「つまり、三巻は訳アリ主人公の秘密が暴かれる巻でもある、と」
「さて、エドガーはどんな秘密を抱えているのでしょうか。……おっと、そういえば転生者の魂を内包していましたね。ど忘れしていました」
9月1日。
大きなトランクとネセレの入った鳥籠、それから小さなトランクを抱えるクラウディアと一緒に、おれはホグワーツ特急に乗り込んだ。
……うん、クラウディアと、だ。
彼女が一緒にホグワーツに来ると知ったのは今朝の事だ。
朝起きて、お祖母さまは開口一番に「言い忘れていたけど、ディアも一緒よ」と微笑みながら言った。
詳しく聞いたところ、クラウディアはホグワーツに入学するわけではなく、おれが学校にいる間は禁じられた森で過ごすそうだ。今まで森の中で過ごしていたから、しばらくは似たような環境にいたほうがいいだろう、とのことである。
ちなみに、すでにマクゴナガル先生経由でダンブルドア先生と、森番のハグリッドの許可は取り付けてあるとか。去年の動物もどきの件といい、お祖母さまはマクゴナガル先生の先輩というポジションを乱用している気がする。
さて、そういうわけで汽車に乗ったおれたちは、空いているコンパートメントを探そうとして――どこからか漂ってくる甘い香りに誘われるように、最後尾のコンパートメントに辿り着いた。
そこには客が一人いるだけだった。男性が一人、窓側の席でぐっすり眠っていた。あちこち継ぎの当たったみすぼらしいローブを着て、疲れ果てた顔をしている。鳶色の髪は白髪混じりだ。甘い匂いの正体はこの人だった。どこかにチョコレートを隠し持っているに違いない。
それにしても、ホグワーツ特急はいつも生徒のために貸し切りになるから、大人がいるのは珍しい光景だった。
「――おい、こいつは」
「あれ、エドガーとクラウディアじゃないか。一緒に座ってもいいかい?」
クラウディアの言葉を遮ったのはハリーだ。後ろにはロンとハーマイオニーもいる。
「いいよ。ディア、どうかした?」
「いや、何でもない」
そう言って彼女は男性の隣に腰を下ろし、おれはその隣に、三人は向かい側に揃って腰を下ろした。
「この人、誰だと思う?」
「鞄に書いてあるよ。ルーピン先生だって。きっと闇の魔術に対する防衛術の新しい先生だよ」
「……この人は何年続くかな」
闇の魔術に対する防衛術は、一年生のときはクィリナス・クィレル、二年生の時はギルデロイ・ロックハートと、それぞれ一年しか持たなかった。そのせいで、この学科は呪われているという噂も立っている。
「ま、この人がちゃんと教えられるならいいけどね」
「ロン、目の前で失礼だよ。それに、この人は信頼できると思う。チョコレートを持っている人に悪い人はいないんだから」
「チョコレート?」
「うん。わからない? この人から甘い匂いがする」
ロンはわからないようで首を傾げた。そういえば、おれって嗅覚が鋭いんだっけ。
「……まあいいか。それよりハリー、何の話なんだい?」
ロンが尋ねると、ハリーはウィーズリー夫妻が言い合いをしていたことや、今しがたウィーズリー氏にシリウス・ブラックを探さないよう警告されたことを、事細かに全員に話した。
ううん、なんだか引っかかるような……。というか、これっておれとクラウディアが聞いてよかったの?
