ある人の墓標   作:素魔砲.

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あれはいつの頃だったろうか・・・・・。

 

美神の命令で、妙神山へ、使いに行ったことがあった。

緊急性のあるものではなく、美神自身が忘れていたほど、用件自体が、大したものではなかったのもあって、横島に白羽の矢が立った。当時抱えていた仕事が、一段落した後、顔を見せるついでに行って来て欲しいと頼まれたのだ。そう言われれば、横島に断る理由はない。

 

あの一件以来、会ってなかった、パピリオの顔も見ておきたかったし、何よりあそこには小竜姫が居る。たどり着くまでの道が険しいので、自ら進んで行きたい場所ではないのだが、用事があるならばちょうどいいと、快く引き受けたのだ。

 

今思えば、あの時美神は、気を使ってくれたのかもしれない。一緒に行くと駄々をこねたシロに仕事を押し付けて、横島一人を使いにやった。妙神山まではかなりの距離がある。交通機関を利用し、険しい山道に息を切らせながら、やっとの思いでたどり着いた横島を、小竜姫達は歓迎してくれた。ひとしきり再会を喜び合ってから、とりあえず美神の用事を済ませた後、互いの近況や、思い出話に花を咲かせて、楽しい時間をすごした。

 

 

たしか、その時だった気がする。

 

 

いまでも、何故そんな話になったのか、いまいち思い出せない。

たまたま、普段は引きこもっている、ゲームマニアの猿神がその場に現れたからなのか、妙神山が人間の修行場であるためか、単に当時の話題が場に出ていたからだったのか。とにかく言えるのは、いつのまにか話題が、横島の霊能力についてに移っていたのだった。

 

 

霊基構造という言葉がある。

 

 

大雑把に言ってしまえば、個人個人が持つ、魂の設計図のようなもので、人によってまったく違った作りをしている。それは、指紋や網膜認証などより、はるかに正確な、個人の特定を可能にする。例えば、SF世界のように、横島のクローン人間が生まれたとしても、霊基構造はまったく違ったものになる。所々似ている部分があったとしても、全体を俯瞰すれば、やはり違ってしまうのだ。

 

 

そしてそれが、目に見える形で表れるのが、霊能力だろう。

普段人は、魂の力など意識しないしできないが、特殊な才能を持った一部の人間は、それを可能にする。大抵は、生まれや体質で、ある程度、使える力の系統は、決まるものなのだが、中には、世界で数人しか使い手がいないレベルの、レアリティを持つ能力者も存在する。

 

そういった人間が、どのようにして生まれるのか、今現在も、明確な解答を知るものはいないらしい。だが、一つだけ確実なのは、その能力が、霊基構造に、しっかりと書き込まれているものだという事。発現するプロセスを正確には理解できなくとも、魂に刻まれた設計図が、確かに存在しているという事は、はっきりしている。逆に言えば、一度発現してしまえば、それはどんな形であれ、その人間の一部であるという事だ。

 

 

 

それが、他人の魂を取り込んだ末の、歪にゆがんで生まれた結果なのだとしても・・・・・。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「俺の名前は、横島忠夫・・・・・明日菜ちゃん、君の友達は、俺が助ける」

 

 

横島は、泣いている明日菜を安心させるように、優しい笑顔を向けて、そう言った。

驚いてこちらを見つめてくる明日菜の頭を、なんとなくいつもシロにやるように、ポンポンと軽くたたいてから、ゆっくりとその場で立ち上がる。これですっきりした。

 

彼女自身から名前を聞き、自らも隠していた名前を名乗った事で、見ず知らずの他人ではなくなった。つまらないこだわりなのかもしれないが、横島にとっては必要な事だった。

 

視線を湖へと向ける。そこには何回見てもなれる事のない怪物、デミアンの巨体が存在している。しばらくその巨体を見つめながら、横島はこれからするべき事を頭の中で整理していった。先ほどの思い付きが、もし当たっているなら、そして横島がこれからする事に成功しさえすれば、木乃香は明日菜の元に戻ってくる。

 

今言った言葉は、横島自身の覚悟を決めるために必要な言葉ではあったが、同時に自分を追い込むための言葉でもある。言ってしまったからには、失敗はゆるされない。確実に成功しなければならなかった。いつもの弱気癖が頭を掠めていく。これからする事を思えば、恐怖を覚えないわけがない。

 

無意識に震えそうになる体を強引に押さえて、横島は再び明日菜に向き直った。すると、横島が振り返るのを待っていたわけではないだろうが、タマモが声を掛けてきた。

 

 

「横島、ちょっと来て」

 

 

声の調子が僅かに強張っている。視線を厳しくさせて、タマモは明日菜達から少し離れた場所まで、横島を誘導した。話が聞こえないようにするためだろう。頭を直接ぶつけてまでして、横島に押し殺した声で質問してくる。

 

 

「どういうつもり?」

 

 

「・・・・・・・言ったまんまだ。木乃香ちゃんを助ける。あの子のあんな姿を見て、黙ってられるか・・・」

 

 

明日菜はまだ立ち上がる事もできてはいない。感情が凍りついて、立つ事すら思いつかないのだ。そんな彼女を仲間達が心配そうに見ている。誰も彼女に言葉をかける事ができないでいる。横島はそんな光景を見たくはない。

本当・・・・・冗談ではない。

 

 

「そういう事を言ってるんじゃない。ごまかさないで」

 

 

語気を鋭くしてタマモは言葉を続けていく。

 

 

「あんたが何をした所で、どうしようもないでしょうが・・・・・死んだ人間は絶対に生き返らない」

 

 

本当は口に出したくないのだろう。タマモは目線を下に落として、それでもはっきりとした口調で、横島に告げた。

 

 

「そりゃ違う」

 

 

「違うって・・・・・まさか本当に生き返らせる事ができるっていうの?」

 

 

「いや、そっちじゃない。死んだ人間って方だ。木乃香ちゃんは生きてるからな」

 

 

なんでもないかのように、あまりに簡単に言い切ったせいか、その言葉が耳に入ってこなかったのかもしれない。タマモは唖然とした表情を横島に向けた。

 

 

「は?」

 

 

彼女にしては貴重な表情だ。口元をだらしなく広げて、目を丸くしているタマモなど、めったに見られるものではない。・・・・・いや、今夜に限って言えば、そうでもないかもしれないが。

 

 

「い、生きてるって・・・だって、あんたの”分離”は成功したんでしょう?なのに、木乃香ちゃんが出てこないのは・・・」

 

 

ついさっきの話では、というかタマモ自身の思いつきに過ぎない事ではあるが、・・・木乃香は死んでいるはずだ。デミアンの体内で吸収されてしまったからこそ、文珠が正常に機能していたにもかかわらず、木乃香が表に出てこなかった。最初からいない人間を分離させる事はできない。そういう結論だったはずだ。

 

 

「それなんだけどな。俺もさっきまで忘れてたんで、偉そうな事は言えんのだが、ちっとおかしいんだ」

 

 

「おかしいって・・・何が?」

 

 

「あのデカ物だよ。あいつがまだあそこで暢気に突っ立ってやがることが、すでにおかしいんだ」

 

 

湖に佇むデミアンの姿を指差しながら、横島はタマモに言った。

 

 

「ジークが言ってたろう?俺はあいつと・・・つーか、あいつじゃないデミアンと戦った事があるんだ。そいつは、あんなでかくもなかったし、無駄にキャラが強い性格でもなかったんだけどな・・・。気持ち悪い姿はそっくりだったし、それとは別に本体が存在して、そいつを何とかしない限り、攻撃が効かないってのも一緒だった。」

 

 

今思い出しても、結構厄介な相手だった。

修行の成果で身につけた文珠の使い方も、あの時はほとんど分かっていなかったし、偶然に助けられた部分も大きい。まぁ、美神も含めて、事務所の人間は、なんだかんだで悪運が強いので、なるべくしてなった結果と言えなくもないのだろうが。

 

 

「そいつは例によって美神さんにしばかれたんだが。そん時な、本体を倒したら操ってた偽もんの体も一緒に消えちまったんだ。あんな風に無傷で残ってなんかいなかった。」

 

 

美神がデミアンを倒した瞬間を、正確に覚えているわけではなかったが、少なくともそれほど長時間、偽者の体が残っていた記憶はない。というか、ほとんど同時に本体も偽者も消滅したはずだ。

 

 

「・・・なぁタマモ、あんだけ特徴が似てたのに死に際だけが別って事あるんか?確かにあいつは美神さんが倒した奴じゃないけどさ、結局本体もちゃんといたし、そいつを倒したら、偽もんの体も動かなくなってる。これって本当にただの偶然なんか?」

 

 

「そ、そんな事私に言われても・・・その・・・美神さんが昔倒したデミアンを知ってるのは、あんたとジークだけでしょ?そいつの姿も知らない私じゃ、判断のつけようがないわ」

