麒麟児の仰ぎ見る旗   作:地獄大陸

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14話 天水反攻戦

 隴西郡内中央部にあるその治所、狄道(テキドウ)の城に今、その太守である李相如(りそうじょ)の姿は無い。

 

 そこに居たのは、郡内で多くの豪族らを束ねている――韓遂である。

 

 字は文約。褐色の女傑で、紫の腰上程まであるポニーテールな髪を、金の長い簪で止め揺らす。

 現在、堂々と太守の席に着いているのは、紫と紺の戦衣を纏う彼女であった。

 郡内への異民族軍進攻時点で、共に討ちましょうと太守李相如を戦場へ出陣させ、密約を結んだ異民族軍とで太守と太守派の勢力を挟撃し、戦場にて屠っていたのだ。太守の下で、郡兵を統括する立場の韓遂にとって、反逆的な下剋上と言える。もうじき、哀れな太守は敗走時の傷が元での病死と、中央へ偽りの報告をする予定。

 韓遂の目的はズバリ、馬家の打倒と西涼への侵攻である。

 数年ほど前、馬家との対立が一旦有利な形で落ち着いた時期、保守的な太守に着任される。中央からの仲裁もあると告げられ、これからと言う状態のままにされてしまったのだ。その後馬騰らは、金城郡から北方面の武威郡へと勢力を伸ばして行った。

 最近、両勢力の力に差が出始めて来ていた。だが、まだこれからだと韓遂は考える。韓遂の配下には閻行(えんこう)という切り札的な武人がいるのだ。嘗て、あの馬超を一騎打ちで負傷させ破ったことも有る剛の者である。『錦馬超』をこちらが受け持つことで、羌からの側面同時攻撃の話も進んでいる。

 

「覚悟していろ、馬騰め」

 

 それにしても気に入らない事が起こっていた。

 異民族軍側から、捕虜を連れ去られた事に対して、そちらに裏切り者が居るのではないかとの木簡が届いたのだ。

 一寸先は地獄。明日は躯かも知れない時代の今、太守すら排除した彼女の言が響く。

 

「ふん、……やったのは天水の兵かい? マヌケどもが。そんな事、食らう側が無能なのよ」

 

 その言葉と共に、右手に持つ酒の杯を握りつぶしていた。

 

 

 

                + + +

 

 

 

 一刀と姜維が、彼女の母を探す千里行を終え、顕親へ戻りあれから早くも七日が経過している。

 姜維は現在、天水に於ける反攻総軍の作戦指揮を執る立場で『天の御遣い』様の軍師。その立ち位置は思い描く通りだ。しかし、彼女は自分が随分弱くなったように感じていた。

 当初は主すらも利用し、自分だけで復讐をやり遂げる思いでいた。それなのに、この頃は……。

 母の結末を知る失意の旅も含め、周りに、特に主へ精神的に頼ってばかりだ。彼は自然な形で協力してくれる。そして、一緒にいると心が穏やかに安らぐ。

 

(私と一緒に……ずっと居てくれますか……?)

 

 彼女のモヤモヤな視線は、幼くもいつしかそんな熱い想いで主に向けられている。

 

「ん? どうした伯約」

「(――!)いえ。さあ主様、今日の仕事も速やかに片付けましょう」

「おう」

 

 彼は良くその大きめな手で優しく、羽のある頭冠の乗る髪とちっちゃな頭を撫ででくれる。彼女は、ほにゃっと微笑む。最近、触れてもらえる事がとても嬉しい姜維であった。

 

 北郷一刀は千里行からの帰還後、時折軍師とは別行動で溜まっていた新米県令としての政務を高官らや楊達と片付ける。それと並行し、義勇兵らとの面会や、協力を貰う近隣の街や村へも二日ほど掛け、現状視察を兼ねて積極的に赴いた。

 表向きな人当りのよい楊達には、同行してもらい随分助けてもらう。また龐徳が、その護衛ぐらいは某にと付き従った。何か有ってはと、彼女は寝室も隣室で休む気の入れようであった。

 屋敷では、昼下がりの時間が有る時に、引き続き雪梅から読み書きの修練を積み習得に励む。なお、彼女は慎ましいので、昼間に盛って迫って来ることはない。逆に少年の方が横で揺れる胸へ偶にムラムラするが、周りにはタイミング良く来る御仁らが多いので全て未遂に……。