「シリウス・ブラックが脱獄したのは、あなたを狙うためですって? ああ、ハリー……ほんとに、ほんとに気を付けなきゃ。自分からわざわざトラブルに飛び込んで行ったりしないでね」
「僕、自分から飛び込んで行ったりするもんか。いつもトラブルの方が飛び込んでくるんだ」
「ハリーを殺そうとしている狂人だぜ。自分からのこのこ会いに行くバカがいるかい?」
ロンとハーマイオニーはハリーよりもシリウスの事を恐れているようだった。
「エドガー、あなたからも言って。ハリーに危険なことをしないようにって」
「……その前にさ、シリウスは本当にハリーを狙っているのかな」
案の定、三人は信じられないといった表情をした。おれも自分でもおかしな事を言ってるって思うんだけど……なぜかシリウスが話に聞くような悪人に思えない。多分名前のせいだと思う。
シリウスはおおいぬ座の一等星。それに、恒星シリウスの別名はDog Star、つまり犬星だ。こんなに犬に関わりのある人を悪人と決めつけるなんて、犬好きのおれにはできなかった。
「もしおれがシリウスだったら、もっと早くにハリーを狙うよ。だって時間が経つほど自分は監獄で体力を失うし、逆にハリーはどんどん力を付ける。だから、今回シリウスが動いたのは、何か別の、大きなきっかけがあったからだと思うんだ」
「エドガーがこういうおかしな事を言うとき、真っ向から否定できないのがなあ……」
「まあ、シリウスは大半の人が極悪犯だと思っているし、おれが言っていることだって何一つ根拠がないし、みんなはこれまで通り疑っていた方がいいよ」
「そうするわ。ところでエドガー、その子は?」
ハーマイオニーが指差したのは、おれの隣でルーピン先生をじっと観察しているクラウディアだ。そう言えばハリーにしか紹介していなかった。
「おれの新しい家族、吸血鬼のクラウディアだよ。今年から禁じられた森で過ごすんだ」
「吸血鬼ですって!」
「安心しろ。わたしはむやみに人を襲わない。無論、血液を提供してくれるなら喜んで受け取るが、そうでないなら危害は及ぼさない」
「この通り、しっかりとした理性を持つ美少女です。よかったら仲良くしてあげて」
ハーマイオニーは恐る恐る、ロンは興味津々にクラウディアを見て、簡単に自己紹介をしあった。
突然、ハリーのトランクから小さく口笛を吹くような音が聞こえてきた。
ロンが立ち上がって荷物棚に手を伸ばし、ハリーのローブの間から
ルーピン先生が目を覚ますといけないので、ハリーはそれを古びた靴下の中に押し込んで音を殺し、その上からトランクの蓋を締めた。音はほとんど聞こえなくなった。
それから、ロンの何気ない一言で、次の話題はホグズミードになった。
ロンとハーマイオニーが嬉々として語る中、結局ホグズミードに行くことができないハリーは浮かない表情でそれを聞いていた。大丈夫だよハリー、きみが行けないならおれも行けないから。一緒一緒。
「でも、ブラックは捕まっていない今、ハリーは迂闊に外に出ない方がいいわ」
「うん、僕が許可してくださいってお願いしたら、マクゴナガル先生はそうおっしゃるだろうな」
「そうしたら、フレッドとジョージに聞けばいいよ。あの二人なら、城から抜け出す秘密の道を全部知ってる――」
「ロン!」
「けど、やっぱり君はホグワーツにいた方がいいな。うん」
何という移り身の早さ。
ハーマイオニーはため息をつきながら、クルックシャンクスの入った籠の紐を解こうとしていた。ロンが止めようとした時には遅く、クルックシャンクスはひらりと籠から飛び出して、ロンの膝の上に飛び乗り、ポケットの中のスキャバーズに狙いを定めている。
「クルックシャンクス、スキャバーズを襲っちゃだめだよ」
ロンが怒って膝から払いのける前に、おれがクルックシャンクスを持ちあげて自分の膝に移動させた。ああ、かわいい。もふもふしている。しばらく毛並みの感触を堪能していたら、ネセレが不満そうな表情を向けてきた。安心して、一番はネセレだから。
しばらくすればクルックシャンクスは落ち着いたのか、空いている席に落ち着いた。
一時になると車内販売が来て、それぞれお菓子を買った。おれはもちろん蛙チョコレートだ。クラウディアは百味ビーンズを買って、血液味がないか探していた。赤色を選んで食べていたが、パプリカ、ジョロキア、トマト、苺など一向に当たる気配がなかった。少し残念そうだ。
それからスリザリンの一行がハリーたちをからかいに来たが、クラウディアの一睨みとルーピン先生の存在で、すごすごと退散していった。「小物だな」とクラウディアが評価していた。手厳しい。
汽車が北に進むにつれ、雨も激しさを増してきた。窓の外は雨足がかすかに光るだけの灰色一色で、その色も墨色に変わり、やがて通路と荷物棚にランプが点った。汽車はがたごと揺れて、雨は窓を打ち、風は唸りを上げた。
途中で男女に分かれて制服に着替え(入学しないといっていたのに、クラウディアも制服を着ていた)て、お菓子を食べながらのんびり雑談をしていると、ロンがふと窓の外を見て言った。
