陽乃は何を考えて比企谷八幡に依頼したのか。
今回のお話は時系列が少し戻ります。
では、どうぞ。
13 その依頼は誰のために
[5月30日 土曜日 夜]
「…小町のやつ、アイス1つ食べたくらいで怒ることはないだろうに」
近所のスーパーで食材と小町専用アイスを5つ、貢物として購入しての帰り道。
後ろから走ってくるハイヒールらしき足音。女性のものか。当たり前か。
夜道で後ろからの足音って、かなり怖い。
次第に足音は強くなり、すぐ背後に迫った。危機を感じた俺は速やかにこの場を離れるべく駆け出そうとした。
だが、大体こういう時はすでに手遅れなのである。
ガッ、と強い足音がした。その音に反応して脊椎反射のように素早く前に出る。
しかしやはり手遅れ。両肩に軽い衝撃を受け後ろに身体を引かれる。そして背中に二つの柔らかい感触。
エンカウント。
「ひゃっはろ、比企谷君」
魔王。
雪ノ下陽乃だ。
「偶然だね~今帰り?」
後ろから肩を抱かれる。いわんや魔王からは逃げられない。俺は早々に逃亡を諦める。決して柔らかさとか良い匂いを長時間堪能したい訳ではない。
「いつからいたんですか」
「んー。君が特売品の豚小間のパックとにらめっこしてたあたりから、かな」
結構早い段階でエンカウントしてたのね。この魔王、ゲームと違って自分から出向いて来ちゃうのがすごく厄介である。魔王は大人しく魔界の居城にいればいいのに。バーンパレスとかに。
「全然偶然じゃないですよそれ」
「スーパーで見かけたのは偶然だよ。小町ちゃんに聞いたとでも思った?」
そうだ、厄介なことにこの魔王は妹小町のアドレスと番号を把握している。
「アザレアの亡霊の件なんだけどさ」
いきなりその話か。あれ、ちょっと待てよ。
「もしかして平塚先生に依頼したのって雪ノ下さんですか。」
「うん。あたし。ちょっと気になって、ね」
聞けば件の器物損壊の現場は、決まって陽乃さんがいた場所の近くらしい。
「あたしに関係あるかは判んないけどさ、やっぱり気持ち悪いじゃない?」
この人って敵多そうだもんな。下僕も多そうだけど。この性格だし。
あ、やばい。小町のアイスが溶けてしまう。
「あらためてだけど依頼、受けてくれないかな」
[6月1日 月曜日 放課後]
待ち合わせ場所のコーヒーショップで一番甘そうなコーヒーを注文する。財布を取り出そうとすると、スマホが鳴った。
俺を呼び出した依頼主、雪ノ下陽乃だ。
「はいもしもし」
「ひゃっはろ~」
電話と同じ声が、すぐ後ろから聞こえる。
「ふう…いるんならそう言ってください」
またしてもエンカウントに気づかなかった。
「ごめんごめん。今日は、もうひとつお願いというか…依頼したいの」
もう嫌な予感しかない。この人はいつも厄介事を持ち込む。むしろこの人の存在自体が厄介。
陽乃さんは俺の腕に纏わりつきながら勝手に話を始める。
「はあ、ボディーガード、ですか」
この魔王にボディーガードなんて必要なのかよ。何でも一人で出来る人なのに。つーか絶対俺のほうが弱いぞ。それだけは自信を持って断言出来る。
「違うって、ガードして貰うのは雪乃ちゃんだよっ」
雪ノ下? あいつを俺がガード?
ないないないない!
