穴熊寮からごきげんよう   作:秋津島

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「吸魂鬼が影響を及ぼすのは、何もエドガーだけではないのです」
「というか、エドガーの心の深いところを担っているのは私ですから、どちらかと言えば私の方が影響を受けてしまいますね」
「その証拠にほら、吸魂鬼に襲われた時、エドガー本人の記憶は出てこないでしょう?」


死神犬

 試合当日はひどい天候だった。

 ゴロゴロと雷鳴が鳴り響き、風は絶え間なく城の壁を打ち、禁じられた森の木々の軋み合う音が、どこに行っても耳をついて離れない。

 しかし、そんな天気でもクィディッチの試合は行われる。去年のバジリスク騒動が異例中の異例だっただけで、基本的には嵐だろうと雷だろうと、試合がキャンセルになる事はほとんどないのだ。

 

「もう、こんな天気じゃまともに動けないよ!」

 

 オートミールを食べながら、アルマはむすっとした顔をしていた。

 いくら腕力に優れ、身長も同年代の少女より高いとはいえ、彼女は三年生の女子。こんな天気では、強風に煽られてコースを外れてしまう可能性が大きい。そして、それは同じく三年生のザカリアス、エドガーにも言える。

 

「今日はてこずりそうだな」

「そうだね。最悪の場合だと、チェイサーはウィリアムしか機能しないかも」

「ビーターもイヴだけだよー。これじゃあ勝てない!」

「いや、そこまで悲観するには早すぎる。シーカーを見てみろ」

「えっと、ポッターとセド?」

「ああ。軽くて素早いポッターは吹き飛ばされる可能性が高いが、セドリックは逆に安定感がある。この天気で有利なのは、間違いなくセドリックの方が」

「なるほど、ザカリアスってば賢いねえ。……っと、そろそろ時間かな、二人とも早く行こう!」

 

 三人は他のメンバーと合流し、荒れ狂う風に向かって皆で頭を低く下げながら、競技場までの芝生を駆け抜けた。持っていた傘は役に立たず、いつの間にか手から吹き飛ばされていた。

 やっとの思いでロッカールームに入って、チーム全員がカナリア・イエローのユニフォームに着替えた。セドリックが先頭に立って、そのままフィールドに出て行こうとする。それをアイヴァーが止めた。不思議そうな顔をするセドリックに、アイヴァーが片目を閉じた。

 

「ほーらキャプテン、一番最初の試合だ、何か言ってもいいんじゃないか?」

「え? えっと……」

 

 困惑するセドリック。助けを求めようとしたウィリアムには視線を逸らされ、ヘンリーからは微笑みと共にサムズアップが送られる。それならばと三年生の三人を見るも、ザカリアスは同情するような眼差しを、エドガーとアルマからはきらきらと輝く視線を向けられる。どうやらやるしかないようだ。

 仕方ない、とセドリックは咳払いをした。

 

「条件が悪いのは向こうも同じだ。悔いなく、正々堂々戦おう」

「いやはや、相変わらず真面目なコメントだな」

「ま、そこがセドリックの良いところなんだけどねー」

「……行くぞ」

 

 ウィリアムの合図で全員でフィールドに出て行く。すでに紅のユニフォームの集団が集まっていた。ハリーの姿もある。眼鏡に水滴がびっしりついていて視界が悪そうだった。

 最悪の天候なのに観客はいつもと同じくらい集まっていた。しかし、その観衆の声援は雷鳴と風の音でかき消されて、選手の耳には入らなかった。それどころか、姿さえも降りしきる雨のせいでよく分からない。

 一段と強い風が吹いて、小さな悲鳴と共に一番小柄なアルマがよろめいた。それを隣にいたアイヴァーが支えている間に、両チームのキャプテン同士が握手をして、選手がそれぞれ箒に跨った。

 鋭いホイッスルの音が遠くの方に聞こえた――試合開始だ。

 

 エドガーは早速クアッフル目がけて飛び出した。今、彼が使っている箒は例の試作品の八号目だ。事前に祖母から届いた手紙では、箒自体は既に製品化しているが、エドガーに合わせてチューンアップしている最中との事で、本作が届くのはもう少し後になるそうだ。エドガーとしては、今の試作品の性能でも十分に戦力となっているのだから、これ以上良くなっても……と思う気持ちが少なからず存在する。とはいえ、これより良い箒にに乗れる事に対する期待も、もちろんあるのだが。

 

「エド!」

「任せて」

 

