麒麟児の仰ぎ見る旗 作:地獄大陸
死の危機から助けてもらった恩返しの思いで、『天の御遣い』という呼び名を受け入れ、続いて軍師にして欲しいと乞われて、少女へそれを許した北郷一刀。
彼の軍師となった少女から改めて聞かされた彼女の名前を聞いて、一刀が思ったことは『偶然の一致?』である。
彼女は『姜維』と名乗ったが、一刀の知るその名は男の名前であった。
それも遥か昔の三国志の後期に登場する、蜀に所属した有名な人物。
あの諸葛亮孔明に代わって魏に攻め込んだ知勇兼備の武将。それが姜維伯約。
(……伯約?)
一刀は驚く。
「えっ、伯約!?(ハクヤクって字まで同じ?)」
「はっ。郡の役人に就いていました母が異民族らに討たれ、村人らと逃げる際に父が成人に負けない私の働きを見て、若輩ながら死の間際にこの
「……まな?」
「はい」
一刀としては、ここで終わられては困る。だから、知らぬは一生の恥と聞いてみる。
「まなって、何かな? 俺、それ良く知らなくって……」
「そうですか……北郷様は『天の御遣い』様ですから、地上の事について知らない事もおありなのですよね」
一刀としては好都合の解釈である。まだまだ分からないことだらけなのだ。そもそも学校の成績も中程度の頭で、この先なんとかなると考えるほど愚かでは無い。
「……なあ、これからも分からないことは一杯聞いてもいいかな?」
「知る範囲でよろしけば。とりあえず、真名についてですね」
一刀が頷くと、姜維は話してくれる。
「一般的には、本人が心を許した証として呼ぶことを許す呼び名です。本人の許可無く呼んだ場合、問答無用で斬られても文句は言えないほどの恥辱と無礼になりますので細心のご注意を。もちろん、会話中から知っていたとしても勝手に口へ出してはいけません。それから―――真名を許す時期にも個人差があります。友人になれば許す場合もあり、伴侶として仲睦まじく長く連れ添い死ぬ間際に教えてくれる場合も。真名の許諾だけで関係は推し量らないでください」
一刀の心にも一瞬寂しい思いがあった。この子から真名を許されていないのは、心を許されていないという事かと。でもそれは違ったようだと彼は安心する。
「……そうか、良く分かったよ。注意するから。教えてくれてありがとう、伯約」
「はい」
姜維は主の様子に少し微笑んだ。
「ついでに、もう一つ。『天の御遣い』ってどういう者を指しているんだ?」
これも早めに知っておかないと、見当違いの行いは身の破滅に繋がりそうな事柄に思えた。
「最近、大陸中で噂になっている管輅という占い師によって伝えられた、近々現れるという『天下を平穏にする力を持つ』方の事です」
「管路……はぁ。いずれにしても大変な事なんだな……」
「はい、すみません……。でもその衣装は決め手の一つとなりましょう」
「そうか」
この普通の学生服がそうなるのか良く分からないが、ここは姜維の言葉に同意しておく。
話題が変わったものの、彼女が姜維を名乗った違和感は依然残ったままだ。しかし、今はそれよりも直面する多くの問題を好転させることが先決に思えた。
ずぶ濡れだし、いまだ異民族の兵らは近隣を徘徊しているだろう。逃げなければならない。
今は、山の中の岩陰に開いた洞窟の入り口から僅かに入った所で雨宿りをしている状態に過ぎない。
食料も手に入れなければならず。これからの生活についても。
それに、今いるこの場所は、どこなのだと。
考えればキリがなかった。
(さて……まず何から)
そんなことを考えていると姜維は、「失礼します」と告げて、少し離れた場所で背を向けると躊躇いなく――帯を解いて服を脱いでいた。スッポンポンに。
子供の仕草。そして服や帯を絞り始める。
「主様も服を乾かす準備を」
「お、おう」
一刀もポリエステル製で光沢のある制服を脱ぐ。この制服は防水加工されているのか不思議と水捌けがよく乾かすまでもなさそうだ。シャツは乾いた岩肌に掛け、肌着とパンツは脱いで絞る。さすがに再び下だけは履き直した。
すでに絞り終わった姜維は、「少々お待ちを」と確認のためだろうか、洞窟の奥へと進んでいった。
遅いなと様子を見に一刀が腰を上げかけた十分程後……なんと少女は立派な衣装を着て奥から出て来る。
その衣装がとても栄え、美少女をより大人びて見せた。
腰まで届く灰色の髪も真っ直ぐ綺麗に整え直しており、衣装全体は緑と黄緑を中心に胸元の白生地と襟が綺麗なV字を印象付けているデザイン。前方の裾は膝上拳一つ半ぐらい上、後ろはふくらはぎ程まである変則タイプ。腕には手甲があり、武人風にも見える。頭には二本の鳥羽と緑地に金の飾りの付いた頭冠を乗せ、足元の靴は白に緑の装飾のあるブーツ風のものだ。背中には腰に差すには長いのだろうか、立派な剣を一振り背負っていた。
パンツ一丁姿の一刀は、少女のあまりの変わり身にポカンとなる。
「主様、あの……これを」
