「そりゃ! その鮭は貰ったクマー!」
「うにゃ! 卵焼きいただきにゃ!」
「あ! おい球磨姉多摩姉そりゃないぜ!」
「はい北上さん、あーん」
「ダメだよ大井っちー。恥ずかしいよー」
「ふふ。恥ずかしがってる北上さんも可愛い」
「潮……あんたまた育ったんじゃない?」
「あ、ああ! ダメだよ曙ちゃん、そんなに触らないで~」
「こ、この揺れと弾みは!? ぐう……なんも言えねえ」
「確かに、これは反則」
「提督、何をしているんですか? 早く入りましょう」
「……うむ」
食堂への扉を前にして立ちすくねる私を他所に、加賀は若干嬉しそうに扉に手をかける。
今日もお昼時とあってか食堂は大繁盛のようで、扉越しからも楽しそうな声が聞こえてくる。今からこの輪に自分が入っていくと思うと胃が痛くなってくる。
だが、加賀が扉を開けるのと同時に漂ってきた空腹を刺激する匂いに思わず歩を進めてしまう。
「あ! 加賀さんお疲れ様です!」
「あら、吹雪。今日も元気そうね」
食堂に入った途端に一人の駆逐艦の少女がこちらに駆け寄って来る。
正義感が強くいつも元気で頑張り屋さんな彼女は特型駆逐艦一番艦の吹雪だ。今日は午前中に演習があったためほんのりと頬が上気しているが元気そうでなによりだ。
「加賀さんも今からお昼ですか?」
「ええ。今日はこの人と一緒に食べようと思って」
「え? でも赤城さんはもうあそこでお昼を……って司令官!?」
吹雪の心から驚いたというような声と共に一気に食堂内の雰囲気が変わる。
ある者は瞬時に大人の男一人が座れる空間を隣に作り、ある者はどこからともなく鏡とメイク道具を取り出し身だしなみを整え始める。ある者は握っていたカツ丼の食券を握り潰し、サラダとスープのセットに切り替える。
様々なところであらゆる乙女心が吹き荒れるが、その中心にいる男は何一つ気づいていないのだから報われない。
「司令官もお昼ですか!? 珍しいですね食堂にいらっしゃるなんて!」
「あ、ああ。たまにはいいかなと思ってな」
ここで加賀に無理やり連れてこられたなどと言える訳もなく、妙にテンションの上がっている吹雪に相槌を打ちつつ、改めて食堂全体に視線を向ける。
――やはり普段から親交のある子たち同士でお昼を共にしているようだな。
奥から球磨姉妹、大井と北上、第七駆逐隊の四人。反対側には妙高四姉妹や潜水艦の子たちもいるようだ。
その他にも様々な子たちが思い思いの仲間と共にお昼を楽しんでいるようだった。
「大井っち、チャンスだよー。ここは一発頑張ってー」
「ななな何を言ってるんですか北上さん!? 私は北上さんがいればそれで――」
「えーじゃあ私が誘っちゃおうかなー」
「き、北上さん!?」
「これは提督と親密になるチャンスクマ! さあ行くクマ……木曾!」
「にゃ! 提督の膝の上にのれるチャンスにゃ! 早く行くにゃ……木曾!」
「な、なんでいっつも俺なんだよ! ずるいぞ姉貴たち!」
「あら? 足柄、さっきあなたカツ丼を頼んでなかったかしら?」
「なんだサラダとスープ? どうしたんだ足柄、熱でもあるのか?」
「こ、これはあれよ! たまにはバランスの良い食事をと思って! 別に提督が来たからとか関係ないわよ!」
「足柄姉さん……墓穴を掘っちゃってます」
「曙ちゃん急に鏡を取り出してどうしたの?」
「う、うるさい! 潮だってさっきから髪の毛をしきりに触ってるじゃない!」
「こ、これはその……って漣ちゃん何してるの?」
「ぐくくっ! 今日に限って子供っぽいイチゴ柄なんて! これじゃご主人様を悩殺できない!」
「漣の体系じゃあどっちにしろ悩殺は無理だよ。……たぶん」
「……ところでボーロはどうしてこっちに詰めてくるの?」
「……特に意味はない。……たぶん」
「珍しいでち、提督が食堂に来てるでち」
「はあー、提督今日もかっこいいのね!」
「イクちゃん唐揚げ転がっていったよ?」
なんだか自分たちが来てから更に騒がしくなったような気がするが、今までの経験上ここで深く考えるべきではないと思考のシャットアウトを試みる。先程から各方面から視線を感じるのも気のせいということにしておこう。
「あ、あの司令官! もしよかったら私たちと一緒にお昼どうですか!」
いつの間にか右手を握られながら吹雪が一点を指差しながらそんなことを言ってくる。
指された方向に視線を向けるとぺこりと頭を下げてくる白雪と、にかっと笑ってひらひらと手を振ってくる深雪の姿が見えた。
「ごめんなさいね。提督とは執務のことで少し話があるのよ」
「あ、そうでしたか」
吹雪の提案にどう答えたものかと思案していたら、隣でメニューを吟味していた加賀が助け舟を出してくれる。しかし目線はメニューから離れていない辺り、相当限界が近いようだ。