 合わせて馬術も馬超らに師事している。旅の途中でも続けており、漸く街中を一人で乗ることぐらいは出来る様になってきた。

 一方姜維は、『母の死は勘違い』と知らずに、増大した怒りを天水郡での反撃開始準備にぶつけ、進行を加速させている。

 本日すでに、遠方の村や街からは、軍兵に騎馬も出陣を始めていた。

 集結地点は天水治所冀(キ)の西方郊外である。

 

 

 

「お姉さま、どうするの~? 隠れて雑兵にでもなっちゃう~?」

 

 馬家の馬超と馬岱。彼女ら二人には、馬騰から天水での戦いには出るなとの話が来ていた。

 しかし、馬超は不敵に微笑む。

 

「なぁに、たんぽぽ。お前が呟いた通り、馬家の者として出なけりゃ問題ないぜ」

「だよね~♪」

 

 こうして助っ人らは、出陣をあっさりと決めていた。

 馬騰は、馬超ら抜きでの『天の御遣い』様の実力を知りたかったのだが。

 

 天水反攻軍本隊とも言える顕親の街の出陣軍勢は、義勇兵を吸収した北郷兵団、徴兵、志願兵を合わせ、総数は九百近くとなっている。顕親の街の守備二百は警備の長、李績が残って率い、男性百人隊長の一人、郝(かく)が出陣の軍に同行する。

 本隊の調練は、姜維や龐徳を中心に馬超らも隊列に関して指導してくれた。

 龐徳は卓越した武を持つが、まだ将としての知識は少なく手腕も未知数だ。なので実戦経験も多く、騎馬主体と運用形式も似ている馬超からの話は非常に参考となった。

 姜維は残り時間を考え、横陣や鶴翼、長蛇に方円と基本の四陣形への組換えのみを本隊に修練させている。

 そうして兵力、調練、兵糧、武具、軍馬の準備が揃い、翌日、顕親の兵団は『一日早く』出陣して行く。

 隊列は西の街と門を貫いて、物資を含め百五十メートル程で整列していた。

 彼等を送り出すため、顕親(ケンシン)の街の住人たちも多くが見送りに集まって来ている。

 門上から一刀が叫ぶ。

 

「『天の御遣い』の北郷一刀が告げておく。この街の兵団が天水軍の要だ。恐怖に怯える日々は、あと少しで終わりにしよう! 我々の手で、攻めて来た異民族軍を大いに粉砕し後悔させてやろう! 全軍出陣せよっ!」

「「「「うおおおおおおおおおおおおっーー!」」」」

 

 これより出陣する先頭には、龐徳が騎馬に乗ろうかと言う姿で立っている。

 門上から脇の階段を降りて来た一刀は、姜維を伴い彼女へ声を掛けた。

 

令明(れいめい)、頼んだよ」

「はっ。あの主君よ、一つよろしいでしょうか」

「ん? なにかな」

「この決戦の前に某の真名をお預けしたい。これは軍師殿にも」

 

 彼女にとってこれは全てを掛けての、村の同胞たちへの手向けとするケジメの戦い。そう言う決意も託す思いの真名なのだと一刀達は理解する。

 

「――わかった預かるよ」

「はい、お預かりします」

「某の真名は心(しん)と申します。以後末永くお願いいたす」

 

 二人を前に、剛の武人はぺこりと礼と共に小さく頭を下げた。

 

「じゃあ改めて。(しん)、頼んだぞ」

「心殿、よろしくお願いします」

「はっ、主君も軍師殿も御武運を」

「孟起殿も」

 

 一刀は、龐徳の隊に雑兵の格好で紛れている馬超にも声を掛ける。

 

「まあ、まかせてくれよ、『御遣い』様」

 

 龐徳達は、一刀と軍師、李績らへ挨拶を終えると、馬に跨り二人や街の者達が見送る中、兵団を率いて出陣して行った。この本隊は、後軍などではない。

 そう――姜維の目的は異民族軍の殲滅。

 この九百は龐徳が率い、騎馬百へ雑兵な馬超が混ざる、止(どど)めと言える蹂躙兵団であった。

 冀へ進軍すると見せかけつつ、三百ずつに別れた部隊は間道から脇へ逸れ、何処かへと消えていった。

 