 

 

「まぁ、・・・そりゃそうか」

 

 

タマモの言っている事ももっともだ。当時の詳しい状況も知らないのに、、意見を求めたところで無理があるだろう。後ろ頭をかきつつ、視線を空中に向ける。タマモにも分かりやすいように、これから話すことを整理して、しっかりと説明しなければならない。いってみれば、横島の思いつきなのだ、これは。それなりの確信があるが、願望が混じっている可能性も否定できない。

 

 

「・・・・・俺は、あのデカ物が、まだあそこに立ってるのには、ちゃんとした理由があるんだと思う」

 

 

見上げていた視線をタマモに戻し、努めて冷静さを意識して、落ち着いた口調で話し始める。事が事だ。できれば彼女には、自分の考えをきちんと理解してもらい、その上で協力してもらいたい。

 

 

「理由って何?」

 

 

眉根を寄せ、瞳を細めて、タマモが横島に尋ねた。

 

 

「例えば・・・・・死んだはずの肉体に、別の魂が存在しているから・・・とかな」

 

 

「・・・・・それって木乃香ちゃんのことを言ってるの?」

 

 

タマモが腕を組みながら、まっすぐに横島を見つめてくる。風もないのに髪の毛がゆれたように見えたのは、やはり気のせいなのだろうか?タマモの正体は九尾の狐だ。人間の姿でも、その特徴は、髪形に表れていたりするので、ひょっとしたら、自力で動かせるのかもしれないが。そんな余計な事を考えつつも、視線だけは逸らさずに、真っ向から彼女を見返して、横島は続きを話し始めた。

 

 

「ああ、あいつの本体は、さっきタマモが燃やした赤い水晶玉で間違いない。だったら、今いる偽もんの体が無事なのは、たぶん木乃香ちゃんがいるからだ。そいつのおかげで、あのデカ物は崩壊してないんだ」

 

 

「待ちなさい。だったらあんたの文珠が効かなかったのは何故?木乃香ちゃんが生きているなら、文珠の力で出てこなかったのはおかしいじゃない」

 

 

組んだ腕はそのままに、鋭く横島に待ったをかけてくる。素早く冷静に疑問点を指摘してくるあたりがタマモらしい。シロでは、こうはいかないだろう。

 

 

「そいつはたぶん・・・タマモが言っていた事が半分正解なんだと思う。木乃香ちゃんは生きてはいても、木乃香ちゃんの形を保っていないんじゃねぇかな」

 

 

「どういうこと?」

 

 

言っている意味が分からなかったのか、それともなんとなく察してはいるのか、懐疑的な視線を横島に向けてきた。それに怯むことなく、横島は言葉を続ける。

 

 

「文珠の認識を受け付けないほど、デミアンと一体化しちまってるんだ。だから、”分離”が発動したとき、”木乃香ちゃん”として”デミアン”と分離できなかったんだ」

 

 

出来ればそんな事にはなっていて欲しくないのだが、状況的に見ておそらくこの考えで間違いないはずだ。少なくともこれ以上納得のいく説明を、横島は思いつけない。

 

 

「な!・・・・・・・・・ま、ちょっと待って、なんか一気に言われてうまく理解できない。落ち着かせて頂戴」

 

 

「ああ、俺もお前の意見が聞きたい。本音を言えば、自信満々って訳でもないんだ」

 

 

なれない説明役をした事で、若干頭がゆだっている。落ち着かなければならないのは横島も同じだった。下唇を押さえながら、タマモがなんとか気持ちを落ち着けようとしている。無意味につま先で地面を蹴っている姿は感情の表れなのだろうか。それでも、大した時間は掛からず心の準備を終えたのか、うつむき気味の顔を上げたときには、すっかり普段の冷静な表情を取り戻していた。

 

 

「一応・・・あんたの言ってる事は理解できた。明確な証拠は一切ないし、疑わしい部分がないではないけど。でもそれを言うなら、木乃香ちゃんが、すでに死んでるって意見も、同じ事だしね。心情的にもあんたに賛成したいって気持ちはある。でも・・・・あんたの言う通りだとして、いったいどうする気なの?文珠が効かないほど、一体化してるって言ってたけど、木乃香ちゃんを助ける手段があんたにあるの?」

 

 

疑わしげ・・・というよりは、こちらを心配するように目じりを下げて、タマモは横島に尋ねた。

 

 

「ああ、それについちゃ、あてがある。切り札・・・とも言えねぇくらいの馬鹿げた手だけどな・・・」

 

 

まるで苦い薬を一気に飲み干したかのように、横島が顔をしかめながらタマモに答えた。実際、切り札や奥の手どころではないのだ。強がりもまともにいえないくらいの代物だ。

 

 

「横島・・・?」

 

 

顔色を青くして、懸命に何かに耐えている横島の様子に気がついたのだろう。タマモが訝しげな視線を向けた。はっとして無理やり表情を変える。勘のいいタマモの事だ、もしこれから横島がやる事の危険性に感付かれれば、絶対にこちらを制止してくるだろう。

 

 

「いや、なんでもない。・・・で、だな。そいつをやるにはちょっと準備が要るんだ。

これ以上明日菜ちゃん、つーかあそこでこっちを睨んでるエヴァちゃんに、疑われるのも心臓に悪いし、あの子ら連れて離れててくれないか?」

 

 

「・・・・・確かに、美神さんの事を考えれば、そうした方がいいでしょうけど、あんたなんか隠してない?」

 

 

「ふぇっふ!いや・・・そんな、ばか、おまえ、俺は、えーと、そんな事あるわけないじゃないっすか!うはははははは!」

 

 

「怪しすぎて、何とも言えないわね、そのリアクション」

 

 

挙動不審もここに極まってしまっている横島が、両手を奇妙に曲げつつ不思議な踊りをしている。ごまかすにしても、もうちょっと何とかならなかったのだろうか?

 

 

「まぁいいけど・・・いい加減その変な踊りやめなさいよ。なんかこっちの精神力が削られていくみたいで、地味にいらっとくるわ」

 

 

無意識に拳を固めて、重心を落としたタマモの言葉に、即座に直立不動になった横島が、イエスマムと敬礼を送る。なんというか最近のタマモは美神に似てきた気がする。主に横島の対処という意味において。

 

 

「それじゃ、私はあの子達を見張ってるから、その準備ってやつができたら、呼んで頂戴」

 

 

本当は横島の様子が気になって仕方がないが、聞き出そうとしても無駄だろう。馬鹿な態度はいつもの事だったが、目だけはいちいち真剣なのだ。まったくらしくもなく。横島に隠れるようにしてため息を零したタマモが、後ろを振り返りそのまま明日菜たちの元へと歩いていく。横島はその背中に、なんとなく声を掛けた。

 

 

「すまねぇな」

 

 

その言葉は思ったよりも小さく、彼女に聞こえることなく地面に落ちた。明日菜たちのもとにたどり着いたタマモが、早速エヴァに絡まれている。タマモはそれを適当に受け流しながら、一方的にこの場所から離れる事を告げて、返事を聞くこともなく、すたすたと歩き去っていった。その態度に腹を立てているエヴァを、ネギとカモがなんとかなだめながら、後についていく。

 

その後ろでは、刹那を背負った茶々丸に手を引かれて、明日菜が歩いていた。うつ向き気味に視線を落としながら横島を振り返る。幼子のような無防備な視線を横島に向けていた。不安なのだろう。なにせ自分の親友の命が掛かっているのだ。助けると言った横島の言葉だけで、その不安が解消されるわけがない。それでもそんな顔を見たくなくて、横島はなるべく彼女が安心できるように、満面の笑みで、小さく手を振った。

 

 

「大丈夫。なんとかすっからさ・・・」

 

 

森の木々に隠れて、姿が見えなくなってしまった明日菜に呟くように告げた。誰もいなくなったその場所で、瞳を閉じ、大きく深呼吸をする。山の中だけあって、空気がとてもおいしい。昼間からこっち、いろいろあったせいで、今更そんなことに気がついた。

森林浴などするガラではないか、苦笑を一つ零して、表情を引き締める。いつまでも躊躇しているわけにはいかない。

 

さっきはあえてタマモに説明していなかったが、時間が立てばたつほど、木乃香の状態は悪くなっていく可能性がある。元々自分の体ではないものに一体化しているのだ。魂が肉体の影響を受けるとするならば、健全な状態とはとても言えない。次の瞬間には魂が肉体を離れていてもおかしくない。すなわち死だ。

 

同僚に幽体離脱が得意な娘がいるが、そんなレベルの話ではない。木乃香の場合は戻るべき体がない状態なのだ。もしそうなったら、横島でも、どうしようもないだろう。

急ぐ必要がある。呼吸を整え、精神を集中させ、もう一度頭の中で手順を確認してから、

 

 

 

