「というわけで提督、榛名さん、秋雲さんのためにひと肌脱いでくださいな」
「む?」
「……えっと」
急遽夕雲がおかしな事を言って部屋を出て行ったと思ったら、提督と何故か金剛姉妹の三女、榛名までも一緒に連れて戻ってきた。
二人共何も聞かされていないのか、困惑した表情で顔を見合わせている。
今日は提督の週一回の休日なので執務の邪魔になる事もなく、榛名も非番のため部屋かどこかでくつろいでいたか、いつもの金剛型の制服ではなくゆるふわ系統の白いワンピース姿だ
「ちょっと夕雲姉、提督はともかくなんで榛名さんまで連れてきてんのさ」
「漫画の被写体ともなると動きが必要でしょう? そして恋愛ものとなれば男女の絡みは必須、そのお相手役として一緒に来て貰ったの」
「相手役なら夕雲姉がやればいいじゃん」
「うふふ、勿論そのつもりよ? でも被写体は多い方がより描写の幅も広がるわ。榛名さんはとても女性らしい方ですし、性格的にも提督と相性が良いと思って」
説明しながら、適材適所でしょう? と夕雲は笑う。
確かに身長差からどうしても夕雲では不自然に見えてしまう絡みやポーズでも、女性の平均身長に近い榛名なら特に問題になる事も無い。提督の精神的負担の面でも基本穏やかな彼女は正直ベストチョイスだと言える。
デッサンは絵や漫画の基本だ。様々な被写体を描く事は秋雲にとっても良い練習になる。
なるほど正論だ。
てっきり勢いだけで動いてるものだと思ったが、なかなかどうして考えられている。
だが問題はそれだけではない。
「とりあえず理由は分かったけど、説得どうすんのさ? まだお願いする内容言ってないんでしょ?」
「大丈夫よ、任せて」
言って、夕雲は扉の前の二人に声を掛け、事のあらましを余すことなく説明していく。
そうして聞き終えた後の二人の反応は、案の定快諾とは言い難く、
「なるほど、絵の練習のためのモデル、か」
「は、榛名が提督と一緒に絵のモデルを……」
うーむと思い悩む提督と、何を想像したのか両手を頬に恥ずかしがる榛名。モデルといえど、脱ぐのは提督だけなので、正直榛名は合法的に提督と密着できる権利を存分に享受するだけでいいのだが……そこは純情な彼女の事、いまいち一歩が踏み出せない様子。
気持ちは分かる、だがここまでくれば秋雲としても折角の機会を逃したくはない。
「あー、榛名さんが恥ずかしいのは分かるんだけど、別に脱いで貰うのは提督だけだしさ。いっちょ恋人にでもなったつもりでちょちょっとやってもらえると助かるかなー、なーんて」
「こ、恋人っ……榛名と提督が恋人なんてそんな……えへへ」
「私が脱ぐのは確定事項なのか……」
「……秋雲さん?」
「ヒッ!? こ、言葉の綾だってば夕雲姉! 怖いから笑った表情で迫ってこないでってば!」
危うく夕雲に刺されそうになるのを、なんとか回避。
話を逸らすためにも、一人唸っている提督に声を掛ける。
「ね、提督は良いよね? 脱ぐって言っても男の人の体のラインを確かめたいだけで、黒のインナーは着てていいからさー」
「むう……まあ、私はそれで構わないとして、しかし榛名は無理にとは」
「うふふ、では提督は榛名さんに承諾してもらえれば、OKという事ですね」
「でも、榛名なんかが提督のお相手では……」
なおも控えめな反応の榛名に、ちょちょいと夕雲が手招き。部屋の隅に座り込むよう誘い、その手には一冊の薄い本が。
「えっと、夕雲さんなんですか? え、これを? 漫画、ですか、秋雲さんが……へえ」
――ホァアア!?
