口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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 遅くなりました。
 そして異様に長くなりました。

 許してヒヤシンス。


第四十七話 とある日の早朝

 

 夏が終わり、季節は秋の入り口へと差し掛かろうとしているとある日の早朝。

 普段はあまり使われていない空き部屋へと続く鎮守府の廊下を、時雨は霧島と二人歩いていた。

 

「流石にこの時間だと鎮守府も静かだね」

「そうね。この時間だと流石の川内も大人しいから良いわ」

「あはは。霧島は騒がしいのは金剛で慣れてると思ってたけど違ったんだ」

「好みと慣れは別物よ……それを言うなら時雨、あなたにも夕立がいるじゃない。あの娘も結構なお騒がせ娘だと思うけれど」

 

 何か嫌な思い出でも思い出したのか渋い顔での霧島の反論に、返す言葉も無いと時雨は苦笑と共に頬を掻いた。

 金剛と夕立は川内同様鎮守府随一の頼れる戦力にして、同時に凄腕のトラブルメーカーでもある。中でも特に金剛は提督関連限定で言えば”歩く無法地帯”と恐れられる程であり、過去の逸話は数知れない。

 夕立は夕立で幾度となく突拍子の無い行動に出てはハラハラさせられたものだが、思考が無駄に大人な金剛の御守りとなると霧島の苦労も一入だろう。時雨は内心でいつもお疲れ様と一言付け加えておいた。

 

「それでも金剛の事は信頼してるんでしょ?」

「当然よ。金剛姉さまは私達姉妹の事を誰よりも想っていてくれてるもの。あなたにとっての夕立だってそうでしょう?」

「そうだね。その通りだよ」

 

 うんうんと何度も頷きながら、時雨は霧島に満面の笑みを返した。

 発言が少し気恥ずかしかったのか頻りに眼鏡の縁を触りながら明後日の方を向く霧島には申し訳ないと思いながら、鼻歌交じりに歩く足取りは軽い。

 こんな朝早くから急遽霧島に呼び出された時は何事かと思ったが、見て取れる表情や仕草からそれ程緊急な要件ではないらしい。

 と、そこまで考えて、今こうして向かっている先に何が待っているのか、自分は何故呼ばれたのか聞いていない事に気付き、時雨はふと歩みを止めた。

 

「それはそうと今日は僕に何の用事なのかな?」

「…………行けば分かるわ」

 

 おや? と時雨は思った。

 同時に盛大に嫌な予感がびりびりと足の裏から頭の天辺へと走り抜けていく。今の間は一体何かな? と。

 そんな時雨の怪訝な態度を察したのか、急に霧島が両肩をがしっと掴み顔を近づけてくる。その表情はまるで深海棲艦と対峙した時のように逃がさないと言っているようで、ギラリと鈍色に光る眼鏡に時雨は思わず小さな悲鳴を漏らした。

 

「な、なに!? なんなのさ一体!」

「大丈夫よ時雨。別に難しい事ではないわ。貴方には少し彼女達の相談にのってあげて欲しいだけ」

「じゃあなんでそんなに僕の肩を鷲掴みしてるのさ!? って言うか彼女達って誰のことなの!?」

「それこそ行けば分かるわ」

 

 戦艦の鋭い眼光に晒され涙目の時雨に構う事無く、最近頭脳派に見せかけた脳筋と評価を改めている眼鏡戦艦はそれだけを告げる。その姿はまるで退路を断たれた兵隊のようで何故か表情が煤けて見えた。

 やっとのことで開放された時雨はいっその事このまま逃げてしまおうかなどと考えたが、それより前に冷静さを取り戻したのか、霧島が深いため息と共に説明を口にし始める。

 

「ごめんなさい。少し気が昂ぶってしまったわ」

「いや、昂ぶったというか……まあいいや。それで相談って何の話なのさ」

「説明すると長くなるからそれは部屋で、とりあえず提督関連とだけ言っておくわ」

 

