愛縁航路   作:TTP

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Ex2-6 刻まれた名

 ゆっくりと、意識が覚醒していく。

 辺りは薄暗く、埃っぽい。鼻をつくのは、黴びた臭い。下は石畳なのか、ごつごつしていてお尻が痛い。

 

「ここは……」

「目を覚ましたか」

 

 隣からかけられた声は、聞き慣れたもの。

 はっと気が付いた恭子は、顔を上げた。すぐ傍にいたのは、エプロンドレス衣装に身を包んだ弘世菫だった。

 

「菫――んうっ」

「両手両脚、縛られてる。無理に動かないほうが良い」

 

 菫の言うとおりだった。荒縄で後ろ手に縛られ、足首もきつく締め上げられている。身動きを取るのは困難だった。せっかく作って貰った巫女装束も、あちこち汚れてしまっている。申し訳なさと悔しさで、歯噛みした。

 

「後ろを見てみろ」

 

 言われた通りに、首を回す。そこには後三名のアイドル雀士たちが、寝転がっていた。意識はないようだが、呼吸はしている。怪我もないようで、ひとまずはほっと安心するが、のほほんとしている状況ではない。

 

「また厄介な事態に巻き込まれたな。私も油断した、たぶん飲み物に盛られた」

「うん……ごめん、菫」

「どうして恭子が謝るんだ。ストーカーの仕業じゃないのか」

「その可能性もゼロやないけど……たぶん、犯人は」

 

 ようやく、目が暗闇に慣れてきた。部屋と言うよりは、廊下のように細い道の一角であった。

 直感的に思い当たったのは、東帝大学七不思議に出てくる亡霊が住まう地下通路。――まさか、ここがそうなのか。

 

少し離れた場所に、見張りなのだろう、長身の女が突っ立ってスマートフォンを弄っている。少なくとも、恭子の友人ではない。冗談でも、友人たちはこんな真似をしない。

 だが、

 

「たぶん、うちら絡みの事件や。菫たちは、巻き込まれたんやと思う」

「……どういうことだ?」

 

 確証はない。だが、自分に声をかけてきたあの女。そしてこの見張りの女もそうだ。――見覚えがあった。

 思い過ごしかと言うには、あまりに大きなひっかかり。無視できない、できるはずもない、忌まわしい記憶。

 

「あぁ、目が覚めた?」

 

 見張りの女が、近づいてくる。菫と共に、恭子は身構えた。縛られたままでは、ろくに抵抗できないのだが。

 

「あんたは……やっぱり……!」

「あら。覚えてたのね。説明の手間が省けるな」

 

 三年以上前、恭子が東帝大学に入学した頃。

 現在の麻雀部が恭子たちの手によって生まれる前、東帝大学麻雀部が古豪と呼ばれていた時代があった。

 しかし当時、麻雀部は袋小路に立たされていた。その状況を打開すべあく、取り立てられた雀士たち――彼ら彼女らは、文字通りあらゆる手を使った。

 その結果、麻雀部は事実上の廃部となった。恭子の艱難辛苦の大学生活の始まりでもあった。

 

「私たちのことなんか、すっかり忘れてると思ってた」

「あんたら、いまさらこんなとこ来て何の真似やっ」

「んー? 別に、大した理由じゃないけど。あんたたちは楽しそうに麻雀打って、大学祭楽しんでるのにさ。こっちは放校処分だよ? 不公平だと思わない?」

「それはあんたらがイカサマなんかしたからやろっ」

 

 恭子の言葉を聞いた女は――かつての先輩は、その瞳をぎらつかせる。恭子は臆することはなかったが、ばちんと頬を張られた。悲鳴は、意地でも上げなかった。

 

「……っ!」

「こっちだってねー、頼まれてやったんだよ。東帝の麻雀部を強くしてくれって。なのにこの仕打ちだよ。ちょーっと復讐したくなる気持ち、分からない?」

 

 分かるものか。口の中に広がる血の味を噛み締めながら、恭子は先輩を睨み付ける。彼女はわざとらしく肩を竦めて言った。

 

「抵抗さえしなきゃ取って食ったりはしないよ。とりあえず、あんたたちのイベントを潰せれば胸もすくってもんよ。そのくらいする権利、私たちにあるでしょう?」

「ふざけるな。こんなことしてただで済むと思っているのか。下手をしなくても警察沙汰だぞ」

 

