――長い時間が経った気がする。
いや、気がするというのは正確ではない。実際、こちらの世界に来てから、到底短いと言えないだけの時間が流れた。
思い返せば、色々なことがあった。
――戦艦というのは、ただの艦種を指す言葉ではないんです。強きをくじき弱きを助く、最強の矛をも打ち払い最強の盾をも貫く、そんな人々の希望となる存在こそが戦艦なんです! だから! 師匠は紛れもなく、戦艦です!
――五十一センチ砲は、正式にあなたに預けることになりました。大丈夫、艤装の方を調整しておきましたから、少し撃つくらいならただちに影響はありません!
――これからは君が第六警備隊の旗艦だ。大丈夫。君がそれにふさわしいことは、私や司令官が説明するまでもなく、警備府のみんなが認めているさ。
――長月が何者であるかなんて関係ないよ。ボクは
――この作戦はお前にかかってる。いいか。無理をするなとも無茶をするなとも言わねぇ。いいや、むしろ無理しろ無茶をしろ。それをお前には期待してるんだ。けどな。絶対生きて帰ってこい。いいな? そん時ぁ俺を罵ろうが殴ろうが好きにしていいぜ。
「――まさか、と言うべきだろうか」
長月として、艦娘としてのの生活にも、すっかりと慣れた。これからも、
そしてまた、近々大規模な作戦が始まろうとしている――そんな、ある日のことだ。
「あんたが、そうだったんだな」
僕の目の前には――
「ええ。お待たせしてしまいました。ええっと……ざっと、二、三年くらいでしょうか?」
「正確に言うと、二年と八か月だ。おかげですっかり、長月としての振舞いのほうが自然になってしまった」
「あはは……すみません」
目の前の人物は、困ったように笑いながら頭を掻く。待ち続けていた方からすれば笑い事ではない。
「――ですが、今こそが絶好の好機なんです」
「前置きはいいんだ、早く説明してくれ――」
――
「……ええ、わかっていますよ」
「思い返せば、あの時の声も口調も、そうだったんだよ。満身創痍で、気が回らなかったが」
第二工廠の一角にある休憩室で、僕をこの世界に呼んだ張本人改め明石さんと机を挟んで向かい合わせで座り、自分の席の前に出された、濁った琥珀色の液体を口に含む。……めちゃくちゃ甘い。しかも炭酸が入っている。なんだこれ。
「どこからお話ししましょうか」
「どこからもここからも、わた……僕は、結局何も知らないままだ。最初から説明してほしい」
口調はすっかり馴染んでしまったが、長月ではなく僕という個人として振舞う時は、一人称だけは努めて『僕』を使うようにしている。僕に残された数少ない矜持だ。
「最初から、ですか。うーん、どこを最初と定義するべきだと思いますか?」
「僕に聞くな」
「まったくその通りです」
悪戯っぽく笑う明石さんはなかなかかわいらしく映ったが、はぐらかすような態度による苛立ちのせいで魅力は相殺されている。もっとも、腹の立つ表情じゃなかっただけマシとも言えるが。
「ですが、始まりは我々にはありません。いえ、
「抽象的過ぎるぞ」
「そもそも、一般的な理論からすれば非現実的な話ですから、抽象的にもなります」
そう言って、明石さんは自分の前に置かれた、僕に出されたものと同じ液体を、実に美味しそうな顔で飲む。甘党なのだろうか。この液体の正体も気になるところだが、話の腰を折りたくないので黙っておく。
明石さんはそのままミルクティーにも似た色の液体を飲み干し、わざとらしく咳払いをして、ゆっくりと口を開き始めた。
「――我々の世界は、初めはこのような世界ではありませんでした。艦娘も深海棲艦も存在せず、強いて言うなら海軍が存在していただけです」
「……最初からそうだったわけではないのは、当然のことじゃないか?」
「いえいえ、そのような次元の話ではないのです――
一瞬、それも不思議なことではないような気がしたが――よく考えてみれば、確かにそれは有り得ない。公式のメディアミックスでも解釈が分かれている部分ではあるが、少なくとも
「それどころか、誰一人そのことについて疑問を抱いている者はいませんでした。私の知る限りは、ですが」
「……それが、事実だとして」
素直にはいそうですかと受け入れられる内容ではないが、しかし相手は僕の素性を最初から知っていた人物である。信じ難いが、信じるしかない。それでも、疑問はある。
「まず、どうしてあんたは気づいたんだ?」
「結論から言うと、直感と偶然です。ある日、ふと
「……次だ。なぜ、それを周知しなかった?」
「最初はしましたよ。確認すればわかることですから、みなさんも信じてくれました。でも――次の日になった途端、すべて忘れてしまうんです。私だけが、記憶できるんですよ」
「何故だ?」
「それはですね――」
言いながら、明石さんは傍らに置かれた艤装のクレーンを肩に担いで見せる。
「――私が、
――その姿は、
「ま、待て。整理させてくれ」
頭を押さえる。いきなりメタフィクションな話になってきた。いや、この世界とよく似たゲームをプレイしていた人間がここにいる以上、最初からメタいと言えばそうなのだけれど。
「この世界は、僕の知っている『艦隊これくしょん』の世界そのものなのか?」
そんな話が出てきた以上、もはや遠慮をすることはないだろう。単刀直入な質問をしてみた。
「そうだとは言えません。しかし、違うとも言えません」
曖昧な答えだが、反応からして――