「そんなに慌ててどうした、秋雲……む? 夕雲が榛名に渡しているアレは――」
「い、いやいやいやなんでもないから提督は気にしないでよ! あの本は女性用モデルの参考書みたいなもので提督が見たら軽蔑されるやつだからいやほんとこれマジっす!」
「お、おお、そうなのか」
よもやあなたと私がモデルの薄い本ですなどと誰が言えようか。
提督を止めつつ慌てて振り向いた先――そこには笑顔の夕雲の隣で頭から蒸気を放ちながらも、秋雲の黒歴史に食入る様に熱中する榛名の姿が。
『エ、エ、アキグモサンソンナダイタンナ……』
『アラアラ、コッチハモットスゴイデスヨ』
『テガッ! テイトクのテガ、ソ、ソンナトコマデ……』
『ウフフ、モシテツダッテクレタラ、ハルナサンノホンヲユウセンテキニ……』
『…………』
なにやら二人してぶつぶつ呟く姿に、今すぐ駆け寄って本を取り上げたい衝動に駆られる秋雲だが、隣に提督が立っている手前それはあまりに危険すぎる。
もし提督にあの黒歴史を見られたら、それこそ駆逐艦秋雲一巻の終わりである。その時は夕雲も道連れに燃料満タンのドラム缶を背負って潔く海の藻屑と成り果てるしかない。
などと思考が黒く染まり始めた秋雲をよそに、しかしそれらの思考全てはおもむろに立ち上がった榛名の次の一言に掻き消された。
「提督、榛名は大丈夫ですっ!」
「……む?」
その瞳は輝いていた。先ほどまでの自信のなさは何処へやら、全身からキラキラを迸らせながら戻ってきた榛名はその両手で提督の右手を包み込む。
「提督、先ほどは申し訳ありませんでした。ですが、榛名は決心しました。不肖、この榛名、全身全霊をもって提督のモデルの
「あ、ああ。榛名が良いならそれでいいのだが」
「はい! 秋雲さん、よろしくお願いしますね! その……とても期待しています!」
「期待? 期待とは――」
「っ!? い、いやー、二人共親切でほんと助かっちゃうなー! よーし秋雲さんも張り切っちゃうぞー!」
「うふふ、秋雲さん、その意気ですよ」
瞬く間に外堀が埋められてしまった。
仕方がないので今度本を描く約束の旨を小声で伝えると、榛名は心底嬉しそうに礼を伝えてきた。こういう根っこの部分で積極的になるところなどは流石姉妹、長女の金剛によく似ている。
乙女の恋は常在戦場とはよく言ったものだ。
とりあえず諸悪の根源である夕雲に恨みの視線を送ってみるも、本人はどこ吹く風で提督にすり寄っていた。
まったくもって自由気ままな姉である。
「まーでも、こんな機会またとないし、やるからには秋雲さんも本気出しちゃうよ」
途端、秋雲の瞳に闘志の光が宿る。
それぞれ思惑はあれど、秋雲の趣味に付き合ってくれている事は紛れも無い事実。なにより先程からふつふつと湧き上がってくるイラスト欲への衝動が秋雲の脳内に告げていた――こんな美味しい機会そうないぞ、と。
とはいえ、提督に至っては勝手に薄い本のモデルにされるわ休日に急に呼び出されるわ、挙句の果てには半強制的に脱がされるわで、碌な目に遭っていない気もするが……まあそれはそれ、これはこれである。
「ていとくさんいろいろだまされていますです」
「われわれのていとくさんがなぐさみものにされてしまうまー」
「さすがにきぶんがこうようします」
「そんなことはない。夕雲も榛名も、秋雲の画力を向上させたいという真摯な想いを純粋に応援したいだけに違いない。いくら私でも、それくらいは彼女達の目を見れば分かるさ」
「とんだふしあなですー」
「これはいしゃもさじをなげるれべる」
「さすがにきぶんがこうようします」
いつの時代も技術の発展には犠牲が付き物で、人生諦めが肝心なのだ。
画材道具の準備に勤しみつつ、妖精さん達からの怪訝な視線を見なかった事にしながら、秋雲はとりあえずそう思う事にした。
大変な事になってしまった。
「提督、もうちょっと夕雲姉の肩支えてあげられる?」
「う、うむ、こんな感じでいいか?」
「もうちょい自分の方に引き寄せて……あ、うん。イイ感じ、そのままお願い」
用意された椅子に座りながら、榛名は右手で熱を持つ頬をぱたぱたと扇ぐ。
顔の火照りが治まらない。
提督と一緒に絵のモデルになる事を勢いで承諾してしまった事はひとまずとして――
「……辛くはないか、夕雲」
「うふふ、大丈夫です。なんならもっと引き寄せて頂いても構いませんよ」
――まさかここまでの密着具合を求められるとは。
戦艦榛名、早くも完全に誤算である。
目の前では提督に至近距離で腰を支えられ、うっとりとした表情で夕雲が彼に身体を預けている。制止する辛さがある筈なのに、とても幸せそうな表情だ。提督も秋雲のためという気持ちが強い所為か、妙な気負いも見られない。秋雲の絵の練習のためとはいえ、他の皆に見られたら暴動の一つや二つぐらい平気で起きそうな光景だ。
「ここはこう……いや、もう少し……うん」
その光景を前に、何やらぶつぶつ呟きながら真剣な表情で手を動かす秋雲。
なんて繊細且つ力強いタッチか。
「こんなに可愛らしい秋雲さんの小さな手から、あんなに大胆で素敵な作品が生まれるなんて」
先刻、夕雲に見せてもらった漫画には乙女の夢と希望が詰まっていた。普段理性的な榛名が羞恥心を放り投げてまで欲に走ってしまう事なんて、そうある事では無い。
つまるところ芸術の可能性は無限大である。
「……よしオッケ! ありがと夕雲姉。次、榛名さんよろしく!」
ついにその時が来てしまった。
物凄くつやつやとした表情の夕雲と交代して、緊張した面持ちのまま榛名は提督の隣に立つ。上着を脱いで、上半身黒のインナー姿の提督は、整った肉体美も相まって三割増しで男らしく見えてしまう。
「よろしく頼む、榛名」
「は、はい! でも榛名はどういったポーズをすれば……」
「うーん、そうだなあ……」
榛名の疑問に秋雲がとりあえず、と二人それぞれに細かい指示を一つ一つ伝えていく。
提督と榛名は言われた通りにポーズを取っていき、やがて榛名が壁際に背を付けながら提督の顔を見上げ、提督が榛名に覆いかぶさるようにして壁に手を付いたところで指示が止まる。
――あれ、これってもしかして……?