そう言って姜維は主へ、体を拭くための乾いた白い布を手渡してくれた。
先ほどの子供じみた彼女の、スッポンポン行為からは対照的といえる女の子らしいしぐさ。
そこからの少女の言葉に、一刀は先程は変わらなかった顔が少し赤くなりながら礼と素直な感想を伝える。
「お、ありがとう。……その服すごく似合ってるな」
だが同時に彼は、ここで彼女の着る服装に違和感を覚える。
似合ってはいる。しかし、やはり一般的に見る日本の庶民的服装とは異なっている。近いのは古き大陸風の様相。それにしては『露出』が多いような感じもするが。
一方、一刀から言葉を貰った姜維も少し恥ずかしそうに俯く。
「ありがとうございます、北郷様。『天の御遣い』様の軍師となった身としてボロを纏う姿は出来ませんし」
そう言って嬉しそうに微笑みを返してくれた。彼女のそんな顔を見るのは初めてかもしれない。
まあ当然かもだ。彼女は先程まで『死』を覚悟していた子なのだから。
でも一刀は、破滅的だったそんな彼女の気持ちが変わってくれて良かったと思えた。
(この子には断然笑顔の方が似合うよなぁ)
その後、二人は軽い食事をする。
火も起こし、一刀はシャツを剣の柄に吊るし、肌着とズボンも着て体温で乾かしている。
そうした間に、ここがどんな状況や場所かを姜維からいろいろと聞く。
異民族が西から攻めて来ていると言う。その数は総勢五千程。
今、国内の各地で大規模な反乱が起こっているかららしい。その反乱軍の多くの兵が黄色い布を頭に巻いていると言う。その反乱が大規模過ぎるため、地方の端の一部が襲われようと国は兵を寄越せない模様だ。
異民族の侵攻は、つまり火事場泥棒のようなものと言える。
ここは都から西方にある天水郡。郡の太守は異民族軍に大敗後、援軍を出さず城に閉じこもっている。周辺の千人規模の村々や街は個々に襲われ未だ食われ続けている。
酷い状況だが、一刀は一つ分かった事がある。
頭に黄色の布を巻く国規模の反乱と言えば『世界史』の中でも三国鼎立前の『黄巾の乱』しかないだろう……。
だが女の子の『姜維』といい、時期も違うし、ここは本当に大陸の三国時代なのかと一刀は思案に迷う。確かに、歴史は正確に伝わるとは限らない。『姜維』が女だった――もありえる事ではある。
どうあれ結局、今は現実を受け入れるしかないと一刀は結論付ける。
先程雨も止んだ。
洞窟の奥には姜維が事前に隠していた物資が僅かにあった。
食料に、着替えに、布に、武器に、お金に、地図に、雑貨に。用意周到と言える。
なぜさっきまで、「ボロボロの格好を?」と尋ねると、彼女は「あの世へ道づれの外道らへ鉄槌を与えるにはそれで十分です」と吐き捨てた。
そして彼女は言う。
「でも、これからは違います。身形(みなり)は重要です。異民族たちを追討し国外へ叩き出すには、大きい力が必要です。短期に実現となればそれは国内の大きな勢力から借りるほかありません。そしてその為には、それなりの威厳と立場が必要なのです。そして、権力者らは『利』がなければ動きません。下賤のものには手を貸すことは基本無いのです」
一刀は静かに姜維のもっともな意見を聞いていた。
彼女はまだ『大人』ではない。だが、それは見た目に過ぎない。
『大人』に負けない力を、すでに彼女は備えている様に感じられた。
助けてもらった恩があるし、一刀は天涯孤独のこの子に出来ることはしてやりたいと思う。それに自分自身も今は当てが無かった。
一刀は静かに尋ねる。
「俺は、これからまず何をすればいいかな、我が軍師?」
主から『軍師』と改めて言われ嬉しく、彼女はかしこまって可愛く姿勢を正す。
「はっ。最終的には最寄りの勢力……馬騰が当主の馬家を頼ることになると思います。それには馬家の関心を引かねばなりません。そのために主様の『天の御遣い』の存在が重要なのです。馬家の者達は一族でも縁起や神を大切に扱っていると聞きます。身を寄せる前に何か地方で良い噂になる行いをされれば、後が簡単になります」
「(馬騰に馬家か……)後が簡単?」
「はい。馬家ですが色々問題が起こっているようなのです。そこで、それを解決してあげれば容易に異民族に対する兵の動員協力を得られるでしょう」
なるほど。きっと姜維の頭脳で解決出来るのだろう。
しかし一刀は剣道が得意という程度である。神技的な事は何も出来ない。
まず、地方で噂……手があるだろうか。
「主様が、実際にどこか村や街を救えばいいのではないでしょうか?」
結構無茶を言う軍師様だ。
「いやいや、そんな簡単にはいかないだろう?」
「……今や、生き残っているどの村も他人ごとではありません。藁にも縋る状況なのです。『天の御遣い』という希望が見えれば周辺も巻き込んで団結出来ますよ、きっと」
「ほ、本当にそれで何とかなるのか?」
「はい、後はお任せください」
二人は荷物を纏め、とりあえず山を出ることにした。
つづく