ある人の墓標   作:素魔砲.

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横島達はその光景を、湖から少し離れた森の奥で呆然と眺めていた。

湖が燃えている。正確には炎が出ているわけではないので、燃えている訳ではないのだが、そう錯覚してしまうほどの強烈な光が放たれている。

気流にも影響を及ぼしたのか、生ぬるい風が横島の頬を撫でていた。

湖に立っている巨人の背丈を越える水柱が立ち上り、僅かな間雨を降らせる。

その直後に猛烈な水蒸気が発生し、周辺を霧が覆っているようにも見えた。

 

あまりに馬鹿げている。一目見ただけで、一介のGS見習いである自分には手に負えない事態だと理解できる。隣で自分と同じように、だらしなく口をあけて間抜けな顔をしているタマモに視線を向けた。しばらくの間無言で見つめ合う。

 

それだけで意思の疎通が出来たのか、二人は真剣な顔でお互いに頷きあった。くるりと湖から背を向ける。そして早足のまま、前傾姿勢でその場を後にする。いまだに背後から吹き付けてくる、生ぬるい風がその背を後押ししていた。

 

 

「ちょ、ちょっと待つんだ二人とも。だから何で逃げようとする」

 

 

突然湖で起こった常識はずれの光景に、通信鬼ごしで絶句していたジークが、その様子を見て慌てて横島達を引き止めた。どのようにして操作しているのかは分からないが、器用に通信鬼が回りこんくる。

 

 

「なんでもクソもあるかい。いくらなんでもあんなのは無理だっつーの」

 

 

歩みを止めないまま、ジークの顔も見ることなく、すたすたと先に進む。さすがに今回ばかりは、もうどうしようもないだろう。そばに美神がいるのならまだしも、この場にいるのは、見習いに過ぎない横島と、GSですらないタマモだ。

 

明日菜たちが気にならないといえば嘘になってしまうが、彼女達も、まさかあんなものとまともに戦おうなどとは考えまい。すぐに逃げてくるはずだ。

 

ジークに言わせれば、このままあの魔族を放置する事はできないのだろうが、何事も限度というものがある。小山ほども大きい魔族に自分達だけでどう対処しろというのか。

横島とは縁もゆかりもない世界の事とはいえ、この後の京都の住人には気の毒に思うが、さすがに命を懸けるだけの義理はない。

 

いや、そもそも自分程度の命を懸けたところで、どうにかなるわけがないのだが。

横島の目の前を鬱陶しく飛び回り、なんとか引きとめようとしていたジーク(正確には通信鬼だが)が急にその動きをやめる。そして、素直に横島達に並びながら、神妙な顔で言った。

 

 

「いや、そうとは言い切れない」

 

 

もしその台詞を苦し紛れに言ったのだとしたら、横島もタマモも、普通に無視していただろう。だが、ジークの言葉からは僅かに自信のようなものが感じられた。

二人がそろって歩みを止める。馬鹿正直にジークに付き合うつもりなどは一切ないが、それでも話くらいは聞いてやるかという気分にはなる。

 

このままでは後味が悪いし、なによりこの後で自分たちを待っているだろう上司の説教(物理)が恐ろしい。聞くだけ聞いてなんとかなりそうなら、もうけものだ。もちろん極力危険はなしの方向でお願いしたいものだが、無理なようなら逃げればいい。

 

 

「どういうこった?」

 

 

こちらが話を聞くつもりだと察したのだろう。ジークはほっとしたように息を吐いて、言葉を続けた。

 

 

「今なら・・・・・そしてやつ自身が言ったように、その正体がデミアンなのだとしたら、勝機はある」

 

 

ジーク本人も自分に言い聞かせているように、胸の辺りで拳を握り締めている。

 

 

「意味が分かんないんだけど・・・」

 

 

横島の隣でその姿を見ていたタマモがジークに懐疑的な視線を送った。

少し前、目標の魔族が、金髪の小さな魔法使いに、自分の名前を聞かれて、デミアンと名乗っていた。なんだか最初は様子がおかしく、名前を聞いたほうが戸惑っていたのだが、突然顔を上げて嬉しそうに名乗りを上げたのだ。規格外のサイズが子供のようにはしゃぐ姿は、率直に言えば気持ちの悪いものでしかなかったが、タマモにとってはそれだけだ。当然聞き覚えのない名前だったし、姿に至っては記憶のそこから消去したいほどの相手だ。一度でもあんなものを見てしまえば簡単には忘れられない。きっぱりと初対面だった。

 

そういえば、とタマモは思う。あの時ジークは、なぜかひどく驚いている様子だった。小さな声で、馬鹿な・・・ありえない、と言っていた。一人だけ何かに驚愕し、怖いほど真剣な視線を魔族に向けて送っていた。そのことと何か関係があるのかもしれない。タマモはジークの話に耳を傾けた。

 

 

「おそらく奴は、まだあの体を完全には制御しきれていない。ただでさえ、相手に取り付くようなタイプの能力ではないからなあれは。自分の能力で、強引に体の不足部分を、補っている状態なんだろう。その証拠に動かしているのは上半身の触手が主で、今いる場所からはほとんど動いていない」

 

 

説明している本人も、頭の中で状況を整理しているのか、額を片手で押さえている。

正直な所今から語るのは、全部推測だ。希望的観測と言い換えてもいいかもしれない。

本来、現場の指揮官がそんなものを振りかざし、実際に動く兵士(この場合は横島達だ)を巻き込むなど、論外だったが、それでもどうしても脳裏に浮かんだ着想が頭から離れない。

 

 

「そして制御するための霊力も、依り代自身の”魔力”から得ているはずだ。だとすれば、その供給源を絶ってやればいい」

 

 

もしそれに成功すれば、霊力を失ったデミアンは、おのずと崩壊する。なにしろ依り代自体はすでに死んでいるのだ。後は残ったデミアン”本人”を倒せばいいだけだ。しかしそこまでジークの話を黙って聞いていたタマモが異を唱えた。

 

 

「簡単に言うけど、どうするつもりなの?はっきり言ってあいつの霊力は私たちの比じゃないわ。生半可な攻撃じゃ全然通じないわよ?」

 

 

転生前はどうだか知らないが、今のタマモは上級魔族と戦うなど初めての経験だ。

それでも近くにいるだけで魂を圧迫されるような威圧感は肌で感じ取れる。とりあえず話しだけは素直に聞いてはいるが、本音は一刻も早くこの場から逃げ出したいのだ。

単独で狩りを行う狐の本能が全力で反応していた。あれは危険すぎる・・・・・近づくべきではないものだと。知らずに震えていた両腕を、抱えるようにしてさすっているタマモに、ジークは言った。

 

 

「そうだな・・・・・本来なら絶対に不可能だ。だが、横島君の能力なら、なんとかなるかもしれない」

 

 

そう言いながらジークは、落ち着きなく、その場で足踏みしていた横島に視線を送った。それにつられてタマモも横島を見る。二人の視線にさらされ、急に注目された横島が素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「へ・・・俺?」

 

 

思わず、横島は自分を指差して確認する。急に背筋が寒くなってきた。猛烈にいやな予感がしてくる。

 

 

「そうだ。術式や弱点をつくなどの工夫次第で、補える場合もあるが、通常の悪魔祓いは、基本的に、術者が悪魔の霊力を上回るしか方法はない。だが横島君の文珠は話が別だ。そうだな・・・・・綱引きを想像してみてくれ。依り代を制御しようとする力と、それに反発する力だ。その二つが今、奴の体で拮抗している。普通は反発する側に霊力を注ぎ込んで、悪魔を追い出すんだが、上級魔族が相手では、そもそも霊力の絶対量に差がありすぎる。片方に、幼児が加わったところで、拮抗状態は破れないだろう?だが、仮に文珠で魔族を直接”分””離”したらどうだ?綱引きの例えなら、全力で引き合っている縄を、中央でいきなり切断するようなものだ。まったく別ベクトルの力が発生する。」

 

 

しかしそれも絶対に成功する保証などない。横島の霊力で構成されている以上、単純な力負けで、文珠が作用しないといった可能性も十分ありえる。それでも、奴が己の体を完全に制御しきれていない今なら、少ない力でも通用するかもしれない。局のところ、これは賭けなのだ。ルールも曖昧で、倍率も知らされていない、普通なら誰もが避けるであろうギャンブルだ。そして賭ける物は自分の命・・・・・。

 

 

「どうする?横島君。タマモ君。説明しておいてなんだが、無理にとは言わない。

実行するのは君達だ、分の悪い賭けだといわれても、しょうがないからな」

 

 

このまま魔族を放置しておくリスクを考えれば、今の内に叩いておきたい所ではある。

遠からず、奴はあの肉体を完全に制御下に置くであろうし、今を逃せば、倒す機会を失ってしまうかもしれない。それでも、命を懸けるのはジークではなく横島達なのだ。軍人なら当然覚悟しておくべき事でも、民間人である横島達に強制は出来ない。

 

 

「ど、どうするって言われてもだな・・・・・」

 

 

横島の立場としては、きっぱりとお断りしたい。話を聞く限り、自分の役割が一番危険な気がする。まともに近づく事すら困難に思えるし、仮に近づけたとしても、うまくいくとは限らないというのだ。

 

横島には進んで命を賭ける理由はないし、ここは素直に撤退するべきだろう。後の事は美神にでも任せてしまおう。うん、それがいいね。そうしよう。心の中で二度頷いて、横島はジークにそんなのは御免だ、と伝えようと口を開いた。すると、その言葉を発する前に、難しい顔でタマモが口を挟んできた。

 

 

「ちょっと待って、もしかして、あんたあのデミアンって魔族の事知ってるの?」

 

 

タマモがジークに向かって、疑わしげな視線を向ける。まるであの魔族が、デミアンだからこそ、この作戦を思いついたというような言い草だ。それに、名前を聞いたときのジークの反応も気になる。そのことを告げると、別段隠すことでもなかったのか、意外にあっさりと白状してきた。

 

 

「ああ、知っている。私と横島君は奴と一度戦ったことがある。だから、その能力もある程度理解しているし、弱点も把握している。もっとも、あれが本当にデミアンだったらの話なのだが・・・・・」

 

 

なぜか、言葉尻に声を落として、ジークはタマモに告げた。

 

 

「は?俺はあんな、出来れば関わりになりたくないようなのは知らんぞ。おっかないオカマには、心当たりがないでもないけどな」

 

 

戦ったと言われても、横島にはまったく身に覚えがない。あれだけ大きな敵なら、さすがに忘れる事はないと思うのだが。

 

 

「覚えてないのか?君と初めて出会ったときのことだ。妙神山で美神令子を襲った刺客がいただろう?」

 

