹那は木乃香がデミアンにさらわれた時、迷いなくあの怪物に切りかかった少女だ。木乃香を助けるために、誰よりも早く命をかけた人間だ。その彼女が、いくら全員無事に事態が収束したといっても、責任を感じていないわけがないではないか。思わず刹那の顔を見つめる。その横顔は彼女の愛刀同様、鋭く、美しく、けれど、どこか儚い印象をあたえた。

 

 

「でも、それで人に心配掛けてちゃ何にもならないじゃない」

 

 

語気を強くして明日菜が刹那の言葉に反論する。

 

 

「ですが、もしまたあんな事が起こったら、今度こそ取り返しがつかないかもしれないんですよ!」

 

 

「だからって、自分を傷つけていい理由にはならないよ!」

 

 

互いを睨みつけながら、動きを止める。どちらも引くつもりがないのか、瞳の中に硬い意思が宿っているように思えた。そんな二人に挟まれて、木乃香がおろおろと狼狽していた。助けを求めて横島に視線を送ってくる。木乃香の望みは察しているが、かといって横島がどうこう言える話ではない。刹那の意見も分かるし、明日菜の言葉ももっともだ。どちらも間違った事を言っているわけではないので、仲裁の仕様がない。出来れば横島も木乃香と一緒におろおろしていたかった。

 

 

しかし、それでも一つだけ言える事があるとすれば・・・・・それは・・・。

 

 

「おキヌちゃん。ちょうどジークの野郎もいないことだし、ちょっとくらいならいいよな」

 

 

「え?」

 

 

突然話を振られたおキヌが、困惑したように顔を上げた。事情もよく知らない自分に何故声を掛けてきたのか頭に疑問符を浮かべている。しかし、落ち着いた表情の横島を見ているうちに、なんとなく彼が言いたい事が分かったのか、すっと席を立ち、静かに刹那の隣に腰を下ろす。

 

 

「え、あ、あの」

 

 

「少しの間、じっとしていてくださいね」

 

 

急に近づいてきた彼女に、どう対応していいのか分からなくなっていた刹那だったが、おキヌの優しい口調におとなしく従った。そんな刹那に笑顔を向けて、おキヌは彼女の傷だらけの両手を包み込むように、そっと触れ、そして意識を集中した。淡い光が二人を照らし出す。おキヌの手から、刹那に向かって注がれていく霊力は、癒しの力となり、彼女の傷を治していく。おキヌの心霊治療能力だ。仕事を終える度に傷だらけになる事が多い横島も、よくお世話になっている。傷口に僅かな熱を感じて刹那が声を上げる。しかしすぐにその痛みも消え、心地のよい暖かさを感じていた。

 

 

「私の心霊治療は、そんなに強くはないので、完全に癒すのは難しいんですけど・・・」

 

 

申し訳なさそうに、おキヌが刹那を見た。

 

 

「い、いえ、そんなことないです。ありがとうございます」

 

 

そんな彼女に慌てて刹那が礼の言葉を口にする。実際、謙遜するほど弱くはない。痛みは段々と和らいでいるし、なにより、何故だろうか、とても心が落ち着くのだ。ささくれだっていた精神が、無理なく穏やかになっていくのである。

 

 

「私は部外者ですし、何も言うことは出来ませんけど、でも、明日菜さんが刹那さんを心配しているのはよく分かります。それに、あなたがこんなに傷だらけになっても守りたいと思っている人が、同じくらいあなたを守ってあげたいと思っていることも」

 

 

治療を続けながら、おキヌは柔らかな口調でそう告げた。はっと何かに気付いた様子で刹那が木乃香に視線を向ける。そこには刹那を心配そうに見つめる彼女の姿があった。

 

 

「せっちゃん・・・」

 

 

「お嬢様・・・」

 

 

見つめ合う二人に、微笑みながら、おキヌは刹那の治療を終えた。

最後に彼女の肩をそっと撫でて、どこか悪戯っぽく言った。

 

 

「ふふっ、こういうのって一人で頑張っちゃいけないんです。きっと」

 

 

「・・・・・・・・そう・・・ですね・・・そう・・かもしれません」

 

 

その言葉を噛みしめながら、自分の未熟を恥じ入るように俯いていた刹那が顔を上げる。

 

 

「ごめんなさい、明日菜さん」

 

 

「えっと、こっちこそごめん。ちょっと言いすぎたかも」

 

 

刹那のあまりにもまっすぐな謝罪の言葉に、明日菜は多少うろたえつつ謝った。直後にくすっと笑いがこぼれる。京都からこっちずっと心に溜まっていた憂鬱が少しだけ晴れた気がした。

 

 

「なんだかうらやましいよなー、こういうの。ワイの上司なんて俺のために頑張るどころか、率先して厄介事を押し付けているようにしか思えん」

 