「もう着くころだ」
ロンの言葉が終わらないうちに、汽車が速度を落とし始めた。
「変ね。まだ着かないはずよ」
ハーマイオニーが時計を見ながら言った。
汽車はますます速度を落とし、ついにがくんと止まった。荷物棚からトランクが落ちる音が聞こえてきた。そして、何の前触れもなく、明かりが一斉に消え、あたりが急に真っ暗闇になった。
「いったい何が起こったんだ?」
「ディア、大丈夫?」
「ああ。まったく、故障か?」
クラウディアが小声で呟くと、彼女の手のひらに青い炎が現れて、コンパートメントの中を照らした。
ドアが急に開いて、慌てた様子のネビルが入ってきて、ハリーに促されて開いている席に座った。
ハーマイオニーは何があったのか運転手に聞きに行くからとドアを開き、そこでばったりジニーと出くわした。またもやハリーが促して、二人とも開いている席に座った。コンパートメントがだいぶ狭くなってきた。
「静かに」
突然しわがれ声がした。
ルーピン先生がついに目を覚ましたらしい。クラウディアの炎が先生の疲れたような灰色の顔を照らしている。目だけが油断なく、鋭く警戒していた。
「動かないで」
さっきと同じ声でそういうと、先生はゆっくりと立ち上がり、自分も手のひらに炎を灯して、その灯りを前に突き出した。
先生がドアに辿り着く前に、ドアがゆっくりと開いた。
二人分の炎に照らし出され、入り口に立っていたのは、マントを着た、天井まで届きそうな黒い影だった。顔はすっぽりと頭巾で覆われている。マントから突き出した手は灰白色に冷たく光り、かさぶたに覆われ、まるで水中で腐敗した死骸のようなものだった。
得体の知れない何かは、ガラガラと音を立てながらゆっくりと長く息を吸い込んだ。まるでその周囲から、空気以外の何かを吸い込もうとしているようだった。
ぞっとするような冷気が全員を襲った。寒気が皮膚の下の深くに潜り込んでいく。胸の中へ、そして心臓の元へ……。
どこか遠くから声が聞こえてきた。どこかで聞いたことがあるような声。恐怖と、悲しみと、怒り。今まであまり自覚したことがない負の感情が、心の中でぐるぐると渦巻いている。
――貴方はいい子。あの子よりもずっと賢くて、家の事をしっかり考えている。
――兄さん、もしも私が死んだら、兄さんは悲しんでくれる?
――ああ、最期にもう一度、会って話をしたかった……。兄さん……。
「エドガー、しっかりしろ。起きないとおまえの蛙チョコ全部誰かに渡す」
「それはだめ」
咄嗟に目を開けた。目の前にクラウディアの顔がある。体が揺れている。
ホグワーツ特急が再び動き出し、車内はまた明るくなっていた。床には、座席から滑り落ちたらしいハリーがいて、そのわきにロンとハーマイオニーが屈みこんで、その上からネビルとルーピン先生が覗き込んでいる。
「顔色が悪い。平気か?」
「……すごく、気分が悪い。車酔いじゃなくて、まったく別の気持ち悪さ」
「そうだろうな。さっきのは
「よく知っているね」
ルーピン先生が巨大な板チョコを割り、その欠片をみんなに配りながらクラウディアに言った。クラウディアはチョコを受け取り、「当然だ」と胸を張った。
ルーピン先生は「運転手と話してくる」と言い残して通路へと消えた。せっかくなので、頂いたチョコレートを口に含む。……おいしい。たちまち手足の先まで一気に暖かさが広がった。
おれが食べたのを見て、他のみんなも恐る恐るチョコを食べ始めた。
コンパートメントにいたみんなが言うには、吸魂鬼が現れると、ハリーは硬直して座席から落ち痙攣し、おれは隣のクラウディアに体を預けて浅い呼吸を繰り返し動かなくなったそうだ。そこをルーピン先生が杖から出した銀色の何かで、吸魂鬼を追い払ってくれたとか。
「前の二人の先生よりはまともに杖を扱えるみたいだ」
「……そうみたいだね」
ルーピン先生が戻ってきた。先生はハリーとおれを順番に見てから、少し笑った。一瞬、何か思い出しそうな気がしたけど、多分気のせいだ。だっておれはこの先生とは初対面なんだから。
「あと十分でホグワーツに着く。ハリー、エドガー、大丈夫かい?」
なぜ名前を知っているのか、おれたちは聞かなかった。
到着まで、みんな口数が少なかった。やっと汽車がホグズミード駅に停車し、みんな一斉に下車した。生徒たちは疲れた表情なのに、動物たちは元気そうだった。
人並みに流されて、ぬかるんだ馬車道に出た。そこに、ざっと百台の馬車が生徒たちを待ち受けていた。馬車を引いているのは目が白く、骨ばっていてドラゴンの様な翼を生やした黒毛の馬だった。
見たことがない馬だったのでしばらく観察していたかったけど、クラウディアに引っ張られて馬車に乗り込んだ。
馬車の中には見覚えのないレイブンクローの少女がいた。ダーク・ブロンドの髪に銀色の大きな瞳の、かわいらしい顔立ちだ。コルクで作ったネックレス、蕪のイヤリング、生きた獅子の帽子など不思議な装飾品を身に着けている。
