金色兎と暗黒門 その1
【第1話】
ブラックコーヒー色の異次元
[001] 暗黒門:1
それは突然開かれた。
美しい街並みに不釣り合いな、底知れぬ、得体の知れない巨大な穴。ぽっかりと開いた空虚な空間。
空に穿たれた暗闇から一羽の兎が舞い降りた。荘厳なる黄金の毛並みを持った兎。一切の意志を持たぬメッセンジャー。
降り立った使者は街を駆ける。主に従い、ある5人に招待状を届けるために。
行き先は別世界。悪夢が終わりを遂げたもう一つの世界。闇と共に英雄も消えた、正史とは分岐した魔法界。
未だ夜は明けない。一度夜が明ければ、本筋は捻じ曲げられ、捻じ切られる。
これは、異世界の住人が英雄の消えた異世界を救う、魔の法が紡ぐ物語である。
[002] 心愛と智乃
木組みの家と石畳の街――そこはそう呼ばれていた。日本でありながら、異国の気配を感じさせる街。この街に魅入られる者は決して少なくはない。兎の看板が目印の喫茶店『ラビットハウス』はそこにあった。
まだ開店していない店内は閑散としていて、オーナーが望んだ隠れ家的な雰囲気を感じさせる。
三階のある一室を除けば。
「ココアさん、もう朝ですよ。起きて下さい」
「ん……あと十分……むにゃむにゃ」
窓は既に開かれて、眩しい朝日が部屋中を照らす。光の中でも気にせず眠り続けている少女は、【保登心愛】。このラビットハウス――即ち香風家に下宿している高校一年生である。
窓を開けて、彼女を揺さぶり、起こそうとしている中学二年生の少女は【香風智乃】。ラビットハウスオーナーの孫娘である。
下宿している少女を家主の孫娘が起こす、というなんとも奇妙な状況が発生しているが、これはいつものこと。そして、この下宿人が中々起きないのも、いつものことである。
「はあ……」
チノは溜め息をつく。揺さぶっても起きない場合、奥の手を使うしかないからだ。
「…………お姉ちゃん、起きて下さい」
「わあ! おはようチノちゃん! もう一回言って!」
「言いません」
うんざりしたように言う。
奥の手とは、即ち『お姉ちゃん』。ココアは姉と呼ばれるのに憧れており、彼女に対しては会心の一撃となる。実際、客からシスターコンプレックスであるという指摘を受けたこともある。余りにも起きないとき、チノはこの奥の手を使うのだ。
「ココアさん、朝ごはんです。下で待ってますから、二度寝しないで下さいね」
「は〜い」
こんなかんじで、今日も新しい1日の幕が開いた。
不思議な不思議な1日――約7年程度に感じる程の1日が。
[003] ブラックコーヒー色の異次元
「では、行ってきます」
「行ってきまーす!」
朝食を済ませ、チノとココアは学校へ向かった。いつも通りの朝。途中の分かれ道で、いつものようにココアとチノは別れた。
一人歩くココア。すると、人影が一つ。
「あ、千夜ちゃん! おはよう」
「おはよう、ココアちゃん」
【宇治松千夜】。ココアの同級生であり、嘗てラビットハウスのライバルであったという甘味処『甘兎庵』の孫娘であり看板娘。ココアの親友である。
「最近暑くなってきたねー」
「そうねえ……そろそろ夏季限定メニューを出す頃かしら」
「そんなのあったの!? 何て名前?」
「そうね、今考えたのだけれど、『天の頂』なんていうのはどうかしら」
「……えっと……ああ、かき氷の事?」
「それもただのかき氷じゃないわ。練乳をたっぷりかけて真っ白になったかき氷の周りに、雲をイメージした綿飴を配置するのよ!」
「綿飴とかき氷って……合うの?」
「大丈夫、なんとかなるわ。合わなかったら合わなかったでその時はその時よ」
「チャレンジ精神が凄い!」
「そうだわ、ココアちゃんに試食してもらえば良いわ」
「自分ではしないの!?」
「大丈夫よ、お代は要らないわ」
「そういう問題じゃないよね!?」
「だって、もしも失敗しちゃったら嫌だもの……失敗作を自分から進んで食べる人間が、何処に居るというのココアちゃん!?」