 

そう言われてもぴんとこない。確かあの時は、ワルキューレに事務所を追い出され、雪之丞に付き合って一緒に妙神山へ向かったのだ。その後命からがら修行を生き延びて、その後・・・・・。

 

 

「ああそういやいたなそんなの・・・・・。蝿野郎の事?」

 

 

「子供の方がデミアンだ」

 

 

確かにあの時、美神を狙っていた魔族と戦った。

言われてみれば、なるほど、あの時の気味の悪い子供は、今の気持ちの悪いオカマに似ていなくもない。サイズのことを気にしなければ、どちらも、同じようにグロテスクな姿をしている。横島は記憶の中のデミアンなる、子供の姿をした魔族を思い描きながら、思わず納得しそうになったのだが、すぐにおかしな事に気がついた。

 

 

「いや、あのガキなら美神さんにしばかれて、死んじまったじゃねーか。それに性格も全然違ってたぞ?」

 

 

あまり長く覚えておきたい姿でもないし、横島達に襲い掛かってきた魔族でもある。

なにより男の事なので、もはやおぼろげにしか横島の記憶に残っていないのだが、すくなくとも、あんな性格ではなかったはずだ。それに、なんで死んだはずの魔族が生きていて、しかも異世界なんて所にいるというのだろうか。あまりに脈絡がなさ過ぎる。これならまだ同姓同名の別人だと考えたほうが、理屈に合うというものだ。

 

 

「そうだ、奴はとっくに死んでいる。だから、あれはデミアン本人ではないのだろうな。だが、名前と能力が一致しているのは、あまりに不自然じゃないか?」

 

 

名前を名乗ったとき、偽っている様子は見られなかったし、能力も特に隠している訳ではない。ジークたちを警戒しているわけでもおそらくはない。ならば、あれがありのままだという事になる。ジークも、もし共通点が一つだけなら、奇妙な偶然だと、単純に割り切っていただろう。

 

だが、偶然の一致が二つ重なれば、疑いたくなるというのが人情だ。本物のデミアンと同じような力を持った、まったくの別人。この段階で推測できるのは、そんな所だろう。

 

名前については、本名なのか、あえてデミアンと名乗っているのか、だとしたら何故そう名乗っているのか、それは分からないが。しかし今重要なのは、能力のほうだ。あの魔族がデミアンと同じ能力ならば、ジークが立てた作戦が通用するかもしれない。

ジークが頭の中の考えを横島達に説明していく。すると・・・。

 

 

「つまり、明確な根拠は一切ないわけね。成功率云々の前に、作戦の前提自体が疑わしいと・・・・・」

 

 

ジークの説明を聞きながら、横目で魔族のいる方角を眺めていたタマモが、ため息混じりに呟いた。あれだけの巨体に戦いを挑むとしたら、ある程度の不利な条件は飲まなければならないだろうが、これは論外だとタマモは思う。あてずっぽうで、命をかけるなど出来るはずがないではないか。

 

 

「やめましょう。リスクが大きすぎる。ジーク、あんただって本当は分かっているんでしょう?自分の考えが単なる思い付きだって・・・」

 

 

「それは・・・・・」

 

 

タマモの指摘を受けて、ジークは表情を暗くする。もっともな話だった。彼女を否定する言葉を、ジークは何一つ持っていない。どうやら自分は、思っていたよりも焦っていたらしいと、心の中で反省する。冷静になって考えれば、無茶もいいところだった。

 

作戦に参加するかの是非を、二人に問う事すら、してはいけない事だった。本来なら、現場の指揮官であるジークが、真っ先に、この思い付きを否定しなければならなかったはずだ。口に出すべきではなかった・・・。

 

そう後悔しながら、タマモに向かって口を開こうとしたその時、なぜか隣にいる横島が、唖然として、湖を見ていた。何かあったのかと、ジークとタマモも慌てて後ろを振り返る。すると、二人の目に飛び込んできたのは、デミアンの触手で逆さ吊りにされた少女の姿だった。甲高い悲鳴を上げながら、なすすべなく、空中に引き寄せられている。

 

 

「女子中学生の触手プレイとは・・・・・ずいぶんとマニアックだな」

 

 

腕を組みながら、うんうんと頷きつつ、横島が的外れな感想を口にする。

その後ろ頭にタマモが全力で突っ込みを入れつつ、ジークに向かって疑問の声を上げた。

 

 

「どういうこと?何だって今更あの子が狙われるわけ?」

 

 

恐怖に顔が引きつってはいるが、あの娘は先程、こちらの世界の何者かにさらわれてしまった少女だ。結局傍観者であるタマモたちには事情がまったく分からなかったが、何故魔族までが彼女を狙うのか、さっぱり見当がつかない。

 

 

「そ、そんなことを言われても・・・・・・・・いや、まてよ、さっき奴が言っていたな。あの娘と一緒に京都に来たと。つまり、そもそも奴が依り代に選んだのは神楽坂明日菜ではなく、彼女のほうなのか?という事は、彼女は魔法使い?少なくとも奴が目を付けるほどの”魔力”を持っている事になるのか、そうだとしたら・・・・・まずい!」

 

 

タマモの疑問に答えるため、状況を整理していたジークが焦りを顔に出して、横島達に説明しだした。

 

 

「奴は、自分の体を制御するための霊力を、彼女から得る気だ。そうなったら、今度こそ手がつけられなくなるぞ」

 

 

元々、今の依り代である怪物自体死にかけていたのだ。

その影響かは分からないが、おそらく、デミアンが思ったほど、霊力を獲得する事が出来なかったのだろう。そのため、完全に己の肉体を支配下に置くことが不可能だった。

それならば、足りないものは、ほかで補えばいい。そう考えて、再び最初の候補である少女を狙った。そうして力を完全に取り戻す気だ。

 

 

「ここまでだ二人とも。気にするなといっても無理かもしれないが、急いでこっちに戻ってくるんだ。これ以上はもうどうしようもない。美神令子と連絡をとって・・・」

 

 

通信鬼を通した映像の中で、力なく首を振りながら、ジークは二人に撤退の指示を出した。横島達が京都から離れた後、どれほどの被害があるか、想像もつかないが、迷っている暇はない。美神令子と軍の上層部に連絡を取って、一刻も早く対策を協議しなければならないだろう。ここからは、時間との勝負になる。

 

時がたてばたつほど、京都の被害は激しさを増すだろう。眉間に力を入れて、奥歯をかみ締めつつ、ジークはこれからのことを考え始めていた。ジークの言葉を聞いて、後ろめたさを感じながらも、内心ほっとしていた横島だったが、捕まっている少女の様子を見て、戸惑いの声を上げた。

 

 

「おい、何してんだあの子?」

 

 

見れば、彼女を縛っている触手に向かって刀で切りかかっている、別の娘がいた。数日前に横島を追い回した少女だ。身の丈ほども長い刀を懸命に振りかざし、触手を切断しようとしている。だが幾度切りつけても、効果がないのか、触手が切れる様子はない。

泣き出してしまいそうに、顔を歪め、焦燥感をあらわにして、何度も何度も、助けを求めている女の子を救おうとしていた。しかしそうしているうちに、とうとう捕まっていた少女の姿が、触手に埋もれて完全に見えなくなってしまった。

 

その光景を目の当たりにして、刀の少女が、悲痛な叫び声を上げる。己の魂を絞りつくすような、聞いているこちらの胸が苦しくなるほどの叫びだ。激昂し、全力の一撃を触手に浴びせる。だが、そんな少女をあざ笑うかのように、非常な現実が彼女に訪れていた。刀が折れていた。握り締めている柄付近から、綺麗に折れてしまっている。

 

目の前の現実が信じられないのだろう。彼女は呆然としながら、それを見ていた。

だがそんな事情は魔族には関係ない。邪魔者を追い払うように、勢いよく触手が振り下ろされる。そして横島の見ている前で、少女の小さな体は尋常ではない速度で消えてしまった。

 

それを見た瞬間、ドクンと横島の心臓が跳ねる。体を流れる血流が全て止まってしまった錯覚を覚える。瞬きすらも忘れて、一切が停止し、体は硬直して動かない。頭の中は当然のように真っ白で、何も考えられなかった。

 

それでも、するべき事を分かっていたのかもしれない。

白濁した思考を裏切って、いつのまにか横島の両足は、機械的に交互に地面を踏みしめていた。頭の後ろで横島を呼ぶ声が聞こえる。そのことに気がついても、歩みを止める気にはなれなかった。そう、自分は走り続けなければならない。何があっても足を止めてはならない。全力で目的の場所までたどり着かなければ・・・・・・。

 

規則的に耳に入ってくる自分の呼吸音を聞きながら、夜の森を全力で走りぬける。

ろくに視界がきかない中で、ほとんど速度を落とすことなく進むのには限度がある。

途中、木の根に躓き、枝に引っ掛かれ、藪に足を取られて、前方の木に激突しそうになった。突然の段差で足を踏み外し、勢いよく地面に転がる。体中が泥にまみれ、口の中にまで入ってきた。

 

乾ききってしまっている口内で、無理やり唾と一緒に土を吐き出す。

心臓が口から飛び出しそうなほど、激しく鼓動を刻んでいる。一度立ち止まってしまった事で、余計に疲労を覚えてしまったようだ。両足が無様に震え、立つ事も困難だった。それでも無理やり、近くの木にすがり付き、懸命に体を起こす。

己を叱咤し、勢いをつけて、掴まっていた木から手を離した。

 

再び走り出す。月は出ているはずだが、その光は森の中までは届かない。横島は特別夜目が利くわけでもない。転び、倒れ、そのたびに立ち上がりながら、一心不乱に走っていた。それでも、どれだけ横島が頑張っても、夜の森で大した速度は出ない。転倒しながらでは、なおの事だ。だからそれは、偶然や奇跡と呼べるものだったのかもしれない。茂みをかき分け、泣き言を口にしながらでも、横島はギリギリ間に合う事が出来たのだから。

 

視界が開ける。月明かりが、疲労で倒れこみそうになっている横島を、やさしく包み込んでくる。そこはちょっとした広場のような場所だった。柔らかそうな草花が、夜風に揺らめいて、美しい光景を作り出している。もっとも今の横島にとっては極上の羽毛布団にしか見えないが。

 

寝っ転がりたい・・・・そんなことを思いながら、震える足を強引に押さえ込み、膝に手をついて、荒い呼吸を繰り返す。頭を上げるには、あと少しの時間が必要だった。体力自慢の自分がこれだけ疲労したのは久しぶりだ。いつぞやのシロの散歩どころではない。やはりろくに道幅のない、夜の森の全力疾走は無理があったか・・・・・。

 