 提督、と言う単語に時雨の肩と髪がぴくんと跳ねる。

 これはズルイと時雨は思った。霧島は大淀と共に情報処理を任されているため、艦娘一人ひとりにも詳しいのは周知の事実。そのため、艦娘の心のカウンセリングを二人が中心となって行ったりもしている。故に誰がどんなキーワードに関心を持っているのか彼女は知っているのだ。

 霧島の性格からその情報を私利私欲に使おうとする人物ではない事は知っている時雨だが、今の彼女は明らかに普通ではない。証拠に目が血走っている。

 

 ――でも提督の話なら聞きたい、かな。

 

 我ながら欲深だと思いつつも、一度芽生えた興味の炎を消すことは中々に容易ではない。

 それでもこのまま流されてイエスとしてしまうのはなにか悔しいと、時雨は懸命の反抗戦へと突入する。

 

「でもそれなら僕じゃなくても霧島が相談にのってあげればいいんじゃないのかい?」

「私では彼女達の条件を満たしてあげる事ができなかったと言うべきかしらね。その点時雨の話なら間違いなく彼女達も納得してくれると思うわ」

「そんなに買い被られても……っていうかそれならその彼女達には申し訳ないけど、断っても良かったんじゃ」

 

 時雨の言葉に、霧島の表情が苦渋の色に染まる。

 まるで世界がそれを許してくれなかったかのように唇は戦慄き、瞳は絶望を写すように儚げなまま、霧島は全てを諦めたかのように脱力し、口を開いた。

 

「……ひよこ饅頭って知ってる?」

「? それって確かひよこの形をしたお菓子だったような」

「それをね貰ったのよ。今回の相談を引き受けてくれるお礼だって。二箱あったんだけど、一箱は相談会のその時に食べましょうって」

 

 そのまま、霧島は懺悔を行う罪人の如く諦観した表情で、

 

「だというのに……比叡姉さまが出してしまったの。金剛姉さまと榛名とのお茶会の茶菓子として全部」

 

「…………」

「…………」

 

「バカじゃないのかい?」

 

 時雨の歯に衣着せぬ正直な物言いに霧島は音も無くその場に崩れ去った。

 肩は震え、右手は口を押えたまま嗚咽を漏らす霧島。傍から見れば思わず駆け寄りたくなる可憐さだが、実に下らない実情を知っている時雨の視線は冷たい。

 しかし何故、置き場所を考えなかったのか。そもそも何も書置きをしていなかったのか。分析を得意とする霧島としてはあまりに杜撰な管理である。

 

「許せない! こればかりは流石の私も許せない!」

「まあまあ、別に金剛達も悪気があって食べた訳ではないだろうし」

「どうして……何故! よりにもよって私が出撃で不在の時に三人だけでお茶会を開いたのかッ! ひよこ饅頭が私の好物だと知っていて提督との想い出話に花を咲かせるなんてッ!」

「あ、そっちなんだ」

 

 霧島の慟哭に呆れつつ、その気持ちは分かるかもと内心で同情してしまう時雨ではあった。

 どうやら食べてしまった行為自体には、自分の管理不足を感じているからかさほど怒っている様子も無く、割とあっさり立ち直る霧島のメンタルは意外にも逞しかった。

 

「食べちゃった事は怒ってないんだ」

「それに関しては半分は私の落ち度よ。誤算だったとすれば、包装に書いて置いた『進物用』という単語の意味を比叡姉さまが全く理解できなかったという事くらいかしら」

「それはそれで問題じゃないのかな?」

「肝心なのは受け入れる事よ、時雨」

 

 右手に持ったカステラと書かれた紙袋――恐らくひよこ饅頭の代わりに買ってきたものだろう――を右手に哲学めいた台詞を吐きながら歩を進める霧島の後ろ姿を眺めながら、時雨はやれやれと苦笑を漏らした。

 なんだかんだ言いながらも、鎮守府の仲間の悩みを捨て置けない面倒見の良い性分の霧島である。きっと色々と悩んで自分に声を掛けてきたに違いない。

 なればその手助けをするのが今回割り当てられた自身の役目なのだろう。

 

