麒麟児の仰ぎ見る旗   作:地獄大陸

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11話 子らの千里行(前編)

 ここは、顕親県令の館にある姜維専用の執務室。

 書籍類や多数の報告書が、机の上や周りに積層し山となっている。

 

「ふう……」

 

 姜維は眉をひそめて思わず溜息をついた。

 良い面と悪い面、偶然二つが相反し合う時が往々にして存在する。

 それは、草からの異民族軍に関する敵陣調査で判明したことであった。

 敵の駐留場所が減っている。つまり、姜維の母を探す場所が少なくて済む事が分かった。

 しかし、一方で駐留場所が減ったという事は、敵兵力が集結し纏まったという事である。予想はもちろんしていた。

 異民族軍が、顕親の街で敗北した教訓を生かしたと言える。

 これで各個撃破の難易度は上がった。

 天水太守の范津(はんしん)との謁見から今日で八日が経過している。

 その間に太守の計らいで、今後の異民族軍との戦いには二千を超える援軍と、近隣からの協力を受けることが可能になっていた。それらを含めた兵力規模での作戦立案と準備作業の指示について今、姜維は纏め上げようとしている。

 戦いの為と――それまでに千里行の時間を作るため。主と共に赴く為に。

 

(でも……主様。私の為にそこまでして下さるのは……何故ですか?)

 

 この街の者の多くの死をすでに見ているが、未だ悪鬼化には程遠い主のはず。

 にも拘らず、姜維へ身を顧みず積極的に協力してくれている。『天の御遣い』様の慈悲にしては個人的過ぎるのだ。

 

(単に私が軍師だから? それとも……)

 

 姜維は、頭冠の両端にある羽を揺らすように小首を振ってモヤモヤを払う。

 出陣は二十日後の予定。

 動員兵力は、太守側から二千五百、顕親県で八百、近隣の街や村で七百の計四千。

 二百を残す顕親県の街を初め、各地も空にするわけにはいかない。特に近隣からは余剰兵力から一部のみの協力となっている。

 だが、その規模でも天水郡内の異民族軍千六百を追い出すので精一杯と姜維は見ている。

 それは予備兵力の差だ。

 天水郡は異民族軍の攻撃により、大陸奥側の西部を中心として街や村は壊滅的で、経済を初め生産力は落ち、すでに戦力確保は一杯いっぱいだ。

 冀(キ)の城塞の残存や東部から現時点でのすべてを集めても、天水郡全体で総勢一万程が限界。

 一方、東に隣接する隴西(ロウセイ)郡内にはまだ三千の異民族軍が有り、それと戦えば本国から追加の援軍が来る可能性が高いと見ている。おまけに、隴西郡内の豪族勢力が異民族軍側に加担している可能性が高いのだ。隴西(ロウセイ)郡の西側半分には手を出さず素通りしていたのだ。これを予測すると天水郡の兵だけでは如何にも厳しい。

 そのために姜維は早期から、騎馬だけで三万に迫ると聞く強力な馬家の力を借りることを切望していたのだ。

 その鍵の一つは、間違いなく楊達の屋敷に未だ滞在している馬超と馬岱である。

 『武者修行』と聞いていて、確かに主も交じっての鍛錬姿は見るのだが、ここに留まる理由として『天の御遣い』への思惑もあることは間違いないだろう。

 とは言え、彼女らへの策は正直仕掛け辛い。

 それは主による色仕掛けという事もあるが、失敗したら取り返しが付かないのだ。馬超は兎も角、馬岱の方は神出鬼没に頭も回るようで、油断出来ない事もあった。

 

(主様から二人へ、馬家の問題解決と引き換えでと、正面から協力要請してもらう方が良策か……)

 

 だがそれにも『機』というものがある。

 姜維は、今出来る事を進めるしかないと、書き上げた作戦要綱の竹簡冊を手に部屋を後にした。

 

 

 

 

「みんな、すまない。この偵察は俺と姜維で行かせてほしい」

 

 姜維の立案した天水における異民族軍討伐作戦についての会議が、午後の仕事初めに県令の謁見の間で県の高官らを集めて行われていた。作戦開始時期と期間、兵力、反撃の主な数通りの進路、それまでの準備項目などの説明が一通り終わった後に、一刀が敵の拠点を再度直接視察して来ると切り出したのだ。