「ねえ、あんたは見えるの?」
「何が?」
「セストラル。この馬車を引いている天馬だよ。死を見たことがある人にしか見えないんだ」
「それなら見えたけど……おかしいな、おれ、誰かの死を見たことなんてないはずだけど」
「ふうん。おかしいんだね」
少女はぼんやりした声と眼差しを、次にクラウディアに向けた。
「ねえ、この子人間じゃないでしょ?」
「よくわかったね」
「わたしは吸血鬼のクラウディアだ。おまえは?」
「わあ、やっぱり。あたし、ルーナ・ラブグッドって言うんだ。そっちのあんたは?」
「エドガー・クロックフォード。ハッフルパフの三年生だよ」
……なかなか物怖じしない性格のようだ。
不思議少女ルーナとしばしの遣り取りをしている間に、馬車はホグワーツ城に着き、停車した。
クラウディアが真っ先に降りて、次におれ、最後に手を貸したルーナが無事に降りるのを見届けると、馬車は去っていった。
ルーナとはそこで別れ、クラウディアと共に玄関ホールに入った。大広間に向かおうとしたところで、誰かに名前を呼ばれた。
「ポッター! グレンジャー! それからクロックフォードとクラウディア! 私のところにおいでなさい!」
振り向くと、マクゴナガル先生が生徒たちの頭越しに向こうの方から叫んでいた。人混みをかき分けて先生の元へ行くと、ハリー、ハーマイオニーと共に先生の字部室に案内された。
ハリーとおれは汽車の中で気分が悪くなったこと、クラウディアは森で暮らすにあたりいくつかの注意事項(生徒に危害を加えない、森の生物にも危害を加えない。以上)、最後にハーマイオニーがマクゴナガル先生と二人きりで時間割の話をして、ようやく解放された。
大広間に戻った時には組み分けが終わっていて、二年連続で見逃した事を残念に思いながら、ハッフルパフのテーブルについた。懐かしい面々が出迎えてくれる。
「エド、気を失ったって聞いたが本当か?」
「う、それもう広まっているの? 恥ずかしながら、その通りだよ」
「僕たちの中じゃ一番図太く見えるのに、意外ですね」
「まったくだな」
「みんなひどいなあ。少しくらい労わってくれてもいいんだよ?」
校長先生が挨拶するために立ち上がったので、おれたちは会話を中断した。
ダンブルドア先生の話によると、今ホグワーツはアズカバンの吸魂鬼を受け入れていて、彼らは学校の入り口と言う入り口を固めている。悪戯や変装に引っかからず、許可なしで学校を離れてはいけないそうだ。
それから、同じく今年から新任の先生が二人入った。一人はさっき大変お世話になったルーピン先生で、予想通り闇の魔術に対する防衛術の先生だった。スネイプ先生がこれまでにない憎しみの表情で先生を見ているのが気になったけど、吸魂鬼の対処法を知っているし、きっと頼りになるはずだ。
もう一人はハグリッドで、ケトルバーン先生の退職を機に魔法生物飼育学の先生になった。そういえば、今年の指定教科書の中に、「怪物的な怪物の本」なる噛みつく本があったけど、あれはハグリッドの指定だったのか、納得。
ダンブルドア先生の話が終わり、テーブルにご馳走が現れた。
「あー、ところでエドガー、その、気になっていたんだが……隣の子は誰だ?」
アーニーが指差したのは、クラウディアだ。
しれっとハッフルパフのテーブルに混ざって、おれの隣で料理に舌鼓を打っている。
「新しい家族。むやみに人を襲わない誇り高き吸血鬼のクラウディア。愛称はディアだよ」
「吸血鬼だって! 大丈夫なのか?」
おお、ハーマイオニーと同じような反応だ。
「平気平気。最近の吸血鬼はハイブリッドで、食事を取ればそれほど血液に頼らなくてもいいんだ。それでも最低限は必要だけど、月に一度、おれが提供する分で間に合っているんだ」
「まあ、私は提供してくれる分には拒まないがな」
「これが本物の吸血鬼ですか……僕、初めて見ました! マグル界でも吸血鬼を題材にした物語はたくさんありますが、彼らが総じて美形設定になっているのは、実物が美形だからなんですね」
あ、クラウディアが少し嬉しそう。
ジャスティンのおかげでみんなの警戒が解かれたのか、その後はクラウディアも交えて楽しく会話をした。
やがて食事が終わり、新たに監督生になったセドリックが今年の一年を先導していくのを眺めながら、おれたちも寮に向かった。
アナグマの巣を思わせる円形の談話室。ハチのような黄色と黒のインテリアが施された温かな雰囲気は、夏休みを挟んでも変わらない。
少しだけ口元を緩めながら、新たに「三年生」と書かれたプレートのある部屋に入り、そのままベッドに転がった。そういえば、クラウディアはどこで眠るんだろう。談話室に入ってから姿が見えないけど……。
エドガーがセリフではディア、地の分ではクラウディアと呼んでいるのに特に理由はありません。
今回はホグワーツ特急と吸魂鬼のお話でした。
みんな大好きルーナとリーマスも登場です。