麒麟児の仰ぎ見る旗   作:地獄大陸

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15話 天水戦終結 と 大抜擢

 天水郡内で完全勝利を収めた一刀たち反攻軍だが、姜維の作戦は、まだ終わっていなかった。

 後軍うち五百と負傷兵、そして捕虜の内百余と接収した軍馬二百五十余をこの豲道の陣に残し、捕虜五十名を連れて反攻軍三千五百が隴西郡へと怒涛の如く進撃し雪崩れ込んでいく――。

 

 先鋒は千五百を率いて姜維、中軍千百余を千人隊長の向(しょう)が率い、後軍は顕親の軍兵八百六十余を一刀、副官に龐徳と郝が付いて率いる。

 途中の街道で、北郷兵団の兵装でいる雑兵風の馬超ら十数騎の騎馬隊が合流する。

 馬超は、またしても伝令つぶしを行なっていたのだ。

 

「こっちの方が気掛かりだったんでね」

 

 そう言う彼女だが、実は多勢で相手を袋叩きにする戦いは余り好きでは無い。せめて正面より敵の分厚いところを粉砕する持ち場なら乗り気にもなるのだが……。先日の千里行で龐徳と共に行なった、敵陣内を少数で果敢に突貫し無双する感じの戦いの方が性に合っていた。

 馬超は龐徳から作戦を聞いて、主戦場を避けこの伝令つぶしを買って出てくれたが、それでも誰より馬を早く走らせられる彼女が担当なら大助かりであった。

 一刀ら反攻軍は、郡境を越えた辺りの草原で陣を張り一晩を過ごすと、翌朝を迎えて再び西の襄武県内奥へと進撃する。

 そうして、昼過ぎに隴西郡襄武の街へと迫った。

 本来、郡境を越えての兵団進軍は、その地の太守より許可を取るべき行為。だが今なら、郡民を殺して逃亡した外敵の異民族兵団を追跡中だと、強引な理由付けが可能だ。

 姜維の狙いは、天水郡への前線基地的なこの襄武の地で勝利し、敵陣を壊滅的に薙ぎ払うためである。ここまで潰せば異民族軍を更に南西の鄣の城まで押し返せ、残った兵力はもう僅かとなる。それにより、馬家の力を借りる次の一手までの時間が稼げると見ている。

 斥候の報告では、襄武に駐留する敵兵数は、先日と変わらず千五百のままとのこと。

 

(一気にここも踏み潰します!)

 

 姜維が先頭を率いる反攻軍は、敵陣へと迫り突き進んでいく。

 

 

 

 隴西郡襄武に築かれた兵数千五百が駐留する、異民族軍最大の陣。

 司令官で千人隊長の頭斜(とうしゃ)の天幕では、斥候から伝えられた『三千余の天水軍現る』の報に百人隊長らが集まって来ていた。

 動揺した彼らは、おのおの不安を口にする。

 

「頭斜殿、これは天水郡内で、我らの友軍は破れ抜かれたということでしょうや?」

「一体いつの間にこんな事に。伝令はどうなっているのかっ」

「敵の総数は三千を超えると聞く。ここで戦われるのか?」

「隴西郡内の豪族らという事は?」

「そ、それは退路を断たれることになる。韓遂殿らへ急ぎ確認を!」

 

 天水内での状況が届いておらず、駐留兵数の倍以上の軍団が突然に現れたことで、不安に取りつかれた者が多いと感じられる場の空気であった。

 そんな中、千人隊長の頭斜が口を開く。

 

「鎮まれ。昨日より、日に一度の定期連絡の伝令も断たれておった。今朝三十騎の兵を確認に送ってこちらへと寄せてくる一軍を発見し戻って来たのだ。三千を超える兵数ともなれば、回り込まれたという事はあるまい。知らせも何も来ぬ現状から、天水内の我ら友軍はすでに破れたのだろう」

「「「「………」」」」

 

 会合の当初から良い材料は一つも無く、頭斜の言葉に皆が肩を落としたように見えた。だが敵が迫る以上、座している訳にはいかない。

 

「案ずるな。この隴西郡には、まだ合わせれば三千程の友軍がいるのだ。後方の各陣へ急ぎの伝令を。最寄りの二つの陣の兵はこの場へ合流。それ以外の陣は五千人隊長の居る鄣の城へ向かわせろ。だが、それらの伝令は別経路で其々三つは出せ。どうやら伝令を排除されている節がある」

「はっ、直ちに」

「百人隊長の皆は、この陣で急ぎ迎え撃つ準備を」

「「「「「はっ」」」」」

 