 

「なんと、『天の御遣い』様自ら行かれると?! 草や斥候の領分ですぞ?」

「軍師殿は同行し、今度も、某は残れと?」

 

 警備の長である李績と軍団副長の龐徳が、不満の言葉を口にする。

 ほかの出席者らも、「大丈夫なのか?」「この大事な時期に」とささやきが漏れて来ていた。

 

「十数日街を空ける事になるけど、その間にやるべきことは姜維が纏めた作戦要綱の準備の章を元にしてもらえれば問題ないはず。ここは李績殿と副長の令明を中心にお願いしたい」

(主様……すみません……)

 

 軍師は黙して語らず。これは一刀自身が言わなければならない。

 一刀もかなり無理を言っている事は分かっている。

 みんなで反撃を行なうための準備期間という大事な時期なのだ。龐徳も村の同胞のカタキを討つとすごい意気込みである。

 だが、一刀はそれでも姜維との約束は守ってやりたかった。

 戦いが始まれば、今捕まっている捕虜たちの身柄が良い方向へと天秤が振れることなど無い。安全に救える可能性は、本格的な総反撃戦が始まる前の今だけだ。

 今度は、県丞(副県令)の鄧魯(とうろ)が食って掛かる。

 

「何もなければ確かに宜しい。しかし、こんな時期です。急な異変が起こった時にどうされるおつもりか? 十数日何も事が無いと考えるのはお甘いと思うが」

「駐屯地の場所は調べが付いているんだし。それで草を定期連絡で使おうと思う」

「敵も駐屯地を変えるかもしれません。その場合、草らが県令様らを見失う可能性もあります。それに草では時間が掛かります。馬が使える者は多くありません。天水内ならまだしも――隴西郡まで行かれるとのこと」

 

 そう、一刀と姜維は、異民族軍の本国に入るほど遠くまでを調べさせていた。そこまで……いや時間の許す限り、どこまでも馬を駆って行くつもりである。

 そのために一刀は、この二週間、馬超らに乗馬を学んでいた。さすがにその期間では辛うじて乗れる程度なので、今回は姜維と共に乗るつもりだが。

 

「ならば、某が連絡に馬で行き来しよう!」

 

 馬術も驚異的な腕前の龐徳がそう名乗り出るが、鄧魯に否定される。

 

「龐徳殿には副長として、託された準備の作業がお有りでしょう。貴方まで不在になればだれが『丸に十文字』の兵団を纏めるのです?」

「くっ……」

「そうなると、隴西郡までの頻繁な往復に耐えられるほどの、馬の達者な者はおりますまい」

 

 鄧魯の言葉に新参の龐徳は沈黙し、一刀も難しい顔で目線を左下へと落とし掛けた時。

 

 

「――ここにいるぞー!」

 

 

 馬岱が高らかに声を上げて、広間の扉を開け放って入って来た。

 後ろには馬超も続く。

 

「あたしらも行こう。それで問題ないだろ? 武者修行に丁度良さそうだしな。たんぽぽなら、往復も庭を走るようなものさ」

 

 馬家の長子にここまで言われては、会議で不満の面々も「それならば」と、もはや認めざるを得なく引き下がった。一刀と姜維は礼を述べる。

 

「ありがとう、孟起殿、仲華殿」

「ありがとうございます」

「気にすんなって。丁度相乗りしただけさ」

「たんぽぽも、お兄さま達とまた旅が出来て、楽しみ~♪」

 

 馬超らにとっては本来の目的の『異民族軍の動向調査』である。本当に問題はなかった。

 一刀らの不在の問題点を整理すると会議を終え、一刀達は、早いうちにと旅支度を整える。

 当初、一刀は姜維とあと一人の三人で行くつもりであった。その方が圧倒的に動きやすいと考えていた。

 しかし、馬超は配下の騎馬兵の一部も五人一組で三組を後続に順次離れて付けさせるという。そして馬超と馬岱が一刀らと行動する予定。

 馬超らには借りが有るので、それぐらいは飲まなければならない。

 そしてあと一人とは……。

 