 食い付いたのは、菫だった。恭子を庇うようにして前に出て、女と睨め付ける。しかし女は、からからと笑うばかりだ。

 

「別にこっちは失うものもないし。そういう連中ばっかりだよ、うちら。楽しそうなあんたたちに一泡吹かせられればそれで良いの」

 

 逆恨みもいいところだ。だが、女からは偏執的な狂気を感じる。まともな理屈が通じる相手ではないのは確かだった。元々公式大会でイカサマや恐喝にも抵抗のない連中なのだ。

 

 ――この人、ほんまにやばい……!

 

恭子は、麻雀部を潰した先輩たちのことを知っていたつもりだった。しかしながら、実際には付き合いはなかったも同然。何も知らなかった。こんな事態に発展する可能性に、至れなかった。

 

「じゃ、暫く静かにしててね。メンドくさいのは嫌だからさ」

 

 女は立ち上がって、踵を返す。

 そう簡単に、屈するわけにはいかなかった。――帰らねばならない。きっと今、後輩たちがイベントを上手く進行させるべく尽力していることだろう。彼女たちは、諦めが悪いのだ。ならば、端役とは言え、舞台に立つ身である。彼女たちに応えるため、元の場所に帰らなくてはならないのだ。

 何より、いつまでも心配をかけるわけにはいかない。

 

「恭子――」

「ん……!」

 

 先輩と話しながらも、恭子はどうにか縄を解けないか抵抗していた。菫の助けもあり、どうにか両脚を縛る縄を緩めることに成功した。

 

「このぉっ!」

「っ? なっ?」

 

 そのまま先輩に向かって体当たりする。不格好ながら、攻撃は成功した。押し倒して、その間に自分一人でも逃げ出せれば――という考えは、甘かった。

 

「きゃっ!」

 

 突如通路の奥から出てきた大柄の男に、逆に押し返されて尻餅をついてしまう。見張りがもう一人いたことまで、思い至らなかった。

 

「恭子っ!」

 

 菫の呼びかけが、遠くに聞こえる。

 見上げれば、怒りで顔をどす黒く染め上げた男と女がそこにいた。――ああ、これ、あかん。まずい。逃げようにも、腕の自由が利かず

 振りかぶられる腕。恐怖で目をぎゅっと閉じる。

 

 待ち構えていた衝撃は、いつまで経っても来なかった。

 代わりに、ずしん、と地面に何かが叩き付けられる音が聞こえた。

 

「あ――」

 

 ゆっくりと目を開いた先、そこにあった光景は、ずっと待ち望んでいたもの。

 恭子に襲いかかろうとしていた男が、逆に地面に叩き伏せられている。叩き伏せたのは――

 

「京太郎っ?」

「無事ですか先輩!」

 

 京太郎だった。再会に浸る余裕はなかったが、恭子は安堵の息を漏らす。――来てくれた。こんなどことも知れぬ場所に、助けに来てくれた。嬉しい、なんて一言で済ませられる

 

「大人しくしやがれ……っ! そっちも、動くなよっ」

 

 京太郎は男を組み伏せ、女の動きを牽制する。

 これで何とかなったか、と思いきや、

 

「残念だったね」

「な……どんだけ仲間おんねん……!」

 

 さらに奥からぞろぞろと、見知らぬ顔が現れる。京太郎も渋面を浮かべる。一人で立ち向かえる人数ではなかった。

 にやにや笑いを浮かべる女を、恭子は睨み付ける。足手まといと分かっていても、京太郎の背後に隠れるわけにはいかなかった。

 しかし、

 

「大丈夫です」

「え……?」

「手は、打ってますから」

 

 その内容を問うよりも早く――恭子は集団の後方に、彼女の姿を見つけた。

 

 

「獅子、原――?」

 

 

 獅子原爽。最強アイドル雀士決定戦の、真の企画者。

 まさか、やはり、あいつも――この連中と通じていたのか。目的は不明だが、まんまと口車に乗せられたというわけか。ぎり、と恭子は奥歯を噛み締める。

 だが、異変は次の瞬間起きた。

 

