飾り気のない、ありふれた革の装丁の、少し埃を被った手記だ。
試しにぱらぱらとめくってみたけど中身はすべて白紙。
おかしいな、と首をひねって、数秒後に魔法がかかっていることに気づいて、1ページ目からきちんと開く。
しばらく待てばインクがにじむように文字が浮かび上がって、見慣れた右上がりの癖がある字が姿を見せた。
ふくろうか猫か
その日、おれはこの数か月ですっかり習慣になった運動、すなわち魔法動物ペットショップとイーロップのふくろう百貨店を行ったり来たりしながら、いつものごとく思案に暮れていた。
周囲の人々がおれの様子を見てなにやら囁き交わしているが、そんなことは知ったことではない。
そろそろ終わらせるべきなのだ。脳内で繰り広げられるふくろう派と猫派の争いを。そして、早く決めるべきなのだ。ホグワーツで共に過ごす相棒を。
そもそもの事の発端は、今から約四か月前、めでたくおれが11歳の誕生日を迎えた日までさかのぼる。
この世界に生きる魔法使いと魔女にとっては常識だが、魔法適性があると認められた子供には、11歳の誕生日の前後に魔法学校から入学許可証が届くことになっている。
魔女であるお祖母さまと一緒に暮らしていたおれも例に漏れず魔法適性を認められたようで、誕生日にはホグワーツ魔法魔術学校から入学許可証が届き、お祖母さまを大いに喜ばせることになった。
いやはや、あの時のお祝いムードと言ったら、クィディッチで贔屓のチームが優勝したとき以上の熱の入れようだった。
で、だ。
入学許可証を受け取ったおれは、翌日にはお祖母さまに連れられてダイアゴン横丁に足を運んでいた。
最初にマダムマルキンの洋装店で制服を買い、それから他の学用品も買い、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で教科書を一通り購入した。
「これで十分かしら。あとは杖とペットね」
「それなら、先に杖を買いに行きたいな。ペット選びは……なんとなく時間がかかりそうだから」
「ふふ。それならまずはオリバンダーの店に行きましょうか」
お祖母さまは微笑みながら歩き始めた。後を追ってしばらく進むと、紀元前三八二年創業、高級杖メーカーのオリバンダーの店に辿り着いた。
――魔法の杖。もちろん、見るのも触るのも初めてではない。それでも、いよいよ自分の杖を持てるのだと思うと朝から楽しみで仕方なかった。
と、そんなおれの思いを知ってか知らずか、お祖母さまは優しく微笑んで、剥がれかかった金色の文字が書いてある扉を開き、先に入るように促した。
中に入ると、奥の方でチリンチリンとベルが鳴った。小さな店内の置かれた古い椅子が一つだけ置かれていて、そこかしこから埃のにおいがする。おれは立ったまま店内を見回した。ここに来るのだって初めてではないが、やっぱり今までと今日では物の見え方が全く違う。これまでぼんやり眺めていた、天井近くまで整然と積み重ねられた何千という細長い箱の山も、中に自分に合う杖が潜んでいるのだと考えると、宝箱のように輝いて見えた。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声がして、店の薄明かりの中に大きな薄い色の目を輝かせた老人が現れた。オリバンダーさんだ。
「おや、ドリスじゃないか。二十四センチの栗の杖。今日はこの子の杖を探しに?」
「あなた、毎回人の顔を見るなり杖の特徴を言う癖はどうにかならないの? ええ、そうよ。私の可愛い孫の杖を探してちょうだい」
「こればかりは職業病じゃな。どれ、エドガー坊ちゃん、杖腕は左じゃな? まっすぐ腕を伸ばして――そうそう」
オリバンダーさんはお祖母さまと楽しそうに話しながら、肩から指先、手首から肘、肩から床など色々な寸法を測った。