 異民族軍の陣内も慌ただしく臨戦態勢へと移っていく。

 

 姜維の反攻作戦は、異民族軍を個々で威圧し萎縮させての殲滅が基本的な展開形態。

 今回もそれが適応されている。

 ただし、包囲殲滅はこの隴西郡では行う余裕がない。南西へ向かう街道沿いに敵の陣も多く、この郡の豪族らの動きも不透明であり、一軍が奥側へ回り込むのは余りに危険が大きいと考えている。天水郡内とは状況が全然違うのだ。

 今の段階では、天水側後方を確保しつつ、前方の西方へ敵軍を押し返すのが良策と判断していた。

 万に一つもここで負けるわけにはいかないのだ。

 異民族軍の陣が視認出来る草原に、姜維は再び横陣を組む。中軍はその右に、一刀らの後軍が左に横陣を敷く。

 異民族軍側も総員にて陣内の守りを固めているようだ。斥候により異民族側後方の陣から、兵団が援軍として合流する為に向かって来ているとの情報が入った。

 その数はおよそ五百。それが敵陣に加われば二千となる。その援軍が加われば士気も上がろう。

 だが、姜維はその機会にと策を講じる。

 五百の兵が援軍に加わったと斥候からの報を受けて間もなく動く。

 ここまで連れて来た捕虜の内、十人隊長の一人に木簡を持たせて敵陣に返したのだ。

 使者は殺される可能性が高く、渡すだけなら捕虜で十分と考えて送り出す。そしてもう一つの役目も、その彼が勝手にしてくれるだろうと。

 今の時刻は、両軍とも昼食を終わって一息ついたというところだ。

 

 

 

 千人隊長の頭斜は、返されて来た十人隊長から敵の木簡を受け取る。それには要約すると以下の内容が記されていた。

 

『貴国の捕虜約五十名をこの地へ同行させて来た。千人隊長の貴殿とこちらの者とで今夕一騎打ちを所望したい。返事の刻限は空の色が変わり始める夕刻前。負けるのが怖いと応じなくば、捕虜のいくらかが火あぶりの刑となる。そうそう、万が一、貴殿が勝てば豲道で討った将の首はお返ししよう。塩付けで申し訳ないが』

 

 姜維は、無理やりにでも千人隊長を一騎打ちに持ち込ます腹であった。それが、もっとも効率の良い士気粉砕なのだ。もちろん乗って来なくても粉砕するが。

 頭斜の陣幕に集まった百人長たちは沈黙する。

 

「「「「「……」」」」」

「……お、おのれ、ゴミどもめ」

 

 頭斜は、皆へ読み上げ終ると握った木簡を怒りで握り折っていた。

 

「いかがなされるか、頭斜殿」

「罠ではないのか?」

「だが、受けねば敵味方の多くに謗(そし)られよう」

「相手は誰が出て来るのだ?」

 

 生還した十人隊長に、豲道での一騎打ちや戦いの話を聞いた。

 天水側の反攻軍には小さな悪魔の他に、少し小柄な雑兵、他にも桃色の美髪なポニーテールの将に加え、『天の御遣い』を名乗る男が全軍を率いるなど、千人隊長らを上回ると考えられる猛者の多いことが伝わった。

 

「『天の御遣い』など面妖な」

「これは……罠だな」

「では、受けないと?」

「受けなければ、恐らく木簡の内容をこちらの全兵へ告げて来るだろう。そして応じなければ捕虜が焼き殺される。加えて、一騎打ちをしないのは臆病風に吹かれたのだとな。その場合、戦う以外での反論は難しいだろう。武人としての我が名は地に落ち、この陣の士気は確実に削られような……」

「「「……」」」

 

 すると、百人隊長の一人が妙案として意見を出した。

 

「では、その猛者四人意外を指名し戦えばよろしいのでは?」

「「「「おおっ」」」」

「なるほど」

 

 そう言って頭斜は一度は頷いた。

 

「だが、それでは強者から逃げていると思われないか?」

「ここへ明記されているのはあくまでも『一騎打ち』です。問題ないでしょう」

「……それでいこう」

 

 彼等は、姜維のどう転んでも逃げられない策にどっぷりと浸かっていた。

 間もなく、異民族側からの竹簡の付いた矢文が一刀のいる本陣へと届けられる。その竹簡には、一騎打ちを受けるがそちらの相手は、将ではなく身の丈が七尺二寸(約百六十六センチ)よりも大きい者に限ると指定がされていた。

 

「主様、狙い通り異民族の敵の将は、自ら最強の武人を指名して来ましたよ」

 