 さらにその翌朝、冀の郊外に城塞内からの援軍、二千五百を中心とした反攻軍三千二百が集結する。

 先鋒千二百を率いるのはもちろん――姜維だ。

 騎馬四百騎を集め、今回剣は背に、右手には楊達の屋敷で見つけた槍を握り、敵兵たちを踏み潰す気満々である。

 弓隊を含む中軍千を、冀城より参加の千人隊長の向(しょう)が率い、後軍千を一刀、副官に郝が付く陣容だ。

 

「お兄さま、一緒に頑張ろうね~♪」

「あははは、助かるよ。でも、よかったの? 孟起殿も仲華殿も」

 

 ここには、雑兵の騎馬として紛れ込んだ馬岱が付き添ってくれていた。

 

「いいんだって。武者修行だよ~♪」

 

 一刀は、彼女らへの馬騰の指示は知らない。近隣諸侯とは言え、馬家に直接関係のない戦いだ。そして、先日の千里行でも随分世話になってしまっている。正直、囚人らを逃がす手段にしろ姜維と二人では、時間も掛かり失敗していた陣もあったと思う。馬超ら曰く、修行だから礼はいらないと言う。

 だが姜維の考えの通り、のちに何か要求して来る事は確実でしょうと、一刀も思う。

 圧倒的な武の馬超に、陽動の精鋭馬岱。

 龐徳が北郷兵団に加わってくれたのは大きいが、指揮官不足な反攻軍には得難い人材なので、とりあえず借りれるうちはそうしようという話で姜維とは一致している。

 そうして、天水の反攻軍がついに出陣する。それに先立ち『天の御遣い』として一刀はここでも緊張の中、皆が居並ぶ前に宣誓する。

 

「『天の御遣い』の北郷一刀です。お待たせしました! これまで悲しい思いや恐怖を食らわされた異民族軍を討伐する決意で、天水郡の皆さんと準備をしてきましたが、反撃が今から始まります。さぁみんなで、異民族軍を天水から叩き出すぞっ!」

「「「「「「おおおおおおおおおおおーーーーっ!!」」」」」」

 

 全員で出陣の声を上げ、前軍と後軍へ丸に十文字の旗を掲げて、反攻軍三千二百が街道を西へ、豲道(カンドウ)へと進軍を開始した。

 

 

 

 豲道傍の二か所へ駐留していた異民族軍の天幕へ昼過ぎに伝令が届く。

 異民族軍側も当然、草は放っていた。先日の『早朝奇襲』に、近々天水郡側での大きな動きが有るのではと調べていたのだ。

 伝令が天幕へ入って来ると、この地の総指揮官で千人隊長の麻吾(まご)が長椅子に座り、髭を弄りつつ聞く。

 

「大変です、天水の連中が冀の城塞からも兵を繰り出し、周辺からも集めたのか多数集結。それが今朝よりこちらへと街道を進軍中です! その数、およそ三千強っ」

「わかった、進展有り次第知らせろ、下がれ」

「はっ」

 

 草が天幕から立ち去っていく。

 

「おのれ、先日から集結中との情報は入っていたが……我が方は合わせても千六百、倍か。千人隊長の呼伊殿が存命な以前なら、そのまま恐れず受けようが、もう甘く見ることは出来ぬ。誰かおらぬかっ! 北東方の五百の部隊へ即合流せよと伝えよ。また、後方の隴西郡の陣へ急ぎ援軍の伝令を出せ」

 

 そうして、豲道にある異民族軍の陣から後方へと一騎、早馬の伝令が出て行く。

 しかし、その伝令が隴西郡の陣に到達することは無かった。

 

「なんだよ、一騎だけか? それに街道を通るなんて、懲りてないよなぁ」

 

 そこには愛馬に乗る馬超と精鋭な騎馬兵が十数騎、街道脇に待ち構えていた――。

 

 

 

 二日後夕刻、一刀率いる反攻軍が豲道(カンドウ)手前の平原に布陣する。

 直前の伝令で、異民族軍が兵を一か所へ集結させた状況が伝わる。さらに先行していた龐徳の部隊からも準備万端との伝令が届く。

 一刀らは夜襲のみを警戒しつつ翌朝を迎えた。

 夜襲を警戒していたのは、異民族軍側も同様であった。兵糧などを燃やされては撤退しかないのだ。彼らはまだ、この天水から兵を引く気などなかった。この目の前の兵達を討てば、冀の城塞他に残る兵数はぐっと減ることになる。そうすれば、まだまだ略奪できるというもの。