「うんうん、やっぱり恋愛ポーズの定番といえば壁ドンだよねー」
「あらあら」
なんて外野の呑気な声が聞こえるが、榛名にとっては正直それどころではなかった。
――ち、近いですっ! 提督のお顔がこんなにちかっ……ちかっ……近すぎますぅぅ!
やもすれば、唇と唇が触れてしまいそうな距離。
かつて榛名がこれほど提督と接近した事があっただろうか。元来乙女気質な榛名の密かな夢が、今この時叶った瞬間でもあった。
「でも、何か足りないなー……そうだ、提督ちょっと髪掻き上げてみてよ」
「髪を、こうか?」
「は、はわわ……」
ワイルドさを増す提督の姿に榛名の心拍はますます激しくなっていく。
これ以上はいけない。秋雲は榛名を心拍過多で殺す気なのだろうか。
「お、ワイルドさが出てイイねっ! じゃ、二人共その体勢で暫くよろしく!」
まるで鬼の所業とはこの事。
もはや尊みで魂が半分旅立っている榛名に、心配した提督が気遣わし気に声を掛ける。しかしこの状況で更に外見とのギャップを見せつけるのはある意味で悪手でしかなく、
「……なにか、すまんな榛名」
「榛名は、榛名は大好きですぅぅ……」
「む?」
思わずいっぱいいっぱいの榛名から本音がまろびでるのも致し方ない事なのである。
「このじょうきょうで」
「いまのていとくさんのすがたで」
「おだやかにきづかわれながら」
「やさしいことばをかけられたら」
「はるなさんがおかしくなるのもいたしかたなし」
そう、致し方ないのである!
もういい休め。何も知らない者がみたら思わずそう言ってしまいそうな、瞳はぐるぐる足はがくがく、それでも今の榛名が定められたポーズをギリギリで保っているのはひとえに強靭な責任感ゆえ。
現在この鎮守府にこれほど健気で真面目な艦娘が果たしてどれだけいる事か。
だのに眼前の鬼畜ポニーテールは、
「やっぱイチャラブ感が足りん。提督、榛名さんも膝がきつそうだし、腰に手を回して抱き寄せて」
そうかこれはきっと夢だ。
既に限界近い榛名の耳は秋雲の言葉を受け入れない。鎮守府の優秀な仲間達を差し置いて、平凡な榛名に提督関係でこんな幸福な事が起こり得る筈がない。
そんな榛名の思考とは裏腹に、ふとした瞬間彼女の腰はゆっくりと何か心地よい感触に包まれて、
「…………え?」
気が付けば榛名の全身は提督の逞しい二の腕と胸板の間にすっぽりと収まっており――そしてそこで榛名の意識はプツリと途切れた。
「あちゃー、榛名さんにはちょっと刺激が強すぎたかー」
がしがしと頭を掻いて近づいてくる秋雲に、提督はお姫様抱っこ中の榛名を優しく見やる。
「途中から少し様子がおかしかったようにも見えた。優しい榛名の事だ、知らず知らずのうちに私の相方というストレスを我慢して溜め込ませてしまっていたのかもしれん」
「あらあら、ちょっと幸せの許容量を超えちゃっただけで、そこまで心配しなくても良いと思いますよ」
ほらと夕雲が指さす先には、榛名の穏やかな顔。まるでとても良い事があったと言わんばかりに、その顔は幸せそうに微笑んでいた。
いや、死んでないけども。
結局、提督が背負って部屋のベッドまで運び、買い物から帰ってきた霧島に起こされるまで、榛名は幸せな夢の続きを見る事ができたのだった。
「なにはともあれ良い刺激になった! 改めて協力ありがとね二人共」
「いいんですよ秋雲さん」
「うむ、何かの役に立てたのならなによりだ」
榛名を部屋に運んだあと、部屋に戻ってきた提督と夕雲相手に改めて礼を伝える秋雲。
なんだかんだあったが、絵描きとして非常に良い刺激にはなった。その点に関しては素直に感謝している。榛名にも後日、ちゃんと礼を伝えるつもりでいる秋雲だ。
「でも提督にしては珍しいというか、夕雲姉にも榛名さんに対しても今日はどっか積極的だったよね? あくまで普段と比べてだけど、なんかあった?」
