日本海沖。石川県能登半島から上、中国大陸寄りの位置。
その遥か海底にとてつもない巨大な魚が潜んでいた。
その姿はあの生きた化石と称される『シーラカンス』と酷似している。
しかしその身体は有機的ではない、水圧に耐えるほどの硬い金属で造られた装甲に覆われた無機質だ。
そしてそのぎらついた眼から明るいライトを放っている。
――第十三海竜中隊潜水母艦『ジュラ・ノービス』。
全長六百七十メートル。ベルクラスより大きく、海底において圧倒的な存在感を放っている。
――内部の司令部、多数の爬虫人類が各配置につきコンピューターを凝視、操作している。
そしてその中央には蒼い鱗に覆われた身体、ヒレと尾ビレのついた、所謂半魚人。爬虫人類とは異なる姿の厳格そうな壮年の男が腕を組んで立っていた。
「アウネラ様、約束の時間まであと一時間後です」
「ああ、第十二恐竜中隊の補給潜水艇と合流次第素早く補給物資を授与する。それまでこの周辺を十分警戒せよ」
――彼はアウネラ=ド=アークェイル。
キャプテンであり、このジュラ・ノービスの艦長、そして第十三海竜中隊総司令官であり、これでもれっきとした爬虫人類である。
「そう言えばアウネラ様、聞きましたか?今日着任する第十二恐竜中隊総司令官の後任について――」
「………………」
「あの薄汚い地竜族ですよ。なんでまたゴール様は……」
副司令官で彼と同じ半魚人のキャプテン、アウロ=ジ=ジルホルゴは嫌悪感丸出しな表情で話す。
そう、ニオンのことである。
「口を慎めアウロ、これ以上はゴール様の人選能力を疑うことになる。あの方のお考えのあってのことだろう」
「申し訳ございません。しかしアウネラ様ご自身は地竜族なぞに司令官を務まると思いますか?
個人的に平民出のドェルフィニ家のラドラに任せたのも遺憾だったのですがね――」
「仮にも向こうが頼りないのなら私達海竜中隊がその分を補えばいい話だ、違うか?」
「は、はあ……」
「……まあその気持ちは分からんでもない。向こうは二度も敗北をしている――ゴール様も痺れを切らすのもわかるがな」
アウネラは前にある手すりをスリスリ撫でる。まるで愛着があるかの如く。
「このジュラ・ノービスも退役寸前か……寂しいものだな」
「新型艦は確か3ヶ月後に受領ですね。
旧式艦のこいつも色々と無理してきたからあちこちガタが来てます。けどよく頑張ったものですよ」
「ああ……そうだな」
長い間共にあったこの母艦に別れが近くなっていることに、アウネラやアウロ、イヤ海竜中隊全員が寂しさを感じていた。
「さて、私語は慎んで今やるべきことに集中するぞ。いいな!」
――第十二恐竜中隊地下基地にたった今到着した、白銀の鎧に赤いマントを着込んだニオンはすぐさま案内係に連れられて中隊内部を案内される。
「…………」
その途中である。マシーン・ランドにいた時のように周りの兵士から軽蔑、嫌悪の混じった冷たい視線、そして恐らく悪口などのひそひそ話が彼に次々と突き刺さる。
「……お気になさらないでくださいニオン様。最近負け戦でして我々の士気が低下してますので――」
「……分かっている。前任のラドラが失態続きだったと聞いている」
「はあ……凄く優しいお方だったのですがね、まだ若さゆえの過ちということで……」
「言い訳にならないな。優しいヤツだろうがなんだろうが結局は結果が全てだ。私はラドラのようなヘマは犯さん!」
……そして中隊司令室へ案内されるニオン。
「ではニオン様、荷物の整理をお願いします」
案内係と別れて、彼が持ってきた荷物を入れる。しかし入る否や、彼の立ち止まり辺りを見渡した。
……何があったのだろうか。ゴミや本、資料などが無秩序に床に散乱かっている。
彼は一瞬、前任のラドラは全く掃除などしなかったのかと考えたが……いや違う。ラドラがどんな人物だったかにしても、そもそも司令官の部屋などのお偉い方の使う部屋は必ず綺麗に保つのは爬虫人類でも常識である。
しかしこの有り様は……ニオンは何かに感づいた――。
彼は一人で黙々とこの酷い部屋を掃除し、鎧を脱いで片付いた所で一息ついて中央のイスに座り込んだ。
「!?」
尻に湿り気と「ニチャ」とした変な感触が彼を襲う。彼は急いで立ち上がると椅子に、接着剤ではないが粘着性の高い液体が塗られていたことが分かる。そして生臭いニオイのすることからどうやら体液か何かのようなものだ。
(……まさか!)