 

 

 

 

 顕親の街では反撃への戦意高揚の為に、異民族軍を撃退した後、二、三日に一人、異民族軍の捕虜が公開処刑されている。先の戦いでは街の者が六百人以上殺されていた。その怒りは半端なものではない。因果応報である。

 捕虜は全部で11名であった。ほとんどが幼子までも殺しまくった三十代前後の男達である。彼らに順番は告げていない。『死への恐ろしさ、苦しさ』を味わわせる為に。

 しかし、一人だけ十代前半かという初陣のような短めの薄茶髪の少年がいた。当初は負った傷で立つことも出来なかったが、二十日近くで回復していた。

 

「出たまえ」

 

 ガチリと鍵を開けられる音がする。

 狭く薄暗い地下牢の中の少年は、自分の処刑の順番が来たのだと俯いていた顔を上げて、驚く。

 あのキラキラした白い服の男が、目の前の柵越しに立っていた。

 

「……(コイツが俺を殺すのか……へん! まあ忠告を無視した訳だし当然か、上等だ)」

 

 異民族の少年は、温情を仇で返した報いな自分の末路に薄笑いを浮かべる。

 これでもこの呼(こ)一族族長の息子は、地元では義理堅い子であった。幼い時、山で怪我をした折に貧しい老夫婦が助けてくれた。その後、老夫婦が税を払えなず罰を受けそうになった時に、父へ執り成し、税を今後は通常の半分にと引き下げて救っていた。

 少年は、白い服の男に礼の言葉だけは返しておく。

 

「俺の名前は呼鈴花(こりんふぁ)。こうなっては先日、貴様に『小さな魔物』より見逃してもらった借りは返せそうにないから、感謝だけは伝えておく」

「俺は北郷一刀だ。……りんふぁ……女の子みたいな名前だな」

「は、母が付けてくれたのだ、悪いか!」

「いや、可愛い綺麗な名前だと思ったから」

「!――もういい」

 

 少年は表情を赤くし、優しい笑顔を浮かべる北郷と名乗った白い服の男から顔を背ける。

 異民族の少年は、戦闘時の汚れた服装のままで、両手足に木枠の足枷が付いていた。

 二人は、そのまま地下牢の目立たない裏口から地上へ出ると、しばらく裏道を歩き小さな小屋へと入って行く。

 少年はその移動に何か違和感を覚えた。処刑されるために引き出されたにしては、誰にも合わずこんな小屋に連れ込まれている状況に。

 そして白い服の男より、手足に付く木枠の枷を外してもらえた後に告げられる。

 

「早く、服を全部脱ぐんだ」

 

 少年は――思わず北郷という男の頬をぶん殴っていた。

 

「お、お前、そんな趣味が!」

「ち、違うんだ、これに着替えてくれ。それだけだ。恥ずかしくないだろ? 男同士なんだし」

「そ、それは……そうだ……が」

 

 白い服の男の手には確かに着替えが一式握られたいた、下着も。

 死んだ後の事なら気にならないが、未だ生きていると抵抗があった。男の前で着替えるというのは。

 

「な、なぜ、着替えるんだ?」

 

 率直な疑問をまずぶつけてみた。

 

「鈴花、君はまだ人を殺していないんだろ? だから助けてやる」

「!――……そ、そんな事はねぇ。一杯殺してやったさ!」

 

 父を初め同胞たちは皆殺されたのだ。自分だけ生き残るつもりはさらさらなかった。

 

「……ウソだな。一杯殺してれば悪い意味で余裕が出て来るもんだ。――俺みたいに」

 

 目の前の男の放つ殺気に、少年は震えを覚えた。

 だが、それは北郷の笑顔に打ち消された。

 

「ほら。言葉が続かないだろ? 殺し慣れてれば、それでも言葉は出て来るんだよ」

「くそっ、俺なんかさっさと殺せばいいじゃないか!」

 

 着替え一式から、目を逸らす様に少年はそっぽを向いた。

 それを否定するように白い服の男は告げる。

 