横島はストックしてある文珠を六つ取り出した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

今思えば、あのときの自分はあまりに浅慮だったと言わざるを得ない。考えなしで、あまりに気安く、馬鹿な行動を取っていた。危険性を十分に説明され、絶対にやるなと言われたにもかかわらず、好奇心に負けてしまった。禁止されればされるほど、行動を起こしたがる子供かとも思うが、悲しい事に横島の印象を知人に尋ねれば、否定の言葉は返ってこないだろう。

 

自覚もしているのだ、一応は。

だが、その説明を詳しく聞いているうちに、どういうわけか、試してみたいという欲求に、歯止めが掛からなくなってしまったのだ。

 

 

美神の用事で妙神山を訪れた日の事だ。その日は話が長引いて、いつのまにか夜になってしまい、ろくに明かりもない中、、あの道を帰る度胸はなかったので、小竜姫に頼んで客室の一つに泊まらせてもらった。

 

元々、ある程度、長期間の修行が想定されている妙神山には、客室があまるほど存在する。美神や横島が経験した修行コースは、かなり特殊な部類だし、極短期間で終了したために、その客室を利用するのは初めてだったのだが、居心地はかなりよかった。普段自分が住んでいるアパートとは比べるのも失礼なほどだ。室内が広すぎるせいで、落ち着かなかったのを覚えている。

 

 

その夜、少年の純粋な冒険心を満たすために、小竜姫のお部屋にお邪魔した横島は、さっくりと彼女に殺されかけ、ほうほうのていで自分にあてがわれた部屋に戻ってきていた。一度の失敗程度では、めげない横島だったが、何らかの対策を取られたのか、小竜姫の部屋に近づく事すらできなくなってしまい、仕方ないので寝る事にしたのだ。

 

万年床に敷いた横島の布団などとは、まったく違った感触に、あっさりと眠気を刺激されるかと思ったのだが、布団に包まっても何故か眠れない。自分はいつのまにかここまで貧乏暮らしが染み付いてしまったのかと、若干悲しくなりながら、横島は寝返りをうち続けていた。次第にそんな行為にも飽きてきた頃、いつのまにか、昼間に小竜姫達と話した会話の内容が、頭の中で思い出された。

 

 

それはこんな内容だった。

 

 

横島の霊能力。文珠。

汎用性が高く使い勝手もいいが、その特性のために乱発する事ができない。その欠点すらない特殊な文珠が一つ存在するのだが、今の横島には使えなくなっている。元々、例外中の例外だったので、話しても意味のない事だったが、ちょうどその特殊な例外を知っていたパピリオが、その場にいた猿神にその事を説明した。

 

猿神はくわえていたキセルの灰を落とすと、あっさりと言った。そんなことはないと。

猿神は霊基構造と、魂に刻まれた設計図の話を横島にした。そして設計図に記された内容を読み取る手段と、作成方法の手順を横島に教えてくれた。最後にその危険性も。

 

 

そんな話を思い出した横島は眠る前の暇つぶしにと、心の中で誰にも聞こえない言い訳をして、なんとなくそれを試してしまった。

 

 

 

そして・・・・・・死にかけた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

取り出した文珠のうち、二つを右手に握り締める。最初に使用しなければならないのは、まず二つだ。握り締めた文珠に文字をこめる。イメージが複雑になればなるほど、想定した通りの結果が得られるとは限らないのが、文珠の厄介なところだが、一応文字は横島の願い通りに刻まれている。

 

右手の中で淡い光を放っているそれに視線を向ける。これは劇薬だった。あるいは単純な毒だった。これの効果を知っている横島にはまぎれもなくそうだ。自然とそれを持っている右手がぶるぶると震えていく。思わず視線を逸らし、投げ出してしまいたくなる。何もしていないのに、後から後から顎を伝って脂汗が流れていく。心臓はさっきから、冗談のように鼓動を速めている。緊張は最高潮に達して、脳が思考を捨てていた。

己の血流の速さすら感じられるように、感覚は鋭敏になっている。

 

 

(びびっちまってる・・・くそっ、怖い、恐い、コワイ、こわいっ!!)

 

 

あの時感じた恐怖が、横島に襲い掛かる。仕事が仕事だ、死ぬような目には何度もあってきた。いや、実際死に掛けたことも一度や二度ではない。それでも、あのときの恐怖とはまったく比べ物にならない。隣に美神がいない。おキヌちゃんもシロもいない。タマモに頼るわけにもいかない。全て横島一人でやらなければならない。あの恐怖に、苦痛に、絶望に、立ち向かわなければならない。限界まで力を入れて、目蓋を閉じる。そのまま硬直して動く事ができない横島の目蓋の奥、その暗闇の中で、明日菜の泣き顔が浮かんだ。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

ゆっくりと、目蓋を開き、月を見上げた。本当に見たかったものは別のものだったが、この際仕方がない。もうとっくに日は落ちてしまっていた。頬に当たる風の感触が心地いい。固まった体をほぐすように、ぐるりと首を回し、胸の内にたまった重い空気を一気に吐き出す。そして、湖にいる怪物に視線をやって、気合を入れる。そのままそっと目蓋を閉じて、視界を閉ざした。別に恐怖に負けたわけではない。単純に目を閉じる事が必要なのだ。

 

 

深呼吸を一度・・・・・・そして今度こそ右手に握った文珠を発動した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

覚えているのは苦痛を感じたという事だけ。

 

 

尋常でない苦痛。馬鹿げた激痛。冗談のような重苦。

生を受けてから、今まで感じてきた痛みを全て凝縮したような痛苦が一気に襲い掛かってきた。

 

 

脳はとっくに意識を手放し、世界は暗闇に染まっていった。それでも、痛みはやまない。なぜなら、それを感じているのは脳そのものだからだ。痛点がないはずの脳が痛みを訴えている。時間が無限に引き延ばされ、悪夢は現実を凌駕する。意識はとうに意味を成していないのに、自意識過剰な苦痛が自分の存在をアピールし続ける。

 

舞、踊り、舞踊、ダンス、ワルツ、タンゴ、サルサ、ルンバ、サンバ、ポルカ、フラメンコ、ヒップホップにブレイクダンス。脳内で全てが情熱的に、苦痛というパートナーを振り回している。

 

 

限界は何処だったのだろうか・・・時間の概念など最初の瞬間に失われたので、知る由もなかった。それは永遠に続いていき、終わりがないものだった。自分の脳が作り出す世界こそが真実であり、苦痛こそが全てであり、現実など最初からなかった。自分など何処にもなくて、存在が許されるのは痛みだけ。

そして最後はその感覚さえ薄れていき、やがて・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

自分が脳死しかけたという事を、横島が知ったのは、妙神山を訪れた日から数えて三日たってからだった。最初の夜に意識を失って、目覚めるまでの間、延々と生死の境をさまよっていたらしい。

 

死ぬところだったんですよと、小竜姫にかなりきつめのお灸をすえられ、パピリオには、アホ呼ばわりされた。いや実際はもっとひどい感じに、こき下ろされたのだが。それこそ精神的な死を迎えてしまいそうなほどに。

 

あきれながらそんな横島を見ていた猿神が、再度の忠告をした。自分の限界を超えて作用するものを己の体に使えば、制御しきれなくて当然だと。どうやら横島を助けてくれたのは、この神様だったらしい。長時間寝ていたせいか、それとも死にかけたからなのか、いまだに痛みが残る頭を押さえながら、ぼんやりと横島は猿神にお礼を言った。

 

その言葉を適当にあしらって、猿神は部屋を出て行った。その後姿を見送って、小竜姫は横島に体が動くまで養生するように告げ、薬と食事を取りに台所へと消えていった。

 

 

結局まともに体が動くまで、そこから二日ほどかかってしまった。予定外に長引いてしまったために、美神から妙神山に連絡が来た。一応小竜姫が事情を説明してくれていたので、言い訳を考えなくてすんだのはいいが、仕事があるんだから、とっとと返って来いと、結構な調子で怒鳴られてしまった。慌てて、帰り支度を始めて、小竜姫達に、世話になった礼と、別れの言葉を告げて、横島は帰路についた。

 

 

その後、報告に向かった美神除霊事務所で、案の定美神に叱られ、おキヌちゃんには、涙目で諭された。シロは話を聞いても実感がわかなかったのか、尻尾を振りながら素直に横島の無事を喜んでいた。もっとも、一分後には、買ってきたお土産に、興味が移ったようだが。タマモは無関心におキヌちゃんが作ったきつねうどんを食べていた。

 

実を言えば横島も自分が死にかけた事について、ほとんど実感がなかった。猿神に聞いた方法を試した瞬間、意識を失ってしまったからだ。ただ、何か凄まじい痛みを感じた事と、とんでもなく恐ろしい経験をしたという記憶だけが、僅かに残っているだけだった。むしろ目覚めた後の方が、しんどい思いをした。立って歩けるようになるまで、起きている間中、倦怠感と頭痛、吐き気に悩まされ続けていたのだ。正直もう二度と経験したいとは思わない。自分から試さなければ済む話なので、大丈夫だろうが。