それを終えると、巻き尺をしまって棚からいくつかの箱を取り出した。
「では始めましょうか」
結論から言えば、杖選び(オリバンダーさん風に言えば杖の持ち主選び)は非常に難航した。
振った杖のことごとくをオリバンダーさんに取られ、また違う杖を渡され、振ってはまた取られて渡されての繰り返し。自分に合う杖はこの店にはないのではないかと僅かに不安を覚えたものだ。
「ドリス、きみのお孫さんは難しいお客さんのようじゃ。どの杖でも一定の反応は示すのじゃが……どれもこの子の力を最大限に引き出してくれるものではない」
試し終わった杖の山がどんどん高くなり、比例するように不安が増大するおれに対して、オリバンダーさんは段々と嬉しそうな顔になっていく。そういえば、彼は杖探しの時間が長ければ長いほど喜ぶのよ、といつかお祖母さまが教えてくれたっけ。
「ふむ。ブナの木にドラゴンの心臓の琴線。二十五センチ、しなりやすい。さあ、どうぞ」
何十本目か分からない杖を渡され、流れ作業のように杖を振り下ろす。途端に杖先から銀色の閃光が飛び出して店内を暴れまわり、棚という棚からたくさんの箱が飛び出してしまった。「あらあら」とお祖母さまが呟いた。
「派手にやったわねえ」
今や店内は足の踏み場もないほど、箱と杖で覆われていた。
後で魔法を使えばどうにでもなるのに、この時のおれは大分焦っていたので、思わずその場にしゃがみ込んで、店内を片付けるために手近な杖を三本掴んだ。その瞬間、指先から何か暖かいものが流れ込んでくるのを感じた。
「おお、アカシアに一角獣のたてがみと、イトスギにセストラルの毛、それからスギの木に不死鳥の尾羽根。その中のどれかが君を認めたようじゃな。順番に振ってみると良い」
一本目は杖先から暖かな金色の火花が花火のように流れ出した。オリバンダーさんが「ブラボー!」と言った。
二本目は杖先から銀色の靄のようなものが、冷たい空気をまといながらおれの周りを囲んだ。オリバンダーさんは驚いたような顔をした。
三本目は振り下ろすと同時にまばゆい光が店内を包んで、気が付いたときには床を覆い尽くしていた杖と箱が元の場所へと戻っていた。オリバンダーさんは言葉も出ないようだった。
「なんと……不思議なこともあるものよ……」
「あの、おれに合う杖は一体どれだったんですか?」
「三本とも、じゃ。三つの杖が、揃って君を持ち主だと認めた。いやはや、不思議じゃ……」
「えっと……いったい何がそんなに不思議なんです?」
「一人の魔法使いがいくつもの杖を持つことは容易いことじゃ。しかし、一人の魔法使いが二本以上の杖に選ばれることはそう多くあることではないのだ。それも一度に三本に選ばれるなど、少なくとも私の知る限りでは君が初めてだ」
オリバンダーさんはぶつぶつと呟きながら、三つの杖を箱にしまった。
「お祖母さま、この場合はどれを買ったらいいのかな」
「そうねえ。せっかくなら、全部買いましょうか」
「え、いいの? でも新入生がいきなり三本も持ってたら変だよね」
「二本は予備としてしまっておけばいいわ。万が一ということもあるだろうし。そういうわけだから、ギャリック、この杖三つとも買うわよ。ちなみにあなたから見てこの子に一番合っていた杖はどれかしら?」
「ふむ……。アカシアと一角獣のたてがみが一番効果を発揮したように見える。二十八センチできわめてしなやか」
「ありがとう。じゃあエディ、学校ではこの杖をメインに使いなさい」
と、こんな感じでおれはまさかの杖複数所持者となった。
オリバンダーさんのお辞儀に見送られて店を出た時にはすっかり日も落ちていて、ペットを選ぶ時間は少しもなかったから、その日はそのままお祖母さまの「姿くらまし」で家に戻った。
次にダイアゴン横丁に足を運んだのは数日後だった。
ペットを選ぶために一人でダイアゴン横丁に向かい、まずはイーロップのふくろう百貨店へと足を運んだわけなのだが……。
