※告知事項※
・何かあれば書きます。
【第41話】
のぞみ
[121]
I SHOW NOT YOUR FACE BUT YOUR HEARTS DESIRE
[122]
「何あれ……鏡?」
美紀は訝しんだ。
クリスマスの宴が終わった日の深夜。直樹美紀は忍から拝借した透明マントを被り、図書館・禁書の棚へと向かっていた。
彼女の目的は生命の石とも呼ばれる物質・賢者の石。永遠の命という禁断の術に心奪われた彼女は、賢者の石を、そしてその作成者であるニコラス・フラメルについて、更に調べようとした。もしも、元の世界にまた戻った時、少しでも被害を軽くできると思ったのだ。
彼女が元居た世界は、破滅の世界。狂気的なウィルスに侵された死体が街中を闊歩する、まるでゲームのような終わった世界。
そこで彼女は多くのものを失った。両親、日常、そして――大事な親友を。
彼女は救いを求めたのだ。この魔法の世界に。眉唾ものだが、可能性はゼロではない、一縷の望みに。そんな彼女を、誰が責められようか。誰に責める権利があるのだろうか。
永遠の命、不死の石――彼女のタガが外れたのは、あのクリスマスプレゼント。持ち運び式のCDプレイヤー。そして、そこに入っていた『We took each other's hand』のCD。あれらは本来、美紀の物では無かった。今は亡き親友『祠堂圭』のものであった。
突然現れた過去に、元の世界に戻ってしまう可能性に、彼女は囚われた。そして、いつ元の世界に戻されてもいいように、彼女は永遠を、奇跡のような不死の石を求めた。
粗方の書庫は既に調べ終えていた。彼女も、それで満足した筈だった。だが、予期せぬプレゼントが彼女の判断を狂わせた。
――禁書の棚。
まだ探索していない禁じられた書庫――賢者の石の在処を探す彼女は、その禁忌へと踏み込んだ。
だが、判断の鈍った彼女は、この書庫に呪いが掛けられているなど考えもしなかった。許可無く侵入しようとした者を報せる呪い――見事に引っ掛かった彼女に、アーガス・フィルチとミセス・ノリスの魔の手が迫った。
闇雲に逃げ出した美紀。幸か不幸か、彼女は図書館に隠された秘密の部屋を見つけ出したのだ。
美紀が辿り着いたのはこの広大な部屋。窓も壁紙も何も無い、ただ煉瓦が立ち並ぶ殺風景な部屋。ただ、余りにも広大な部屋――。
その中心にぽつんと配置されている、大きな謎の鏡。言い知れぬ、怪しげな魅力を漂わせていた。
「何でこんなとこに鏡が……」
美紀は鏡に近付いた。金の装飾が豊かに施され、二本の鉤爪状の脚が付いている。
「……ん?」
鏡の枠の上の方に何か文字が刻まれてあるのに美紀は気付いた。
「『すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ』……これは……どういう……えっと……ああ、成る程。結構単純ですね。えっと、逆から読めばいいから……『わたしは あなたの かお ではなく あなたの こころの のぞみ をうつす』『私は貴女の顔ではなく貴女の望みを写す』……?」
速攻で解読された。まあ、実際単純なギミック故仕方ない。それに相手が美紀なのが悪かった。
「どういうこと? 望みを写す……?」
美紀は首を傾げる。
「望み……私の望み……」
美紀はゆっくりと鏡の前に立った。
鏡に写るのは自分の姿。何も変わった所のない、寝間着姿の直樹美紀。
「…………」
――ただの冗談か。
期待した訳ではなかった、が、少し失望したように彼女は目を伏せ、溜息を吐いた。
再び目を上げた――すると。
「っ――!!?」
鏡の中に写っていたのは、自分――だが、彼女一人だけではなかった。
そこに美紀とともに写っていたのは、丈槍由紀、恵飛須沢胡桃、若狭悠里、佐倉慈、そして――。
「――圭」
祠堂圭が、そこには写っていた。
[123]
「…………圭」
私は思わず後ろを振り向いた。だが、そこにあったのは扉と、煉瓦作りの壁だけ。
「っ……!!」
再び鏡を見た。さっきと変わらず、学園生活部の先輩方と圭が写し出されている。
圭が、私に笑い掛けた。
「――圭――けい――っ!!!」
もう二度と見ることが出来ないと思っていた、圭の姿。もう二度とみることが出来ないと思っていた、圭の笑顔。それを見て、私は涙を堪えることが出来なかった。
「けい――けいぃ……っ!!」
涙腺が決壊し、涙が止めどなく溢れてくる。頬を濡らし、涙は床へと零れ落ちた。
思わず圭に触れようと手を伸ばす――だが、その感触はひんやりと冷たい。人肌の温もりなど微塵にも感じない。その冷たさが、私を現実に戻す。
これは鏡。
本物の圭ではない。
分かっている。
でも――。
私は鏡から目を離すことが出来なかった。手を離すことが出来なかった。
目を離せば、すぐそこから消えてしまいそうで。
手を離せば、すぐそこから居なくなってしまいそうで。
「けいっ……」
――生きていれば、それでいいの?