しばらくは疲労回復に努めていたが、まだ休むわけにはいかない。うつむいていた顔を上げ、背筋を伸ばそうとしたところで、めまいが横島を襲った。ふらふらとその場に倒れ付す。そして、霞んだ視界で、こちらに驚いた表情を向けている者達に助けを求めた。

 

 

「さ・・・・・さんそー・・・」

 

 

「え、えっと、あの・・・・・」

 

 

一番近くにいた、少年が戸惑いの声を上げた。緊迫した状況で唐突に現れ、なぜかいきなり倒れこんだ男に助けを求められて、おろおろと狼狽している。そのほかの人物も似たようなものだ。登場してすぐ、退場しそうな、横島に対して、的確な反応が取れずにいた。

 

まぁそうだよな、と横島も思う。どう贔屓目に見ても今の自分は遭難者だ。体中泥まみれだし、所々、枝に引っ掛けて血が滲んでいる。不振人物と思われても仕方ない。ため息をつきそうになりながら、横島はなんとか立ち上がろうと体に力を入れた。

 

倒れこんだことが、逆に功を奏したのか、かろうじて立ち上がる事はできそうだ。

呼吸もだいぶ正常に戻ってきたことだし、本当ならこんな風に倒れてる暇などないのだ。急がなければ。まだ少女の様子を見てはいないが、怪我をして危ないようなら横島が助けなければならない。

 

 

(これでもし、ここにいる連中が魔法でとっくに治してました、なんて事になってたら、アホもいいとこだな俺・・・)

 

 

めまいが起きないようにゆっくりと体を起こし、魔族によって吹き飛ばされた少女を探す。すると横島の視線の先で、血にまみれ、今にも死に掛けている刀使いの女の子を見つけた。軽くスプラッタな光景に、若干ビビリながらも、横島は慌てて少女の元に近づいていった。本来なら、誰かが横島を制止していただろう。突然現れた、ズタボロの男が、死にかけている仲間に無造作に近づいているのだから。それでも誰も横島に声を掛けなかったのは、やはり驚きがまだ抜けきっていなかったからだろう。

 

横島にとっては好都合だが、それもいつまで持つか分かったものではない。

少女のそばに近寄り、膝をつく。幸いな事にまだかろうじて生きている。魂が離れている様子もないし、これならば、横島でもなんとかなる。意識下にしまわれている文珠を取り出し文字をこめた。そしてそのまま、少女の体に文珠を押し付け・・・・ようとしたところで、ふと、傍らに転がっている折れた刀が目にとまった。なにげなく、刀を手に取り、文珠に刻んだ文字を書き換えて、今度こそ使用する。

 

光があふれた。夜の最中でもまぶしさを感じる事もない、優しげで、柔らかな光。そして少女の体に変化が訪れる。あらぬ方向へと折れ曲がり、皮を突き破って外に出ていた骨が、見る見るうちに正常な位置へと戻っていく。所々が断絶していた筋繊維も元の形に繋がり綺麗なピンク色を見せている。そして、それを包み込むように新しく皮膚が再生し、体中についていた傷が跡もなく塞がれていった。血の気を失い、蒼白だった顔色も、健康的な色合いを取り戻している。断続的で今にも止まってしまいそうだった呼吸は、穏やかな正常なものへと変わっていった。少女を照らし出した緑色の光が収まると、あれだけの重症、というよりも確実な致命傷が、嘘のように消え去り、傷をおった痕跡すら残ってはいなかった。

 

横島は念のために、少女の様子を確認する。ある程度見回したところで、納得したのか満足げな笑みを浮かべた。よかった。素直にそう思う。苦労してここまで来た甲斐があったというものだ。ぎりぎりの所だったが何とか間に合った。いやーよかった。

 

うん、よかったなー・・・・・・・・・。そんな事を考えながら、横島の額に一筋の汗が浮かぶ。事が無事に済んで、胸をなでおろしたのはいいのだが、冷静になってみると、あれ?今の自分は結構やばいのではないか?という疑問が心の中に浮かんでくる。

 

ジークからは、この世界の住人の前で、霊能力を使うなと口がすっぱくなるほど言われていた。一般人はもちろんの事、魔法使いという超常の技を使う人種にも、秘匿しなければならないのだと。だからこそ、今日は朝からなれない尾行の真似事なんかをしなければならなかったのだ。前回、魔族と戦った時も、文珠で姿を隠してまで、素性がばれないようにしたというのに・・・・・。

 

最悪なのは、この事が、美神とジーク達依頼者との間で結ばれている契約事項にしっかりと明記されているという事だ。違反した場合、確か報酬から差し引かれるのではなかったか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

横島の汗が尋常でないほどの量に変わる。思わず想像してしまった美神の笑顔が、明確な恐怖となって横島の脳髄を侵していった。恐る恐る後ろを振り返る。そこには、先ほど横島が現れたときよりも、遥かに驚愕の表情を浮かべた、明日菜たちの姿があった。

 

慌てて顔を少女に戻して、横島はなんとかこの場をごまかす方法を考え始めた。

深呼吸を一度し、意識して表情を真面目なものに変える。そのまま勢いよく振り返り、右腕を上げて、挨拶をした。

 

 

「それじゃー僕はこれで、いやー、おつかれっしたー」

 

 

「茶々丸、その男を捕らえろ」

 

 

「了解しました」

 

 

「あぁぁ、やっぱりか、こんちくしょー!」

 

 

滑らかな動きで、茶々丸と呼ばれたエプロンドレスの少女があっさりと横島を捕縛する。と同時に、しっかりと関節を固めてきた。一応暴れなければ、それほど痛みを感じない程度に、力加減をしてくれているようなのだが、まったく身動きが取れない。

膝裏をけられ、強制的に、膝立ちにさせられた。何処で習ったのかと疑問に思うほど、見事な捕縛術だった。

 

 

「ぼーや、刹那はどんな様子だ?」

 

 

油断なく、横島に睨みを利かせている金髪の少女が、少年に尋ねた。

 

 

「え?はっ、はい。・・・・・・あっ!な、治ってます。折れた腕も脚も全部!」

 

 

指示を受けた少年が、慎重に刀使いの少女の体を調べていく。

最初は触れる事で、傷を悪化させないように、躊躇しているように見えたその動きも、段々と大胆になっていく。ざっと見ただけでも、少女の体がまったくの健康体である事に気がついたのだろう。しだいに声の調子が、嬉しそうな響きへと変わっていった。

 

 

「ほっ、本当なの!ネギっ。せ、刹那さん、治ってるの?もう大丈夫なの?」

 

 

いまだに状況がつかめずに、おろおろとしていた明日菜が、少年の歓喜の声を聞くと同時に、彼のもとへと突進していく。そして、そのままの勢いで、少年の胸倉を掴み上げ、ぶんぶんと振り回す。

 

 

「ちょ、あ、明日菜さん、お、おちついて~」

 

 

「あ、姐さん。お、おちつけって。首、しまってる。しまってるから」

 

 

よほど強く握り締めていたのか、少年の顔色がみるみる悪化していく。

明日菜の肩に乗った、なぜか喋る事ができる小動物が懸命にその動きを制止していた。

それからしばらくして、明日菜が正気に戻った時には、件の少年は目を回して地面に倒れこんでしまっていた。

 

 

「ご、ごめん。でもほんとなの?刹那さん、無事なのね?」

 

 

明日菜が目じりに涙を浮かべて、必死な様子で、げほげほと咳き込んでいる少年に尋ねた。なにせ、死ぬか生きるかというほどの重症だったのだ。そんな大怪我をおった人間があっさりと回復したなどと、にわかには信じられないのだろう。

 

 

「はい。顔色も全然良くなっているし、ほら、明日菜さんも見えるでしょう?腕も足も元に戻ってます」

 

 

よろよろと、なんとか立ち上がる事に成功した少年が、刀使いの少女に視線を向けた。

 

 

「えーと。さっきまでは、慌ててたから、気にしてる余裕がなかったんだけど。大丈夫だって分かったら、気が抜けちゃって・・・・・

まともに見れないかも・・・・・」

 

 

視線を少年に向けたまま、明日菜が自分の肩を掴んだ。無理もないかもなと、関節を極められ、情けなく地面に押し倒されたままの横島は思う。なにせ、完全に回復したとはいえ、いまだに周りは血だらけなのだ。臨場感がスプラッター映画の比ではない。生の現実は、もれなく血のにおいまで、空気に乗って運んできてくれる。まったく嬉しくないサービスだ。

 

 

「あ・・・・・・と、とにかく、刹那さんはもう大丈夫そうです。・・・・・・たぶん、この人が何とかしてくれたんじゃないかと」

 

 

少年、(ネギというのか)は横島のほうに視線を向けて、自信なさげに呟いた。

つられてその場にいる全員が横島を見つめる。誰もが、突然現れ、自分達の仲間を救ってくれたこの男に、どう反応していいか分からなくなっている。

 

 

「あー、とりあえず、刹那が無事でなによりだ。それで・・・・・この男なんだが」

 

 

金髪の小さな魔法使いが、戸惑いを見せつつ横島を指差す。そして、ゆっくりと近づき、見下ろしながら、胡散臭いものを見るような目つきで質問を開始した。

 

 

「おい貴様。いったい何者だ?どうやら刹那を治してくれたようだが、何をしたんだ?」

 

 

性格なのだろう、無意味に高圧的な態度で、こちらを睨みつけてくる。

最初に相手を威圧して、必要な情報を得ようとする様は、何故か慣れ親しんだある人物を彷彿とさせられるのだが、外見の問題で、小さな子供が、精一杯強がっているようにしか見えない。それに、地面に伏している横島の目の前で、踏ん反り返っているものだから、下着が丸見えになっている。

 

 

「うーむ。アングルはいいんだが、なにぶん年齢がな・・・・・十年後に期待だな」

 

 

「?・・・何を言っているんだ?」

 

 

「へ?・・・・・あ、いや、こっちの話で・・・うわははは」

 

 

男の本能に従って、スカートの中身を見てました、ともいえないので、ごまかすようにして視線をそらし、笑い声を上げる。体勢的に辛いものがあるのだが、ごまかし笑いは、得意な方だ。まったく意味はないが。

 

 

「えーと俺が何者かって言われても、たんなるGS見習いの高校生なんだけど・・・・・」

 

 

横島が地面に押し付けられたまま、僅かに苦しそうな声で答える。

まさかまともに答える訳にはいかないし、全力で嘘をでっち上げる気なのだが、この状況で整合性のある嘘をつくには、自分のおつむでは無理な気がする。とりあえずは、適当に会話を継続しつつ、なんとか打開策を考えなければならないだろう。

ひょっとしたら、その間にタマモが助けに来てくれるかもしれない。

 