 

ぼやくように溜め息交じりの泣き言を口にしつつ、横島は大げさに肩を落とした。

 

 

「み、美神さんも、ちゃんと横島さんの事を考えていますよ」

 

 

「それ、本当にそう思ってる?おキヌちゃん・・・・・」

 

 

「・・・・・・・・えっと・・・・・たぶん・・・・・きっと・・・ひょっとしたら・・・」

 

 

不自然に顔を背けて、妙に途切れの悪い言葉で、しどろもどろに横島を励ますおキヌだった。

 

 

「・・・・・まぁ、あえて否定はせんでおこう。正直、俺も信じたいしな」

 

 

世界を隔てて美神が西条と飲みに出かけている事を知らない横島は、なんともいえない曖昧な表情で頷いた。いつまでも、愚痴を言っていても仕方ないので、視線を明日菜たちに戻す。この家に来たばかりの時に比べて、だいぶいい表情をするようになった彼女達にホッと安堵の息をついた。やはり、落ち込んでいる美少女達の顔を見ているよりは、笑顔の美少女達を見ているほうが断然目の保養になる。緊張していたらしく、妙にこってしまった首をくるりと回しつつ、明日菜たちに話しかける。

 

 

「そうだ、よかったら、一緒に飯でも食べていかないか?買い物した時、調子に乗って食材を買い込んじまったからちょっと減らすの手伝ってくれると有難いんだが・・・。明日菜ちゃん達は寮暮らしだっけか?門限とかあるから駄目か?」

 

 

おキヌとの買い物がなんとなく新鮮で楽しかったので、気がついたら結構な量の食材を買い込んでいたのだ。おキヌの料理ならいくらでも食べる事ができる気がするが、せっかくわざわざ明日菜たちが訪ねて来てくれたのだ。多少のおもてなしはしてあげたい。

 

 

「えっと、連絡しておけば、ちょっとくらい遅くなっても大丈夫だと思いますけど・・・。いいんですか?」

 

 

「もちろん。・・・つっても俺は料理なんか出来ないから、作ってくれるのはおキヌちゃんなんだけども」

 

 

「ふふっ、少し待ってて下さい。腕によりをかけて料理しますから」

 

 

快く横島の申し出を引き受けてくれたおキヌが席を立ち台所に歩いていく。その背中に自分も手伝いますと、木乃香が声を掛けた。狭い台所に二人並んで、楽しそうに談笑しながら料理の下ごしらえをしていく。京都で明日菜の記憶を覗いた横島は、木乃香の料理の腕がすばらしい事をよく知っている。安心して見ていられるというものだ。しばらくは、他愛のない話をしながら、料理が出来るのを待っていた横島達だったが、ふと台所にいる木乃香から声が掛かった。

 

 

 

「あ、そうだ。横島さん、天気予報見てもえーですか?明日の天気がちょっと心配で・・・」

 

 

 

思えば、この一言が、闇への誘いだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、この話は、恐怖の体現なのだ

 

 

 

 

「え?もちろんいいけど。リモコンは何処いっちまったかな」

 

 

 

 

悪夢は何気ない日常から唐突に現実を浸食する。

 

 

 

 

「ちょっと探すの手伝ってくれないか?」

 

 

 

 

何が悪かったのだろうか?

 

 

 

 

「わかりました。刹那さんは向こうをおねがい」

 

 

 

 

木乃香が洗濯物が溜まっている事を思い出したから?それとも横島が無茶な部屋の掃除をしたからだろうか・・・。

 

 

 

「はい、えーと。・・・あ、あった。これかな?」

 

 

 

 

横島が横着せずに自分でリモコンを探していればよかった?

 

 

 

 

ポチッ

 

 

 

 

テレビのリモコンとDVDデッキのリモコンがほとんど同じ形をしていたのがいけないのか・・・。

 

 

 

 

ただ言えるのは、やはりこの世界には、神様(神族)など居ないという事だ。

そして、DVDを見終わったら、必ずケースの中に仕舞って置きましょうという事。

 

 

 

 

大画面いっぱいに肌色が表示された。妙齢の女性が艶のある声を上げている。どこか水っぽい音と共に、肌と肌がぶつかり合う音が、無機質なスピーカーから臨場感溢れて聞こえてくる。

 

 

空間が凝固した。

 

 

先ほどまで流れていた穏やかな空気が一変している。横島の虚飾が取り除かれ真実が現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女達の悲鳴が聞こえてくるまで、後三秒。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

結論だけ言おう。

 

 

 

 

消費されるはずだった大量の食材は、ほとんど無傷のまま、冷蔵庫に安置されている。

 

 

 

 

その日横島は、涙を流しながら一人で買い置きのカップラーメンをすすった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。