すぐ近くにいたのに彼女を救えなかった比企谷八幡。
二人に救われなかった雪ノ下雪乃。
三人は何を思う。
では、どうぞ。
8 彼女と彼の後悔は深淵より深く
6月10日 水曜日
朝方までの事情聴取で疲れた俺は、平塚先生に理由を伝えて高校を休ませてもらった。
ベッドに横たわったものの結局眠れないまま呆けて過ごし、スマホを確認する。
同じ名前で複数の着信。由比ヶ浜からだった。
夕方、病院にいる由比ヶ浜に電話をかけ直す。由比ヶ浜は責任を感じて、付きっ切りで病室にいるらしい。
「ヒッキー…」
元気が無い。友人が自分と別れて数分後に襲われたのだから無理は無いが。
「雪ノ下の様子、どうだった?」
「大丈夫みたい。殴られた頭と腕も傷は残らないって。今は検査入院で、あと3日もしたら退院できるって」
そうか、とだけ返す。
「…ヒッキー、会いたいよ」
消え入りそうな由比ヶ浜の声。こいつも心に大きなダメージを抱えてるんだな。
「わかった。会おう」
雪ノ下が居る病院の近くのファミレス。俺が着いた時には、すでに由比ヶ浜は着席してメニューを広げていた。
「あ、ヒッキー、こっちこっち」
向かい合わせの席に腰を下ろす。
「昨日は…大変だったね」
「ん、ああ。一応俺が第一発見者で通報者だったからな。注文、決まってるのか?」
「んー、まだー」
顔を隠すように、メニューを見る。
「そっか。俺は決まってるぞ」
「えー。来たばっかでメニューも見てないのに?」
「そ、俺はドリンクバー」
由比ヶ浜はメニューをぱたんと置き、少し不貞腐れる。
「ぶぅ。じゃ、あたしもヒッキーとおんなじにする~」
頬を膨らます由比ヶ浜に、思わず吹き出しそうになる。
「真似すんなよ。」
「真似じゃないもん。リスペクトだもん」
お、英単語だ、由比ヶ浜の口から英単語が出たぞ。
「なんだ、覚えたての単語か?」
すでに、からかうモードに入っている俺。
「…前から知ってるもん」
さらにほっぺたを膨らます。
「意味は?」
渋い顔で考える美少女(アホ)、由比ヶ浜結衣。
「んー、ま、真似?」
上目遣いで正誤を伺う。
「はずれ。『尊敬する【動詞】』だよ」
つーか、よくそれで入試突破できたな。奇跡って意外とすぐ身近にあるんですね。
「じゃあ…それ無しね」
は?
「だってー、ヒッキーなんか尊敬してないもーん」
なんだよそれ。確かに尊敬に値する人間ではないのは事実だが。
「尊敬なんか…してないもん」
笑わせるつもりで吐いた軽口だったが、逆に泣かせてしまう。
「ヒッキーのばかーっ!」
店内に響き渡った、俺バカ宣言。当然の如く周囲の視線を集めてしまう。その視線の先には泣きじゃくる美少女と…どう見ても釣り合わない目が腐った男。どう見ても痴話喧嘩の末に俺が泣かせている状況だ。
「と、とにかく落ち着け。な?」
ポケットの中で少し皺になったハンカチを渡す。
「ありがと」
ハンカチを口元に当てて少し落ち着いた由比ヶ浜に尋ねる。
「で、一体どうした」
周囲からヒソヒソと声が聞こえる。チラチラと視線を感じる。店員が三人でこっちを見てる。
「なんでもない。ヒッキーの顔が見たかっただけ」
この腐った顔なんか見ても特に御利益はないぞ。むしろ災厄を招きそうな勢いだ。
「ごめんね、ヒッキーの顔見たら、なんか安心しちゃった」
やばい。ドキドキガトマラナイ。
「…これ飲んだら、外出るか」
由比ヶ浜を連れて近くの公園へ移動する。
途中の自販機で飲み物を買って、ベンチに並んで座る。
「ありがと」
ロイヤルミルクティーを受け取った由比ヶ浜の反対の手には、俺のハンカチがしっかりと握りしめられていた。
「あたしね…」
いつもとは別人のような細い声で、由比ヶ浜はゆっくりと語りだす。
「あたし、すごく後悔してる。もしあの時、ゆきのんの見送りを断っていれば…」
「ばか、それは俺も同じだ。いや、むしろ俺のほうが情けない」
由比ヶ浜は小首を傾げてこちらを見る。
「あの日、俺はガードのつもりであそこにいたんだ。火曜日だったからな」
「あ、そういえば、ヒッキーと葉山くんが交代でゆきのんの身辺警護をしてたんだよね」
「そんなたいしたもんじゃないが、まあそうだ。で…」
俺は、あの時の状況説明を始めた。
由比ヶ浜と雪ノ下がマンションから出てきて、由比ヶ浜を見送った雪ノ下がマンションへ足を向けたとき、俺は油断した。気がつくと雪ノ下はマンションへは戻らずに、別の方向に歩いて行ったんだ。追いつこうとしたが見失ってしまい、ようやく遠くに見つけたときには…もう遅かった。
「おまえはさ、自分が出来ることをちゃんとやってたよ。出来なかったのは、俺だ」
こちらを見つめる由比ヶ浜の大きな瞳から、無数の涙が雫となって零れ落ちる。
「ヒッキー…怒ってよ。あたしを怒ってよ…やさしくなんか、しないでよ…」
「怒れない。おまえは…ちゃんと雪ノ下の為に頑張ったんだから」
俺の肩に顔を乗せて、由比ヶ浜は泣いた。
友を救えなかった悲しみを、悔しさを、切なさを、全てを吐露するように。
「大丈夫、大丈夫」
そのときの俺は、ひとつの言葉を繰り返すだけの、正しく能無しだった。
お読みいただいてありがとうございます
第8話、どうでしたか?
まだしばらくシリアスな話が続きます。
では、また次回。