「君には――他の者の分も合わせて生き延びてもらう。もう一人の君は、牢屋で傷は回復せず死んだんだ。そう思って生き直せ」

「何っ……」

「西羌(セイキョウ)の民が何故この国へ攻めて来たのかを、すでに君らの仲間から聞いている。飢餓だそうだな」

「!――っ」

 

 そう、昨今の山岳地帯な西羌(セイキョウ)での食糧事情は、天候や天災により思わしくなかったのだ。

 まずは、糧を求めていた。

 奪った物は本国に送り続けている。そして次は、本格的移住進攻の為に漢の先住民を排除する目的もあった。

 彼等が、この飢餓が解消するまで、全面的に引き上げることは無い。

 生きるためにこの戦いは避けられないのだ。

 

「だが――共存の道はある。今のままではお互いにジリ貧だ」

 

 天水郡でも死者に対して避難した人口の方が遥かに多い。皆が、住み慣れた田畑を離れて難民と化し非生産者になってしまっているのだ。

 このままでは、天水郡や隴西郡内も直に生産不足で危なくなってくるだろう。

 

「共存の道、だと?」

「ああ、隴西郡の勢力と手を結んでいるのも、それが少しあるんじゃないのか?」

 

 少年には――分からなかった。まだ若すぎて、そこまでは知らされていない。

 姜維は、隴西郡の勢力から恐らく多くの兵糧の提供もあったのではと見ている。

 その良く分からないという表情を見て、北郷は別の案を述べる。

 

「まあ、俺の考えはそれとは違うけどね。戦いに左右されない対等な関係を結び、貿易をして君達は兵糧を得ればいいんだ」

「……貿易?」

「他の国との間で商品を売買することだよ。西羌には良質で豊富な軍馬や鉄などがあるだろう? それとこちらの多くの兵糧や織物など、他に必要なものを売り買いするんだ」

 

 大量の兵糧を他国から買うと言う発想に、少年は驚いていた。確かに漢の国から稀に商人達が訪れ、変わった物を売りに来る時がある。だが、せいぜい小さな荷車一つか二つ。そして商品は値を吹っかけて来る。ど田舎者を見るような目付きであった事を少年は覚えていた。

 

「無理だ。あいつら俺たちの事を、作り笑いに虫を見るような目で見ていたぜ。弱い民族のくせに……信用できるか」

 

 絵空事だと薄笑いを浮かべる少年へ、一刀が告げた。

 

「俺が間に立つよ、今すぐは無理だけど……って信用できないか? 今はまず力を見せないと、誰も納得しないよな」

「――っ!」

 

 その北郷の真剣な表情が――信じてもいいかと思える程、格好良く見えてしまった。

 そこで不意に小屋の外から声が掛かる。

 

「主様、大丈夫ですか?」

「ひっ!?」

 

 ――忘れもしない『小さな悪魔』の声であった。父を屠ったのもヤツだと聞いている。

 恨みは当然有る。だがその場面は一騎討ちだと聞いた。戦士として正面から堂々と武に武で答えたのだ。剛力無双と思っていた巨躯の父に、あの小さな体で。

 武人として『小さな悪魔』は凄い存在だと考えている。

 

「大丈夫だよ。直ぐに行く」

「……はい、分かりました」

 

 あんな化け物な少女を軽く手懐けるなんて、目の前の北郷とはなんと逞しいことかと考えていたその時。

 

「さあ鈴花、早く下着も全部脱いでくれ。着がえ――」

 

 名前までも呼ばれての恥辱強要。

 その白い服の男、北郷はまたしても、とてもスレンダーな少年に見える人物からぶん殴られていた。

 この呼一族族長の長子は、男の子を切望していた父の呼伊(こい)が、男の子の様に扱い接していた可愛い娘であった。

 そんな嫁入り前の可愛い娘を失禁させられた事で完全に切れてしまったのは、親として当然ではないだろうか……。

 

 

 

 

 

 一刀率いる一行の五名は、夕暮れを前に四騎が覆面をする姿で、顕親の街をこじんまりと出立する。

 長期不在を公に出来ないため、出立は上層部しか知らない。

 更に、『半日の距離にある太守のところで作戦を詰めている為に不在』と、時間を稼ぐための疑似的な言い訳も用意されている。

 対策は万全だ。

 