「……もしかしたら提督の思いがけない情報が手に入るかもしれないしね」

 

 そんな淡い期待を胸に時雨は前を行く霧島を追って、人気のない鎮守府の廊下を足早に駆けて行った。

 

 

 

 

 

 霧島は言った。

 今回の時雨の役割は提督との関係に悩みを持っている者達へのアドバイザーであると。

 確かに鎮守府での生活に置いて、提督と良好な関係を築く事はスムーズなコミュニケーションを図る上でも重要な事柄であり、日常生活を円満に過ごすためにも欠かせない要素であることは間違いない。

 

 鎮守府の最奥、海側に面した部屋の一室。開け放たれた窓から流れ込んでくる潮風が、何処か懐かしさを感じさせる木製の椅子に腰かける時雨の黒髪を静かに薙いで行く。

 

「それでは皆さんお集まりと言う事で、早速”第八回 提督と仲良くなるための集い”を開催したいと思います。まずはお配りの資料に目を――」

 

 既に隣の壇上では霧島が何やら前口上を述べ始めており、予め配っておいた資料内容へと話を進めている。眼前では同じように熱心に資料を読み込む艦娘が四人。

 既に八回開催されている事はこの際置いておくとして、成る程彼女達が今回の件の依頼人と言う訳か。と時雨は改めて霧島に自己紹介を促されている四人へと視線を傾けた。

 

「な、名取です。今日は宜しくお願いします」

 

 ――一人目は長良型軽巡洋艦三番艦の彼女か。普段は穏やかで控えめな性格の名取がこういった会に参加しているのは少し意外だけど、本当は地道に前向きな努力が出来る凄い人なんだよね。

 

「あ、あの、潮です。もう少し提督と仲良くなれたらいいなと思って参加しました。あ、曙ちゃん達には内緒でお願いしますね」

 

 ――二人目は潮。恥かしがりで大人しい印象を受けがちだけど、潮って実は積極的なんだよね。こういう会にもちゃっかり参加してるし、僕も見習わないと駄目かな。

 

「まるゆです! いつもご迷惑かけてばかりの隊長に何かお返しがしたくて参加させていただきました! よろしくお願いします!」

 

 ――三人目はまるゆだね。いつ見てもあの白い水着がぴったりだなあ。巷の噂では潜水艦の水着は提督指定とか言われてるけど……まさかね。

 

「加賀よ。今日も提督を堕と……仲良くなるための貴重なアドバイスを期待しているわ」

 

 ――いや、うん? いやいやいや……え? なんでいるの?

 

 時雨は困惑した。

 前者の三人はまだ分かる。奇奇怪怪な性格の人物が蔓延る我が鎮守府の中でも比較的大人しく、物静かな良識のある人物たちだ。今回の提督とのコミュニケーションを図るという議題に参加した背景も良く理解できる。

 だが、思いもよらぬ四人目の登場に動揺を隠せない。

 

 名取、潮、まるゆときて――そして加賀。

 

「……こんなの絶対おかしいよ」

「時雨、大丈夫? 急に頭を抱えて体調でも悪いの?」

「あ、いやごめん。なんでもないんだ」

「そう、ならいいけど。それはそうと時間も限られてるし、そろそろ壇上に立ってもらってもいいかしら」

「分かったよ」

 

 出鼻を挫かれた感じは否めないが、任された仕事は責任を持ってやり遂げるのが筋だ。霧島に促されて壇上へと上がった時雨はこほんと一度咳払いをし、四人の前に立つ。

 

 ――さて、何を話そうか。

 

 時雨は思案する。

 今回時雨は、提督と密に関係を築けている艦娘の一人としてその経験談を語るという趣旨の下、白羽の矢が立った。勿論、時雨の真似をすれば提督と関係を築けるかと言えば、必ずしもそうではない。だが、何かしらの参考にはなるだろう、と。

 正直に言って恥ずかしい思い出や秘密にしておきたい想い出もあるだけに、話題は慎重に選ばなければと思っていると名取がおずおずと言った形で手を上げているのが見え、発言を促してみる。