 しかし、昨日から隴西郡の陣へ援軍の伝令を出すが何も返って来ない。数を五騎、十騎と増やすも来ないのだ……。

 千人隊長の麻吾は天幕で長椅子に座ったまま考えていた。

 

(援軍が間に合わん可能性が高いな……これは、一度撤退すべきか)

 

 呼一族の呼伊の武勇は、麻吾の邑まで響いている。実際に邑の屈強な若手を、呼伊の邑へ親善として武道の宴へ送ったが、全員が呼伊に当たる前に敗れていた。そんな邑一の男が一騎打ちで戦死したという。

 倒した相手は、先陣を馳せるかなり小柄で悪魔のような将だったと聞く。

 武人でもある麻吾としては、興味ある相手に違いないが、今は此処にいる一族や他の部族の兵達の命運をも預かっていた。

 

(敵は少し離れた平原に陣取っておるし、まだ動く気配はない。引くなら今だろう)

 

 そう考えた麻吾は朝の内に、速やかに撤退する指示を陣中へと出した。

 しかし、一刀らの陣へその動きが斥候により直ちに伝わる。

 それを受けて――姜維が動いた。

 

「先陣っ、緊急出陣ーーっ!」

 

 彼女が声高らかに陣内で叫ぶ。

 今では、異民族軍の千人隊長を倒したのが彼女だと知る者も多く、武人としても一目置かれその指示は厳命と従ってくれる。

 非常招集の訓練についても、千里行帰路で冀城へ寄った折に、事前訓練として指示していた事もあり、迅速に集結整列する。

 

 これは中軍、後軍も連動した作戦の為、並行して集合整列が進んでいる横で、先陣千二百は颯爽と出陣していく。八列行進で騎馬四百が馬の歩様を速歩(時速約12キロ)と並足(時速約6キロ)を取り交ぜ前進する。続く歩兵らは駆け足で続く。

 先陣が出撃し終わると中軍が、それが終わると一刀率いる後軍が動き始める。

 

 この天水軍の出陣が異民族軍側にも伝わる。

 こうなると今、背を見せて撤退すれば被害は甚大……殲滅されかねない。

 また出撃の状況が緊急だったという。それは、異民族軍側の撤退するのを見逃さないと動いたのだ。

 

「面白い……それほど戦いたいかっ!」

 

 千人隊長の麻吾も武人として認められ今の地位に居る。敵に背を見せるのは、本来本意ではない。

 麻吾は天幕を出ると、周囲へ叫び伝えた。

 

「者どもぉ、撤退は無しだ! 敵が迫っている! 騎馬兵を全騎整列させろ。奴ら漢の虫どもを正面から踏み潰してやるぞ!」

「「「「おおおおおおおおおおおおっーーー!」」」」

 

 消極的な撤退に納得していなかった兵らは、いつもの指揮官の言葉に、活気を取り戻す。

 直ちに騎馬兵三百五十余騎が陣の外へ揃う。

 他の兵達は槍や弓を構え、敵が向かって来る側の柵近くに整列し防御体制を取った。

 その合間に天水側の反攻軍は、異民族軍陣地の置かれた街道が貫く形の細長い草原に隊列を組み始める。

 騎馬兵四百が突出する位置でその後方に残り八百の兵が横陣の隊列を取る。その後から来た中軍千は右翼位置に展開し、続く一刀の後軍千は左翼に展開し三軍総勢三千二百で鶴翼を敷き敵陣をあっという間に半包囲した。

 もはや、異民族軍側の起死回生の手は一手のみ。

 千人隊長の麻吾が一騎で出て来る。そして声量のある大声で告げる。

 

「漢のクソ虫どもめっ、この隊を率いる千人隊長の麻吾だ! 俺と一騎打ち出来る者がいるかーーーーっ!」

 

 すると、当然のように返事をする者がいた。

 

「ここにいるぞーーーーっ! 雑兵だけどね~♪」

 

 なんと、それに答えたのは馬岱であった。

 