彼はデスクの引き出しを開けた。
「…………っ!」
生臭く、そしてネバネバした液体で溢れかえっており、中の資料などはもはや使い物にならなくなっている。
そしてデスク上には爬虫人類の言語で『死ね』やら『地竜族野郎』など様々な悪口や中傷が書かれているのにも気づいた。
――彼は確信した。
これは自分に対する、地竜族に対する『嫌がらせ』であると……。
(恐らくこれはまだ『洗礼』に過ぎない。常に身のまわりを警戒していなくては……下手をすれば本気で殺しにかかられるやもしれん……にしてもここのヤツらはまったく低俗極まりないことをするもんだ、ガキ同然だっ)
……約一時間かけてやっと部屋を元通りに戻したニオンはこの基地内で各隊長や役員へ挨拶をしに外に出る。
本音では彼自身はここから出たくない。
『地竜族』と言うだけで酷い差別、扱いを受け、そして身内などいない今の状況で四面楚歌状態だ。出ればここの人間によって妨害を受ける可能性が十分考えられる。が、今はこの中隊司令官である身、今からお世話になる(かどうか分からないが)関係者に挨拶しないのも失礼だ。
気を引き締めて部屋から出で、長い通路を歩いていく。
その途中、彼の額にある触角がピクッと反応する。
(近くに何かいる……それも嫌な感じだ)
気を張りつめながら歩いていた……その時、
「ぐっ!」
突如、天井から何か大男のようなものが落ちるとそれは、すかさずニオンを背後から掴んで口をぐっと抑える。さすがの彼もその体躯から発する怪力によってがっちり固められて身動き取れない。
そして前後方向から多数の恐竜兵士が現れて手の指関節をパキパキならす。
彼はそのまま近くの部屋に連れ込まれてしまう。真っ暗で辺りは何も見えない……。
(こいつらまさか……っ!!)
その瞬間、抑えられていた彼は放されたと同時に腹部に鈍く重い打撃が加えられた。
あまりの痛みに彼は膝をつく、しかし更なる打撃が四方八方から襲いかかる。
彼は終わりがない殴る、蹴るなどの暴力を受け一分後、この部屋の明かりが入る。
そこには身体中に暴力の受けた傷が無惨にも残り、倒れ伏せるニオンと、事が済んで満足げな表情を取るこの中隊の兵士達が取り囲んでいた。
「おい、水だ」
近くの兵士が持ってきた水入りのバケツを気絶していたニオンにぶちまけて無理やり起こした。
恐らく集団のリーダーと思われる近くの兵士が彼の髪を掴んで乱暴に引き上げた。
「あんたか、俺達の新しい司令官てのは?」
「…………」
「『地竜族』なんだってな。それにラドラ様より若い奴が俺達のお上になるとはな」
「だ、だからなんだ……!」
「誰が地竜族なんぞの傘下に入るかよ」
「……キサマ……私は仮にもここの中隊司令官に任命された男だぞ。こんなマネしていいとでも――」
すると、
「あ?ああ、そうだな。司令官がキャプテンなら絶対にこんなことをしねえさ。だがな『地竜族』なら話は別だ。
それにあんたはキャプテンの称号すら持ってねえんだろ、そんなヤツに命令される俺らの身にもなれや」
「……私はゴール様直々に任命された。お前達はそのゴール様に刃向かうことになるんだぞ……」
「心配するなよ。建て前上は従うよ、建て前上はな。だがな覚えとけ、ここにはお前を慕うヤツなぞ誰もいねえよ」
「………………」
だが、突然ニオンは周りに対し微笑したのだった。
「……ここのヤツらは全く大したことはなさそうだ。
地上人類に二度も敗北したと聞いたが、もしかすれば前任のラドラだけでなく低俗で卑怯で薄汚いお前達にも原因があるのかもな……!」
「…………!」
瞬間、この兵士は彼の顔を全力で床にたたきつけた。動かなくなったニオンにこの兵士は唾を吐きかけた。
「さすがは地竜族、その高圧的な態度だけは天下一品だな。
だが気をつけな、いつでもあんたを『不慮の事故死』として闇に葬り去ることも可能だってことをな……まだまだ先にあるんだ。
せいぜい楽しみにしてな、あんたをボロボロにしてやるからよ」
そして全員は倒れ伏せる彼を置き去りにしていなくなった。
それからすぐ、ひとりの人物が急いでこの部屋に入ってきた。