 結局、鈴花の着替えで、一刀は小屋の外へ押し出されていた。

 一刀は少年の微妙な年頃なのだろうかと考える。まあ、若い命を終わらせる事なく、鈴花が一行に加わるのを納得したことで良しとしようと思った。

 鈴花の着替えた格好は、顕親県の北郷軍団の兵装である。

 特に元捕虜である鈴花の脱走について、カタキと思う街の者は誰も知らない。一刀と姜維、馬家姉妹以外では、捕虜の管理もしていた龐徳が知るのみだ。

 若い少年兵は、牢屋で傷が治らず悪化して亡くなったという事で処理してもらっている。

 正直、姜維と龐徳もいい顔はしていない。若い村人らも大勢が無情に殺されている事で、異民族軍は年齢性別問わずの皆殺しでいいと考えていたから。

 ひとえに『天の御遣い』様の慈悲を認めたに過ぎない。

 

 さてまず、一刀一行が向かうのは天水郡豲道(カンドウ)県の街。

 ここの手前に異民族軍五百程の部隊と、少し離れた場所に千百の部隊が駐留している。以前は二、三百ほどの集団で多くの場所に別れて駐留していた。

 四千の兵なら完全包囲で一方的に殲滅できる数だ。

 それが五百になると、包囲網の一か所は兵五百の勢いをまともに受けることになる。

 当然弱いところを付いて来るはずで、完全包囲しての攻撃は注意が必要だ。

 千を越えれば更に難しくなる。正直、包囲戦はもう難しいと思える。

 一刀としては敗走させれば良いとまだ考えていたが、多くの残党が纏まれば悲劇を生む可能性が高いのは明らかなので、姜維の考える殲滅作戦へ注文を付けることはしていない。

 四騎が軽快に夕暮れが濃くなる街道を進む。一刀は、姜維の馬に跨っている。

 同じ馬に乗るのは、この旅の約束をした東門を通って凱旋した時以来の久しぶり。一刀は思い出すように姜維の腰へ手を組み、姜維の背中へ抱き付いている形である。

 彼女の灰色の長いお日様の匂いのする髪が、偶に疾走する風で吹き上がり彼は頬を撫でられくすぐったい。

 姜維の頬は、夕焼けに隠されるも僅かに赤い。心地よく心はモヤモヤしている。そんな彼女は言う。

 

「主様、しっかり掴まっていてください。しっかりですよ。しっかりと」

「お、おう」

 

 やけに『しっかり』を連呼していた。

 主とくっ付いている背中が温かい。やはり心安らぐ。頬を赤くしつつ彼女は自然とニヤニヤしていた。

 そんな姜維の表情を羨ましく思い、ジト目で見ながら馬岱が姜維の馬の右側へ並びつつ言う。

 

「ねぇねぇ、お兄さま~♪ 明日はたんぽぽの馬で走ろうよ?」

「あっ、たんぽぽ、ずるいぞっ! 『御遣い』様、あたしの方が上手いし、あたしの馬に乗れよ、な?」

 

 馬岱の行動に、その反対側へ一瞬にスッと並んで走りながら馬超も一刀を誘う。

 

「お姉さま、またまたぁ~~。やっぱりそのおっぱいをガッと掴んで欲しいんでしょ?」

「~~~~~☆◇※@●▽っ!? そ、そ……そんなこと……そんなに掴みたいのならっ……て何言わせるんだ、たんぽぽーーっ!」

「全く、孟起殿と仲華殿は……」

「あはははっ」

 

 鈴花はと言うと……一行の中に、姜維の他にあの『錦馬超』まで居る事で恐縮していた。

 羌の連合軍が二年程前に南方から遠征し馬家の治める金城郡へ進攻した際、一万数千の軍勢を相手に馬超は羅刹の表情を向け、僅か数百騎の騎馬隊で前線を縦横無尽に突貫し緒戦で散々に打ち負かしたのである……。