絶対無いわ~マジないわ~
「あいつだって、俺よりは強いでしょうに」
そうだ。雪ノ下雪乃は強い。だって空気投げとかマジやばいっしょ。
「そんなこと無いって。雪乃ちゃんはただの可憐な乙女なのよ」
どこが可憐だ。いっつも可愛い顔して暴言吐きやがって。ま、まあ…乙女はギリギリ認めるが。
というか、何が目的だ。
この人の行動の裏には必ず別の何かがある。その前に、雪ノ下に警護が必要な事態になってしまったということか。そんな俺の頭の中を見透かすように強化外骨格は笑みを浮かべる。
「そ。頼めるかな」
知らず知らずのうちにコーヒーショップの奥へと引きずり込まれる。
「完全な人選ミスですよ、雪ノ下さんらしくない。もう一度言いますが、多分俺より雪ノ下のほうが強いです。俺じゃ役者不足ですよ」
小首を捻っているかと思えば携帯を取り出して発信、すぐに携帯を閉じる。
「そういうことじゃなくて…あ、来た来た」
陽乃さんの後ろに並んだのは魔王の部下のアークデーモン…ではなくスーツ姿の男性二人。
高い身長と屈強な肩幅を持つ二人はいずれも俺を見下ろして威圧している。二人並ぶと山脈のよう。アークデーモン山脈。
「この二人は、これから雪乃ちゃんの身辺警護についてもらう警備員さん」
後ろのデーモン山脈が順々に礼をする。
「今日はこの二人に比企谷くんの顔を覚えて貰おうと思ってね」
「俺はすでに要注意人物、不審者確定ですか」
ま、目だけみたら犯罪者ですもんねボク。中学のとき女子のジャージやリコーダーが無くなると真っ先に俺に視線が集中しましたもん。
普段は存在を忘れてるくせに、どうしてああいう時だけ目ざとく俺を見つけるんだろうか。
「違うよ~その逆。あ、彼は比企谷八幡くん。雪乃ちゃんのナイトよ」
再度陽乃さんの後ろのスーツ山脈が頭を下げるので、つられて俺も一礼する。
「いつから俺は雪ノ下のナイト(騎士)になったんです。じゃあ雪ノ下さんはキング(王)ですか」
この人マジでキングスキャンとか使いそうだから怖い。ヒュンケルに一刀両断にされればいいのに。
いやいや陽乃さんは魔王だった。
その魔王はいてつく波動、いやいてつく笑顔を放つ。
「キングはうちの母よ。あたしは…クイーン(女王)ってとこかな。さしづめ後ろの二人はポーン(兵士)ね」
チェスに見立てるあたり、上流階級ぽい。もしくはどっかの魔族な部長の眷属っぽい。
てか、この魔王の上に君臨する母親って、やっぱりゾーマとかバーン級の大魔王ってことなのか。
世の中怖いな。カイザーフェニックスとか超怖い。それを指先だけで処理しちゃうポップってすげえや。さすが大魔導士。やはり冒険するなら自宅が一番安心安全。
「雪乃ちゃん、こういうの敏感だから…すぐ気づいちゃうのよ。で、逃げられるの」
たしかに『私には必要のないことだわ、姉さん』とか言いそうではあるが。
「つまり俺の役割は『デコイ』もしくは『スティング』ということですか」
デコイは囮。スティングは、正しくはスティングオペレーション、即ち囮捜査。どちらにしたって全然『騎士』の役割じゃない。
「んー、ちょっと違うんだけど。要するに、あんまりこの二人が近づくと雪乃ちゃん嫌がるから、そこらへんを比企谷君に上手くカバーして欲しいなって」
その目は妹に仇なす魔王のものではなく、純粋に妹を心配する良き姉のそれに見えた。これも演技なら俺は絶対この人には勝てない。
「…わかりました。せいぜい本職さんたちに迷惑にならないようにしますよ」
よろしくね~と気軽に応える陽乃さんに、抱いている疑問をぶつける。
「それより。これって雪ノ下が狙われる可能性があるってことですか」
ふっと陽乃さんの表情が沈む。
「あくまで用心の為よ。市議選も近いし、なるべく揉め事は回避したいじゃない」
大人の事情…ってやつか。さっきの陽乃さんの表情を見る限り、この人もそういうの嫌いなんだろうな、本当は。
「へえ。いつもは率先して揉め事を起こす雪ノ下さんが、ですか」
やられっぱなしは癪なので少しだけ攻撃に移る。といってもメラ一発分のダメージも与えられないだろうが。
「可愛くないなぁ。でも、そんな比企谷君も好きよ」
やはりノーダメージ。それどころかベギラゴン級の意趣返しをされる羽目になった。攻撃が効かないとなれば、後は素直に従うのみ。俺は勇者ではない。
「で、俺の具体的な役割は?」
そこからはスーツ山脈を交えて警護の体制などを話した。
その時の俺は、実際そんな事態に陥るなんて考えもしなかったんだ。
今回もお読みいただきありがとうございます。
第13話、いかがでしたか?
今回は雪ノ下陽乃に依頼を受けた場面の回想になりました。
次回からは時系列は戻ります。
では、また次回。