 一足先にクアッフルを手にしたザカリアスが、エドガーに鋭いパスを送る。クアッフルを受け止めた衝撃と、ちょうど拭いた向かい風によって箒がやや流れるも、すぐさま立て直し、選手の間を縫うように飛んでいく。

 先回りして相手のゴールポストの近くで待機していたウィリアムにクアッフルを投げ渡すと、ウィリアムはそれを目にも留まらぬ速さでゴールに入れた。ハッフルパフの先制点だ。

 この先制点で流れがハッフルパフに向くと思ったが、そうではなかった。

 その後、雨風は一層強くなり、エドガー、ザカリアス、アルマの三人は満足な飛行が出来なくなった。少年二人はまっすぐ飛ぶので精一杯だったし、アルマに至っては強い風が吹くたびに煽られて流れた。グリフィンドールがタイム・アウトを要求するまでの間に、相手に八十点のリードを許してしまっていた。

 

「アルマ、大丈夫かい?」

 

 グラウンドの片隅の大きな傘の下に、ずぶ濡れの選手が集まった。

 セドリックが真っ先に声を掛けたのは、一番この天候の影響を受けているアルマだ。彼女は目にかかった髪を払いながら、曖昧に笑った。

 

「なんとかね」

「エドガーとザカリアスも。まだ戦える?」

「ん……あとでセドリックがチョコレートをいっぱいくれるなら、まだ頑張れる」

「……この通り、エドも僕も大丈夫だ。ただ、試合が長引くほど僕たちが不利になるのは確実だ」

「そうだね。……早く決着を付けよう。できる限り早くスニッチを見つけるから、皆も凌いでほしい」

「キャプテンの命令とあらば。なあ、ハル」

「そうだねー。優秀なシーカーさんがそう言うなら、もう少し頑張っちゃうよー」

「俺も、全力でエドガーとザカリアスをサポートする」

「だって。ふふ、頼もしいねザカリアス」

「まったくだ」

「私も気合入れ直すよ。雨にも負けず、風にも負けずってね!」

「皆、ありがとう。よし、行こう!」

 

 試合が再開された。

 エドガー、ザカリアス、アルマの三人の動きは、中断前よりも良くなった。風に煽られる回数も、煽られて流れる距離も減った。

 一方、紅のユニフォームに身を包んだハリーも、ハーマイオニーによって眼鏡に防水の呪文をかけてもらったことで、視界がクリアになり、三人同様によく動けるようになった。

 また雷が鳴って、樹木のように枝分かれした稲妻が走った。環境はますます悪くなっていく一方だった。

 

「ハリー、後ろだ!」

 

 誰かが叫んだ。偶然ハリーの近くを飛んでいたエドガーは、つられるようにしてハリーの後ろを見た。セドリックが、上空を猛スピードで飛んでいた。その先には、キラキラ光る小さな金色が、あった。

 ハリーが突進した。エドガーはそれを目で追った。追った先に、蠢く何かを見た。それに気づいた瞬間、競技場の音がすべて消えてしまったように、気味の悪い静寂が辺りを覆った。風の唸る音も、森の木々のざわめきも、雷鳴のとどろく音も、観客の声援も、何一つとしてエドガーの耳に届かない。

 脳内で危険信号が鳴り響く。いつかの恐ろしい感覚が、冷たい波が、皮膚の下をもぐりこんで、心の中に押し寄せた。

 

(この、気配は……)

 

 蠢いていたのは、大量の吸魂鬼だった。

 校内に入ることを許されず、空腹になった吸魂鬼たちが、クィディッチ競技場に集まる大観衆という魅力に抗しきれずに闖入してきたのだ。

 そこから先の事は、エドガーはよく覚えていない。気づいたらハリーが箒から落ちて、その身を宙に投げ出していたので、咄嗟に左手で彼の腕を掴んだ。衝撃で肩から変な音が鳴ったのを気にしている暇なんて、なかった。

 

「おれの事も、見逃してくれないんだね」

 

 いつの間にか、ディメンターが目の前にいた。姿を見た途端に、幸福な感情が吸い取られ、心の中が恐怖と悲しみで支配される。再び、誰のものか分からない声が、どこかで聞いたことのある声が、エドガーの頭の中で聞こえた……。

 

 ――死にたくない、死にたくないよ……兄さん……。

 

 白い靄がぐるぐると頭の中を渦巻き、体が痺れた。兄さん? 死にたくない? いったい何の事だろう……。

 箒から落ちたような気がした。ハリーの腕は、まだ放していない。頭の中では、まだ誰かのすすり泣く声が聞こえる。エドガーの意識がそこで途切れた。

 

 

 