 

「えと、今日は私たちのために来てくれてありがとうね、時雨ちゃん」

「いや、そんな。気持ちは十分に分かるし、僕に手伝える事があるならなんでも言ってよ」

 

 ここに来るまでは色々あったが、時雨の言葉は本心からの物であった。改装前はあまり自分に自信が持てなかった時雨にとっても名取達の健気で前向きな想いは他人事とは思えなかった。

 そんな時雨の言葉にふわりと微笑む名取の表情は十分に魅力的で、提督の前でも同じように接すれば間違いなく良い雰囲気になるというのに、いざ提督の前となると緊張で強張ってしまうのだから世界も優しくない。

 

「……名取が本気になったら手強いライバルになりそうだ」

「ふえ? それってどういう――」

「ううん。ごめんこっちの話。それで名取は今日はどんな話を聞きたくて来たんだい?」

「う、うん。あのね、提督さんってどんなジャンルの食べ物が好きなのかなって。サバの味噌煮が好きなのは知ってるけど、もう少しこうジャンルとか味付けとか知れたらなと思って」

 

 両手の指を絡ませながら恥ずかしそうに問うてくる名取に、時雨はすぐに彼女が何に挑戦しようとしているのかを理解した。

 

「成る程、名取は提督に手料理を振る舞おうとしてるんだね」

「う、うん。提督さん忙しくてあんまり食堂に来れないみたいだし、いつも即席食品みたいだから。間宮さんや鳳翔さんみたいには無理だけど、少しでも栄養の取れる物を用意してあげられたらなって」

 

 恥かしそうに両手で口元を隠しながらも、癒しのオーラを溢れさせる名取の正体は実は天使か。

 そう錯覚させる程には慈愛に満ちている名取に時雨は思わず表情を綻ばせた。後ろでは霧島が孫の成長に思わず涙するおばあちゃんみたいになっている。

 

「……名取さん素敵です」

「……まるゆ、感動です!」

「そ、そんな、これが想い遣りの心だというの……それに比べて私は……ぐふっ!」

 

 気が付けば隣に座る潮とまるゆもキラキラと熱い視線を向けている。恐らくではあるが、二人も名取とそう大差ない想いを胸にここに訪れたのだろう。私も、と拳に力を込める姿が見える。

 若干一名、名取の聖なる光に浄化されつつある穢れた心の持ち主がいるがここは触れない方が吉と、時雨は改めて名取に向き直った。

 

「うん、凄く素敵な考えだと僕も思うよ。そうだね、提督は特に好き嫌いはないけど、ジャンルで言ったら和食を良く頼んでるのを見るかな」

「えと、和食……和食と」

「和食かあ……私も朧ちゃんみたいに料理の練習始めようかなあ」

「カ、カレーは和食に入るのでしょうか」

 

 自分の言葉を真剣な表情でメモに取る名取。潮は何か思う所があるようで人差指を顎に当てたまま何やら呟いている。まるゆは何やら哲学の世界へと一人耽り込んでいるようだ。

 

「量は少し大目に作った方がいいよ。早朝とか提督よく鍛錬に出かけてるし、やっぱり男の人だからね。あ、でも味付けはあまり濃いのは好きじゃないみたいだね。あくまで素材の味を生かした料理を食べてる時の方が嬉しそうに見えたよ」

「…………」

「ん? 急に驚いた顔してどうしたんだい?」

 

 カリカリと走らせたペンを止めて、こちらに視線を向けてくる名取の意図が掴めず時雨は一人疑問符を浮かべる。

 何かおかしな事でも言っただろうか、と思い返してみても特に問題もない。

 

 そんな時雨に名取が感嘆とした口調で一言。

 

「凄いね時雨ちゃん。なんだか提督と夫婦って言われても納得しちゃうぐらい、あの人の事知ってるんだね」

「ええ!? そ、そんな僕なんかが提督とふ、夫婦だなんて……あうう」

 

