穴熊寮からごきげんよう   作:秋津島

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「さあさあ、三巻です。今年は吸魂鬼を除けば命の危険はないので、一安心と言ったところでしょうか」
「今年の目標はずばり、シリウス・ブラックの無実を証明する事です」
「きっとエドガーなら、私が導かなくても良い結果をもたらしてくれる。そう信じています」


アズカバンの囚人
吸血鬼


 あるところに、クラウディアという吸血鬼がいました。

 クラウディアはまだ小さな少女ですが、一人でトランシルヴァニアの森の奥深くに暮らしていました。母は彼女が生まれてすぐ、父も数年前に名を上げに来た戦士によって倒されてしまったからです。

 幼くして独りぼっちになった少女は、誰かの温もりに飢えていました。

 

 ある冬の日の事です。

 いつものように、クラウディアが森の中で得物を捜し歩いていると、目の前に一人の老女が現れました。

 老女は言います。友人ときたがはぐれて迷ってしまった。よかったら案内してほしい、と。

 クラウディアはチャンスだと思いました。このまま自分の隠れ家に連れて行って、今日のディナーにしてしまおう。そう考えたのです。

 わかった、とクラウディアは頷いて、老女を隠れ家に案内しました。

 

 少女の隠れ家は、森の奥の洞窟の中です。雨風をしのげるし、広さも十分。寝床が固いのだけが唯一の欠点ですが、一年中涼しく過ごしやすい場所です。

 老女をそこに案内したクラウディアは、早速襲い掛かろうとしました。ところが。

 

 あなた、吸血鬼でしょう? ここに一人で暮らしているの?

 

 襲うタイミングを逃したクラウディアは、吸血鬼と見抜かれたことに驚きつつも、この後老女はディナーになる予定なので、教えたところで問題ないだろうと頷きました。

 すると老女は微笑みながら、驚くことにこう言ったのです。

 

 それなら、私と家族にならない? あなたと同じ年頃の孫もいるし、きっと仲良くなれるわ。

 

 クラウディアは今度こそ面食らいました。

 自分が吸血鬼と知りながら、家族になろうと持ちかけてくる人間なんて、今まで襲った者の中には一人もいなかったからです。

 かつては夜を支配し、今でこそ全盛期には及ばないものの、それでもまだその名が恐怖の対象になることがある吸血鬼を、笑顔で家族に迎えようとするなんて。吸血鬼の少女は、俄然この老女に興味が湧きました。

 

 おまえはどこの人間だ?

 

 イギリスよ。

 

 なぜわたしを家族にしようと?

 

 だって、一人は寂しいもの。それに、ここに一人でいたら、いつか誰かに襲われてしまうわ。こんなに可愛い子をそんな目に遭わせたくないの。ね、どうかしら。あなたが家族になってくれたら、私はとても嬉しいわ。

 

 今まで恐怖の対象にはなっても、このように心配される経験のなかった少女は混乱してしまい、結局その時は老女を晩餐にすることなく、彼女を友人のところまで案内しました。

 

 その日以降、老女は何度もクラウディアの元へ来ては、家族になろうと持ちかけてきます。

 初めこそ断っていた少女ですが、いつしか老女が来てくれることが嬉しくなりました。

 さらにその数日後、老女は言いました。

 

 ごめんなさい、私は明日イギリスに戻るの。これまでのこと、考えてくれたかしら。

 

 クラウディアは断りました。

 少しだけ、老女と家族になりたい気持ちもありましたが、ここトランシルヴァニアには両親との思い出があります。そう簡単に本当の家族と過ごした場所から離れる覚悟はできていませんでした。

 老女は少しだけ悲しそうな顔をしましたが、すぐにいつもの穏やかな微笑みに戻りました。

 

 そう。なら、私は来年もここに来るわ。家族にはなれなくても、一緒にいることはできるもの。少しだけ時間が空いてしまうけど、私のことを忘れないでいてね。私はドリス。ドリス・クロックフォードよ。

 

 老女は、ドリスはそう言って去っていきました。

 

 一人になった少女は、心が空っぽになった気がしました。

 これまで一人きりだった分、余計にドリスがいなくなった喪失感が大きく、何をしても気分が晴れません。いつの間にか、少女の中では自分に愛を注いでくれるドリスの存在が大きくなっていたのです。