 

「GS見習い?何だそれは?」

 

 

意図的に眉毛の角度を吊り上げ、横島に尋ねてきた。こちらの世界にはGS協会もないのだから、当然の疑問だろう。

 

 

「な、何だって言われてもだな。その・・・・・」

 

 

質疑応答開始一分で、話が途切れる。どの程度自分達の情報を渡しても差しさわりがないのか、横島にはわからない。あからさまな嘘はすぐにばれてしまうだろうし、何より横島は、この手の女王様タイプの押しには弱いのだ。思わず従ってしまいそうになる。

結果的に曖昧な態度で接する事しかできなくなり、段々と、目の前の魔法使いは機嫌を悪くしていった。

 

 

「なるほど、まともに話す気はないわけか・・・まぁいい、そっちがその気なら・・・」

 

 

「あああ、なんか猛烈ににいやな予感がするぅぅぅ!!」

 

 

目じりの角度が急速に跳ね上がっていくにつれて、凄惨な未来が頭に浮かんでくる。

どうか、この子の折檻が美神程ではありませんように、と頭の中で横島が祈りをささげていたその時。

 

 

「待ってください」

 

 

少年の姿をした救世主が金髪の少女を制止した。

 

 

「エヴァンジェリンさん。その人は刹那さんを助けてくれたんですよ。あんまりひどい事は・・・」

 

続けて、ネギ少年のすぐそばに立っていた明日菜が、彼に加勢してくる。

 

 

「そうよ。私達、まだまともにお礼も言ってないし」

 

 

彼らにしてみれば、横島は大切な仲間を、危ないところで助けてくれた恩人だ。

横島の素性を気にはしているだろうが、ひどい事をしてまで、無理やり聞きだす気もないのだろう。

 

 

「そうは言うがな、お前達は、この男が怪しいとは思わんのか?まるでこちらの様子を伺っていたといわんばかりに、都合よく登場しおって」

 

 

実際その通りなので、まったく反論できない。ついでに言うと朝からずっと、明日菜をストーキングしていたりする。自然と横島の口元がひくひくと痙攣し、こめかみに一筋の汗が流れた。

 

 

「そ、それは、気にはなりますけど、それとこれとはまったく別の問題ですよ。

茶々丸さん、とにかくこの人の拘束を解いてください。これじゃまともに話も出来ないですし」

 

 

ネギがエヴァンジェリンと呼んだ少女の指摘に、僅かに怯みながらも、反論する。

話を聞くにしても、拘束したままである必要はない。確かに横島の今の体勢は少し辛いものだった。

 

 

「ちっ、茶々丸、離してやれ。ただし、また逃げようとしたら、もう一度押さえ込め。今度は手加減抜きでな」

 

 

ネギに説得されたためか、横島を押さえつけていた圧迫感がなくなる。

ずっと同じ体勢でいたので、凝り固まった体をほぐすように、なんとなく肩をまわしながら、横島は立ち上がった。後ろを振り返ると、知り合いのマリアに何処となく雰囲気が似ているエプロンドレスの少女が、感情を感じさせない瞳をこちらに向けていた。

どうやら監視しているらしい。どことなく居心地の悪さを感じて、佇んでいた横島に、ネギと明日菜、ついでに小動物がお礼の言葉を口にする。

 

 

「あの、どなたかは知りませんが、ありがとうございました」

 

 

「刹那さんを助けてくれて、ありがとうございました。本当に助かりました」

 

 

「ありがとよ兄さん。どう見ても大した奴には見えねーのに、あんたずいぶん凄い治癒魔法使うんだな」

 

 

頭を下げ純粋な感謝を横島に向けてくる。もとの世界では、そんな経験がほとんどないために、なれない様子で横島は、慌てて二人に頭を上げさせた。

 

 

「あ、いや、別にそんな大した事じゃ・・・・・あと、そこの動物。誰がぼんくらや誰が」

 

 

「動物って言うな!俺っちにはアルベール・カモミールっていう名前があるんでぇ!あとぼんくらとまでは言ってねー!」

 

 

「長いなぁ。動物で十分じゃないか?」

 

 

しばらくの間、パタパタと手を振りつつ、アルベールなんちゃらの抗議を軽く受け流していた横島だったのだが、そのうち、明日菜が自分の顔を凝視している事に気がつく。何か忘れている事を思い出そうとしているように、眉間にしわが寄っている。

そんな彼女の様子にネギも気がついたのか、どうしたのかと明日菜に質問した。

 

 

「どうかしましたか?明日菜さん」

 

 

「うーん。なんかこの人に見覚えがある気がするのよね・・・最近どっかで会ったよーな」

 

 

横島は己の心臓が一度跳ね上がるのを感じた。考えてみれば自分は数日前にこの娘に声を掛けているのだ。幸いな事にまだ気がついていないようだが、早々に思い出してしまうかもしれない。このままではいかん、なんとか話をそらさなければ。とっさにうまい言葉が出てこないが、それでもなんとかしようと横島が口を開き掛けた時。アルなんちゃらが、まともに取り合おうとしない横島に業を煮やしたのか、言葉を荒げて、ふてくされた声を出す。

 

 

「だいたいだな、こっちが名乗ってるのに、まともな返事も返さないとはどーゆー事だ。凄い治癒魔法が使えるからって、お高くとまってんじゃねーぞ」

 

 

フンフンと鼻息荒く、一気に言葉を続けて文句を言ってくる動物(アなんとか)だったが、言葉を返したのは横島ではなく、エヴァンジェリンの方だった。

 

 

「ふん。治癒”魔法”ね・・・・・」

 

 

決して大きな声ではなかったにもかかわらず、その呟きは森の中に響き渡った。

腕を組み、投薬実験中のラットを観察する研究者のように、冷静で冷徹な眼差しを横島に向けている。

 

 

「刹那の方をよく見てみろ。こいつが刹那を癒したのは間違いないだろうがな、同時に折れたはずの刀も元に戻っている。お前達が話をしている間に調べてみたが、折れた箇所も継ぎ目一つなかったぞ。人体の回復と物質の修復を同時に行ったわけか・・・・・それにな、こいつが刹那に何かをしたとき、魔力を感じたか?ぼーや?」

 

 

魔法使いであるネギに対して、エヴァンジェリンが質問する。

突然話を向けられたためか、一瞬戸惑っていたようであったが、すぐさまネギは彼女に答えを返した。

 

 

「すみません。とっさの事で自信はないんですけど、言われてみれば確かに魔法が発動したときの感覚がなかったような」

 

 

何しろあの時は、突然現れた横島に驚いていたために、じっくり観察する余裕がなかった。それは、ネギ以外も同じだろう。その時の事を思い出そうとするように、彼は夜空を見上げた。

 

 

「まぁいい、疑問はまだあるぞ。私もさっき思い出したんだがな、あの緑色の光。大停電の夜、あの影が消えた時も似たような光がなかったか?」

 

 

「あ・・・・・あった!あの気持ち悪い人影がいなくなった時も、緑色に光ってた。綺麗だったからよく覚えてる」

 

 

その場にいた明日菜が大きな声で、肯定の言葉を返す。あの夜の事はそう簡単に忘れることができない。何しろ一度はもう駄目かと思ったくらいなのだ。

 

 

「おかしいとは思っていたんだ。あの時、奴が撤退する理由はなかった。ぼーやの魔力が尽きた時点で、こちらはほとんど詰んでいたんだ。結局明確な目的は分からんままだったが、私が狙いなら、あのまま目的を果たせばよかったはずだ。にもかかわらず奴はいなくなった。つまりあれは奴自身の意思で消えたのではなく、何らかの干渉を受けた結果なんじゃないか?そしてそれがあの緑色の光なのでは?」

 

 

一言一言に意味を持たせるように、何らかの含みを感じさせる口調で横島に言葉を投げかける。そのたびに横島は視線をあらぬ方向へと飛ばし、額から汗を流して、落ち着きをなくしていく。

 

 

(あ、あかん。この子鋭すぎる。まるで美神さんみたいやないか・・・)

 

 

エヴァンジェリンが、向こうの世界にいる上司級の鋭さを発揮して、横島を追い詰めていく。正直自分の手には余る事態だ。まさかこんな子供にしか見えない娘が、これほど厄介な存在だったとは・・・・・。周りを見てみると、ネギや明日菜も横島を見ている。一応の恩人に、あからさまな疑惑の視線を投げかけるのは、躊躇しているのか、それほどの強い視線は感じないが、こんな話を聞かされて、不信感を抱いていないはずがない。本音では、このまま横島がエヴァンジェリンの追求に負けて、素直に事情を話してくれることを願っているはずだ。

 

 

「出来れば納得のいく回答が欲しいところなのだがな・・・・・まぁまずは貴様の名前から」

 

 

追い詰めた獲物をなぶるようにエヴァンジェリンが僅かに魔力を放出して、横島に問いかけようとしたその時、彼のすぐそばの茂みから何かが勢いよく飛び出してきた。

 

 

「何をしとるか、あんたはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

「ぶべらっ!」

 

 

飛び出した勢いをそのままに、猛烈なとび蹴りが横島に向かって放たれる。

その場にいた者が思わず拍手をしてしまいそうなほど、そのとび蹴りは見事に横島の顔面を捕らえていた。空中で華麗にトリプルアクセルを決めつつ、重力に従い地面に向かって顔面から着地を決める。ツッコミに対する反応としては見事な技術点と芸術点だった。

 

 

「なにしやがんだこら!危うく首から上が吹っ飛ぶところだったじゃねーか!」

 

 

横島が普通に考えればありえないほど元気に起き上がり、とび蹴りを食らわしたタマモに抗議の声をあげた。

 

 

「やれるもんならやってみなさいよ!・・・・・あんたねぇ、朝から私達が何のために苦労してたか忘れたわけじゃあないでしょうね」

 

 

こめかみに青筋を立てつつ、犬歯をむき出しにしてタマモが横島に詰め寄ってくる。

その様子にビビリながらもなんとか横島は弱弱しく反論を返した。

 

 

「だ、だってしゃーないやんかー。不可抗力ってやつや」

 

 

蹴られた頬を押さえながら、涙目でいまだに目を覚まさない刹那という少女に視線を送る。横島の視線の先で、大量の出血跡が残っている場所に、横たわる彼女の姿を見つけ、いろいろ察したのだろう、タマモが深いため息をついた。

 

 

「はぁ、なるほどね、まぁこの際しょうがないか。でも美神さんに怒られるのはあんた一人でやってよね。私は関係ないから」

 

 

「いっ、そ、そりゃねーだろ。ちっとくらいは庇ってくれてもいいじゃねーか。報酬減っちまったら美神さんになにされるか」

 