 

 

だから横島はそんな経験をあっというまに忘れ去った。

まさか異世界などという所にまで来て、再び試す事になるとは夢にも思わなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

閉じた目蓋の奥、黒く塗りつぶされた視界の中に、次々と白い線が浮かんでくる。

最初は途切れ途切れだった、か細い線が一本だけ。しかし次第にそれが太く、長くなっていき、数を増やしていく。直線や曲線、直角に折れ曲がったものや、螺旋を描いているもの、それが暗黒を塗りつぶしていき、全てが白く染まった。横島の脳を光が光速で飛び回っている。頭の中、頭蓋に閉じられた物は切り開かれ、脳の皺一本一本に、白い光が伝っていった。

 

 

そんな錯覚を感じるほど、その文珠の効果は絶大だった。視覚を除いた五感が収集したあらゆる情報を、脳が勝手に理解する。横島の耳が捉えた、周囲から聞こえてくる環境音。昆虫の鳴き声や動物が動く音、風の音やそれによって奏でられる葉のこすれる音。

その基本周波数、ご丁寧に音階や音域まで伝えてくる。

 

嗅覚は空気中に漂ってくる香りを成分別に分類し、腐葉土に混じっている微生物の種類と数を勝手に予測し、腐敗具合を推測する。湖の水の匂い、空気の匂い、木々や草花の匂い、獣の匂い、人の匂い。さまざまな匂いの成分の科学的な分析が無作為に行われていた。

 

無意識に倒れこんで、掌に接触した地面から、温度や湿度、倒れこんだ際に感じた圧力等、どうでもいい情報が脳内で溢れてくる。比較的ましなのは味覚だろうか、それでも噛み締めすぎて切れてしまった下唇の血の味を、基本味の甘味、酸味、塩味、苦味、うま味別に分類していた。

 

横島の意識など置き去りにして、脳が任意に複数の思考を展開している。最悪なのは、それらを科学的に解釈するため、単語や数式、元素記号などといった本来の横島には知る由もない物まで使って、強制的に収集した情報を”解析”し、そしてそれを横島に理解させてしまう事だ。

 

 

そう、この”解””析”の文珠は横島には使いこなせない。人体において最大の受容器である瞳を閉ざしてすらこの有様だ。初めてこの文珠を使ったのは、妙神山の客室だったが、密閉された室内ですら、視覚がもたらした情報の数は桁外れだった。文珠を発動した瞬間に、頭蓋が割れるような痛みを感じ、なすすべなく気絶してしまったほどだ。

 

この方法を考案した猿神も、その危険性について言及していた。出来うる範囲で、あらゆる原則を無視し、術者の願望を具現化する文珠は、使用者の予想を悪い意味で上回ってしまう場合があるのだと。例えばそれは単純な肉体強化などにも言える。筋力を強化し、通常以上の速度で走ろうと、自分が普段動かしている感覚で体を動かして、盛大に転倒するなどといった例もあるそうだ。だから文珠を使うときは、その危険性を十分に認識している必要がある。特に己自身にそれを使う際には。

 

 

「ぐぐぐぁぁぁあああああ、うぁあ、ぎぐぅぅぅ!!!」

 

 

意味を成さない呻き声があがる。食いしばった歯の間からギシリと異音が鳴った。そしてその音すら文珠の力は”解析”する。あらゆる角度から情報を嘗め回し、横島の脳をこねくり回す。意識を保っていられるのは、間違いなく目を閉じているせいだろう。もし目を開ければその場で失神する自信が横島にはあった。だが、こんなところで意識を失うわけにはいかない。最初で躓いてなどいられないのだ。頭の中を溢れる情報の波に意識を持っていかれそうになりながら、必死に作成手順を思い出す。

 

 

手順その一、”解析”によって己の霊基構造に刻まれた、特殊な文珠の制作方法を検索する。瞳を閉じたのは得られる情報を制限するためではあったが、ほかにも意味がある。霊視によって自分の霊体を視るのに都合がいいからだ。自分の魂を霊視し、設計図を理解する、それが第一段階。

 

横島は地面に這い蹲り、爪を立てて、目を回しそうな苦痛に耐えながら、慎重に霊視を行った。暗闇の中に深く落ちていく感覚。”解析”で必要な情報だけを取捨選択する自由はないが、それでもやらなければならない。例によって不必要な情報まで一緒に取り込んで、頭痛を悪化させながらも、横島は何とか第一段階を突破した。普段の横島には分かっていなかった、あの文珠の制作方法が理解できる。ああ、こうやって作るのかと。

本来、設計図は自分の魂に眠っていたわけだから、思い出したというのが正解なのだろうか?だが、とにかく作り方はわかったのだ。あとはそれを実行するだけだった。

 

 

手順その二、一つの文珠を三つの文珠によって”再””構””成”させる。その際には作り方を明確に理解している必要がある。適当なイメージで実行しても失敗してしまうらしい。だが、ここでも問題はあった。横島が自信を持って制御できる文珠の文字数は二文字までだ。文珠は文字を連結させる事で、その汎用性と効果が増すのだが、その分制御に莫大な霊力を必要とする。

 

正直に言えば、三文字の同時制御を行う自信が横島にはなかった。試した事すらあまりない。一応成功した事はあるのだが、それはベストなコンディションと極度の集中が出来うる環境が揃っていたからだ。今はお世辞にもそんな物は望めない。ともすれば痛みで失ってしまいそうな意識をギリギリのところで押さえているのだ。だが・・・・・それでもやらなければならない。

 

痛みをこらえるために、硬く握り締めたまま硬直している左手から、強引に文珠を一つ引き剥がした。爪が掌をえぐり、血があふれ出す。しかし、今更その程度の痛みはどうでもよかった。むしろ幾分か気がまぎれたほどだ。もっともその痛みも”解析”されていたが。えずくように咳き込みながら、左手に残った文珠に文字をこめる。目蓋を閉じているために見ることはできないが、成功しているはずだ。あとはこの文珠を使って、右手に握った文珠を再構成すればいい。

 

 

(あ・・あ、で・・でも、し・・失敗し・・たら・・お・・おわ・・り・・・だ・・な・・・)

 

 

制御に失敗すれば、単純に何も起こらないか、あるいは運が悪ければ、霊力が暴走を引き起こし、自爆・・・なんて事もありうる。そのどちらだとしても、失敗した時点で木乃香を救う事はできなくなってしまうだろう。明日菜に名乗った時、覚悟を決めたつもりだった。それでも、自殺のスイッチを自らの手で押すことになるかもしれないのだ。横島は震える手を止める事ができなかった。

 

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

閉じた目蓋に力を入れ、握った両手を地面に叩きつける。そして心の中で雄たけびをあげながら、左手を右手に押し付けた。光が溢れる。目蓋を通して眼球に光が差し込んでくる。両掌を祈りの形に組み合わせ、反動を押さえつけようとする。自分が扱える限界まで霊力を注ぎ込んで、強引に文珠の力を制御し続けた。

 

 

どれくらいの時間がたったのだろうか、極限まで集中していたために、時間の感覚を忘れていた。記憶は曖昧で途切れ途切れだった。ハッとして思わず握り締めた文珠に視線を送ろうと・・・・・・した所で、ぎりぎり目蓋を押さえつける。

 

危なかった。何の心の準備もなく、無防備に目を開けていたら、どうなっていたか。

元々汗まみれの頬を、新たに一筋の冷や汗が流れていった。恐る恐る組み合わせた両手を広げる。丸い形、暖かくも冷たくもない、硬い感触。普段使っている物よりも一回り大きい気がする。

 

成功した・・・はずだ。見た訳ではないので、はっきりとした確信はないが、”解析”結果はそう出ている。ホッとして横島は体の力を抜いた。自然と草花のベッドに横たわる。全身が弛緩して意識のタガは外れそうになっていた。そのまま、痛みからの解放を願い、欲求にしたがって、眠りに落ちそうになった所で、強く唇をかんで、気付けを行った。眠るわけにはいかないのだ。まだやるべき事が残っている。むしろ、ここからが本番だと言える。

木乃香を救うために・・・・・・・・・・・・

 

 

 

眼を開けなければならない。

 

 

 

”解析”の力を使い、怪物に融合してしまった”木乃香”を視るのだ。もし横島の予想通り、木乃香の魂がデミアンの体の中に存在するなら、ある程度木乃香自身の原型は残っているはずだ。文珠の力で分離する事はできなかったが、肉体が完全に失われてしまったとしたら、そもそも木乃香は生きていない。

 

ならば後は木乃香の体の状態を”解析”し、肉体を”再生”してしまえばいい。無から有を生み出すほどの力は、横島にはないが、デミアンの中には木乃香の体を構成する全てがある。”解析”で必要な部分を選別し、この特別な文珠で再構築を行う。それが横島が考えた策だった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

知らず荒い呼吸が繰り返される。その呼吸音も頭痛の元でしかないので、今まで声を出す事を懸命に堪えていたのだが、耐えることができない。怖いのだ、どうしようもなく。目を開けて桁外れの情報が脳内に侵入してきたら、自分はどうなってしまうのか。

ここは閉ざされた空間内ではない。目に飛び込んでくる情報量も尋常ではないはずだ。

そんなものに晒されて、脆弱な自分の精神はもつのだろうか?