 それ以来、金城郡は『死地』と呼ばれて進攻対象から外れていた。

 そして馬家を刺激しないようにと広域へと内陸の西羌にまで御触れが出ている。

 そんな、恐怖の人物が目の前であの白い服の男、北郷へととても好意的な笑顔でジャレているのだ。

 目の前の北郷の姿が、鈴花には更に逞しく見えていた。

 出発して間も無く夜を迎え、顕親から南へ二十五キロの治所冀(キ)の街へと入る。明日以降に備え、日持ち食料の買い出しを行なった。これより西方に、まともの街はもはや少ないと聞いている。

 また忍んで行動しているため、今夜は一般の宿へ泊まる。

 しかし、部屋は二つしか空いていなかった。

 

「じゃあ、男女で別れるか」

「まあ、それでいいんじゃないか?」

 

 一刀は非常に妥当な事を言ったつもりである。馬超もそれで納得する。

 馬岱も『抱き人形』姜維が気に入っているので喜んでいる。

 姜維も一人で無ければそれなりに寝れるので妥協出来るが、一刀の安全を確保するのも彼女の役目だと思っている。

 

「そいつ寝てる隙に、主様を手に掛けるんじゃないでしょうね?」

「そ、そんな事するか、無礼な! これでも俺は武人だぞ」

「そうだぞ、伯約。死ぬ前に律儀に礼を言ってくるやつは、そんな事をしないよ」

「……分かりました、主様、失言でした」

「……っ(しまった)」

 

 鈴花は慌てるも遅く、これで部屋割りの組み分けが決まった。

 困っているのは只一人――鈴花だけ。

 彼女の一族では、同じ部屋での寝泊りというだけでも意味深いのだ。

 それは、親類、家族の意味となる。

 更に子供同士では無く異性と、同衾となれば非常に……夫婦的な意味合いに変わってしまう。

 五人で食事をした後に、結局部屋に入った二人であるが、鈴花は抵抗を試みる。

 

「えっと、お、俺は、やっぱり外でいい……」

「気を遣うなよ、男同士なんだし」

 

 まさに有難迷惑。しかし、一刀の殺し文句が飛び出して来た。

 

「まぁ、俺のことが気に入らないのはしょうがないか……俺が外で寝るか」

 

 恨みを向けるべき相手でもあるが、誇りある呼一族族長の長子が、二度も命を救われた大恩人を外で寝かせる訳にはいかなかった。

 それに、この男も誇りある武人――相手に不足が有る訳でも無くなっていた……。

 

「わ、分かった! ……ね、寝ればいいんだろ、寝れば。(そ、そうだ、たかが同じ場所で寝るだけじゃねぇか)」

「そうだよぉ、じゃあお休み~」

 

 一刀は先に、大陸風な天板のある寝台に敷かれた布団に潜り込む。

 鈴花もその横にと思ったが、ふと部屋の一角に、衝立へ掛かる白布に、水とお湯と、たらいがあるのに気が付いた。

 今日、牢屋から出て小屋で着替える時に僅かに体を拭いただけである。

 身嗜みは大切。もしかの時にと、母からの言葉を思い出す。

 

(………)

 

 鈴花は湯浴みをすることにする。たらいを人の背丈ほどな衝立で隠すと、お湯と水を張り、服を脱ぐとゆっくりそれに浸かり丁寧に体を洗い始めた。

 

 さて、寝掛けた当初というのはふと目が覚めることもある。それは偶々起こったのだ。

 なにやら部屋の中で繰り返し大きめな水音がする事に一刀は気が付いた。初めは夢かと思ったが、目が薄ら開いても音がしておりハッと目覚める。

 そう言えば、風呂は無い代わりに部屋の一角に、大きなたらいを目撃していたと思い出す。

 布団や部屋の見える範囲に鈴花が居ない事から、使用者を思いついた。

 

(折角目が覚めたし、俺も後で少し洗おうかな)

 

 一刀は男を覗いたり、男と一緒に洗い合う趣味は無いので、行儀よく静かに順番を待つことにした。

 そして間もなく水音が止んだ。

 すると衝立上へ手が出て来て、白い布を掴もうとしたが……布が衝立の外へはらりと落ちた。

 

(おっ、あら)

 

 それを見ていた一刀は、拾ってやろうと寝台を降りると衝立に近付いて行く。

 だが当然、外へ落ちた白い布を取ろうと――鈴花も衝立の外へ。

 必然的に二人はカチ合った。

 