 一体いきなり何を言い出すのか、この天使は。

 あまりに急な出来事に体温がぐんぐん上昇していくのが分かり、時雨は思わず両手で顔を覆った。顔が熱く火照るのを止められない。一方で犬耳のように跳ねた髪が嬉しそうにピョコピョコ動いているのは本人の無意識的に成せる業だったりするのだろうか。

 何故か潮とまるゆも同じように恥ずかしそうにしているのはそう言う話に本人達の免疫が無かったからか、加賀に至ってはむすっと勝手に一人拗ねている。

 

「ふふっ。ごめんね、提督の事を話す時雨ちゃんがあんまり楽しそうだったからつい」

「……名取って繊細に見えて、実は凄く逞しいよね」

「そうかな?」

「そうだよ」

 

 なおも”んー?”と悩みながら改めて感謝の言葉を告げてくる名取に時雨はひらひらと白旗を振った。

 鎮守府内だけでも鳳翔と間宮という双璧がいたため、今まで誰かがしそうでしなかった手料理を提督に振る舞うという行為への挑戦といい、今の発言といい、名取も随分と積極的になってきているような気がする。

 

 ――僕はもう少しからかわれる事に耐性を付けた方がいいかな。

 

 思わぬところで見えた反省点に頷きながら、時雨は続いて二人目へと視線を移動させる。

 

「それじゃあ気を取り直して。次は潮かな」

「え、えと、私は……出来ればこの上がり症を治せたらなとか思ったりして。時雨ちゃん、提督と一緒にいても常に自然体で凄いなあと思って……何かコツでもあれば教えてほしいんだ」

 

 潮の質問に、時雨は再び思案する。これまた難題だ、と。

 最近潮が自分の性格を変えようと努力している事は知っている。提督を花火に誘ったり、一緒に日用品の買い出しを申し出たりと積極的になろうとしている姿を良く見かける。

 時雨としてはそれを続けていけばいいと思うのだが、本人は納得していないらしくこうして自分に助言を求めてきている。同じ駆逐艦として、出来る事なら力になりたいとも思っている。

 だがしかし、だ。彼女は一つ勘違いをしている。

 

(……周りからは冷静に見えるかもだけど、僕も提督と一緒に居る時は何時もいっぱいいっぱいなんだよ、潮)

 

 内心でズーンと沈む時雨だが、周囲がそれに気付く様子はない

 周りに人がいればそうでもないが、二人になるとどうしても色々と想像してしまって緊張してしまうのは時雨も一緒だった。

 提督は常に艦娘の事を考えてくれている。それに応えるためにも相応しい行動と振る舞いを、といつも思うのだが、距離が近くなればなるほど何も考えられず頭が真っ白になってしまうのだ。

 だがそれでは潮は納得しない。仕方がないので、感じている事をそのまま伝える事にした。

 

「コツってほどでもないけど、意識してることならあるかな」

「それって……」

 

 まるで被せる様に食付いてくる潮に苦笑しながら、時雨は静かに思考を言葉に変換する。

 

「……潮にはさ、何かコンプレックスってあるかな」

「えとコンプレックスって程じゃないけど……」

 

 そう言いながらも、潮の視線は自身の身体の一部へと注がれていた。が、時雨はあえてそこには触れず、話題の転換を試みる。

 

「ん。じゃあ質問を変えるけど、潮は提督に触れられるのは嫌かい?」

 

 時雨の問いかけに潮は勢いよく首を横に振った。遠征後のハグや秘書艦の時に頭を撫でられる事など、提督とのスキンシップ時は例外なく緊張するが、嫌悪感は全くない。むしろ温かい気持ちになるので嬉しかったりする。

 そんな潮の態度を見やりながら、時雨は諭す様な口調で語りかける。

 

「自分では隠してるつもりでもさ、心の底で気にしてる事って親しい人には分かっちゃう物なんだ。潮さ、提督が他の子には普通にハグするのに、なんで自分の時になると一瞬躊躇するのかって悩んだ事ないかな?」

「……あ」

 

 心の奥で密かに悩んでいた事を指摘され、潮は思わず息を吞んだ。

 