 

その未来を、想像力豊かな横島の脳内が、高画質で再生してくれた。背中に氷柱を入れられたかのような悪寒が走る。映画にすれば確実にR指定の残虐ファイトだ。いや、一方的な殺戮なので、戦いですらない。何しろ前金だけでも目玉が飛び出るほどの高額な報酬を貰っているはずだ。当然損失額も横島の想像のはるか上をいく。

いったい自分の給料何か月分なのだろうか?考えたくない・・・・・・・・・。

 

 

「まぁ、あんたの言う通り、仕方がなかったのも事実だし、美神さんもそこまで怒らないんじゃない?」

 

 

「お前は、あの人との付き合いがまだ浅いから、そんなのんきな事が言えるんや、

こと金が関係している時の美神さんの恐ろしさがまったくわかっとらん」

 

 

確かに美神にも意外に優しい所はあるのだが、今回は額が額だ。横島の言い訳が通じるかどうか知れたものではない。タマモは必要以上に自分を庇ってはくれないだろうし、シロは純粋に役に立たない。

 

ここは、やっぱり最後に残った砦である、おキヌちゃんの背後に全力で隠れつつ、全身全霊で土下座するしかないかもしれない。横島の土下座が、どれほどの効果があるかといえば、すずめの涙程度だろうが・・・・・やらないよりはましだ。

 

ちなみに、ほとぼりが冷めるまで逃亡生活を送るというのも考えたが、即座に却下した。何処に逃げようと美神の手からは決して逃れられないだろう。間違いなく見つかる。余計な事をして、怒りに油を注いでしまえば、本当に命の危機だ。最初から素直に謝ったほうが何倍も生還の確率は高いだろう。

 

とにかく言えるのは、これ以上自分達の情報を、明日菜達に渡してはいけないという事だ。なんとかしてこの場を離れて、ジークに合流し、彼に泣きついて今回の事をなかった事にしてしまえば・・・。

 

 

「あの・・・・・えっと、その人はいったい・・・・・」

 

 

ぶつぶつと、今後の対策を考えていた横島に、ネギが遠慮がちに声を掛けてきた。

横島に続き突然現れた、タマモの事が気になるのだろう。ちらちらと視線を送っている。

 

 

「あー・・・・・こいつは俺の仲間で・・・」

 

 

「ストップ、そこまでよ」

 

 

一応差し障りのない程度に、タマモの事を紹介しようとした横島をタマモが制止した。

 

 

「悪いけど、あんた達にこれ以上話す事はないわ。こいつが勝手に飛び出したせいで、

仕方なく回収しに来たけど、本当なら姿を見せるつもりもなかったしね」

 

 

背中越しに親指で横島を指しながら、タマモはきっぱりと断言した。

ここに来る前、ジークに言い聞かされていたのだろう。迷いを一切見せていない。

そして横島の襟首を掴み、遠慮のない力で引きずっていく。

 

 

「お、おい、もうちっと優しくしてくれ!首が絞まってるっての!」

 

 

「だったら自分で歩きなさいよ」

 

 

「後ろ向きで引っ張られてるから、うまく立てんのじゃー!」

 

 

ぎゃーぎゃーと騒がしくしながらこの場を離れようとしていた二人を、エヴァンジェリンが慌てて呼び止める。場の空気に流されて、何も言い出せなかったが、このまま二人を返すわけにはいかないのだろう。

 

 

「ちょっと待て、何をいきなり帰ろうとしている」

 

 

その言葉を聞いて、タマモが面倒そうに振り返った。

 

 

「なによ」

 

 

「何じゃない。貴様らいったい何者なんだ?突然現れて、何の説明もなしに帰るつもりか?」

 

 

「だから言ってるでしょ、これ以上は話せないって。こっちにも都合があるの」

 

 

それだけを言い終えて、タマモは横島を引っ張っていく作業に戻った。

 

 

「だからいったん手を離せー!」

 

 

再び首を絞められながら、横島は苦しそうに文句を言った。もっともタマモはあっさりその抗議の声を無視していたが。

 

 

「ちっ、逃がすか。茶々丸!」

 

 

「了解」

 

 

エヴァンジェリンの声が聞こえると同時に、茶々丸が横島達の進路をふさいだ。機械仕掛けの瞳がどことなく、鈍い光を放っている。一瞬にして辺りに一触即発の緊迫した空気が流れる。横島とタマモは否応なくその場に立ち止まる事を余儀なくされた。

 

 

「悪いがはいそうですかと、貴様らを逃がすわけにはいかん。何しろ大停電の夜から起こっている不可解な出来事に、説明がつくかもしれんのだからな」

 

 

物理的に周囲の温度が下がっていく。よく見るまでもなく、エヴァンジェリンの周辺から物騒な気配が漂っていた。このまま横島達が帰ろうとすれば、ひと悶着ありそうだ。タマモが横島をつかんでいた手を離し、瞳を細める。

 

急に支えを失ってしまったために、本日何度目かも分からない地面への接触を果たした横島も、あたふたと慌てて立ち上がった。正直、この魔法使いの少女の物騒さは、あそこにいる魔族とどっこいどっこいだ。まともに戦えばえらい事になる。

かといって逃げるのも難しそうだ。

 

拘束されていた横島にはわかっている事だが、茶々丸と呼ばれている、おそらく人造人間の少女も一筋縄ではいかない。なんとか、戦いが始まる前に、彼女達とタマモを説得しなければならない。横島がなけなしの勇気を振り絞ろうとしたその時、別の場所から彼女達を止める声が聞こえた。

 

 

「ま、待ってよエヴァちゃん。そんな事してる場合じゃないでしょ。何かすっかり忘れてるみたいだけど、あの怪物に木乃香が捕まってるのよ!」

 

 

身振り手振りを交えながら、焦った様子で明日菜が大きな声を上げた。

 

 

「そりゃ私もこの人たちのことは気になるけどさ。でもこれ以上、木乃香を放っておけないよ。それに一応刹那さんの恩人なんだし」

 

 

ちらりと横島を一瞥し、すぐにエヴァに向き直って明日菜は彼女を説得した。

 

 

「そうですね、急いで木乃香さんを助けないと」

 

 

すかさずネギもそれに同調する。口には出していなかったが、ネギも明日菜もずっとそのことが気になって仕方がなかったのだ。刹那の無事が確認できた以上、どれだけこの謎めいた二人連れが気になったとしても、仲間を助ける事を優先したい。

 

 

「う・・・しかしだな・・・・・ちっ、仕方ない。まずは近衛木乃香の救出が先か・・・」

 

 

二つの真摯な視線にさらされ、さすがにこれ以上の追求をあきらめたのか、エヴァがたじろいだ様子で頷いた。到底納得しているようには見えないが、それでも優先順位ははっきりしているのだろう。一度だけ口惜しげに横島達を睨みつけ、ネギ達と相談を開始する。

 

 

「だが、救出とはいっても簡単にはいかないぞ。何しろ奴の体内に取り込まれているのだからな。あれをバラスのは簡単だが、さっきのような大規模な殲滅呪文を使えば、近衛木乃香まで巻き添えにしてしまう」

 

 

「どうにかして木乃香さんの位置を特定できませんか?」

 

 

「そいつは難しいんじゃねーか。いくら闇の福音とはいえ魔法も万能じゃねーし、出来る事と出来ない事があるぜ、兄貴」

 

 

「黙れ小動物。しかし確かにこの獣の言うとおりだ。あらかじめこちらで、位置を特定できる物を持たせていれば、話は別だが」

 

 

「彼女の魔力をたどるのはどうですか?」

 

 

「さっきからやってはいるが、まったくわからん。何らかの妨害が働いているのかもな、それに魔力感知はもともと大雑把なものでしかない。それにだ、仮に位置の特定に成功したとしても、生半可な攻撃は通じないだろう。奴の再生能力は異常だ、やるなら相応の攻撃力がいる」

 

 

「でも、そんな事したら木乃香が危ないんじゃないの?」

 

 

「そうですよ、木乃香さんまで傷つけてしまったら・・・」

 

 

いつのまにか横島達をそっちのけで、ネギ達が頭を寄せ合い知恵を絞っている。

好都合ではあるのだが、別れの挨拶もなくこのまま消えるのに、少しだけためらいを覚えてしまう。

 

 

「なぁ俺達帰っちまっていいのかな?」

 

 

「なによ、むこうが無視してんだからおとなしく帰ればいいじゃない」

 

 

せっかく、揉め事を起こすこともなく穏便に済ませそうなのだ。これ幸いにと撤退してしまえばいい。

 

 

「でも、あの子らだけで、その、木乃香っていうのか、その子を助けられると思うか?」

 

 

「何が言いたいのよ」

 

 

「いや・・・・・・ジークの作戦がもし成功したら、全部うまくいくんじゃないかって・・・」

 

 

頬をかきながら、横島が気まずげな視線をタマモに向けた。ここに来る前、ジークが横島達に提示した例の作戦。文珠を使った魔族本体と依り代の分離が、もし成功すれば、囚われている木乃香も同時に魔族から切り離せるのではないか。

 

少なくとも、いま明日菜たちが相談している、木乃香がいる部分を探知し、魔法で切り離すという案より安全に人質を救出できるのではないか。たどたどしい口調で横島は自分の考えをタマモに話していく。

 

 

「あんたねぇ。そのことはさっき結論が出たでしょう?ジーク自身が認めたじゃない、ただの思い付きだって」

 

 

「そりゃまぁ、そうなんだが・・・・・俺らが帰っちまったらその子は・・・」

 

 

タマモが腰に手を当てながら、聞き分けのない子供に言い聞かせるようにして横島を説き伏せる。ジークが立てた作戦の成功率自体、相当低く見積もらなければならないだろうし、そもそもの根拠も当てにならないときてる。

 

タマモには自殺願望などない。命を掛けなければならないほど、その木乃香という少女と関わりを持っているわけではないし、好き好んで死地に立とうとするほど、博愛精神にあふれてはいないのだ。それは横島も同じだろう。何しろこの男は、この世で一番大事なものは、自分の命だと公言しているのだから。

 

 

「私達、その子の事、ほとんど何も知らないのよ?それに仮にやるとしても、一番危険なのは、横島、あんたじゃない」

 

 

なにしろ文珠を使えるのは横島だけなのだ。しかもその使用には、ある程度あの怪物に近づく必要がある。魔族に気付かれてしまえばアウトだし、もし接近できたとしても、本当に文珠が効くという保証もない。一撃加えて効果がなければ、待っているのは確実な死だ。この世界で自分以外の霊力を感じたら、デミアンは間違いなくその能力者を生かしてはおかないだろう。真っ先に殺しに来るはずだ。

 