「知らないよ! ていうか私も失敗作とか食べたくない!」
「ココアちゃん……親友だと思ってたのに……」
「それとこれは話が別だよ……じゃあ千夜ちゃんは、親友が苦しんでる姿を見たいの? 見たくないよね」
「え? オッケーよ! 苦しんでるココアちゃんも可愛いもの」
「酷すぎるっ!?」
「ふふふ」
「ふふふじゃないよもー!」
歩きながら楽しげに話す二人の少女。少しずつ学校が見えてきた。
しかし、歩く彼女達を遮る小さな黄金の影が一つ。目の前を横切った。
「!! み、見た!? 今の兎! 金色だったよ! 毛並みが!」
「珍しいわね、金色の兎だなんて……」
この街には、至る所に野生の兎が棲んでおり、兎自体は、実はそこまで珍しくは無いのだ。
「追っ掛けてみよう、千夜ちゃん!」
「え!? でも学校――ま、待ってココアちゃん! 置いていかないで!」
学校を華麗にスルーし、兎を追い掛けて駆ける少女が二人。
兎の動きは素早かった。全力疾走しても追い付けない。ココアは一心不乱に追い駆ける。千夜は付いていくのに必死であり、最早兎など眼中に無いだろう。
「コ、ココ、コ、ココア、ちゃん、ちょっ、ちょっとま、待って、!、わ、わたし、も、もう、げんかい……、!」
必死に、喘ぎながら走る千夜。だが、少しずつココアとの距離が開き始める。
「コ、ココアちゃん!」
少しずつ、少しずつ、距離は開く――そして、少しずつ、少しずつ、千夜はおかしな事に気付き始めた。
辺りを見回すと、何時の間にか沢山の木が生え、森の中のような形相を見せていた。何時の間に迷い込んだのだろう? 私達はさっきまで街中を走っていた筈なのに、何時の間に? それに、ココアちゃんの様子もおかしい。さっきから呼んでいるのにまるで反応しない。兎しか眼中に無いような……。何時ものココアちゃんとは、違う。
すると突然、ココアがスピードを緩め始めた。少しずつ、少しずつ、距離が縮まってくる。
「……ココアちゃん?」
肩で息をしながら、心配そうにココアに声を掛ける。だが、次の瞬間、得体のしれないものが千夜の目に入ってきた。
「――!? な、何、あれ――?」
空にぽっかりと浮かぶ巨大な穴が、そこにはあった。いや、穴というよりは闇と言ったほうがしっくりくるような暗黒――得体の知れない謎の暗闇。
「――――! ココアちゃん! しっかりして! 早く逃げましょう! ここは危ないわ!」
「…………え? あれ? 千夜ちゃん? 私どうしたの……ここ何処?」
ココアが正気を取り戻した。
「ち、千夜ちゃん? な、何あれ? ここ何処なの?」
「落ち着いてココアちゃん! 早く逃げましょう――何だか嫌な予感がするの!」
空中の暗闇は、少しずつ、少しずつ、肥大化して彼女達との距離を詰める。
「早く! 早く逃げましょう! ココアちゃん、私を引っ張って!」
「ちょ、私そんな力ないよ! なんだか分からないけど、凄く足が痛い……」
「全力疾走しすぎよ! ちょっと、嘘でしょう!? 私ももう走れないわよ!?」
「あれ……おかしいな、私と千夜ちゃんが初めて会った光景が浮かぶ……」
「ココアちゃん、それ走馬灯よ! 諦めちゃダメよ! やめて! 私も諦めそうになるから!」
暗闇はすぐ近くまで迫っている。
「これはもう、私が背負っていくしか――駄目重い無理無理無理、ぐはっ」
背負ったココアと共に倒れ伏す千夜。闇はもうそこまで来ている。すぐ呑まれるだろう。
千夜は、クゥクゥという声が聞こえた気がした。そして、二人は闇に包まれて、意識を失った。
兎は、再び満足そうに音を立てると、掻き消えるようにその場から居なくなった。
[004] 天を染める黒
まだ初夏とは言え、日差しは十分に暑さを孕んでいる。そんな日差しの下、【桐間紗路】はチラシ配りに励んでいた。
――暑い。暑い。暑い。なんて暑さだろうか、こんな中でチラシ配りだなんて、今日もついていない……まだ本格的な夏までまだあるというのにこれでは、夏至の辺りではどうなってしまうのだろうか。死ぬのではないのだろうか。年々暑くなってるし、本当、どうにかなって欲しい――。