「提督ってさ不器用だけど、僕達の事は誰よりも見てくれてるよね。だから言葉にしてなくても、潮が気にしてる事、提督は気付いてるんだと思うよ。あの人は底抜けに優しいからさ、きっとそんな潮に無遠慮に触れてしまっていいのか判断に迷ってる。その葛藤が一瞬の躊躇の答えに繋がるんじゃないかな」

「そうなの……かな。てっきり私、提督に嫌われてるのかなって思ってたんけど」

 

 あまりに的外れな潮の言葉に、時雨を含めた全員がその場で思わず吹き出した。教壇の後ろで今の言葉は年末の面白台詞大会に出そうと霧島が画策しているのを余所に、全員から笑われた潮が可愛らしく頬を膨らませる。

 

「あはは、ごめん潮。それに限っては天地がひっくり返ってもないよ」

「……むうう」

「要はさ、本当の意味で心を開けるかどうかだと思うんだ。コンプレックスがある事が悪いんじゃない。誰しも自分の好きな部分嫌いな部分はあるだろうしね。大事なのはそれを含めて相手に心を開けるか。大切な人に嫌いな部分を見せるのは怖いけど、本当に想ってくれている人ならそれを含めて受け入れてくれると僕は思ってる」

「……そっか」

「とか偉そうに言ってるけど、僕も提督の前では情けない事に恰好つけてばっかりなんだけどね、あはは」

 

 と、おどけながら潮の様子を窺うと、彼女は言葉の意味を咀嚼するように何度もうんうんと頷きながら”ありがとう時雨ちゃん。私、頑張ってみるね!”と感謝を口にしてくれた。

 コンプレックスを克服するのには時間が掛かるだろうが、これならもう大丈夫だろう、と時雨は一拍置いて次の人物へと視線を移した。

 

「さ、次はまるゆの番だね」

「は、はい! まるゆは隊長さんにいつも御迷惑をお掛けしてばかりなので、何かお役に立てることはないかと考えてたんですが……」

「ですが?」

「……どれだけ考えてもまるゆがお役に立てる事が思いつかなくて」

 

 エベレストの頂上からマリアナ海溝の最深部ぐらいの高低差でテンションが下がるまるゆに苦笑しながら、時雨はなんとなく今のまるゆが昔の自分に重なっているようで少しだけ親近感を覚えた。

 実際まるゆは本人が思っているように鎮守府のお荷物ではなく、むしろ誰もが踏鞴を踏むデコイとしての役割(提督は指示していないが)を率先して請け負ったり、遠征をまめにこなしたりと非常に働き者であったりするのだが、本人の意識的にはそういう事ではないのだろう。

 

 何か一つきっかけさえあれば前を向けるのだが、そのきっかけが見つからない。そんな感じだ。

 提督に伝えて一言何かを言って貰えば解決はするかもしれないがそれはまるゆの意志に反する行為だろう。効率よりも情や気持ちを重視する時雨はまるゆと一緒に悩むことを決めた。

 

「僕はまるゆが役に立ってないなんて思ってないけどな。この前改装してもらって、魚雷だって詰めるようになったじゃないか」

「正面海域で十回連続大破するまるゆに魚雷なんて資源の無駄です」

「……あはは」

 

 これは何やら闇が深そうだと戦闘面での話題を避ける事を決めた時雨。名取と潮と一応加賀がまるゆを慰めてくれている事に感謝しながら、時雨は思考を巡らせる。

 別に大それた事なんかじゃなくてもいい。大切なのはまるゆの気持ちなのだ。

 

「まるゆがマグロでも捕まえてくれば、隊長さんも喜んでくれるでしょうか?」

「えと、多分提督さん、まるゆちゃんがマグロ漁に出たって聞いたら心配で仕事が手につかなくなると思うけど」

「マグロって凄く力強い魚だって漣ちゃんが言ってたけど、まるゆちゃん大丈夫かな?」

「まるゆがマグロを捕まえるどころか、マグロがまるゆに気付かず太平洋の真ん中ぐらいまで連れて行かれそうね」

「……ふええ」

 