 

 

(く、くそ、ちくしょう。だ、だめだ、め・・・・・目を開けなきゃ・・・目を開けなきゃ、木乃香ちゃんは・・・)

 

 

何度も何度も、自分に言い聞かせる。木乃香を救うために、あんな化け物に飛び掛っていった刹那。友達を失った事を認められずに涙を流していた明日菜。二人のことを思い出す。必ず助けると心に誓った。自分の力、全てを使って、二人の所に木乃香を返してやるのだと。

 

だがそれでも、それでも横島は、十三階段の最後の段を上る度胸がない。命綱なしで崖から飛び降りる勇気が湧いてこない。自分の命を投げ捨てるだけの覚悟がどうしても出来ないのだ。痛みが、恐怖が、絶望が、横島の心を捉えて離さない。それらと戦う強固な意思が横島には・・・・・・・・・・・。

 

 

(俺は、・・・結局駄目なのか?木乃香ちゃんを助けられないのか?・・・・・俺は・・・)

 

 

諦めが横島を覆いつくし、心が折れてしまうその瞬間。過剰な情報がもたらす騒音と苦痛、閉じた目蓋により何も見えないはずの暗闇の中で、誰かがそっと微笑んだ気がした。小さな光を感じる。緑色の暖かな光だ。黒い世界を舞うようにして、ゆっくりと飛んでいる。それはやがて薄ぼんやりとした人の姿に変わり、穏やかな視線を横島に向けた。そしてそのまま彼へと近づき、優しい声で言う。

 

 

大丈夫。あなたは・・・あなたならできる。

 

 

人影・・・・・”彼女”はそう断言し、柔らかな笑顔で横島の頬を愛おしげに撫でた。

 

 

(・・・・)

 

 

冷たい感触が頬を伝って、朧ろげな意識がはっきりとした。いつのまにか気絶していたらしい。うつ伏せで地面に倒れている。頭痛は治まることなく、相変わらずで、ほとんど体に力がはいらない。なけなしの根性でどうにか上体を起こす。近くにある木の根元まで這いずりながら近づき、なんとかそこに腰を下ろした。

 

夢を・・・みていた気がする。

それほどの時間、意識を失っていたとは思えないし、実際そうなのだろうが、何かが頭の隅っこに引っ掛かっていた。自分にとって重要な何かが、その夢に現れたような・・・。

 

少しだけその夢の内容を思い出そうとした横島だったが、結局何も思い出せなかった。

極限状態により、頭の中で勝手な妄想を作り上げたのかもしれない。実際そんな事をしていたとしても、おかしくないのだ。今の横島は。

 

早くケリをつけなくてはならない。そう決心し、湖の方角に目を向けようとした時、ふと気がついた事があった。あれだけ感じていた恐れや焦燥が心の中から消えてなくなっている。何故か知らないが、今の自分は、目を開けることに関して、恐怖を覚えていないのだ。なにか・・・・・うまくいく気がする。どうしてかはまったく分からないのだが。しかしそんな確信がある。

 

根拠のない自信が全身にみなぎって、横島は思わず笑っていた。痛みを感じながらなので、その笑いは引きつっていたが、これから廃人になるかもしれないというのに、やけくそではない、確かな笑いの衝動があった。声に出しそうになるそれを、頬の内側で押さえながら、前を向く。方向はこちらであっているはずだ。”解析”の力がそう示しているし、よもやあの巨体を見過ごす事もあるまい。不思議と穏やかな気持ちに包まれて、閉じていた瞳を開いていく。

 

 

 

今度こそ暗闇に本物の光が差し込んでくるのを感じながら・・・

 

 

 

横島はその場で、昏倒した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

・・・・・こ・ま・・・・・・よ・・ま・・・・・・・しま・・・・

 

 

誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

 

・・・・・・し・・・・・ま・・・・よこ・・・・・・ま・・・・・

 

 

焦りが声に出ていて、必死な様子が手に取るように分かった。

 

 

・・・・よ・・ま・・・・・・しま・・・・・・よ・・・ま・・・・

 

 

本当はまだ眠りについていたかった。何日間も徹夜をした後、ようやく眠る事ができた直後のように、ひどく頭が重たいのだ。

 

 

・・・し・・・・・・ま・・・・あ・・・い・げ・に・・いと・・・

 

 

それでもその呼び声があまりに真剣だったので、横島はなんとか目蓋を開いて、声の主を見た。

 

 

「う~ん、そこの美人で巨乳のおねーさま。なんか知らんけど死にかけてる可哀想な僕に、愛をください」

 

 

横島は霞んだ視界ではっきりと見通すことが出来ない、その姿めがけて、体を倒した。

 

 

「・・・・・あれ、そんな大きくない・・・・・」

 

 

むにむにと胸を揉みし抱きながら、寝ぼけた声を上げる。

 

 

「~~~~~~~~っっ死ねっ!このあほぉぉぉぉ!!」

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

地を這うすれすれから、天を突くように見事なアッパーカットが放たれる。凄まじい衝撃が横島の顎に走ったと同時に、重力を強引に突破して体がふわりと浮き上がった。そしていろいろと揉みくちゃになって、あちこちに体をぶつけながら、数ミリ程地面にめり込んで、ようやくその動きを止めた。

 

 

「あんまり遅いから心配してきてみれば・・・・・遠まわしな自殺がしたいなら、最初に言ってくれないとねぇ。あんた、こっちじゃ戸籍ないから身元不明で処理されるでしょーけど。安心しなさい、火葬はサービスしてあげるわ・・・」

 

 

「あぁぁ本気だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

バキバキと指を鳴らしながら、瞳を緋色に変化させているタマモがゆっくりと近づいてくる。地面に転がったまま、必死に後ずさりして、横島は命乞いを開始した。

 

 

「ち、ちがうんやっ!いまちょっと、あれだ。本調子じゃないんで、寝ぼけちまってただけなんだ!お前だって気付かなかったんだってば!」

 

 

意識を取り戻しても、ふらふらと頼りない己を叱咤しながら、懸命に体を起こす。頭痛は一向に治まっていない。なんだか体はだるいままだし、軽くめまいもしている気がする。まともに会話が出来るだけましなのかもしれないが。

 

ただ・・・・・一つだけはっきりしているのは、いま自分は気絶することなく目を開けていられるということ。ある程度、”解析”の方向性を絞る事に成功しているという事だ。意識を向けたものにだけ、力が働いているようである。それでも目から入って来る情報はかなりのものだが、何とか己を保っていられる。もっともギリギリの所で、かろうじて踏みとどまっているに過ぎないが・・・・・。

 

しかしこれならば、何とかなりそうだった。木乃香の救出に希望が湧いてくる。だが、今はとにかく目の前の脅威に対処しなければならない。放っておいたら、自分が上手に焼かれてしまう。思考を目の前で横島を殺しに掛かっているタマモの対処に切り替えて、視線を彼女に向けた。

 

 

「あれっ?お前今、変化したか?なんか胸のサイズが2cmほど大きくなっとるんだが・・・」

 

 

「死になさい」

 

 

極寒の地を連想させるほど、恐ろしく冷たい声とは裏腹に、灼熱の塊が横島めがけて放たれた。まったく容赦を感じないその炎は、タマモの殺意を具現化したように、オドロオドロしく、あっという間に横島の元まで迫ってくる。そして、悲鳴を上げて、その場に屈み込んだ横島に着弾する直前、右手に握った文珠が光り輝き、力場を形成した。

 

薄く緑に輝いているそれは、かなりの強度を持っているようで、なめるように辺りを燃やしている、タマモの炎をまったく寄せ付けていない。炎が発する熱からも完全に遮断されているようだった。

 

 

「ちっ、文珠か。やっかいね。・・・横島!!今素直に燃やされれば、体表面の40%程度を黒焦げにするくらいで許してあげるわよ」

 

 

「死んでしまうやないかっ!」

 

 

「一回くらい死んだほうが、世の女性のためでしょうが!・・・・・って、あれ?あんたが持ってるその文珠・・・」

 

 