 クラウディアは決意しました。来年、ドリスが家族になろうと言った時には、何も言わず頷こう、と。

 

 一年の間、クラウディアは両親との思い出を清算するため、森の中のあちこちを回りました。もっとも、母の記憶はまったくないので、実際に回ったのは父との思い出の場所だけでしたが。

 高い木に登って森全体を一望したり、森の入り口付近まで行って人間を驚かせたり、小川で水遊びをしたり、ふくろうやネズミ、蝙蝠や狼などとたくさん遊びました。

 

 そして、一年が経ちました。

 ドリスはやってきました。そして、あの穏やかな微笑みで言いました。

 

 あら、こんなところに可愛らしい子がいるわ。

 ねえあなた。もしよかったら、私と家族にならない?

 

 クラウディアは何も言わず、大きく頷きました。そして、こう返しました。

 

 わたしはクラウディアだ。これからよろしくな。

 

 

「……と、いうのがわたしとドリスの馴れ初めだな」

 

 クラウディアは数枚の羊皮紙を差し出して、そう言った。

 

「あ、うん。詳しく教えてくれてありがとう。でも、物語風にする必要あった?」

「字を書く練習だ」

 

 ホグワーツから帰宅したその日、祖母のドリスがルーマニアから連れ帰った吸血鬼の少女を「新しい家族」と紹介した時には、さすがのおれもしばらく開いた口が塞がらなかった。

 それでも、数日もすればおれも彼女に慣れて、頻繁にクラウディアに話しかけるようになった。

 初めこそおれを警戒していたクラウディアもまた、次第に打ち解け、夏休み中盤ともなればこうして自分とドリスの馴れ初めも語るようになった。

 

「ところで、ディアは日傘があれば太陽の下にいても平気なんだね。最初に会った時は驚いたよ」

「ああ、そうだろうな。ここに来てからいくつもの文献を読んだが、吸血鬼に関する情報は軒並み古い。大概が全盛期の頃の特徴だ」

 

 クラウディア曰く、全盛期は「怪力無双、変幻自在、神出鬼没、不老不死」と称される力を持っていた吸血鬼も、今となっては全体的に弱体化しているとのことだ。

 怪力も控えめになったし、大半の吸血鬼は体を霧や動物に変える術を忘れてしまった。催眠術や動物を操る技の精度もがくんと落ち、天候を操れる者など数えるほどしかいない。

 それから、体質も年月を経るごとに人間に近くなった。心臓に銃弾が当たれば死んでしまうし、首を切られれば即死。定期的に血液のほかに食物を取らなければ餓死するし、寿命で死ぬことも多くなった(それでも、寿命は人間よりはるかに長いが)。今や不老不死はないに等しいのだそうだ。

 それに、昔は日光に当たるとすぐさま灰になっていたが、今では日傘を一つ持てば大手を振って太陽の下を歩けるようになったし、太陽さえなければ昼間でも活動できる。聖水はシャワーのようなものだし、ニンニクの匂いで退散することもなくなり、十字架や護符もほとんど効果は薄いのだとか。

 

「要するに、わたしを含む一部の吸血鬼以外は、今や『少し体が頑丈で、血を吸って生きる』ことを除けば普通の魔法使いと同等なのだ。悲しい事だがな」

「ん? ディアは強いの?」

「当たり前だ。父に鍛えられたからな。体を霧や狼、蝙蝠に変えることができるし、催眠術も動物操る術も、そこらの吸血鬼に引けをとらない。エドガーくらいなら小指一本で持ちあげられるし、範囲こそ狭いが天候だって操れる」

「へえ。ディアもディアのお父さまも強かったんだ」

「もちろん。自慢の父だ。レタスしか食べられなくなる呪いさえかけられなければ……飢えて死ぬこともなかったのに」

「それって……」

 

 ふと、去年使っていた教材を思い出した。

 闇の魔術に対する防衛術の教授、ギルデロイ・ロックハートの著書の中に、確かそのような呪いをかけられて討伐された吸血鬼がいたはずだ。いや、いた。芝居で演じたことがある。場所は……トランシルヴァニアの森だったような……まさか。

 

「ねえ、もしその戦士が見つかったとしたら、どうする?」

「そうだな……。父の信条は『力こそ正義』だったから、父を負かしたその戦士の実力は認めている。だから敵討ちはしない。強いて言うなら……強者の血の味が気になるから、血液を提供してもらいたいな」