「そうとは知らず、すいません」
「いや、わざわざ誘ってくれてありがとう」
「はい」
「……君たちが良ければ次はご一緒させてもらってもいいかい?」
「! はい!」
私なんかと一緒で本当に良いものかと思ったが、吹雪は私の提案にぱあっと向日葵が咲いたような笑顔と元気な返事を返してくれた。
最後に『約束ですよ司令官!』という言葉を残して吹雪は白雪たちの席に戻って行った。やはり駆逐艦の子たちには元気が一番だな、などと感じてしまう辺り私も若くはないのかもしれない。まだ二十代だが。
「提督、ずっと入口で立っていては邪魔になってしまいます。間宮さんのところに行きましょう」
「そうだな」
先程吹雪が私を誘ってくれた瞬間、食堂内が殺気で満たされたような気がしたが、しかしすぐに思い直す。大事な仲間たちが集うこの場所で殺気を向けるような子がいるわけがない。
……実際には九割の艦娘が吹雪に怨念と殺気を放っていたのだが。
「間宮さん伊良湖さん、お疲れ様です」
「あら加賀さん……っと提督!? ……ああ」
「ま、間宮さん大丈夫ですか!?」
「ま、まみやししょうがいちげきで!?」
「あいかわらずていとくさんのそんざいがきゅうしょですか」
「まえにきたのはにかげつまえだからしかたないですはい」
「だ、大丈夫かね間宮君」
「ああ、苦節二か月。提督にお声を掛け続けた甲斐がありました」
メニューの注文をするために間宮君と伊良湖君のところに向かったのはいいが、顔を合わせただけで間宮さんが崩れ落ちてしまった。私が来たことがそこまで心身のストレスになってしまったのだろうか。
「ていとくさんがまたくじゅうのかおをしてるです」
「あれはまたせいだいにかんちがいしてるかおです」
「あいかわらずやさしいけどざんねんなひとです」
間宮君と伊良湖君の周りでは妖精君たちが可愛らしいコックの服装を身に纏いながら、なにやらワイワイと話し込んでいた。それにしても艦娘の建造、開発、整備云々だけでなく料理にも精通しているとは妖精君たちはいったい何者なのだろうか。
「提督、すいません。間宮さん、提督が来てくれるのずっと待っていましたから」
「すまない」
「いえ、私も来ていただいて嬉しいですから」
「伊良湖君はここにもう慣れただろうか?」
「はい! 憧れの間宮さんと同じ職場で働けて提督には感謝しています!」
「何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ」
「あ、なら毎日食堂に来ていただけますか?」
「む……そ、それは」
「冗談ですよ。提督が私たちのことを気にかけてくれているのは知っていますから」
「すまない」
「でも、もう少し来てくださいね。間宮さんも喜ぶと思いますから」
「ああ、そうさせてもらおう」
「伊良湖さん、そろそろ注文をいいかしら」
「あっ! すいませんどうぞ!」
いい加減限界も限界のようで少し目が据わってきている加賀に笑顔で応えている伊良湖君を見て少し安心する。 着任当初は前の鎮守府での扱いもあったのか、どこか元気がなく一人でいることが多かったが、これも間宮君の持ち前の明るさのおかげだろうか。彼女には近いうちにそれも含めてお礼をしなければいけないな。
「ありがとう伊良湖ちゃん。もう大丈夫よ。提督、お久しぶりですね」
「う、うむ」
実際には食堂以外でそれなりに顔を合わせてはいるのだが、ここ食堂で実際に客として顔を合わせるのは二か月ぶりだ。
……やはり怒っているだろうか。
「何度も誘われていたのに来るのが遅れて、すまない」
「本当ですよ。もしかしたら二度と来ないのかと思っちゃいました」
「間宮さん、提督の口に自分の料理が合わなかったんじゃって一か月ぐらい落ち込んでたんですから」
「あ! 伊良湖ちゃんそれは内緒って言ったのにもー!」
「えへへ、すいません」
お互いに本当に楽しそうに笑う二人を見て、今さらながらにこの二人に食堂業務を任せて良かったと感じる。
「そんなことはない。間宮君の料理は大本営で食べた高級レストランよりも美味しいと今でも思っている」
「……っそ、そんな」
「大げさなどではなく、可能ならば毎日間宮君の作った料理を食べたいと私は思っている」
「……ふわあ」
「だ、ダメです提督! それ以上は間宮さんが大破してしまいます」
「む?」
長いこと誘いを無碍にしてきたせめてもの償いとして、嘘偽りのない素直な言葉を並べてみたのだが、なぜか伊良湖君に怒られてしまった。
やはりまだまだ女性心というものが自分には分かっていないらしい。
「これがてんねんじごろってやつですか」
「そんなことよりていとくさんのうしろのくうきがやばいですはい」