こんな事を思いながらチラシを配るが、勿論そんな感情はおくびにも出さず、営業スマイル的な笑顔で配り続ける。
さて、唐突であるが、シャロは兎が嫌いである。ある黒兎に指を噛まれて以来、それがトラウマとなり、彼女は兎が大嫌いなのだ。にも関わらず、彼女自身は兎に非常に好かれやすい。シャロにとっては良い迷惑であろう。そんな体質の所為か、いつ間にか彼女の近くに兎が居るなんていうのはザラである。
ということで、何時の間にやら足元に兎が擦り寄ってきた。
シャロが気付いた。
「きゃあああああああああああ!!?」
周囲に悲鳴が響く。しかし、兎は擦り寄るのを止めない。
「な――な――い、何時の間に――は、離れなさいよぉ! 離れて! 止めて! 離れて! お願い! 舌噛むわよ! 離れて! お願い! お願いします! お願いします! お願いします!」
徹底的なまでの嫌いっぷりである。しかし、兎は擦り寄るのを止めない。
「本当! お願いだから! 止めてえ! 止めてえええええ!!」
「あれ、シャロじゃないか」
「!!?!?」
泣き叫ぶシャロ。しかし兎は擦り寄るのを止めない。そんな状況に一筋の光が差した。
現れたのは、シャロの一つ上の先輩である【天々座理世】。シャロの憧れの存在である。
リゼは事も無げに兎に近付くと、すぐに兎は居なくなった。
「大丈夫か? シャロ」
「リ、リジェしぇんぱい!? 何故ここに!? どうしたんでしゅか!?」
「お前がどうした。落ち着け、呂律が回ってないぞ」
「〜〜〜〜っ!?」
思わず口元を押さえる。みるみる顔が赤くなっていく。千夜が見ていればさぞ面白がった事であろう。
「それにしても、金色の毛並みだなんて、珍しい兎だったな」
「え!? そ、そうですね! いや、でも兎には変わりないので、正直どうでもいいというかなんというか……」
「そこまで嫌わなくても……」
そのまま話し始める二人。シャロは最早、さっきまで自分が何をしていたのか覚えていない。そして、草むらから眼を光らせる黄金の生物の存在にも、気付いていない。
「こんな日までチラシ配りとは、大変だな」
「いえ、そんなことは……それに、まだまだ暑くなるのはこれからですし」
「真面目な奴だな……ちょっと貸してみろ」
「え?」
「チラシだよ。一人じゃ大変だろ? 手伝ってやるよ」
「え!? い、いえ! 何てことはありません! 大丈夫です! そんな、リゼ先輩の手を煩わせる程じゃありませんから!」
「いや、いいよ。どうせ暇だし……」
「大丈夫です! 大丈夫ですから! 寧ろ邪魔です!」
「なっ……!?」
「大丈夫ですから――あれ? ん? 今私なんて言った――あああああああ!! いえいえいえいえいえいえ、そういう意味では無いのです無くてですね! その、あの、邪魔では無くて! その、ちょ、少し混乱していただけで! その、悪気は一切! これっぽっちもっ!!」
「そ、そうか……済まない、出しゃばり過ぎたな、うん、悪い」
「違います違います違います!! 先輩は何にも悪くありません! 悪いのは全面的に私ですから! 止めて下さい謝らないで下さい! うわああああああ!! すいません、切腹します!」
「何!? 落ち着けシャロ! 私が悪かったから落ち着け!」
「先輩は悪く無いんです!! 悪いのは、私ですからあああああ!!」
「くっ、こうなったら、気絶させるしか!」
「ええ、やって下さいリゼ先輩! 当身をどうぞ! ついでにいっそのこと私の首落としちゃって下さい!!」
「正気かシャロ!?」
「リゼ先輩の手に掛かって死ぬなら、本望ですからっ!!」
「お前は何を言ってるんだ!?」
言い争い――否、一方的な乱心の最中、黄金の兎は、光さえ奪う程真っ黒な暗闇と共に近付いてきた。シャロは当然のこと、リゼでさえも気付いていない。
「リゼ先輩! さあ、どうぞ! よしなに!」