 天水の軍兵には、馬家の二人がこの戦に不参加ということが伝わっていた。故に名乗らない。また、冀の兵や周辺から来た兵達は彼女について多くは見知らない。馬岱は今、身形は雑兵として北郷兵団の兵装を着ている。

 彼女は左翼陣の中から一騎で静かに進み出た。

 そのため周囲は「雑兵で大丈夫か?」「殺られるんじゃ……?」と緊張で、じきに水を打ったような静けさとなった。

 姜維は僅かに名乗る返事を遅らせていた。馬岱が名乗り出なければ当然出るつもりであった。ではなぜ、馬岱の出方に機会を与えていたのか。それは敵将が、雑兵に討たれた方が屈辱であり、異民族軍側の心理的衝撃が大きいからである。

 彼女は敵を冷静に冷酷に追い詰めていく。

 

「はははっ、虫め。まあ、余興には良いだろう」

 

 そんなことは知らない麻吾は、前哨戦のようにゆるりと馬の歩を進め、馬岱の乗る『雑兵の騎馬』と対する。周囲の異民族の兵達もうすら笑っていた。それほど指揮官の武に自信があるというのだろう。

 麻吾の得物は1.3メートル程の長剣であった。普通の剣の倍近い重量が有りそうだが、片腕で余裕に握っている。麻吾の体格は一刀より一回り大きいほど。だが腕回りは相当太い。そして、動きも俊敏であった。

 千人隊長は、余興をとっとと終わらせるかのように馬を近付け、雑兵の騎馬へと素早く長剣で切りつけて来た。

 しかし――金属同士が一瞬ぶつかり合い、激しい火花と乾いた音が周囲へ響く。

 

「――なに?!」

 

 首を飛ばすつもりで振るった長剣が、軽く流されていた。麻吾の瞼が見開かれる。

 

「今度はこっちの番だね~♪」

 

 馬岱の両手に握られた片鎌槍『影閃(えいせん)』が構えられる。手綱を持たずとも馬上で姿勢が崩れる事なく、相手へと馬を思うように走しらせていく。

 

「ふんっ」

 

 静かに槍閃の風が起こる。

 咄嗟に麻吾は長剣で受けた。だが、少し小柄な相手から想像できない強烈なる一撃に、長剣を握る両腕が上へと弾き飛ばされていく。

 

「ぐっ?!」

「がら空きだね~」

 

 雑兵であるはずの騎馬兵の余裕な声が、脇を通り過ぎるのを聞く時に、彼は相手の力量を知る。隙だらけな胴の指摘だけし、止めを刺さなかったのだ。

 麻吾は直ちに踵を返し、すでにこちらを向いている雑兵へ、もはや全力で切りかかる。その力強く凄まじい剣戟を彼女は「ほっ、はっ、やっ」と全て容易に受けて見せた。

 一刀と姜維も、改めて馬岱の武人の力を見る。

 普段は余り見せないが、決して小さな武ではないということを。その気になれば馬超や龐徳、姜維を前に十分刃を合わせられる実力。歴史では猛者な魏延を討ち取っている力は健在という事だろう。

 十数合を交わし合い、両者は離れる。

 麻吾は、湧き上がる焦りで、全身に汗が噴き出して来ていた。相手はケロリとしている表情。

 

 ――強い。そして、不味い。

 

 相手は、まだ若い兵だ。

 しかし、反応速度、膂力、武の技量、馬術の全てで上回られているのが分かった。そして一騎打ちである。さらに軍が寡兵の現状。士気を考えれば、もはや引く事は出来ない場面であった。

 彼には、目の前の猛者な雑兵を倒すしかなかった。

 なので奥の手を出すことにした。今は、勝てばいいのだ。どんな手を使おうとも。

 二騎は再び小走りに近付き合う。そして、麻吾は右手で長剣を振るう中、左手で腰から針のような小刀を抜き出し馬岱の顔へと鋭く投げつけた。

 

 しかし馬岱は消える様に軽やかに躱す――空へと舞って。

 

 同時に槍が閃光のように振るわれていた。

 彼女は走り去る馬の上に曲芸のように降り立つ。

 

「仲華殿、目立ち過ぎです……」

 

 姜維の言葉が漏れる中、異民族軍千人隊長の麻吾は、縦半分に割られた驚愕の顔を残したまま、馬上から地面へと落ちて行った。

 