タマモが目ざとく横島が持っている文珠の変化に気がついたようだ。目を細めて、横島の右手を観察している。その訝しげな視線に気がつき、横島もまじまじとその特殊な文珠に注目した。通常のそれよりも一回りほど大きい。見た目も変わっていて、いわゆる陰陽紋を彷彿とさせる。・・・よかった。やっぱり成功していた。ホッと一息つきながら、横島はその文珠を握り締めた。

 

 

「ひょっとして、それがあんたの切り札って奴なの?なんかいつも使ってるのと違うみたいだけど」

 

 

「ああ、こいつがあればたぶん何とかなる。後は明日菜ちゃんに協力してもらって・・・っとそういえば、あの子らは?」

 

 

「離れたところで待機してもらってる。あのエヴァンジェリンって娘が、かなりイラついてたから、早くしないと向こうから来るかもね」

 

 

些かげんなりとした様子で、タマモは小さく息をついた。横島が準備をしている間、木乃香の命が掛かっている緊迫とした状態で、延々と待たされて苛々としている彼女の相手をしていたのだろう。さすがにご愁傷様としか言えない。タマモは一つ首を横に振ると、気を取り直し、横島について来るように言った。

 

一応の準備が整った以上、ここでまごついている場合ではない。横島は頷いてタマモの後についていこうと足を踏み出した。直後、その一歩目を踏み外し、無様に転倒する。手を突くことにも失敗して、肩から地面に激突した。柔らかな草花が若干のクッションになったとはいえ、痛みと衝撃に、息が詰まる。どうやら思ったよりもかなり消耗しているらしい。何とかいつも通りに振舞っていても、ちょっとした事でぼろが出てしまう。舌打ちを一つして、力が入らない両手を震わせながら、何とか立ち上がろうとしている横島に気がついたのだろう。タマモが慌てて駆け寄ってきた。

 

 

「よ、横島。あんた大丈夫なの?顔色、真っ青よ・・・」

 

 

横島が目覚めた直後のごたごたのせいで、彼の調子に気がつかなかったタマモが心配げに声を掛けてくる。自分の顔色を客観的に見ることはできないが、タマモの表情を見るに、かなり悪いらしい。体調が悪いのは自覚しているので、驚く事ではないが、木乃香同様、自分の状態もあまり長く持ちそうもない。次の瞬間には再び気を失っているかもしれない。急がなくては。片膝を突いて、息を整えながら、横島はタマモに手を貸してもらおうと頼んだ。真剣な表情で頼み込まれ、黙って頷き返すと、タマモは横島の手を引っ張り上げ、肩に担いだ。そのままゆっくりと明日菜達がいる場所まで進み、一息ついた。

 

 

「わるい。待たせちまったな・・・」

 

 

開口一番、謝罪の言葉を口にした男の、あまりの消耗具合に、文句の一つも言おうと口を開きかけていたエヴァが、結局何も言えずに視線を逸らす。他の者も同様、横島の様子が明らかにおかしいことに気がつき、不安な表情を見せている。タマモに肩を借りつつ何とか立っている状態に見える。足元はふらふらと覚束なく、顔色は薄暗い夜の最中にあってさえ、はっきりと分かるほどすぐれていない。ネギ達と離れている間に何があったのか、そう思わずにはいられないほど、横島は疲れ果てていた。

 

 

「あ、あの・・・横島・・・さん。そ、それで、その、木乃香は・・・」

 

 

木乃香を助けると言った男が、何らかの準備を終えて帰ってきた事で、真っ先に木乃香救出の方法を尋ねたかったのか、明日菜が遠慮がちに声を掛けてきた。ほとんど病人のような横島を急かす事は避けたかったのか、途切れ途切れで、要領を得ていない。だが言っている事はよくわかる、横島の首尾を尋ねたかったのだろう。

 

 

「ああ、ここに来るまでに、ちらっと”視”てきたんだけど、たぶん何とかなりそうだ。

木乃香ちゃんの体も俺が予想した範囲でちゃんと残ってるしな、後は俺の力で木乃香ちゃんの体を作り直しちまえば・・・」

 

 

デミアンの肉体に半ば融合していたが、大本はしっかり残っている。足りない部分も全て把握していた。痛む頭を押さえながら、かろうじて笑みの形に唇を吊り上げる。自信ありげに見えただろうか?少しでも明日菜が安心してくれればいいのだが。そんなことを考えつつ、明日菜の表情をうかがっていた横島に、エヴァが疑問を投げかけた。

 

 

「ちょっと待て。それは何の事を言ってるんだ?木乃香を作り直すだと?人間の体を粘土みたいに・・・いや、それ以前に死んだ人間をどうやって」

 

 

鋭い視線に疑惑の感情をこめて、横島に詰め寄る。小さい体を必死に怒らせている姿は可愛らしくもあったが、その表情はひどく険しい。それは、ほかの者達も同じだった。あまりに突拍子もない事を言っている横島に戸惑いを覚えているようだ。彼女達の反応に驚いて、横島はタマモに視線を送る。

 

 

「お前、全然事情を話してないんか?」

 

 

「あんたの考えが何処まで正しいのか確証はなかったし、駄目でしたじゃすまない話でしょ?ぬか喜びさせるのも悪いと思ったから、準備とやらが終わるまで黙ってた」

 

 

別段悪びれる様子もなく、あっさりと言葉を返してくる。言われてみれば確かにその通りなのかもしれないが、木乃香は彼女達の身内なのだ。今の今まで木乃香が生きている可能性がある事を、まったく知らされていないのでは、不安になっても仕方がない。要するに彼女達はタマモの予想を聞かされて、木乃香は死んでしまっていると思い込んでいるのだ。

 

そんな状況で、木乃香の体がどうのと言っても通じまい。慌てて横島は自分の考えを彼女達に話していく。木乃香の体がデミアンの体と中途半端に一体化してしまっている事、だからこそ分離に失敗した事、それでも木乃香はちゃんと生きている事等、とても分かりやすくとは言えなかったが、何とかあたふたと説明していく。

 

 

「じゃ、じゃあつまり、木乃香さんはあの怪物になってしまっているって事ですか!?そ、そんな、ど、どうしようカモ君!あんなに大きかったら、寮の部屋に入らないよ!それに、帰りの電車にも乗れないし!」

 

 

「驚くとこそこかよ!お、落ち着けって兄貴!だから横島の兄さんが何とかしてくれるって話なんだろ!」

 

 

横島の言葉にパニックを起こしているネギが、場外ホームラン並みに的を外れた言葉を口にする。そんなネギ少年を必死になって諌めながら、カモが片手を器用に操って、横島を指差した。それを見返しながら横島は思う。なんというか、普通に人の言葉を話す動物に心当たりがないではないが、こいつは妖怪か何かなのだろうか。そうした知り合いは大抵、物の怪や神様なので、この小動物もそうなのかもしれない。別に詳しく”解析”しようとも思わないが。

 

 

「別に木乃香ちゃんが、あのデカ物になったわけじゃねーよ。ただちょっとだけ混ざりあっちまってるだけだ。だからこれから必要な部分だけを使って、木乃香ちゃんの体を新しく作り直そうって話だ」

 

 

疲れたように肩を落とし、ため息をついた横島が、ネギをなだめる言葉を口にする。

いつもは大抵自分が諭される役割なので新鮮といえば新鮮だ。少年の小さなおでこに、でこピンを一発くれてやり、落ち着かせる。叩かれた部分をさすりながら、ネギはすみませんと素直に謝った。

 

 

「おい、貴様。横島といったか・・・ずいぶんと簡単に言ってくれるが、何故そんな真似が出来る?重症の刹那を治したどころの話ではないぞ。先ほどの分離といい、貴様の力はいったいなんなんだ?」

 

 

そんな二人にエヴァンジェリンが再度質問をした。いや声の調子から詰問に近い。横島の顔を睨みつけながら、冗談を許さない雰囲気をかもし出している。そんな彼女に静かに寄り添っている茶々丸も、心なしか首を傾げているように見えた。

確かに彼女の立場で考えれば、横島の言動は怪しすぎる。

 

そもそも、脈絡なく突然現れ、いつのまにか状況の全てを把握していて、その解決策も持っている。その方法も明らかに既存の魔法技術とはかけ離れた代物で、まったく得体が知れない。これでは怪しむなというほうが無茶だろう。しかし、どんなに詮索されても話すわけにはいかない。それを話せば、今も感じている頭痛などより遥かに強大な苦痛が横島に襲いかかってくる。若干、今更の感は否めないが、こちらの生存が掛かっているのだ。死ぬ思いまでして何とか生き延びたというのに、事が終わった後で、己の上司に殺されるなど嫌過ぎる。絶対に秘密は死守しなければならない。

 

 

「わりーけど、そいつを話す訳にはいかねーんだ。冗談でもなんでもなく、こっちの命が掛かっちまってるから・・・」

 

 

元々青かった顔色をさらに青くさせ、もはや群青色に変化している。

あまりに真に迫った横島の台詞に、エヴァは思わず後ずさりしてしまった。

 