 三人の心配してるのか弄っているのか判断に困る発言を聞きながら、ふと時雨はまるゆの首に下げられた綺麗な色をしたガラス細工のようなものを発見し、おもむろに問いかけた。

 

「まるゆ、その首に掛けてる綺麗な首飾りって何処かで買ったのかい?」

「これですか? これはまるゆが遠征の帰り道とかに拾った石や貝殻を妖精さん達と一緒に作った飾りですが」

 

 そう言って恥ずかしげに見せてくる深緑色の首飾り。半透明な石の中に、散りばめられた貝殻がアクセントとなって素晴らしい出来栄えとなっている。売り物と言われても納得してしまうくらいには良い出来であった。

 

「本当は隊長さんにプレゼントしようかと思ったのですが、こんな物貰っても邪魔になるだけだと思いまして」

「いや、いいんじゃないかな? うん、凄く良いと思うよ」

「……え?」

 

 手に持った首飾りをまるゆに返しながら、時雨は良いものを見せてもらったと表情を綻ばせてまるゆへと破顔する。

 

「これって置物としてもう一つ作れるかい?」

「あ、それは大丈夫です。こういうの集めるのはまるゆの趣味でして、ストックは沢山あるので」

 

 まるゆの発言に素敵な趣味だなと思いながら、時雨は提案を続ける事にする。

 

「じゃあそれを日頃の感謝の印として提督にプレゼントしよう」

「え、でも隊長、気に入ってくれるでしょうか?」

「ふふっ。まるゆは知らないかな? 提督ってさ、実はこういう眺めてて心が落ち着く小物が好きみたいなんだ。前に雑貨屋に一緒に行った時も真剣にこれと似た物を眺めてたし、きっと喜んでくれるさ」

「ほ、本当ですか!? じゃあまるゆ、この後早速工廠に行って妖精さんにお願いしてきます!」

 

 先程と一転して表情を明るくさせるまるゆ。これできっとまるゆも自分に自信が持てるきっかけになる筈だと時雨は思わず自分の事のように嬉しくなる。

 可能ならば、自分にも一つ作ってもらおうと心に留めながら、時雨はなんだか気持ちが晴れやかになっているのに気づき、ふと笑う。

 

 ――やっぱり皆が笑ってるのっていいな。

 

 目の前では名取と潮とまるゆの三人が楽しそうに笑い合っており、時雨はそれだけで今日は来てよかったと思える事が出来た。

 

 さて――

 

「……一応聞くけど、加賀も何かあるのかい?」

 

 可能ならばここで締めにするのが最良なのだが、人間が出来ている時雨は窓際サラリーマンと化していた加賀に問いかける。

 そんな待望の時雨の台詞に加賀が待ってましたとばかりに立ち上がる。相変わらず無表情ではあるが、気分が高揚しているのかサイドに括られた髪が頻りに揺れている。

 

「そうね。では僭越ながら私も一つ質問させてもらうとしましょう」

「はいはい。で、何が聞きたいのさ」

「決まってるでしょう? どうしたら提督とすったもんだの開幕夜戦に突入できるかと言う事なんだけれど――」

 

 などと、なおも続けようとする加賀を余所に、時雨は無言で他の三人を集め、寝ている霧島を起こしそのまま出口となる扉へと歩いていく。

 そのまま固まっている加賀に向けて、時雨は今日一番の笑顔を形作り一言。

 

 

「君には失望したよ」

 

 

 そうして栄えある一航戦の片割れを残して、第八回、提督と仲良くなるための集いは幕を閉じた。

 結局数時間後、赤城が加賀を発見した時、部屋に涙の川が出来ていた事は彼女達だけの秘密である。

 

 

 ちなみに後日、まるゆが提督にプレゼントした深緑色の飾り物は大層提督に喜ばれ、執務室に飾られたそれらを発見した艦娘からひっきりなしにまるゆが注文を受ける様になったのはまた別のお話。


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