「待て待て、シャロ、どうした!? 混乱具合が異常だぞ、落ち着け!」
「一思いに……人思いにやって下さい!!」
「分かる人にしか分からない台詞過ぎるぞシャロ!」
「良いんですもう……私、十分生きたんで」
「まだそんな生きてないだろう!? 何歳なんだよお前は!?」
「ふふ、思えばあの時全てが終わったのかもしれません……そう、あんこに噛まれたその時に!」
「終わった割には随分と長いボーナスステージだな!?」
因みに、あんことは甘兎庵の看板兎であり、シャロのトラウマを作った張本人(兎)である。
黄金の兎が彼女達に近付く。闇はあと少しで彼女達を呑み込むだろう。
「落ち着けシャロ! お前はまだ終わっていない! いや、まだ始まってさえいないんだ!」
「いや、流石に始まってはいますけど!?」
「お前が切腹するというのなら、私もそれに付き合ってやる!」
「え!? 本当ですか!? 嬉しい……!!」
「え、何だその反応」
「もう何も恐れる事はありません……明るい未来が、私達を待っているのですよ!」
「いや、明るいどころかもう辺りが暗くなってる――暗く――え?」
既に遅かった。暗闇はもう彼女達の目と鼻の先に生じていた。リゼが居ながら、ここまでの接近を許してしまったのは迂闊としか言いようが無い。
「さあ、早く……リゼ先輩? どうし――」
「逃げろ、シャロ!!!」
リゼは、シャロを全力で突き飛ばした。
そして、暗闇の中に消えた。
[005] 闇に沈む金色うさぎ
何が――何が起こった?
分からない――何も分からない。私とリゼ先輩が話していて(何を話していたかいまいち覚えていないけれど)、それで、リゼ先輩が私のを突き飛ばして、それで、私は地面に倒れていて、それで、それで――リゼ先輩が、消えて?
「な――何よ――何なのよ? リ、リゼ先輩? リゼ先輩は、何処?」
リゼ先輩は何処へ行った? 突然目の前が真っ暗になって、気付いたらリゼ先輩が居なくなってて、え? 何で? 何で居なくなったの?
何が起こったの?
「何よ、これ――どういうこと?」
訳が分からない。訳が分からない。訳が分からない。理解出来ないことが起こっている。何か分からないけれど――。
――逃げろ、シャロ!!
「!!」
リゼ先輩の声が脳裏に響き、軽い混乱状態から目覚めると、目覚めた筈なのに、目の前に真っ黒な何かがあった。暗闇としか表現できないような、得体の知れない何か。
「――――っ!!」
全力でその場から走り去る。何が起こったのか分からないし、何が起こるのか分からないけれど、でも、リゼ先輩の声に従い、自然に足が動いた。
走る、走る、走る――。全力で走っているつもりなのに、後ろから聞こえる兎の跳ねる音がまるで遠ざからない。むしろ、だんだんと近付いて来ている。
「〜〜〜〜っ!!」
走る、走る――。立ち止まっては駄目だ、立ち止まったら、あれに呑まれる。逃げなければ、逃げなければ。
「…………っ!!」
走る――。だんだんと足が重くなってきた。飛び跳ねる音がどんどん近付いてくる。
「…………」
――。膝から倒れ込む。元々運動は得意な方では無かったし、暑さによって体力が蝕まれていた。もう、駄目だ。動けない。辺りが暗くなっていくのを感じた。逃げきれなかった。せっかく、リゼ先輩が助けてくれたというのに、何て不甲斐ない。きっとリゼ先輩は笑っているだろう。
「ごめんなさい――リゼ先輩」
周囲が闇に包まれ、光が淘汰された。
意識は、闇に溶けた。
[006] 暗黒門:1 end
黄金の獣は、宙を跳ね、宙を舞い、闇を纏い、闇に消えた。次なる行き先は黄金の世界。7人の少女を招待する為、兎は駆け抜ける。
それは魔の法、異世界の術。この世界においてはどう足掻いたところで太刀打ち出来ない秘術。抗うことさえ、運命は許さない。
死んでいませんよ!(重要)
原作の方で死んでしまうメンバーは、まあ仕方ありませんが、他のメンバーは出来るだけ生かす方向で書いていきたいです。自分を抑えねば。