 

「い、命だと?し、しかしだな・・・」

 

 

死にかけの人間に命の話を持ちかけられれば、躊躇せずにはいられなかったのか、もごもごと口の中で言葉を探している。そんなエヴァに明日菜が真剣な声で訴えかけた。

 

 

「もういいよ、エヴァちゃん。横島さんが何者とか、今はそんな事どうでもいい。

木乃香を助けてくれるって言ってるんだよ?だったらこんな事してる場合じゃない」

 

 

硬い声音でそう言って、祈るように両手を組み交わし、口元を覆いながら、大地の一点を見つめている。ほとんど感情を感じさせない。それどころか、横島が来てからほとんど身動き一つしていないのは、気のせいではないはずだ。付き合いどころか、まともに会話をしたのは今日が初めてであるが、明日菜という少女はこんなにも、物静かだったろうか・・・。

 

この様子では、横島が来る前からずっとこんな調子だったのかもしれない。

詳しい事情は知らなかったが、明日菜にとって木乃香という存在は、ことのほか大きいものなのだろう。態度がそう示している。そんな彼女が心配でないわけがないが、彼女の言う通り、木乃香を助ける事が出来れば、それが一番の薬になるはずだ。横島はタマモを一瞥し、明日菜に向き直った。

 

 

「明日菜ちゃん、たぶん俺は木乃香ちゃんを助ける事ができる。でも、そのためには君の協力が必要なんだ。木乃香ちゃんの体を作り直すって言っても、彼女の事を俺はよく知らないからさ・・・」

 

 

優しい声で呼びかけ、視線を明日菜と合わせる。大本の木乃香の身体から、身体データの予測も出来ているのだが、例えば正確な顔の形やスリーサイズなどの情報は曖昧にしか分からない。全て元に戻すというなら、木乃香と親しい者の協力が絶対に必要になってくる。そこらへんは横島の好みに合わせてやってもいいのだが、そんな事をすれば、

間違いなく木乃香とかけ離れたプロポーションの美女が生まれてくるはずだ。

・・・・・案外本人も喜ぶかもしれないが、してはならない事というのがこの世にはある。

 

 

「えっ・・・・・でも、協力って私は・・・どうすれば」

 

 

突然の協力要請に戸惑いの表情を浮かべ、横島を見返す。明日菜自身は何の力も持たない一般人でしかない。ネギと会ってから、かなりとんでもない経験を積んでいるとはいえ、人間をどうこうするなどと、そんな大それた事に協力できるほどの物を何も持っていないのだ。

 

 

「んな無茶な事を言うつもりはねーんだ。ただ・・・そうだな、俺の右手に玉があるだろ?そいつに手を重ねて、出来るだけ正確に木乃香ちゃんの姿を思い浮かべてくれ。そうすれば、俺にも伝わってくるから・・・」

 

 

そういって横島は何かを握っていた様子の右手を開いた。そこには彼の言う通り玉があった。ビー玉にしてはそこそこ大きく、透き通っている。中央に曲線が描かれていて、全体が薄く輝いている。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな、そんな不思議な印象を与える玉だった。よく見れば、玉の中に文字が書かれていた。漢字・・・だろうか、見間違い出なければ、”伝達”と書いてあるような・・・。

 

頭に疑問符を浮かべながら、明日菜は素直に横島に従った。木乃香のことを思い浮かべる。長い間ずっと一緒にいた自分の親友の姿を・・・。明日菜が真剣な表情で、必死に集中していると、突然、手を合わせている玉・・・文珠が光を放った。まばゆい光が夜空を照らす。あまりに綺麗な緑の光が横島と明日菜、二人の顔を暗闇に浮かび上がらせていた。横島の脳裏に木乃香の姿が送られてくる。本当に真摯に思い描いていたのだろう。さまざまな木乃香がそこにいた。

 

寝巻き姿で寝ぼけている表情。制服を着て微笑んでいる表情。明日菜に勉強を教えている所なのだろうか、二人が机をはさんで唸っているのが見えた。木乃香は料理が得意らしい。明日菜がおいしそうに彼女が作った料理を食べている。そんな明日菜をとても優しく木乃香が見つめていた。

 

・・・そして、最後。どこかの広場でネギ少年と一緒に明日菜に何かを渡している木乃香の姿が見えた。プレゼント・・・なのだろう。おそらく。照れくさそうに、しかしそれ以上に嬉しそうな明日菜が、それを受け取っている。

 

見ているだけの横島まで、穏やかな気分にさせるほど、その光景は優しい空間だった。

しらず笑みを浮かべていた横島の手元で文珠の光がやんだ。なんとなく名残惜しく感じながら横島はそれを見つめていた。・・・とにかく十分すぎるほど、木乃香の情報が手に入った。これで、準備は全て整った。あとは明日菜を無事な木乃香と会わせてやるだけだ。呆然とした表情で文珠に視線を送っている明日菜を、優しげに見守りながら、横島は言った。

 

 

「身長152cm、スリーサイズは上から、73、54、76・・・か、まだまだ発展途上だけど、なかなかの美乳やな。後は、もちっと大きくなれば、言う事ないな。顔も可愛らしいし・・・それと体重が・・・・・」

 

 

さらりとセクハラをかましつつ、目の前の明日菜に向かって礼を言う。表情と言動が一致していない。その言葉を聞いたとたん、明日菜は重ねていた手を凄まじい勢いで離しながら、体全体で距離をとっていた。

 

なにか、目の前の男から猛烈に黒い気配を感じる。今まで気付かなかったが、なにやら世の女性にとってのよくないなにかのような・・・そんな明日菜をきょとんとした表情で見返しながら、横島は急に離された右手で頬を掻いていた。

 

 

「よし、とにかくこれで全部OKや。後はあのデカ物のところまで行って、木乃香ちゃんを引っ張り出すだけだな」

 

 

「どうでもいいけど、息をするようにセクハラすんのはやめなさいよ。私はまだしも、この子達はあんたに慣れてないんだから・・・」

 

 

タマモが横島の頭を軽く叩いて注意する。横島はよく分からなかったのか叩かれた箇所を撫でながら、とりあえず移動を開始した。先程よりはだいぶ体調がマシになっている。それでも、油断すれば、無意識に周囲の情報を”解析”しかねないので、気が抜けないのだが。うつぶせ気味に足を引きずりながら、額に汗して懸命に歩いている横島を見かねたのだろう。タマモが半ば強引に肩を貸していた。

 

ぞろぞろと連なって、夜の森を歩く。ここからでは、怪物、木乃香がいる場所まで微妙に距離がある。目の前に見えてはいるのだが、何しろサイズがサイズだ。目印に事欠かないが、横島が歩く速度に付き合っていては、かなりの時間が掛かってしまうだろう。

 

その事実を指摘し、エヴァが横島を運んでやると、若干嫌そうにしながら提案した。言われてみれば、空を飛べる者達が何人もいるのだ。無理して歩く事もないかと。横島はエヴァに礼を言った。その言葉を口にしたと同時に、ふわりと体が浮かび上がる。

 

重力に逆らい、身体が浮かび上がる感覚は、あまり慣れていないのだが、楽である事には変わりない。夜風を気持ちよく受け止めて、エヴァと横島はデミアンの残骸の元まで一気にたどり着いた。その後ろでネギたちが降り立つ。

 

あれだけ暴れていたというのに、湖の中にある舞台はしっかりと無事なままだった。足場に困らないのは重畳だ。下手をすれば、湖の中で作業をしなければならなかったのかもしれないのだから。全員がその場にいることを確認し、横島は怪物の体に視線を送った。”解析”の効果はまだ切れていない。意識を集中することで、怪物の内部、その奥底、構成されている、血、肉、内臓、筋肉、関節、骨など全てを見通す。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いた。

 

 

人間で言う所の心臓付近。その場所に木乃香の体はうつ伏せで、怪物の肉に沈み込んでいる。表情は分からない。完全に肉の一部に隠れてしまっている。グロテスクな赤いそれに、彼女の美しい黒髪が、ふわりと広がっている。おそらくとっくの昔に意識を失ってしまっているのだろう。かろうじて息をしているが、それも何処まで持つか分かったものではない。一度視線を切って、明日菜達に声を掛けた。

 

 

「これから、木乃香ちゃんを助ける。俺はちょっと集中しなけりゃならんので、木乃香ちゃんが出てきたら、そっちで何とか引っ張りあげてやってくれ」

 

 

「心配しなくても、しっかり見てるわよ」

 

 

タマモが請け負い。ネギと明日菜が真剣に頷きかけた。エヴァは何も言わないが、しっかりと監視しているだろう。茶々丸がいち早く空中に上がっていた。皆のその様子に一つ返事を返して、横島は表情を引き締めた。右手に握った文珠に文字を刻む。明日菜から伝わってきたイメージは、すでに”解析”してある。今の横島は木乃香本人も知らないであろう彼女自身のデータを、手に取るように理解しているのだ。ふらつく体で怪物の下まで進む。酔っ払いの千鳥足のように心もとない足取りだったが、横島は何とかたどり着く事ができた。