 

「そんな事は言われんでもわかってるけどな・・・・・・・・・俺は・・・・・」

 

 

顔をうつむかせ、葛藤している横島を、しばらくの間タマモは見つめ続けた。そして、今日一番の深いため息を盛大につく。

 

 

「要するに、その子を助けたいのね。あんたは」

 

 

付き合い自体はそれほど長いとはいえないが、それでも、この分かりやすい男の考えている事は、なんとなく分かる。どこか甘いのだ、こいつは。結局のところ、その娘を見捨てる事ができないのだろう。かといって自分から命を掛けると言えるほど、勇気があふれているわけでもない。

 

 

(本当はこんなのは、私の役目じゃないんだけど)

 

 

横島の背中を後押しするのは、自分ではなく、美神の役目だ。

うつむいたまま動こうとしない横島を引っ張って、タマモはネギ達の方へと向かっていった。突然自分の腕を引っ張って、ずんずんと進んでいくタマモに驚きながら、されるがままにされていた横島の耳にネギ達の声が聞こえてくる。

 

 

「やはり、やってみるしかあるまい。多少の危険に目をつぶらなければ、何も出来ん」

 

 

「でも、せめて木乃香さんが何処にいるのか位は把握しないと」

 

 

「そうだぜ、いきあたりばったりで失敗するわけにはいかねぇんだ」

 

 

「そんなものは戦いながらでも探るしかない・・・・・言いたくはないがな、時間がたつほど、あいつは」

 

 

「聞きなさい」

 

 

不意にネギたち以外の声が、その場に響いた。

事が魔法に関することなので、ほとんど口を出せずにいた明日菜が、声のした方向を振り向く。そこには、刹那を助けてくれた男と、自分と同い年くらいの少女の姿があった。鋭い目つきで、明日菜たちを見つめ、本当はこんな事を言いたくないといわんばかりに、不本意そうな顔をこちらに向けている。そして、その表情のまま一方的に話を開始した。

 

 

「あんた達だけじゃ、その木乃香って子を助けるのは無理よ。分かってるでしょう?人質が傷つくのを恐れて、ちまちま攻撃しても埒が明かないって」

 

 

いきなり会話に割り込んできた上に、そんなことを言われれば、当然反発する人間がここにはいる。

 

 

「余計なお世話だ。関係ないものが口を挟むな」

 

 

「確かに関係はないわね。でも、それでもこいつはその子を助けるつもりみたいよ」

 

 

ぐいと横島の腕を引っ張り明日菜たちの前に出す。

 

 

「何?」

 

 

「いいから黙って聞きなさい。詳しくは説明しないけど、私達はあの怪物を倒す手段を持ってるし、その子を助ける事もできる。木乃香って子の無事を願うなら、私がこれから言う作戦に協力して頂戴」

 

 

タマモがまったくの無表情で、立て続けに言葉を並べていった。協力を請うているにも関わらず、愛想の一つも見せてはいない。それも当然かと横島も思う。タマモは最初からジークの作戦には乗り気でなかったし、それは今も変わらない。横島に付き合ってくれているだけなのだ。だがそんなことより聞き捨てならない事を口にしなかっただろうか?

 

 

「お、おい。作戦に協力しろって、この子らも巻き込むんか?俺らの事は・・・」

 

 

「分かってるわよ。私達の事情を話す気はないわ」

 

 

その心配は当然理解していると、タマモが横島に向けて一度頷く。

 

 

「ちっ、何を言うかと思えば。・・・ろくに自分達の素性も明かす気がない輩を信用しろというのか?」

 

 

「無理に信じる必要はない。あなた達も私達を利用すればいい」

 

 

「だから!利用するにも、貴様らの事が何一つ分からんのでは、無理だと言ってるんだ!」

 

 

「わかった。最低限のことだけ言うわ」

 

 

相手の剣幕を受け流すように、タマモは冷静な声で説明を続ける。

 

 

「あのデミアンって奴を倒すには、本体をたたく必要がある。今見えているのはあいつが操っている死肉みたいなもので、どれだけ攻撃しても意味がないのよ。だからまずはあいつの本体を表に引きずり出さなきゃならないわ。それはこいつの力があればなんとかなる。そして、その過程で木乃香って子も怪物から切り離されるはずだから、あなた達はその瞬間に備えて欲しい。空中で飛び出してきたら、誰かが受け止めないといけないから」

 

 

本当に最低限の事を早口で説明していく。なぜデミアンの正体を知っているのか、本体を引きずり出す具体的な方法など一切説明していない。もちろんそれらを話すわけにはいかないのだが、そんな説明で一方的に協力させようとしても、怒らせるだけなのではないかと、横島に一抹の不安がよぎる。案の定その説明を聞いたほとんどの人間が、渋い顔を見せた。黙って聞いてみればあまりに都合のいい話だ、疑いを持たないわけがない。

 

 

「あの・・・ちょっといいですか?」

 

 

「なに?」

 

 

「その本体を引きずり出すってどうやって?」

 

 

「答えられない」

 

 

「そもそもあのデミアンって怪物に、本体があるってのを何であんたが知ってんだ?」

 

 

「それも答えられないわ」

 

 

遠慮がちに質問してきたネギと、その肩に乗っているカモの疑問をきっぱりと却下して、タマモは続きを話し始めた。

 

 

「でも問題がないわけでもない。ある程度の距離までこいつをデミアン近くに連れて行かなければならないの。それをあいつが黙ってみているとも思えない」

 

 

この作戦の一番のネックは間違いなくそこだろう。一応”隠”の文珠を使えば、なんとかなるかもしれないが、今回の標的は湖の中にいるのだ。そこまで歩いていくわけにはいかないし、タマモに頼んで空から行くという案もあるにはあるが、ちょっとした事情でそれが出来ない。一度”隠”れてしまうと横島を掴んでいる感触すら失われてしまうのだ。互いが互いの居場所を見失ってしまうので、綿密な連携が取れなくなる。そして一番の問題は、文珠の力で”隠”れても何故か水や鏡には姿が映ってしまうという事だ。横島自身もその事に気が付いたのは結構最近だったりする。

 

 

「つまり、この人をあの怪物にばれないように近づけさせればいいってこと?」

 

 

なんとか話しについていこうとして、明日菜が難しい顔でうんうんと唸っている。

 

 

「確かにあれだけの巨体なら、うまく死角をついてやれば、接近できるかも知れねぇが」

 

 

小動物であるにもかかわらず、こちらも明日菜と似たような顔で、うまく表情を作っている。

 

 

「でも、それなら囮が必要なんじゃないかな?湖の上じゃ隠れる事もできないし、近づくのが一人だけだと目立ってしょうがないよ」

 

 

大きな杖を握り締めながら、ネギが意見を出していく。

いつのまにか、すっかりタマモが話していることを前提にして、作戦会議を進めている。なんというか順応能力が高い子供達だ。こんなにあっさり信じられてしまうとこっちとしても釈然としないものがあるのだが。横島が苦笑しながらタマモと顔を見合わせた。

 

 

「ちょ、ちょっと待て、お前ら。何故いきなりこいつらの言っている事を信用しているんだ?」

 

 

この中で一番横島達を疑っているだろうエヴァンジェリンが、慌てて仲間達に警告を発する。

 

 

「だって、考えてみたら、この人たちが私達をだます理由が思いつかないし・・・・・」

 

 

「まぁ確かに素性を話さないのは気になるけど、それはこっちもお互い様だしなぁ・・・」

 

 

「それに、刹那さんを助けてくれた恩人ですし、一刻も早く木乃香さんを助けるためにも、やれる事をやらないと・・・」

 

 

二人と一匹が互いに頷きあって、目的を一つにする。何処からか、一人はみんなのために、みんなは一人のために、と聞こえてきそうだ。

 

 

「お、おまえら・・・」

 

 

いつのまにか少数意見の側に立たされたエヴァが力なく呟いた。いつまでも疑り深く警戒している自分が馬鹿らしく思えてくる。

 

 

「えぇい、わかった、わかった。私も協力すればいいのだろう!?協力してやるとも!」

 

 

今でも、この怪しい二人を信用しているわけではないが、ネギ達の言う事にも一理ある。年長者である自分がしっかりと警戒していればなんとかなると、エヴァはやけくそ気味に自分を納得させた。

 

 

「苦労してんだな・・・エヴァちゃんて言うんか?」

 

 

「同情するな!それと、なれなれしいぞ貴様っ!」

 

 

なんとなく親近感を感じた横島が、生暖かい視線をエヴァへと向けたのだった。

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

「そういや、ネギっつたっけ、おまえ。片腕が石ってのは、あれか?変わった体質かなんかか?」

 

 

「んなわけあるか!ってそうだ兄貴。石化の魔法も早いとこなんとかしねーと」

 

 

「あん、それ魔法でそうなったんか?だったら、ほれ」

 

 

「あっ、すごい!治ってる」

 

 

「んじゃ、とっとと行くかー。なんか知らんが、あのエヴァって子、すげーおっかねーし」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

夜空を照らす月を眺めながら、デミアンは湧き上がってくる笑いの衝動を抑えることができなかった。体内を循環する霊力の脈動が、今も心地よく感じられる。霊力が存在しないこの世界では、デミアン自身も詳しく理解できてはいない”魔力”を己の中で霊力に変換しなければならない。確かに霊力の代替品としては、かなりの物だったが、それでも、完全に自分の霊力を補完できているわけではないのだ。簡単に言えば無駄がある。”魔力”を霊力に変換する時点で一定量の取りこぼしが発生するのだ。

 

そのため、燃料タンクである魔法使いの魔力は多ければ多いほどいい。上級魔族である自分の腹を満たすまでには程遠かったが、それでも今回の獲物は特上級の大当たりだった。器自体は長い間封印されていた事も影響してか、魔力自体は大して残っていなかったが、それでも、自分の霊力で肉体を再生しきってしまえば、相応の魔力を取り込めるだろう。今は都合のいい”予備タンク”もある事だし、このまま、もう少しの間待っているだけで自分は完全に復活を果たす事ができる。

 

そうなったらまずは何をしようか?デミアンは頭の中で少し先の未来を夢想する。

何しろ今までは蝉のように暗い地中で、己の霊力を温存する生活を強いられていたのだ。待望の自由をこの手にした今、少しくらいの無茶は許されるだろう。

 

そうだ、とりあえず京都の町を廃墟にしてしまおう。そこに存在する人間をおもうさま蹂躙し、阿鼻叫喚の地獄絵図を現実にしてしまおう。どのみちこの世界では、自分を傷つける可能性を持つ存在はいないのだ、なぜなら霊力を持っている者が一人もいないのだから。頭の中で、か弱い虫けら共が、哀れな悲鳴を上げて逃げ惑う姿を想像し、デミアンは一人満足げに口元を吊り上げた。