「ひゃああああっ?」

 

 奇妙な悲鳴が、同時多発的にあちこちで上がった。京太郎と恭子を取り囲んでいた人間が、次から次へと崩れ落ちて悶絶していく。

 

「な……なんなんっ? なんなんこれっ?」

「間一髪ってところかな。これで全員、みたいだね」

 

 悠然と歩み寄ってくるのは、獅子原爽だった。なおも身構える恭子だったが、

 

「ありがとうございます、助かりました」

 

 京太郎が、あっさりと警戒を解いていた。

 

「須賀くんが飛び出していったときはどうなることかと思ったよ」

「う……す、すみません」

「まあおかげで隠れてた連中も一斉に釣れたし、結果オーライだ」

 

 ようやく、恭子は事情を呑み込む。

 京太郎と爽は、二人で助けに来てくれたのだ。

 

「とりあえず、攫われた人たちを解放しないと」

「せ、せやな」

 

 両手を縛る縄も解いて貰い、菫たちを助け出す。代わりに、かつての先輩とその一味を縛り上げた。どういう力が働いているのか、彼女たちは全員恍惚の表情を浮かべて気絶していた。大学祭実行委員の面々もなだれ込んできて、ひとまずは一安心と言ったところか。

 

 捕まっていた他のアイドル雀士たちも全員発見し、皆目を覚ました。全員怪我一つなかったのが幸いであった。

 

「うちのせいや。ほんまごめん、みんな」

 

 恭子としては、彼女たちに頭を下げるしかない。だが当の菫たちは、

 

「そんなわけがあるか。第一お前も被害者だ。それよりも、まだイベントは続いているんだろう。さっさとここを出るぞ」

「せ、せやけど警察にも通報せんと……あんたらかて、こんな目に遭って大丈夫なん」

「後できちんと対応する。今ここでイベントに穴を空けられたら、困るのはお前たちだろう」

「そういうこと」

「気にしないで下さい」

 

 恭子は、何も言えなくなる。京太郎が先導する形で、先に菫たちが外に向かっていった。

 爽と二人残されて、恭子は気まずくなる。にこにこ笑う彼女の顔を、まともに見られやしない。

 

「……すまんかったな」

「なんでまた謝るの。背景は分かったけど、完全な逆恨みじゃん」

「いや、その。そっちじゃなくて。……あんたのこと、疑ってしもたから」

 

 きょとん、と爽は目を丸くする。その後、彼女は膝を叩いて笑った。

 

「私が人攫いだと思ったのか」

「あんた、担当アイドルを勝たせたいみたいなこと言うてたもんやから」

「確かに色んな手を尽くすのが私の仕事だけど――他人を引きずり下ろしての勝利に、価値なんてないだろ。ユキも、喜ぶわけがない」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。

 

「頬、殴られたんでしょ? 大丈夫?」

「心配あらへん。うちの出番は、後は打つのと閉会式くらいしかあらへんし」

「でも、そんなに汚れてたら格好悪いぞ」

 

 爽は自分が汚れるのも厭わず、恭子の巫女装束から埃を払う。恭子はそれを止めかけたが、結局はされるがままだった。

 

「……なぁ」

「なに?」

「その……この間、きょうた……須賀と、何話したん?」

「ああ、そのこと」

 

 爽はどこか恥ずかしげに笑った。

 

「彼も中々の有名人だろ。ユキの応援を頼もうと思ったんだ。アイドル雀士決定戦で有利になれるようにね」

「……そういう手段は選ばへんのやな」

「ルールには反していないし」

 

 悪びれずそう言う爽に、恭子は胡乱げな眼差しを送る。だが、爽は全く気にしていない様子で、恭子のリボンを整えた。

 

「ま、あっさり断られちゃったんだけどね。報酬まで用意したんだけど、だめだった」

「え、そうなんや……なんでまた……?」

「そりゃあ――」

 

 答えようとしていた爽の口が、急に止まる。にんまり笑うと、彼女はぱっと恭子から距離を取った。

 

「はい、おしまい。私たちも行こうか」

「ちょ、ちょお待ち――!」

「待たない。後は本人に訊いたほうが良いよ」

 