 目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。全身が、特に左の肩がずきずきと痛む。

 エドガーは医務室に横たわっていた。ハッフルパフの選手が、全身泥まみれでベッドの周りに集まっていた。隣のベッドは同じように、紅の集団で囲まれている。

 

「エド、平気か?」

「痛いところはない?」

 

 ザカリアスとアルマが真っ青な顔で覗き込んできた。

 エドガーは一度首を傾げて、それから思い出した。試合中に吸魂鬼が現れて、ハリーとおれは箒から落ちたんだ。そして……。

 

「そうだ、試合。試合はどうなったの?」

 

 結論から言えば、ハッフルパフの勝利だった。

 試合が再開してからこちらも十点を返し、ハリーとエドガーが落ちた直後にはセドリックがスニッチを掴んで、八十点差の差をつけた。

 セドリックはこの結果を良しとせず、試合中止にしてやり直を望んだ。しかし、グリフィンドールのキャプテンのウッドが認めたこともあって、その要求は受け入れられなかった。「フェアにクリーンに、ハッフルパフが勝利した」のだ。

 やがて隣で眠っていたハリーも目を覚まし、校医のマダム・ポンフリーの言いつけで、赤と黄色の集団は気まずそうに顔を合わせながら医務室をぞろぞろと出て行った。ドアが閉められ、残ったのは怪我人の二人と、ロンとハーマイオニーの四人だけになった。

 

「えっと、エドガー。君が途中で僕をキャッチしてくれたから、落下の衝撃が弱まって、あまり怪我をしないで済んだんだって。その、ありがとう」

「大したことはしていないよ。それより、腕は大丈夫? 脱臼とかしていない?」

 

 重力に従って落下するハリーを、重力に逆らって、しかも腕一本だけで止めたのだ。ハリーにかかった負担は大きいはずだ。そう思って聞いたのだが、それに答えたのはハリーではなく、厳しい表情をしたマダム・ポンフリーだった。

 

「あなたは無意識でしょうが、彼への負担が最小限になるよう行動したのです。その結果、あなたが左肩を脱臼しました」

 

 左肩が痛むのはそのせいだったか。痛みはあるが動かせるのを見ると、すでに治療済みらしい。

 ハーマイオニーが震える声で切り出した。

 

「あのね、ダンブルドアが本気で怒ってたの。あんなに怒っていらっしゃるのを見たことがないわ。二人が落ちた時、競技場に駆け込んで、杖を振って、そしたら、地面にぶつかる前に、少しスピードが遅くなったのよ。それからダンブルドアは杖を吸魂鬼に向けて回したの。そうしたら何か銀色のものが飛び出して、あいつらはすぐに競技場を出て行った……ダンブルドアはあいつらが学校の敷地内に入ってきたことでかんかんだったわ。そう言っているのが聞こえた――」

「それからダンブルドアは魔法で担架を出して君たちを乗せた。浮かぶ担架に付き添って、ダンブルドアが学校まで君たちを運んだんだ。皆二人が……」

 

 ロンの声が弱々しく途中で消えた。しかし、ハリーもエドガーもそれに気づかず、偶然にも同じことを考えていた。いったい吸魂鬼が自分に何をしたのだろう……あの声は?

 二人が同時に視線を上げると、ロンとハーマイオニーが交互に心配そうな目で見つめていた。あまりに気遣わしげだったので、ハリーもエドガーも、咄嗟に何かありきたりな事を聞いた。

 

「誰か僕のニンバス捕まえてくれた?」

「おれの箒も」

 

ロンとハーマイオニーはちらっと顔を見合わせた。そして、消え入るような声で言った。

 

「二人の箒は、あの……吹き飛んだの。それから、暴れ柳にぶつかって」

「それで……ほら、やっぱり暴れ柳の事だから。あれってぶつかられるのが嫌いだろ?」

「フリットウィック先生が、少し前に持ってきてくださったわ」

 

 ゆっくりと、ロンとハーマイオニーは足元のバッグを取り上げた。ハーマイオニーはハリーの元に、ロンはエドガーの元にやってきて、バッグを逆さまにして、中身をベッドの上に空けた。粉々になった木の切れ端が、小枝が、散らばり出た。二人の箒の亡骸だった。

 

 

 マダム・ポンフリーは、二人がその週末いっぱい病棟で安静にしているべきだと言い張った。彼らは抵抗もせず、文句も言わなかった。

 エドガーの箒は処分されたが(燃やされた。「これが負け試合だったら、あの日本のクレイジーなチームとおんなじだったね」とアルマが笑っていた)、ハリーの箒はそのまま病室に残された。マダム・ポンフリーがニンバス2000の残骸を捨てることを、ハリーが許さなかったのだ。その気持ちは、エドガーにはなんとなくわかった。もうどうにもならないのはわかっているが、それでもニンバスは一年生の頃からずっと戦ってきたハリーの相棒だ。あっさりと捨てることは、親友の一人を見限るようで辛いのだろう。