 

その時、視界の隅に動くものを見つけた。顔を動かし見てみると、先ほど少しだけ遊んであげた吸血鬼の娘が、一人ゆっくりとデミアンの眼前に浮かび上がってくる。どうでもいい事なので、すっかり忘れていたのだが、そういえば、この娘とは遊ぶ約束をしていたのだった。ただの吸血鬼にしては御大層な力を持っているようで、調子に乗ってデミアンの体をバラバラにしてくれたのだ。もっとも、あれはこちらの茶目っ気で、わざと抵抗しなかったからなのだが・・・・・。

 

 

「あら、もうさっきの娘と、お別れは済んだの?それなら約束通り遊んであげてもいいのだけど・・・」

 

 

うつむき加減でこちらを睨みつけてくる吸血鬼の娘を、なぶるように見つめる。この様子ではさっき自分が叩き落した娘は苦しんで死んだのだろう。特に手加減したわけでもないので、即死していなかっただけ運がよかったのだろうが、その分苦痛は長引いたのかもしれない。心地よい敵意が、デミアンの体に注がれていった。

 

 

「なによ、返事くらいしたら?それとも、すぐに始めるつもり?せっかくの情事なのだし、じっくりと愛撫から始めてほしいものだけど。せっかちなのは嫌われるわよ?」

 

 

わざとらしく、くねくねと体を動かしながら、挑発するように言葉を口にする。しかしそれでも彼女は一向に返事を返さない。ただ暗い瞳でこちらを眺めてくるだけだ。さすがに、違和感を感じて、いぶかしげな視線を目の前の相手におくる。その後もいろいろな言葉でさまざまな挑発を繰り返したのだが、一向にまともな反応を返さない。

さっきまでとは、まるで別人のようだった。

 

 

「あのねぇ、私も暇じゃないから・・・・・いえ、今は結構暇なんだけど・・・そういう事じゃないのよっ!とにかく、やる気がないなら帰ってくれないかしら、目の前に辛気臭いのがいると、せっかくのハッピーな気持ちが沈んでいっちゃうのよね」

 

 

これから自分が行うはずの殺戮を想像して、ほっこりと胸と股間を熱くしていたというのに、こんな不景気な空気をばら撒かれてはたまったものではない。いろんな意味で消ちんしてしまう。しかし・・・・・それでも返事を返さない。

 

いい加減イラついたデミアンは、眦を吊り上げ、警告なしで攻撃を開始した。

両腕の触手から、凄まじい威力の霊波砲が放たれた。月明かり程度の光源しかない山間の景色が昼間のように照らされる。垂直に走った稲光のごとく、その攻撃は尋常ではない速度で標的を滅ぼさんと、直進していった。吸血鬼の娘が慌てて回避行動をとるべく動き始める。きっぱりと遅すぎる動きだったが、どのみち最初の一撃を当てるつもりはなかったので、霊波砲は彼女のすぐ脇を高速で通り抜けていくだけだった。

 

デミアンとしても、遊び相手をいきなり失ってしまうのは、少し残念なのだ。

いかに強力な力を持っても、その力をふるう相手がいなければ、面白みがない。

その点この吸血鬼の娘は、合格だ。霊力がないので、闘争の相手としては不十分だったが、遊びの相手くらいは務まるだろう。出来るだけ抵抗してくれればその分楽しめる。警告は今の一撃で十分だろう。

 

これからどんな反撃を行うのか楽しみだと、デミアンは舌なめずりをして待っていた・・・・・・のだが。肝心の遊び相手は、今の一撃に肝を冷やしたのか、先程より遠く距離をとって、こちらを観察してくるだけだった。たかだか山を削ったくらいで、何を情けない事をしているのか。本当にさっきとは別人のように臆病だ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・別人?

何かがデミアンの心に引っかかる。姿かたちは先程の吸血鬼とまったく同じなのだが、何かがおかしい。どちらかといえば、好戦的な相手で、こちらの悪ふざけにもツッコミを入れてくるタイプだったはずだ。それが、一度姿を消して、再び現れたこの娘は、お世辞にも戦いを楽しむタイプとはいえない。それに・・・・・そういえば、さっきから一度も喋っていないのじゃないだろうか?

 

 

「・・・・・・・・・なるほどね。どういうつもりか知らないけど、あなた・・・・・ってそこよ!!」

 

 

会話をするつもりで言葉を発しつつ、周囲の気配を探っていたデミアンが、吸血鬼とは反対側の湖を、滑るようにして、高速で接近してくる影を見つけた。その影に向かって霊波砲を放つ。湖全体が振動を起こしたような轟音とともに、デミアン本体よりも大きな水柱があがる。実際に地盤にも影響を及ぼしたのか、僅かの間地面がぐらぐらと揺れていたような気さえした。着弾した箇所の水を完全に蒸発させ、しばらくの間、スコールを降らせる。文字通りの局地的な災害だった。

 

 

「なーにかおかしいと思ったら、あんた偽者ね?そういえば、さっき殺した子の他にも、うろちょろと誰かがいたみたいだけど、その子のうちの一人でしょう?まったく、あの吸血鬼の子は小細工が苦手なタイプかと思ったけど、意外に仕掛けてくるわね。でも残念。私って力押しも得意だけど、別にこういう駆け引きが苦手って訳でもないのよ。今の攻撃で本命も蒸発しちゃっただろうし、別人なら、あなたに用はないわ。

私って優しいから、・・・・・・苦しまずに殺してあげる」

 

 

 

 

 

 

「いいや、死ぬのは貴様だ」

 

 

 

 

 

 

手品師のトリックを見破って、得意げに自慢する子供のように、はしゃいだ声を発したデミアンの足元で、絶対零度の声が響く。その巨大すぎる姿と比例して、相応の大きさを持つ影の中から、ずるりと、小さな人影が這い出してくる。そしてその傍らには、半分泣き出しそうな顔をした、貧相な姿の横島がいた。

 

エヴァにとっては、なんと言う事もない影を使った転移魔法。それを使って一気に標的へと接近したのだった。転移前から、準備していた二つの文珠に霊力をこめる。そしてありったけの願いと共に、巨木のように大きな怪物の足元で、文珠の力を解放した。

 

 

 

 

”分””離”

 

 

 

 

横島の霊力を受けて膨大な光が湖を照らし出す。文珠から放たれた緑色の光が照らし出すその光景は、まるで妖精が踊る幻想の世界を演出するように美しく光り輝いていた。

同時に不気味な怪物、デミアンの体がビクリと震える。完全に硬直し、その動きの一切を停止して、次の瞬間にはその醜い口元から、禍々しく紅い光を放つ小さな水晶玉が飛び出してきた。

 

 

「あれ?」

 

 

間抜けな声が聞こえる。空中に投げ出されキラキラと光り輝くその姿は、月明かりを反射して夜空の中で盛大に目立っていた。

 

 

「タマモ!!」

 

 

「・・・大声出さなくても大丈夫よ」

 

 

先ほどから一切の言葉を話さずに、空中にたたずんでいたエヴァの姿が、別の存在へと変わる。そこには、大きな杖にまたがるネギと、その背につかまって、顔色を青くしているタマモの姿があった。彼女の瞳が一瞬緋色に変化する。そして次の瞬間には、空中をくるくると回転しながら落下していたデミアンの本体が猛烈な炎に包まれていた。

その様子を最後まで見届け、腕に装着した霊力探知機に視線を送る。そして膨大な霊力反応が消えたのを確認すると、タマモはようやく緊張を解いた。

 

 

「あぁ・・・・・・・・・・・・・・・しんどい」

 

 

がっくりと肩を落とし、器用に杖の上で膝を抱える。正直、自分達に向かって霊波砲が放たれたときには、死を覚悟した。幻術を使ってエヴァに変装したまではよかったものの、声を出せば別人だと気付かれてしまう可能性が高い。声色はなんとかなっても、性格まではコピーできないからだ。実はタマモは演技がそれほど得意ではないのだ。昔一度美神親子にあっさりと見破られた事がある。・・・その時はおキヌちゃんに化けたんだっけ。

 

 

「た・・・・おし・・・たんですか?」

 

 

震える声で、前に座っているネギが声を掛けてきた。タマモ同様生きた心地がしなかっただろう。何しろあの威力を一番近くで見ているのだ。いまでも、ほんのすぐ傍を通っていった光を思い出すだけで、身がすくむ。大気自体が怒りを表したかのようにびりびりと震えていったのだ。霊力をまったく持たないネギにしてみれば、威力もさることながら、その異常性に文字通り魂を握りつぶされるほどの悪寒が走ったはずだ。

 

 

「えぇ、ケリはついたわ・・・一応ね」

 

 

しばらくの間、動く事ができずに、タマモとネギの二人はその場に居続けていた。

しかし、いつまでもそうしている訳にもいかない。声が震えないように気をつけて、なんとか言葉を搾り出したタマモが、今も森で待っている明日菜の元に向かうように指示をだす。その言葉を聞いて、ネギは素直に高度を下げていった。心配そうにこちらをうかがっている明日菜の姿が、次第にはっきりと見えてくる。再び転移魔法を使ったのだろう、そこにはすでに横島達の姿もあった。

 

 

「おかえり」

 

 

「ただいま」

 

 

言葉少なにお互いの無事を確認し、安堵の息をついた。横島自身も緊張が完全には解けていないのかもしれない、この男にしては驚くほど静かだった。そして、すぐさま違和感に気がつく。自分達と同じく仲間と無事を喜び合っていいはずのネギ達の様子が、何かおかしい。気になって、その事を横島に尋ねると。

 

 

「木乃香ちゃんが見つからないんだ」

 

 

声を低くして、横島がタマモにそう答えた。

綺麗な形の眉を寄せて、どういうことかと質問する。

 

 

「わかんねぇ。分離の文珠は確かに成功したんだ・・・そう思うんだが・・・・・・

つーか本体が出てきたのに、ただ巻き込まれただけの木乃香ちゃんが出てこないってのは・・・」

 

 

横島自身も分からないのか首を捻っている。一応、水中に投げ出された可能性も含めて、エヴァと一緒に周囲を探索したらしい。文珠を使用してまで、調べたらしいのだが、彼女の姿は見つからなかったそうだ。少し離れた場所で、ネギに、木乃香の姿を見ていないかと尋ねる明日菜の声が聞こえた。

 