「知っているんだな。この世界とよく似たゲームが、僕の世界に存在していたことを」
「ええ」
今度は、明確な肯定が返ってくる。だが、それによって新たな疑問も発生する。
「僕がこの世界に呼ばれたことにも関係していそうだが――どうやって知ったんだ。僕がいた世界のことを」
「そこは、私は工作艦ですから」
明石さんは、何かを組み立てるようなジェスチャーをする。
「作ったんですよ。そちらの世界に干渉できる装置を」
だいぶとんでもないこと言い出したぞこいつ。
「……作った、って」
「元々、私はM理論の研究者なんです」
「え、えむりろん?」
なんだそれ。聞きなれない言葉だ。
「超ひも理論と言えばわかりますか?」
「ああ……そっちは聞いたことがある」
名前くらいはだが。中身はまったくわからない。
「厳密に言うと、より根源的な理論がM理論なのですが……超ひも理論と違い弦は存在せず、二次元や五次元の膜が構成要素であると――」
「……あ、あの。無知な僕にもわかるように説明してくれ」
身を乗り出しながら話し始める明石さんを制止する。まったく話についていける気がしない。
「……かいつまんで言えば、私は並行世界の存在を信じていたということです。そして、並行世界から影響を受け、並行世界に影響を与えることも可能だと考えていました」
「そ、そうか」
ようやくわかった、気がする。もしかしたらわかってないかもしれないけど。
「本当はその説明も正しくないのですけれど――」
「それはわかった、わかったから要点だけ話してくれ」
「あ、はい、すいません」
ついうっかりという表情をした後、明石さんは姿勢を正す。止めないといつまでも話していそうな雰囲気だった。
「ともかく、私には元々そういった知識がありました。それゆえに私は、世界が変質した理由は並行世界にあると考えたんです。幸いなことに、私に『工作艦明石』という役割が割り当てられたことにより、理論を実証するだけの技術力も手に入っていましたから」
「それで、作ったと?」
「そういうことです」
簡単に言っているが、実際には簡単なことではないはずだろう。たぶん、元々天才なのだろう、明石さんは。
「ですが、私に出来たのは、あなたのいた世界の特定の場所に
「窓?」
「ええ。そちらの世界を、限定的に覗き見することができるような、窓です。そこから、私はあなたがいた世界の情報を集め――件のゲーム、『艦隊これくしょん』の存在が、我々の世界を変質させたと確信しました」
「変質、と言ってもだな……」
表現は多少乱暴になるが、結局のところただのゲームだ。世界一つを変えてしまうほどの力があるとは思えない。
「いえいえ、馬鹿になりませんよ? 創作物の力というのは。私の仮説の上では、ファンの多い創作物は、我々の世界と同じように、どこかの世界を変質させている可能性があります。もしかすると、我々の世界に存在する創作物すらも」
「マジかよ」
思わず長月は絶対に言わないような反応が出た。ファンの多い創作物と簡単に言うが、一体世界にいくつあると思っているんだ。基準がどの程度かはわからないが、百や二百なんて規模じゃないのは間違いない。
「全てがそうなるとは限りませんし、むしろ稀なことでしょう。しかし、現実に我々の世界がそうなっている以上、私の仮説は正しかったということです。もっとも、完全な証明を行うのは難しいですが」
「……まあ、わかった」
「そうして世界が変質したものの、全てが完全というわけじゃなかったのでしょう。『艦隊これくしょん』というゲームは、世界設定について曖昧な部分が多いようですから」
その通りだ。二次創作はおろか、公式の関連作品ですら設定は一定していない。大本のゲームに至っては、詳しい設定が語られることはまずない。
「だからこそ不完全であり、だからこそ私は気づけた。そして、私だけが記憶できる。それは恐らく、『艦隊これくしょん』において、私がキャラクターとシステムの境界にいる存在ゆえに、記憶への影響――世界からの修正力とでも言いましょうか。そういったものが働かないのでしょう」
仮説ですが、と最後に付け加えるものの、自分の理論を大筋で正しいと確信している様子だった。
「……それなら、『任務娘』でもある大淀はどうなんだ? 警備府にはいないが、どこかの鎮守府にいるんじゃないのか?」
「いるでしょうね。そして、確かに大淀であれば、記憶を保持できた可能性はあります。しかし、その大淀が私に協力的になってくれるとも限りませんから」
「だが、あんたは僕を呼んだ理由を『世界を救うため』だと言っていたじゃないか。世界を救うための行動に協力してくれないと? いや、協力してくれないまでも、何か不都合が起きることはないんじゃないか?」
僕がそう言うと、明石さんは小さくため息をつく。
「世界を救う、その言葉に嘘はありません。ありませんが――私の行動は、この世界の在り様を大きく変えてしまうものですから。自分の理論には誰よりも自信がありますが、広く受け入れられる思想であるかどうかに自信が持てなかったんですよ」
「……と、言うと?」
僕が先を促すと、明石さんは勿体付けたように一つ深呼吸をし――
「
――自らの目的を告げた。
完結編です。
話のオチは最初から考えていたんですが、間の話を考えるのがめんどくさかったんです。ゴメんね。
もっと謝ることがあるとは思いますが、それはそれ。
次がいつになるかは未定です。