「あちゃあ……っこりゃあヒドい」
爬虫人類特有の緑の鱗で覆われているがその勝ち気の高い声と爬虫類とは思えない美しい容姿を持つ女性である。
彼女はすぐさま彼を抱き起こし、揺らした。すると気絶していた彼の目が開いた。
「……目覚めたか。大丈夫?」
「…………っ?」
彼はとっさにこの女性を振りほどき、フラフラながらも自ら立ち上がろうとした。
「ほら、無理すんじゃないよ」
「さ、さわるな……!」
しかし彼は相当弱っており、足がよろけて壁に寄りかかった。
「ほら言わんこっちゃない。アタイが肩貸してやるから」
女性はニオンの腕を肩に通して持ち上げる。
「アタイの部屋で治療してあげる、今は医務室に行くよりその方が安全だよ」
「…………」
彼女はドアから顔を出して誰もいないか確認すると、ニオンを連れてさっさと出て行く。
――そして部屋に辿り着き、自分のベッドに彼を寝かしてどこからか救急箱を持ち出して、治療を始める。
「……あんたが新しいここの司令官だね?アタイはレーヴェ=イークァての。よろしくね」
手慣れた手つきで傷薬を塗り、絆創膏を貼っていく。
「……なぜ私を助ける?」
彼にそう質問された彼女は平然とこう答えた。
「見てられなかったからさ。アタイはこうなることは大体分かってたよ、地竜族が来ると知った時から」
「………………」
「バカなヤツらだよ全く。男のくせにこんな集団でよってたかっていじめるなんて、爬虫人類の恥と思うねアタイは。
なにさ地竜族だってアタイ達と同じ爬虫人類なのにね」
「………………」
ニオンは彼女の発言にポカーンとなった。
「ん……どうした?」
「なんでもない……っ」
「まあここの兵士は皆、地上人類との戦いで負け続けてるから気が立っているのは分からないこともないよ。
ヤツらゲッター線を使うようになってからホント驚異的に強くなった気がするよ」
「…………」
「さて、これで終わりっと」
治療が終わるとニオンは立ち上がる。
「……すまない、礼をいう」
「いいってこと。当たり前のことをしただけだから…………ん?どうしたの?」
彼自身、何故か何とも言えない表情をしていた。どちらかと言えば困ったような表情だ。
「いや……こんな親切を受けるのは地竜族以外で生まれて初めてだから……」
「…………」
恐らく地竜族とは自分が想像する以上に悲惨な扱いをされてきたのだろう――レーヴェはそう察していた。
「えっと名前は?」
「ニオンだ。ニオン=ヴォルテクス」
「ニオンかあ、カッコいい名前。顔もいいしあんたモテそうだね」
「……おい、お世辞にしか聞こえんぞ」
「アタイは嘘は言わないさ。素直になりなよ、本当は嬉しいクセに」」
「……なっ!」
からかう彼女に対し、カッと顔が赤くなるニオン。しかし彼女は調子に乗り始め、
「今度の新しい司令官サマはなんてカワイイのかしら♪
いつでもこのレーヴェお姉さんに甘えていいですのよ、ニオンちゃん♪」
冗談か本気か、突然色気づいてギュッと抱きつく彼女についに、
「い、いい加減にしろっ!!!」
頭に来た彼は振りほどき、すぐに部屋から出て行こうとドアについた時、レーヴェは笑いながらこう言った。
「ごめんごめん、つい調子に乗っちゃって。
けどさ、ホントに耐えられなくなったらアタイに頼っていいんだよ、アタイは差別しないからさ」
「……それはありがたいが、確かレーヴェと言ったな。
お前、もう少し上に対する口の聞き方と態度に気をつけた方がいいぞ。これでも私は司令官の身だ」
「『そうでした。すいませんでした、司令官!!』ってこれでいい?」
「…………っ!」
……彼はすぐに部屋から出て行ってしまった。
(ニオンね……フフ、歳に似合わず堅そうだけどこれから面白そうね)
彼女はなぜか微笑んでいた。
(……私はこれから本当にここでやっていけるのだろうか?)
ズカズカと歩いていたニオンは頭の中がもやもやし、そして不安を感じていた。
(あのレーヴェって女はスゴく下品だ……だが今までの爬虫人類より何だろう……イヤな感じはしなかった。変わった女だな――)
彼女の部屋があった方へ振り向き、そう感じた。