そんな秋雲の言葉に何故か夕雲がくすくすと笑う。
「流石の提督も、二期連続『提督と艦娘のコミュニケーション量満足度調査』でワーストになれば、気にもしますよねえ」
「いや、まあ、なんというかだな」
思わず後ろ髪を掻く仕草の提督に、あー、なるほど、と秋雲も苦笑を一つ。
確かあれは単なる艦娘側の我儘みたいなものが噴出した結果なので然して本営側も重要視していない筈だが、それで提督がもっと積極的になってくれるのなら意味もあるというもの。
艦娘一同、一致団結して要望書を送り続けた甲斐があったというものだ。……まあ提督には言わないけど。
「その事を除いても、折角秋雲が見つけた大切な趣味だ。それを続けられるよう、可能な限り応援したいと私は思っているよ」
「さっすが提督男前だねえ! 就きましては次のイベント用の画材購入費の援助を……」
「まったく、すぐに調子に乗るんだから秋雲さんは」
「あだだっ!」
夕雲に頬を引っ張られ、涙目になる秋雲。
二人の姿に提督も穏やかな雰囲気のまま、口元を緩ませる。
「そうだな、今月の娯楽費の項目を少し増やせないか大淀と相談してみよう」
「ああ゛~、提督の優しさに駄目になるんじゃ~」
「もう、提督はすぐにそうやって甘やかすんですから」
夕雲の苦言もそこそこに、こうしちゃいられないと秋雲がバッと飛び起きる。
そのまま早速机でイラストを描き始めようとする秋雲の肩を夕雲がガシッと掴んだ。
「あらあら、何をするつもりですか、秋雲さん」
「何って絵の続きだけど」
「駄目ですよ。今から秋雲さんには提督と一緒に、先ほどまで夕雲と榛名さんが行ったポーズ全て体感してもらわないといけないんですから」
「はあ!? なんで!?」
驚く秋雲に、どこからかカメラを準備する夕雲。
もしかしなくてもこの少女、撮る気満々である。
「なんでって恋愛をモチーフにする作家が、その時々の登場人物の心境を知らないで、どうやって良いものが描けるというの?」
「そ、それは……」
「提督もそう思いますよねえ?」
「私は絵を描く事について門外漢なので分からないが、夕雲が言うのならそうなのだろう」
「ほら、ね?」
何がほらねだ。
「で、でもほら、提督の貴重な休日をこれ以上邪魔するのも悪いしさ!」
「そこは気にしなくていいぞ秋雲。今日はこの後何も予定を入れていないからな」
「いやいやこんなところで貴重な積極性を見せなくてもいいから!」
「往生際が悪いですよ、秋雲さん」
夕雲に両脇から持ち上げられ、秋雲はずりずりと提督の方へ引っ張られていく
ジタバタと暴れる秋雲の頬は赤く染まっている。
「ちょ、ちょっと、は、放せ~! いやちょ、マジで駄目だって! あ、あんなの提督と一緒にとか無理、は、恥ずかしいから! だ、誰か助けっ、助け――」
その後、無理やり提督の懐に押し込まれた秋雲は真っ赤なリンゴのように頬を熟れさせながら、終始借りてきた猫の様に大人しく、提督と共に全てのポーズを追体験する姿を写真に収められたのだった。
数か月後、オータムクラウド名義で販売を開始した提督×ヒロインシリーズ物の同人誌は、そのクオリティの高さから瞬く間に鎮守府の噂となり、完売品が続出。
再販と新作を待ち望む熱狂的なファンから敬意を込めて、いつしかオータムクラウド先生と呼ばれるようになった。
結果としてこの時売り上げたお金を元手に、いずれオータムクラウド先生のサークルは某一大イベントの壁サークル常連と呼ばれるまでに成長するのだが。
これはその、ほんの始まりの日。彼女が伝説と呼ばれるようになるまでの些細なきっかけの始まり。
ちなみに今日の経験の後、秋雲は不本意にもヒロインの気持ちを自然と描写できるようになったとさ。
「うふふ、良かったわねえ秋雲さん」
「解せぬ!」