 返した十人隊長が、豲道での姜維らの戦いぶりを伝える事は織り込み済みなのだ。そこに馬超は登場していない。

 皆の目線が、北郷兵団の兵装をする――馬超へと向いた。

 「えっ、あたし?!」と彼女は驚く。

 馬超の身長は、一刀程ではないが百七十センチを超えている。

 加えて千里行での彼女は、漢風の馬超としての戦衣と、パツパツな異民族の兵装で現れたのみ。今の雑兵としては全く伝わっていないのだ。

 これで、姜維の策は半分成功したも同然である。

 

 

 

 初夏が近付く良く晴れた空に、美しい茜色な夕刻を迎える。

 沈んでいく夕日に対し垂直に対峙する形で、すでに一騎打ちの二騎が向い合っていた。

 千人隊長の頭斜が吠える。あえて力のある、大柄な天水の雑兵をぶった切って憂さを晴らそうと考えたのだ。

 

「聞けっ! 漢のゴミどもめ、強者な西羌の先兵である我が力の片鱗を見るが良いわ!」

 

 彼は向き合う敵反攻軍の陣内に、事前の情報で知り得た小さな悪魔を始め、猛者らの姿を確認する。そのため自らの勝利を確信し、彼の口調も滑らかであった。

 対して、馬超扮する雑兵の騎兵は長い髪を納めた皮の戦帽を深くかぶり、目線を落とし黙して語らない。

 

「ふん。雑兵め、真の強者を前に言葉が出ないか。西羌でも名の轟く俺を前にすれば、まあ恐れるのも無理はないな。せめて、楽に殺してやろう」

 

 雑兵の中身を知る者達にとって、この状況は正に『弱い者ほどよく吠える』と見えていた。一刀の傍にいる馬岱からは失笑が漏れている。

 真っ赤な太陽の下部が地平線に掛かる時、戦いは始まる。日が沈むまでの間が戦いの時間となる。

 両陣営の陣に篝火が灯り始めた。

 だが千人隊長の彼は、そんなに時間は掛からないと考える。茶番は只一撃のみで終わる。終わらせると。

 

「うおおおぉーー、千人隊長の我がこの剛撃の剣、受けて見よっーーーー!」

 

 馬上にて分厚い柳刃の剣を抜き放っていた頭斜が先に動いた。

 太く力強い両腕で剣は握られており、軽く旋風を巻き起こしつつ、凄まじい形相と殺気を帯びての斬撃が雑兵の左頭上へと襲い掛かって行った。

 あとわずかで頭部へ届くと思われた瞬間、その一撃は雑兵の持つ十文字槍に受け止められる。

 それも軽やかに。

 頭斜の余裕な表情が一気に崩れさり驚愕する。

 

「な、なんだと……(受け止めた? そんなバカなっ!)」

 

 彼が両腕で放った力の乗る渾身の一撃であった。しかし、もはやビクとも先に進まない。

 受け止めた槍を握るのは雑兵の右腕一本のみ。その上、眼前に良く見えた槍の握り手はなんと、薬指と小指のみが添えられているだけであったのだ。

 

 予想の斜め上な状況―――圧倒的な力量差を感じていた。

 

 その時、雑兵から静かに声が掛かる。

 

「もう、いいか? 気は済んだよな?」

 

 彼の耳に、そんな絶望的な言葉が流れた。

 その雑兵の戦帽下から覗く、見覚えのある美人な顔と錦の双眼に頭斜の顔面からは血の気が引く。頭斜は先日の早朝に、陣内へ放火し暴れた賊らの内、緑の戦衣に長い茶髪なポニーテールの武人の顔を覚えていた。

 

「き、きさまはっ――」

 

 次の瞬間、その声が途切れた。同時に彼の命も、首の繋がりも。

 一騎打ちは二合で終わった。

 力なく馬上から異民族軍の指揮官だった者の体が、重さに比例した鈍い音を周囲にさせて崩れ落ちる。

 

「「「「「うおおおおおおおおおおおおっーーー!」」」」」

「「「ああぁぁぁ…………」」」

 

 反攻軍陣地からは勝利を称える歓声が、対して異民族軍の陣営からは死への溜息で溢れていく。

 姜維は、そこで更に絶望を煽るべく追い打ちを掛けようとした。

 それは――捕虜達二十人への火刑。

 異民族軍からも良く見える場所へ、一騎打ちの開始前より彼等は立たされ横一列で並べられていた。

 武具は外され、木枠の枷を手足に付けられた彼等には、油がべっとりと掛けられておりその場へ鎖でつながれている。

 

「さあ、そこへ並ぶ悪鬼達へ火を放つのです!」

 