「吸血鬼らしいね」

「吸血鬼だからな」

 

 ロックハートは忘却術を使い、たくさんの戦士の功績を自分のものとして世に公表していた。現在はその罪を認めて清算している最中だと聞いたが、彼に会いに行けばその戦士の詳細が聞き出せるかもしれない。

 その旨を伝えると、クラウディアは口角を上げて「ほう、それはいい事を聞いた」と目を光らせていた。

 

「それにしても、ドリスといいおまえといい、吸血鬼に対する恐れはないのか? トランシルヴァニアの方では吸血鬼(ノスフェラトゥ)は今でも恐怖の対象だぞ。イギリスにだって、我々の同胞はいるはずなのに」

「そうだね――」

 

 言いかけたところで、来客を告げるベルが鳴った。

 はて、誰だろう。夕食は終わった時間だし、外は真っ暗だ。こんな時間に郵便が来るはずないし、お祖母さまから来客の予定は一つも聞いていない。

 

「ディア、お祖母さまを呼んできてくれる? 部屋にいると思うから」

 

 クラウディアに告げて、おれは玄関まで急いだ。

 扉を開き、来客の正体を確かめると――ホグワーツの友達、ハリー・ポッターだった。トランクと空の鳥籠を持ち、僅かに息を切らせている。背後でネセレが飛んでいるのが見えた。

 

 ネセレがヘドウィグと一緒にエロールを運んできたのは一週間前だった。

 ヘドウィグの足には手紙が二つ括りつけられていて、彼女は片方を差し出した。それによると、親戚のおばさんが一週間家に泊まるから、エドガーかロンのどちらかの家でヘドウィグの面倒を見てほしいとのことだった。

 エロールをロンの家に届けてからまたこっちに来るのは二度手間なので、おれはヘドウィグをロンに任せることにしたのだ。

 それから、手紙曰くそのおばさんはハリーの苦手な人らしいので、心配だったから定期的にネセレに様子を見に行かせていたのだけど……。まさかハリーと一緒に帰ってくるなんて。

 

「えっと、いらっしゃいと言うべきかな。とにかく上がって」

「うん、ありがとう」

 

 とりあえずハリーをリビングに通し、お茶とお菓子を用意する。

 ハリーは部屋をきょろきょろと見回して、落ち着かない様子だった。

 やがて、お祖母さまとクラウディアもリビングにやってきた。

 

「あら、まあ。ポッターさん。こんなところでお会いできるなんて光栄だわ」

「お祖母さま、握手は後にして。それでハリー、どうかしたの?」

「あー、実は――」

 

 件の親戚のおばさんに両親を侮辱され、これまでたまったダーズリー一家への怒りが爆発し、気づいたらおばさんに魔法を使ってしまった。そのまま勢いで家を出て、彷徨っていたところをネセレに先導され、ここに辿り着いた。と、そんなことをハリーは言った。

 つまり、ハリーはついさっき正面から「未成年魔法使いの制限事項令」を破ったということか。抜け穴を利用して日常的に魔法を使っている身としては、何と言って慰めればいいか……。

 お祖母さまも戸惑った顔をしている。気まずい沈黙が下りる中、静寂を破ったのはクラウディアだった。

 

「ふむ。おまえの事情はよくわからんが、その行動は正しいぞ」

「エドガー、この子は?」

「おれたちの新しい家族。吸血鬼のクラウディア。愛称はディア」

「えっ」

「その話は後だ。ハリーと言ったか? おまえは両親を侮辱されたから事に及んだのだろう? その行動は褒められこそすれ、咎められることはない」

「でも、僕は『未成年――』」

「人間の法は知らん。だが、肉親を侮辱される怒りはわかる。わたしも散々父について言われたからな。誇りに思う者たちを、彼らをよく知らん有象無象に馬鹿にされるなど、これほど腹立たしいことがあろうか。おまえは正しい。正しいことをしたんだぞ、ハリー。胸を張れ。おまえは両親の名誉を守ったのだ」

 

 あ、なんかいい話っぽくなってる。

 ハリーは救われたような顔でクラウディアを見ているし、クラウディアは「良い事言った」みたいな誇らしげな顔をしている。少し可愛い。

 