確かにあの瞬間空中にいた自分達が、一番彼女を見ている可能性が高い。

にもかかわらず、まったくそれらしい姿が怪物から出てきた所を見ていないのだが。

ネギもそうなのだろう。明日菜の問いかけに弱弱しく首を振っている。その姿を眺めながら、もう一度湖に視線を移した所で、急に首筋に氷を押し当てられたかのような寒気が走った。最悪の想像が頭をよぎる。本体が死んでも、いまだ健在の化け物の姿がタマモの瞳に映っている。

 

 

「もしかしたら・・・・・いえ、まさか、そんな・・・・・」

 

 

「お、おい、どうした、タマモ?」

 

 

大きな瞳を目いっぱい広げ、口元を震えさせているタマモに横島が尋ねた。

 

 

「横島、分離は確かに成功したのね?」

 

 

怖いくらいに真剣な声でタマモが横島に確認する。

 

 

「あ、ああ。・・・手応えはバッチリだった。実際本体も出てきてたし・・・」

 

 

その言葉を聞いてタマモが黙り込む。顎に手を置いて何かをじっと考えているようだ。

 

 

「おい、タマモ、いったいなんだってんだ?なんか思いついたのか?」

 

 

そんなタマモの様子に不安を覚えたのか、横島らしからぬ表情を見せている。

何度かタマモに問いかけ、それでも彼女は答えない。しかたがないので、しばらくの間おとなしく黙っていた横島に、やがてタマモがゆっくりと重い口を開いた。

 

 

「・・・・・木乃香ちゃんは戻らないかもしれない」

 

 

表情を暗くして、タマモがうつむく。

 

 

「・・・・・何だって?」

 

 

聞こえてはいたのだが、その言葉があまりに不吉だったので、聞き間違いかと、横島がタマモにもう一度、確認するように尋ねた。

 

 

「・・・・・だから、彼女はもう戻ってこないかもしれないって言ったの・・・」

 

 

「どういうことですか?」

 

 

突然聞こえてきたその声に、慌てて横島とタマモが声の聞こえた方向を振り向く。

そこには、いつの間に現れたのか、横島達のすぐ近くにいる明日菜の姿があった。

木乃香を見ていないか、横島達にも確認に来たのだろう。顔面を蒼白にして、タマモを見ている。

 

 

「・・・・・どういうことですか?・・・・・もう木乃香が戻ってこないって・・・」

 

 

タマモが思わず舌をうつ。話に集中していたせいで明日菜の接近に気がつかなかったのだ。

 

 

「・・・それは・・・・・・」

 

 

「答えてください!!」

 

 

血の気が引いたまま幽鬼のようにタマモを睨みつけてくる。嘘やごまかしは許さない、その瞳は無言でそう告げている様だった。タマモはしばらくその瞳を見つめ、やがて、根負けしたように、途切れがちに説明を開始した。

 

 

「さっきも言ったけど、こいつの力はあの怪物から本体を分離させる事ができるの。それは本体に限った事じゃなくて、怪物に囚われた木乃香ちゃんにもいえる話で、予定ではどちらもうまくいくはずだったのよ・・・だけど直接怪物を操っていた本体は出てきたのに、巻き込まれただけの木乃香ちゃんは出てこなかった。そこで私は一つの仮説を立てた。出てこなかったんじゃない、初めからいなかったんじゃないかって」

 

 

「い・・・いなかった・・・?」

 

 

「詳しい説明は省くけど、あの怪物が木乃香ちゃんをさらったのは、彼女が凄い魔力を持っていたから。奴にはそれが必要で、そのために彼女を吸収した。・・・・・いい?吸収したの。人質として使うなら、そのまま捕らえていればいい。何も体内に彼女を入れる必要はないわ。でも実際は木乃香ちゃんを体内に取り込んでしまった。それはおそらくその方が彼女の魔力を吸収するのに都合がよかったから。そしてこいつの力が効いているはずなのに、彼女が出てこなかったのは・・・奴が・・・彼女を・・・」

 

 

「やめて!!!」

 

 

明日菜が大声でタマモの説明を遮り、耳をふさいで、その場にしゃがみこむ。力を入れすぎて両手が白くなるほど、かたくなに耳を閉じていた。もうこれ以上は聞きたくないと全身で表している。

 

 

「おい・・・・・今の話は本当なのか?」

 

 

明日菜の様子がおかしかったので、見に来ていたのだろう。タマモが視線を向けるとエヴァやネギが不安げに尋ねてきた。

 

 

「こんな事で嘘なんていわないわ。こっちも聞くけど、誰も木乃香ちゃんを見てないのね?」

 

 

確認するようにタマモがネギたちに質問を返す。

・・・・・・・誰もが力なく首を振るだけだった

 

 

「そう」

 

 

それだけを呟いてタマモも口を閉ざした。

重い沈黙が流れる。横島は呆然として、うずくまったまま動こうとしない明日菜を見ていた。・・・・・実際、思っても見なかった結末だった。文珠がうまく発動した瞬間は、作戦の成功を微塵も疑っていなかったのだ。

 

デミアンは倒され、木乃香も無事に助け出される。あの刀使いの少女もなんとか助ける事ができたし、このままめでたしめでたしで終わるはずだと。しかし現実に訪れた結果は全然めでたいものではなかった。怪物は倒されても肝心の少女の命は守られなかった。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・死が・・・・・非情である事を、横島は知っている。

 

 

 

 

 

一度経験した。

 

 

 

 

 

死が非常で容赦もなく、こちらの感情などあざ笑うように唐突に訪れる事を、横島はここにいる誰よりも理解している。だからこそ嫌だったのだ。どうしても、見過ごす事ができなかった。あの刹那という少女が、怪物に吹き飛ばされた時、心臓が凍りつく感じがした。鼓動は止まり、自分自身も死んでしまったのではないかと思えるほど、頭の中が真っ白になった。絶対に救わなければならない。大して知りもしない他人事?・・・しったことか。感情が肉体を支配して、足が勝手に動き出す。何故そんなことが起こったのか、理解したのは走り始めてからだった。あの時、心の中を占めていた感情はたった一つだけだった。

 

 

・・・・・結局・・・自分は・・・・・・・・・・・・・。

 

 

どうする事もできなくなって、やけくそ気味に、湖の怪物を睨みつける。

本体はとっくに死んでいて、消えてなくなってもいいはずなのに、いまだにその巨体を水に浸している。

 

 

(くそいまいましい、何だって、てめぇの方が生きてるみたいに突っ立ってやがんだ)

 

 

木乃香ちゃんは居なくなってしまったというのに。歯がゆい思いをしながら、鋭い目つきで怪物、デミアンを睨みつけていたその時、何故か、横島の頭の中でジークとの会話が思い起こされた。

 

 

(ああ、知っている。私と横島君は奴と一度戦ったことがある。だから、その能力もある程度理解しているし、弱点も把握している)

 

 

何でこんなことを思い出す?

 

 

(覚えてないのか?君と初めて出会ったときのことだ。妙神山で美神令子を襲った刺客がいただろう?)

 

 

・・・・・いったいなんで。

 

 

(あのガキなら美神さんにしばかれて、死んじまったじゃねーか)

 

 

 

 

・・・・・まて

 

 

 

(死んだ?)

 

 

急激に体温が低くなっていくような、錯覚を覚えた。何か大事な事を自分は忘れてしまっている気がする。

 

 

(なんだ?何を忘れてんだ?・・・・くそ、思い出せん。ちきしょう、このポンコツ頭め。あのガキが美神さんに倒されたからって、それがなんだって・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これか?)

 

 

慌てて怪物の姿をつぶさに観察する。最初からまったく変わってない。違うのは本体を失ってこれ以上動く事がないということくらいだ。

 

 

(いや待て、落ち着け。仮に俺が思う通りなんだとしても、だからってどうすりゃいいんだ?)

 

 

自分には出来る事と出来ない事がある。しかも、どちらかといえば、できない事のほうが多いくらいだ。どれだけなんとかしたいと願っても、絶対的な現実に抗う術を横島は持っていない。

 

 

・・・・・だが。

 

 

うつむいて拳を握り締めた横島の耳に、かすれてほとんど聞くことの出来ない、小さな、今にも消えてしまいそうな儚い声が聞こえた。

 

 

 

「・・・・・たすけて」

 

 

 

・・・・・ああ・・・・・・・・聞いてしまった・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

現実を否定し、それでも何とかしたいと、誰かに助けを求める声だ。自分の力が及ばないから、泣きたくなるほど情けない気持ちになって、でも、それでも、こんな現実は認められないと、心の奥底、魂の深くまで、自分自身を投げ出すような、そんな、命そのものの声だ。

 

 

一度だけ、きつく、きつく、目を閉じる。

 

 

本当は方法はあるのだ。

 

 

反則じみた、切り札ともいえないような、やけくその一手が。

 

 

ジークは今回の作戦を話すとき、賭け事の例えを言っていた。ルールも曖昧で、倍率も知らされない、誰もが避けるだろう賭けだと。思わず笑ってしまう。これから横島がしようとする事は、そんな生易しいものではない。

 

ルールや倍率など初めから存在しない。賭ける物が命というのは同じだが、結果がどう転ぼうと同じ事でしかない。そう、成功も失敗も同じなのだ。自分にとっては。しかし、ひょっとしたら、木乃香や明日菜にとっては違うかもしれない。

 

 

 

だから、これからそれをするのは、彼女達にそうするだけの価値があると、自分自身で思ったからだ。

 

 

 

声を殺して泣きながら、今もまだ、うずくまったままの明日菜を見る。大声で泣いてしまえば、木乃香が居ないという現実を認めてしまいそうで、必死になって我慢しているのだろう。横島はそんな彼女の前まで来ると、ゆっくり膝を曲げて、明日菜の視点に顔を合わせた。

 

 

 

 

「名前、教えてくれないかな」

 

 

 

 

横島らしからぬ、ひどく優しい声だった。

明日菜が涙で濡れた瞳を横島に向ける。

急に名前を尋ねられて、戸惑いもあったはずだ。

それでも彼女がその問いかけに素直に答えたのは、涙でぼやけてよく見えないその顔が、とても優しかったから・・・・・。

 

 

 

「・・・・・あ・・・すな。神楽坂明日菜です」

 

 

 

本当はとっくに知っていた。京都に来る前から、ジークに名前を聞いていたし、今日は朝から隠れてつけまわしていたのだ。だから、これは儀式のようなものだった。横島が覚悟を決めるための、独りよがりの勝手な儀式だ。目を閉じて俯きながら、一度だけその名前を反芻する。

 

 

 

かぐらざかあすな

 

 

 

そして、今までの暗い雰囲気を全て吹き飛ばすような、明るい笑顔を彼女に向けて、その男はこう言った。

 

 

 

 

 

「俺の名前は、横島忠夫。・・・・・明日菜ちゃん、君の友達は、俺が助ける」

 

 

 

 

 

 


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