「「…………」」

 

 まず、目が合う。

 濡れた短めな薄茶の髪に似合う整った顔の表情が驚いている。

 自然に一刀は裸の方へ目が行く。生物として一度は安全性を確認するものだ。日焼けした褐色の肌に雫を滴らせる、少し小柄な少年らしいほっそりした体形。

 そして胸は少年らしく『平ら』。しかし、個性なのか乳輪とポッチは少し大きめ。その下には可愛いおヘソ。割とクビレが有る気もする。

 だが、さらに目線を下へと落とした時――事件は起こった。

 

 

 

「あ、あれ……つ、ツイテナ~イ??」

 

 

 

 一刀にとって、これは紛失事件と言えよう。

 思わず彼の目線が、床と周辺を少し探した。

 しかし、ナイ。――何も無いのだ。

 

 鈴花は見られてしまった衝撃に、床へペタンとしゃがみ込んでしまう。

 しかし声は上げない。

 認めた相手に見られただけのこと。それは北郷に失礼だと思ったのだ。

 他の男であれば、叫んだ上で服の横に立て掛けてある剣で切ったかもしれない。

 一刀は、その事態にゆっくりと鈴花へ背を向けていた。

 

「えーっと、鈴花は……女の子なの?」

「……はい、そうです」

「そ、そっか。悪かったよ。落ちた布を取ってあげようと思っただけなんだ。それは信じて欲しい」

 

 一刀の立ち位置が落ちた布に向かっている場所だと見て取れた。

 

「はい、信じます……感謝します」

「扉の外で待つから、呼んでくれれ――」

「いえ、大丈夫です。少し驚いただけだから」

 

 鈴花は立ち上がると、白い布を取り、身体をそれで巻いた。

 彼女はそのまま背を向ける一刀へと近付いて来た。そして真後ろに立つと尋ねてくる。

 

「私を、どうしたいですか? お抱きになりますか? 好きにされてかまいませんよ」

 

 僅かな沈黙の後、一刀はその問いにこう答えた。

 

「失礼が無いように先に言っておくよ。女の子な綺麗な身体だったよ。それを踏まえてもらった上で。あのさ、なら―――今まで通りでいいんじゃないか、鈴花? 俺達の旅は始まったところだぜ」

 

 一刀は正直、今はフェアじゃないと思った。彼女はこのメンバーでは弱い立場なのだ。

 彼の背中にこつんと、彼女の額が当たる。

 

「……感謝するぜ。少し待てよ、服を着て来る。アンタも湯を浴びたいんだろ?」

「ああ、実はそうなんだ」

 

 その後、一刀もお湯を浴びてサッパリすると、二人は寝台に仲良く並んで何事も無く静かに休んだ。

 ただ、二人とも、寝るまでは内心少しドキドキしていたが。

 次の日は朝の、外に人が増え出した辺りで出立する。

 朝一は姜維の後ろからスタートしたが、一刀は小休憩ごとに乗る馬を変えてみた。姜維は少し……いや大分ご不満な顔を見せていた。今日だけと言って宥める。

 ちなみに鈴花も馬術は相当上手い。馬超が「なかなか」と言う程である。馬岱の馬に乗った時は彼女の曲芸が過ぎて、一刀は何度か落馬しそうになったが。残念ながらになるのか、馬超の馬へ乗せてもらうも胸を掴む事態には至らず。

 一番上手いのは馬超だが、落ち着いて乗れるのはやはり、前も全部見渡せるちっこい姜維の後ろだろう。

 そして、周辺の実際の地形や位置を確認しつつ、夕刻には冀より西へ五十キロの豲道県へ入った。顕親より約七十五キロ、百九十里程移動して来た。ここからは野宿が基本だ。

 ここで馬岱が「じゃあ、一っ走り行ってくるね~♪」と顕親県の様子を確認に向かった。途中で何度か馬を変えて、日付が過ぎた辺りの夜中には戻ると言う。そのための配下の五人組らしい。凄い速さだ。

 いよいよ、一刀と姜維の敵陣視察に(かこつ)けた彼女の母の探索が始まる。

 

 

 

つづく


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