「ディアの言う事はもっともだわ。でもポッターさん、そんな風にご家族のところから逃げ出すなんて……。最近はある極悪犯も脱獄したらしい、あなたにもしものことがあったら大変だわ」

「それって、シリウス・ブラックのことですか?」

「……ええ、そう。彼よ」

 

 シリウス・ブラックは大量殺人の罪でアズカバンに収容されていた罪人だ。それが最近、脱獄不可能と言われていた監獄から逃げ出し、魔法界を連日騒がせている。ハリーの口振りから察するに、マグルの世界でも犯罪者として広く報道されているようだ。

 

「とにかく、ポッターさん。今日はもううちに泊まって、明日ダイアゴン横丁に行きましょう」

「あの、その前に、一つお願いしたいことが……」

「何かしら?」

「その、エドガーもいるからご存知だと思うのですが、ホグズミード訪問の許可証に、おじさんからサインをもらえなくて……それで……」

 

 ホグワーツでは三年生になると、週末に何回かホグズミード村に行く事が許可される。しかし、それには両親か保護者の同意署名が必要で、ハリーは先ほどの騒動でサインをもらわずに飛び出してしまったらしい。

 お祖母さまは眉を下げた。

 

「ごめんなさいね、ポッターさん。私はあなたのご両親でもないし、保護者でもないからサインできないの。でも、そうね。エドガー」

 

 お、これはもしや。

 

「もしポッターさんが今年ホグズミードに行けないようだったら、あなたも学校に残りなさい。いいわね?」

「やっぱりそう言うと思った。うん、わかったよ」

「ちょ、ちょっと待ってエドガー。君はいいの? ホグズミードに行けなくて?」

「まあ、ハニーデュークスは惜しいけど、ザカリアスたちに頼めば買ってきてくれそうだし。それに、おれが残れば少なくともハリーが一人きりになることはないでしょ? なら、いいかなって」

 

 にこにこと笑いながら返せば、ハリーもそれ以上何か言うことはなかった。

 その夜、空き部屋の一つをハリーに提供し、夏休みの間の出来事やクラウディアについて、学校の友達について夜遅くまで話した。

 翌日はお祖母さまの勧めで夜の騎士(ナイト)バスに乗ってダイアゴン横丁に行き(もちろん酔った。死ぬかと思った)、魔法大臣コーネリウス・ファッジ直々のお迎えを受け、ハリーは夏休みの残りを「漏れ鍋」で過ごすことになった。お祖母さまはこれを見越していたのだろうか。

 

 夏休みはあっという間に過ぎた。

 新学期に使う教材を買ったり、休みの間に一年間で習ったことを忘れないように再三復習をしたり、それ以外はダイアゴン横丁でのんびり過ごした。

 日が経つにつれてホグワーツの生徒の姿が多く見えるようになり、見知ったところだとジャスティンやスーザン、アルマなどを見かけて、しばらくは会話に花を咲かせたりした。

 夏休み最終日にはロンとハーマイオニーの姿も見つけた。せっかくなので、ちょうど一緒にいたハリーと四人で行動することにした。

 

「エドガー、これ見てくれよ。ピカピカの新品の杖」

 

 ロンはおれを見るなり、嬉しそうな顔で杖を差し出した。

 去年一年間、ロンは元々持っていた自分の杖が壊れた影響で、ずっとおれのスギの杖を使っていたのだ。

 やっぱり杖は他人のより、本人が直接買ったもののほうが馴染むよね。よかったよかった。

 話がひと段落すると魔法動物ペットショップに向かった。そこでロンのネズミ、スキャバーズの調子が悪いので見てもらったり、そんなスキャバーズを狙って飛び出してきたクルックシャンクス(赤くて大きな可愛い猫。一時期飼おうか迷っていた)をハーマイオニーが引き取ったり、色々あった。ああ、いいなあクルックシャンクス。今度触らせてもらおう。

 

 そんなこんなで日も暮れたので、おれは「漏れ鍋」に泊まる三人と別れて自分の家に戻り、明日の準備をしてベッドに入ったのだった。

 




幕間、夏休みと吸血鬼のお話でした。

今回から書き方が変わります。一文字空けです。
少しは読みやすくなったかな。

余談ですが、結構あの吸血鬼映画をご存知の方が多くて驚きました。

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