 

 

一度目を閉じ霊力を集中させる。そして、渾身の力で、文珠を握った右手を怪物の足に叩き付けた。

 

 

今夜その場所で起こった全ての力より遥かに大きな奇跡が具現化される。空間がうねりを上げて、膨大な光が天空へと上っていった。変化は突然起こった。微動だにせず立ち尽くしていた、怪物の成れの果てが、その事実を自ら思い出したかのように、ゆっくりと崩壊していく。硬質化して、奇妙な形に捻じ曲がっていた触手が先端部分からゆっくりと形を失って、形容しがたい獣の姿をした下半身も徐々にその身を分解していった。

どこか凛々しさを感じさせる鬼面がバラバラと朽ちていき、首の支えを失い瓦解していく。目に見えてその巨体が次々と体積を小さくしていった。さらさらと、砂が積もっている。

 

元々本体を失った時点で怪物、リョウメンスクナノカミと呼ばれ、デミアンに身体を乗っ取られた存在は、死滅しているのだ。この砂、塵は、その象徴だった。横島は眉間に皺を寄せながら文珠の制御に集中している。木乃香を構成しているもの、その全て、一片たりともこの崩壊に巻き込んではならない。やがて、怪物の体が完全に倒壊していく頃、その砂の山の中に、一筋の黒が現れた。長く、美しく、艶がある。柔らかさを感じさせるそれは、再生した彼女の黒髪だった。明日菜が涙を流しながら、彼女の名前を呼ぶ。

 

 

「木乃香!!」

 

 

砂の足場に苦労しながら、両手でそれをかき分け、一心不乱に彼女の元へと進んでいった。気が急いているのだろう。一刻も早く辿り着こうと懸命に両足を動かしている。

 

不安定な砂の山に足を取られ、転びそうになりつつ、彼女はその場所にたどり着いた。

明日菜の目の前に、木乃香がいる。瞳を閉じて、穏やかに寝息を立てて、ゆっくりと胸を上下させていた。その頬に一滴の涙がこぼれる。明日菜は木乃香を抱き上げて、周りをはばからず大声で泣き崩れていた。何度も何度も木乃香の名前を呼んでいる。力いっぱい抱きしめて、決して離さないと全身で表していた。やがて、それが苦しかったのか、小さく声を上げながら木乃香が静かに瞳を開いた。

 

 

「あ・・・・・明日菜?」

 

 

その一言を聞いて、言葉にならなくなってしまったのだろう。

何も言う事ができない明日菜は、ただただ木乃香を抱きしめていた。

 

 

「あれ?・・・・・・えーと、ウチ何してたんやろ・・・なんか凄く怖いめにあって・・・それで・・・」

 

 

自分の置かれた状況がまるで理解できていないのか、ぼんやりとした表情で、木乃香は自分を抱えて涙を流している明日菜を見つめていた。そんな二人にもらい泣きしていたネギが、泣きながらカモと一緒に歓喜の声をあげている。一人と一匹は手に手を取り合ってクルクルとその場で回っていた。その光景を見ていたエヴァが、腰に手を当てて呆れている。もっとも彼女の目の端もしっかり赤くなっていたが。そんな主の姿を、どことなく優しげに茶々丸が見つめていた。全員が木乃香の無事を喜び、言葉を掛けあっている。

 

タマモはそれを一瞥し、深く深く胸の内側に溜まっていた空気を吐き出した。そして砂の地面を踏みしめ、今回一番の功労者を掘り起こしに行く。倒壊したデミアンの真下にいたため、真っ先に砂に埋もれてしまったのだ。砂の山に一本の腕がぴくぴくと痙攣しながら突き出ている。気合一閃、腕の力だけでそれを掘り起こし、タマモは彼にねぎらいの言葉を掛けた。

 

 

「おつかれ」

 

 

「・・・・・・・・あぁ」

 

 

互いにひどく、くたびれた視線を向けあって、直後に笑顔を浮かべあった。

タマモがそっと突き出した拳に、自分の拳を合わせてから、彼女に手を引かれて立ち上がる。ひどく疲れていた。霊力のほとんどを使い果たしてしまったので、まともに立つのにも苦労する。このままここで眠ってしまいたい衝動に何とか耐えながら、横島は砂の山を慎重に下っていった。

 

砂の山を下りきって、しっかりとした地面に足をつけたところで、明日菜たちに視線を向ける。なんとなく声を掛けずらい。横島達が目に入っていないくらいに喜んでいる。

一応役目は終わったのだし、このまま挨拶抜きで消えてしまってもいいのかもしれないが、多少気後れを感じてしまう。どうしようか?そんな意味をこめてタマモを見つめるのだが、彼女は肩をすくめるだけで、何も答えてこなかった。まぁいいか。別段支障があるわけでもないし、さすがに今夜はこれ以上の問題も起きまい。いったんジークの所まで帰還し、それから文珠で麻帆良まで帰ってしまおう。そう横島が決心し、明日菜たちに背を向けて、歩き出そうとしたその時、そんな彼らの姿に気がついたのか、慌ててネギが声を掛けてきた。

 

 

「まっ、待ってください。横島さん!」

 

 

カモを肩に捕まらせ、大きな杖を振りながら、横島の所まで駆け出してくる。息を整えてから、ネギは言葉を発した。

 

 

「何処に行くんですか!?まだちゃんとしたお礼もしてないのに」

 

 

「何処って、まぁ帰るんだけどな。いい加減疲れちまったし、とっとと帰って寝たいんだ。お礼の方は・・・別にいいだろ。普段の俺なら飛びつく所だが、さすがに中学生相手じゃなんもできん」

 

 

助けたお礼に色々してもらうというのも望むところなのだが、中学生相手では横島の食指が動かないし、仮に手など出そうものなら、間違いなく美神に殺される。そんなあほな事になるくらいなら無報酬のほうが全然ましだ。さすがに金を要求するのは、はばかられるし・・・横島に純粋な感謝を捧げてくるネギを見ながら、彼は一つため息をついた。

 

 

「えっと、それじゃ、連絡先を教えてもらえませんか?後日改めてお礼に伺わせてもらうという事で」

 

 

「だから、言ってるでしょーが。私達のことは必要以上に話せないのよ。もうお礼とかいいから・・・・・・いえ・・・そうね・・・・・それじゃあ私達の事を、というか今夜起こった事を全部忘れなさい。それが報酬って事でいいわ」

 

 

隣で見ていたタマモが、さらりと無茶な事を口にする。確かに横島達にしてみれば、その方が都合がいいのだが、今回の騒動でネギの身内が二人も死にかけたのだ。それを全て忘れろなどと言っても、絶対に出来ないだろう。案の定、口元をひくひくと痙攣させ、ネギは何ともいえない様子だった。

 

 

「姉さんも無茶言うなぁ。まぁ要するに詮索無用って事なんだろうが・・・あんたら二人の事はともかく、あの怪物の事まで忘れろってのか?そういや、最初からあいつと関わりがあるみてぇな事を言ってたが、そっちの筋か?」

 

 

ネギの代わりに口を出しながら、カモが皮肉げに頬を吊り上げた。それに冷たい視線を浴びせかけ、タマモが返事をする。

 

 

「ノーコメントよ。その手には乗らない。まぁ確かに忘れろといっても無理でしょうけど、それでも努力しなさい。その方があなた達のためよ。一応忠告しておく」

 

 

それだけを告げてネギに背を向け歩いていく。横島もその後姿に急いでついていった。一度振り返りネギに挨拶する。

 

 

「それじゃな。明日菜ちゃんには、よろしく言っておいてくれ。それとエヴァちゃん、何も説明できんですまんけど、勘弁してくれ」

 

 

「ふん。貸しにしておいてやる・・・・・と言いたい所だが、今回は借りのほうが遥かに大きいか・・・ちっ、とっとと行ってしまえ」

 

 

「翻訳しますと・・・・・とても感謝してる、ありがとう。と、マスターは言っています。私からもお礼を申し上げます」

 

 

ネギに別れを告げた横島が、いつの間にか現れていたエヴァに謝罪し、彼女がとても、らしい言葉を返して、その言葉を茶々丸が勝手に翻訳し、何故か頭にあるネジを巻かれていた。そんな彼女達の様子に笑顔を浮かべながら、今度こそ横島はタマモの背中を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それで・・・・・・・・・終わっていればよかったのだが・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横島殿?・・・・・何故こんな所に?」

 

 

 

「か、楓ちゃん?・・・・・・・君こそなんで・・・・」

 

 

 

 

何故かその場に現れた楓の姿を見つけ、横島は間の抜けた返事を返すのだった。

 

 

 

 

 


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