「ここまでか。おもえばみじかいじんせいでした」
その後、どういうことか加賀の機嫌も悪くなっており、注文を受け取るまで冷やかな視線を常に向けられるという事態に悩まされてしまった。
……私は何をしてしまったのだ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「隣、空いているか?」
「むぐっ……って提督!? ど、どうぞ」
料理を受け取り、加賀の誘導に沿って少し進み『あそこにしましょう。私はお冷をもらってきますので、先に座っていてください』という言葉に視線を移すとそこにはすでに一人の艦娘の少女がお昼を満喫していた。
思わず感心してしまうほどの料理の量と共に。
「少しばかり失礼する。それにしても相変わらず赤城の食べっぷりは見ていて気持ちがいいな」
「す、すいません」
「なぜ謝るんだ?」
自分の問いに赤城は少し赤くなりながら『大して働いていないのに食べてばかりいて……』と申し訳なさそうに箸を置こうとしたのを慌てて止める。全く箸を止める必要はないし、残った分を諸悪の根源であろう自分が食べきる自信は全くもってない。
一航戦 赤城。それが彼女の名だ。
加賀と共に一航戦として様々な戦いに参加し、その全てで高い戦果を上げている彼女だが、本人にはあまりその自覚はないらしい。
その高い能力の代償というべきか、加賀も含め彼女たちは少々燃費が悪い。言い換えれば、本当によく食べるのだ。それこそ駆逐艦の十倍といっても言い過ぎにはならないくらいには。
その事を本人は気にしているらしく、たびたび我慢して食べる量を抑えては演習でガス欠と非常に提督としては看過できない事態に何度か陥っている。
「赤城、前から何度も言っているが君たちは命を賭して我々の平和のために戦ってくれているんだ。そんな君たちに食事の量云々で何か言うつもりもないし、言わせるつもりもない」
「……ですが他では私たちの運用で財源が枯渇したとか」
確かに他の鎮守府でそういった話をたまに聞くが、それはおそらく提督の財源管理に難があったためであり、決して艦娘たちのせいではないはずである。
そもそも大本営からそれなりに潤沢な財源が毎月送られてくるため、そう滅多に財政難に陥ることはないのである。
「だから赤城には安心して食事を楽しんでほしい」
「……提督」
「それに私はいつも本当に嬉しそうに食事をする赤城の顔を見るのが好きなのだ」
「……そ、それはその」
「提督、いつもそうやって赤城さんに致命傷を与えるのはやめてください」
「……む?」
赤城たちの働きがどれだけ自分たちの助けになっているかを理解してほしくて話していたら、いつのまにか加賀が戻ってきていた。両手の盆の上には赤城に勝るとも劣らない量の料理が並んでいる。
加賀ははあと溜息をつきながらお冷を手渡し、自分を赤城と挟むように席に着いた。
「致命傷とはどういうことだ? 私は何もしていないが」
「自覚がないところが更に困り者ね。赤城さんを見てみなさい」
そう言われて赤城の方を向くと、赤城はその流れるような髪で真っ赤になっている顔を必死で隠そうとしながら黙々と箸を口へと運んでいた。時折、こちらをチラチラと見ながらなぜか恥ずかしそうに箸を進めている。
「かなり顔が赤いようだが、体調は大丈夫なのか?」
「提督はたまに本当にバカになりますね」
「むう」
どういうことか全く分からない。自分はなぜこんなにも加賀に叱責をされているのだろうか。
思い返してみても、思い当たるところがない辺り余計に混乱を促してくる。
「と、とにかくだ、私は君たちがこの鎮守府で……せめてこの鎮守府内では何の気兼ねなく過ごせるように全力を注いでいるつもりだ。だから赤城も私を信頼してほしい」
「提督……ありがとうございます」
気持ちを言葉にするのが得意ではない私の言葉では、彼女にどれほど届いたかは分からないが、目尻に少しの光を浮かべながらも赤城は微笑みを返してくれた。
「だから夜中に即席食品など食べないでもいいようにしっかり食べてくれ」
「げほっ! ごほっ! て、提督がなぜそれを」
「先程加賀からちょっとな」
「か~が~さ~ん!」
「流石間宮さんね。今日の料理もすごくおいしいわ。流石に気分が高揚します」
赤城の恨みめいた視線と言葉に加賀はどこ吹く風といったように間宮さんの手料理に舌鼓を打っていた。
なんだかんだ言ってこの二人は仲がいい。
「さて私もいただくとしよう」
折角の間宮さんの料理が冷えてしまってはもったいないと箸をとり、長かったここまでを振り返りながら今日の昼食を開始する。
久しぶりに食べた間宮さんの手料理は相も変わらず凄く美味しかった。