――目が覚めると、知らない天井だった。いや、エヴァのシンジ君とかじゃなく、真面目な話。
「……どこだ、ここ」
無機質な部屋は、病室めいた雰囲気を感じさせる。実際、病室なのかもしれない。とりあえず辺りを調べようと、僕は寝ていたベッドから立ち上がる。
「……ん?」
――そこで、猛烈な違和感。端的に言えば、視点がとてつもなく低い。僕の背は、お世辞にも高いとは言えないけれど、平均くらいはある。でも、今の視点の高さは、まるで子どものようだった。それに、よく考えると、呟いた独り言の声も、妙に幼げだ。
「……どういうことだ?」
ちょうど、部屋には鏡があった。低い視点と、短い四肢に困惑しつつ、よろよろと鏡の前まで歩き――
「――――はい?」
――鏡に映る姿を見た瞬間、素っ頓狂な声を上げた。
ややぼさついた、濃緑の長髪。透き通った、薄緑の瞳。飾り気のない、黒いセーラー風の服。眩しい黄色の、三日月型の髪飾り。ぷにぷにとした、細い四肢。
――どこをどう見ても、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん』、通称『艦これ』に登場する艦娘、駆逐艦長月だった。
「……いやいや。いやいやいやいや。いやいやいやいやいやいや!」
思わず十二回も『いや』と言ってしまった。マジかよ、おい! 僕、長月になってるよ!
――確かに、僕は長月が好きだ。艦これというゲームのキャラクターのみならず、あらゆるキャラクターの中で一番好きだ。愛していると言っても過言じゃないどころか、その程度では足りないくらいだ。定期的に妄想を小説という形に纏めては、某サイトに投稿したりもしている。この前は薄い本を買った。公式は長月グッズはよ。
「いや……夢、だよな、うん」
まあ――冷静に考えれば、僕の長月愛が爆発した結果、こんな夢を見てしまったというところだろう。うん、そうに違いない。どうせなら、提督になって長月といちゃつく夢とかが良かったけれど、これはこれで悪くない。
「――よし」
――そうと分かれば、好きにやってやる。
男性諸君、君は女性に、それも、自分の好きな女性になったらまず何がしたい? 遠慮はしなくて良い。欲望を解放するんだ。
そう、答えは一つ――
「まずは、脱――」
「起きたか?」
――ノックの音と、男性の声が部屋に響く。服にかけた手を、慌てて引っ込めた。ええい、僕の夢ならもっと空気を読め!
「お、起きているぞ!」
とりあえず、長月っぽい喋り方で、返事を返す。
「ん、そうか。入っても、大丈夫か?」
「あ、ああ! だ、大丈夫だ!」
緊張と動揺で、やや声がうわずる。まずい、夢なのに妙に緊張する。あ、でも、緊張している長月もかわいい。中身、自分だけど。
「んじゃ、お言葉に甘えまして、と」
部屋のドアが開き、中に一人の男性が入って来る。特徴を一文で表すなら、軍服のくたびれたおっさん。
「よ、初めまして。俺は、大湊警備府の、提督――って言って、通じるか?」
「い、一応は」
大湊警備府。僕も、艦これのプレイヤーとして、そこに所属している。もっとも、ただのサーバー名でしかないが。
「ふむ。――お前さん、自分のことは、どこまで分かる?」
「え、ええと――」
――長月スキーな艦これプレイヤーで、今、長月になる夢を見ています。
……いや、さすがに却下。いくら夢でも、それは無い。
「……私は、睦月型八番艦、長月の艦娘。それ以外は、何も」
とりあえず、当たり障りの無さそうな回答を返す。少しずつ慣れてきたのか、どもらずに言えた。
「そうか。ま、よくあるパターンだな。……お前さん、深海棲艦の腹ん中から救出されたんだよ。『艦娘』って単語が分かるなら、深海棲艦も分かるよな?」
「ああ」
深海棲艦。艦これにおける敵キャラクターだ。プレイヤーは、軍艦を擬人化した『艦娘』と呼ばれる少女たちを率い、深海棲艦と呼ばれる怪物と戦う。それが、艦これにおける重要な要素だ。
「普通、艦娘っつーのは、素質のある人間がなるもんだが――たまに、お前さんみたいに、深海棲艦の腹ん中やら拠点やらから、救出される艦娘もいる。大体、そういう奴には人間としての記憶が無い。そもそも、本当に人間かも分からない。ただ一つ確実なのは、間違いなく艦娘だってことだ」
提督の話に、ふむふむと耳を傾ける。なるほど、夢にしてはよく練られた設定だ。起きたらメモに纏めて、小説のネタにでもしよう。
「――ま、お前さんはうちで回収した以上、ここの所属になる。艤装の準備が済み次第、きりきり働いて貰うからな。文句は受け付けん」
言って、提督はにやりと笑う。
「了解した」
まあ、どうせ夢だ。目が覚めてしまえば関係無いし、適当に頷いておく。それよりも、早く出て行ってくれ。僕はさっきの続きがしたい。
「素直な奴だな。俺は好きだぜ」
おっさんに好かれても嬉しくない。
「――お前さんの部屋は、駆逐寮の二階の五号室、同型艦一人と同室だ。ほれ、見取り図」
提督の差し出した見取り図を受け取る。見る限り、警備府は複数の棟に分かれていて、かなり広い。
「なるべく早く行ってやれ。ルームメイトが出来るって喜んでたし、お前さんを助けたのも、そいつだからな」
言いながら、提督は踵を返す。
「仕事は、明日から指示するから――今日一日は、ここに慣れることが任務だ」
そのまま、提督は部屋を出て行った。
「……さて」
足音はすぐに遠ざかり、邪魔者はいなくなった。
――さあ、これで自由だ。今度こそやってやる。やるだけやって、適当に目を覚まそう。
「まずは上っ!」
がばぁ、と音を立てながら、一気に上半身の衣服を脱ぎ捨てる。おお、長月の平坦な胸が露わに!
「続けて下っ!」
新体操の選手もびっくりなアクロバットを決めつつ、下半身の衣服もパージする。これで長月はすっぽんぽんだ! 中身が僕であることだけが悔やまれるが、しかしその幼く綺麗な身体は長月そのもの!
――鏡に映った全裸の長月の姿を、脳裏に焼き付ける。
「……ふう」
――よし、満足した。
もっと過激なこともしようかと思ったが、さすがにやり過ぎると長月に申し訳ない。いや夢だけど。
「さて――」
とりあえず、覚めろ覚めろと念じてみる。大抵、夢はこれで覚める。
「……あれ?」
――覚めない。
「――そぉい!」
頭を壁に打ち付けてみる。
「……痛い」
――覚めない。
「――覚めろっ!」
叫んでみた。
――覚めない。
「――覚めろっ! 覚めろっ! 覚めろっ! 覚めろっ! 覚めろっ! 覚めろっ!」
叫びながら壁に頭を打ち付けてみた。
――滅茶苦茶痛いけど、覚めない。
「……はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
――叫びながら全裸で壁に頭を打ち付けて息を切らす長月の姿が、そこにはあった。我ながら酷い絵面だ。
とりあえず、服を着直す。壁に打ち付けた頭は、痛みはあるものの、傷やこぶは出来ていなかった。艦娘だからだろうか。
「つまり、ええと――」
痛みは非常にリアルで、夢とは思えない。そもそも、夢だとすれば、これだけ騒げば覚めるだろう。要するに、これは――
「――現実?」
……え、マジで?