 姜維の冷徹な命令の言葉が辺りに響く。

 一刀らは驚く――その行動は聞いていなかったのだ。

 これはあくまで警告で、万が一に敵将が来ないことが無いようにするためのものだと。この機に、本気で火あぶりの刑にするとは考えていなかった。

 周りの兵らも、当初の話と違う予定外の指示に一瞬躊躇する。

 姜維は再度命じた。

 

「早く、何をしています? 敵陣の戦意を打ち砕くために悪鬼達へ火を放つのですっ」

 

 確かに、この捕虜達は同胞を殺しまくった悪鬼達に他ならないと、考えを改め実行しようと動き始めた。待機していた六人の兵らは、軍師から命じられた通りに燃え盛る松明を近づけていく。

 姜維の表情は、悪魔のように歪んだ笑顔へ代わり口許がニヤけていた。

 

(すべて、殺す、殺す、殺す、コロス、コロス、コロスぅーーー!)

 

 そんな彼女の狂った表情が、背中から伸びて来た両手で無理やりに頬を左右へと引っ張られて崩れ去る。

 彼女は、その摘ままれる痛さと、覚えのある手の温もりにハッとなった。

 そしてそんな彼女の主の声が、周囲へ響いた。

 

「その指示は待てっ! 実行するな! 松明をまず消すんだ」

 

 旗頭の一刀が止めていた。この所業は道理に合わないからだ。軍師が一度発した指令を打ち消すのは色々問題が起こりそうだが、黙って見ている訳にはいかない。

 ――姜維の為にも。

 総指揮官の言葉に、松明は速やかに消された。

 

「あっ、主様……」

「伯約、これは違うだろ?」

「あああっ、すみません、すみません、すみません、すみません、すみません、すみません」

 

 振り返り上を向く姜維は、主からの『お叱り』と、自分がしようとしていた大きな間違いに気付き震える。

 無抵抗な捕虜の虐殺。その汚名が大事な『天の御遣い』の主へ刻まれるところであったのだ。それにこれは、異民族軍らを奮起させてしまう逆の効果を生む可能性もある行為なのだ。

 我を忘れ、そんな大罪級な判断間違いを犯し、消え入りたい姜維は主へ抱き付き謝り続ける。

 

「大丈夫だ、伯約。まだ、何も起こっていないよ。あの者達が枷なく武器を持っていたなら止めることはしない。でも、完全に無抵抗な状態の者への攻撃は、本当に必要か良く考えるべきだ。それに彼等にはまだ出来る仕事が有ると思う」

 

 一刀は異民族達を追い返した後に、彼等と行ないたい大きな事がある。そのために事前で、対等以上の力が有る事を相手に見せなければいけない部分はある。

 しかし、それは無抵抗の者への虐殺ではない。捕虜達はまだ交渉にも使える。

 戦えば痛い目を見るということを、今は間近で見せつけ教える時なのだ。だから少年も戦いでは手を抜く気はない。

 馬岱や龐徳ら周囲も、二人のやり取りに緊張したが、ほっとする。

 一刀は顔を龐徳へ向け命じる。

 

「心(シン)っ」

「はっ」

「悪いけどが、ここは伯約と役割を変わって欲しい。速やかに敵陣へ攻撃を開始せよ」

「某にお任せを。敵を陣から蹴散らして参ります」

 

 そう言って龐徳は、『赤龍偃月刀』を握り颯爽と本陣を後にする。

 

「向殿も予定通り側面から苛烈に攻撃ください」

「心得ました」

 

 中軍の千人隊長も部隊へと戻って行く。

 

「……伯約」

 

 主の声に小さくビクリと震えつつ顔を上げる。主は少し怖い顔。イケナイ事をしてしまったのだ、当然であろう。彼女は、両肩に手が置かれると僅かに離される。

 周囲を巻き込む失態を犯し、どんな罰が下るのか……ついにキビシイお仕置きだろうか……それも甘んじて受けるつもりで、再びクッと目を瞑りつつ主の声を待つ。

 

「君は―――俺と一緒に戦おうな」

 

 だがその声は、優しかった。

 

「ぁ、主様ぁ………はぃ」

 

 目を見開くと、一刀は腰を下げて来て片膝を付いた。そして目線を下げて見つめる姜維を優しく見上げてくれている。彼女は主へと改めて抱き付いた。首裏へ腕を回し更に詫びる様に頬をスリスリと合わせて、温かさも感じながら。一刀はそんな彼女の頭を優しく撫でていた。

 