 制止の声も届かず、さっさと爽は去って行く。大事な部分が聞けないままだった。

 ひとまずこの場は実行委員に任せて、恭子は爽の背中を追った。狭い地下通路を抜け、階段を登ると、待ち受けていたのは見慣れたキャンパスだった。既に陽は傾き始めている。

 

 ほっと一息吐く一方、爽の姿が見えない。

 代わりにすぐそこにいたのは、京太郎だった。どきりと、心臓が跳ねる。しかし、なにはなくとも最初にやっておかなくてはならないことがあった。

 

「ごめん、京太郎――っ」

「すみません、恭子先輩――っ」

 

 二人同時に頭を下げ合った。これまた二人同時に顔を上げ、視線がぶつかり、それから二人揃って笑ってしまった。

 

「とりあえず……行こか。煌ちゃんたちが待っとる」

「そうですね。こっちです」

 

 問題は山積みだ。今回のトラブルが表沙汰になったとき、批判が東帝大学麻雀部に向く可能性は充分にある。だが、そのときは自分が盾になろう。恭子は密かに決意する。

見方を変えれば、自分が卒業する前に、残された膿を出し尽くせたとも言えるのだ。そのためにもまずは、目の前の仕事を全うしようではないか。

 

 前を歩く京太郎の服は薄汚れ、よく見れば肌の見える箇所はあちこち擦りむいた跡があった。自分たちを――自分を探すため、どれだけ駆けずり回ったのだろう。どうして爽の申し出を断ったのか、気になってしまうが――今は、詰問などできなかった。ありがとな、と小声で呟くに留まった。

 

「……ん?」

 

 そんな恭子の目の前で、ひらりと一片の紙が舞った。京太郎のポケットから落ちてきたのだ。反射的にそれを拾い上げた恭子は、そんなつもりはなかったが、その中身を確認してしまった。

 

 それは、最強アイドル雀士決定戦・人気投票の投票用紙だった。既に、投票先の名前は書き込まれていた。

 書かれた名前を見て、恭子は――顔を真っ赤にして、その場から動けなくなってしまった。不審に気付いた京太郎が呼びかけるまで、ずっと固まっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「負けた負けた」

 

 どっぷりと陽は落ち、三日間続いた大学祭は先ほど閉会式を終えた。明日の朝からは後片付けが始まるが、今はそんなことは考えずゆっくり休みたいところだった。何しろここ数日、ろくに眠っていない。

 獅子原爽は、担当アイドルの真屋由暉子にペットボトルの水を手渡す。

 

「お疲れ、ユキ」

「すみません、先輩」

「なんで謝るんだ」

「あれだけお膳立てしてくれたのに、勝てませんでした」

 

 表情一つ変わらないが、項垂れる後輩は随分責任を感じているようだった。爽は彼女の頭を撫でながら、

 

「ユキは充分頑張ったよ。負けたとはいえ、立派に上位に食い込んだし。――敗因を挙げるとしたら、私の努力不足だ」

「いえ、そんなこと――」

「やっぱり、無理矢理にでも須賀京太郎を引っ張ってこられたらちょっとは違ったと思うんだよ」

「先輩が目につけていた、彼ですか」

 

 ああ、と爽は笑いながら頷く。彼が味方にいれば、風向きは大いに変わっただろう。それだけは、間違いないと言えた。

 

「カムイまで使ったのになー」

「どうして断られたんですか? 先輩なら言うこと聞かせるのも、難しくなかったのでは?」

「ユキは私をどう思ってるんだ……。まあ、アレはどうやったって無理だね」

 

 少し恥ずかしそうな声で、しかしすっぱりと返ってきた答えを、爽は思い返す。

 

 ――すみません、獅子原さん。その話、受けられません。

 ――なんで? 悪い話じゃないと思うんだけど。

 

 あのときの彼の顔は、忘れられない。

 

 

 ――俺、末原先輩推しなんです。

 

 

「全く、こっちが恥ずかしくなって言えないって」

 

 実に楽しげに、爽は肩を竦めるのだった。

 

 

 

                    Ep.Ex2 偶像競縁フェスティバル おわり




これにて愛縁航路、全編完結です。
番外編までお付き合い下さりありがとうございました。

今後はコミケ等々イベント含めて活動していきたいと思います。よろしくお願い致します。

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