「あの騎兵、やりやがったぁ!」

「すげぇっ!!」

「「「「「うおおおおおおおおおおおおーーーー!」」」」」

 

「ああ……」

「麻吾様が、ま、負けた……?」

 

 ……ザワ……ザワザワ。

 

 湧き上がる反攻軍からの歓声と、悲鳴にも聞こえる溜息や絶望の声が広がる異民族陣内。

 この落差と雰囲気を姜維は見逃さない。容赦など欠片も無い。

 

「敵の将は、我らの勇敢なる騎兵の一兵に無様に打ち取られた! 今こそ、我ら天水の兵の真の力を見せる時ですっ! 敵を殲滅します、全軍突撃っーーー!!」

 

 凄まじい士気の対比状態で、戦闘が始まった。

 勿論まず姜維が、正面に並ぶ指揮官を失った敵騎馬隊中央へと修羅の如く槍を振るって切り込んで行く。駆け寄せる彼女へ陣側から矢も結構飛んでくるが、それにはすでに勢いと意志が感じられなかった。もはや、当たる気がしない。

 一方、頼みの指揮官が破れ去り、半包囲状況で勢いに乗る反攻軍兵団が一斉に迫り来るのを見て、異民族軍の兵達は、この地はもうこれまでと後方から逃げ出す者が自然と出始めてくる。

 しかし――いつの間にか、異民族軍の陣後方にまで、丸に十文字の旗を掲げる千程の反攻軍の一軍が現れていた。百騎程の騎馬隊を前方に配し、後ろを横陣で固めてられていた。まさに逃げ道を完全に塞ぐように。

 姜維は、異民族軍の退路を断ち、一兵も逃がさず包囲殲滅するために、顕親の兵団を当初の作戦通り密かに先回りで敵陣後方へと動かしていたのだ。

 そうして、騎馬隊の先頭に立つ桃色の美髪な長いポニテールを揺らしつつ、鬼の形相の将が故人達へ手向けの言葉を放つ。

 

「『天の御遣い』様に代わり、天水郡顕親の軍兵を率いる我が名は龐徳令明。悪鬼のように無抵抗な者らを殺しまくったお前達が、今更のうのうと国に帰れるとでも思ったのか? 今こそ同胞のカタキを討たせてもらうぞ、覚悟しろっ! 騎馬隊突撃ーー!」

 

 盛大に後ろの横陣から銅鑼を鳴らしつつ、前方の敵陣後方から恐れをなして逃げ始めた兵を、龐徳は残らず『赤龍偃月刀』でなで斬りにしていく。率いる騎馬隊の兵らも彼女に続く。

 もはや戦況は反攻軍側勝利へ決定的となっていた。

 異民族の陣内は、後方からの突然な銅鑼の音に完全包囲されたことを知り大混乱に陥る。そこへ、姜維は敵三百五十の騎馬隊を突貫粉砕した反攻軍騎馬四百と共に蹂躙していく。

 彼女は――常に先頭に立ち、敵兵を槍で切って切って切りまくった。

 溜まっていた怒りを、父や知り合いらの無念を、母の恨みを代わりに晴らすかの様に。

 ――二時間も経つころ、包囲殲滅の一方的な戦いは終わりを迎えていた。 

 

 反攻軍側の被害は、死傷者二百ほどに留まる。

 対する異民族軍側は、死者千四百余。負傷者捕虜百五十余。陣と周辺の草原は奴らで死屍累々の惨状となった。数十名が逃げ果せたと思われる。

 異民族軍の千人隊長、百人隊長の首は全て刎ねられていた。

 一刀も馬を降りて、百人隊長を一人討ち果たしている。傍に馬岱が居たが、彼女は最初の一騎打ちでもう十分戦ってくれた。旅で聞いたが、馬岱もまだ多くの戦場は経験していないと言う。そんな彼女に押し付けることは出来なかった。少年は、ここは自分が行くと告げて戦った。

 これで天水郡内にあった異民族軍の築いた陣はすべて無くなったのだ。

 一刀らは、異民族軍から天水郡を解放したのである。

 

 

 だが――姜維の立案した反攻作戦はまだ終わっていなかった。このまま西へと進んでいく。

 

 

 

つづく




咲……「さき」じゃないけど、そう見えるのはナゼ(笑

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