 一刀達反攻軍は夕刻の中、指揮官の居なくなった敵陣へ容赦なく攻撃を加えていく。

 一瞬深く落ち込んだ姜維であったが、主との二人乗りで調子は大きく上向いた。そして失策分を取り戻す様に神速な槍を振るって奮起する。かなり訓練された本隊である顕親の兵団を思い通りに動かし、当初のこの隊の働きを十二分に行わせた。

 姜維の代わりを務めた龐徳の先鋒隊へは、馬超も密かに加わり二頭立ての強烈な先頭となって、敵陣中央部の如何なる兵壁、柵をも突き破っていった。

 右側に展開する反攻軍の中軍は、当初距離を取って弓を陣側へと浴びせ、陣に籠り定位置を守る異民族兵達を確実に削って行った。

 勝負の決着は一時間半程で付いた。薄闇の中、異民族軍は陣を放棄し敗走した。

 今回は半包囲であったため、敗走路は大きく後方に残されていた。追い打ちを十キロほど掛けたが半数程の千百程しか討てなかった。それでも壊滅的な損失だろう。放棄された陣内には多くの兵糧と装備類が残されていた。

 反攻軍側の被害は死傷者八十余程。今回は逃げ道が有り、及び腰で死に物狂いでの反撃を受けなかったためだ。それでも百人隊長の首だけは十四も上げている。姜維はそのうちの六つを上げた。

 また、追加の捕虜は六十名余。その半数は娼婦達であった。一刀は非戦闘員へは所持する財産を保証し寛大に対処するように伝える。

 一刀は早くも戦後とその先を睨んでいた。二百を超える捕虜は外交的に使いどころを考えるべきだと思っている。金銭を要求して返還してもいい。見せしめの処刑は極力考えない方向である。姜維も概ね一刀の考えに従う。彼女の主はこの少年なのだ。

 

 ――主の為に。

 

 多くの者に対し天水でのカタキを討ち、彼女の思いは大きく変化し始めていた。

 反攻軍は目的を達し、接収した兵糧装備、捕虜達も含めて天水郡へと帰還する。

 

 

 

 

 

 一刀ら反攻軍は、回収物と言える運搬物がかなり増えて輸送面で少し手間取り、五日後に漸く治所の冀の城塞へと帰還する。

 これは正に凱旋である。郡民への身近な悪鬼からの脅威が払われたのだ。

 この一月ほどで天水から全ての異民族軍を撃退し、隴西郡にても天水への前線基地を壊滅させるという輝かしい戦果を上げた反攻軍と『天の御遣い』一行は、街の人々に盛大な歓喜で迎えられていた。

 街中を流れるその隊列には、大量の兵糧が続く。二つの大きな陣で接収した兵糧が結構あり、三千の兵が一年近くも食える量はあった。ただ豲道では半分程が焼かれた為、襄武の陣では馬岱の隊に早い段階で燃やされないように守ってもらっていた。

 一方戦死者は百名程。負傷兵は二百弱。奴隷にも換算できる捕虜は二百を超える。

 一方異民族軍側の死者は二千五百余。顕親の数も合わせると三千二百近い。

 大戦果と言えるだろう。

 それらを以って天水太守の范津(はんしん)に謁見する。

 彼は、反攻軍を導いた一刀の圧倒的な働きを称えた、それも異常なほどに。その晩から城塞では三日に及ぶ大宴会が行われた。

 しかしこの時すでに、范津の様子は何かに追い立てられる風に窮していた……。

 宴会後も、十日に渡り一刀達は滞在して郡の高官や重鎮らから歓待を受けることになった。まるでここへ引き止めるかのように。

 そして十一日目、太守の范津より話があるからと、一刀は姜維と共に宮城へと呼ばれた。姜維は先程から既にニコニコしてご機嫌であった。

 謁見の間で、二人はめっきり蒼い顔の太守と再び面会する。

 そこには、郡の高官や重鎮らも脇に並び、そして顕親からも楊達(ようたつ)が来ていた。

 その席で一刀は、太守の范津から大きな役目を懇願される。

 

 

「『天の御遣い』である北郷一刀殿……私は今月を以って天水太守を退任することにした。周辺の激変する戦況に対応出来ず、郡の民を守ってやることが出来なかった。ついては是非、貴殿に後任を引き受けて頂きたい」

「えっ……」

「ああ、心配はいらない。中央へは私と共に知り合いへも推薦を出している」

 

 一刀は直前に姜維から「良い事が有る」と聞いていた。だが、複雑な心境と表情だ。

 

 

 

 『天の御遣い』は、大きな功績を以ってこうして次期天水太守に指名された―――。

 

 

 

つづく




※後漢時、一寸は2.304センチ。

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