 

 見舞客が次々とやってきては、色々なものを送って、二人を励まそうとした。元々エドガーは感情に波がないので、セドリックから送られたチョコレートと、いつもの六人のお見舞いですっかり調子を取り戻したが、ハリーはそうはいかなかった。ハグリッドが送った花も、ジニーが笑顔を共に送ったカードも、グリフィンドールの選手たちや、ロンとハーマイオニーのお見舞いも効果がない。誰が何をしようと何を言おうと、ふさぎ込んだままだったのだ。その理由は――。

 

「……死神犬(グリム)? トレローニー先生が言っていた?」

「そう。本当に見たんだ。夏休み、君の家に行く前と、試合中に!」

 

 皆が、ハリーを悩ませていたことのせいぜい半分しかわかっていなかったからだ。

 ハリーは誰にも死神犬の事を話していなかった。ロンにもハーマイオニーにも言わなかった。ロンはきっとショックを受けるだろうし、ハーマイオニーには笑い飛ばされると思ったからだ。

 しかし、この日、誰も居なくなった医務室で、とうとうハリーはエドガーに打ち明けた。彼なら驚きも笑いもしないだろうし、何よりエドガーとは今年色々なものを共有してきた。吸魂鬼と出会って気絶することしかり、ホグズミードに行けないことしかり。ハリーはすっかりエドガーに気を許していたのだ。

 

「ハリー、犬に悪い子はいないよ。犬はね、いるだけで幸せにしてくれるんだ」

「まあ、やっぱりそんな反応が返ってくると思ったけどさ! エドガーって本当に動物バカだよね!」

「ばかとは失礼な。……で、それは本当に死神犬だった? 見間違いとかじゃない?」

「それは……わからない。でも、小山のような大きさだし、真っ黒だし……普通の犬とは思えなくて。それに、犬がクィディッチの試合を観戦すると思う?」

「とても賢い犬なら。冗談はさておき、実物を見ないと何とも言えないよ。ハリー、もし校内でその犬を見かけたらすぐに教えてくれる?」

「わかった。……可愛がろうとか、考えていないよね?」

「えっ、い、いやだな。そんな事あるわけないよ」

「エドガー、ちゃんと僕の目を見て言ってよ」

 

 

 月曜日になって、ハリーもエドガーも学校のざわめきの中に戻った。スリザリンの揶揄はとうとうエドガーにも及んだが、それも数日の事。どうやらスリザリン嫌いが本格化したクラウディアが主犯のドラコ・マルフォイに睨みを利かすと、あっという間に鎮静化したらしい。ちなみに彼女はこれがきっかけでブレーズ・ザビニに目を付けられ、積極的なアプローチを受けることになったとか。彼女は「面倒なやつに見つかったものだ」と、ある日の朝食の席でため息交じりに呟いていた。

 なお、後日マルフォイは腕の包帯が取れたので、彼女のいないところで嬉々としてハリーに喧嘩を売ったところ、キレたロンにワニの心臓を投げつけられ、顔に直撃した。グリフィンドールはスネイプ先生によって五十点の減点を受けたが、当事者のロンは清々しい顔だった。

 

 

 闇の魔術の防衛術を病欠していたルーピン先生は、次の授業の日には復帰していた。

 人狼に関するレポートの提出は撤回され、また新しい魔法生物(おいでおいで妖精(ヒンキーパンク)。旅人を迷わせて沼地に誘う。手招きで連られて来たものを沼地に引き込んでしまう)を用いて授業が行われた。これがいつもと同じくらい楽しい授業だったから、生徒たちも満足したようだった。

 

 授業が終わった後、エドガーはハリーに呼び出された。

 指定された場所に行くと、心なしか興奮した面持ちのハリーがいた。

 

「犬でも見つけた?」

「違うってば」

 

 ハリーは矢継ぎ早に言葉を繋げた。

 

「ルーピン先生が吸魂鬼を払う呪文を教えてくれるんだ! 君も一緒に!」




エドガーは 吸魂鬼で 気絶する ! ▼
エドガーは ホグズミードに 行けない ! ▼
ハリーの 信頼度が あがった! ▼


最近ふと思う事があるのですが、これって転生というより憑依っぽいですよね。

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