圭は、強かった。私なんかよりも、ずっと、遥かに――。私なんかよりも、よっぽどグリフィンドールに相応しいくらいに。
私は臆病だった。
ただ、助けを待つ事しか出来なかった。
結果、臆病な私が助かり、勇敢な彼女は――どうなったかは分からない。でも、恐らくはもう――。
「けいっ…………っぁぁぁあああああああ!!!!」
私は、圭を見捨てたも同然だった!!
あそこで引き留めておけば、彼女も一緒に助かった!! あそこで一緒に行けば、一人よりは生存率が高かったかもしれないのに!!!
親友を見捨てた――こんな私に、生きてる価値なんて、何処にあるんだ――!!
「ぁぁぁああああああああああぁぁぁ!!!」
それでも尚、鏡の中の圭は私に笑い掛ける――止めて、止めて、止めて、止めて、止めて、止めて、止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて!!!
圭の笑顔を見る資格なんて、私には、無い――っ!!!
「ぁぁぁぁぁぁ…………――――」
一頻り絶叫し、慟哭した。
どれくらいの時間が経ったのだろう? 多分、私が思っている程時間は経過していない――けれど、余りにも重過ぎる想起だった。
――そうだ。
私が欲しかったのは、生命の石でも、永遠の命でも何でもない。
元の世界に戻された時、被害を少なくしようとした私の心は――本心ではなかった。そんなのは、ただの償いだった。圭を見捨てた償い。
私は――。
「私はただ――みんなと、圭と一緒に、日常を過ごしたかった」
学園生活部の先輩方に、圭を紹介したかった。そして――あの厳しくも楽しかった、偽りの日常を過ごしたかった。
願わくば――何も起こっていない平和な世界で、由紀先輩と、胡桃先輩と、悠里先輩と、ちゃんとした姿は今初めて見たけれど、佐倉先生と――圭と一緒に、何の変哲も無い日常を送りたいだけだった。
泣いて、笑って――そんな繰り返しの毎日を。代わり映えしない、そしてかけがえの無い日常を。
「…………」
頬を涙が伝う。その涙を手の甲で拭った。
「…………」
漸く冷静になる事が出来た。自分の望みを、真の望みを見る事が出来た――幻想を。
私が抱く幻想を。
もう私の中には、賢者の石に対する執着は残っていなかった。虚しい望みは捨て去った。
「…………」
もう、帰ろう。
これ以上この鏡と居ると、本当におかしくなってしまう――今にも自分の首を絞めてしまいそうになる。
罪の意識に、耐えられなくなってしまう。
私は鏡に背を向けた。
「――さようなら」
自然と、その言葉が口を突いて出た。
誰に向けた訳でもない――決別の言葉。
圭はもう居ない。奇跡でも起こらない限り、本物の圭に会うことは叶わない。
幻想に別れを告げ、私は透明マントを羽織った。
[124]
――あれから数日が経った。
奇跡の聖夜は既に遠く、冬季休暇ももう終わろうとしていた。
「…………」
何となく、CDプレイヤーにイヤホンの端子を差し込み、電源を入れた。
イヤホンから流れてくる音はCDの物ではなく、ただのノイズだった。
「…………」
不意にあの鏡の事を思い出した。だが、もう一度あの場所へ行こうとは思わなかった。
あの鏡の事は誰にも話していない。あの鏡は、恐らく見た者を虜にしてしまう。そして、破滅の一途を辿らせてしまう。それを分かっていて誰かに言おうと、再び見に行こうと、思う訳がない。そんな勇気は、私にはないのだから。
あの鏡が今どうなっているのか、同じ場所にあるのか。それを私が知る事は無かった。