「ここが、楽園だったか」
思わず呟いてしまうほどの衝撃を受けた。
いやあ、今までこの店は通り過ぎるときに少し見るくらいだったから全く気付かなかったけど、ふくろうってかっこいいですね。凛々しい顔立ちに整った毛並、賢さの溢れる佇まい。魔法学校に入学する子がこぞってふくろうを飼いたがる理由が今理解できたような気がする。
そのまま一羽一羽を眺めているうちに時間を忘れてしまい、結局ふくろうの魅力に気づいただけで一日を終えてしまった。
その翌日は魔法動物ペットショップへと足を運んだ。イーロップの方へ行けばまた一日を浪費してしまいそうだったし、こっちにもどんな動物がいるか見てみたかったからだ。その結果。
「ここも、楽園だったか」
二度目の感嘆である。
今回おれが心を奪われたのは、猫である。愛嬌のある顔立ち、悪戯めいた仕草、気だるさと気品を備えた姿に、昨日と同じ轍を踏んでしまった。つまり、また一日浪費してしまった。
ああ、こんなことなら普段から動物と関わって魅惑耐性を付けておくべきだったな。
まさか、杖選びよりもこっちに時間をかけることになるなんて、思ってもみなかったよ。
「……まあ、入学までに時間はまだあるから、焦らずゆっくり決めなさい」
ため息交じりにお祖母さまは微笑んで、その言葉に感謝しつつ、その日からおれは、時間を見つけてはダイアゴン横丁へ足を運んで二つの店を行き来していた。
それを一か月も続ければどちらの店の店員にも顔を覚えられてしまい、二か月を過ぎるころにはすっかり顔なじみになって、今ではすっかり友人のような雰囲気である。彼らの瞳の奥の、「早く買ってね」というメッセージを除けば。
さて、そんなこんなで二つの店の常連客となったが、今日の日付は7月31日。入学一か月前。いい加減、そろそろ、決めなくてはいけない。
腕組みしつつ考える。心なしか視線の量が増えてきたようだけど、そんなこと気にしている場合ではない。
猫か、ふくろうか。どちらかを選ばなければいけないのだ。
「まだ悩んでいるのかい」
その時声を掛けてきたのは、すっかり顔なじみになったイーロップの店員だった。視線を上げれば、彼と、魔法動物ペットショップの店員が並んで立っていた。
「はい。何か月もお待たせして申し訳ありませんが、まだ決めかねているんです」
「そうだろうと思ったよ」
二人の店員は顔を見合わせて笑った。そこで、ようやくイーロップの店員の方が後ろ手に鳥籠を隠していることに気づいた。おれの視線を正しく理解した店員は目を細めて、それを体の前に持ってきた。
吸い込まれるような黄昏色の瞳、赤みのある黄褐色の羽には、斑や縞で不思議な模様が描き出されている。ある種の風格さえ感じさせる堂々とした佇まい。――文句の付けどころのない、美しいワシミミズクがこちらを見つめていた。
「俺たちで相談して選んだんだ。君にぴったりじゃないかって思ってね」
「どうだい、気に入ってくれたかな」
「……言い値でかいます」
こうして、二つの店の店員の好意により、おれはようやく七年間を共に歩む相棒を見つけることができた。
揃ってお礼を言う店員と、ふくろうを買いに来たらしい大男(一瞬何かが見えたような気がしたが、きっと気のせいだろう)を視界の端にとどめながら、意気揚々と家路についたのだった。
主人公がペットを選ぶだけという、なんとも実のないお話でした。
記念すべき賢者の石一話目なのに、なんということでしょう。
いやあ、でも実際猫かふくろうかの選択を迫られたら迷いませんか? 私は迷います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
※7/25加筆しました。やっぱり杖選びのシーンは必要ですよね。
杖三本持ちが決定しました。